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監督の文脈(15)2016年3月12日 J1第3節@等々力陸上競技場 16,513人(72%)川崎フロンターレ 3-2 名古屋グランパス【得点者】前半06分 エウシーニョ(フロンターレ)前半26分 松田 力 (グランパス)後半18分 永井謙佑 (グランパス)後半30分 大久保 嘉人(フロンターレ)後半39分 中村憲剛 (フロンターレ) 「新米監督のボクに、2ヶ月の期間で目指すサッカーを作れる力はありませんよ」(小倉隆史/名古屋グランパス監督) 「自分たちが崩してないのにピンチを招くシーンがありました。もっと攻撃のレベルを上げていかないと。そうすれば守備もラクになるんですから」(風間八宏/川崎フロンターレ監督) ここはプロ野球のスタジアムか。そんな錯覚を受けたとしても不思議ではない。 第2節と第3節の2試合で、川崎フロンターレは計7ゴールを爆発させた。それらのなかにはサンフレッチェ広島の佐藤寿人が一足先に記録したJリーグ記録となる、大久保嘉人の157発目と158発目も含まれている。だが一方、失点も6という、大味なザル守備を見せつけたのも事実だった。ただ、4失点で勝点1に終わった前節の湘南ベルマーレ戦と異なるのは、失点するまでの経緯だろう。いわゆる「湘南スタイル」を最後まで貫いたベルマーレの獰猛な攻撃と比べて、グランパスの攻撃は特定個人の高さと速さという、じつにシンプルな形でのフィニッシュだったからだ。 フロンターレの得点は感度の高さと速さ、それを支える技術力と推進力による、いずれも見事なゴールだった。先制点はペナルティエリアを左から右へ切り裂くような嘉人のキラーパスから、中村憲剛とかわしたワンツーをエドゥアルドが目も覚めるような一閃で決めている。続く2点目も憲剛からのピンポイントクロスに嘉人がヘッドで反応、珍しく喜びを肉体で表現した憲剛の3点目は豪快なミドル弾がネットを突き刺した。 5年目のシーズンとなる風間監督のサッカーが、いよいよ結実の時を迎え、J1での初タイトル奪取も現実的になってきたのではないか。フッと、そんな予感も漂わせる、呼吸感の整った攻撃力をフロンターレは披露していた。 ところが失点場面はというと、どうもお粗末さが拭いきれない。そのシーンだけ時間が一瞬止まったかのようなブラックスポットが生じ、あまりにもあっさりとゴールを陥れられている。ハイレベルな得点シーンと比較すると、いささか間の抜けた感がある。 第2節の試合後、やはり就任後5年目を迎えたベルマーレの曹貴裁(=チョウ・キジェ)監督は、口惜しさを滲ませながらも、自分たちの成長の跡を口にしている。「レフェリーの高山(啓義)さんが、“本当にいいゲームだった”と言ってくれました。でもボクはベンチで指揮をとっていたんで、“何で勝てなかったのかな?”と思いましたがね」 今季の「湘南スタイル」は、昨年よりもさらに一歩前進した「究極の攻撃サッカー」である。ヴァイッド・ハリルホジッチがA代表に抜擢した遠藤航を浦和レッズに、キャプテンの永木亮太も鹿島アントラーズに奪われるという典型的な育成型クラブであるにもかかわらず、すくなくとも現段階ではチーム力の上積みを確実に成功させている。それを証明してみせたのが、自分たちよりもはるかに格上のフロンターレとの一戦で、彼らは大きな自信を手にしたはずだ。サッカーという競技には、監督の手腕がことほどさように大きく問われるということでもある。 オフシーズン、セレッソ大阪や京都サンガからの熱心な誘いを断った指揮官は、カールスルーエのマルクス・カウチンスキーの言葉を引き合いに出し、ベルマーレというクラブのあるべき姿勢をこう説いた。「選手がひとり代わった程度で起こる変化は、クラブ全体にとって大きな変化ではない」 歴戦練磨の監督たちの刺激的なコメントに比すれば、指揮官としてJ1リーグ戦デビュー3戦目を迎えたばかりの小倉隆史の発言は、きわめて謙虚だった。グランパスの1点目は、身長199cmのロビン・シモビッチが落としたボールを、中央から走り込んだ松田力が難なく蹴り込んだものだった。また2点目は、スローインから始まったセットプレーに、後方から加速をつけた永井謙佑が豪快に決めている。「高さ」と「速さ」のほかおもしろみのないサッカーについて記者が問いかけ、それに対して笑い放って答えたのが、上記新人監督のコメントだった。 今シーズン、古巣グランパスのGM補佐から監督(GM兼任)に転じたオグといえば、西野朗率いるアトランタ五輪代表候補の一員で、「レフティモンスター」との異名をとった大型ストライカーだった。だが五輪代表のマレーシアキャンプで選手生命に関わる負傷に見舞われ、本来の実力を発揮できぬまま現役生活を終えている。 思えば風間と貴裁の両監督が現役を引退したのが、96年のアトランタ五輪前後となる。この時期、大きな夢を描きながらプロとしてプレーしていた世代がオグだった。懐かしさとともに、隔世の感を禁じえない。 フロンターレのサッカーは、昨季も守備面の課題を抱えていた。昨季ファーストステージの覇者・レッズの得点はダントツの39ゴール、得失点差も群を抜く+22だった。しかし、32ゴールで得点2位のフロンターレは、レッズの3分の1以下となる失点差+6でリーグ順位5位に甘んじている。 セカンドステージで優勝したサンフレッチェは得点44、得失点差は、なんと+30だった。佐藤寿人とならぶ名ストライカー大久保嘉人を抱えながら、フロンターレの得失点差はわずか+8と、失点面でいかに順位を落としているかが明白だった。 こうして迎えた今季は、ふたりのGKを含めた守備のベテラン勢を放出し、ボール奪取に優れたリオ世代の奈良竜樹をコンサドーレ札幌から、守備面で複数のポジションをこなせるエドゥアルド・ネットをバイーアから獲得、最終ラインを一気に若返らせた。 一見、間抜けにも思えた失点場面は、センターバックで先発した奈良とエドゥアルド、あるいはやはり今季補強した鄭成龍(=チョン・ソンリョン)ら、新規加入組のコミュニケーション不足や、風間サッカーへの理解不足があったのではないかと思われる。フロンターレの推進力を生む中村憲剛と大島僚太のふたりも攻撃的なボランチであるため、速攻を食らった時間帯の修正が間に合わなかったのだろう。 風間監督は後半、相手CFのシモビッチに中盤の選手をひとりケアさせることで、なんとかそれ以上の失点を凌いでいた。だが、ひどく微妙なオフサイド判定に映った後半34分の永井のゴールが幻に終わらなければ、昨季開幕以来となるフロンターレの第3節首位も微妙だったのかもしれない。 野球スタジアムで観戦するような出入りの激しいゲームは、観衆をおおいに沸かせた。そしてこの2試合から予想できるのは、フロンターレもベルマーレも、実戦を通じながら一つずつチームが目指すサッカーを実現していくのではないかということだ。だが残念ながら、現在のグランパスのサッカーからは、この2チームと同じような質の印象をもてていない。アトランタ五輪世代の指導者は、これからも徐々に頭角を現してくるだろう。オグが目指す理想のサッカーとは、どこにあるのか。その具体的な形を早く観てみたいものだ。【了】
2016.03.18
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2016年2月27日 J1第1節@味の素スタジアム 25,776人(55%)FC東京 0-1 大宮アルディージャ【得点者】後半 24分 岩上祐三(アルディージャ) 「昨季4位という成績のチームに対して体感をもてました」(渋谷洋樹) 「狭い場所でボールを抑えられる選手を先発させたんですが……」(城福 浩) 寒ざむとしたFC東京のホームグラウンドは、サポーターからの激しいブーイングの嵐に晒され、空気までが凍てついていた。わずか4日前、ソウルで味わったACLグループ予選初戦の屈辱が今季の彼らを占っているのだとしたら、あまりにも残酷である。ACLはテレビで観戦したかぎりで、この感想は必ずしも当たってはいないのかもしれない。だが、「1点」という最小スコア差だけでは割り切れない、ひどく暗澹とした気持ちにさせられたのは筆者だけではあるまい。冷たく重い腰を持ち上げようとする筆者の背後から、周囲の目を憚るような小声でかわす囁きが聞こえてきた。「おいおい。これ、ヤバいんじゃないの」「う~ん……」。アンブロのウィンドブレーカーに身を縮こませたふたりの姿から、クラブの関係者であることが一目でわかる。居心地が悪くなった筆者は、引きずるようなステップで零下まで落ちた階段を一歩ずつ駆け下りた。記者会見場に現れたアウェイの大宮・渋谷洋樹監督は、嬉しさからこみ上げる笑いを、どうにも抑えきれない様子だった。ヴァンフォーレ甲府のコーチを務めていた時代、24戦不敗という大記録を打ちたて、クラブ待望のJ1昇格を実現させたのが、当時のパートナーだった城福浩監督である。彼を兄貴分と慕ってきた元ヴァンフォーレのコーチが、兄貴を倒す。時の悪戯から実現したこの日の勝利は、いわば下克上にも等しかった。「よりいっそうチームでレベルアップしていきたい。そんなことを強く感じさせられたゲームでした。今後はトレーニングのなかで、これまであまりできなかったカウンターの練習をもっと落とし込んでいきます」たったひとつの勝利だけで、渋谷の両眼は希望に燃えていた。勝者と敗者の明暗が、くっきりと分かれた開幕戦だった。フィッカデンティから城福体制へと移行した今季、新指揮官は「Jリーグでのタイトル奪取」を声高に叫んできた。しかしそれは、マッシモ・フィッカデンティが遺した実績があったからこそだ。「ミステル」という愛称をもつイタリア人はセリエのチェゼーナ時代、はるか日本まで自ら足を運び、話だけには聞いていたJリーグ視察をはたしている。そのなかで獲得を決めたのが、FC東京のサイドバック・長友佑都だった。FC東京との契約でかわされた移籍金は約2億円、その半年後、インテルへの長友売却でチェゼーナは9億円あまりを手にしている。運悪く前会長の金銭不正疑惑が発覚し、FC東京はいまだ長友の移籍金を受け取っていないようだが、まるでトップセールスマンのごときミステルの手腕で、このブーツ(=イタリア半島)の履き口に位置する地方クラブは7億円をボロ儲けしたわけだ。フットボールが繋げるものには時折り、それぞれの人生の不思議さと機微を想わせる。長友をセリエへ招いたときに築いた縁があって、ミステルは14年、FC東京の監督に就任する。そこでさっそく彼が着手したのが権田修一や三田啓貴、武藤嘉紀元ら、育成組織出身の選手を積極起用したことだった。そして2年目のシーズンとなった昨季、クラブ史上最多となる勝ち点を積み上げて優勝戦線に混乱をもたらしている。つまり、これが渋谷監督の溜飲を下げさせた「昨季4位のチームに対して」という文脈につながるミステルの実績で、4億円といわれる移籍金で武藤嘉紀をマインツへと手離したシーズンの最終成績でもあった。しかし2年契約だったミステルは15年シーズンで契約満了、FC東京における彼の新章は、なぜかそのまま断たれてしまう。一方、99年からFC東京の育成部門に関わっていた城福は、若年層世代の優秀な指導者のひとりとして知られる。U-17日本代表を率いた06年には柿谷曜一郎、河野広貴らを擁して12年ぶりのアジア予選優勝を決め、翌年のワールドカップ韓国大会に導いている。ナイジェリアとフランスに敗れて帰国し、初めてJクラブの監督に抜擢されたのが08年、それが古巣のFC東京だった。しかし10年シーズン、クラブをJ2に降格させた当時の監督もまた、城福その人だった。スタジアムのキャパにそれぞれ違いはあるが、東京五輪の会場候補にも挙がる味の素スタジアムのJ開幕戦を埋めた観客は、上記集客データにもあるように55%にとどまった。ちなみにこの数字は、サポーター同士の緩衝地帯を差し引いた筆者独自の算出であることを付記しておくが、これは「数字というよりも、実際の「風景」であることを強調しておきたい。そのうえで、日産スタジアムの35%、エディオン広島スタジアムの51%に次ぐワースト3の一角に肩を並べたのが、この日の味の素スタジアムである。昨季覇者のサンフレッチェ広島と川崎フロンターレという好カードでさえも、スタジアムの半分しか埋まらないというのが、Jの現実だ。世界唯一の被爆都市以上に名を馳せる我が国の首都開幕戦においても、この体たらくである。昨季から2ステージ制に移行した遠因も、プロフットボール興行の運営が曲がり角にさしかかっていることを示唆するものだった。しかも翌日の吹田でのゲームを含めれば、ホームチームで勝利をおさめたのは、九州ダービーを制したサガン鳥栖だけだ。「ホーム有利」という世界的な常識は、ことJにおいては成り立たない。形としては歪かもしれないが、それが日本人の正直さなのかもしれない。さて、「55%」のブーイングを背中に受け、顔を強張らせた城福監督は消え入るような声で呟いた。「今日は我われがボールを握る展開になるという予想でした。ゴール前のスペースがなくなることを予想し、それに対応した先発メンバーを組みました」畳みかける記者たちの質問に、開幕前に見せていた自信がみるみる失われてゆく。「ポストに当たったシーンもありましたが、それが何回もあったでしょうか。本当に相手に脅威を与えることができたのでしょうか……」そんな自問自答を続ける城福には、不運も重なった。就任と同時に、代表での評価を高めた左サイドバック・太田宏介がフィテッセへ移籍した。その額は1億円を切るとも言われているが、「年齢的に今しかない」という、短命なサッカー選手としては切実な声だった。加えて正GKの権田修一も、本田圭佑が経営権を把握するSVホルンへレンタル移籍した。クラブは権田の穴を埋めるため、湘南ベルマーレから秋元陽太を獲得したが、そのほかの補強選手に負傷が相次いだのは計算外だったろう。“ミスターFC東京”ともいえるベテランの石川直宏は、左ヒザの靭帯損傷でファーストステージ内での復帰は絶望的である。各世代の代表の常連として鳴り物入りで入団したサイドバックの室屋成は、ジョーンズ骨折に見舞われ、ゴールデンウィークまでに復帰できるかどうか微妙なところだ。4年前、室屋は五輪代表で注目された中島翔哉らとともにU-17メキシコ大会に臨み、ベスト8でブラジルに敗れている。ちなみにブラジルは準決勝でウルグアイの後塵を拝したが、この大会で5得点をあげたのが、現在ナントでプレーするアドリアン・オリヴェイラ・タヴァレス、そして今季横浜F・マリノスからガンバへ移籍したアデミウソン・ブラガ・ジュニオールの二人だった。同じく今季補強の目玉の一人だった駒野友一も、23日のACL全北戦で右足の腓骨筋を挫傷、やむなく、おもにセンターを固める橋本拳人を右サイドバックの代役に指名せざるをえなくなった。さらに北京国安から獲得したW杯ブラジル大会の韓国代表MF・河大成(=ハ・デソン)までも故障でベンチから外れている。これら故障者の続出が、指揮官の開幕プランに影響を与えたのはまちがいのないところだろう。準備と研究を充分に重ねてきた開幕戦は1点差ゲームが多い。事実、8試合中7試合までが1点差で開幕を終えている。大宮は家長昭博と泉澤仁がアグレッシブな左サイドを形成し、本来本職ではないFC東京の右サイドバック橋本を悩ませていた。大宮アルディージャ唯一のゴールは、FC東京のボール支配率が増えた後半24分だった。最終ラインからの速攻に切り替えるなか、187cmのセルビア人FWドラガン・ムルジャが家長へラストパス、相手ディフェンスに当たったこぼれ球を岩上祐三が押し込んだ。岩上は湘南ベルマーレ時代、チョウ・キジェ監督が標榜するノータイム・フットボールに鍛えられた一人だ。速攻スタイルの大宮にとっては、今シーズンの貴重な補強要因として大化けする可能性を秘めている。筆者の背後から聞こえた「ヤバい」という囁きには、様ざまな意味が含有されている。大勢の負傷者を抱えたままで新しいシーズンを迎えた城福監督は、ACLの過密日程とも闘わなければならない。J2降格という恥辱を味わった6年前と同じ結果を招きかねない、ひどく危うい開幕戦となったのではないだろうか。【了】
2016.03.08
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監督の文脈(13)2014年10月22日 J1第32節@埼玉スタジアム 56,758人(95%)浦和レッズ 0-2 ガンバ大阪【得点者】後半 42分 佐藤晃大(ガンバ)後半 48分 倉田 秋(ガンバ) 我われを記者席へと招いてくれるエレベーターの中で、顔見知りの女性記者に軽い会釈をされた。扉が閉まり、しばしの沈黙の時間を過ごすなか、おもむろに彼女が呟く。「今日で決めてほしいな……」 Jリーグ終盤戦恒例の、まさに大一番である。レッズが勝利すれば、06年シーズン以来のリーグ優勝が待望のホームで決まる。逆に敗れれば、残り3試合で優勝を取り逃した昨季の悪夢に、再び苛まれることになる。しかし首位レッズとガンバとの勝ち点差は、およそ1・5試合分に相当する「5」に開いていた。たとえドローという結果に終わっても、今シーズンの残り試合は2つだけだ。そこで積み上げた勝ち点「1」は、いよいよ「赤の時代到来」を確信させるに充分な数字だった。 記者席へのポンプ輸送の役割を負った密室の中で、筆者は返す言葉に詰まり、つくり笑いをするほかなかった。「今日で決まってはおもしろくない。できれば最終節までもつれこみ、今季のリーグ戦を盛り上げてもらいたい」というのが本音だったからだ。 エレベーターに乗っていたプレス関係者は20名ほどである。あまり見かけない顔ぶれのなかには、大阪からはるばる上京した記者もいたにちがいない。ごく短い時間のなかで思わず口をついて出た彼女の言葉に、なぜ紙媒体の専門誌が休廃刊に追い込まれてゆくのか、その原因を、あらためて思い知らされたような気がした。 地域密着化が進むサッカーというジャンルは、ほかのスポーツと同じように「面」で報道しても、読者がついていきにくいという事情がある。 たとえばレッズのサポーターたちにとって欲しいデータは、彼らのクラブに関する情報や分析、意見や声でしかない。全国各クラブの詳細情報を紙媒体がつつがなく網羅しても、「点」の情報を欲しがる彼らにとっては、それらの大半は文字通り「紙屑」に等しい。結果、現代を象徴するツールであるネットやツィッター上で展開される情報へ読者は流れてしまう。たとえそれらが正確性に乏しくても、だ。そして一方では、プロの編集者が管理し、カメラマンやデザイナー、書き手によって制作された紙は、無用のものとなってゆくわけである。 自省を含めて指摘したいのは、取材者までもが、個人的な意見だけで主張しようとする傾向にあることだ。「journalizm」の接頭語「jour」には、既製の定点をもたずに客観的な視点から対象を眺めるという意味がある。にもかかわらず、その職にある者が主観性だけでの主張をあまりにも押し進めると、一般投稿者との区別がつかなくなるという危険性をはらむ。 「点」による細分化が進むネット上のレポートには、客観性を失いやすいという難しさがある。それでも読者たちは、「有料の客観性」よりも「無料の主観性」を歓迎する傾向にあるというのが時代の流れだろう。だがこれは、ジャーナリズムやクリエイティブティの危機である。先ごろ、角川グループの頭に就任したニコニコ動画・川上量生氏の言葉が印象的だった。「お金を払わなくても情報が手に入るという考え方が当たり前になってきてるのは、ボクに言わせれば“躾の問題”ですね。お金を払ってでも読みたいものを入手するというのは、“習慣の問題”です」と。 重ねて自省の念をこめていえば、ジャーナリストの質が問われる時代がきているのかもしれない。我われは、お金を払ってでも読みたいものを作らなければならない──。 「ウチは18名のうち誰が出ても闘えましたが、レッズは17名しかいなかったんじゃないかな。これがガンバの強さだと思います」(長谷川 健太)「サッカーは人生と同じように、常に浮き沈みがあるものです」(ミハイロ・ペトロビッチ) 1年でJ1へ復帰させた長谷川健太のガンバは、「現実的なサッカー」とよくいわれる。スペクタル性よりも、あくまでも結果を重視する。そのためごつごつとした内容になりがちで、「おもしろさ」という意味では、現在の浦和レッズのほうがまちがいなく上だろう。 2週間前、ガンバは同じスタジアムでカップ戦のタイトルを手にした。健太は、「あれで三冠の呪縛から解き放たれた」と言ったが、立ち上がりのガンバは明らかに堅さが目立っていた。プレーの判断が半テンポ遅れ、レッズが支配する時間が長く続く。 そんなガンバに対して、レッズのサッカーは、まるで横綱のように堂に入ったものだった。那須大亮を中心とした3バックに押し上げられた両サイドハーフの位置が、異常に高い。李忠成のワントップに、ふたりのアウトサイドとインサイドのひとりが絡み、相手最終ラインと互角の4トップを形成する。レッズの攻撃は、ゴールを奪うための仕掛けにあふれていた。 健太が振り返る。「相手をどう抑えるかというよりも、自分たちのサッカーをどうするかだったんですが、相手の2シャドーとワントップをどう管理するかが難しかった」 ともすれば脆弱になりそうな自陣最終ラインに加わったのは、おもにアンカーの今野泰幸だったが、彼の0・5列前で攻撃の起点を作っていた遠藤保仁もハードワークを厭わなかった。しかし、代表から帰ったばかりのふたりが攻守のさじ加減を間違えると、中盤が手薄となり、レッズの圧倒的支配を許してしまいかねない。健太も指摘する最終ラインと中盤のあいだのスペース管理をうまく切り抜けたことができたのは、このベテランふたりの力によるところが大きかった。 取材経費が潤沢にあった時代は、もはや過去の話だ。関東圏の記者たちがガンバのような関西のチームに密着できる機会はめったにない。とりわけ筆者のようなフリーランスの者にとっては、気が遠くなるような暗闇の時代を迎えている。そこで在京の記者たちは仲間からの情報や、記録データからガンバの素顔を判断するしかないのだが、今季のガンバの全貌を知るには、ひじょうにわかりやすいデータが手もとに提供されていた。 ワールドカップ明けの第15節からこの日まで、各クラブは17戦を消化してきた。ガンバは7月19日のヴァンフォーレ甲府戦を2-0で完封したのを皮切りに、じつに9戦を無失点で抑えていた。なかでも8月末の第22節アルビレックス新潟戦から、およそ1ヶ月後に行なわれた第25節清水エスパルス戦までは、4試合連続の完封試合で、奪ったゴールは11にものぼる。この完封ロードの新潟戦で2ゴールをあげたのが倉田秋、同じく第24節の大阪ダービーで今季初ゴールを決めたのが佐藤晃大だった。 後半に入ってからも、ゲームをコントロールしていたのはレッズだった。この状況を、健太はあらかじめ予想していた。「ガンバにとって我慢の時間が続くなかで、60分過ぎからアップテンポのゲームになると思っていました」 そんななか、先に仕掛けたのはミーシャだった。56分、すなわち後半11分に左インサイドの梅崎司をマルシオ・リシャルデスに、19分には右サイドハーフの平川忠亮を関根貴大に替えている。関根は3週間前の第31節横浜F・マリノス戦で、価千金の決勝ゴールを決めたラッキーボーイである。 一方の健太が動いたのは70分過ぎにあたる後半26分と29分、3バックの相手に対してワイドな位置でプレーしていた宇佐美貴史をリンスへ、同じく左サイドで宇佐美の背後をカバーしていた同期の大森晃太郎を倉田秋へとチェンジした。さらに38分には、パトリックを佐藤晃大に替えている。「一発で試合の行方を変えることのできる宇佐美をなぜ下げたのか」という記者からの質問に、健太はなかば呆れ顔でこう答えている。「疲れで、あまり動けなくなっていたからですよ。この試合で終わりというわけではないし、疲れている彼を無理して使い切る必要はありません」 両チームが新しいカードを次つぎと切るなか、レッズの悲劇は、41分に今野から得たフリーキックが序奏となった。クリアボールを拾ったガンバの阿部浩光がカウンターを仕掛ける。阿部が前線左のスペースへフィードしたボールは、相手DFの足に当たって角度を変えたものの、リンスに繋がれてレッズのゴール前へと運ばれる。そして、後方から猛然と走り込んできた佐藤が、リンスからの折り返しを右足で決めたのだった。 悲鳴と沈黙が交錯する埼玉スタジアムで、ミーシャが反射的に動く。残り時間7分を切った段階で、右足腓骨骨折で戦線離脱していたエース・興梠慎三を投入したのである。慎三の決意と意地に勝負を賭けたのだろう。しかし終了間際の貴重な時間を費やしてまでの交代策が、はたして正解だったのかどうか、すべては結果論にすぎない。このときベンチには、山田暢久の背番号を受け継いだ山田直輝や、奇襲要員として使える184cmの永田充らがいたが、「信頼度」や「責任感」という点で慎三しかいなかったにちがいない。だが健太の目には、レッズの戦闘員は「18名マイナス1名」と映っただけだった。 逆にガンバは先発から長く遠のいていたリンスと佐藤が結果を出し、同じ立場にいた倉田が止めの2点目を突き刺している。健太が「これがガンバの強さ」と胸を張るのも当然だった。どんなに面白味に欠けるサッカーでも、この大一番を制した者たちの一瞬の輝きは、かつてのレッズにも宿っていたものである。 ミーシャはサッカーを人生にたとえて会見を乗り切ろうとしたが、「あれだけ長い時間ゲームを支配しながら、なぜ点が奪れなかったのか」という意地の悪い質問に、珍しく言葉を失っていた。長い沈黙のあとに彼が吐いた言葉は、あまりにも痛々しい。「負けはしたが、間違いなく相手を上回っていました。だけどこういう大勝負では、ひじょうに細かいところで勝負が分かれるものです。昨季終盤の3連敗以来、レッズに連敗はありません。うまくいかなかったときにどうするかでしょう。次の鳥栖戦に向けて集中力を高めるべきです」 昨季、レッズから優勝の可能性をかっさらっていったのが、現在4位のサガン鳥栖だ。今季も春先の第2節、ホームで迎え撃ったゲームに0-1で敗れている。そして最終節に待つのが、西野朗率いる名古屋グランパスとのホームゲームだ。「赤の時代到来」を待つ者には、またしても見逃せない大一番となる。【了】アンブロ【送料無料】2014 ガンバ大阪 ホーム オーセンティックユニフォーム/ユニフォーム【smtb-f】
2014.11.25
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監督の文脈(12)2014年10月12日@等々力スタジアム 16,211人(81%)ナビスコカップ準決勝2nd-leg川崎フロンターレ 3-2 ガンバ大阪【得点者】前半9分 大久保嘉人(フロンターレ)前半42分 阿部浩之(ガンバ)前半45分 阿部浩之(ガンバ)前半48分 ジェシ(フロンターレ)後半16分 森谷賢太郎(フロンターレ)「阿部は決めるところで決めきれる力をもっている」(長谷川健太)「ボールを奪るのではなく、しっかりブロックしろと指示を出したんですが、相手に向かって飛び込んでしまった」(風間八宏) 10月9日の準決勝ファーストレグで、川崎フロンターレは1-3で敗れている。総得点とアウェイゴール数が優先されるナビスコ杯では、この結果は痛い。できればガンバ大阪の攻撃を無得点に抑え、3点差以上のスコアで勝利を手繰り寄せる必要があった。 しかし5日の第27節ビッグスワンでもイージーミスを重ね、0-3という似たような点差で新潟をあとにしている。結果、浦和レッズの独走を許してしまい、悪い流れを断ち切れないまま大阪入りしたという経緯があった。そのうえ、代表に得点源のひとりである小林悠を招集され、ケガ上がりの中村憲剛もベンチスタートという悪条件が重なっていた。 だがこのカードは、殴り合いになることが多い。 象徴的なのが、次の2試合である。4年前のGW対戦で4-4のドロー、翌年の夏休み猛暑対決でも6-3と、まるで野球なみのスコアを記録している。そのいずれもが万博での結果であり、川崎はこの会場でなかなか勝てることができない。そんな苦手意識を抱えたまま、またもやファーストレグの万博で同じ失意を経験したのだった。 しかもガンバは、8月23日の第21節から10試合連続負けなしだ。昨季、長谷川健太が監督に就任してから攻守のバランスを取り戻し、1年でJ1に復帰した。今季は序盤こそ躓きが目立ったものの、気候が暖かくなりはじめた時期から試合を重ねるごとに攻撃力を増し、夏場を経たあと、いつのまにかリーグ戦の順位を2位まで押し上げていた。クラブの黄金時代を築いた西野朗を袈裟がけに斬り捨て、指導者経験のない呂比須ワグナーと松波正信体制で失ったクラブの信を、健太ひとりの双肩で救ったかっこうだ。今季のサガン鳥栖の例を引き出すまでもなく、ことほどさように、サッカーにおける指揮官の影響力は大きいということか。 ただ今回は、尻に火がついた川崎のホームだ。何があっても不思議ではなかった。 風間フロンターレの特徴といえば、後方からのビルドアップと縦パスへの抜け出しという大汗をかくサッカーだ。しかし彼らが時折り見せる「イージーミスによるボールロスト」は、風間監督が進める「精度の高い」サッカーとは真逆で、それがアルビレックス戦の敗因ともなった。フロンターレには、負のスパイラルに陥る悪癖があるのだ。 だが早い時間帯での失点を恐れたのか、ガンバは序盤、リスクをかけないサッカーでフロンターレの攻撃を受け止めるだけだった。しかし8分、得点ランキングトップを独走中の嘉人の頭で失点してから、徐々に目覚めはじめる。それを形としてあらわしたのが、ナビスコ杯7試合で1ゴールしかあげていなかった右アタッカー・阿部浩之である。ガンバは前線で頻繁なポジションチェンジを繰り返し、そこへ不用意に飛び込んでくる選手によってギャップを作ろうとした。そして、そこから生まれたスペースに、遠藤保仁のような視野に長けた選手がボールを放り込む。前半終了間際の3分間だけで、パトリックからのパスを右足で、同じく宇佐美貴史からのボールを左足で決めたのが阿部だった。ところがこのカード、やはり殴り合いになる。ロスタイムにジェシが頭で押し込んだところで前半終了のホィッスルが鳴る。この同点ゴールによって、後半に向けての仁義なき闘いへの興味が否応なしに高まったのはいうまでもない。しかしハーフタイムの「慌てることはない。入り方だけに気をつけよう」という健太の言葉が効いたのか、嘉人のゴールで正気と冷静さを取り戻したガンバは、元王者の貫禄を想い出していた。一方もがくフロンターレは18分に山本真希を中村憲剛へ、42分には森谷賢太郎を稲本潤一へと2枚のカードを切って対抗するが、レナトやデカモリシのふたりもガンバの厚い壁を崩せず、16分に森谷が3点目を決めただけで力つきた。この試合を観るかぎり、日本人にも強烈な「闘う姿勢」があることはまちがいない。その気持ちを、なぜ国際試合で表現できないのか。アギーレにかかる負担はますます大きくなるのかもしれない。いずれにしても、フロンターレ×ガンバはお釣りがくるほど見ごたえのあるゲームだった。ガンバは、11月8日のナビスコ杯ファイナルでサンフレッチェ広島と対戦する。すでにリーグ戦優勝の目をなくしたサンフレッチェのモチベーションは高い。このゲームもまた、お釣りがくる内容となるだろう。さらにガンバは来月22日のリーグ戦・第32節で、同じ埼玉スタジアムで行なわれる浦和レッズとの試合を控える。はたしてこれが頂上対決となるのか、それとももっと意外な展開が待っているのか、リーグ終盤戦への興味もつきない。【了】【ポイント5倍】アンブロ (UMBRO) ガンバ大阪オーセンティック ホーム S/S ジャージ UDS6416HSP [分類:サッカー レプリカウェア (日本代表・国内クラブチーム)] 送料無料
2014.10.17
