読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」 20
読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」 15
読書案内「BookCoverChallenge」2020・05 16
読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて 5
映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督 6
全7件 (7件中 1-7件目)
1
やまだ紫「ねこのふしぎ話)」(興陽館)「やまだ紫って、亡くなってたん?」「そうよ。だいぶ前のことよ。」「これは、でも、最近、出てんやね。あんたが買うたん?」「うん、だいぶん前やね。お嬢さんが、出さはったんちゃうかな。遺稿集かな。そんな感じ。」 やまだ紫というマンガ家について、わが家でシマクマ君があれこれ言うのは気が引けます。チッチキ夫人と、ひょっとしたら、ピーチ姫のテリトリーで、まあ、お裾分けのようにして読んできました。 「性悪猫」(ちくま文庫)とか「しんきらり」(ちくま文庫)とか、あっちの棚にあったはずですが見当たりません。まあ、そういうものです。 今、目の前にあるのは「ねこのふしぎ話」という単行本ですが、興陽館という出版社の名前は聞いたことがありません。巻末に載せられているやまだゆうという人の「猫も人もふえたりへったり」という「あとがき」(?)のなかに、2009年に亡くなったやまだ紫の作品集が、なぜ、2021年に出版されるのかという経緯が書かれていますから、ぜひ、本書を手に取ってお確かめください。収録作品は「こうして猫がへったりふえたり」が11話、他には「鈍たちとやま猫」、「子供の制服」、「猫の不思議話」、「招く猫」といった短編作品で、90年代から2000年代の初めころに「ガロ」に載せられていた作品らしいですが、単行本になったのは初めての作品群らしいですね。 やまだ紫が愛し、彼女を愛した、白取千夏雄という「ガロ」の担当編集者であった方が保存されていた原稿の書籍化のようです。ちなみに白取千夏雄さんもすでにお亡くなりのようです。 いつものように猫と娘たちとの暮らしの日々が淡々と描かれているマンガ集です。ファンの方はとっくにご存じでしょうが、ご存じでない方が気付かれればいいなという案内でした。
2023.04.08
コメント(0)
吉田秋生「詩歌川百景(2)」(小学館) このマンガはヤサイクンのマンガ便ではありません。チッチキ夫人の「お持ち帰り便」です。彼女は本屋の店員さんですから、一応、新しく出た出版物に敏感ということになっています。その上、吉田秋生のファンです。2月の末にテーブルに置いてありました。 2022年2月15日に発売された、吉田秋生「詩歌川百景」(小学館)の第2巻です。第1巻が出たのが2021年の1月ですから、第2巻まで1年以上かかったようですが、連載されている「月刊flowers」の掲載も2021年の1月、5月、9月、2022年の1月と不定期です。まあ、ゆっくりお書きになっていらっしゃるということでしょうか。それにしても待ち遠しいことでした。 舞台は河鹿沢温泉という山間の温泉地で、主人公は母親に捨てられた飯田和樹くんと守くんの兄弟と、和樹くんとは幼馴染の小川妙さんという高校を出たばかりの少女です。守くんはまだ小学生ですが、和樹くんと妙さんは老舗の温泉旅館「あづまや」で働き始めたばかりですが、周りには工務店の跡を継いだ森野剛くんとか、なぜか進学せずに地元の役場で働き始めた林田類君や、その妹で和樹にあこがれている高校生の莉子ちゃんとか、表紙に描かれている若い人たちがいます。 若者たちの群像劇ですが、もちろん、大人たちもいます。中でも、和樹くんに「湯守」の仕事を教えているシゲさん(倉石繁)は、登場する若者たちが子供だった頃からそばにいた人物で、このマンガを底から支えているキャラクターの一人だとぼくは思います。 今回の第2巻の6話「見えない毒」にこんなシーンがありました。 「あづまや」の娘で、東京に出て働いている麻揶子さんが久しぶりに帰郷して風呂に入っています。湯屋の外に立っているシゲさんと子供のころにシゲさんの軽トラックに乗った思い出を、壁越しに語りあっているシーンですが、マンガのセリフから抜き出すと、こんな内容です。「あの軽トラは雪の海の中を行く小さな船みたいで、 なんか…、いろんなものがあふれてきちゃって、 倉さんには迷惑かけちゃったね」「別に迷惑でもなんでもないさ。 