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NHK「クローズアップ現代」10月31日(月)放送で私が参加している郡山中央倫理法人会の会友である飯島成一さん(飯島米穀株式会社 代表取締役)が登場しました。東京電力福島原発の事故で放射能汚染された福島県の県産米の置かれた位置は!?飯島成一さん昨年度、福島県産米の10%にあたる4万トンを県内農家から買い入れて全国500社の取引先に販売していたそうです。今年は春先3000件の農家に収穫した米を買い取ると手紙を送ったそうです。ところが9月に二本松市の検査地点から国の基準値と同じ500ベクレルの数字が出ました。そのことによって不安がひろがり、商社から価格値引き交渉などの電話のやりとりなどもドキュメンタリーで放送されておりました。農家にとっては飯島米穀が頼りです。この秋は5億円の銀行融資を受けて農家からお米を買い付けました。飯島さんにとって心の中のジレンマと闘いながらの秋の陣ですが、多かれ少なかれ私たち福島県内の経営に携わるものは、この難局をどうかじ取りしてゆくか日々判断がせまられる局面の中に置かれています。 以下、ご覧になれなかった方は ↓ ↓ ↓ クリックしてみてください。"福島のお米"について考える・・・クローズアップ現代 10月31日(月)放送どうなる福島のコメ ~安全宣言は出たものの~
2011/10/31
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雲ひとつない快晴の翌朝は、放射冷却でよく冷えた濃霧の朝でした。視界は約100m位だったでしょうか。国道4号バイパス沿いにある気温表示が4℃でした。日本橋基点から約222km 地点です。 私の散歩コース沿いにあります。 この外気温になるとそろそろコタツの準備でしょうか。 昨日の午後2:22に22℃の表示板を目にしたのですがこのところ寒暖の差が激しいですね。am6:45 散歩コースは霧で視界が約100mほどでしょうか。田んぼでは稲を積んで乾燥中です。am9:00には太陽熱の気温上昇で霧が晴れてゆくのがわかります。青い空が見えてきました。 探してみました。記憶に残る濃霧の朝は2009年10月18日
2011/10/29
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今朝は午前6時の外気温は9℃でしたが、県内の山々は初冠雪となりました。初冠雪を知ったのはfacebookの友人のサイトからでした。 再度、サイト訪問しましたら登山した人の報告で霧氷だったとのことでした。そういえば3年前でしたか、会津下郷町の観音沼公園の紅葉を見に行きましたら、バックの那須の山々に初冠雪があり紅葉とのコントラストがとっても印象的な景色の記憶があります。確か今ごろです。最近はfacebookから情報を得ることが多くなりました。身近な情報も含めてこれからますますfacebook情報が多くなるだろうと思われます。
2011/10/27
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『情報革命』(1985年)アルビン・トフラー氏 ↓ ↓ ↓ 『知価革命』(1985年)堺屋太一氏 工業社会が終わる 知価社会が始まる ↓ ↓ ↓『IT革命』(2000年)言葉が生まれ、それが現実化してゆく。情報価値によって世の中が動いてゆく。ということは、まず情報価値分析をして、情報生産することですね。その主たる技術は「情報加考」技術ということになります。イノベーションは「情報ツールの進化」(ハードとソフト)によって飛躍的に進化する。いまや一国の政治体制の終焉さえもがITネットワークがカギを握っている。いわんや私たちの仕事の流れ、生活の中にまで影響を無視できない。心を揺り動かす道具ともなったわけです。特にYouTubeやyouストリームなどの動画配信やfacebook初めとしてコミュニケーションツールの普及でしょうか。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇第一の波は農業革命の後の社会であり、約15000年ほど前から農耕を開始したことにより、それ以前の狩猟採集社会の文化を置換した(歴史学で本来使われる18世紀の「農業革命」とは概念が異なり、新石器革命(en)、あるいは農耕技術の革命に相当する)。 第二の波は産業革命であり、18世紀から19世紀にかけて起こった。工業化により、それまでの農耕社会から産業社会へと移り変わる。社会の主な構成要素は、核家族、工場型の教育システム、企業である。トフラーは次のように書いている。 「第二の波の社会は産業社会であり、大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽、大量破壊兵器などに基づくものである。