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ダイアリズム・レポート 「日本の軌跡」vsブラジル10月14日 国際親善試合@シンガポール・スポーツ・ハブ(カラン) 51,577人(94%)日本代表 0-4 ブラジル代表【得点者】前半18分 ネイマール後半 3分 ネイマール後半32分 ネイマール後半36分 ネイマール「相手を大きく見すぎてしまった」(高田延彦・97年10月) 代表についてのレポートは、「お試し期間中」という理由でワールドカップ後は避けてきた。ところが、世のメディアが手のヒラを返したようにアギーレ批判を始めるにいたり、久びさに放言することにした。愛すべき日本代表の扱いを、亀田3兄弟のような下品なホメちぎりと、その後の目を覆いたくなるような顛末にはしたくないからだ。 アギーレとドゥンガの共通点は、前代表のディフェンス陣を大幅にいじってきたことだった。ケガで離脱した吉田麻也(=サウサンプトン)はともかく、アギーレは森重真人(=FC東京)、長友佑人(=インテル)、酒井高徳(=シュツットガルト)の3人だけを残し、内田篤人(=シャルケ)ら4人を代表から外している。もちろん今後の”敗者復活戦”はあるにせよ、アギーレは自分の肉眼と情報網から得た、新しい可能性を探ってみたかった。次のワールドカップを見据えたとき、選手たちは今から4歳も年を食っている。20代なかばの選手を中心に試しているのは、次のロシア大会では30歳前後の選手で最終ラインを組みたいという気持ちの表れなのだろう。一方のドゥンガが試みたテストは、いくら宝の山のブラジルとはいえ、かなり徹底していた。前監督・フェリポンの基本布陣は左からマルセロ(=R・マドリード)、ダビドルイス(=チェルシー→パリSG)、チアゴシウバ(=パリSG)、アウベス(=バルセロナ)の4人だった。0-3で敗れたオランダ戦では左右の両サイドバックをマックスウェル(=パリSG)とマイコン(=ローマ)に入れ替え、1-7で惨敗したドイツ戦ではマルセロは戻したものの、CBにダンチ(=バイエルン・ミュンヘン)を起用している。しかし今回のアジアツアーで召集した選手はダビドルイス以外、ひとりも名前がない。日本戦で組んだ4人はフェリペ・ルイス(=チェルシー)、ミランダ(=A・マドリード)、ジウ(=SCコリンチャンス)、ダニーロ(=FCポルト)で、後半から右サイドに入ったマリオ・フェルナンデス(=CSKモスクワ)は、ダニーロ同様、まだ24歳という若さだ。アギーレは、ビッグスワンで行なわれたジャマイカ戦から6人もの選手を入れ替えた。その結果、本田圭佑(=ACミラン)も長友も不在だったとスター好きなメディアは騒いだが、スタメン最終ラインの顔ぶれは太田宏介(=FC東京)を除き、塩谷司(=サンフレッチェ広島)、森重、酒井と、長友以外はすべて同じメンバーだった。つまりアギーレは1試合だけではなく、2試合を通じての連携を見たかったのだ。腹の底に隠した彼らの通信簿に、はたしてるどんな評価を下すのか。それは11月14日に予定されているホンジュラス戦までのお楽しみとしたい。いずれにしろ、ネイマールの独り舞台を演出させた彼らの責任は大きい。97年10月の東京ドームで、ヒクソン・グレイシーに玩具にされた高田延彦の言葉を想い出す。曰く、「相手を大きく見すぎてしまった」。ネイマールへのパスコースを絶つためにコースを閉じようとするが、球際へ入る勇気がなく、逆にネイマールの消えるプレーで彼をフリーにさせてしまう。日本DF陣の中途半端な対応に、ブラジルのMF陣たちはネイマールにボールを軽く送るだけでよかった。「ブラジル」というブランドに呑まれた最終ラインのショックは、初召集や初先発組で構成された中盤へも感染し、温厚な岡崎慎司(=マインツ)を珍しく激怒させている。慎司が最終的に言いたかったのは、次のひと言だろう。「おめぇらビビッてんじゃねぇよ。もっと闘う姿勢を見せろよ」。17年前、高いチケットを購入して東京ドームへ行った観衆も、同じように憤ったものだ。懲りない高田は翌年の同日、リベンジを誓って再びブラジリアン柔術の至宝に挑戦したが、同じ極め技で完敗している。相手をリスペクトする気持ちは重要だ。しかし、アギーレ率いる日本代表が再びセレソンと相まみえる機会を得たとき、「リスペクト」が「怯え」となるようなことは二度とあってはならない。その審判を下すのは、12番である。では、なぜアギーレは「1・5」軍とも受け取れる選手たちでブラジル戦に臨んだのか。この問いに対して明確に答えた解説や記事を、筆者はまだ目にしていない。じつはアギーレは、ワールドカップ経験組である本田や長友への依存を嫌ったのではないだろうか。バイエルンのロッベンやゲッツェを上回る5点を叩き込み、現時点のブンデスリーガ得点王となっている岡崎ひとりを前線に残し、そのほかの選手をあえて逆境のなかに放り込んだのである。今から十数年前、ジーコと親しくしていた人物からこんなことを聞いたことがある。「日本の選手がこれほどまでにできないとは思ってもいなかったと、そうジーコが言ってました。かなりショックを受けていたようです」 記者会見では気丈に振舞っていたようだが、じつはアギーレにもメガトン級の衝撃と落胆が襲っていたのかもしれない。かかる知人からの話は、たしかジーコが就任してから2年以上たってからの真相秘話だった。それを考えれば、就任直後に日本人のレベルを思い知ったアギーレは幸運である。そして我われにとっても、彼が今後どんな方向へ舵を切ってゆくのか、それを見定めるのがますます愉しみになってきたではないか。 今回は「闘う気持ち」をテーマに、ナビスコ杯の準決勝レポートを書くはずだったのだが、日本代表が見せた体たらくにたまりかねた。少し日にちがたってしまうことになるが、しばしの箸休めのあと、川崎フロンターレ×ガンバ大阪の観戦記を届けることにする。【了】アディダス【送料無料】2014 日本代表 ホーム オーセンティックプレミアムキット/ユニフォーム【smtb-f】
2014.10.15
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6月28日@エスタディオ・ミネイロン(ベロオリゾンテ) 57,714人(93%)ブラジル 1-1 チリ 3(PK)2【得点者】前半18分 ダビドルイス(ブラジル/チェルシー)前半32分 アレクシス・サンチェス(チリ/バルセロナ) ワールドユース選手権(=05年~U-20ワールドカップ)を母国で迎えた01年、のちにコロンビア代表監督の要請を受けるホセ・ペケルマンは、こんなことを語っている。「アルゼンチンのサッカーはドリブルとパスが特徴です。しかし、それだけでは勝てません。現代のサッカーで勝つためにはスピードのあるパスと強さ、そして速さが必要でしょう。コロンビアもパスはうまいけれど、なかなか勝てませんよね。もうひとつアルゼンチンの特徴をあげるとすれば、アグレッシブな姿勢です。勝ちたいという意志が強い。パスひとつとっても、ゴールを陥れるためのパスを出すという意識が強いんです」 日本からは熱血漢・西村昭宏が率いるチームが参加し、佐藤寿人や前田遼一らが名を連ねた当時だった。しかし「勝ち点3」という中国以下の成績しか残せず、早ばやと帰国している。 あれから10年以上が過ぎた現在、世界のサッカーは4年ごとにモードを変えてきたが、ペケルマンの根本的な考え方にそれほどのちがいはないだろう。今大会で一気に世界マーケットの価格がはね上がったハメス・ロドリゲス(=モナコ)は、まだ22歳である。コートジボアール戦で決勝ゴールを決めたフェルナンド・キンテーロ(=ポルト)も21歳だ。周囲の中堅選手に支えられた若いタレントたちと、ユース世代の育成に自信をもつペケルマンとの組み合わせは、セレソンにとってひどく不気味な存在に映るだろう。 「王国の壁を乗り越えられなかった」という現実をつきつけられたサンチェスは、両手で顔を覆って抑えきれぬ涙を隠した。だがグループ予選を突破したあと、彼は自信に満ちた表情で胸を張ったものだ。「いままでのチリには勝者のメンタリティがなかったんだ。だけど今回は、スペインにも勝ってるからね」。チリの“最も危険な小兵”は、スイスの“火の玉小僧”ジェルダン・シャキリ(=バイエルン)と同じ169cmしか身長がない。公式発表にしたがえば、香川真司や長友佑都よりも小さいことになる。それでも彼らは、ブラジルやアルゼンチンの守備陣を苦しめたのだ。日本人に同じことができないわけがない。では、彼らと日本人では、いったい何がちがうのか。 圭佑は「優勝」という言葉で自らにプレッシャーをかけ、同時に他の選手たちにも暗示をかけた。知将や名将と言われる指揮官が、選手たちとのコミュニケーションのなかでよく用いる心理的手法だが、すくなくとも筆者の記憶では、ザックの口から「優勝」という言葉を聞いたことはない。カリスマ性をもった選手一個人から発信された言葉に、周囲の選手たちは奮い立たされた。何の根拠もない自信が芽生え、代表という寄せ集め集団を前進させた。しかし、どんなに強い「言葉」であっても、「形」にならなかったら砂上の楼閣である。彼らは「結果」を出す前に、足元から崩れる砂のように自らの「形」を失っていった。いちど迷路に入り込んだ負のスパイラルは、キャンプ地の選定ミスも重なって、さらに事態を深刻にした。そして、選手たち自身を傷つけていった。 チリは、たしかに王国の前に散ったが、すくなくとも強烈な「形」をもっていた。サンチェスが言う「勝者のメンタリティ」とは何か。彼はアルゼンチンと自分たちを比較し、「彼らはピッチに立った段階で勝者のメンタリティをもっていた」とも語ったそうだ。 マルセロ・ビエルサからホルヘ・サンパオリへとバトンタッチされたアルゼンチン・スタイルの“教室”で、サンチェスたちは「勝者のメンタリティ」を習得したのだろう。事実、スペインを前にしても、ブラジルを前にしても、最後まで自分たちの勝利を信じながら死闘を演じた。言葉だけに終わらず、それをピッチ上で実行してみせた彼らがもっていたのは、飽くなき「闘争心」である。そしてペケルマンもまた、コロンビア代表に「勝者のメンタリティ」を注入してきた。それほどサッカーでは、“先生”の力と才能、センスや経験値が鍵を握る。どんなに田舎臭いオヤジであっても、02年大会でペンタを実現したフェリポンは、カナリア軍団には絶対的な存在なのだ。たとえ代表監督からの引退を発表したとしても、オットマール・ヒッツフェルトがスイスにもたらせた影響は絶大なのだ。 決勝トーナメントの緒戦では、あのドイツをアルジェリアが苦しめた。予選で敗れたボスニア・ヘルツェゴビナは、歴史的な1勝を3つに分裂した祖国へプレゼントした。「サッカー」というメディアを通して複数の民族をまとめ上げたイビチャ・オシムは、彼らが残した功績に感謝の涙を禁じえなかったにちがいない。ワールドカップ初出場で「勝ち点3」は、日本どころか韓国にもなしえなかったウルトラCの大技である。だから彼らは、故郷の空港ロビーに笑顔で立てたのだと思う。 日本代表は、アルジェリアにもボスニア・ヘルツェゴビナにも及ばぬ2敗1分で帰国の途についた。ギリシャ戦でスーパーセーブを連発したコスタリカGKのケイラー・ナバス(=レバンテ)は、「我が祖国、コスタリカのために闘った」と咆哮した。はたして日本代表の誰に、ナバスと同じ表現ができるだろうか。筆者のおぼつかない記憶ではあるが、「被災地の子どもたちのためにも勝つ」――そんな言葉すら、ひと言も発していないはずだ。 ベスト8の進出国がすべて揃った早朝、気がつけば、生き残ったのはすべてトーナメント表左ブロックのチームだった。内訳は中南米4ヶ国と欧州4ヶ国、同一大陸同士の潰し合いはブラジルvsコロンビア、そしてフランスvsドイツの2カードである。「よくできました……」と、そう呟きながら、ひとり再び自問自答を繰り返す。まちがいなく「史上最強」だったはずの日本代表に足りなかったものとは、はたして何だったのだろうか。コロンビアやコスタリカのサッカーを観ながら、いまいちど考えてみたい。なぜなら、彼らが今いる位置に、日本もいなければならなかったからだ。【了】
2014.07.02
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6月28日@エスタディオ・ミネイロン(ベロオリゾンテ) 57,714人(93%)ブラジル 1-1 チリ 3(PK)2【得点者】前半18分 ダビドルイス(ブラジル/チェルシー)前半32分 アレクシス・サンチェス(チリ/バルセロナ) 延長後半3分、足に何重ものテーピングを巻きながら、タフなマーク作業を続けていたCBのガリー・メデル(=カーディフ)が、プレー不能に陥る。サンパオリ監督は、こうした不測の事態も見越して3枚目のカードを残しておいたのだろう。指揮官の賢明なリスクマネージメントが光った。メデルのかわりに送り出されたのが、ホセ・ロハス(=ウニベルシダッド・チリ)である。 しかしマルセロ・ビエルサとサンパオリの子どもたちは、すでに人間の限界点に近づいていた。大柄なセレソン相手にも体力で負けなかったラ・ロッホたちだったが、彼らの生命線であるスピードを失えば、フィジカルコンタクトの回数が増える。ピッチのあちこちで、カナリアの強靭さに屈したロッホが転倒し始めるようになった。それでも、相手に身体を寄せる作業だけはあきらめない。少しでもブラジルのプレーを遅らせて、自分たちの数的有利を保つ必要性に迫られていた。得点能力を失った彼らの脳裏には、すでに「PK戦突入」が浮かんでいたにちがいない。残されたラストチャンスに、およそ半世紀ぶりとなるクオーターファイナル進出を託したい。そのためには、なんとしても失点を防がなくてはならなかった。 残り3分、最後の力を振り絞って歓喜をつかもうとするネイマール(=バルセロナ)の仕掛けに、チリは3人で取り囲んでゴールを死守した。グループAのブラジル戦をスコアレスドローにもちこんだメキシコにも同じことがいえるが、相手とのどうにもならない体格差をどう埋めるかが彼らの命題である。しかも延長、残りわずかという時間帯だ。これほど苦しく、自虐的な空間はない。 残り1分、パワープレー要員・ピリージャが放ったシュートがクロスに当たる。その瞬間、5万7千のため息がスタジアムを凍てつかせた。続けて、今度はネイマールが足を攣る。彼の絶望的な表情にも、数分後に始まる非情な一発勝負への覚悟が窺えた。 PK戦に臨む前に組まれた両チームの円陣で、目に見えるかたちで疲弊の激しさを訴えたのはチリだった。役に立たなくなった下肢の激痛で、立ち上がれぬまま円陣に加われないない選手が何人かいたのである。勝負は、この時点で決まっていたのかもしれない。 ブラジルはふたり目のビリアン(=チェルシー)が枠を外したが、彼は延長後半の15分しかプレーしていないのだから、疲労以外の原因でフェリポン(=ルイス・フェリペ・スコラーリ)の期待を裏切ったことになる。 ブラジル人プレーヤーのあいだでは、昔からミズノ製スパイクの評判が良い。ヴェルディやアントラーズで数かずのタイトルを獲得したビスマルクも言っていたが、少年時代から慣れ親しんできた、裸足に近い感覚が心地良いらしい。「ランバード」は、開発当初のミズノがアメリカで展開していた逆輸入ブランドだ。4人目のキッカーとなった元フロンターレのフッキ(=ゼニト)も、いまだに青のランバードを手放せない。そんな彼ももブラボに弾かれ、勝負の行方は5人目以降のキッカーに委ねられた。 一方のチリは、ひとり目のピニージャがジュリオ・セザールに阻まれる。彼も延長突入前に投入されたばかりのポストマンであり、30歳というキャリアを買われてのファーストキッカーだったはずだ。サンパオリのショックは想像にかたくない。しかしGKの疲労度は、フィールドプレーヤーのそれとは比べるべくもない。問われるのは、メンタル面のタフさだけである。つまり、冷静なセザールの読み勝ちだった。 ふたり目のサンチェスと最終キッカーとなったゴンサロ・ハラ(=ノッティンガム・フォレスト)は、いずれも120分フルに闘ったチリのキープレーヤーだった。サンチェスは止められ、ハラはポストに嫌われた。悲鳴を上げていたであろう彼らの肉体に、人間の限界を感じざるをえなかった。 だが、ブラジルにも黄信号が灯っている。はるかに格下のチリに手を焼き、延長までもつれこまれた闘いで心身を消耗させた。PK戦で勝ち上がったチームは、次の試合での勝算が低いという厳然たるデータも、彼らの不安定な心境を物語っていた。 同国史上初のベスト8に進出したコロンビアには、勢いがある。そのいっぽうで若く、経験が浅い。だがグループ予選をわずか2失点で突破し、ウルグアイを骨抜きにしたコロンビアはまちがいなく手強い。しかも指揮官は、若い世代の手綱に取り慣れたホセ・ペケルマンだ。 94年からアルゼンチンのユース代表監督を務め、U-20世代のワールドカップに4度挑戦して、3度の優勝をはたした指揮官だった。06年ドイツ大会では、A代表の監督としてベスト8へ導いてもいる。しかし彼の指導キャリアはアルヘンティノス・ジュニアーズから始まっており、ディエゴ・マラドーナやフェルナンド・レドンドらを育てたことでも知られる。代表チームは、監督のサジ加減ひとつで結束力が生まれたり、驚くような力を発揮したりもする。チリのサンパオリやメキシコのエレーラは、その意味で充分に合格点だったといえよう。では、ザックはどうだったのか。日本協会は今大会の総括会議を予定している。彼らがどう評価したのか、その詳細についてはしばらく待ちたい。【つづく】
2014.07.02
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6月28日@エスタディオ・ミネイロン(ベロオリゾンテ) 57,714人(93%)ブラジル 1-1 チリ 3(PK)2【得点者】前半18分 ダビドルイス(ブラジル/チェルシー)前半32分 アレクシス・サンチェス(チリ/バルセロナ) 筆者の決勝予想カードは、チリとアルゼンチンだった。開幕前、白山神社の参道向かいでバーを営むママにそう伝えたところ、スポーツに詳しい彼女の目は明らかに嗤っていた。しかしブラジルとの一戦を観たあと、あまりにもおもしろすぎて睡魔さえも奪われてしまったと、感動の連続だった一夜を振り返っている。 もちろん、チリは「おもしろい試合」を目指しているわけではない。リーグ戦とワールドカップでは、勝負の次元がちがうのである。女子サッカーを含めたほとんどの競技者がオリンピックを目標とするのに対して、殿方のサッカー界ではワールドカップこそが最頂点となる。世界の各大陸にあるどんなカップ戦よりも、ジュール・リメの価値は高い。そんな大会でたまたま遭遇した王国との試合に、彼らは本気で勝ちにいった。だからおもしろいのだ。 哲学的なアイロニーを含んだ、イビチャ・オシム独特の語り口を想い出す。「選手の合計年俸が高いところほど、慎重なサッカーをします。システムも戦術も似ていて、多くの試合は堅実すぎておもしろくありません。スタジアムは満員かもしれないが、そこに集った観衆全員が、次のプレーを想像できてしまうようなゲーム展開に終始してしまいます。誰が最後に死ぬかをあらかじめ知らされてから西部劇を観に行く人はいないでしょう? でもヨーロッパのクラブのようにお金がたくさん投資されれば、選手の義務感が増して、プレッシャーが高まります。だから監督もフロントも、サポーターをかっがりさせないような試合を見せようとします。ただ幸いなことに、日本のサッカー環境は彼らと異なります。ヨーロッパの良い部分は学んでも、そういう部分は絶対に見習ってはならないでしょう」 同じ南米でありながら、ブラジルとチリではまったくちがうサッカーがあった。ラ・ロッハ(=赤い軍団)たちは、本田圭佑が呪文のように唱えた「自分たちのサッカー」で王国への逆襲を決意していた。実際、チリの下克上は本当に実現するかもしれないと、本気で観衆にそう思わせた。 だから、おもしろいのだ。まったく異なるスタイルをもった両チームのガチンコ対決と、まったく先が読めない展開が、スポーツにうるさいママの睡魔をさらっていった。歓喜と悲劇の結末が記された台本は、エスタディオ・ミネイロンの行く末を見守る誰の手にもない。FIFAランキングが示す「4位」と「13位」という格の差は、何の意味を示すものでもなかった。 日本代表の進化を20年以上現場で追ってきたJ-WORKERとして、日本人の平均身長とさほど変わらないチリが目指すフットボールには学ぶべき点が多い。そんな心情とザックジャパンへの不安が、ラ・ロッハに目を向けるきっかけとなったのはいうまでもない。 後半12分、ホルヘ・サンパオリ監督はスペイン戦で先制ゴールを決めたエドゥアルド・バルガス(=バレンシア)をベンチへ下げ、オランダのトゥベンテでトップ下を務めるフェリペ・グティエレスをピッチへ送った。出場機会に一度も恵まれなかった齋藤学や、山口蛍と同じ90年生まれの逸材投入は、すなわち新鮮な体力の注入だった。グティエレスはブラジルの左SBマルセロ(=R・マドリー)の位置から強いプレスをかけ、自陣後方からのリアクションを呼び込んでいた。16分にはアルトゥール・ビダル(=ユベントス)が左サイドからゴール前へクロス、チャルレス・アランギス(=インテルナシオナウ)の強烈なシュートをジュリオ・セザール(=トロント※05~12インテル)がファインセーブで防いだ。 逆に38分、フッキとジョーのシュートを、チリ守護神のクラウディオ・ブラボ(R・ソシエダ)が立て続けに阻んでいる。 チリの攻撃は本当に素晴らしく、ブラジルの生命線である中盤に考える余裕を与えない。反射神経で肉体が動くのは、この4年間で積み上げてきたトレーニングの賜物だろう。中盤の人数では、多くの場面でチリが上回っていた。残り5分になっても、まだ危険に走り回っている。 かたや二人目や三人目の動きから攻撃の起点を作るはずだった日本代表は、走ることすらもできていなかった。考える余裕を自ら失い、相手をラクにさせた。しかしチリは、まだ危険に走り回っている。いったい、どんな方法でここまでの体力を養ってきたのか。日本の次期監督として契約寸前のハビエル・アギレには、新生ジャパンの伸びしろがはっきり見えていると信じたい。 それでもジュリオ・セザールが守るゴールを割れないチリは、いよいよ2枚目のカードを切ってきた。フィールドプレーヤーの最長身、マウリシオ・ピニージャ(=カリアリ)の投入だ。このまま延長に突入すれば、チリのサッカーは準決勝までもたない。そのような危惧感からパワープレーに望みをつないだわけだ。ちなみにピニージャの身長185cmは、ザックジャパンに召集されなかった豊田陽平と同じだ。194cmのマイク・ハーフナーも呼ばれていないため、ザックは鼻からパワープレーを捨てていたことになる。リードを奪ってゴール前を固めた相手に対して、無数のクロスを送り続けた日本の攻撃パターンは、まるで茶番劇だった。 しかしピニージャも指揮官の期待に応えることができず、とうとう延長戦に突入する。90分にわたって身をすり減らせたあげく、寸暇の休息から再び厳しい試合にスイッチオンするときの気持ちは、サッカー経験者であれば容易に理解できるだろう。足首や大腿部が痛い。全身に張り詰めたアドレナリンによって忘れていた骨の痛みも、休息で鈍痛が蘇る。スパイクの中の親指の爪も割れそうになっている。この至福の時間があと10分でもあればという折れそうになる心に、再び鞭を打ち、重い腰を上げ、同じパフォーマンスを維持するために闘い打って出る。だがここまでのチリの運動量はブラジルを巻き添えにしながらも、想像の域を超えていた。彼らはロボットではない。疲労の重さは明らかだった。【つづく】
2014.07.01
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6月28日@エスタディオ・ミネイロン(ベロオリゾンテ) 57,714人(93%)ブラジル 1-1 チリ 3(PK)2【得点者】前半18分 ダビドルイス(ブラジル/チェルシー)前半32分 アレクシス・サンチェス(チリ/バルセロナ) ウルグアイのベスト16敗退で、ペンタ(=5度制覇)を塗り替えたいブラジルの優勝が一歩近づいた。クォーターファイナルをクリアすれば、セミファイナルの相手はドイツになる可能性が高い。ここで気になるのは、カナリア軍団のCBチアゴ・シウバ(=パリ・サンジェルマン)の言葉だ。「ブラジルは過去19大会すべてに出場してきたが、今回が最も重要な大会になる」。スタジアム建設をめぐる汚職や、いっこうに埋まらぬ貧富の差、教育施設や医療施設の不足など、BRICS5ヶ国(=ブラジル、ロシア、インド、チャイナ、サウスアフリカ)が共通に抱える内憂で、自国開催のワールドカップに異を唱える国民は半数近くにも及ぶという。 とりわけ、スタジアム建設の裏で跋扈した輩たちの罪は重大だ。ブラジル開催は06年に決定したものだが、7年の月日を経ても一部のスタジアムが開幕に間に合っていなかった。ワールド杯の第1回大会は84年前の1930年、ウルグアイで開催された。FIFAがはワールド杯構想をぶち上げたのは28年、ウルグアイに決定したのが29年、当時の参加国は13ヶ国にすぎなかったが、牛の数のほうが多いという人口200万人の小国でさえ、わずか8ヶ月でスタジアム建設をクリアさせているのだ。2億3000万の人口を抱え、急激な経済発展を続けるブラジルに、なぜそれができなかったのか。 正式な入札も行なわれないまま、裏金によって建設権を強奪した輩たちが、リベートで大金を手にしていたのだ。FIFAは8~10個の新設スタジアムをCBF(=ブラジルサッカー連盟)に要請したが、ジャングルの中に作ったアレーナ・アマゾーニアを含め、12個も建設している。こうして輩たちが莫大な富を得た結果、スタジアム建設に必要な各資材の価格が跳ね上がり、日用品や食料品を含めた物価にも連動した。やがて資材の入手すらも困難となり、建設を一時ストップせざるをえなくなったわけだ。 ブラジルが初めてワールド杯を迎えた、1950年大会の繰り返しである。世界最大のキャパを誇る当時のマラカナンスタジアムは、各国の代表チームが到着したときにも、まだ建設中だった。ときの政府は軍隊まで駆り出して完成を急がせたが、ブラジルとウルグアイの決勝リーグ大一番が行なわれた当日、20万人の観衆が目撃したのは大仕掛けな工事現場だったという。南米人の資質を表すときに好んで用いられる「おおらかさ」を通り越し、たんなる「でたらめ」なんである。 さて、大もうけをたくらむ輩たちが次に何をしたかというと、スタジアム建設再開のための政府支援金確保だ。「このままではスタジアムができませんよ」と政府を脅かし、一粒の飴で二度おいしい思いをするという世界最強のマリッシアたちだった。、 閑話休題。 いずれにしろ、セレソンに対する厳しい世論を覆すには、優勝しかなかった。そんなプレッシャーが、チアゴシウバの言葉にみてとれたのだ。 ワールド杯開幕の2週間前、筆者が敬愛する先輩ジャーナリスト主宰の勉強会に参加した。テーマは、ずばり「ワールド杯ブラジル大会」である。およそ40人ほどの出席者にアンケート用紙が配布され、各人の予想を求められた。ファイナリスト2チームと、その結果、そして3位決定戦の勝者予想である。 じつは筆者の頭には、3チームのなかにブラジルの名はなかった。くだんのような理由から、初戦のクロアチア戦では二重の圧力がセレソンにかかり、ドローに終わるのではないかと踏んでいたのだ。結果、チームの共通意識を徹底させたミゲル・エレーラ率いるメキシコがグループ予選トップで抜け出し、ブラジルはD組1位で突破したウルグアイにクォータファイナルで敗れるという図を描いた。つまり、64年前のブラジル大会でショック死が相次いだという「マラカナンの悲劇」の再現である。 ところが、ウルグアイが初戦のコスタリカ戦でまさかの完敗、第2戦から戦列復帰したルイス・スアレスの2ゴールでイングランドを蹴落としたものの、そのスアレスが、悪癖の噛みつき事件をイタリア戦で起こして追放されてしまう。プレミア33試合で31ゴールを記録したリバプールのエースは、今季のリーグMVPにも選ばれたウルグアイの英雄だ。暴力行為でレッドカードを提示されたのは、カメルーンのソングやポルトガルのペペと同じ愚行だが、そのふたりがチームに与えた影響以上に、スアレスの強制退去はウルグアイに大打撃だった。けっきょく、弱冠22歳のハメス・ロドリゲス(=モナコ)にスーパーゴールを決められ、隣国へと帰って行ったのである。 筆者が予想した決勝カードは、アルゼンチンとチリだ。「準優勝チリ」と記入した参加者は、おそらくほかにはいなかっただろう。アルゼンチン人のマルセロ・ビエルサ監督が率いた前回大会のチリは、大きなサプライズだった。日本人とさして変わらぬ平均身長にもかかわらず、最後まで走力とスピードを失わず、自国開催の62年以来白星から見放されたチームを16強にまで進めている。そして、このときに敗れた相手が、やはりブラジルだった。注目していた開幕戦で、ブラジルはPKとロスタイムのゴールでクロアチアを逆転した。王国は、やはり筆者の予想を裏切ってみせたのだった。 ホルヘ・サンパオリ監督は、彼が信奉するビエルサが築き上げたチームをベースに、さらなるバージョンアップに尽力した。前回大会はブラジルに次ぐ2位で南米予選を通過しているが、今回もブラジルとコロンビアに次ぐ3位で突破し、2大会連続の出場を決めた。しかも大会レギュレーション23人のうち、じつに3分の1が前回大会の経験者である。 この4年間で彼らがいかに大きな飛躍を遂げたかは、序盤から明白だった。初戦のオーストラリア戦は4-2-3-1でスタート、第2戦ではスペインの中盤を潰した3-4-3でディフェンディング王者を完封、唯一落としたのがスペイン戦と同じシステムで臨んだオランダ戦だ。とにかく走り回り、相手にプレッシャーを与え続ける。ときにはFWのアレクシス・サンチェスまでもが守備へ回り、その十数秒後には、相手DFにプレスをかけてミスを誘発させた。「優勝」を至上命題とするブラジルの詰めも激しかったが、チリの寄せはそれ以上に早く、また人数をさく。体格とリーチの差がある相手に対するタックルも、彼らが踏み出す最初の一歩は瞬発力がちがう。だから速い。したがって決してファウルにはならず、セカンドボールを拾う味方の選手も2~3人が走りこむ。まるで長友佑都が、フィールドに10人いるような錯覚を起こさせた。 ゲームを支配していたのは、明らかにチリだった。しかしブラジルには、グループ予選だけで4ゴールのネイマール(=バルセロナ)がいる。高速ブルドーザーのような肉体ドリブルを仕掛けるフッキ(=ゼニト)もいる。チェルシーで8ゴールをあげたオスカールは、ネイマールと同じ22歳で攻撃のバリエーションが豊かだ。そんな彼らの飛び出しを引き出すのが、ワントップのフレッジ(=フルミネンセ)である。 どちらが先制しても不思議ではない「技」vs「足」の闘いが動いたのは18分、チアゴシウバのコーナーキックからだった。だが先制されたあとも、チリは反撃の手を緩めようとしない。前ががかりになっても失点はしない。そんな自信に満ち溢れていた。 彼らの持久力がどこまでもつのか、さすがに懐疑的にもなる。アトレチコ・ミネイロとクルゼイロが本拠とする超アウェイで、ラ・ロッハ(=赤い軍団)はジャイアントキリングだけを狙っていた。しかし、彼らもバカではない。24分過ぎには、日本も得意とする中盤のボール回しでゲームを落ち着かせ、いったん体力の温存をはかる。こうして一息おいてから、急激にスイッチを切り替えるのだ。サンチェスの同点ゴールが決まったのは、32分のことだった。 サンパオリ監督は、こんな予告をしていた。「ブラジル戦ではポゼッションではなく、スペースの取り合いになるだろう」。中盤でのポゼッションから一転、スペースを奪ったあとのチリの動きは怒涛のようだ。彼らのアグレッシブさは、アディショナルタイムに入ってからも衰えることがない。アルトゥール・ビダル(=ユベントス)からのパスを受けたチャルレス・アランギス(=インテルナシオナウ)の強烈シュートは、守護神のジュリオ・セザール(=トロント)をおおいに慌てさせている。もしチリが前半でもう1点決めていれば、カナリア軍団の野望は打ち砕かれていたにちがいない。【つづく】
2014.07.01