子供はみんな泣くんだ 和樹も妙も守も仙太郎くんも 何がせつないのか 何と戦ってるのか 自分じゃ決して言わないが 仙太郎くんはしゃくりをあげて 守は涙と鼻水とよだれでぐじゃぐじゃになりながら 妙は怒りながら 和樹は気づくと涙を流している 必死にこらえながら 静かに涙を流している それでもみんな車を降りる時は笑顔で『行ってきます』と言うんだ 泣いてすっきりしたのか 心配かけまいとしているのかそれはわからんが その後ろ姿を見ると もういじらしくて 必ず気づいてやるからな 溺れる前に必ず引っぱりあげてやるからな と 思わずにいられないんだ」 一応マンガのシーンを貼りましたが、このシーンの倉石繁さんのこのセリフだけでも、第2巻は読む価値があると思いました。ただ、小説で同じセリフをしゃべらせても、たぶん、こんな迫力というか、差し迫ったリアリティーは生まれないところがマンガの妙ですね。さすが、吉田秋生という感じです。 まあ、吉田秋生さんのファンのみならず、とりあえず、お読みになってみてください。 「ゆっくりゆっくり傑作が育っている!」 読み終えて、ぼくは、そんなふうに思いました。 実は、今回読んでいて河鹿沢温泉ってどこだろうと気になりました。何となく東北地方か、雪の多い日本海側かなとか思ったりもするですが、調べると、漢字は違うのですが、鰍沢温泉っていう地名は山梨県あたりに実在するのですね。登場人物たちの言葉遣いからして、このあたりかなとか思いましたが、架空の世界は架空の世界で、モデルを推理しても、あんまり意味はないですね。 地名だけじゃなくて、「河童伝説」とか「崇徳院桜」とか、他の推理ネタもあります。で、これはネタふりじゃないかと思ったの崇徳院ですね。瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ まあ、あまりにも有名な崇徳院の歌ですが、崇徳院桜といえば、こんな歌も浮かんできます。朝夕に花待つころは思ひ寝の夢のうちにぞ咲きはじめける 花を待っているつもりが、夢の中ではすでに咲き始めているというわけでしょうが、登場人物たちの夢の中にはすでに咲き始めている花の物語の暗示でしょうか。 第3巻以降、夢の中の花の物語が始まりそうです。どうなるのでしょうね、やっぱり1年待つほかないのでしょうか(笑)。
2022.03.11
コメント(0)
週刊マンガ便 吉田秋生「増補ハナコ月記」(ちくま文庫) 秋になりました。夏の間に散らかして、身動きが取れなくなったので、机の周りを片づけていると出てきました。マンガです。なんで、ここにこのマンガがあるのか、経緯がよくわかりませんが、積んでいた本というか、しょっちゅう崩れては積み直していた山から出てきた出土品です。 吉田秋生さんのマンガはここではなく、別の部屋の棚にかたまっているはずなのですが、ここから出てきました。片づけなので、そのまま別の部屋にもっていけばいいのですが、その場に座って読みはじめてしまって、こうして「マンガ便」を書き始めてしまいました。もちろん部屋は片付いていません。 吉田秋生「増補ハナコ月記」(ちくま文庫)です。 前世紀の終わりごろの「ちくま文庫」はマンガのラインナップが、なかなか渋くてよく読みましたが、この文庫も1996年の発行で、ご覧の通り、表紙の汚れがその年月を感じさせます。中を覗くと、少々黄ばんでいる気もします。 こんな感じですね。 吉田秋生さんが、スージー吉田のペンネームで、マガジンハウスが1980年代の終わりに創刊して、かなり流行った「月刊Hanako」に連載していたマンガのようです。 見開き2ページ読み切りで、月刊だから「ハナコ月記」なんでしょうね。20代の後半と思しき、それぞれ仕事を持った「同棲」カップルの、アホな日常が描かれています。 イラストレイターのハナコさんとサラリーマンの一郎さんです。ほぼ、30年前のアラサーのカップルですから、現在、還暦越えの皆さんなわけで、お読みになると、どうお感じになるのかちょっと興味を感じますね。 ぼくには、今でも面白いのですが、ちょっと「古めかしさ」がないわけではありません。解説は糸井重里ですが、今思えば、やっぱり懐かしいというか、90年代ですねえという気がします。。ちなみに「月刊Hanako」は、今でもあるそうですが、やはり20代後半の女性をターゲットにしているのでしょうか。今度ちょっと、本屋さんの雑誌の棚を覗いてみようと思います。 吉田秋生さんが「バナナフィッシュ」を書き終えて、「夜叉」を連載していたころのお仕事のようです。まあ、それにしても、30年も昔のことです。にもかかわらず、この近さは何なんでしょう。不思議です。
2021.09.26
コメント(0)