それらを標準化と中央集権、集中化、同期化などで結合し、官僚制と呼ばれる組織のスタイルで仕上げをする。」第三の波は脱産業社会(脱工業化社会)である。トフラーは1950年代末にはこれを言いはじめ、多くの国が第二の波から第三の波に乗り換えつつあるとした。彼は、それを説明する造語をたくさん作り、他の人々が発明した情報化時代、情報化社会、情報革命のような造語にも言及した。 (以上は、アルビン・トフラー - Wikipediaより)※ アルビン・トフラー『第三の波』. 1980年の出版と同時に社会に大きな影響を与えたといわれる一冊。※ 堺屋太一 『知価革命』(1985年)(工業社会が終わる 知価社会が始まる)堺屋太一さんの書いた『知価革命』はアルビン・トフラー『第三の波』の延長線上であり、『IT革命』もーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーIT革命(情報革命)概要 [編集]1980年代以降、急速に発展したコンピュータ・情報通信技術は社会や生活のあり方に劇的な変化をもたらしている。21世紀に入り、定額のブロードバンド回線やデータ通信端末、公衆無線LAN、携帯電話などの普及により、常時インターネットに接触できる環境が整ってきている。産業構造などにもたらされた変革は18世紀の産業革命(工業革命)にも比肩しうるものとの見方から、情報(技術)による革命=「情報革命」と呼ばれる。また、脱工業社会(ポスト工業社会)の観点から語られる場合もあり、情報化した社会は情報社会とも呼ばれる(ただし、情報社会という言葉は情報技術革新の範疇に限らない場合もある)。人類の技術から考えると、最初に農業による農業革命が起こったとされ、その後の工業による工業革命に続き、情報革命は3度目の革命ともいわれている。なお、1度目の革命とされる農業革命は、18世紀における農業の技術革新やそれに伴う社会の変化を指す場合と、アルビン・トフラーなどが唱える約15000年ほど前に農耕が開始されたことに伴なう狩猟採集社会から農耕社会への置換(農耕革命とも呼ばれる)を指す場合がある。情報革命が起こった社会は、工業社会から情報社会に移行するとされており、2010年代に入った現在においても世界規模(グローバル)で進行中にあるとの見方が一般的である。グローバルに進行する情報革命は経済や産業を筆頭に世界の結びつきをより強くしている。あるいは、発展的で民主的なコミュニティーの形成が期待されるという考え方もあるが、現実世界におけるコミュニティーの分断や情報格差を危惧する声もある。※「IT革命」の言葉は2000年の新語・流行語大賞に受賞しているーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「新語・流行語大賞」は『現代用語の基礎知識』(自由国民社・刊)の読者アンケートによりノミネートされ、新語・流行語大賞選考委員会(藤本義一審査委員長)によってトップテンと年間大賞が選定される。1984年(昭和59年)からスタートして今年2011年で28回目となります。
2011/10/26
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「手筒花火」とは、とっても迫力あると聞いてました。一度はこの目で見てみたいと思っていましたが思いかけず、福島復興の名のもとに全国伝統花火サミットが開催されて遠路出かけていかなくとも見ることができました。今年は、東日本大震災の復興を願い、郡山市で全国伝統花火サミットが開催されたのです。入場チケットを申し込んでおかなかったのですが、外からでも垣間見られる場所があるだろうとipadで開催時間を確認して会場に向かったのは花火スタートの開催時間をすぎていました。半分まで進行していたのと雨上がりだったので入場の余地があったのでか陸上競技場の正面アルプススタンドへの入場が許可され、手筒花火を直接みることが叶いました。花火の位置からは約100m位離れていましたが迫力は伝わってきます。直近でみたら相当な迫力があるでしょうね。 動画322日夜、開催された全国伝統花火サミットで一番盛り上がった「遠州新居手筒花火」です。火の中に人が浮かび上がる様は圧巻でした。遠州新居手筒花火 全国伝統花火サミットin郡山2011年10月22日(土)実演会場:福島県郡山市開成山陸上競技場「手筒花火の作り方」を検索してみましたら孟宗竹に荒縄を巻いて手筒を自分たちでつくることを知りました。今回のサミットを契機に次回から郡山市富岡の花火大会にも手筒花火が登場するようになるといいなぁ~という期待をかってに持ってしまいましたが、関係各位の方々は魅力アップの努力に火がつくことになりますでしょうか。たのしみは 手筒花火が 当地でも 定着するを 期待するとき