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6月19日 グループC第2戦@エスタディオ・ダス・ドゥーナス(ナタウ) 39,485人(94%)日本代表 0-0 ギリシャ代表 出所にもよるが、それほど大きなちがいはないだろう。筆者の手もとにあるデータは、こう語っている。日本のボール支配率81%、ギリシャ19%、日本の総シュート数18、ギリシャ9、日本の総クロス数25、ギリシャ17……。データだけを見れば、たとえば日本3-ギリシャ1というスコアも想像できる。しかし、結果はスコアレスドローである。ザックジャパンは2戦を終えても、なお自分たちの本当の正体を世界に見せていない。ここまで“もったいぶる”原因は、はたしてどこにあるのだろうか。 即座に思い浮かぶのは、コンディション調整のミスである。日本のピークはザンビア戦を境に急降下していった。いまさら明かすことに若干の抵抗を感じつつも、筆者には戦前から不安視していたことがあった。それは、キャンプ地をイトゥに決定したことだ。 サンパウロ州の東部に位置するイトゥは、年間を通じて20度前後と穏やかな気候だが、ちょうどこの時期は乾季にあたる。ブラジル共和国の生誕地ともいわれるこの土地から、初戦のコートジボアール戦が行なわれたペルナンブーコ州のレシフェまで、その移動距離は2000km以上にも及ぶ。北海道の知床岬から種子島宇宙センターまでという、気が遠くなるような移動時間である。しかもレシフェは、イトゥとは正反対の熱帯雨林気候で、気温は軽く30度を超える。コートジボアール戦のキックオフ時間が夜の10時に設定されたのはそのためで、日本国民は日曜日の朝10時から観戦できるという恩恵を受けたのだった。 日本代表は試合後、この港湾都市からイトゥへ戻り、さらに5日後、レシフェの北に位置するナタウまで、再び2000km以上の移動を強いられたのである。リオグランデ・ド・ノルテ州の州都・ナタウは、高温多湿の土地だ。チャーター便の利用、超高級リゾートホテルでの宿泊など散財のかぎりを尽くしながら、最も注意を払わなければならない選手のコンディション維持に、日本サッカー協会は取り返しのつかない失態を犯したことになる。にもかかわらず何を恐れてか、その過ちを指摘するメディアは皆無で、ザックの迷走ぶりばかりを声高に唱えている。3・11後、東京貯水池の放射線量に関するニュースが大手メディアから一斉に消えたことがあった。首都圏のパニックを恐れてのものだろう。また消費税8%が決定する前、スタジアムで出逢った知人の新聞記者は、筆者にこう囁いたものだ。「消費税を上げても、新聞社の足かせは緩くするという密約が上でできてるらしいんですよ」。 前半38分、ギリシャのパス供給源であるコンスタンティン・カツラニスの退場によって、日本の選手たちは口を揃えて言う。「10対11になったことで、相手はやるべきことが明確になった」と。ディフェンスラインに4人、中盤に4人、計8人による二重の壁を中央に敷くことで、日本はすっかり攻め手を失った。最大のゴールチャンスは後半22分、乱暴に言えば、このシーンのみだった。香川真司の展開から右SBの内田篤人がゴール前へクロスを送り、大久保嘉人が飛び込む。しかし右足インサイドで当てた幸運のボールは、無情にもクロスバーを越えた。4分後、長友佑都のクロスに篤人が走りこんだが、これも右ポストへ外す。4-3-3から4-4-1へシステム変更し、ゴール前をがっちりと固めたギリシャに対して、多少の脅威を与えたクロスは、この2本だけだった。 2試合続けての空中戦とパワープレーで勝負するならば、昨季、嘉人と得点王を争った185cmの豊田陽平を招聘すべきだったろう。逆に中央からの突破を狙うのであれば、ドリブラーの斉藤学を投入すべきだったろう。あるいはロングボール一発で戦況を変える能力をもった、青山敏弘の起用もあったろう。だがザックは、3枚目のカードを最後まで手もとに残したままだった。「やるべきことが明確になった」のはギリシャだけではなく、日本も同様だった。いやむしろ、決戦の地へ赴いた日本は、ギリシャ戦の前から「やるべきことは明確」だったのだ。 勝ち点「1」を得るために耐えるギリシャに対して、真司や本田圭佑、遠藤保仁らはパスを出すスペースを失い、横パスばかりが増えていった。日本がボールを回しているように見えたのは、そのためだ。ボール支配率「81%」の真実は、日本がボールを持たされていただけなのである。 おそらくホセ・ペケルマン監督は、何人かの主力をベンチスタートさせるだろう。決勝トーナメント1回戦のイタリア戦かウルグアイ戦に向けて、充分な休養をとらせて臨むはずだ。同時に、勝ち狙いの全力ジャパンに対して、控え選手に貴重な経験を積ませることもできる。日本奇跡の逆転突破がかかる最終決戦の地は、アレナ・バンタナールである。過去の2試合とはちがい、内陸部クイアバの6月平均気温は17・5度と、日本には追い風ともなる環境だ。「大きな滝」を意味するイトゥから移動した日本は、そのまま滝つぼの底へ突き落とされるのか、それともゼロコンマ単位の可能性しかない大逆転劇でコロンビアを2点差で沈めるのか。しかしもはや筆者の関心は、日本が見習うべきチリの今後に移っている。【了】
2014.06.22
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6月14日 グループC第1戦@アレナ・ペルナンブーコ(レシフェ) 40,267人(90%)日本代表 1-2 コートジボアール代表【得点者】前半16分 本田圭佑(ACミラン)後半19分 ウィルフリード・ボニ(スウォンジー) 21分 ジェルビーニョ(ローマ) 人の顔に歴史と個性があるように、ザックジャパンにも4年間の歴史によって築かれた個性がある。それを短時間で整形しようとすれば、どうしても無理が生じるのは自明の理だろう。今回の代表チームは、ブラジルで点の奪い合いになると予想していた。得失点差か総得点で3位のチームを上回り、グループ予選2位突破というのが筆者のシナリオだ。その後はD組1位のウルグアイにレシフェで潰され、またもやベスト16止まりという流れである。 現在の日本代表は、90年代には考えられなかった世界にも通用するサイドバックを複数擁し、00年代から生命線としてきた攻撃的ミッドフィルダーもいっそう充実している。その一方でセンターバック陣の人材不足は相変わらず深刻で、マンツーマンに対する強靭さ、高さとスピード、そして頭脳をも兼ね備えた理想的なプレーヤーが最終ラインになかなか見当たらない。そんな帯に短し襷に長しのなかで、アルベルト・ザッケローニ監督が選択したのは日本の短所のカバーではなく、長所を生かすことだった。すなわち、ある程度の失点に目をつむり、より多くの点を奪う策に心を砕いてきたわけだ。 最初の45分間は、終盤を除けばほぼ日本のゲームだった。日本が本来もつ攻撃力を、まるで鷹のように爪を隠し、静かに仕事をこなしていた。ワールドカップのような大きな大会では、初戦が重要だ。各メディアが何度となく伝えているように、初戦を落としながらグループ予選を突破できるチームは9%弱にすぎないと、W杯80年の歴史が物語っている。だから日本だけではなく、おおかたのチームが第1戦のキックオフのホィッスルを慎重に聞くのは定石といってもよい。ましてや今回の日本代表は、「優勝」を高らかに公言してやまない。自分たちにあえてプレッシャーをかけて士気を上げようという試みが、本当のプレッシャーになってしまっては笑い話にもなるまい。 しかし日本は、いつまでたっても爪を出そうとしない。スペイン戦に向けて堅守速攻型の引き出しを加えたオランダが、サルバドールを沸かせた。しかしルイス・ファン・ハールが選択した5-3-2は、テストマッチで何度も試した結果、20代なかばの最終ラインにようやく植えつけた戦術なのだ。そうしたトレーニングを行なっていない以上、日本が奇をてらった整形を行なうのは即「危険」を意味した。 自分たち本来の個性=攻撃力を取り戻すタイミングがあったとすれば、森重真人のサイドチェンジから生まれた本田圭佑の先制弾が決まったあとだったのではないかと考える。1点ビハインドにより前がかりになろうとするコートジボアールの攻撃を、積極的な守備から空回りさせ、さらに追加点にまでつなげることができていれば、結果はまったく違ったものになっていたはずだ。 しかし前半終了間際、左サイドの長谷部誠と長友佑都の裏にヤヤ・トゥーレ(=マンチェスターシティ)やボニ(=スウォンジー)、ジェルビーニョ(=ローマ)が相次いで侵入し、日本のゴールを脅かしている。コートジボアールは日本の左サイド狙いであることを示しながら、ハーフタイムを迎えたのだった。 各メディアが報じているように後半17分、ボランチのセレイ・ディエに代わって、ディディエ・ドログバが投入されてからすべてが変わってしまった。ポストプレーに長け、簡単にはボールを奪われないドログバを左サイドに投入することで、コートジボアールの右サイドが前半以上に活性化しはじめたのだ。 遠藤保仁と大久保嘉人が ベンチスタートだったのは、ふたりが流れを変えられる選手だからだ。1点を追加したいとき、あるいは1点を追うときに、彼らの力が必要になる。後半9分のハセの交代を「早すぎる」と見る向きもあるが、1月の右ヒザ半月板負傷から復帰まもなく、日本が攻撃の起点とする左サイドでことさら危険なシーンを演出していたわけでもない。追加点を狙うのであれば、ヤットとの交代は妥当だったろう。ところがそんな彼もまた、パスミスからカウンターを浴びるという失態を演じている。選手間の距離が開きすぎていたのも原因だが、俊足のジェルビーニョを筆頭に、コートジボアールが日本の左サイドに人数をかけていたのは明らかだった。 嘉人にいたってはザックの逡巡をまともに受け、ウォームアップから投入まで10分以上も待たされた。そのあいだにクロスカウンター2発で逆転されてしまったわけだ。お膳立てをした右サイドバックのセルジュ・オーリエ(=トゥールーズ)は、まだ21歳である。円熟期を迎えつつある左サイドバックの長友も、バカにされたものだ。もちろん、彼が上がったあとのカバーに大きな問題があったことも否めない。 それにしてもドログバとは、なんとすさまじい存在感だろうか。彼がピッチへ送られたことによって、コートジボアールの選手は水を得た魚のように生き返った。まるで、ガソリンの注入だ。だが日本は、現在考えうる最高の交代カードを切っても、得意とする素早いパス回しがつながらず、重心を下げたコートジボアールのゴールを最後までこじ開けることができなかった。ヤットも嘉人も、けっきょくはドログバになりえなかったのだ。 すべての迷いを捨てて臨む次のギリシャ戦は、勝利だけが求められる。相手も手負いであとがなく、厳しい闘いになる。ニホンオオカミ×タイリクオオカミの一戦である。しかしコロンビアとギリシャの試合を観戦したかぎり、日本の力をはるかに上回る相手ではなかった。しかもコロンビアは、第2戦のコートジボアール戦で圧勝すれば、最終戦の日本戦で戦力を落としてくる可能性が大きい。もはや言い古された言葉ではあるが、「サッカーでは何が起きてもおかしくない」のだ。事実、スペインがオランダに1-5で惨敗すると、誰が予想しただろうか。前大会3位とほぼ同じ顔ぶれで臨み、結束力の強固なウルグアイが、ダークホースのコスタリカに1-3で敗れる波乱もあった。ザックジャパンには、「日本サッカー史上最強チーム」であることを証明する義務がある。【了】
2014.06.18
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監督の文脈(11)2014年5月7日 1900~@等々力 9,161人(46%)ACL Round16 1st.leg川崎フロンターレ 2-3 FCソウル【得点者】後半 4分 小林 悠(フロンターレ)後半 6分 エスクデロ・セルヒオ(ソウル)後半16分 レナト(フロンターレ)後半28分 金致佑(ソウル)後半48分 尹日録(ソウル)「サッカーは引き分けではなく、最後まで勝とうという強い意志が大事」(崔龍洙・FCソウル監督)「今日のミスや敗戦を引きずることが、次戦に向けての大きなミスになる」(風間八宏・川崎フロンターレ監督) 後半46分、すなわち4分与えられたロスタイムのうち、残り3分でのことだ。崔龍珠(=チェ・ヨンス)監督は、前線でくさび役を務めていたエスクデロをベンチに下げ、FW・朴喜録(=パク・ヒソン)を投入した。この日、龍珠が初めて切った交代カードだった。 ノックダウン方式の決勝トーナメントでは、アウェイで奪った1点の価値が、より重くなる。だが、時間が時間である。「引き分け狙いの時間稼ぎだろう」と思ったのは、川崎イレブンも同様だったはずだ。 しかし、FCソウル指揮官の意図はちがった。あくまでも「もう1点」が、彼の狙いだった。01年にジェフ市原に移籍した龍珠は、5シーズンでリーグ戦121試合に出場し、77ゴールを記録している。03年のファーストステージでは、MVPにも輝いた。いかにも、元韓国代表のエースストライカーらしい貪欲さだった。 一方のフロンターレは後半3分、左サイドのレナトの崩しから嘉人、最後は小林悠のヘディングというフロンターレ定番のゴールキャスティングで先制する。ところがわずか2分後、右サイドバック・車ドゥリからの展開を、エスクデロにあっさりと決められて、またたくまに追いつかれてしまう。一瞬の気の緩みを突かれたものだが、「韓国と日本とでは、メンタル面で大人と子どもぐらいの差があったのではないか」という記者の質問に対して、風間監督は「目には見えない問題ですから」と苦笑いでかわすしかなかった。 試合後の両指揮官のコメントは、どちらもメンタル面に言及したものだったことだけはまちがいない。 韓国のフェリー船・セウォル号の転覆事故から、ちょうど3週間が過ぎていた。いまだ行方不明となっている遺体が引き上げられないままになっているなか、犠牲者たちに捧げるセレモニーが試合前にあると予想していた。しかし黙祷もなければ、喪章を巻く選手もいない。AFC(=アジアサッカー連盟)の日本側プレスオフィサーによれば、KFA(=韓国サッカー協会)からの要請はとくになく、韓国国内のリーグ戦でも特別な儀式を設けていないため、それに倣ったらしい。 フロンターレが圧倒的にゲームを支配していた前半終了直後、喫煙所で見かけた龍珠は、明らかに苛立っていた。目の前に灰皿がいくつも用意されているにもかかわらず、吸殻を乱暴に足もとに叩きつけ、黒い革靴の底でひねり潰した。 フロンターレの多彩な攻撃に警戒を与えながら臨んだ前半だった。龍珠がDF陣にアドバイスしたのは、嘉人と小林悠の動きに関する指示だった。このふたりがDF陣の視線から逃れるような動きをし、そこへ縦パスを放り込んでくる。守る側にとってはひどくやりにくい相手が、フロンターレの前線にはふたりもいた。 しかも最近のリーグ戦で、フロンターレは好調を維持している。序盤から間違いなく攻撃的にくると読んだ指揮官は、3バックの両サイドを最終ラインと並べた高い位置で守らせ、CBのオスマール・バルバには、第3列とのあいだでの頻繁な出入りを要求したようだ。そのうえでフロンターレのショートパスをインターセプトし、一気にカウンターへつなげようという狙いである。フロンターレに対する龍珠の事前対策は、準備万端に見えた。 それでも、事前にわかっていながら、フロンターレの高速パスにDF陣が揺さぶられ、何度もピンチを招いた前半だった。急いで紫煙をくゆらす彼が落ち着きなかったのも、当然だったろう。しかし、苦しかった45分間を最後まで耐え切ったことが大きい。 風間が、現在チームが抱えている課題を指摘する。「チャンスはあった。それを決めなければならない。そして、チャンスの数を増やさなければならない」 いくら魅力的なサッカーを標榜しても、結果としてつながらなければ、ACLの出場権を得た意味はない。 10日前のガンバ戦後、古くからつき合いのある同業者と武蔵小杉駅近くの居酒屋でかわした会話を想い出した。「川崎のゲームにはよく来るの?」「今年のフロンターレはおもしろいからね」。すると彼は、出版不況の時代における疲労と酔いからか、いきなりヒステリックな声をあげた。 「だけど風間は、結果を何も出してないじゃん。もうすぐ2年半たつんだぜ」 監督論を話すつもりで返した言葉ではなかったが、たしかに彼の言う通りである。日本サッカー界きっての理論派としてフロンターレの監督に就任したのは、一昨年のことだ。そのあいだに彼が残したのは、フロンターレが目指す攻撃サッカーに、さらにプラスの材料を加えてきたという希望的な実績だけだ。その実績が、龍珠をひどく警戒させた「多彩さ」なのだが、環境の整ったホームで敗れては、言い訳のしようもない。 親しいジャーナリストは、アーセン・ベンゲルとイビチャ・オシムの例を出した。 95年、名古屋グランパスの監督に就任したベンゲルは、最下位争いを続けていたクラブを3位にまで押し上げ、Jリーグの最優秀監督賞を受賞、続く天皇杯でクラブ初のビッグタイトルを1年でもたらせた。さらに翌年のスーパーカップでは横浜F・マリノスを下してタイトルを手にもしている。 また03年にジェフ市原の監督に就任したオシムは、資金力も選手層も薄いクラブに年間順位3位というチーム最高成績を残し、その年の監督特別賞を受賞、2年後のナビスコカップでは、リーグ王者のガンバを延長のすえに下して初タイトルを獲得させている。 同業者の基準に立てば、日本人監督の限界は、風間八宏にも当てはまるということなのだろう。 フロンターレの1点リードで、ほぼ勝利を手中にしていた後半37分、左サイドバック・金致佑(=キム・チウ)のミドルシュートが決まって同点に追いつかれる。ホームゲームでドローは痛い。これ以上の失点に気をつけながら、残りわずかとなった時間で、できればもういちど突き放しておきたい。フロンターレには、それができる力がある。 この日のマッチデープログラムのインタビューでフューチャーされていたのは、3年目のCB・ジェシだった。「ホームで失点せずに勝利することができれば、次のアウェイゲームでも落ち着いてプレーできる」 そう語っていたジェシが、ロスタイムも残り少なくなった48分、トラップ処理を誤ったボールを尹日録(=ユン・イルロク)に奪われる。 サッカーは、何が起きるかわからない。 嘉人は「セレッソよりはマシ」と、マルチェロ・リッピ率いるゼネコン軍団・広州恒大に5-1で敗れたチームを引き合いに出したが、14日のアウェイゲームで立場を逆転させるのは至難のワザだ。すでにACLに関するファンの興味は、サンフレッチェ広島だけに絞られているといっても過言ではない。 【了】プーマ/PUMA【送料無料】ジュニア 2014 川崎フロンターレ ホームレプリカユニフォーム/ジュニアレプリカシャツ/プーマ/PUMA【smtb-f】
2014.05.08
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監督の文脈(10)2014年5月3日@等々力 18,261人(91%)J1第11節川崎フロンターレ 2-0 ヴァンフォーレ甲府【得点者】後半 8分 森谷賢太郎(フロンターレ)後半13分 OG(小林悠・フロンターレ)「憲剛に無理をさせて、わざわざ長引かせる必要はないと判断しました」(風間八宏・川崎フロンターレ監督) 配布されたメンバー表に、憲剛の名前はなかった。7人のベンチ組からも消えていた。風間八宏は考えたのだろう。憲剛がコンディションを落としている。「勝点3」を確実にモノにするため、彼を強行出場させるべきなのか。だが中3日の翌週7日には、AFCのFCソウル戦が控える。ここで憲剛を使うリスクを負うよりも、温存すべきではないのか。 指揮官は、迷うことなく後者を選択したはずだ。 開幕からここまでのあいだ、予想外の故障者続出と引き換えに、フレッシュな戦力に経験を積ませることができた。ACLやカップ戦をはじめとする厳しい日程のなか、誰が出てもフロンターレのサッカーを表現できる自信が芽生えはじめていた。ならば……と。メンバー表から消えたキーマンのかわりに抜擢されたのは、セカンドキャストの山本真希だった。 “生真希”を最初に目撃したのは、たしか06年のアジアユースだったと記憶している。翌年カナダで行なわれたU-20では森嶋康仁らとともに闘い、グループ予選を突破したが、決勝トーナメント1回戦でチェコにPK戦で惜敗した。 各カテゴリーの代表に選ばれた選手たちが、そのままトップカテゴリーにまで上がれる保証はどこにもない。いやむしろ、その確率はひじょうに低いという現実がある。たとえば96年のアトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を演出した西野朗・五輪代表世代で、当時の加茂周・日本代表監督が空けておいたのは、前園真聖の席ひとつだけだった。ゾノのその後の下降ぶりについては、ここで念を押すまでもない。昨年、コンサドーレ札幌からフロンターレへ完全移籍した真希も、中村憲剛という日本代表選手の陰で不遇の日々をかこつていた。清水エスパルス時代、17歳でトップデビューをはたした男も、この夏、27歳になろうとしていた。日本のフットボーラーは、野球よりも年俸が低く、選手寿命はずっと短いのである。 この日は4月11日の柏レイソル戦以来、今季3度目の先発となる。真希は、ライバルの大島僚太と中盤の底を組んだ。フロンターレの同じポジションには、すべての年代カテゴリーで名を連ねてきたエリート、稲本潤一もいる。真希にとっては、大きなチャンスの到来だった。「ヴァンフォーレに与えられた使命は、若い選手の成長=補強だと思ってます」(城福 浩・ヴァンフォーレ甲府監督) ヴァンフォーレの城福監督は、無念の想いを表情と声に出した。 「2-0という今日のスコアが、そのまま両チームの力の差なのか。それは皆さんの判断にお任せいたします。だけど皆さんの予想通りの結果になってしまい、とても口惜しいです」 前節までの集計記録によれば、フロンターレの総得点は18である。同じくわずか8得点のヴァンフォーレが、最初の45分間を失点ゼロで凌ぎきったのだ。両チームの総失点数が、ともに「11」という事実も見逃せなかった。ヴァンフォーレは第7節の名古屋グランパスと第8節の大宮アルディージャを相手に2連勝、左サイドバックの佐々木翔が2ゴール、甲府一筋14年目の石原克哉と、189cmのハイタワー・盛田剛平もそれぞれ1得点ずつ決めている。だが前節、開幕9連敗中だった徳島ヴォルティスに初白星を献上してしまったのが、彼らの実力ということなのだろうか。徳島は、城福監督の生まれ故郷だった。 指揮官は、振り絞るような言葉で、こうつないだ。 「奪ったボールを、その後、どう動かすのか。これは、各選手の質に関わる問題です。だけど、この部分を上げていかなければなりません。ウチには決定力の高い選手がいるわけじゃありません。しかし決定機の数を増やしていかないと、J1には残れないんですよ」 熱い男は、ヴァンフォーレというクラブに課された使命は何か。それを口にした。長年にわたってユース年代を指導してきた誇りからか、具体的な言葉でこそ表そうとはしなかったが、サンフレッチェ広島のような育成型クラブを目指す。おそらくそれが、当たらずとも遠からずの本音だろう。 だが育成型チームには、現在浦和レッズでプレーする槙野智章や柏木陽介、西川周作のように、資金潤沢なクラブに選手を奪われるという宿命がある。それでもサンフレッチェは、J3連覇を目指すだけでなく、同時にACL王者という野望ももつ。武田信玄で名高い山梨のクラブが目指すのは、「3本の矢」で知られる中国地方の名将・毛利元就というわけだ。 いずれにしろフロンターレがゲームを支配するのは、両チームの戦力差を見れば当然だった。カウンターの成功がヴァンフォーレの鍵を握っていたが、相手のわずかなミスに乗じて得点までつなげるには、かなり高い集中力が求められる。しかしキックオフ時、気温は26度まで上昇していた。 ハーフタイムで、風間監督は次のような指示を出している。 「全体をコンパクトにして、走る距離を短くしよう」 過密日程を1シーズン最後まで闘い抜くための、彼なりのチャレンジである。「走る距離を短くする」とは、無駄な動きの削減に狙いがある。だが短い距離間では、複数ある選択肢のなかでより高速な判断が求められる。指揮官が口癖のように言う「頭の体力」とは、正しい解答を導き出せる「脳力」と、正確にプレーできる「能力」をさす。すなわちフロンターレの選手たちに課せられた集中力自体、ヴァンフォーレのそれとは次元がワンランクちがうのである。しかし、それを実行へ移すことで、無駄な体力の消耗をおさえることも可能となる。 後半8分の先制点は、まさしく「短い距離での崩し」から生まれた。左サイドバックの谷口彰吾正から、中央の小林悠、そして真希が森谷につないでネットを揺らした。この間、わずか3秒ほどしか要していない。いかに速いスピードでボールが回っているかを証左する決定的なワンシーンだろう。 その5分後には、城福が警戒していたレナトのドリブル突破から早ばやと2点目を奪われ、ヴァンフォーレはパワープレーに頼るほかなくなった。パラナとジウシーニョのふたりのブラジル人を投入、3トップの中央に盛田剛平を送り込んだが、強烈な攻撃力をもったフロンターレに対して、これ以上ぶざまな姿をさらすわけにはいかない。守りながら反撃も企てるというサッカーの矛盾を前に、ヴァンフォーレは力尽きたのだった。 さて、FCソウル戦では、憲剛もベンチに入るだろう。巡ってきたチャンスゲームでアシストを記録した真希の起用はあるのか。競争の激しさを増すフロンターレの中盤に注目していきたい。【了】プーマ/PUMA【送料無料】ジュニア 2014 川崎フロンターレ ホームレプリカユニフォーム/ジュニアレプリカシャツ/プーマ/PUMA【smtb-f】メール便で発送可能!!値下げしました!ミズノ 10-11モデルヴァンフォーレ甲府レプリカシャツ
2014.05.05
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監督の文脈(9)2014年4月26日@等々力 19,164人(96%)J1第9節川崎フロンターレ 2-1 ガンバ大阪【得点者】前半5分 ジェシ (フロンターレ)前半19分 遠藤康仁 (ガンバ)後半47分 大久保嘉人(フロンターレ)「嘉人にやられました」(長谷川健太・ガンバ大阪監督) 第7節の大阪ダービーでは、阿部浩之の同点ゴールが生まれるまでに40分以上も費やした。翌8節の大宮アルディージャ戦の先制点も、終了6分前、CBの丹羽大輝が記録したものだった。前節までのデータを眺めると、総得点はわずか「7」にすぎない。徳島ヴォルティスの「1」を筆頭とした、現段階のJワースト5にガンバ大阪が堂々と入っている。ことほどさように、元ACL王者の凋落は激しい。 どうやらガンバは、試合の入り方に問題を抱えているようだ。この日も、序盤に喰らったジェシのリーグ戦初ゴールで、「あれで目が覚めた」と健太が振り返った。別の表現をすれば、「早く失点して良かった」という逆説も成り立つ。前半18分の同点弾は、森谷賢太郎と田中祐介というフロンターレのアグレッシブな右サイドを崩し、最後は“頼れる男”ヤットが決めた。しかし、その後に積み重ねた得点はゼロである。1シーズンでJ1復帰をはたし、遠藤康仁、今野泰行という日本を代表する選手を抱えながら、“キタの王者”再建の道は険しく見える。 「目が覚めた」あとのガンバの守備は、フロンターレが得意とする縦方向へのパスをなんとか寸断していた。ところが後半に入ると、牙を剥き出したフロンターレの攻撃にボール支配率を奪われてしまう。「出してもらう、出してもらうを繰り返していこう」。ハーフタイムに風間監督からそう指示を受けた川崎イレブンは、中村憲剛を中心に次つぎとガンバに襲いかかり始めた。 圧巻だったのは、やはり大久保嘉人である。昨季の得点ランキングで20ゴール以上を上げたのが、次の4人だ。サガン鳥栖の豊田陽平(=20G)、セレッソ大阪の柿谷曜一朗(=21G)、アルビレックス新潟の川又堅碁(=23G)、そして昨季、ダントツの26ゴールで得点王に輝いた大久保だ。彼らを迎え撃つ対戦相手が警戒心を強めるなか、柿谷は開幕から9戦連続不発、川又も2ゴールにとどまっている。彼らに対するチェックが今季、いかに厳しくなっているかがうかがえるだろう。それでも、残りのふたりは揺るぎない。田舎クラブを上位に押し上げてきた豊田は9戦6ゴール、ACLで中数日の闘いを強いられながら、大久保も5ゴールだ。はたして彼らの凄さは、世の中の各メディアで正当に評価されているのだろうか。 後半41分、大阪のライバルにすっかり差をつけられた感のあるガンバに、不運が見舞う。フロンターレの小林と空中戦で争った右SBの呉宰硯(=オ・ジェソク)が、落下後に立ち上がれなくなったのだ。健太の話によれば、「歯が折れ、救急車で運ばれた」そうだが、ここまでなんとか凌いできたガンバの守備に黄信号を灯し、ゲームを支配するフロンターレをさらに有利にしたことだけはまちがいない。 ロスタイム2分、バランスを崩したガンバの守備をつき、“公称”170cmの嘉人が、頭で決定的なゴールを決めた。これで今季、9戦6ゴールである。「嘉人にやられた」という健太の嘆きは、嘉人に対する平伏を表したものだ。かつては最強と疑わなかったガンバの凋落と、いまだにタイトルがないフロンターレの黎明を象徴するようなゲームだった。【了】プーマ/PUMA【送料無料】2014 川崎フロンターレ ホームオーセンユニフォーム/サッカーユニフォーム/プーマ/PUMA【smtb-f】アンブロ/UMBRO【送料無料】2014 ガンバ大阪 ホーム オーセンティックユニフォーム/サッカーユニフォーム/アンブロ/UMBRO【smtb-f】
2014.05.02