高野文子「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん」(福音館書店) マンガ家の高野文子さんがお作りになった絵本です。まあ、もうそれだけで、ちょっとどうなっているのか気になる人もいらっしゃると思いますが、知らないでページを繰ると、「なんじゃこれは」とお思いになること間違いましです。 何にも起きません。おチビさんが一人でお布団に入って寝るようになって、寝る前に「しきぶとんさん」と「かけぶとんさん」と「まくらさん」に願いごとをするだけの絵本です。しきぶとんさん しきぶとんさんあさまで ひとつ おたのみしますどうぞ わたしの おしっこがよなかに でたがりませんようにまかせろ まかせろ おれにまかせろもしも おまえの おしっこがよなかに さわぎそうに なったらばまてまてまてよ あさまで まてよとおれが なだめておいてやる これだけです。笑える人は、妙に笑えます。わが家には還暦をすぎて、「しきぶとんさん」に「ひとつ おたのみしたい」人がいます。 2才から4才とかの子ども向けじゃなくて、60才から80才とかのジジ・ババ向けの絵本かもしれません。 もっとも「そうか、そうか」とお金を払って買ったりしないで下さいね。べつにノコギリヤシ効果があるわけではありませんからね。 高野文子さん、なかなかやりますねえ。自分のために描いたんじゃないかと思ってしまいますね。 ああ、御存知ない方もいらっしゃるかと思いますが、高野文子さんはこんなマンガの方です。
2021.04.07
コメント(0)
週刊 マンガ便 吉田秋生「詩歌川百景(1)」(小学館) チッチキ夫人が仕事から帰ってきて、食卓のテーブルにポンと置いていいました。「先きに読んでも、いいわよ。吉田秋生の新作よ。」 吉田秋生の最新作「詩歌川百景」(小学館)の第1巻です。はい、さっそく読みました。裏表紙がこれですが、そこに、こう書かれています。 温泉旅館で働く青年飯田和樹。 町いちばんの美人といわれる幼なじみの小川妙に 日々からかわれながらも 和樹は彼女の事情を 気にかけていて…? 表表紙にも裏表紙にも、3人の登場人物が描かれています。飯田和樹君と、弟の守君、それから美少女小川妙ちゃんです。 この3人の周りには、和樹君の高校の同級生だった林田君と森野君、妙ちゃんのお母さんで、かつての町一番の美人だった絢子さん。エエっとそれから和樹君が働いている「あずまや」旅館の人たち、ああ、そうだ、妙ちゃんは「あずまや」の大女将のお孫さんで、高校三年生、受験生ですね。 とまあ、多士済々、いろいろな人たちが織りなす小さな温泉町の日常が描かれているわけですが、マンガの腰巻にはこう書かれています。美しい川の流れる小さな温泉町。この町でだれもが何かを抱えて生きている。「何かを抱えて生きている」人たちの暮らしの「美しさ」ということを考えながら読んでいると、こんなシーンが出てきました。 脳梗塞から復帰して働き始めた大女将が、お正月の客室に飾った「白い寒椿」の一輪挿しの花をめぐって、妙ちゃんと和樹君が雪かきの途中で話す場面ですが、この次のページで妙ちゃんがこういいます。あの白い寒椿はだんご下げの華やかさにも負けないくらい凛としていた。この雪の中の椿みたいにおばあちゃんの言いたいことが少しわかったような気がしたの白は無色じゃない豊かな色と美しさあるんだって このマンガの底に流れる「美しさ」が、こうして、妙ちゃんの言葉として語られるわけです。 吉田秋生独特の、厳しく孤独な二人の横顔のクローズアップが印象深いこのページが、第1巻のクライマックスだと思いますが、気になる方は実物で、お確かめください。「メタモルフォーゼの縁側」というマンガで市野井雪さんというおばあさんが演じていた役回りを、ここでは妙ちゃんのおばあちゃん、大女将が演じています。彼女は、じっと辛抱しながら、前向きに進もうとしている二人にとって、包み込む船であり、舳先の灯りようです。 ぼくは、このマンガを読みながら、最近見た「この世界に残されて」という映画を見ていた時の気分を思い出しました。 映画を見ながら、画面の中で、じっと、耐えながら生きている、この人たちに、どうか、ここまでに、味わったに違いない悲しいことや辛いことが、もう一度起きたりしませんようにと祈りながら見ていたのです。 それではドラマは成り立たないと考えるのが普通ですが、果たして、劇的な出来事は、目を覆いたくなるような不幸や、拍手したくなるような歓喜の中にだけあるのでしようか。 雪の中に咲く「白い寒椿」の「美しさ」に気付く18歳の少女や、父親の違う弟と二人で生きる二十歳になったばかりの青年に、これ以上、苛酷な運命はどうかやって来ませんように。やはりぼくはそんなふうに祈りながらページを繰るのでした。 第1巻を読み終えましたが、吉田秋生のここまでの筆致は見事ですね。人々がそれぞれ、うつりゆく季節の時間のなかで「生きている」ことの「美しさ」を、淡々と描いて、明るい物語が始まったようです。新しい傑作が生まれる予感がしますね。