2011/10/24
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郡 山 中 央 倫 理 法 人 会 第371回 経営者モーニングセミナー日 時 平成 23年10月20日( 木 ) 第10条:勤労歓喜 役員朝礼 午前 5:20~ 会社朝礼のご参考にどうぞ モーニングセミナー 午前 6:00 ~ 7:00 場所 ベルヴィ 郡山館 郡山市山根町8-7会場も新しくなり今日から「垂れ幕」と皆さまの机の上に置かれた「モーニングセミナーへようこそ」を一新しました。講 師 株式会社ジェイラップ 代表取締役 伊藤俊彦氏 テーマ 『農作物と放射能について』◇ 講師紹介 ◇ 1957年 須賀川市 生まれ 1979年 農協に勤務 1995年 農協退職 株式会社ジェイラップ設立 現在 農産物の本質を追究し」畑からお客様に届くまでの 全プロセスの最適化を創造し心を込めた物作り。 首都大学東京 非常勤講師 -------------------------------------------------------------------------けさの皆さんの朗読を聞いて今の日本人にかけているのはこれだなと思いました。三瓶さんとのご縁で今朝ここに立っているのですが静岡まで片道7時間行く道々話のあう人間といっしょに時間をすごすことは心地よい時間に変わるんですね。3月11日の大震災は、一瞬関東大震災がきたと思ったら足もとだった。10cm傾いて事務所を引っ越しました。頼んでいないのに工場を直しにきてくれた、泊るところがないので工場に断熱材を敷いて宿泊、妻のまかないでの食事でした。そういうわけで4月5日には工場が再開できたのです。 あの地震のあったとき常日頃の大事さを思い知らされました。常日頃をしっかりしようと、我々としては逆境の原発事故、あと出しジャンケンのような情報が出されたのは皆様もご承知とうり。私たちの仕事は日々宅配1500世帯、こちらの正しい情報を伝えないと客がへってゆく。我々にとって必要な情報を収集しなければならないと感じました。云う人によって話はバラバラ、これは答えがないと感じた。取引先からの情報経て、チェリノブイリの救援活動を21年間、ウクライナでしてきた名古屋在住の河田昌東さんを知りました。目で見てきた知見に学ぼうと6月25日初めてお会いした時、食品の安全基準を知った。日本では500ベクレルにしましたが、事故前の基準370ベクレルの基準を上げたことによって消費者の不信を招いた。チェリノブイリでは事故後、11年たって基準ができました。ウクライナの主食のパンの安全基準値は20ベクレルです。日本の25分の1以下が基準値になっていて品目ごとに基準値が決められている。除染対策にもイノベーションが必要。決済権を持っている人のエゴがじゃましているように思う。われわれのすすめることを邪魔しないでほしいと云ってきました。 動画1米農家も受注生産にすれば、米あまりにならないのではないかと考えて、今オーダーメイドでやっています。米を売るのでなく技術を売る。そん時だけ頑張るのはのちのち形にならない。「常ひごろが大事」情報を集めることは誰でもできる。情報をどう使いこなして実践すること。どうやって行動するか。思いついたことは何でもやってみよう。海藻粉末のカス。これを田んぼに撒けば放射能はゼロになりお米がおいしくなる。三瓶さんは失敗談を聞きたい、聞かせてほしいとよく言ってくる。どうやらそこに改善点やイノベーションの種があるようです。優先順位を即座に決める。リーダーは必ず求められる時がある。------------------------------------------------------------------------連絡事項を伝える新妻孝幹事今朝の参加者は33社、37名でした。 3・ 講師を囲んで『朝食交流会』 交流・仲間づくりにどうぞ。(会費300円)7:00~感想:講話を聞いてますます興味が湧く講師のひとりでしょう。伊藤氏は稲田米というブランド米をしかけ、つくった方です。米作りにかけては業界では全国に知られたお方です。その伊藤さんが「何事も常日ごろが大事」だとおしゃっていたことがとても印象深かった。米作りは八十八の手間をかけてつくるところから「米」と云われる由縁だと聞いたことがありますが人間関係も「常日頃」いわゆる「日々の積み重ね」が大事だということでしょうね。今度の震災以降マスコミでは前福島県知事の佐藤栄佐久氏と同じようにアラブのアルジャージーラがインターネットを見て取材に来られたとのこと。原発事故での逆風の中において、もがきながらも次の一手を模索していることを知りました。(川島記)
2011/10/20