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監督の文脈(8)2014年4月11日@等々力 12,379人(83%)J1第7節川崎フロンターレ 1-1 柏レイソル【得点者】前半5分 レアンドロ(レイソル)後半28分 山本真希 (フロンターレ)「後半、ナカムラのポジションチェンジでボールを奪え返せなくなりました」(ネルシーニョ)「守備をする側は、相手を囲むものです。憲剛が入ったことで、逆に相手を囲めたんですね」(風間八宏) 同じチームなのに、前半と後半でまったく表情を変えてしまう。年に何回か、そんなゲームに出くわすことがある。この日のフロンターレが、まさにその典型だった。 日立台で行なわれた昨シーズンの開幕戦では、広州恒大から移籍してきたばかりのクレオが2ゴールをあげ、3-1でレイソルが勝利した。7ヵ月後の秋、今度は得点王・大久保嘉人の2ゴールで、フロンターレが3-1で帳尻を合わせる。このような過去の印象から、両クラブのカードは撃ち合いになるというイメージが強い。 だがフロンターレの失点は、ひどく静かな立ち上がりのなかで起きた。レアンドロが右足で決めたゴール前のこぼれ球は、ゴールの予感すらもない穏やかな時間帯での出来事だ。実戦での組み合わせが希薄な顔ぶれで臨んだフロンターレは、試合への入り方でブレを起こし、集中力を欠いていた。そのままなんとなく40分が過ぎ、後半の45分を迎えたわけである。 フロンターレの風間監督が動く。 今季初先発の安柄俊(=アン・ビョンジン)を嘉人と2トップを組ませたのは、苦しい台所事情があったからにほかならない。なにしろ、FW3人を負傷で欠いていたのだ。前節の徳島戦で移籍後初ゴールを記録した森島康仁が左太ももの肉離れ、フロンターレ「行け行けサッカー」の主役のひとりであるレナトが右足内転筋、嘉人と並ぶ得点王候補の小林悠も同じく左足だ。そのうえ左SBの登里享平が右ヒザの副靱帯損傷、風間サッカーに欠かせない2列目の脅威・大島僚太まで左太もも痛とあっては、通常に考えればサッカーになるわけもない。 2列目左の山本真希と右の森谷賢太郎が中に絞る動きでチャンスメイクを行ない、同時に両サイドバックに道を作ろうとしていた。だがフロンターレの生命線である「縦のコース」をレイソルの守備陣が巧妙に断ち切り、なおかつ1点のビハインドを追う嘉人へのチェックを時間を追うごとに厳しく増してゆく。 後半開始と同時に風間監督が切ったカードは、稲本潤一の投入だった。ビョンジンをベンチに下げ、ボランチの憲剛をもうひとつ高いポジションへシフトチェンジしたのだ。すると、どうだろう。人とボールの出し入れが格段に増え、前半、あれだけフロンターレの反撃を食い止めていたレイソル守備陣がバタツキ始めた。 「ひとり交代させただけで、どうしてあれだけ変わるのか」という記者の質問には、先発組と控組との力の差を指摘する含みも言外にあったはずだ。これに対して風間監督は、「ふだんから一緒にやってない選手同士だと、やっぱりお互いのリズムやテンポが変わってくるんですよ。ケガ人が多いなかで、実際の試合を体感できたことが良かったと思います。金久保なんかは、途中から入ってうまく溶け込めてましたからね」と、余裕の笑顔である。 後半17分、パウリーニョと交代したのが、金久保順だ。ボランチに下がった左アタッカー・真希のポジションに入ると、激しい動きでレイソルの疲労感を増やした。その10分後、ペナルティエリア手前の位置で森谷から憲剛への横パス、さらに憲剛から縦のスペースを突いたスルーに真希が走りこみ、予想通りの同点シーンが生まれたのだった。「ひじょうに残念なゲームでした。本当にもったいなかった……」 この日も上機嫌な指揮官は、相好を崩しながら口惜しい気持ちを言葉に変えたが、たった2枚のカードで大胆にチームをいじくり、「行け行けサッカー」を蘇らせたのだ。まずは、してやったりだろう。 心配なのは、レイソルである。開幕7戦で2勝4分1敗と足踏み状態である。どうしても想い出してしまうのは、やはり足踏みしていた昨季の真夏だ。最下位だった大分トリニータとのアウェイゲームをスコアレスドローで終え、24節の鹿島アントラーズ戦で完敗をきっすると、ネルシーニョ監督が一方的な辞任表明を発言し、現場を混乱に陥れたことがあった。数日後に撤回したものの、強化委員長時代の加藤久が代表監督にと強く推したネルシーニョには、一時の感情に振り回される傾向があるのではないか。結果、チームに及ぼした影響は強く、昨季25節以降のリーグ戦成績は3勝3分4敗に終わっている。この日も「競い合えたゲームになった」と振り返っているが、後半のフロンターレのボール支配率は70%に及んだのではないか。感情の昂ぶりを静かに抑え、どこか言い訳じみた回答にも聞こえたのである。田中順也や工藤壮人、フロンターレのユース出身である高山薫などのタレントがせっかく育っている。シーズンを棒に振ることのないよう祈りたい。 ところで筆者は、この日のフロンターレの試合を観て、4日後に行なわれたACL・貴州人和戦の結果を予想していた。一部報道で「ケンカ」と表現された泥臭い試合は、案の定、貴州8、フロンターレ3のイエローが飛び交い、貴州からは2名もの退場者が出たゲームだった。しかしフロンターレ5年ぶりのアウェイでの先制点は、憲剛→森谷→金久保→憲剛の連携から奪ったものだ。指揮官の言う「体感」が選手層を厚くし、次の試合にも繋がったといえるだろう(試合結果は貴州0-1川崎)。 サッカーにはお国柄が出る。日本人はフェアプレー賞ばかりをもらい、中国人は超個人主義と民度の低さが出る。だが今季のフロンターレは、耐えることを覚えたチームに仕上がっているような気がする。22日にホームで迎える蔚山現代は、自分たちの教科書歴史問題を棚に上げる韓国のクラブだ。それだけに中国のクラブとはちがい、歴史に名を残すことに燃えるのが彼らの精神構造である。フロンターレはACLとの相性があまり良くないというこれまでのイメージを、ここで一気に変えるチャンスだろう。【了】プーマ/PUMA【送料無料】2014 川崎フロンターレ ホームオーセンユニフォーム/サッカーユニフォーム/プーマ/PUMA【smtb-f】ヨネックス/YONEX【送料無料】2014 柏レイソル ホーム レプリカユニフォーム/サッカーユニフォーム/ヨネックス/YONEX【smtb-f】
2014.04.17
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監督の文脈(7)2014年4月1日@等々力 10,943人(73%)ACL Group/H川崎フロンターレ 2-0 Western Sydney Wanderers【得点者】前半24分 Labinot Hality(WSW)後半29分 中村憲剛(フロンターレ)後半43分 大島僚太(フロンターレ)「ふたつ目の失点は、遠目からのとても美しいゴールでした」(トニー・ポポビッチ・WSW監督) この試合の翌々日、サッカー協会から届いた日本代表候補のメンバーを見て驚いた。すっかり鉄板と思われた大久保嘉人の名前が見当たらなかったからだ。フロンターレから招集されたのはわずか1名、嘉人ともにゴールを量産する小林悠である。この日は6日のリーグ戦に備えてか、ベンチからも外された男だが、こうした選手が代表に呼ばれること自体、所属クラブの層の厚さを物語る。とはいえ、同じACL出場クラブでは、サンフレッチェ広島から4名(=水本裕貴、塩谷司、青山敏弘、高萩洋次郎)、セレッソ大阪から3名(=山下達也、長谷川アーリアジャスール、南野拓実)の選手が選出されているのだから、彼らの過密日程を考慮した結果の選考ではなさそうだ。こと「若いエネルギー」という意味では、サンフレッチェとセレッソがいかに突出しているかということがわかる。一方で同じACL組でも、平均年齢が高い横浜F・マリノスから選ばれた選手はゼロだった。 武蔵小杉駅から等々力スタジアムまでの道すがら、桜は満開だった。酔っ払ったWSWサポーターの群れと鉢合わせとなったが、クラブテーマを歌いながら住宅街を闊歩する彼らの元気さは、まるで古豪チームのそれだった。ホームグラウンドとするパラマッタは、シドニーからフェリーで行くことができる。たしか、1時間ほどの乗船時間だったと記憶している。落ち着いた静かな町並には美味なパスタ店が点在し、サッカークラブが存在する熱い町という印象は薄い。事実、チームが創設されたのは2012年で、今年は同国Aリーグに参戦して2シーズン目にあたる。クリスタル・パレスからやってきた指揮官が相手のゴールを手放しで褒めたのは、川崎との歴史の差を認識しているからにほかならない。 「我われは新しくて小さいチームなので、当然、選手層も薄いんです。にもかかわらず川崎と対等の闘いができたことに満足しています」 9時間のフライトで来日したサポーターたちもよく心得たもので、試合前、「ケンゴ・ナカムラ」と「ヨシト・オオクボ」の名がコールされると、すかさずブーイングを飛ばしていた。2週間前、フロンターレはそんな弱小クラブとのアウェイゲ-ムで惜敗し、あとがなくなってしまったのだった。3月12日の蔚山戦から2連敗、この日のホームゲームも落とせば、グループ予選突破はかなり難しくなる。 「ふだんやったことのない相手との試合では、充分フリーの位置にいるのに、いつもより狭く感じたりする。そういう目の錯覚があるんですね」(風間八宏・フロンターレ監督) 今季のリーグ戦で、フロンターレはセットプレーからの失点が目立つ。タイトなスケジュールのなかで、実戦を通して修正していくしかないというのが現状のようだ。狭いスペースの中での素早いパス交換が今年のフロンターレの特徴だ。しかし、それも精度が下がると、相手にカウンターのチャンスを一気に与えてしまう。 WSWのような大型で、やり慣れていない相手に対して、前半のフロンターレはラストパスのミスを何度も重ねた。わずか一歩、あるいはわずか1メートルの誤差でボールをさらわれるという場面が何度も繰り返され、忍耐力との闘いも強いられる。「正確に」という気持ちが過度に強くなるのか、次のプレーへの迷いがテンポを遅らせていた。 前半24分に喰らったWSWの先制点は、試合の主導権を握っていたフロンターレの選手をまちがいなく疲弊させた。またもやセットプレー、しかも、パラマッタでもやられたハリティのゴールだった。WSWのフォーメーションは、第1戦と全く同じ顔ぶれの4-2-1-3だ。CFに長身のユリッチを置き、両アタッカーのハリティとアッピアーはスピードに長ける。トップ下の小野伸二が柔らかい着地のパスを散らし、両サイドから食いつくというリアクションサッカーだ。じつに単純な闘い方なのだが、より複雑で技術を要し、速さと美しさを目指すフロンターレの攻撃は最後の局面での精度を欠き、ことごとくWSW守備陣に摘み取られていくのだった。 ゴール前を固める相手になかなか突破口を開けないのは、代表のアジア予選でもよく見られる展開だ。「時間を追うごとに慣れてきて、最後は選手たち自身が考えてくれた」と指揮官は言う。膠着したゲームでは、発想の転換が必要だ。それをチーム全体でできるかどうか、である。形となってあらわれたのは29分、憲剛のミドルシュートだった。さらに終了前の43分、「早く撃て、撃て」という観戦者の想いが通じたかのような五輪代表候補・大島僚太のミドルが決まり、フロンターレは首の皮一枚の差で逆転劇に成功する。いずれもゴール前でのパス交換をすると見せかけ、一瞬のスキを突いてネットを揺らせたものだ。 しかし彼らに刺激を与えたのは、後半に入ってからいきなり牙を剥き出したレナトの頑張りがあったことを忘れてはならない。後半だけで計5本のシュートを外したレナトの一人相撲で終わるところを、きちっと帳尻を合わせてくれた。もちろん、今夜の指揮官もすこぶる上機嫌なのであった。【了】プーマ/PUMA【送料無料】2014 川崎フロンターレ アウェイオーセンユニフォーム/サッカーユニフォーム/プーマ/PUMA【smtb-f】
2014.04.03
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監督の文脈(6)2014年3月28日@等々力 12,431人(83%)J1リーグ第5節川崎フロンターレ 1-0 名古屋グランパス【得点者】後半23分 大久保 嘉人(川崎)「あのゴールシーンは、名場面でしたよね」(風間八宏・フロンターレ監督) キックボクシング「RISE」の観戦取材のため、後楽園ホールで待ち合わせした編集者は多摩プラーザの住民だ。友人の息子がフロンターレの熱烈なファンだそうで、クラブの地域密着戦略が、川崎市にいかに根づいているかがうかがえる。ホームグラウンドを東京に置くことにこだわり、この地域一円に背を向けたヴェルディ時代とは大きな違いである。しかし友人の息子は、どうやら涙顔らしい。ACLを含めれば、今季開幕から5回目のホームゲームにもかかわらず、「いまだにチケットが取れない」と親に訴えているのだ。 理由は、言うまでもない。3万5000人収容の新スタジアムへ衣替えするため、メインスタンドが封鎖されているからだ。上記「実際に見た目の客席占有率」=「83%」は、こうした状況を加味したうえで、超個人的に弾き出したデータであることを断っておきたい。 6年後に行なわれる2度目の東京五輪では、新国立競技場のほかFC東京がホームとする味の素スタジアムが候補にあがっているが、多摩川クラシコのライバルである等々力が利用される可能性もあるわけだ。 あたかも工事現場のど真ん中に建てられたかのような記者会見場で、風間監督は終始上機嫌だった。シーズン序盤、まだ手探りのなかにある各クラブの監督は、実戦を通じて様ざまな選手を試しておきたいものだ。だがここまで、フロンターレのリーグ戦成績は1勝2敗1分の14位、第3節のFC東京戦と第4節の大宮アルディージャ戦で計8失点、あげくはACLでも2連敗と、絶望的な結果しか残せていない。こうして迎えたのがJリーグ通算247勝、歴代最多勝監督・西野朗率いるグランパスだった。 「あのふたりにパス交換されるとねぇ。ひとりに対してふたりつけるわけにもいかないし……。とくに嘉人が下がったときにつかまえにくくなる」(西野朗・名古屋グランパス監督) 風間監督が「名場面」と振り返ったのは、後半23分のシーンだった。 大久保嘉人の次の動きを察知した中村憲剛の右クロスに、名古屋のDF・大武峻が身体を寄せる。そのこぼれ球を嘉人が左足トラップで短く運び、あっという間に守護神・楢崎正剛の脇を右足で撃ち抜いたのだった。前回の本レポートでは、現役大学生・大武の存在感と可能性の大きさを報告させてもらった。だが、そのグリーンボーイをまるで嘲笑うかのような暴力的なゴールだった。しかも、川崎フロンターレの「通算1000ゴール」という記念記録までおまけについてきた。 試合後の嘉人の台詞は、後楽園ホールでよく耳にするファイターたちのそれのようだ。「大学生をチンチンにして、プロの洗礼を受けさせるつもりでした。少しフェイントをかけただけで、もう彼はビクビクでしたよ」 「昨季得点王」という肩書きの男へのピンポイントパスを目の前にして、大学生が冷静さを失うのもやむをえないだろう。おそらく西野にも、彼を責めるつもりは毛頭ないはずだ。「全体をコンパクトにしながら3ラインをキープする」。これが、当面の西野のチームコンセプトだが、決して破綻していたわけでもないからだ。 記者会見場に現れた西野の表情は、じつにサバサバしたものだった。 「最後まで粘り強いディフェンスができていたけれど、あれだけボールを回されたら失点もやむをえないですよ」(西野朗・名古屋グランパス監督) 西野にとって痛かったのは、右サイドの田鍋陵太を体調不良で欠いたことだろう。田中隼磨(=現・松本山雅FC)が抜けた今季、過去2シーズンで7試合にしか出場していない田鍋を右サイドバックに抜擢し、開幕から使い続けてきた。そのラッキーボーイが離脱し、前節のヴィッセル神戸戦で起用した刀根亮輔も別メニュー調整だ。となれば、キャンプで試された矢野貴章、あるいは磯村亮太の先発かと思われたが、西野が選択したのは、CB大武の先輩にあたる牟田雄祐だった。ところが名古屋の右が、守から攻へのスイッチでまったく機能しない。 一方で、イタリア語で「正面から」を意味するフロンターレは、縦へ急ぐだけでなく、横との素早いボール交換で、序盤からゲームを支配する。なかでも西野が警戒する「あのふたり」、すなわち嘉人と憲剛の息がピタリと合い、憲剛とボランチを組む大島僚太のパスも生きるようになった。最終ライン手前にできたスペースにレナトや森谷賢太郎が絡み、グランパスの守備陣は最後まで重労働を強いられたのだった。 そんななか、牟田が負傷してピッチを去る。その後の発表によれば「左足関節前脛腓靱帯損傷」、全治2週間だそうだ。いよいよ右サイドバックが手薄になるなか、西野は次のサンフレッチェ広島戦に向けてどんな策を講じるのだろうか。後半24分、指揮官は期待外れの枝村匠馬をベンチに下げ、小川佳純を右へコンバートしている。しかし10分後、牟田の負傷によってボランチの磯村を右サイドに下げ、磯村の穴に田口泰士を投入した。西野が彼らをどう評価したかによって次の広島戦の先発が決まるが、小川の右サイドバック起用など、苦肉の策によるサプライズがあるかもしれない。 それにしてもこの男、どこまで進化し続けるのだろうか。ヴィッセル神戸でのラストシーズンとなった12年、西野の指揮下でもプレーした嘉人のことだ。「彼は、いままで一番いいんじゃないの」と、トゥーリオにも舌を巻かせたほど手がつけられなくなっている。 たくましいボールキープ力、切れ味あるドリブル、ラストパスも出せる広い視野……、そして、何をおいても決定力の高さである。この日のゲームで3戦連発の4得点、今月から始まる日本代表候補合宿への招聘どころか、09~10年に前田遼一が記録した、ふたり目の2シーズン連続得点王の匂いすらしてくるではないか。1勝2敗で瀬戸際に追いつめられたACLでの爆発を期待したいものだが、「フロンターレはホームで安易につまずく」という印象が強い。1日のシドニー戦は、2週間前のアウェイで惜敗した相手だ。それだけに、圧倒的な力の差を見せつけてリベンジしてもらいたいところだ。【了】プーマ/PUMA【送料無料】2014 川崎フロンターレ ホームオーセンユニフォーム/サッカーユニフォーム/プーマ/PUMA【smtb-f】ルコック/Le Coq Sportif【送料無料】2014 名古屋グランパス ホームオーセンティックユニフォーム/サッカーユニフォーム/ルコック/Le Coq Sportif【smtb-f】
2014.03.31
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監督の文脈(5)2014年3月15日@日立台 9,265人(71%)J1リーグ第3節柏レイソル 0-1 名古屋グランパス【得点者】後半21分 ジョシュア・ケネディ(名古屋)「そう落胆する内容でもありません。最後の冷静さという点で、決定力の修正は必要だと思いますが……」(ネルシーニョ) 全面改築モードに入った国立競技場とは真逆に、日立台はメインスタンドに陽があたる。したがって肌寒い季節であっても、快晴の日の1500キックオフであれば、試合終了まで穏やかに観戦できるのが利点である。ただ、西陽がひどく眩しい。そこでメインスタンドのチケットを入手したファンは、サングラスを必携品のひとつとして加えておきたい。 どちらが勝っても不思議ではないゲームだった。白熱均衡した内容だったかといえば、そうでもなく、陳腐すぎたわけでもない。日立台は、Jでは数少ないクラブが独自で所有するスタジアムである。また、サッカー専用という大きな特徴も合わせもつ。両チーム22人の先発のなかで、最も身長の低いプレーヤーが名古屋の左サイドバック・本田勇喜の172cmだ。観戦席とピッチの距離が間近な専用スタジアムで、大型選手が目の前で躍動するわけである。試合のクォリティが多少低かろうとも、スペクテーターには補って余りあるものがあるのだろう。「今季のレイソルの試合を観て、縦の推進力など、攻撃時の物足りなさを感じていました。それにしても、想定外に主導権を握れたのが今日の勝因でした」(西野 朗) 西野監督に勝機の訪れを確信させ、ネルシーニョには「決定力不足」を再認識させたように、名古屋は柏の拙攻に救われたにすぎない。柏の2トップはレアンドロ&レアンドロ・ドミンゲスのブラジル人コンビ、右アタッカーに日本代表入りを決めた工藤壮人、同じく左に強烈な左足をもつ田中順也だ。名前を耳にしただけで、相手をドン引きさせるような攻撃陣であるはずなのだが、なぜか、フィニッシュのタイミングがわずかにズレまくる。 ここで、昨季のネルシーニョが選択した典型的なフォーメーションを想い出す。工藤のワントップ、レアンドロ・ドミンゲスが右アウトサイド、左アウトサイド田中を入れるという3-4-2-1である。アルサッドを解雇されたストライカーの加入で、今季はより攻撃力に駒をさいたかっこうだ。しかし、だ。4人が4人ともゴールを欲するあまり、アタッキングサードで渋滞する傾向がかいま見られのだった。つまり、4人の距離が短かすぎた。しかもドミンゲスがトップに入ったことで、外からのチャンスメイクの精度も落ちていた。 システム変更の可能性について、指揮官はこう固持するだけだ。「システムを変えるとサイドにスペースを作り、突破を許してしまう危険性がありました」 さて、一方のグランパスは「想定外の主導権を握った」とはいえ、超ハイタワーの1点のみだ。ジャーナリズムの末席に座る人間として、現役大学生の「大武峻」をマークしておきたいと思ったのが数少ない収穫だろうか。先走った乱暴な意見だが、ザックジャパンのセンターバック・今野泰行よりも存在感は上だった。 今季のJは、まだスタート地点に立ったばかりだ。両チームとも春から梅雨時にかけての実戦期間、そして充電時期となるワールドカップ開催中に修正変化の勝負がかかる。だが、鳴り物入りで今季から指揮をとる西野監督には、あまり多くを期待しないほうがよい。GMとの確執が伝えられた柏レイソルでも、ACLを制覇したガンバ大阪でも、彼のチーム作りには一定の時間がかかることが過去の例が物語っているからだ。各メディアがどんなにおだて上げようとも、就任したシーズンにいきなりユベントスにスクデットをもたらし、憎たらしい中国スーパーリーグでも結果を出したマルチェロ・リッピと同列で語るべきではない。 【この項おわり】ヨネックス/YONEX【送料無料】2014 柏レイソル ホーム レプリカユニフォーム/サッカーユニフォーム/ヨネックス/YONEX【smtb-f】【1000円以上送料無料】ヒストリー・オブ・名古屋グランパスエイト/名古屋グランパスエイト
2014.03.18
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2013年10月12日@埼玉スタジアム 27,197人(45%)ナビスコカップ準決勝2nd-leg浦和レッズ 1-0 川崎フロンターレ【得点者】後半35分 興梠慎三(浦和)「いちばん大事なのは、自信です。ゲームに入ったときから自信がなさそうで、消極的でした。残念です」(風間八宏) フットボールはカオスと矛盾の塊だ。9月7日の第1戦(=1st-leg)で、J屈指の攻撃力を誇る川崎は3-2で浦和を破っている。精神的に優位に立ったはずの川崎が、なぜ「自信」を失っていたのか。おそらくは、目標の定め方のちがいだろう。川崎をホームで迎え撃つ浦和のメルクマールは明確だった。このカップ戦では、アウェイゴールが優先される。したがって1-0、もしくは2-1で勝利すれば、浦和の逆転勝ちとなる。ここまでのリーグ戦・計28試合で、彼らが積み重ねてきたゴール数は、川崎とならぶ「55」と、やはりリーグトップを走る。平川忠亮と宇賀神友弥の両サイドハーフに脅威をもたせ、阿部勇樹と鈴木啓太の両ボランチがチームのエンジンとなり、奪い取ったボールを素早く前線へとつないでゆく。そんな、いつも通りの攻撃サッカーを展開できれば、03年以来、10年ぶりのタイトルが見えてくる。 崖っぷちに立っていたのは浦和ではなく、ホームで先勝した川崎だった。「失点を許さない」という意識が過剰に強くなり、今季21ゴールで得点ランキングを独走する大久保嘉人、11ゴールで同10位のレナトら、得点に飢える彼らの喉をますます渇かせるだけだった。腰痛に悩むパサー・中村憲剛がハーフタイムで退いてからは、さらにその傾向を強めてゆく。結果、前線の危険人物たちは焦燥感だけを溜めていった1点を守ろうとする“攻撃型チーム”は、おおいなる矛盾を抱えていたのだ。一方の浦和はチーム一体となったアグレッシブさを失わず、後半34分、3人目の最終カードが切られても、それは変わりなかった。一時はザックからの召集もかかり、今季ベガルタ仙台から浦和に移籍した関口訓充は、カップ戦のような一発勝負に強い。1分後だった。阿部からのフィードを受けた関口が、左アウトサイドからゴール前へ低く、速いボールを送る。これに後方から食らいついた興梠が身体を張って押し込み、川崎には絶望的な終了10分前のゴールが決まる。ロスタイムは4分も与えられたが、バランスを失った川崎が最後まで復活することはなかった。「終盤、きわどいシーンを作られ、同点にされる可能性もありました。だけど、もしそうなったとしても、私は同じことを言うよ。今日は今シーズンで最高に美しく、レベルの高いサッカーができたとね」(ミハイロ・ペトロビッチ) 優勝賞金1億円を手にするチームが決まる決勝は、11月2日の国立競技場である。もう一方のブロックからは、横浜F・マリノスに0-2で敗退しながら、第1戦を4-0で完勝した柏レイソルが駒を進めた。ACL敗退、監督の辞任騒動など、昨今の柏のドタバタぶりを見ると、チームの勢いは浦和のほうが明らかに上だ。だが、ここにもまた、フットボールのカオスと矛盾が顔を出すのだろうか。(この項おわり)
2013.11.02
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監督の文脈22012年3月20日@国立競技場AFCチャンピオンズリーグ【GROUP・F】2nd-legFC東京 2-2 蔚山現代【得点者】前半37分 徳永悠平(東京)後半35分 キム・スンヨン(蔚山)後半38分 梶山陽平(東京)後半43分 マラニョン(蔚山)「聞いていた通りだったが、予想外でもありました」(金鎬坤) 彼の性格なのかもしれないが、落としたはずの勝点「3」を「1」で凌ぎきった金鎬坤(キム・ホゴン)監督は、笑顔を一度も見せることはなかった。 天皇杯の優勝チームと同じ組になったことを知った同監督は、元旦にもかかわらず国立競技場を訪れていた。そう、史上初のJ2対決となった、以下のカードである。京都サンガF.C. 2-4 FC東京【得点者】前半13分 中山博貴(京都)前半15分 今野泰幸(東京)前半36分 森重真人(東京)前半42分 ルーカス(東京)後半21分 ルーカス(東京)後半26分 久保裕也(京都) その後、東京の今野はガンバ大阪へ移籍、京都の久保裕也は2月のアイスランド戦で驚きの代表初召集を受けている。現役高校生の代表入りは、清水エスパルスの市川大祐以来、14年ぶりのサプライズだったともいう。 金鎬坤・蔚山監督が「聞いていた通りだった」と語るのは、FC東京に起きている変化の兆しだった。「組織的にも戦術的にも良くなっている」と、人づてに情報を得ていたらしい。そこで自身でメモをとった元旦の決勝戦と、3月17日のJリーグ第2節・名古屋グランパス戦の映像を比較しながら分析を重ね、この日の本番に臨んだのだった。 ところが、前半の序盤こそ主導権を握ったものの、パスの組み立てや中盤の展開で次第に苦しみはじめ、後半に入ると体力の消耗が顕著になっていった。 同監督が「予想外だった」と語るのは、分析データに基づいた対策が功を奏しなかったことと、選手の疲労スピードが想定外に早かったことだ。「FC東京は攻守のバランスと切替えのスピード、そして両サイドの上がりも良くなっていました」。筆者がとったメモにも、こう記録されている。 たとえば前半の終了間際、蔚山がオフサイドをとられた場面があったが、なんとFC東京サイドのセンターサークル付近でラインズマンの旗が上がっている。体力的にキツくなり始める時間帯だが、東京の最終ラインの上がりがいかに高いかを示すフラッグだった。 前半の東京の攻撃をことごとく断ち切っていた蔚山・左ボランチのエスチベンも、ナオと矢澤達也のポジションチェンジや、トクのオーバーラップ対策などに終始追われ、後半25分にはベンチに下げられている。 蔚山の指揮官は東京の中盤を潰すことに勝機を見出そうとしたのだが、体力で東京に圧倒され、狙っていたサッカーが前半の序盤だけで頓挫したのだった。 しかし、対戦相手の分析に怠りなかったのは、ポポも同様である。 「蔚山のこれまでの試合を分析した結果、後半になると必ずスピードが落ちることがわかりました。だから後半が勝負だと思っていたんです。ウチが運動量で負けるはずはありませんからね」 つまり東京は、後半になってからさらにギアを上げたわけだ。前半から疲れが見えた蔚山が、東京の攻撃サッカーについていけなかったのは自明の理だった。 だが、これだけの差があっても東京は蔚山に勝てなかった。 隣のテーブル席には、24日のホーム戦でFC東京を迎え撃つ神戸の偵察グループが訪れていた。3日前の名古屋グランパス戦で、東京は怒涛の3ゴールで大きな逆転勝利をたぐり寄せたばかりだ。「今年の東京は違う」と思わせた矢先の同じチームの“敗戦”に、彼らの弱点は、ずばり守備陣にあると看破したにちがいない。 リーグ開幕2連勝同士の両チームの観戦ポイントは、やはり中盤だろう。ナオとトクの高速右サイドとマッチアップするのは、野沢拓也と相馬崇人のふたりだ。さらに今年のヴィッセル神戸は、第3列に潰し屋の伊野波雅彦と、アタッキングサードに飛び込む橋本英郎という大型補強に成功している。ちなみに、西野朗監督の退陣でボロボロになったガンバ大阪を、神戸はアウェイの万博で3-2で下している。2点目をあげたのが、ガンバから移籍した橋本である。 はたして、この両チームの闘いは、どちらに軍配が上がるのだろうか。(この項おわり)
2012.03.23
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「まだ試合は終わってないのに、“もう勝った”と錯覚している選手がいた。この点が、私にはどうにも納得がいかないんだ。FC東京は、相手に得点をプレゼントしたあとでも、試合をひっくり返せるようなチームじゃないんだからね」(ランコ・ポポヴィッチ) 38分が過ぎた時点で、「勝利が近づいた」と思ったのは筆者やサポーターだけではあるまい。しかしその筆者でさえ、「試合が終わった」とは、まちがっても思っていない。 この日も縦横無尽に動いたナオが、高速ドリブルでボックス内へと切り込み、ポポにとってはなんとも頼もしい「オシムの申し子」を自認する羽生直剛へパス、左からの折り返しを梶山陽平が豪快に決めていた。初参戦にもかかわらず、この時点で東京は、ACL開幕2連勝をほぼ手中にしていた。 しかし43分、またしてもロングボールの悪戯が起こる。40m以上に及ぶ距離を放り込んだのは、元京都サンガの郭泰輝(クァク・テヒ)だった。レバノン戦の結果を受けて解任した趙広来(チョ・グァンネ)監督の後任として、韓国協会は今年2月、90年W杯イタリア大会のメンバーでもある崔康煕(チェ・ガンヒ)を代表監督に緊急指名した。06年のACLを全北現代の指揮官として制した同監督が、新キャプテンとして抜擢したのが、このテヒだった。 彼が狙ったのは、やはりマラニョンの前に広がる日本の左サイドのスペースだった。サイドバックの太田宏介が高い位置に構えており、マラニョンをケアできるのは森重真人ひとりしかいないという絶妙の空間にボールがフィードされたのだ。 試合終了まであと2分という時間帯に、聞き分けのいい飼い犬のように攻めの姿勢を崩そうとしなかった太田のポジショニング、あるいはゴール前のカバーに遅れたCB加賀健一の危険察知能力にも問題があったかもしれないが、マラニョンを完全フリーにしてしまった森重は、「この日のA級戦犯」と叩かれても反論の余地は一切ないだろう。 直後に、この日、2度目の同点弾を喰らってしまう。 筆者の隣に座っていた知人の記者が、素っ頓狂な声をあげて叫んだ。「いま、誰か寝てたよな」。ポポも言った。「海外でプレーできるだけのポテンシャルがあると評価しているからこそ、私は彼にうるさく言うんだ」。 何本かのネジが抜けたようなプレーで、FC東京はあっさりと勝点「3」を失った。 今季の東京のようなサッカーを持続するためには、最後の1秒まで集中力を失わないという、試合に対する強烈なハングリー精神を一人ひとりがもつ必要がある。でなければ、これから訪れる夏場はとても乗り切れないだろう。 「今日の“敗戦”は審判の責任ではなく、我われの責任だ」 これは、思わず口を滑らせたポポのコメントである。 彼らは「運」に負けたのでもない。自分たちの「心の隙」にヒザを折り曲げられたのだった。(この項おわり)
2012.03.20