2021.01.31
コメント(0)
「100days100bookcovers no33」(33日目) 吉田秋生『BANANA FISH』(小学館・全19巻) YAMAMOTOさんご紹介の『夜と霧』は、ナチスの強制収容所での体験について書かれた古典的名著です。私は思春期のまっただ中でこの本を読みましたが、いま読んだら、あのときとはまた違ったことが見えてくるのは間違いないでしょう。命のあるうちに、もういちど読んでみたい。この本を思い出させて下さったYAMAMOTOさんに感謝です。 さて次は、私がこの本に出会うきっかけになった『夜と霧の隅で』の作者・北杜夫へ行こうか、どうしようか、と考えましたが、人間の極限状態 を描いた作品、ということで、これが頭に浮かびました。 『BANANA FISH』吉田秋生(小学館・全19巻)マンガかい! と思われた方、すみません。このリレーで私が勝手に設けているセルフ・ルールがあって、それはできる限り「エンタメ」で繋ぐ、ということです。どうしてかというと、私の中身がエンタメで構成されているからです(笑)。私だけのルールですので、どうぞどなたもお気になさることなく。 昨年フレデリック・ワイズマンの映画『ニューヨーク公共図書館』が公開されたとき、まず頭に浮かんだのは『BANANA FISH』のラストシーンでした。このリレーでご一緒しているKOBAYASIさんに、FBでそのことを話したところ、「バナナフィッシュ?サリンジャーですか?」 と言われて私も「は?」という状態に。サリンジャーに『バナナフィッシュにうってつけの日』という短編があることをそのとき初めて知り、さっそく読んでみたのですが、大いに関係がありました。 今回『BANANA FISH』を久しぶりに再読してみると、サリンジャーへの言及、ちゃんとあります。読み落としていたんです。 『BANANA FISH』は1985年に別冊少女コミックで連載が始まり、9年かかって完結した吉田秋生の長編マンガです。とにかく面白い。今回も全19巻を一気読みでした。すでに評価が定まっているので、ご存じの方も多いでしょう。長期間の連載なので、途中でだんだん絵も変化していきます。ニューヨークを舞台に、主人公アッシュを中心としたストリートキッズの世界を描いているのですが、この17歳の少年・アッシュがIQ200の美貌の天才(少女マンガです)という設定ゆえ、話は不良少年たちの抗争におさまらず、イタリアン・マフィアや中国の財閥一族、FBIまで巻き込んで、ハリウッドも顔負けのサスペンス活劇に発展してゆきます。 かれらの抗争の中心にあるのが(ブラックボックスでもあるのですが)「バナナフィッシュ」、催眠作用を伴う麻薬の名前です。その麻薬を権力の道具にしようとする大人たちが、バナナフィッシュの秘密を知ってしまったアッシュとその周辺の少年たちを追い詰め、秘密を入手しようとするのですが、いつもすんでのところで、少年たちの情報網と結束力、アッシュの頭脳とリーダーシップに阻まれます。 しかし、話の中盤からは、アッシュという存在そのものがまるで麻薬のように(本人が意図しないという意味でもまさに)権力者たちを翻弄してゆくことになります。 このマンガではさまざまな大人たちが描かれますが、少年たちも多様です。白人、黒人、スパニッシュ、メキシカン、チャイニーズなど多数のグループがあり、それぞれに民族特有のルールや考え方、死生観があります。 吉田秋生は日本在住の日本人ですので、リアリティを期待してはいけないでしょうが、おそらくかなりのリサーチを行ったでしょうし、彼女の興味や考え方は十分に反映されていると思います。 いずれにしろ、ニューヨークのダークサイドは、「多民族の軋みを体感したことのない日本人」のいない世界なのです。 そんな世界へ、ひとりの何も知らない日本人少年・英二が、たまたま巻き込まれてゆく。そこが、このマンガの肝です。アッシュの住む世界では、人を疑うことをしない英二は「異物」です。でも、異物はときに「窓」になります。窓を開けると、風が吹き抜けます。アッシュは英二を通して、これまで体験したくてもできなかった世界を知ることになるのです。 が、反面、英二はアッシュにとってのトリガーにもなります。異物はどこまでも異物であり、融合することはできないのです。それを悲劇と捉えるかどうか、それは読者次第です。人が人と出逢う喜びを否定するものは、この世にはないと私は思いたいのです。 これは、今回再読した私の読み方で、これ以外にもいろいろな読み方ができると思います。それが名作っちゅうもんでしょう。 おっと、ニューヨーク公共図書館を置き去りにしてしまいました。