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討論 ⇒ 議論よくTVなどで自分の主張だけくりかえし相手の意見に耳を貸そうとしない討論会がありますが、あれは見終わったあと虚しさが漂うことが多い。「 対談 ⇒ 和談 」を提唱した和道の大和信春さんを思い出しましたが、日本政策学校は「討論 ⇒ 議論」を提唱しています。日本政策学校は矢野弾先生が講話を聞きに行ったと氏のtwitterに書き込みがあったので知りました。まだ最近できたばかりのようです。facebookでも呼び掛けている日本政策学校です。facebookの使い方の参考にもなりますね。けさ、矢野弾先生のtwitterに昨日のシンポジウムを聞いてきたとの書き込みがありましたが、日本政策学校のwebサイトをみましたら、まだ開学前の記念シンポジウムであることをしりました。79歳の矢野先生の情報は早いですね。開学前記念シンポジウム「ソーシャルメディアが変革させるこれからの日本政治」を、10月18日(火) 18:00より、日本経済大学渋谷キャンパス(渋谷区桜丘町)1号館2階大講堂にて開催。
2011/10/19
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塩釜水産物仲卸市場 早坂商店 http://www.sellfish.jp/塩竃の市場で買い求めてきた脂のよくのった「鯖のひらき」半身を良く焼いて、かぼすでいただきました。
2011/10/18
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鷹山会in仙台 2011.10.15(土)~16(日)10月15日に仙台市に集合して翌日朝9時よりチャーターした大型バスで仙台市内の伊達正宗公の廟と青葉城を散策したのち津波の被害があった七ヶ浜を視察したあと、塩竃港に向かって昼食を食べ、市場で買い物をしたのち仙台駅にて解散しました。私は車で仙台市の宿泊したホテル白萩に直接向かいました。てっきりホテルにて会合が開かれると思いこんでいたのですが、時間になっても誰も来ない。携帯電話が鳴って仙台駅前の貸し会議室にて始まっているとのことで徒歩で向かった。ipadで地図をみようとしたら駅前周辺は電波が消えてしまったので、電波が入るところまで逆戻りして、再度ipadの地図を確認してから集合場所に向かった。ホテルには1時間前に着いたと云うのに、集合場所に着いたのは40分後ということになってしまいました。仙台駅周辺でipadに電波が届かないということを体験してまさかと思いましたが、そういうことがあるんですね。鷹山会とは江戸時代米沢藩の名君と慕われた上杉鷹山公を訪ねる旅から始まったので命名されました。今回3年ぶり20回目の鷹山会の旅でした。夜の懇親会の記念撮影、全国から30名の方々が集まりました。ホテル白菊の朝食仙台市から東に向かい太平洋沿いの七ヶ浜町・菖蒲田海水浴場に向かいました。海の堤防のすぐそばにまで家が建っていたのです。ほとんど基礎を残すだけで津波で家が流されたあとです。この場に立つと言葉を失いますね。松の木も根本からなぎ倒されたものもあり直径60cm級の太い松は地上5m位のところまで流された建物がぶつかり樹皮がはがれた傷痕が残っておりました。海鮮料理 魚長亭総勢22名で昼食に訪づれました。塩竃港で海をながめながら海の幸を食べられるのだろうと想像して大型観光バスを降りました。ほどなくして出てきたのは器の中に肴が10種類ものっており、どこからたべてよいやら状況でした。醤油皿をみつけて刺身を醤油につけて1ヶづつ口にしました。刺身の厚みと大きさといい、文句なしです。この地を訪れたらここの海鮮丼はお薦めですね。さすが漁港にある海鮮料理です。ここで新鮮な肴が食べれたことによって塩竃の印象がよくなりました。友人が旅のコースの中にこのお店を選定したのですがみなさん満足されたことでしょう。仲間とわいわい食べる食事は美味しいですね。ビールを頼んで乾杯するものもあり、昼から小宴会モードでした。店を出るとひものの土産品を売っておりました。私は、80g500円の藻塩を購入しました。そのあと市場では同じものが550円で販売されていました。最後は塩竃の市場に寄りお買いものです。津波で被災された漁港で買い物をいっぱいしていってくださいという配慮です。「鯖と鯵のひらき」と「酢タコ」を購入してきました。市場だけあって安いですね。塩釜水産物仲卸市場 早坂商店 http://www.sellfish.jp/
2011/10/16
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モノスキーさんのblogで運よく1,000,000アクセスを踏んだ記念として段ボール一杯の景品が贈られてきました。無農薬栽培のサツマイモ、かぼす、ワインです。「かぼす」の使い方をネットにて検索してみました。いろんな使い方があるんですね。インターネットの集合知によって従来にない知り得なかった情報をいつでも知ることができる社会になりました。