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監督の文脈・12012年3月20日@国立競技場AFCチャンピオンズリーグ【GROUP・F】2nd-legFC東京 2-2 蔚山現代【得点者】前半37分 徳永悠平(東京)後半35分 キム・スンヨン(蔚山)後半38分 梶山陽平(東京)後半43分 マラニョン(蔚山)「まず、自分の心を落ち着かせなければなりません」(ランコ・ポポヴィッチ) 勝てるゲームを落としてしまった指揮官が、会見場に入ってくるなり開口一番で絞り出したひと言である。「結果に関してはポジティブにとらえたい」と、無理に強がってみたせたものの、ホームで2失点をきっした口惜しさがストレートに伝わってきた。もしこの試合がアウェイゴールの数が優先される決勝トーナメントであれば、記者の前でポポが見せた忍耐力は軽く吹き飛んでしまったろう。 シーソーゲームで先制したのは、FC東京だった。 一種のトリックプレーだろう。石川直宏のCKが、ゴールラインから30m以上も離れた位置にいた徳永悠平に直接渡ったのだ。フィリップ・トルシェが、中田浩二を使ってミドルシュートを撃たせたセットプレーと同種のものである。しかし浩二のそれよりも、トクは遠い位置に立っていた。彼のキック力を買ってのリスタートだろうが、あまりにも無関係な位置にいたトクに、ゴール前を数で堅めていた蔚山の選手は無警戒だった。 前線でカウンターを狙っていた蔚山の選手がワンテンポ遅れて詰め寄るも、トクはサイドバック持ち前のスピードでこれをかろうじて振り切る。そして緩い軌道を描いたシュートが、W杯ドイツ大会の代表GK・金永光(キム・ヨングァン)の手の先を抜けてネットにすぽりとおさまったのだった。 「ラッキー」と言われれば、たしかにそうだったかもしれない。だが、FC東京の戦略プランが生んだ先制点であったことは間違いない。むしろ「ラッキー」だったのは、東京が圧倒的に支配していた後半35分、金承龍(キム・スンヨン)の同点ゴールだったろう。 「中二日でどこまで動けるか」と心配していたナオ(石川直宏)が、セカンドボールに猛烈なチェイスをかけて相手GKの目前まで走りこむ。慌てた金永光は、とにかく早く、遠くへと蹴り出すほかなかった。 指揮権が大熊清からポポに譲られた今季の東京は、攻守の切り替えが格段にハイテンポになっている。そもそもポポは、サンフレッチェ広島を指揮したミハイロ・ペペロヴィッチ監督のアシスタントとして来日をはたした。09年に大分トリニータの監督を解任されたが、それはポポに責任があったからではなく、大分の経営状態に問題があったからだった。あのシャムスカの手腕をもってしても再生できなかった死に体のトリニータを引き継ぎ、10戦無敗という結果を残したのだ。ボクらにとっては、「もっと見てみたい」監督のひとりだった。そんな男に指導された今季東京のイレブンたちは、相手ゴールに急激に迫ったナオの姿を後方から眺めて、スイッチが「守」から「攻」へと瞬く間に変化していた。「気持ちを常に前へ向ける」ことが、指揮官の教えだからだ。一方、カウンターを食らった蔚山は、すでにエネルギー切れを起こしており、自陣まで戻る体力が残っていなかった。この両チームのギャップが、東京にとって不運であり、蔚山にとって幸運な同点ゴールをもたらすのだった。「スペース」と「数的有利」、「組織力」と「個人の力」など、矛盾の堆積であるミステリアスなサッカーが、ここでもまた意地悪な顔を出すことになる。森重真人だったろうか……。あっという間のことだったので、はっきりと確認できずじまいだった。全員の気持ちが前へ向かうなか、東京のDFがひとりだけ、最終ライン付近に残っていた。彼の周囲には5人の蔚山選手が残っており、そこに蔚山のGK金永光が単純に蹴り上げたロングボールが落下してきたのである。5人のなかでも、まだ23分しかプレーしていなかったマラニョンがひとり元気に抜け出し、昨季のガンバ大阪で6ゴールをあげた金承龍が最後を決めた。このゴールを「ラッキー」扱いとしたのは、そのあまりもの皮肉さだけを指したのではなく、オフサイドの判定を下されても不思議ではないシーンでもあったからだ。事実、ポポもこう言って苦笑した。「ウズベキスタンのレフェリーに“今のはオフサイドだったんじゃないのか”と確認したんだが、どうやら、彼らはコリアの審判団だったようなんだ」しかし彼の怒りが頂点に達したのは、3分のロスタイムを含めた残り13分間のなかに、今季のFC東京が抱える意外な落とし穴を目の当たりにしたからだった。(つづく)
2012.03.20
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Sep.02 FIFAワールド杯アジア最終予選@埼玉スタジアム 54,624(91.0%)日本 1-0 朝鮮民主主義人民共和国【得点者】後半 49分 吉田麻也(VVVフェンロ) ここ数年、日本の天気がおかしい。真冬なのに春のように温かかったり、肌寒さを感じるなかで揺れる菜の花を見つけたりする。8月のなかばにも、長袖が必要な夜があった。こうなると、いつから残暑が始まり、いつから秋になるのかもわからなくなる。日本人が古来から培ってきた「季節感」というものが、失われつつあるのかもしれない。 考えてみれば、日本に限定された話ではない。ここ数年来、世界各地から洪水や山火事、トルネードなどの被害を伝えるニュースが増えてきた。先月23日にも、有感地震が少ない地域として知られるアメリカ東海岸をマグニチュード5・8が襲った。震源地のバージニア州では、なんと114年ぶりの天変地異だったという。 日本がおかしいのではない。地球がおかしいのだ。3・11の前にも南アジアのスマトラ、カリブ海のハイチ、南太平洋のニュージーランドと大規模な地震が続き、「日本を襲うのは時間の問題」と直感した筆者は、思わず震災セットをデイパックに詰めたほどだ。 この惑星でサバイバルするための極秘プロジェクトが、どこかの国で進められていても、決して「フィクション」とは言えなくなった。いまさら「地球に優しく」なぞと声高に吼えてみたところで、日本人だけの努力では解決できない。島国ニッポンの周辺国には、ひどく民度の低い大国もあるのだ。呼吸しているだけでも環境を破壊しているのに、そうした現実を直視せず、対処の手も伸ばそうとしない国が──。 この日の埼玉スタジアムの上空は、そんな地球の現在地を象徴するような天候だった。暴れ者の台風12号が直撃するというので、浅草で購入した祭礼用のレインコートや大型の傘を持参したのに、あっさりと肩透かしを喰らった。かと思えば、前半10分過ぎから雨足が強くなりはじめ、強風に乗った雨粒が屋根付きのメインスタンド記者席まで吹き込んできた。手元の資料はあっという間に無残な状態となり、大勢の記者たちが蜘蛛の子を散らすように上へ上へと立ち去った。 試合前には虹まで出ていた信用のおけない空に、雨が止んでからも戻ろうとする者はなく、記者席はガラガラ状態だ。なかにはスタジアム地下のプレスルームまで逃げこんだ記者もいて、100%安全なテレビ観戦を決め込んだらしい。はたして彼は、お茶の間視線の情報でどんな記事を書いたのだろうか。 ザックは中盤に優秀なパサーを集めた4-2-1-3(=あるいは4-2-3-1)システムを選択した。「2」は、左が遠藤保仁(=ガンバ大阪/31歳)、右がゲームキャプテンの長谷部誠(=シュツットガルト/27歳)である。トップ下には昨季、サンフレッチェ広島から浦和レッズへ完全移籍した柏木陽介(=23歳)、左がいま最注目の「日本版メッシ」香川真司(=ドルトムント/22歳)、右が「ダインビングヘッド野郎」の岡崎慎司だ。そしてセンターフォワードを務めたのが、おそらくはこの試合を最も楽しみにしていたであろう李忠成(イ・チュンソン=サンフレッチェ広島/25歳)だった。 狙いは明らかだ。ボールを失うことがめったにない「2」でパスを回し、正確なフィードで前線の3人にチャンスを作らせる。セカンドが生まれても、バックアッパーに陽介がいる。つまり、日本の波状攻撃を予想させるような選手起用だった。 コイントスで勝ったにもかかわらず、ハセがなぜ強烈な風下を選んだのか謎だが、その先で待っていたのは、まるでこの日の天気のようにグズついた内容だった。前線の3人が5人の北朝鮮守備陣に絡めとられ、日本の心臓部であるヤットも徹底マークに遭う。 右ヒザの半月板損傷で戦列を離れた本田圭祐(=CSKAモスクワ/25歳)は、力強さやミドルシュート、プレースキッカーという点で、たしかに日本の引き出しの数を少なくさせた。かろうじてベンチ入りはしたものの、右足親指骨折に見舞われた中村憲剛(=川崎フロンターレ/30歳)が使えないのもわかっていた。だがいずれも、日本が誇るダイナモ・長友佑都(=インテル/24歳)不在ほどの影響ではないはずだ。彼がいれば、前線が4人になるシーンが、駒野友一(=ジュビロ磐田/30歳)以上に増えるからである。このゲームで筆者は、あらためて彼の存在の大きさを知ることになった。 「日本20本」「北朝鮮5本」という両チームのシュート数が示すように、日本のゲーム支配率は北朝鮮をはるかに上回っていた。記録によれば「日本66・1%」「北朝鮮33・9%」である。このようなアンバランスすぎるゲームでも、支配率の少なかったチームが最終的に勝利するというケースは、サッカーではよくあることだ。たとえば66年のワールド杯イングランド大会で、北朝鮮はイタリアを破ってベスト8に進んでいる。サッカーという競技は、こうした矛盾した側面も合わせもつ。それだけに日本は、前半2分のピンチをしのいだのが大きかった。 たしか今野泰幸(=FC東京/29歳)ではなかったかと思う。北朝鮮の右攻撃的MFチョン・イルグァン(=鯉明水、11番)は、昨年のU-19アジアユース決勝でオーストラリアを相手にハットトリックを記録した18歳である。同大会のMVPと、AFCの年間最優秀ユースプレイヤーにも輝いた危険な選手だ。中盤を省略し、ワントップに入った鄭大世(チョン・テセ=ボーフム/27歳)のフィジカルに活路を求めようする北朝鮮の守備陣が、右へワイドに開いたイルグァンにロングボールを送り込んだ。 自陣ゴール前、30mのゾーンで人数をかける北朝鮮は、攻撃に駒数をさけない。したがって、とりたてて危険なシーンには見えなかった。ところが、彼とのマッチアップにうまく対応したはずの今野が、濡れたピッチでスリップダウンしてしまうのだ。イルグァンはそのままドリブルでゴールエリア内に侵入し、強烈なシュートを放った。 サイドネットを突き刺したボールに安堵のため息をついたものの、イルグァンがテセにマイナスのパスを送っていたかもしれないと思うと、背筋に冷たいものが走る。なにしろ日本はその後92分間、一度も北朝鮮のゴールを割れていない。この日の北朝鮮に先制されてしまえば、彼らはなおさらディフェンシブな闘い方で臨んでくるだろう。ほぼ、お手上げである。 「今日の北朝鮮のパフォーマンスは、私がこれまで観たなかでも最高の集中力を保っていました。彼らの闘い方が良かったんだと、今日は率直に認めるべきでしょう。徹底的に引いてゴールにフタをして、入ってきたボールに対してだけアグレッシブに対処するというスタイルでした。このような天候のなか、日本はグラウンダーのパスで素早いコンビネーションを作り、相手の裏をとっていくことが必要です。ところが、ゴール前での相手の数が多すぎて、我われのスペースを閉じてきた。必然、日本はさらにスピードを上げていかなければならず、ミスが増えていきました」 アルベルト・ザッケローニは、「我われは志の高い集団です。日本が勝つのは当然でしょう」と言いながらも、北朝鮮にあと一歩まで追い詰められた心境を淡々と述べた。 (つづく)
2011.09.05
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話は横道にズレるが、東北の被災地を訪れた管直人総理が、被災者たちに罵倒されるニュースが何度もテレビで流された。筆者としては、こうした報道の裏に、何か歪曲した、不気味なものを感じてならない。 昨年の5月、メキシコ湾での原油流出事故で、バラク・オバマ大統領がやはり被災地を視察に訪れている。一国家の首長として現場の様子を生の視点からつぶさに見つめるのが、なぜ批判の対象になるのかが疑問である。そもそも今回の放射能事故は、いったい誰の責任だったのか。おそらくは電力会社から裏金をもらい、巧みな言葉と金の力で福島に原発を築いたのは、いつの時代の話だったのか。たとえば、06年当時の国会答弁を参照されたい。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-02/2006030201_01_0.html この共産党の議員は、京大を卒業した原子力の専門家だ。福島第一原発の危うさをピンポイントで指摘していたにもかかわらず、当時の総理たちは官僚から渡されたカンペを読み上げただけで事をうやむやにしようとした。憲法20条には「信教の自由と政教分離」の原則が明記されているが、明らかな憲法違反の政党を味方につけ、数の理論でドイツやニュージーランドで失敗した郵政事業も民営化した。 日本は中国や北朝鮮とは違うシステムをもった国だが、大手メディアによる情報操作が平然と行なわれている疑いがある。彼らの背後で糸を操る、不気味な力の存在を感じてしまう。 物事には、様ざまな側面がある。それが公平に議論される場がなくては、民主主義は成立しない。国民の民度も成長しない。それはアジアの周辺国家を眺めても、明らかだろう。 たかがスポーツかもしれない。だが筆者は、そのような立脚点で「J-WORKER」=「Jの労働者」を書いてきた。このところ更新頻度が悪く、当方の考え方や視点にも甘さがあるかもしれない。だが、このブログを読んでくれることで、何かを「考える」きっかけになってもらえればありがたいと思うのである。危険なのは、流された情報を、そのまま鵜呑みにすることだ。 閑話休題。 「もっと自信をもってプレーしろ。慌てずにボールをつなぎ、しっかりコントロールしろ」 ハーフタイムでピクシーは、そう選手たちに檄を入れた。しかしエンドが変わった後半に入っても、グランパスの内容に大きな変化はなく、まるで試合終了のホィッスルを待っているような体たらくぶりだ。冷静沈着なプレーを維持したのは、45分で2点のアドバンテージを得たレッズだった。2月26日の大宮アルディージャとのプレシーズンマッチから完成したマシュー・スピラノビッチと永田充のCBコンビでしっかりと守り、グランパスが不用意にこぼしたボールを奪って素早いカウンターを仕掛けるという明確な目標があった。 33分、「今年は10ゴールが目標」と言って憚らぬ元気に、待望の今季初ゴールが生まれた。田中隼磨が珍しく犯したミスが、レッズに3点目への突破口を与えたのだ。隼磨のトラップミスを奪った元気が独走、ナラが再び弾いたシュートを、勢いそのまま押し込んだ。 ピクシーの嘆き節が続く。 「ケネディがゴール前2mのところで決められなければ勝てないよ……」 オーストラリア代表のジョシュアを抑えたのは、同じオーストラリア代表で1cmの身長差しかないスピラノビッチだった。 ちなみにオーストラリアにスピラノビッチのようなユーゴ系の名前が多いのは、おもにクロアチア人の移民が多いからだ。たしかアデレードだったと思う。「クロアチア」の名前が付いたクラブチームを見た覚えがある。この国では、地震を嫌がったギリシャからの移民たちにタクシーの運転手が多く、92年のユーゴスラビア連邦の崩壊後に同国からの移民が急増したのだ。 そのユーゴ連邦の子孫が、グランパスのハイタワーを完封してみせた。前半38分、淳吾からのクロスを頭にかすめただけで決定機を逃したジョシュアは、後半20分にも謙佑から送られたクロスを外している。過去のデータによれば、ジョシュアの枠内へのシュート率は40・2%、エジの47・7%を下回る。彼には、今後よりいっそうの精度の高さが求められていくだろう。 それにしてもグランパスは、優勝した昨年もアントラーズに1-4、川崎フロンターレに0-4という敗戦をきっしている。この悪い癖が”2度目の開幕戦”で再現されたのは、むしろ好都合だったのかもしれない。 「がっかりするのではなく、一つの教訓としてとらえていきたい」 ピクシーはそんな言葉で会見を結び、前を見つめた。 だが”2度目の開幕戦”屈指の好カードと思われた埼玉でのゲームは、けっきょくグランパスの自滅で期待外れの結果に終わってしまったのである。再スタートを切ったばかりの長いリーグ戦を盛り上げるためにも、今日の反省を次に生かしてもらいたい。 【了】
2011.04.27
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Apr.24 J1第7節@埼玉スタジアム 42,767人(70.1%)浦和レッズ 3-0 名古屋グランパス【得点者】前半12分 マルシオ・リシャルデス(レッズ)前半25分 田中達也(レッズ)後半33分 原口元気(レッズ)「残念ながら今日は”グランパス・サンデー”とははなりませんでした。セカンドボールどころか、ファーストボールからサードボールまで全部もっていかれましたから……」 そう自虐的に振り返ったドラガン・ストイコビッチは、力なく笑うほかなかった。「負けたのは論理的な結果だったよ」と、ユーゴ代表時代にともにプレーした敵将と試合後の握手をかわしている。 圧倒的な強さでリーグを初制覇したディフェンディング王者が、ここ数シーズン低迷する浦和レッズに、まさかの0-3である。しかも今季は他クラブとの壮絶な争奪戦のすえ、50mを5秒8で走り抜ける永井謙佑の獲得に成功した。財政難に陥った大分トリニータから移籍した金崎夢生に続き、今季は清水エスパルスからプレースキッカーの藤本淳吾を引き抜くという効果的な補強をはたしている。 「だけど、今日は私のチームじゃなかった。0-3で終わって、まだ良かったんじゃないかな。もっと最悪の結果も考えられたからね」 ピクシーは、「打つ手なし」とでも言いたげだった。今季開幕戦で横浜F・マリノスと引き分けたあとは、ACL3試合で7ゴールを量産している。FCソウルとのアウェイゲームに完勝した試合は、名古屋らしいアタッキング・フットボールを見せ、敵地に乗り込んだサポーターの溜飲を下げさせた。 3月11日に直撃した未曾有の震災で国全体が喪に服してから、トレーニングマッチしか経験していない浦和レッズに対して、名古屋グランパスはガチンコ試合の連続である。どの要素を勘案しても、彼らが大差で敗れるという要因は何ひとつもなかったのである。 ”2度目の開幕ゲーム”の初日となった土曜日のリーグでは、同じような事件が起きている。オズワルド・オリヴェイラ率いる手堅さが持ち味の鹿島アントラーズが、横浜F・マリノス戦で、やはり0-3で完敗したのだ。1年7ヶ月ぶりの出来事だったという。そしてこの日は、セレッソ大阪が被災クラブのモンテディオ山形戦でスコアレスドロー、日本のトップクラブのひとつであるガンバ大阪にいたっては、昨年の柏木陽介に続き、槙野智章までも他クラブに奪われたサンフレッチェ広島に1-4の大敗だ。 ACLに出場している日本の4クラブが、いずれも結果を出せずに躓いた。「ACLとリーグ戦を同時に闘わなければならないというタイトなスケジュールが、選手を疲れさせているのだ」などという言い訳は、聞きたくもない。「Jは代表の心臓部」とアルベルト・ザッケローニに言わしめた国内リーグを闘い抜けずして、アジアのナンバーワンを目指せるはずもないではないか。彼らに共通して欠けているのは、欧州チャンピオンズリーグの強豪クラブが備えている「逞しさ」だろう。 レッズは装甲車のような機動力をもつエジミウソン、一方のグランパスは194cmの”ハイタワー”ジョシュア・ケネディをワントップにすえ、両チームとも4-2-3-1のシステムで対峙した。すなわち、「剛」と「高」のワントップ対決である。ところがグランパスのプレーヤーたちは、トゥーリオから夢生にいたるまで、前半から雑なプレーが目立ち、去年のリーグ戦で17ゴールを叩き出した自慢のハイタワーや、一瞬にして相手を置き去りにする俊足のU-22代表までなかなかボールが回らない。 玉田圭司が右ヒザ打撲で戦線離脱、右足中足骨を骨折したルイス・ダニルソンの復帰は早くても5月の連休明け、もともと期待外れだったイゴル・ブルザノビッチも十字靭帯の断裂でさらに復帰は遅くなる。ケガ人続出のチーム状況はたしかに痛いが、問題は別のところにあったのではないか。中途半端なプレーからことごとくボールを奪われ、一転、守勢に立ってしまうシーンが何度も見られた。こんな有りさまでは、体力も精神力ももつはずがあるまい。ピクシーが指摘したとおり、まさに「論理的な結果」が待っていたわけだ。 逆にレッズの狙いは、極めて論理的だった。 グランパスは攻撃好きな選手を中盤に多く抱える半面、ディフェンスラインの上がりが遅れ気味で、3列目の後方にポッカリとスペースが空きやすい。トゥーリオと増川隆洋のCBコンビに、楢崎正剛という日本を代表する守護神を擁するグランパスとはいえ、彼らの前に空いたスペースをうまく利用できれば、レッズにもゴールへの道筋が見えてくるのだ。 ゼリコ・ペトロヴィッチが「本当にいろいろな所に顔を出してくれた」と賞賛を贈ったように、エジの動きに警戒を強めたグランパスの守備陣が引っ張られ、ただでさえ危険に空いていたスペースにギャップが生じた。その結果、そこへ侵入したマルシオ・リシャルデスや田中達也、そして原口元気らレッズ2列目の3人を活気づけたのである。事実、この3人ですべての得点を奪っている。運悪く観戦を逃したファンにとっても、これ以上わかりやすい展開はないだろう。 グランパスは、先制ゴールをあげた試合に強い。しかし、ナラが守るグランパスのゴールを先に突き刺したのは、やはりレッズだった。 前半12分、エジが右ウィングの達也にパスを送り、強烈なシュートを引き出す。そして名手の両手を弾いたボールに、運動量豊富なマルシオが食いついて押し込んだ。アルビレックス新潟4シーズンで絶対的な司令塔として君臨し、昨季は直接FKによる7ゴールを含め、自己最多の16ゴールでベストイレブンに初選出された男だ。アルビレックス時代の5倍にあたる、2億5000万の年俸で獲得したといわれるマルシオの値段が相応だったのかどうかは、彼自身がこれから証明してみせるだろう。 続く25分、陽介の縦パスを受けたマルシオが、ゴール前の達也に送って追加点を奪う。このときも、エジが巧みなフリーランニングによってグランパスのディフェンスラインに隙を与えていた。得点こそ奪えなかったが、彼のチームプレーに徹したパフォーマンスが、ペトロの賞賛を呼んだのである。 97年12月の天皇杯でデビューを飾り、そのゲームで鮮やかな先制ボレーを決めたペトロは、レッズのフロント陣が願ってやまなかった攻撃サッカーを標榜する。昨年と一昨年は、その望みをフォルカー・フィンケに託したが、それぞれ6位と10位に終わり、彼らの目論見はあえなく裏切られている。04~06年にわたってギド・ブッフバルトが築いたレッズの黄金期は、もはや昔の話となりかかっていた。そのうえ10年度の決算は、マルシオの年俸とほぼ並ぶ、クラブ史上初の2億6000万円の赤字だ。それだけにギドと同様、レッズのOBであるペドロにかかる期待はなによりも大きいのである。 この日のゲームでは、テーブル付きの「WONDERシート」が数時間で完売したという。後ろ向きの話題が続くなか、サッカーを観たくても叶わなかったレッズ・サポーターのストレスは、爆発寸前だったということだ。【その2に続く】
2011.04.27
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J1リーグ第26節@埼玉スタジアム 32,902人(53%)浦和レッズ 2-0 セレッソ大阪【得点者】前半14分 エジミウソン(レッズ゙)後半34分 原口元気(レッズ) このスタジアムで空席の目立つ光景を目にするのは久びさだった。相手は3位のセレッソ大阪だ。独走を続ける名古屋グランパスの初優勝は時間の問題だとしても、2位鹿島アントラーズとの勝点は「1」、4位ガンバ大阪との差も同じく「1」、3位と4位では賞金額が2千万円も違ううえ、ACLの出場権を手にするためにもセレッソは負けられない一戦だった。 ホームの浦和レッズはより深刻だ。ロブソン・ポンテ、鈴木啓太、梅崎司、宇賀神友弥、マシュー・スピラノビッチと次つぎと負傷者が発生したのが影響して8位に低迷する。やはりアジアの頂点を狙う彼らにとって、このゲームの勝敗は今後を大きく左右するものだった。勝利を手にすれば、この時点で5位の川崎フロンターレの勝点「41」と並ぶが、落とせば10位のアルビレックス新潟に並ばれる可能性がある。 そんな、両チームにとって非常に重要な一戦にもかかわらず、なぜ空席が目立つのか……。と、ここまで考えたところで思い当たったのが秋祭りの余波である。筆者自身、蕨神社の宵宮をキャンセルしてスタジアムに駆けつけたが、この日はより賑やかな川越神社の祭礼とも重なる。両神社の祭りだけでも、おそらくは1万人前後の観衆が奪われたのではないだろうか。なぜなら我われ関東の東地区の人間にとって、埼玉の神輿が今年1年を締めくくる最後の祭礼だからだ。 閑話休題。 「私が監督に就任した昨年は33人の選手がいましたが、その後12~13人の選手がチームを去り、5~6名の選手を補強しました。結果、今年の選手数は27人にまで縮小しています」 フォルカー・フィンケ監督はチーム規模が小さくなったなかでのケガ人続出を嘆き、やりくりに苦労している様子を窺わせた。しかし、彼の信念は変わらない。「ひとりの選手が前半だけで3~4回のスペクタルなプレーを見せたとしても、チームの一員として闘えなければ、そういう選手は必要ありません。近代フットボールでは数的有利をつくることが重要だからです。チームの総合力を改善できる選手こそが、私にとってはベストなプレーヤーといえます。たしかにここ数週間、チームは厳しい環境下におかれてきました。しかしそれが逆に、チーム一丸となって闘える力を与えたのかもしれません」 ひとりの選手に他クラブよりも予算をかけるが、そのぶん、支配下選手の数を抑える。それが近年のレッズの方針のようだ。だが、負傷者が続出してはかなわない。それでも苦しい台所事情のなか、レッズはこの3週間で3勝を重ねてきた。第24節のアルビレックスを2-0で完封、天皇杯の3回戦・徳島ヴォルティス戦でも同じ結果を残し、前節の埼玉ダービーでは前半の2点だけで大宮アルディージャを振り切った。 しかし7月末の第16節・埼玉ダービーで敗れたのを手始めに3連敗をきっしたレッズは、19節からのリーグ戦6試合でドローと勝利をまるで約束事のように繰り返している。この隔靴掻痒の時期が続いたのが、なかなかAクラスに加われない原因となっていた。チームに統一感が生まれ始めているのは、指揮官が指摘する「負傷者続出の反動」だけではなく、「いよいよ尻に火がついた」という危機感も彼らの背中を押しているのではないか。勝負は時の運でもあるが、「これ以上は落ちない」というのが、「強豪」といわれるチームの最低条件なんである。 セレッソ大阪には外様の選手が多い。意地の悪い言い方をすれば「借り物」の選手が多い。この日のスタメン表を見ても、ベンチ組も含めて下部組織から昇格したプレーヤーは、7月の第11節からスタメン入りした丸橋祐介ひとりしかいない。自前の選手を奨励するJリーグでは、セレッソのようなチームに改善を促すために、「1試合3人以上のユース上がり」など、今後なんらかの条件を設定する動きがある。その時が来てから、思いついたようにユースの選手を起用しても手遅れだ。セレッソの強化スタッフには、今後に向けての準備を早急に手がける必要があるだろう。 そんなつぎはぎだらけのセレッソが今季躍進の足がかりをつかんだのは、5月の連休明けからだった。曲者のジュビロ磐田に3-0、サンフレッチェ広島にも5-0と圧勝、ナビスコ杯の決勝に駒を進めた両チームを叩きのめしてしまったのだから浪速の下町住民たちが溜飲を下げるのはもっともだった。ワールドカップ後にはキーマンの香川真司をドルトムントにさらわれたにもかかわらず、記録的な猛暑の8月に5連勝を記録している。 好調セレッソの鍵となるのは、以下の3点だろう。 まず、センターバックのふたりだ。元FC東京の茂庭照之、元大分トリニータの上本大海で組むセレッソのセンターは、J1リーグ18チーム中、鹿島アントラーズと並ぶ最少失点「23」でレッズ戦を迎えていた。 次に、彼ら最終ラインと攻撃陣の間を繋ぐマルチネスとアマラウのダブルボランチである。中盤の底でタクトを揮うマルチネスと、絶妙のタイミングで攻撃参加するアマラウの息がぴたりと合っている。 さらに、前線の4人の元気ぶりもあげられる。俊足の元横浜F・マリノス乾貴士に加え、反町康治率いる五輪代表当時に頭角を現した元ガンバ大阪の家長昭博、神出鬼没の動きを見せる元大分トリニータの清武弘嗣、そしてカードが多いのが少々気になるが、見事なトラップ技術と屈強さを備えるアドリアーノ……、この4人で、今季のセレッソはバイタルエリアを引っ掻き回してきた。 生観戦できる機会が少ない関西のチームだけに、彼らの強さの秘密を探りたかったというのも、蕨の宵宮をキャンセルした理由でもあった。ところがいざフタを開けてみると、チームとしての強さに圧倒的な物足りなさを感じる始末である。レヴィー・クルピ監督も、相当な憤りをもって選手たちを叱りつけたのではないかと推察できる。「レッズには球際の強さとチームとしてのスピリットがありました。ウチには、それが足りませんでした。妥当な結果だったんじゃないでしょうか。前線の選手があれだけのチャンスを作りながら、1点も奪ることができてないんですから。彼らはドリブル好きですが、それが彼らのストロングポイントでもありますから否定はしません。まだ成長過程ということなんでしょうね」 前半14分、レッズの選手ふたりに囲まれたマルチネスがレッズのペナルティエリア内で転倒する。てっきりホィッスルかと思いきや、そのままプレーが流され、一瞬の隙を突いてできたスポットからエジミウソンに先制された。 フィンケは24分、エジの先制をアシストした田中達也が負傷したため、高崎寛之を投入する。10月2日の埼玉ダービーで今季初先発、いきなりJ1初ゴールをあげてスタメン争いに殴りこみをかけた24歳だ。しかし後半31分、前がかりになるセレッソの攻撃に対応するため、高崎を下げて堀之内聖をピッチに入れ、トリプルボランチで中央を固めた。 高崎同様、やはり先発争いを続け、またゴールにも飢えていた原口元気の追加点はその直後に生れた。大好きな左サイドで宇賀神からのパスを受けた元気が、そのままドリブルで中央まで切り込み、右足一閃のゴールを決めたのだ。点差がさらに開いたセレッソからはすっかり覇気が消え失せ、今季開幕の大宮戦以来の2点差でゲームを落としてしまう。どうやら、セレッソと埼玉は相性が悪いらしい。 一方のフィンケは選手一人ひとりの名前を出すほどのご機嫌ぶりだ。 「山田(暢久)はシーズンを通して一定のパフォーマンスを見せることのできる選手です。ヘディングが強く、視野が広く、瞬発力も申し分ない。坪井(慶介)は常に10ポイントを与えることのできる闘える選手です。それまでのリベロを背負う戦術から4バックに変えたことで、さすがの彼も戸惑った時期がありましたがね。柏木(陽介)は日を追うごとに大切な選手になっています。前回のセレッソ戦(=3月27日、3-2で勝利)では阿部(勇樹/9月12日登録抹消。レスター・シティに移籍)とボランチを組みましたが、自分に与えられた役割をよく理解しています。細貝はアグレッシブで、ボール奪取に優れています。高崎は彼の長所である瞬発力を、どうチームに生かすかをもっと学んだほうがいいでしょう。宇賀神も完全な形でチームに復帰することが重要ですね。(ウィルフリード)サヌーは、代表(=ブルキナファソ)に呼ばれてケガをして帰ってきたのが痛かったです。それから今日からは、(鈴木)啓太もベンチに戻ってきました……」 もう、きりがない。背水の陣で臨んだホームゲームで、好調セレッソに勝利したことがよほど嬉しかったにちがいない。対照的なのはセレッソである。ここ一番というときの弱さは、寄せ集めチームの宿命なのかもしれない。 ひどいときには乗り込んでから駅まで1時間前後もかかるメディアバスが、ほとんど渋滞にもひっかからずにすいすいと浦和美園駅まで到着した。1週間前のアルゼンチン戦がウソのようである。ちなみにアルゼンチン戦については、明日の蕨の宮入が終わってからゆっくりとプレイバック・レポートを書く予定である。【了】
2010.10.18