ラストシーンだけではなく、『BANANA FISH』には、アッシュがニューヨーク公共図書館を利用するシーンがいくつも描かれています。家も蔵書も持たないIQ200の少年アッシュにとって、そこはひとりで思索する自宅であり本棚だったというわけです。 映画の話題繋がりで、吉田秋生原作の映画についても少し。記憶に新しいのは是枝裕和監督の『海街ダイアリー』(2015年)、古いところでは中原俊監督の『櫻の園』(1990年)が印象的でした。 『BANANA FISH』は少年を描いていますが、上記2作のマンガは少女の心情を克明に、豊かに描いています。中原監督の『櫻の園』は原作とは肌合いが違っていますが、少女映画としては出色だったと思います。 それではKOBAYASIさん、お願いします。(K・SODEOKA2020・07・29)追記2024・02・02 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。にほんブログ村にほんブログ村
2020.11.11
コメント(0)
吉田秋生「海街diary1~8」小学館 我が家では吉田秋生については、うかつなことは書けません。読みたければ、いつでも読めるのですが、「ちょっと、それ、ページをぎゅーって開かんといてくれる。」とか言われちゃうので、読むのも、少々気を遣います。とはいいながら、映画「海街diary」を観て、ここは、どうしてもという気分で、原作の「海街diary1~8」(小学館)をトイレなんかに持ち込まずに読み終えました。 吉田秋生のマンガの特徴について、一般論というか、マンガとしてどうなのかというようなことは、ここでは、あまり言う気はありません。 一つだけいえば、クローズアップの描線の鋭さ、それと、おそらくセットになっている登場人物の表情の厳しさに特徴があると思います。その結果、傑作「バナナフィッシュ」なんて、登場人物が、男なのか女なのかよくわからないノンセクシャルな表情をしていて、漫画家のきつい性分のようなものを感じさせるのです。ぼくには、それが彼女のマンガの魅力なのですが、まあ、印象は人それぞれだろうと思います。 ともあれ、読後の印象は映画を観た感想とは全く違っていました。映画は過ぎ去った時間や家族の死からの再生の物語、新しい出発のための助走の姿を映していたと思うのですが、映画全体に、なんとなくの「暗さ」が漂っているように感じたのですが、原作のマンガの中で、娘たちは過去の時間に憑りつかれたりしていないと感じました。 父親や家族、知り合いの死や、娘たちだけで暮らす古い民家のたたずまいや、歴史に彩られた鎌倉の街の風景は、確かに、彼女たちの「生きている世界」を取り巻いていますし、物語の主人公にふさわしい、独特な背景、あるいは舞台を作り出してもいます。しかし、それが過去を強調的にクローズアップして、登場人物たちを縛り付けるような印象は全くありません。 原作マンガの中では、登場人物たちは、実に、生き生きと生きているのです。 たとえば、第8巻の表紙絵の階段を駆け上っていく四女スズの後ろに広がるのは、父が捨てた街の風景ではなく、彼女が生きている、その街の上にひろがっている今日の青空なのです。 ぼくが最も印象深く読んだ、第5巻「群青」にあるシーンですが、海猫食堂のおばさんの死に際して、四女スズのダイアリーであるのだろうモノローグが、こんなふうに四角囲みで書き込まれています。 入院して3週間後 猫亭の福田さん 豪福寺の和尚さん将志の一家に見守られて海猫食堂のおばさんは亡くなりました神様は気まぐれで時々ひどい意地悪をするのででも晴れた日は空が青いどんな気持ちの時もそれはかわらないそれだけは神様に感謝したいと想います 海街の日々を生きる人々の上には、晴れた日の青い空が広がっています。時間は、さまざまな可能性をはぐくんで、過去から未来に向けてゆったりと流れています。四姉妹と彼女たちを取り巻く人々の生活や人柄は、重なり合う時間の厚みが丁寧に書き込まれて、明るく深いのです。コミカルなギャグと繊細な描画の組み合わせが、物語の展開を支えていて、読者にゆっくり読むことを促しているように思えます。 いまさらいうまでもないことですが、傑作でした。(S)追記2019・11・23映画「海街ダイアリィ」の感想はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!河よりも長くゆるやかに (小学館文庫) [ 吉田秋生 ]ここかあたりから、ファンです。きつねのよめいり (小学館文庫) [ 吉田秋生 ]これも懐かしい。
2019.04.13
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1