2011/10/13
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今朝散歩に出て気づいたのですが、まだ朝顔の花があちこちに咲いています。10月半ばになるのに、温暖化気象の影響なのだろうか。朝顔の花はいつまで咲き続けるのだろうか。特に青い色の朝顔がところによっては今が満開といったような咲きっぷりです。 2011.9.18 18:41郡山市中田町海老根地区でおこなわれる秋蛍です。海老根和紙をロウソクの灯りで照らしだします。幻想的な灯りが収穫がまじかの田んぼのあぜ道に並びます。撮影はしたものの編集が追いつかず、まもなく1ヶ月になってしまいました。郡山の東部地区に位置する中田町のあぶくま山系の山間に海老根地区があります。秋蛍の夜祭りは「海老根伝統手漉和紙」が復活したのちにその手漉和紙を使った灯籠あかりを散策しながら楽しむ「海老根、長月宵あかり・秋蛍」は中田町海老根地区恒例行事で、2003年に始まり今回でもう9回目となりました。海老根伝統手漉和紙保存会 〒963-0712 郡山市中田町海老根字北向38 (工房は別場) TEL 024-943-4264 開催場所は、郡山市中田町海老根地区内・2008年・秋蛍・2007年・秋蛍
2011/10/12
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1,000,000の切り番を誰が踏むのかとfacebookで見たので参加しました。じつに運よく1,000,000目を踏んだのでペイントにて画面を保存しました。(下記の画像です)モノスキーさん日記サイトを見ましたら1,000,000目の切り番がゲストさんと発表されておりました。なぜ?私が踏んだ1,000,000目はいったいどうなっているのだろうか。楽天のシステムで1,000,000目が複数出る場合があるともサイトに紹介されておりましたが、今日のミステリーです。IPアドレスで特定できると記入がありますが、私のIPアドレスはどうやって調べたらいいのだろうか。さて
2011/10/04
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震災後、半年をすぎました。秋の観光シーズンのスタートですが、原発事故がまだ完全収束していないせいか観光業界は悪戦苦闘です。福島県土湯温泉では宿泊予約が昨年に比べて半分だそうです。温泉旅館が16件あったのが5件閉鎖しました。今年は福島県内の観光有料道路は無料です。10月15日から始まる二本松菊人形は入場無料です。会津若松市では市、商工会議所はじめとしてどう観光客を呼び込むか対策会議を本日開催するとのことです。観光特区にして観光庁が先頭きって福島県をアピールするくらいにやらないと観光客は訪れないのではないだろうか。観光庁は3年前の10月1日に発足したんですね。観光は、いままでもそうですが、火山噴火などあると安全宣言がだされるまでは危険地域には足を向けません。いまだ中国、韓国、米国などは日本への観光を制限している。観光業にたずさわる方は、観光客を相手に商売しているわけですから観光客がなかったら、生活が成り立ちません。会津若松市の対策会議ではどんな案がでるのか注目したいと思います。朝の散歩中、空を見上げましたら太刀魚のような雲が上空にありました。ウロコ雲が帯状になっていて珍しい形ですね。
2011/10/03
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今年一番の冷え込みは7℃の表示をみた日があった。1日の寒暖の差がはげしいと身体がなかなかついてゆけない。若いころはそうでもなかったが、この年齢になると体調を維持を心がけることが必要だと感じる。風邪をひかないようにする。温泉で身体の芯からあたためる。この時期から朝の乾布摩擦で身体の表面の血行をよくする。朝の散歩。真向法の柔軟体操。フルマラソンは約1年かけて体力を養えば大抵の人は42.195km走れるようになると聞きましたがマラソンを走るの元来好きになれないのです。私の場合はウォーキングでいい。散歩コースのひとつに百段の階段があるコースがあります。前に足を出すのと、階段の太ももを上にあげる歩き方はまったくちがうことがわかります。百段の階段登りはけっこうたいへんです。歩くことは続けてゆこう。これから寒くなる時期が肝心です。寒さのあまり散歩を止めてしまう事がないようにしよう。
2011/10/02
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