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6月24日グループE第3戦@ロイヤル・バフォケン(ルステンブルク) 27,967人(73%)デンマーク代表 1-3 日本代表【得点者】前半17分 本田圭佑(CSKAモスクワ) 30分 遠藤保仁(ガンバ大阪)後半36分 ヨンダール・トマソン(フェイエノールト) 42分 岡崎慎司(清水エスパルス) ワールドカップの開幕前、浦和レッズの原口元気と話す機会に恵まれた。サンフレッチェから電撃移籍した柏木陽介にポジションを奪われ、今年は途中出場のゲームが目立つ。しかし19歳の彼が、今後のレッズを背負う期待の若手株であることに疑いの余地はあるまい。 意地悪を意図したわけではないのだが、こんな質問を投げかけてみた。 「今回のワールド杯でブレイクする候補のひとりとして、デンマークのニクラス・ベントナーの名があがってます。元気は次のブラジル大会の前年に22歳になるわけだけど、いま同じ年齢のベントナーが注目されていることをどう思いますか」 彼の返事は「…………?」だった。筆者は「……ですが?」で終わるような、相手に下駄を預けた、漠然とした質問の仕方を好まない。かなり具体的に質問したつもりだったのだが、レスポンスを返してくれたのは見るに見かねたクラブ関係者だった。 「高卒だから」とか「まだ19歳だから」では、すませてほしくない。ジャーナリストからの質問に対しては、自分の頭で考えた回答を導き出してほしいと願う。将来、どこの国でプレーしようとも、求められるのはひとりの大人としての姿勢だろう。大人と子どもの違いは何か。それは「責任の有無」、すなわちインディペンデントになれるかどうかだからだ。 次のアジア予選では、ロンドン五輪世代の元気も代表候補のひとりに入って不思議ではない年齢だ。そのときにベントナーのように、世界のクラブから注目されるような選手になれているのかどうか。あるいは旋風を巻き起こしているチリのアレクシス・サンチェスのように、自分の頭で考えた強烈なプレーを引き出すことができるのかどうか。ちなみにサンチェスは、まだ20歳なのだ。 この日はリオネル・メッシ23歳の誕生日であるとともに、俊輔のバースデーでもあった。なぜ覚えているかというと、筆者の誕生日でもあるからだ。 だが当然のことながら、先発メンバーに変わりはなく、イレブンには連戦の疲れが残っていたようだ。勝利を手にしたほうが予選突破という大一番で、序盤の日本はデンマークのパス回しとスピードになかなかついていけなかった。 しかし北欧勢をはじめとする長身チームとの対戦は、それほど相性が悪くない。たとえば加茂周時代の95年、ノッティンガムで行なわれたアンブロ杯で引き分けたスウェーデンには、翌96年のカールスバーグ杯でも90分間ドローに終わっている(=PK戦で4-5)。 デンマークとは71年、コペンハーゲンで行なわれたテストマッチで岡野俊一郎率いる日本が2-3と惜敗した。長身選手が多い彼らは、そのあまりもの高さから小兵でスピードのある日本の攻撃陣をつかまえきれないのである。そして日本には「引き分け以上で決勝トーナメント進出」が決まるというアドバンテージがあったが、デンマークは「勝たなければ次に進めない」という切迫感がある。。この現実が、両チームの選手の真理にに微妙な影を落としていたことは否めないだろう。 オランダは日本最大の武器であるフリーキックを与えまいと、自陣バイタルエリアで慎重なプレーに配慮していたように見えた。しかしデンマークはGKトーマス・ソーレンセンを筆頭に190cm台の選手を数名擁する。ストッパーのダニエル・アッガー(=リバプール/25歳)が190cm、彼と組むペル・クロドルップ(=フィオレンティーナ/30歳)はベントナーと同じ194cm、後半10分に投入されたセーレン・ラルセン(=デュイス・ブルク/28歳)も193cmといった具合である。体重85kg前後の肉体を引きずりながら小兵を止めようとする彼らにも次第に疲労が見えはじめ、武器であるはずの長い足が危険な位置でのファウルを誘うのだった。 前半17分の本田の無回転フリーキックは、彼が得意とするペナルティエリアの右から放たれたものだ。同じく30分のヤットのフリーキックも、得点率の高いゴール正面の位置からカーブを描きながらゴールに吸い込まれたものだ。展開のなかからの決定力に欠く日本にとって、これらふたつのゴールは貴重な「ボーナスポイント」だったともいえる。デンマークには変化球をもったキッカーがいなかったことも幸運だった。レフェリーの判定は一見デンマーク寄りだったが、じつは運を味方につけたのは日本だったのである。 後半はデンマークのパス回しにもすっかり慣れてきた日本だったが34分、エリア内でのハセのプレーがアッガーに対するプッシングと判断され、PKを奪われてしまう。永嗣の驚くべき好セーブで一度は阻んだものの、キッカーのトマソンが跳ね返ったボールをそのまま押し込んで1点差に詰め寄った。 日本はグループ予選を1位突破すれば、やはり長身選手を多く抱えるグループF2位・スロバキアと決勝トーナメントで当たることになる。逆に2位突破となると、堅牢な守備を誇るパラグァイとの対戦だ。スロバキアのほうが組みしやすいのは明白だったが、飛び道具しかない日本に多くを期待するには無理があった。 しかし後半43分、なんとしても同点を狙うデンマークの守備の枚数が少なくなったところで、本田がキープしてひとりかわす。直後GKの詰めによってシュートコースを失ったと見るや、後方から駆け上がってきたオカに回してとどめの3点目を加えたのだった。ロスタイムに入って残り1分、ペナルティエリア内で犯したハセのハンドリングが見逃されたのも日本には幸運だったといえるだろう。 さて、ベスト8進出をかけた次戦は、いよいよパラグァイである。イタリアを予選から蹴落としたスロバキアを0-2で破ったイヤな相手だ。しかも南米予選ではホームでブラジルとアルゼンチンの2強を破り、一時は予選2位につけていた。ロングフィードを得意とするビクトール・カセレスが累積で出場停止となるはずだが、ホナタン・サンタナ(=ボルフスブルク/28歳)やエドガル・バレット(=アタランタ/25歳)が彼の穴を埋めるだろう。決戦は29日のプレトリア、日本時間2300である。カメルーン戦で手繰り寄せた日本の幸運は、このままパラグアイ戦でも続くのだろうか。
2010.06.25
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6月19日グループE第2戦@モーゼス・マヒダ(ダーバン) 62,010人(91%)オランダ代表 1-0 日本代表【得点者】後半8分 ウェズレイ・スナイデル(インテル) 日本は明らかなカウンター狙いだったが、確実なボール保持ができないかぎり深追いはしない。後半20分を過ぎたころになると、目に見えて消耗する傾向がある。ここで頑張れるかどうかが命運を握るため、後半に向けて体力を温存しようとした前半だった。結果、オシムが指標とした「日本のサッカー」はほとんどできなかったといってよい。だがカメルーン戦でひとつになった各選手は、役割分担が明確になりつつあった。遠藤保仁(=ガンバ大阪/30歳)はボールチェイシングにも奔走し、阿部勇樹(=浦和レッズ/28歳)と長谷部誠(=ボルフスブルク/26歳)のふたりと形成する中盤が、オランダの危険なアタッカーたちを絡めとろうとしていた。お世辞にも「完璧」とは言えないまでも、彼らの中盤がよく効いていたのは間違いない。 しかも今大会は、ヨーロッパ組に躓きが目立つ。 グループAでは、前回準優勝国のフランスが第2戦(=16日)のメキシコに0-2で完敗、ニコラ・アネルカとレイモンド・ドメネク監督の決裂をきっかけに、南アフリカ(=22日)にも2点を先行されて予選敗退をきっしている。 グループBでは、韓国が04年ヨーロッパ王者のギリシャ(=12日)を2-0で破り、同じくCではアメリカ(=12日)とアルジェリア(=18日)に引き分けたイングランドが薄氷のスタートを切っていた。 ヨーロッパ組に感染した衝撃は、まだまだ続く。グループHではスペインが初戦のスイスに0-1で敗れるという大波乱があった。グループFのFIFAランキング4位・イタリアにいたっては、80位のニュージーランドから1点も奪えず、31位のスロバキアには3失点を許して南アフリカから姿を消した。 「もしかしたら、日本にもジャイアント・キリングという幸運が訪れるかもしれない……」 何が起きてもおかしくはなかった。オランダに圧倒的にボールを支配されながらも、「もしかしたら」という儚い期待を観戦者が抱いたとしても不思議ではない大会と化していた。 前半25分過ぎからじょじょにギアを上げはじめた日本は、本田の積極性が光り、大久保嘉人(=ヴィッセル神戸/28歳)の肉体も切れていた。しかし本来のジャパネスク・フットボールが陰をひそめ、オランダ守備陣を脅かすにはいたらない。スナイデルのミドルシュートが日本のネットを突き刺したのは、そんな矢先の後半8分の出来事だった。 その10分後、采配ミスとしか思えぬのが松井大輔と中村俊輔(=横浜F・マリノス/31歳)の交代である。 以前から指摘してきたことだが、現在の俊輔には全盛時のようなピンポイントのサイドチェンジが見られなくなった。味方の上がりを待ってからボールを離そうとする反応の遅さは、後方から彼を抜いていく選手が少なかったことにも原因があるが、だがそれにしても、ボールキープの不安さも露呈したあげく、奪われたボールを2度にまでわたってシュートへもっていかれている。 追加点を奪われれば、得失点差でデンマークと並んでしまうのだ。「結果論」と言ってしまえばそれまでだが、「采配ミス」を指摘されても仕方のないカードの切り方だった。選手のコンディションを最もよく理解しているのは、指揮官にほかならないからだ。 オランダの数少ない「穴」といわれたジオヴァンニ・ファンブロンクホルスト(フェイエノールト/35歳)攻略に期待がかかったのが、松井である。さほど身長の変わらぬ松井のドリブルでオランダの左サイドを突破し、圭祐や嘉人を使う、あるいはハセの飛び込みを狙おうというのが指揮官の意図だったのだろう。加えて松井のポジションで突っかけてファウルを奪えれば、プレースキッカーを務める圭祐にも絶好の位置となる。 ただ肝心の松井が、描いた絵図の働きに充分応えることがでないでいた。さらに俊輔の投入で増やしたはずのパスの起点は、予想以上に脆く、まるでマイナス1名で闘っている錯覚にも襲われた。ここは「パサー」と「ドリブラー」という引き出しを兼ね備えた中村憲剛(=川崎フロンターレ/30歳)というカードはなかったのだろうか。いまだに悔やまれる後半の25分間だった。 予想していた通り、日本は後半25分過ぎから疲労が見えはじめるようになる。すくなくともスコアをイーブンにもっていかなければならないという気持ちが焦りを生み、そのストレスが、守りに徹した各選手からさらにエネルギーを吸い取っていくようだった。指揮官は残り15分で岡崎慎司(=清水エスパルス/24歳)と玉田圭司(=名古屋グランパス/30歳)という交替カードを切ったものの、頼みの綱である俊輔からのラストパスは沈黙したまま、終了のホィッスルが虚しく空気を貫いた。 それにしてもホッとさせてくれたのは、39分に見せた川島永嗣(=川崎フロンターレ/27歳)のゴールキーピングだ。足が重たくなった佑二のパスミスからカウンターを喰らったが、ロビン・ファンペルシー(=アーセナル/26歳)のドリブルを見事に抑え込んでいる。1点を争う次戦デンマークとの大一番を考えれば、彼がはたした役割は大きい。グランパス時代、どうしても超えられぬ厚い壁だった楢崎正剛は、次のブラジル大会で38歳を迎える。次大会のアジア予選で鍵を握るひとりとして、永嗣の存在はますます欠かせなくなるにちがいない。 と、ここまでレポートしてきた時点で不安になるのは、世代交代への取り組みである。次期代表監督はもちろん、Jリーグ各クラブの協力がなくてはジェネレーション・チェンジがスムーズにすすむわけもない。4年後に30代後半に突入する俊輔や佑二、イナたちはもちろん、34歳になるヤット(=遠藤)やタマ、33歳の松井、32歳の嘉人や駒野と、次のアジア予選で彼らが起用される見込みはひどく薄い。今大会で日本協会が手にする賞金(=優勝賞金約26億円)を有効に役立ててもらうことを祈るばかりだ。
2010.06.25
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本番まで残り3ヶ月を切った午後、まだ肌寒さの残るまどろみのなかで、男は不安な気持ちを隠そうともしなかった。 「ピエール(=ウェボ/マジョルカ)は得点力のある選手、イドリス(=モハメドゥ/フライブルク)もいい選手、じゃあエトー(=サミュエル/インテル)を生かせる選手が誰なのか、カメルーンはそこに難しい課題を抱えてるんだよ。現在の4-4-3システムはル・グエン(=ポール/元フランス代表。03~06-07シーズンにかけてリヨンを率いて3連覇を達成)監督になってからのフォーメーションだけど、やっぱりエトーはセンターフォワードがベストだと思うんだよね。現在のアタッカーというポジションが本当に正しいのかどうか、そこに疑問符がつくんだ」6月14日グループE第1戦@フリーステート(ブルームフォンテーン) 30,620人(80%)日本代表 1-0 カメルーン代表【得点者】前半39分 本田圭佑(CSKAモスクワ) 大会前には「日本の3連敗」を断言した筆者だったが、言い訳をする気は毛頭ない。まさかの日本の快進撃に、早くも「岡田武史監督続投論」も噴出しはじめた。期待感ほぼゼロだっただけに、正反対の位置にある歓喜へのリバウンドは大きい。しかし、「だったら続投」などという安易な反応には、ぜひ熟考を促したい。 「たられば」で語るのは、少々気が引けなくもない。だが、もしイビチャ・オシムが倒れていなければ、たとえばチリのような、走力とパスワークで相手を陥れる危険なチームになっていた可能性が日本にはあった。その差は、数ミリ単位のわずかな成長だったかもしれない。それでも日本のサッカーのレベルを少しでも底上げする指導者として、オシムの存在は歴史に残るだろう。岡田監督をはじめ、ヴァンフォーレ甲府を率いた代表コーチの大木武、05年のワールドユースで日本を決勝トーナメントに導いた大熊清コーチなど、いわゆる「ボールも人も走る日本のサッカー」というオシムの思想は、多くの日本人指導者たちに影響をおよぼしたからだ。 カメルーンとの本番まで連敗続きだった日本代表は、間違いなく崩壊の一途を辿っていた。韓国に連敗した岡田監督が発したあまりにもKYな「辞任発言」にいたっては、何人かの選手にすくなからず動揺を与えたにちがいない。「この監督を本当に信じていいのか」と。ところがカメルーンの壊れっぷりは、日本以上に深刻なのだった。 「浪速の黒豹」と言われたカメルーンの英雄、パトリック・エムボマが力なく続けた。 「いま最も苦労しているのはディフェンス面だろうね。アフリカ選手権でもディフェンスがうまく噛み合わなくて、いろいろな選手を試していたからね(=2010年1月10日~31日。1-1のまま延長戦に突入したカメルーンだったが、前後半で1点ずつエジプトに失点を許して1-3、準々決勝で敗退した。カメルーンからは22歳のアレクサンドル・ソングひとりがベストイレブンに選出されている)。とくにここ最近はニコラス・ヌクル(=ASモナコ/20歳)だけがレギュラーで、あとは左サイドバックのベノア・アス・エコット(=トットナム・ホットスパー/26歳)がほぼ定位置確保かな。だけど、いまだにヌクルのパートナーが決まってないし、右サイドバックが誰になるかもわかってないんだ」 ジュビロ磐田の李康珍(=イ・ガンジン/10年~、24歳)、鹿島アントラーズの李正秀(=イ・ジョンス/09年京都サンガ→10年鹿島アントラーズ/30歳、6月12日のギリシャ戦で先制ゴール)、サンフレッチェ広島のイリアン・ストヤノフ(=05年ジェフ千葉→07年サンフレッチェ/33歳)、あるいは湘南ベルマーレのジャーン(=02年FC東京→06年ベルマーレ/32歳セレソン2キャップ)など、一時期ほどではないものの、Jリーグのセンターバックは外国人に頼ってきたという経緯がある。その結果、代表クラスの優秀なセンターバックがなかなか育たなかったのだ。 4年後に向けての不安は拭えないものの、しかし日本の同ポジションにはトゥーリオ(=浦和レッズ/29歳))と中澤佑二(=横浜F・マリノス/32歳)という不動のふたりが後塵を許さず、彼らのバックアップには屈強な岩政大樹(=鹿島アントラーズ)も控える。 さらに、かつては外国人助っ人頼みだったサイドバックにも、左の長友佑都(=FC東京/23歳、欧州複数のクラブから照会中)、右の内田篤人(=鹿島アントラーズ/23歳、7月1日からシャルケに完全移籍)という若いふたりに加え、左右両サイドをこなせるアテネ五輪世代の駒野友一(=ジュビロ磐田/29歳)もいる。守備のうえに攻撃が成り立つ大舞台に向けて、ことディフェンス面においては、間違いなく日本はカメルーンを上回っていた。 チームは、生き物である。松井大輔(=グルノーブル/29歳)からの右クロスをインサイドキックで冷静に流し込んだ本田圭佑の一発によって、そしてカメルーンの攻撃をことごとくブロックした守備によって、崩壊したはずのチームに力強いコンフィデンスが再生されていた。つまりカメルーン戦こそが日本がひとつにまとまる一服の精力剤となったわけである。繰り返し言おう。チームは、生き物だ。逆説的な物言いではある。だが本番前にチームがうまく立ち行かなくなったこと、とりわけ初戦の相手がカメルーンであったことを、日本はおおいに感謝しなくてはならない。
2010.06.25
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後半46分、カウンターからドリブル突破した朴主永(=パク・チュヨン 24歳/04年アジア年間最優秀ユース選手。05年FCソウル→08年ASモナコ)の足を楢崎正剛が手で引っ掛けてPKを奪われる。日本は、いよいよ万事休すだ。 このような雌雄を分ける一戦では、先制点がなによりも重くのしかかる。ビハインドに立ったチームは追加点をやらないよう慎重にならざるをえず、同時に最低でも同点狙いの勇気ある取り組みが必要となる。この二律背反のサジ加減が、リードされた側は難しくなるのだ。だが岡田ジャパンは、いつものように90分間、金太郎飴のように単調なサッカーを続けるのみだった。これが「国内総仕上げ」とは思えぬ、まったく改善の見られない日本代表に、試合後の記者陣の動きも鈍かった。「いったい何なんだ……」と。そんなやり場のない気持ちの記者たちに、岡田監督は場違いな発言をしたのである。 すでにさまざまなメディアで既報されているのが、記者会見での指揮官のコメントだ。それも記者との質疑応答を前にした、岡田監督自らの試合後の感想のなかでのひと言だった。 「韓国のプレッシャーのなかで、パスがなかなか回りませんでした。ヘディングのこぼれ球を拾われてから先制されました。今後は守備的な選手を先発させることも考えなくてはいけません。”今年に入ってから韓国に2連敗ですが、このまま私が続けてもいいんでしょうか。協会の責任問題にもなりますが”と会長(=犬飼基昭)に訊いたんですが、”やれ”と言われました」 無邪気なまでのコメントに何人かの記者から笑いがもれたが、筆者は喉まで出かかかった。「おいおいッ。そんなこと言っていいのかよ。今晩のニュースから明日の新聞にいたるまで、今のコメントはここぞとばかりに取り上げられるぞ。それを選手が聞いたらどうなるんだ。ただでさえバラバラのチームが、いよいよ砂上の楼閣になっちまう」と。 韓国人記者も大勢出席したなか、結果はご存知の通りである。 まず「守備的な選手を先発」のくだりだが、彼が監督に就任したのは07年12月、今回の韓国戦は08年1月のチリ戦から数えて44試合目となる(=09年6月のワールドカップアジア予選vsカタール戦だけ大木武コーチが指揮)。しかも6月14日のカメルーンとの本番まで、あと22日しかないのだ。「いまさら何を言ってるのか」と批判の矢面に立たされてても、これは仕方ないだろう。中盤の核としての俊輔やヤットの先発に問題があることは、すでに周知の事実だ。にもかかわらず、あえてそれに踏み切ったということは、監督なりのプランがあったということだ。しかし彼の手腕では、それが実現できかった。そのひと言につきるといえるだろう。 ただし「守備的な選手」といっても、潰し屋の稲本潤一は、内転筋の張りを訴えて、この日はベンチからも外れていた。となると、阿部勇樹や今野泰幸を長谷部と組ませるというプランが浮上するが、闘莉王の負傷でその選択肢は消されていた。加えていえば、岩政大樹をセンターバックで先発させることも指揮官の頭にはなかったようだ。国内総仕上げの重要なゲームである。つまり負傷者を除けば、今回の先発陣が指揮官の頭のなかにある「ベストメンバー」だったということになる。 かりにもJFL(=Jリーグ以前の日本フットボールリーグ)出身者で構成される協会スタッフの重鎮たちが、代表監督の器を見誤ってきたという事実は見逃せない。アテネ五輪の山本監督の言葉を、そのまま彼らに問いかけたい。「世界基準を目指せ」と。 その後の報道によれば、協会は次期監督としてホセ・ペケルマン、ラファエル・ベニテス、マルセロ・ビエルサの3人をリストアップしているそうだ。これもまた「なにをいまさら」だが、強化担当技術委員長・原博美という若い世代の協会スタッフはすくなくとも前向きであるらしい。最有力候補は04年のアテネ五輪でアルゼンチンを優勝に導いたビエルサだろうか。今回はチリ代表を率いてワールドカップに出場するが、その価格は6000万ともいわれる。あと数千万を上乗せするだけで、日本にも充分契約可能な人物といえるだろう。ただしグループHでスペインにドロー、スイスとホンジュラスに勝利などという離れ業をやってのけなければの話だが……。 むしろ翌日のマスコミをおおいに賑わせたのは、岡田監督「進退伺い」の告白だ。ある記者からの「自信を失っているのですか?」との質問に、彼はこう答えた。「後ろから美しくビルドアップできる機会はそうそうあるものではない。韓国のようにトップでボールを拾ってつなげられればいいんですが……。相手の組織の中に入っていくことができれば、日本の連動性は生きると思います。”会長もいろいう言われますよ。本当にボクが続けてもいいんですか”と思って訊いたまでで、自信を失ってるわけではありません」。 このコメントにしても、「なにをいまさら」である。チームが機能しない原因を理解していながら、何も改善できなかったと言っているようなものだろう。 その後の会長の弁明も苦しいものだった。「あれは、ボクにやらせてくださいという意味だった」。なんと、記者に対して笑顔で答えたという。 話を戻そう。岡田監督は、さらにこう続けた。 「ウチの失点はカウンターやロングボールから奪われることが多いんです。今日はカウターに対するカバーリングはなんとかできていましたが、高いラインの裏にボールを落とされ、裏をとられてしまいました。それに対するサイドバックの絞りとカバーリングに少し反省点があります」 もう、言うことは何もない。繰り返すが、このブログを書いている時点で、カメルーン戦まで残りカウント17なんである。 マスコミは大騒ぎとなったが、彼らの調子良さも「何をいまさら」である。「進退伺い」の話題だけで、何日も引きずっている。なぜもっと早く論陣を張ることができなかったのだろう。加茂監督のときもそうだった。翻ってフィリップ・トゥルシエに対しては大バッシングを続けた。そして神様が監督に就任したとたん、彼らは一斉に口を閉じた。協会が選出した日本人監督と、ある特定の外国人監督に対しては、マスコミはだんまりを決め込む傾向にあるらしい。 亀田兄弟から民主党にいたるまで、日本のマスコミ報道も金太郎飴だ。これが日本人社会の性なのだろうかとも疑ってしまう悪癖である。持ち上げるときはさんざん持ち上げておいて、落とすときは地獄まで突き落とす。結婚式のスピーチと、まったく逆の論法だ。 たとえば民主党政権の力の是非はともかく、「彼らがいま苦しんでいるのは、半世紀にわたって一党独裁を続けた政権が作った負の遺産の整理ではないか」「つい最近まで政権党ではなかったのだから、ブラックボックスがいっぱいあるなか、細かいデータを分析するにも時間がかかるのは当然」「沖縄の基地問題を作ったのは前政権。これに初めて異を唱え、大国アメリカに意志を伝えようとしたのが民主党」など、現在の風潮に対する反論はいくらでもあるはずだ。なぜ、日本のジャーナリズムには議論の場を作り出すという力がないのだろうか。Aという意見があり、またB、Cという別の意見があってこそ、物事は発展していくものなのに。 スター製造機の日本のメディアは、本田圭佑に対してもベタボメだ。しかし韓国戦では金正友を中心に個人プレーを何もさせてもらえず、チャンピオンズリーグのインテル戦同様、「ふつうの選手」となっていた。本田自身、「ヨーロッパの強豪チームに前を塞がれると、何もできなくなってしまう。まだまだ力の差を感じます」と、どこかのインタビューで語っていたのを思い出した。グランパス時代にくらべれば相手との勝負を挑むようになってきているものの、1・5列目の要注意選手に対するマークはどこも厳しい。ここを乗り越えなければ、彼の未来もこれまでだろう。CSKAモスクワの中心選手とはいえ、今後はロシアリーグよりも上のリーグを目指すべきだ。 同じ傾向はカターニャの森本貴幸にもある。俊輔と交替した韓国戦では27分間のプレーで、枠に飛んだシュートは1本のみだった。本田はカメルーン戦の前日に24歳の誕生日を迎え、森本は韓国戦の2週間ほど前に22歳になった。デンマーク代表で今大会のブレイク候補といわれるニクラス・ベントナー(=アーセナル)が22歳である。いくら日本のふたりを国内メディアが持ち上げようとも、今、この時期を逃せば、あっという間に過去の人となってしまうのは小野伸二(=清水エスパルス)の例でもおわかりだろう。フランス大会で衝撃的なデビューを飾り、彼の右に出る者はいないといわれる超美技の持ち主でも、新製品に合わなければ優良部品もお払い箱となるのだ。 けっきょく日本は「岡野の1点」さえも奪えずに、予想通り「2点差」で敗れた。浦和レッズの赤の聖地で、南アフリカに向けて大きな一歩を踏み出したのは、やはり赤組だったというわけだ。彼らの自信に満ち溢れた表情が羨ましい。これこそが、アジアの闘う集団の見本ともいえた。それも韓国人指揮官・許丁茂(=ホ・ジョンム)が実現させたという点に、現在の日本との大きな差を感じるのだった。【了】
2010.05.27
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日本代表強化マッチ@埼玉スタジアム 57,873人(95%)日本代表 0-2 韓国代表【得点者】前半8分 朴智星(マンチェスター・ユナイテッド)後半46分 朴主永(ASモナコ) いつもよりゆるりと出発した時点で、何の期待ももっていなかったのかもしれない。2週間ほど前、ある情報誌から日韓戦の予想記事を依頼された。 《現在の日本代表はバラバラ感が否めない。2月の東アジア選手権での同カードに続き、4月のセルビア戦でも守備の崩壊を露呈した。このカードは1点差によって決まることが多いが、今回ばかりはそうもいくまい。日本は岡崎慎司の1点のみで、2点差以上の差をつけられて敗れるだろう》 最終メンバーが発表されるまで、ポジションが重なる選手たちはライバル関係だった。最終枠の23人にサバイバルするためには、「Jで結果を出す」という公開実験場が彼らに与えられていた。しかし、それぞれのハードルを乗り越えた5月10日のメンバー発表以降は、そんなプレッシャーからも解き放たれている。新たなる次のプレッシャーは、もうワンランク上の「ワールドカップで勝つ」ことだ。だが、彼らは本当に岡田武史監督のもと、闘う集団として一つにまとまっているのだろうか。 FIFAランキング45位の位置から、監督は世界挑発の言葉を口にした。そんな指揮官に対する本音は、じつのところ、どうなんだろうか。互いに笑顔で会話をかわす彼らの姿は同好会レベルではなく、本当にナショナルチームの次元にあるのか。こうした筆者の疑念の数かずは、なにもいまに始まったことではなかった。 「最悪の予感」から生じたであろう筆者の怠惰な気分に、地下鉄のダイヤの乱れが重なり、記者席を確保したときにはキックオフ11分が過ぎていた。恥ずかしながら、ジャーナリストとしてあるべき姿勢ではない。 身体を小さく折りたたみ、おっとり刀でスコアボードを見やれば、早くも0-1である。遠藤保仁から長谷部誠の頭上へ伸びたボールを右ボランチの金正友(=キム・ジョンウ 28歳/06年名古屋グランパス→08年城南一和→10年光州尚武)がインターセプト、そのこぼれ球を鉄人・朴智星(=パク・チソン 29歳/00年京都パープルサンガ→02年PSVアイントホーフェン→05年マンチェスター・ユナイテッド)が拾い、20mのドリブルから先制したものだった。 10年モードの韓国代表は「史上最強チーム」の呼び声が高い。しかし彼らが強すぎたのか、それとも日本が弱すぎたのか、正解はどちらだろう。いずれにしても、この時期にアジアレベルの国に蹂躙されるようでは、南アフリカでの希望は、まったくの皆無といってよい。 指揮官が念仏にように唱えていた「ベスト4」は、もはや巷の笑い話となって久しい。逆に唯一の救いは、「誰も期待などしていない」ことだろうか。かの無法地帯の大陸で大惨敗しようとも、悲しいながら、こちらは鼻っから覚悟が据わっている。だから、痛みもそのぶん軽くなるわけだ。 岡田監督をかばうわけではない。だが一部サポーターたちの気持ちをそこまで投げさせたのは、彼を続投させた協会に責任がある。文字通り、日本代表を最終的に「投げた」のは誰だったのか、である。 加茂周時代のほうが、まだましだった。故・長沼健会長の辞任をサポーターたちが求めても、何も議論されなかった。しかしそれでも、「こりゃ、まじヤバい」と思った戦犯たちは、おそらくは断腸の念で加茂監督の首を切り、協会の頭の早稲田大学、古河電工の後輩を後任監督にすえたのである。この決断が、選手たちにいくぶんかの反骨エネルギーをもたらせたようにも思う。 しかし今回の代表は、本当に不幸だ。たとえばルイス・フェリペ・スコラーリ(=01年ブラジル代表監督就任→02年ワールドカップ優勝→同年ポルトガル代表監督就任→04年EURO準優勝→06年ワールドカップベスト4→08年チェルシー監督就任→09年FCブニョドコル監督就任)が無職だった時期にも無関心を決めこみ、フース・ヒディンク(95年オランダ代表監督就任→96年EUROベスト8→98年ワールドカップベスト4→98年レアル・マドリード監督就任→同年トヨタ杯優勝→01年韓国代表監督就任→02年ワールドカップベスト4→同年アイントホーフェン監督就任、エールディビジ優勝3回→05年オーストラリア代表監督就任→06年ワールドカップベスト16→06年ロシア代表監督就任→08年EUROベスト4→09年チェルシー監督就任・09年6月退任)にも声をかけずに、スカウト活動を放置し続けた。筆者は早期回復を見せたイビチャ・オシムをTDに、現場監督にドラガン・ストイコビッチを抜擢すべきだと主張していたが、そんな草の根の意見も、ただの雑音にすぎなかったのだろう。 雨でピッチが湿っていたにもかかわらず、日本の武器であるパス回しの球が遅かったのはなぜなのだろうか。ボールを慎重に扱いすぎたのか。それとも韓国のプレッシャーが日本を上回っていたのか。前々日のインテルとバイエルン・ミュンヘンのチャンピオンズリーグ決勝を観ているだけに、アテネ五輪の指揮官・山本昌邦の口癖だった「世界基準」すらも見えてこない貧しい内容だった。なにしろ日本をよく知る朴智星に、「ボクが日本でプレーしていたときよりもレベルが下がっていた」とまで言われる始末である。つまり、「ジーコ時代以下」だったということだ。何の手も尽くさずに時計の針を戻してしまった協会幹部の責任は重大だろう。 いろいろ異論はあるだろうが、予備登録メンバーとは別枠の「帯同メンバー」に香川真司(=21歳MF/セレッソ大阪→7月1日ボルシア・ドルトムントに完全移籍)、永井謙祐(=21歳FW/福岡大)、山村和也(=20歳DF/流通経済大)、酒井高徳(=19歳DF/アルビレックス新潟)の4人を選出したことは、フランスに市川大祐(=当時19歳DF/清水エスパルス)を連れて行った岡田監督のささやかな抵抗だったのかもしれない。つまり、ブラジル大会に向けての経験値を彼らにプレゼントしたわけだ。この例外的な措置に、協会サイドの意志は感じられない。うまくポジション別に選出した点に、小さな指揮官の強い意志と希望が感じられるのだった。 「これまでで初めて出逢った、独特のオーラをもった監督です」。横浜F・マリノスの松田直樹が、岡田武史をそう評したことがある。しかしそれは、日本のクラブレベルでの話だ。世界レベルは、雲上の場所にある。 岡崎慎司や大久保嘉人、そして本田圭佑を孤立させるきっかけとなったパス回しの遅さは、その起点となっていた中村俊輔と遠藤保仁に問題があった。とりわけ俊輔はエスパニョールからの帰国後、横浜F・マリノスでもあまりパッとしないデキだ。全盛期に見られたようなピンポイントのサイドチェンジはすっかり陰をひそめ、相手の仕掛けを待ってからの切り返しが逆に裏目に出ている。ガンバ大阪の大黒柱であるヤットも、パスの受け手を捜すのに時間がかかり、韓国が中盤からかけてくる激しいプレッシャーに耐えきれないでいた。 そもそも寄せ集めの代表チームは、クラブチームとは性格を異にする。指揮官のチームコンセプトが明確で、なおかつ選手間内に個人、及びチーム戦術が浸透していなければ、いかにクラッキといえどもチームは成り立たないのである。まるでプラズマテレビの新製品に、ブラウン管時代の中古部品を混ぜて使っているようだ。中盤でセカンドボールを奪われるのは当たり前だろう。ボールが前に行かなければ、何のためにフォワードがいるのか五里霧中となる。 これがオシムであれば、たとえ俊輔やヤットを起用しようとも、彼らを使うタイミングを適材適所で見極めていたはずだ。すくなくとも「ジーコ時代以上」の日本代表を完成させていたと筆者は信じる。
2010.05.27
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4月10日 J1第6節@味の素スタジアム 30,672人FC東京 1-1 鹿島アントラーズ【得点者】前半04分 平山相太(東京/PK) 39分 興梠慎三(アントラーズ)4月17日 J1第7節@味の素スタジアム 18,350人FC東京 1-1 京都サンガF.C.【得点者】前半11分 角田誠(サンガ)後半28分 重松健太郎(東京/PK) 試合後、知人の記者が「サンガはフリーの選手の動きが素晴らしい」と絶賛していたが、その後の展開を見ても、FC東京は自分たちのサッカーをまったくやらせてもらえなかった。 東京は2列目の左右ワイドな位置にスピードスターのナオ(=石川直宏)と、今季アルビレックス新潟から完全移籍した松下年宏を配置することで、前後の動きでポジションを頻繁に入れ替わろうとする。スピードに乗ったワンツーパスなどで縦に抜け出し、ゴールを落とし入れようという意図だ。しかしサンガDF陣に重大な脅威を与えることができたのは「ナオひとり」と断言してもよく、それほどサンガの守備が素晴らしい対応を見せていたということだ。 知人の同じ記者が、「やっぱり加藤監督と秋田コーチ(=秋田豊)のコンビが生み出した成果なんですかね」と、指導陣の現役時代のポジションから今季のサンガのスタイルを表現したところ、加藤の久ちゃんは「森岡(=森岡隆三)もいますよ」と笑いを誘った。「でも今年は6試合で11点とられているんです。ちょっと失点が多すぎますよね。今年は攻撃への意識をキャンプで膨らませてきたんですが、新加入の選手たちがウチや、日本のサッカーに馴染んでません。それが失点が多い原因だと思いますね」 その典型例として、久ちゃんはディフェンダーのチエゴをあげた。彼によれば、開幕のヴィッセル神戸戦と4節のジュビロ磐田戦で、たて続けにミスを犯し、崖っぷちに立ったこの日はベンチからも外されていた。「日本のスピードにまだ慣れてないんですよ。でも今日はちがう理由もありました。両サイドバックをかなり高い位置まで出したんですが、そのときの攻め残りや、守備の選手の準備が少しおろそかになってました」 久ちゃんが目指すのは、攻守にバランスのとれたチームだ。その第一段階として、監督に就任した07年から守備に重点を置いたチームを築き上げてきた。4年目を迎えた今年は、「点も奪れるチーム」だ。「たとえばバルサ(=バルセロナ)の場合、攻撃ばかりが評価されてますが、自分は彼らの守備にいつも感心させられているんです。アーセナルのような高いポゼッションをもったチームに、何もさせませんでしたからね。これは、バルサの守備力がいかに高いかをよく表していると思います。だけど現在のウチは、新しい選手がまだコレクティブにプレーできてないんです」 4月7日に行なわれたチャンピオンズリーグの準々決勝が、あまりにも強烈だったのだろう。リオネル・メッシが前半だけで4点を奪い、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルに4-1で圧勝したのだ。この大一番を観たとき、彼は自分がサンガにもたらせようとしている構想に確信をもったはずだ。しかしこの日の前半、サンガが的確に放ったシュートは角田の1本のみだった。 久ちゃんの嘆きは止まらない。「勝点3をとれたゲームだったのに、ひじょうに口惜しいです。攻守にわたって組織的なサッカーもできていたのに、2点目を狙うところでボール処理に慌てたところがありました。だけおウチが狙っている安定感が、ようやくできてきたゲームだったと思います」 「勝点1」に泣いたのは、東京も同様だ。城福の会見最初の言葉、久ちゃんのそれとほぼ同じだった。「ペナ(=ペナルティエリア)に入られたのは、前半のあのシーンだけでした。口惜しいです。なにしろ5節(=vs川崎フロンターレ。1-2)と6節で勝点1しかとれてないんですから。倒れて動けなくなった選手が担架にも乗らずにゆっくり歩かれるという、ひじょうに苛立たしい展開にさせてしまったのは、我われにも責任があると思います。サッカーをする時間を少なくさせてしまったのは、我われの問題ですよ」 ハーフタイムでは、口うるさい東京サポーターからもブーイングを浴びるという情けない前半だった。「サッカーをする時間を少なくさせた」のは、たとえば倒れたディエゴの緩慢な態度だった。ピッチ内に運ばれた担架を拒否し、足を引きずりながら長い時間をかけて退場、にもかかわらず、その直後に戻るやいなや、いきなり蘇ったのである。 こうしたブラジル人独特のマリーシアな態度が城福の怒りに火をつけ、15分過ぎから一気に3枚のカードを彼に切らせている。アントラーズ戦でGK権田修一が脳震盪を起こしたばかりだ。ここでまたGKに何かトラブルがあれば、フィールドプレーヤーにグローブをはめてもらうしかない。しかし、そんなリスクをも恐れぬ采配が後半28分、重松健太郎にPKを呼び込んだ。相手のミスに乗じてシュート体勢に入った重松を、水本裕貴が倒したのである。 それでも城福は納得していない。「どうしても点が欲しくて3人の選手を代えたのに、PKによる1点しかとれませんでした。フィニッシュの2つ、3つ手前のプレーでの精度を上げていく必要がありますね。”惜しかったね””ゴールに近づいたね”ではすまされない問題です」 15分に精彩を欠くリカルジーニョを重松に、同じく18分に松下を元サイドバックの中村北斗に、28分には高さに強い相太を前に強い赤嶺真吾に代えた。つまり指揮官からのメッセージは、「追加点を奪え」である。それに応えることができない選手たちにも、城福監督は苛立ちを覚えたにちがいない。「こんなことでは真の優勝争いなぞできるものか」と。 城福監督が就任した3年前、オシム流のパスサッカーを東京に持ち込んだ羽生直剛は、指揮官の言う「真の優勝争い」という言葉を真正面から受け止めていた。「良くも悪くも勝点を積み上げられるチームでなければ、優勝争いには加われません。そう考えれば、リーグ序盤に負け数を増やすわけにはいきません。だからこそ第6節終了時点での2敗という結果には、全く満足してないんです」 5節のフロンターレ戦で自分なりのボランチ像に悟りを開いたという羽生は、30歳という年齢ながら、現在チームの最年長選手である。オシムの申し子のひとりでもある彼の代表歴は、線香花火のごとしだ。時の流れの速さと、サッカー選手の寿命の短さに想いを馳せずにはおられない。そんな彼の「真の優勝争い」への道は、「逆算型」だった。 「今シーズンは負けないということを最優先課題で考えてるんです」 現在のJは18チームあるため、年間を通して計34節でリーグ戦のシーズンオフとなる。たとえば07年に5回目の優勝を遂げたアントラーズは、22勝6敗6分で勝点は「72」だった。同じく勝点を70の大台に乗せたのが、その前年の覇者・浦和レッズの「72」で、22勝6敗6分と、まったく同じ成績を残している。「真の優勝争い」をするためには、すくなくとも、それぞれの年の3位チームを基準とすべきだろう。 この考え方に従えば、06年のガンバ大阪が20勝8敗6分で「66」、やはり3位だった07年のガンバは19勝9敗7分で「67」だった。つまり現時点で2勝2敗3分で勝点「9」のFC東京は、羽生が思わず漏らせたとおり、まだ満足できる状態ではないというわけである。シーズンはまだ始まったばかりだというのに、逆算すれば、あと5つか6つしか負けられないということになるからだ。 さてFC東京の次の相手は、柏木陽介をレッズに引き抜かれながらも、指定席のBクラス上位にとどまるサンフレッチェ広島である。アントラーズから勝点1を奪ったものの、同じレベルの相手にそれ以下の結果を残そうものなら、たちまちチームに暗雲がたれこめるだろう。すでに崩壊模様の日本代表と同じ轍だけは踏まぬよう、この1週間の心身調整が肝要となるはずだ。 また一方のサンガは、モンテディオ山形を西京極に迎える。まだ肉眼で確認できていないのだが、建て直し屋の小林伸二監督が山形をうまくまとめ上げていると聞く。3節のレッズ戦をドローに持ち込み、7節で対峙したマリノスは、山形から1点しか奪うことができていない。今回はともにカウンター型のチームの対戦となり、指揮官がどんな采配を執るのか気になるところだ。【了】
2010.04.19
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4月10日 J1第6節@味の素スタジアム 30,672人FC東京 1-1 鹿島アントラーズ【得点者】前半04分 平山相太(東京/PK) 39分 興梠慎三(アントラーズ)4月17日 J1第7節@味の素スタジアム 18,350人FC東京 1-1 京都サンガF.C.【得点者】前半11分 角田誠(サンガ)後半28分 重松健太郎(東京/PK) 第6節のリーグ戦を終えたあと、オズワルド・オリヴェイラが珍しくまくしたてた。「今年は本当に厳しい。今日までの6試合の立ち上がりの時間帯を思い出してくださいよ。ラフプレーでウチの攻撃を止めるという意図が明らかに感じられます。中盤で攻撃に転じようとしたところでファウルを犯し、攻撃の芽を摘まれてしまうんです。カウンターのチャンスをファウルで止められたら当然、簡単なゲームにはなりませんよ。でも、それを判断するのはレフェリーですからね。ただでさえ4連覇は難しいというのに……。でも、私はあきらめませんよ、絶対に」 FC東京がホームとする武蔵野の飛田給は、近藤勇生誕の地としても知られる。前半のFC東京の猛々しさは、まるで新撰組のごとくだった。しかし鹿島アントラーズの名将が指摘するような、「意図的なファウル」ではなかったと信じたい。 じつは王者との一戦に向けて、城福浩監督が強調したのも「立ち上がりの時間帯」だった。彼は、よほど口惜しかったのだろう。去年の「第23節」を選手たちの前で連発したという。 それは、カシマでのアウェイゲームだった。地鳴りがするような王者の聖地で開始4分、ダニーロに先制弾を浴びた。続く21分には、マルキーニョスの2点目だ。終わってみれば「1-3」という、そのスコア以上に何もできなかった自分たちに、チームは自信を失っていた。 「またか……」 第5節のホームゲームでも、開始1分にマルキ、15分に大迫勇也に決められ、赤嶺真吾の得点まで40分間も待たされている。これでは打つ手がなくなるのもやむをえない。だからこそ城福は「立ち上がりの20分」にこだわったのだった。 長友佑都が、アントラーズの強さをこう説明した。「カシマは連動性のあるサッカーを常に展開できています。ウチもできるようになってきてると思いますが、彼らは良い状態を高いアベレージで発揮することができるんです。それがボクらとの大きな違いですね。たとえばサイドバックが鹿島のサイドハーフをチェックしに行くと、前線のふたりは必ず相手の背後にできたスペースを狙ってきます。パスの出し手もそれがわかっているので、パサーが持ったボールを安易に奪いに行けば、そのとたんに背後を狙われます。かといってまったく行かなければ、相手に自由を与えることになってしまう。そういったチーム全体としての意識が、鹿島は徹底されてるんですね」 オリヴェイラ監督は「ウチだけが狙われてる」という被害者意識に苛まれているようだが、FC東京の選手には、もちろんそんなつもりはないだろう。ましてや今年の城福監督は、「真の優勝争い」をシーズン目標として掲げており、「鹿島越え」こそが、そのための至上命題だったのだ。事実、彼は「勝点1は残念な結果だった」と試合後に肩を落とし、こう付け加えた。 「今日のスピリットをもってクォリティを挙げていけば、必ず勝点を積み重ねることができます。今日の試合をスタンダードとすべきでしょうね。だけどナビスコ杯とJを合わせると、20日間で7試合をこなしてきました。どの試合でどの選手を使うのか、今後はそれも考えていかないといけません」 いずれにしろ、序盤で先制されていたチームから、開始わずか2分でPKを奪ったのだ。たしかに勝てはしなかったものの、天敵からの「勝点1」は大きい。 では、はたしてアントラーズ戦で見せたスピリットは、その後も維持できたのだろうか。FC東京は、この時点でリーグ戦首位だった清水エスパルスや横浜F・マリノス、あるいはサンフレッチェ広島のように、年間ベスト5に入る力はあると見る。どこぞの監督が念仏のように唱える「世界4強」のように、巷間の笑い話になることもない、かなり現実的な評価といえるだろう。城福の言う「真の優勝争い」は、昨年のスタンダードをもうひとつレベルアップさせるという意味にほかならない。そしてこれもまた、どこぞの監督の”イソップ童話”とは一線を画す現実的な目標設定だ。それだけに、それを可能にできるかどうかは、城福監督のシーズン後の進退にも関わってくるはずだ。今シーズンの彼の姿勢や発言からは、それほどただならぬ覚悟が伝わってくるのだった。 第6節から4日後に行なわれた大宮アルディージャ戦では、平山相太や石川直宏といった今年不動のメンバーを外して臨み、アウェイゲームを1-0で手繰り寄せた。こうして迎えたのが、さらに3日後のリーグ戦第7節、京都サンガ戦だったというわけだ。 大宮からボランチの片岡洋介を、大分から左アタッカーの鈴木慎吾、リベリア人の父をもつFWハウバート・ダン、そして韓国ナンバーワンのセンターバックと言われる郭泰輝(カク・テフィ)など、今季のサンガは加藤久監督のもとで効果的な補強に成功した。しかし、新戦力が増えたぶんだけチームをまとめ上げる苦労を重ねており、「公式戦4試合未勝利」という窮地に立たされていた。個々の能力が上がり、バランスがとれたチーム作りをしてきただけに、指揮官がこの一戦に臨む覚悟は、FC東京のそれにも等しかったと想像できる。 序盤から激しいボールの奪い合いを見せた点からいっても、オリヴェイラ監督の被害者意識は際立つばかりだった。 そんななか、城福監督をまちがいなく幻滅させたのが、まさに序盤、11分の失点だった。期せずして、前節のアントラーズと同じ立場に立たされたわけだ。 中山博貴が浮かせたパスを東京DFがクリアしきれず、そのこぼれ球を角田誠に左足で押し込まれた。 城福が嘆く。 「スローインで裏に走りこまれただけで、今日のゲームプランを狂わされてしまうというのは、ウチがまだまだ幼いということです」
2010.04.19
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閑話休題。 50過ぎのオヤジと19歳のJリーガーを比較することに、そもそも無理がある。同じように、リーグでも突出した戦力を擁するレッズと比較されるのも、FC東京には酷な話かもしれない。開幕の横浜F・マリノス戦はなんとか凌ぎきったものの、城福浩監督は知恵を絞るほかなかった。そして、その結果引き出した結論が、ポッカリと空いた中盤の心臓部に徳永悠平と羽生直剛を並べることだった。FC東京といえば、パス回しのサッカーをベースにするという意味でレッズの先輩格にあたる。しかしボールを回そうとするあいだにパスは途切れ、セカンドボールも拾えない。中盤を完全にレッズに支配されていた。 指揮官が振り返る。 「ずっと勝ててなかった相手だったので強い気持ちで臨みましたが、ボールを前に奪いにいったときに最終ラインが後ろに残ってしまい、そのスペースを相手に使われて苦しめられました」 レッズは18分、大分から加入したセンターバック森重真人がPKをとられ、キッカーのポンテにインサイドで浮かしたボールを決められた。20分過ぎからのレッズの攻撃は見事だった。中盤からバイタルゾーン、ゴール前にかけてのスペースで、まるで水が流れるようにパスをつないで襲いかかる。 たとえば27分、平川がポンテをポストに使ってワンツー、ふたりのDFをあっという間に置き去りにし、エジに繋いだ。フィニッシュのポイントで田中達也に合わせることができなかったが、ギリギリの隙間を見切って速いボールを繋ごうとする点で、明らかにFC東京を上回っていた。 逆にFC東京は、時間の経過とともに自信を失ったのだろうか。安全地帯でばかりパスを回そうとする。推進力を失い、相手にも読まれやすい稚拙な攻撃となっていた。 そんななか、36分にレッズが得たフリーキックがひとつの山場となる。エジに対する森重のファウルで、ペナルティアーク右側の位置から陽介が蹴る。左ポストにはね返ったボールに達也が食いつくが、これも右ポストに当たり、不運にもGK・権田修一の両腕におさまってしまう。コンマ何秒という瞬時に、2度もポストに当てたシュートを見たのは、いったいいつ以来のことだったろうか。 ゲームの行方が大きく動いたのは39分、エジを止めようとした森重がまたもやイエローをもらい、退場になったことである。 城福が言う。 「2枚のイエローをもらった森重は、もちろん反省すべきです。だけど、あの状況でもらった1枚目のイエローがちょっと……。激しいプレーに対してレフェリーが流しているのはいい傾向だとボクは思ってます。強いコンタクトに対して、しっかりプレーできますから。だけど手を使うことによって、あそこで試合を決めるPKをとられるとは……。ボク自身も勉強する必要があります」 今シーズンから、手を使った行為に対する判定基準が厳しくなった。昨年まで流されていたものが、今年は許してくれない。しかも、PKである。そこに指揮官の困惑があった。 だが、なぜ何度もファウルをとられたのか。最も考えなくてはならないのは、実際にピッチに立っていた森重だろう。これが国際トーナメントであれば、試合ごとにレフェリーが替わり、そのたびに判断基準も変わる。人間が判断するのだからいたし方のないことだが、だからこそプレーヤーは、その日のレフェリーの癖や基準を見抜く必要があるのだ。 しかし数的優位に立ったレッズも、ゲームをコントロールしようという客観性に欠いていた。 試合後のフィンケの言葉が象徴的だ。 「11人対10人の状況が続いたほうが、いいパフォーマンスを見せられたと思います。数的有利な状況になると、何人かの選手が集中力を失ってしまいがちだからです。追加点を奪うべきゲームだったのに、ゲームをコントロールする能力、ゴールに向う形に欠けていました。まぁ、勝点3を奪うことが大事だったんで、これ以上の不平は言いません」 結局、レッズはPKによる1点止まりだった。撃ったシュートもクロスバーを叩いたエジのシュートを含めたレッズ9本、FC東京4本と、思った以上の差はない。しかも相手がひとり少なくなった後半のレッズは、前半の半数にあたる3本だけである。 一呼吸おいて、フィンケが続ける。 「私たちコーチは、選手の頭の中で何が起きてるかという心理学を考えなければなりません。しっかりと準備してきたにもかかわらず、開幕戦では前半5分という時間で失点しまいました。それによって、選手のメンタリティに大きな影響を与えてしまったのです。11人対11人の状況では、山田と坪井がとても素晴らしいパフォーマンスを見せていたんですがね……」 フィンケは長いスパンでのチーム作りを想定して、急ピッチで世代交代をはかってきた。下部組織の充実ぶりと、地元の強力なサポート、そしてフロントの努力、この3点セットが彼の挑戦を支えている。だが22歳の森重が見せた若さゆえのミスは、そのままレッズにも指摘できるわけだ。 日本代表も急激な若返りを図ろうとしてきた。しかし監督と選手、選手と選手、それぞれのあいだの意思疎通がバラバラになっているフシも見受けられる。代表の話題に関しては次の機会に譲りたいが、若さゆえのミスと、それによって引き起こされるチーム内の動揺を鎮めるのはベテランたちにほかならない。 では、レッズのベテラン勢はどうか。最年長のヤマは、開幕から用意された新ポジションに責任をもとうとするあまり、じつはそれだけで精一杯になっているのではないか。この秋で31歳になるツボも、そんなヤマに引きずられるような形で一緒に苦悩を続けているように見える。若手たちをリードしてゆく余裕が、彼らに残されているのかどうか疑問である。 レッズの次節は、モンテディオ山形とのアウェイゲームだ。第2節の清水エスパルス戦は0-3の完敗に終わった山形だが、エースの長谷川悠が負傷したあとも粘り抜き、2つの失点はいずれも息が切れた試合終了間際のことだった。FC東京戦で見せたような素早いボール回しで相手の体力を消耗させ、後半で一気に勝負をかけられるかどうかが鍵となるだろう。 またレッズ戦13連敗が決定したFC東京は、ホームの味スタにセレッソ大阪を迎える。元FC東京の茂庭照之、尾亦弘友希らとのマッチアップになるというわけだ。セレッソはJ1の闘い方にまだ慣れていないが、3万8000人近くを集めた第2節の大阪ダービーをドローで切り抜けた。いまだ充分な戦力が整わないなか、城福監督は再び知恵を絞らなければならない。【了】
2010.03.18
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3月14日 J1第2節@埼玉スタジアム 50,096人(82%)浦和レッズ 1-0 FC東京【得点者】前半19分 ロブソン・ポンテ(レッズ) FC東京が浦和レッズから勝利をあげたのは、今から6年も前に遡る。PK決着にもつれこんだ、04年のナビスコカップ決勝だ。それが、最後のレッズ戦勝利だった。およそひと月後に行なわれた天皇杯準決勝で敗れてからというもの、二つの引き分けを挟んだ12連敗というありさまである。 逆にレッズ側にしてみれば、おいしいお得意様相手に星を落とすわけにはいかない。しかも開幕戦では「65%」という圧倒的なボールキープ率を見せつけながら、したたかさで一枚上手の鹿島アントラーズに0-2で敗れている。ここで連敗でもすれば、フォルカー・フィンケ監督の足もとはたちまち揺らぐことになるだろう。 昨シーズンから指揮を執るフィンケの改革は、フロント陣の強力なバックアップを背景に進められてきた。それまでの先行逃げ切り型カウンターサッカーから、パス回しを重視した美しいサッカーへの転換を図ろうというものだ。だが急激な変化に選手たちが対応しきれず、結果的にACL圏外の6位に終わった昨季は、いわば「実験シーズン」だったともいえる。しかし今年も結果を出せなければ、もはや、どんな言い訳も説得力を失う。その意味で、今季のフィンケ浦和は「崖っぷちシーズン」なのだ。 エジミウソンのワントップで臨んだアントラーズ戦との違いを新聞記者に問われたフィンケは、「それは事実ではありません」と、やんわりハネつけた。「今日のゲームも開幕戦も、攻撃の選手を4人起用しました。私たちは、常に4人での攻撃を考えています。つまり攻撃時のシステムは4-3-3になるわけです」。とはいうものの、アントラーズ戦ではエジを前線に張らせたのは事実で、彼自身も「ワントップは去年何度もやっていて慣れている」と語っている。 だがこの日は、エジと田中達也の2トップでゲームに入った。フィンケの言に従えば、2列目のポンテと柏木陽介が「攻撃の選手」の一角ということになる。しごく簡潔に言えば、開幕戦では2列目の左からエスクデロ・セルヒオ、陽介、ポンテを並べて「パスの出し手」を多くしたが、FC東京戦では「パスの受け手」を増やしたことになる。 開幕戦と第2節のフォーメーションの違いは(1)相手の戦力や特性を見ての判断、それとも(2)開幕戦のレッズのデキを見ての判断なのか、それが質問した記者の意図するところだったのだろうが、まんまとフィンケに逃げられたかっこうだ。ミーティング内容の漏洩を禁じるフィンケらしい対応ぶりだった。 ゲームメイカーの陽介や、左サイドバック宇賀神友弥らの加入で、今年のレッズの選手層は昨年を上回る。各ラインごとにさらりと眺めてみても、FW陣では2年前のナビスコ杯でデビューをはたし、昨季はリーグ戦だけでも32試合に出場して話題となった原口元気が、なんとまだ18歳である。今季は同じく18歳のモハメド・ファイサルもガーナリーグから獲得した。 ボールを積極的に動かすサッカーを標榜するフィンケが、世代交代をはかろうとしているのは明白だろう。来季ACL出場への足固めとも思える第2期改革プランにより、高原直泰の評価が下がりつつあるのはやむをえないことなのかもしれない。だとすれば、タカ自身が決意を下したレッズ残留の是非は微妙なものだったことを意味する。 MF陣も同様に厚みを増した。近年、負傷しがちなポンテをカバーする存在として昨季、グルノーブルでもプレーした21歳の梅崎司を大分トリニータから獲得した。そのほか、19歳の山田直輝をリーグ戦20試合で起用、22歳の西澤代志也もデビューさせた。さらに25歳のウィルフリード・サヌーをブルキナファソから補強するという念の入れようだ。 穴があるとすれば、トゥーリオが抜けたあとの守備陣だろう。今季は「広い視野と瞬発力をもった選手」という理由で、ベテランの山田暢久を坪井慶介と組ませているが、これが吉と出るのか凶と出るのかが、FC東京戦での見どころのひとつでもあった。しかし後半27分には平川忠亮をベンチに下げ、ジュニアユース上がりの17歳、岡本拓也をデビューさせている。これは、Jリーグ史上最年少のデビュー戦としても記録更新された。 加えて、この日はベンチ外だったものの、負傷から復帰しつつある新戦力・21歳のスビラノビッチも守備陣のバックアップメンバーとして控える。負傷者続出の川崎フロンターレが苦しんでいるが、レッズはどんな事態に陥ろうともバックアップに事欠かない。これではリーグが義務付ける規約第42条「最強チームによる試合参加」の基準を、ことレッズの場合、いったいどこにおいたらよいのかわからなくなる。 一方のFC東京は、術後まもない梶山陽平はベンチに入ったものの、米本拓司が抜けた穴をどう埋めるかだった。昨季はナビスコ杯でMVPとニューヒーロー賞に輝いた、いまやチーム不動のボランチである。開幕直前の26日、紅白戦で負傷し、前十字靭帯と外側半月板の損傷が判明した。靭帯断裂でなくてフロント陣はホッとしたろうが、傷めた半月板の回復も時間がかかるケガのひとつだ。 まことに恐縮な余談だが、筆者も昨年3月の草サッカーで半月板を傷め、6月の神田明神の祭礼が終わるまで、松葉杖の日常を余儀なくされた。その後も寒い季節が訪れると、治ったかのように思えた患部が「無理しないでね」と、しんしんと休息を訴えかけるのである。おかげで運動不足となり、神輿を担いでもすぐに息があがるようになってしまった。【その2に続く】
2010.03.18
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【本田圭佑インタビュー その3】《傷心の日々から、自己意識改革の1年へ》──ここでオランダの話にもう一度戻りますが、08/09シーズンの途中からキャプテンになりましたよね。2部とはいえ、海外のクラブで日本人が主将になった例は初めてなんじゃないですかね。本田 あ、あ~ッ……? そうなんですか。──もしかしたら福田健二あたりに経験があるかもしれませんけどね。彼だけでなく、日本人には意外と”サッカー密航者”が多いですから。■福田健二 本田と同じ名古屋グランパス出身のFW。97年ワールドユースでは中村俊輔らとともに闘って日本のベスト8入りに貢献した。04年パラグライ1部のグアラニーでプレー(=00年にルケーニョに在籍した武田修宏、同01年セロ・ポルテーニョ広山望らの流れを継ぐ)。05/06シーズンはスペイン2部のカステリョン、翌シーズン同ヌマンシア、07/08シーズンは同ラス・パルマスでプレー。昨季はギリシャ2部のイオニコスでプレーと、世界各地のクラブへの”密航者”。ヌマンシア2年目にはチーム得点王となり、地元メディアが選ぶMVPに選出された本田の大先輩)。本田 ボクも最初はびっくりしましたよね。そのときのチーム状態が少し悪くて、ある日、練習のあとに監督(=ヤン・ファン・ダイク)から呼ばれたんです。で、個人面談をしたときに、「次の試合からお前にキャプテンをやってもらうから」と言われたんです。──えッ、ファン・ダイクから直接ですか。本田 そうです。確認のために「オレでいいんですか?」って訊いたら、「お前に任せたい」とはっきりと言われたんですね。──理由を訊きましたか。本田 落ち着いてるからじゃないですか(笑)。──なんだそりゃ(笑)。ほかの選手はそんなにヤンチャなんですか。本田 ヤンチャですね。なおかつオランダ語のわからないボクにとっては落ち着くことしかないんでね。皆んながどれだけナーバスなことを言い合ってても、ボクにはわからないじゃないですか(笑)。(ボクをキャプテンにするには)そういうメリットもあるし、それにボクは、まわりにあんまり左右されないというのが自分の長所だと思ってますから。そういうところも監督が見ていたんじゃないかなと思います。しかも、そういう状態にありながらも、ほかの選手たちとも仲良くしてましたからね。──キャプテンとしての苦労はなかったんでしょうか。言葉がわからないなかでもチームをまとめていくわけですから。本田 ボクはまとめていこうなんていう考えはもってないですよ。自分のやりたいようにやっていく。自分が先頭を切っていくから皆んながついてくる、っていうような考え方ですよね。──ようするにオレの背中を見せてやるからついて来いというような考え方ですね。本田 そう。そういうイメージですね。自分から気を遣って、あれもやるこれもやるっていうスタンスじゃないです。そういう意味じゃ、本来であれば、キャプテンには向いてないんじゃないかと思います。らしいことはあんまりやってないですからね。──ベルギー戦のあと、相手の10番の選手とか、オランダでプレーしてる選手から何人にも声をかけられてましたよね。■ベルギー戦 5月31日のキリン杯。ベルギーの2軍相手に4-0と圧勝した試合で、本田はハーフタイムで中村俊輔に代わって途中出場した。29分に強烈なフリーキックを放っている。■相手の10番 今季チャンピオンズリーグに出場中のAZのマールテン・マルテンス本田 何人か顔見知りはいましたけど、10番は知らないな。ボクはね、ベルギーのキャプテンだった奴とは仲のいい友だちなんですよ(=PSVのティミー・シモン)。あの試合の前にシモンに言われたんです。「お前、スタメンじゃないのか?」って。「出たら削るわ」って言っときましたよ(笑)。──10番はAZのマルテンスという左利きの選手です。本田 ああ~っ、「アアゼット」ですかぁ。ベルギーにはオランダでプレーしてる選手が何人もいますからね。──日本のメディアでもずいぶん話題となったけど、当然、圭佑も他国リーグでのプレーを視野に入れてるんでしょ。本田 その方向で動いてはきました。「オランダに残りたい」という気持ちもあるんですけど、「ここでやりたい」というクラブとなるととくにないんですよ。すくなくともフェンローよりも下のチームだったら、また2部ですからねぇ(笑)。──現在もオランダにこだわる理由はあるんですか。たとえばイタリアとかスペインという選択肢は?本田 そうですねぇ……。チームやレベルにもよりますけど、自分に「やれる」という手応えがあればチャレンジしたいと思いますけどね。でも、イメージしてるのはオランダです。──これはボクの個人的な感想ですけど、グランパス時代や五輪代表当時、身体能力が高いにもかかわらず、なぜかタッチライン際でのマッチアップを避けるようなプレーが多かったような気がするんです。相手とのコンタクトを早めに避けて、インにドリブルを仕掛けるというようなプレーですね。本田 その通りだと思います。まだ甘かったんですね。──ところが最近のプレーを観ると、かなり積極的に縦へのチャレンジを仕掛けてますよね。どこでサッカー観が変わったんですか。本田 去年2部でプレーしたことによって、状況的に追い込まれてたというのがあったんでしょうね。そのプレッシャーがあって、逆にボクを開きなおさせてくれたんです。何を求めていくべきかというのを、しっかりと考えさせてもらった時期だったんですよ。シュートを狙う姿勢とか、ゴールを狙う姿勢っていうのを、「もう一度求めていきたいな」って考えさせられたんです。──具体的に何に対して悩んでいたんですか。本田 2部でプレーしなければならないということ自体、ボクにとっては最大の挫折だったんですね。2部でプレーするなんて、ボクの人生では考えられないことだったんで。そんなヘンな考え方をもってたんですけど、現実、2部でプレーしなきゃいけないわけじゃないですか。自分のプライドも、そりゃあ傷つきましたよ。でも、それでも2部でやらなきゃいけない状況にあって、自分が世界のトッププレーヤーになるためには何が必要なのかって、あらためて考え直させられたんです。そのときに、「よし、点を奪りにいこう」って決めたんですね。「点を奪ること」はサッカーの原点で、すごくシンプルなテーマですけど、じつは難しいことじゃないですか。だから、「とにかくゴールをひたすら追い求めていこう」って、シーズン前に開き直ったんですね。それで1年間をやり通してみたのが去年の結果だったんです。自分の意識改革に没頭した1年でしたよね。でも、そういう根本的な考え方を強く意識していかないと、シュートシーンや仕掛けるシーンで、すぐにパスを選択したりしてしまうんです。それまでの自分の癖が身についてるんで、なかなか自分を変えることができないんですよね。自分の悪い癖を変えるには、自分の目標をひたすら意識して、繰り返すことによって、じょじょに変わってくるものですから。そんなこと繰り返しながら季節が冬になったころになると、とくに意識せずとも、そういうプレーがじょじょにできてくるようになったんです。もちろん後悔するようなプレーもあるけど、それはサッカーなんで、しょうがないですから。【つづく】
2009.10.23
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10月8日 アジア杯最終予選@アウトソーシングスタジアム日本平 16,028人(76%)日本代表 6-0 香港代表【得点者】前半18分 岡崎慎司(清水エスパルス) 29分 長友佑都(FC東京)後半6分 中澤佑二(横浜F・マリノス) 22分 トゥーリオ(浦和レッズ) 30分 岡崎慎司 33分 岡崎慎司10月10日 キリンチャレンジ親善試合@日産スタジアム 61,285人(87%)日本代表 2-0 スコットランド代表【得点者】後半38分 OWN GOAL クリストフ・ベラ(ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズ) 45分 本田圭佑(VVVフェンロー) 10月14日 キリンチャレンジ親善試合@宮城スタジアム 32,852人(69%)【得点者】前半5分 岡崎慎司(清水エスパルス) 8分 岡崎慎司 11分 森本貴幸(カターニャ)後半20分 岡崎慎司 40分 本田圭佑(VVVフェンロー) 岡田武史監督は、およそ70人以上にのぼるグループを代表候補としてリストアップしてきた。その数は海外組を偏重しアテネ五輪世代を無視したジーコよりも多いが、U-20ナイジェリア大会とシドニー五輪の監督を務めたフィリップ・トゥルシエと比較すると少なくなる。だがこの10月シリーズは、チームとしてのコンセンサスを統一化するとともに、これまであまり出場機会に恵まれなかった選手へ貴重なテストの場を提供することも重要なテーマのひとつとなっていた。 格下の香港戦が今シリーズに取り込まれたのは、イビチャ・オシム時代のアジア杯で3位以内に入れなかったのが原因だ。さらに二軍編成のスコットランド代表、そして日本協会をナメたとしか思えぬトーゴ代表と闘って「3連勝」という結果は残したが、ブッキング方法への批判はやはり避けられないだろう。 もっとも冠スポンサーによる国内イベントの歴史は長く、「トヨタ杯」を除けば、そのほとんどが「強化マッチ」本来の意味を逸脱した茶番にも近いカード内容にすぎない。加茂周時代には国内試合の「連勝」だけを評価され、監督の更迭に後手を踏んでいる。気の毒だったのは国内試合の経験しかなく、広島のアジア杯で韓国に敗れてクビになったパウロ・ロベルト・ファルカンだろう。そして加茂監督の代役として大きな経験を積んだのが、W杯フランス大会で代表を率いた岡田監督だったわけだ。協会の顔色を伺い、あたかも芸能界のようなスター作りに熱心だった各メディアの責任は大きい。そして今回もまた、A代表2試合連続ハットトリックを決めた男の話題よりも、イタリア帰りの21歳に多くのメディアが飛びついたのだった。 岡田監督は10月シリーズの第2戦で、思い切った選手の入れ替えを行なっている。昨今の不景気で、日本平と宮城行きの経費を確保できなかった筆者は、横浜でのスコットランド戦のみを観戦した。今回はこのゲームだけをクローズアップし、11月シリーズの行方を占ってみたい。 ジョージ・バーリー監督は、「フロントラインのパス回しが素晴らしかった」と日本の印象を語っている。なかでも中村憲剛(川崎フロンターレ)は前半34分に左足で放ったシュートを惜しくもサイドネットに突き刺したほか、同40分にも石川直宏(FC東京)と今野泰幸(FC東京)の連携パスに左足で反応している。強烈なシュートはディフェンダーの壁にハネ返されてしまったが、6万1千人を超えるW杯なみの入りとなったスタジアムを沸かせたプレーのひとつである。 本田圭佑(VVVフェンロー)も後半44分に左足で代表初ゴールを決めたが、得点にはならなかったものの、憲剛から譲り受けた同15分のフリーキックは見事だった。GKの手前にショートバウンドで落ちる弾道で、キーパーたちが最も嫌がるボールの一種だ。完全に押さえ込むことが難しく、次の瞬時の反応が勝負の分かれ目となる。ボールを取りこぼした場合、襲ってくる相手FWよりも素早く反応し、ボールの動きを殺さなければならないからだ。 それにしても、どこにこれだけ多くのスコットランド人がいたのかと目を疑った。地元の白山で降車した際にも、タータン柄のキルトに編み上げ式の短靴という独特の衣装のスコティッシュが、赤ら顔で舟を漕いでいた。バーリー監督によれば、横浜に集まった母国サポーターは「およそ500人」だそうで、極東に滞在するスコティッシュたちの応援にえらく感激していた。 スコットランドといえば、東京の人口の半分にも満たない500万人余りのサッカー国だ。協会の設立はイングランドFAに次ぐ1873年と、130年以上の歴史を誇る古豪である。協会設立の前年には、互いに犬猿の歴史をもつイングランドとの試合が行なわれており、これが世界最初のインターナショナルマッチだったと文献には記録されている。民族間の憎悪を代表同士の闘いで中和するという政治的戦略は、その後もサッカーを媒介としてよく行なわれてきた。その歴史的な第一歩がブリテン島における、18世紀初頭から続く支配者と被支配者によるゲームだったわけだ。 98年のW杯フランス大会に出場した彼らは、移動バスの中で両国の抗争史をテーマにしたハリウッド映画を観賞し、次の戦闘に向けたモチベーションを高めたという。おそらくは『ブレイブハート』のことだろう。監督・主演のメル・ギブソンが、「フリーダーム!」と絶叫しながら処刑されるのがエンディングだ。 そういえばフランス大会の開幕戦は、サンドニのスタッド・ドゥ・フランスで行なわれたスコットランドvsブラジルだった。大黒柱のガリー・マカリスターを負傷で欠きながら、彼らが得意とする肉弾戦でPKを奪い、1-1で前半を終えている。だがスコットランドの弱点は、大柄な肉体を支える下肢に疲労がたまる後半にある。カフーのヘディングシュートがセルティックDFトム・ボイドに当たり、オウンゴールを献上したまま終了ホィッスルを聴いた。もっともブラジルも、74年西ドイツ大会でユーゴスラビアとスコアレスドローに終わったのをはじめ、開幕試合で苦しむことが多い。96年のアトランタ五輪で日本に敗れた「マイアミの奇跡」は、あまりにも有名だろう。 さて、スコットランドはW杯に8回の出場を刻んできたが、94年のサウジアラビアや02年の韓国や日本のように、ファーストラウンドを突破した経験が一度もない。今年の南アフリカ大会予選にいたっては、アムステルダムで0-3、オスロで0-4と大量失点したのが響き、グラスゴーのホームゲームでオランダに0-1と敗れたのを最後に得失点差で出場権を逃した。高さはあっても、得点力がない。それがスコットランドに対するイメージだった。しかも今回の日本遠征では直前になって主力メンバーを落とし、経験豊富な30代のベテラン勢はひとりもいない。明らかに、来秋からスタートするユーロ12に向けたチーム編成だった。 6-0と爆勝した香港戦から中1日、岡田ジャパンは大幅にメンバーを入れ替えてきた。4日後のトーゴ戦に向けたコンディション調整という理由もあったが、「新しい選手を試したい」と考えていた指揮官には願ってもない過密スケジュールだったろう。「スコットランド戦でベストメンバーを当てるべき」という意見が一部のメディアであったのもたしかだ。ただ、代表チーム解散後に各クラブに戻る選手のフィジカルを考えれば、岡田監督のプランは決して間違っていない。 香港戦とのメンバーの入れ替えは、以下の通りである。 玉田圭司(名古屋グランパス)と岡崎慎司(清水エスパルス)の2トップを、前田遼一(ジュビロ磐田)のワントップにフォーメーション・チェンジした。遼一は10月3日の第28節終了時点で15ゴールをあげ、今季リーグランキングのトップに立っている。この00年アジアユース年間MVPは、岡崎よりも身長が10cm高いというだけでなく、低さを逆に利して頭から飛び込む岡崎とは明らかに異なるタイプのFWだ。 この変更に伴って、大久保嘉人(ヴィッセル神戸)と中村俊輔(エスパニョール)のセカンドラインが3人に増やされた。序盤は左からナオ、憲剛、そして右が俊輔とポジションを争う圭佑だ。さらに遠藤保仁(ガンバ大阪)と長谷部誠(ボルフスブルク)の3列目を、稲本潤一(レンヌ)と橋本英郎(ガンバ大阪)に変更し、香港戦でボックス型だった中盤を逆台形型に編成し直した。最終ラインも全変更された。左から長友佑都(FC東京)、トゥーリオ(浦和レッズ)、中澤佑二(横浜F・マリノス)、駒野友一(ジュビロ磐田)だった4人が、同じく今野、阿部勇樹(浦和レッズ)、岩政大樹(鹿島アントラーズ)、内田篤人(同)に総入れ替えしている。 なかでも興味深かったのが、バーリー監督も指摘した「フロントライン」だった。いずれも左足を苦にしない3人だ。ナオは遼一に次ぐ14ゴールでリーグ得点ランク2位、憲剛は優秀なパサーであるだけでなく正確なミドルシュートも撃てる。そして圭佑は、昨季オランダリーグ2部の得点王と、爆発力が期待されるメンバーをズラリと並べてきた。 なかでも目を見張らせたのが、ナオのプレーである。 FC東京でデビューした当時は、スピードだけで勝負するグリーンボーイだった。やがて自分のスピードをより速く見せるため、ジョギング程度の走りで動き、そこから一気にギアを上げていくという工夫を見せるようになった。原博美監督が2度目の指揮を執った07年当時には左足の精度を上げ、同監督に「お前のシュートは右足よりも正確じゃないか」と冗談を飛ばさせた選手でもある。 進化を続ける男が久びさに代表に招集されたのは、今季リーグでブレイク中の選手のひとりだからだ。そんなナオのプレーを観ていて、気づかされたことがある。体の入れ方が格段にうまくなってきているのだ。そう簡単にはボールを奪われないようになり、そこに彼の特徴であるスピードがブレンドされ、以前にも増した突破力を生み出していた。「ゲームの流れを変えたいときにナオが使える」とは、岡田監督の言葉である。22名のW杯最終メンバーに向けての競争が、ますます激化の一途にあることが窺えるコメントだった。 けっきょくスコットランドは後半38分、オウンゴールで失点した。後半10分、遼一に替わって投入された森本貴幸(カターニャ)から圭佑へと繋がれたボールを、駒野にクロスで振られ、ドタバタの中から自陣ゴールへ押し込んでしまった。スコットランドの弱点である、後半の弱さが出た形だ。さらに終了間際には、森本のシュートがDFに弾かれ、そこに飛び込んだのが圭佑だった。森本のシュートは、トーゴ戦でも見せたターンシュートだ。ディフェンスを背に負っても力負けしない強さが、彼にはある。 日本がゲームの大方を支配していたため、ディフェンスの連携をもう少し観ておきたかったというのが正直なところだ。とくに代表初出場の岩政がどれほど通用するのか気になっていたのだが、岡田監督の評価は高い。「スコットランドの高さにほとんど負けていませんでした。カバーリングするための戻りもひじょうに良かったと思います」と語る。 こうして振り返ってみると、指揮官が目論んだ新戦力の「テスト」は、それなりの成果をあげたといってよいだろう。 ロード・トゥ・サウスアフリカへの次のステップは、来月の11月シリーズだ。「海外組中心で臨む」という14日アウェイの南アフリカ戦に続き、中3日で香港とのゲームが現地である。長い移動が強いられるため当然、同じ選手は使えず、またヨーロッパ組は現地で解散となることが予想される。ホームで圧勝した香港とのゲームで誰を残し、誰を加えるのか。「Jの労働者」の興味は尽きない。【了】
2009.10.17
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川崎フロンターレ 2-0 横浜F・マリノス【得点者】後半29分 谷口博之(川崎フロンターレ)後半38分 レナチーニョ(川崎フロンターレ)「暑くてキツいのはわかるが、相手も一緒。いや、相手のほうがむしろキツいはずだ。先に1点奪って試合を決めてしまおう」 残暑が厳しいなか、3日に1度という超過密スケジュールで試合を消化してきた川崎フロンターレが相手だ。しかも、裏で何かが動いたとしか思えないJリーグ同国対決で名古屋グランパスに敗れ、フロンターレの選手は精神的にも傷ついている。横浜F・マリノス率いる木村浩吉監督が、ハーフタイムにそうハッパをかけたのも頷けようというものだ。マリノスの今季は、連敗こそないものの、連勝は「2」止まりだ。26節で首位鹿島アントラーズを迷走状態に追い込み、前節では浦和レッズをアウェイゲームで下した。ここで死に体のフロンターレを叩いておけば、リーグ終盤ラスト7での巻き返しも狙える。木村のプランは明確だった。 後半29分、関塚隆監督が先に動く。疲労が見え始めた村上和弘を井川祐輔に交代させたのだ。右サイドバックの森勇介はそのままである。寺田周平や横山知伸、さらには中村憲剛や谷口博之など、指揮官は選手たちにポリヴァレントであることを求めてきた。それが、限られた戦力で2年連続ACLを闘ってきた教訓だった。 その直後のことである。気づけばフロンターレのチームカラーである何千もの「アズーロ&ネロ」が激しくグルグルと揺れ、スタジアムを支配していた。あっという間の先制点だった。火の玉小僧・勇介のクロスボールが高くクリアされ、ゴール中央に落下してきたところを谷口博之が頭で押し込んだのだった。 マリノスは、前半を無得点のまま終えたのが痛かった。36分には左サイドバックの小宮山尊信が、同40分には右サイドバックの田中裕介がフロンターレ守備陣を崩しながら、渡邊千真のシュートはいずれも阻まれた。フロンターレは時間の経過とともにゴール率を上げてゆくチームだ。といっても、エンジンのかかり具合が遅いというわけではない。体力のある前半にも増して、後半の得点率が高いということだ。 同じ日、ガンバ大阪が大宮に4-1で圧勝し、50ゴール台一番乗りをはたした。そのガンバとジュビロ磐田に次ぐ攻撃力を誇るフロンターレは42ゴールのうち、じつに半分以上の27ゴールが後半にマークされたものだ。38分のレナチーニョの追加点を加えれば、それもこの日で後半だけで29ゴールとなったわけである。17位・ジェフ千葉の総得点よりも多いのだから、いかに彼らが後半に強いかがわかるだろう。「最後まであきらめない」と口に出すのは簡単だが、不言実行となすには物理的、精神的な辛さを自制して突き抜ける必要がある。この件について直撃質問をしたことはまだないが、関塚監督の人心把握術が成功した結果なのかもしれない。 ここ2シーズン、フロンターレは今年5月の日産スタジアムで敗れたのが唯一のマリノス戦黒星だ。等々力スタジアムでは一度も負けていない。そんな過去がフロンターレのイレブンに「確信」と「自信」をもたせていた可能性もある。ただ、データはあくまでも数字にすぎないというのもまた事実だ。 10月30日のACL準々決勝を思い起こしてもらいたい。05年10月以来、公式戦10試合で一度も負けていなかった名古屋グランパスに、フロンターレは大逆転負けを喰らっている。このところ秋祭り続きで、本ブログへのレポート報告は間に合わなかった。しかし第1戦を1-2で落としたグランパスにかかったプレッシャーは、相当なものだったはずだ。それを第2戦の試合終了間際にハネ返して準決勝進出を決めたグランパスには、フロンターレに欠落ぎみの「逞しさ」を感じたものである。 閑話休題。 いずれにしろ、無得点のまま後半を迎えたマリノスは、フロンターレを調子づかせてはならなかった。司令塔の中村憲剛や鄭大世(=チョン・テセ)、ジュニーニョといった攻撃のキーマンを球際で抑え込んだ前半を、残り45分でも維持したかった。とりわけテセを頂点に、両サイドからの侵入を図るジュニーニョとレナチーニョの3人は危険である。この日のマリノスの2トップだった坂田大輔と千真のふたりは、チーム総得点のおよそ3分の1に当たる11ゴールを今季リーグ戦であげている。だがフロンターレの3人は、総得点「42」のうち、なんと2分の1に及ぶ20ゴールを量産してきたゴーラーたちだった。彼らは、フロンターレをラッシュさせる脅威的なトリオなのだった。 マリノスは後半開始5分、田中裕介のドリブルから生まれたチャンスを狩野健太がシュートまでつなげたものの、クロスバーを越えてしまう。以後、次第に山の手クラブのマーキングが緩くなり、伏兵・タニの先制を許してしまうのだった。 試合後、木村監督は珍しくライバルを褒めた。「もう少し早い時間での交替も考えたのですが、健太がきちっとボールに絡んでいたのでタイミングが難しかったんです。それにフロンターレは連戦続きだったでしょう。いずれ足が止まるんじゃないかと思っていたんですね。だけどフロンターレは、最後までチーム一丸となってました」 木村監督は2分後に坂田を下げて山瀬功治を2トップの一角に投入したが、鹿島アントラーズ、清水エスパルスに次ぐリーグ3位の「壁」を崩すことは最後まで叶わなかった。こうして38分、伊藤宏樹が仕掛けたカウンターが憲剛、ジュニーニョとつながれ、レナチーニョの絶望的な2点目を生むのだった。 今季のフロンターレは、ACL後のリーグ戦で勝てない試合が続いた。こうした経緯が木村監督の錯覚を生んだのだろう。だが逆に、フロンターレはACL準決勝への道を閉ざされたことで、開き直りともいえる「一丸性」をチームにもたらせていた。それを関塚監督は「川崎魂」と呼び、選手たちを褒め讃えた。 なにしろ首位エスパルスと2位アントラーズとの勝点差は「7」である。ただし9月12日の25節、カシマスタジアムに乗り込んで3-1とリードしていた試合を、不可解なレフェリングで残り16分で「中止」に追い込まれている。マリノス戦に勝利して10月7日、すなわち3日後の再試合でリードを守れば、その差は「1」まで一気に縮まる。ACL準々決勝で敗れたことで、来季同大会の出場圏内である「3位以内」を確保することだけが彼らの最終目標となっていた。雑念がなくなった彼らには、「川崎魂で調子づける」可能性がおおいにあったわけである。 憲剛は、いかにも清々しい表情で言った。「ACLで望みを断たれて、リーグ戦でも連敗中だったじゃないですか(=26節0-2vs浦和レッズ、27節1-2vsガンバ)。これ以上悪い状況にはしたくなかったんです。とにかく今日の試合だけは集中していこうって、チームの一人ひとりが心の中で思っていたんじゃないでしょうか。タニが決めてくれて、あれでボクらの勢いが生まれましたよね」 川島永嗣が続けた。「ACLに負けたことが本当に口惜しくって……。今日のフィールドプレーヤーは、体力的にしんどいゲームだったと思います。でも今日を乗り切ったことで、残り6試合も勢いよくいけるんじゃないかと。また中3日で鹿島との再戦がありますけど、フレッシュな16分になると思います。もう一度チーム一丸となって頑張りたいですね」 注目の10月7日水曜日、フロンターレはアントラーズの岩政大樹に開始直後のゴールを浴びたが、「16分」を最後まで守りきった。これで勝点を一気に「49」まで伸ばし、4チームが「勝点1差」のなかで凌ぎを削り合うという混戦状態に割り込んだ。マリノス戦での勝敗がいかに重要だったかがわかる、天下分け目の正念場だったわけだ。 さて、ここで上位4チームの「ラスト6」に注目してみよう。勝点は10月8日現在のものだ。【エスパルス勝点50】29節vs大分トリニータ(A)、30節vsFC東京(H)、31節vs柏レイソル(A)、32節vsガンバ(H)、33節vsF・マリノス(A)、最終節vs名古屋(H)。【アントラーズ勝点50】29節vsジュビロ磐田(A)、30節vsジェフ千葉(H)、31節vsモンテディオ山形(H)、32節vs京都サンガ(A)、33節vsガンバ(H)、最終節vs浦和レッズ(A)。【ガンバ勝点49】29節vsサンフレッチェ広島(A)、30節vsF・マリノス(H)、31節vs京都(H)、32節vsエスパルス(A)、33節vsアントラーズ(A)、最終節vsジェフ(H)。【フロンターレ勝点49】29節vs大宮アルティージャ(A)、30節vsサンフレッチェ(H)、31節vsジェフ(H)、32節vsトリニータ(A)、33節vsアルビレックス新潟(H)、最終節vsレイソル(A)。 こうして眺めてみると、エスパルスの注目カードは11月21日の32節・ガンバとの直接対決、そして12月5日の最終節・ACLを終えて1ヵ月後にあたるグランパスとの一戦だろう。32節は、香港でのアジア杯予選から3日後にあたる。代表でブレイク中の岡崎慎司のコンディションが気になるところだが、救われるのは、いずれもホームゲームであることだ。 またアントラーズは11月28日の33節・ガンバとの直接対決、そして最終節・埼玉に乗り込んでのレッズ戦が山場となるはずだ。 ガンバは32節でエスパルス、33節でカシマスタジアムでの決戦を続けて迎えるが、10月17日の29節・曲者サンフレッチェとのアウェイゲームが最初の難関となる。続く30節にはマリノス戦もあり、終盤戦でかなり厳しい相手が立て続けに待っている。 ガンバとは対照的に、最もラクに思えるのがフロンターレだ。30節のサンフレッチェ戦をホームで迎えられるのも都合がいい。ただし要注意は、33節のアルビレックス戦だ。これもホームゲームとなるが、勝点「46」で3位以内を虎視眈々と狙っており、10月4日の28節ではアントラーズをアウェイで破り勢いに乗っている。 「ラスト6」をどう観るか。フロンターレの反撃で一気におもしろくなったリーグ終盤戦に注目である。【了】
2009.10.09
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【本田圭佑インタビュー その2】《日本代表話には微妙なリアクション》──星稜高校への進学を決めたのも、オランダへの移籍を決めたのもそうでしたが、じつは何事にも準備怠りない慎重派だったんですね。本田 こう見えても意外とね(笑)。──フェンロー(VVV)の移籍会見ではオランダ語で挨拶してたけど、ずいぶん前からオランダ語の勉強もしてたんですか。本田 いや、ボクはいまだにオランダ語をまったくしゃべれないんです。オランダ人は英語がうまいんで、英語でコミュニケーションをとってます。ボクの片言の英語でも、なんとか会話を楽しめてるんで。──英語の家庭教師はつけてるんですか。本田 1週間に1回だけチームの人につけてもらってますが、あとは自分で勉強するしかないですね。だから英語の先生について勉強する時間が、ちょっと足りないですよね。1週間に1回だけじゃね。なんとか自分でやってるっていう状態です。──このまま英会話を身につけていくと、将来の視野もグッと広がりますよね。本田 そうなんですよ。プレミアリーグも含めて視野に入ってきますから。やっぱり英語を最初に覚えたいなって思ってたんで、その意味でもオランダを選んで良かったですよ。オランダ語は、まったく覚える気がないですから(笑)。だってスペイン語なんかと違って、使える地域が限られてるでしょう。──ところで去年の夏、若くして結婚したというのも「サッカーに集中したい」という理由があったんですか。本田 その通りです。海外へ出ていくというタイミングでもあったし、それにやっぱり、スポーツ選手はプレーに集中することが大事だと思ってるんで。小さなことでパフォーマンスが下がるっていうことが、実際にあるんでね。そういう意味じゃあ、支えてくれる人が近くにいるかいないかで全然ちがってくると思ってましたから。そういう考えが、23歳で結婚するというきっかけになりましたね。──フェンローのほかに移籍できる可能性があったクラブはなかったんでしょうか。本田 ほかにはなかったですね。フェンローだけだったんです。セフ・フェルフォーセンに紹介されて、フェンローで練習させてもらったんです。まぁ、テストみたいなもんですよね。向こうへ行くまでは何も決まってなくて、とにかく行ってみないと何もわからないというような状態だったんです。「なんとか契約にこぎつけたい」というイチかバチかのような選択だったんですね。「なんとか自分の足で認めさせるしかない」っていう感じで。テストを受けるときにPSVのBチームと練習試合をしたんですよ。それがボクにとってのテストだったんですよ。──セフがPSVの監督をやってたから実現したんでしょうね。本田 そうですね。それもあって組まれた試合だったんでしょうね。話が早いですから。で、その試合で1得点、1アシストを決めたんで、「これでもう契約は決まったな」って、ボクのなかでもそんな自覚をもってましたよね(笑)。その結果、契約もできたし、良かったなと。──2シーズン以上プレーしてみて、自分のなかで何か変わったものはありましたか。本田 攻撃的な部分ですかね。フリーキックだったり、ボールを持ったときに常に攻撃の起点になっていくという姿勢の部分だったり。チームにも「チャンスを演出する」という部分が買われたんじゃないかと思います。──プレースキッカーは入団当初から任されてたんですか。本田 そうですね。「その一人」としてですが。──フリーキックの球の質はオランダで変わりましたか。本田 まずボールが変わったんで、逆に日本で蹴ってたようなキックが蹴れなくなってしまったんですけどね。オランダのボールは日本よりも少し重いんで、たしかに球質も変わったような気はしますね。──どんなふうに変わりましたか。本田 オランダのボールは、正しい回転をしやすいんですよ。そういうボールを2年間ずっと蹴ってたんで、当たり前のキックを当たり前に蹴るのが巧くなったんじゃないかと思います。日本では回転しないボールだとか、どう変化するかわからないようなボールだとか、そういう変則的なキックの練習ばかりしてたんでね。だからオランダに行ったら、基礎中の基礎のキックがまた一つ巧くなったっていうか、あらためて初心に戻らされたという感じですね。──ボールの質によってキック技術も変わってきたということですね。本田 そうだと思います。──昨季の16ゴールのうち、フリーキックから直接決めたのはいくつぐらいあるんですか。本田 2点しかないんですよ。しかもリーグ終盤になってからですね。それまではゼロだったんです。──それまでゼロだったのは、たまたまだったんですか。本田 日本とは質の違うボールに、最初の頃は慣れてなかったんでしょうね。それで最初はフリーキックを決めることができなかったんじゃないかと思います。──日本代表にも俊輔、ヤットというフリーキックの名手がいますが、彼らとフリーキック談義みたいなものをかわしたことはあるんですか。本田 いや、とくに話はしてないですね。向こうから話しかけてくれるということもあんまりなかったし。──いまの代表の雰囲気ってどんな感じなんですか。本田 ……。皆んな仲はいいんじゃないですか。──個人的な意見なんだけど、今の監督が南アフリカで指揮を執るというイメージがどうしても沸かないんですよね。本田 ……(笑)。ああ~、そうですかぁ。まぁ……。──でも協会は何も手を打ってこなかったわけだから、このまま行くしかないんですけどね。本田 岡田さんで予選を突破したわけですからね。──ルイス・フェリペを含め、「名将」と言われる監督が暇してたんですけどね。※ルイス・フェリペ・スコラーリ 97年にジュビロ磐田を率いた経験をもつ。01年にセレソンの監督に就任し、チームにペンタ(5度目のワールドカップ優勝)をもたらせた。04年ユーロではポルトガル代表を準優勝に導き、08/09年シーズンからチェルシーの監督に就任。09年2月に解任されたあとはフリーとなっていたが、日本協会が彼を代表監督にリストアップした形跡は窺えてない。その間隙をついた09年6月、ジーコのあとを受けてウズベキスタンのFCプニョドコル監督に就任した。本田 ああ~、はいはいッ。【つづく】
2009.09.11
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【本田圭佑インタビュー その1】「じつは慎重派だったビッグマウス」──生まれも育ちも大阪ですよね。なのに、どうして石川県の星稜高校へ進学することになったんですか。本田 中学のときはガンバのジュニアユースだったんですけど、ユースに上がれなかったんですよ。──だったら、大阪の高校でも良かったわけだけど。本田 高校のサッカー部に入るしかないという選択肢のなかで、兄貴に相談したんです。──お兄さんはいくつ上なの。本田 3つ上で、帝京高校のサッカー部だったんです。そのときに、いろんな条件をつけてみたんですね。──どんな条件だったんですか。本田 まず帝京とか国見とか市船(=市立船橋)ほど、サッカーの名門ではない高校ですね。──1年からレギュラーになるためですか。本田 そうです。そういうチャンスがあるようなチームで、なおかつ「勝てばいい」というような高校ではなくて、サッカーの内容にもこだわって選手育成してるような高校ですね。──帝京みたいな「勝利至上主義」だと、高校だけで燃えつきちゃうからね。本田 ですね。で、「そういう高校ってどこかな?」って兄貴に相談したんです。兄貴は帝京ですから、全国を転々としながら試合をしてましたからね。そしたら「その条件に合うのは星稜だな」と言われまして、しかも「なおかつ1年からチャンスがあるんじゃないか」って言われたんですね。そこでガンバのスカウトの方を訊ねて、「1回星稜の練習に参加させてほしいんですが」って頼んだんです。それが中学3年の卒業前ですね。──実際に練習に参加してみたら、すごく自分とフィットしてたと?本田 合ってましたね。──でも「サッカーの内容」までを条件とするとしたら、そういう高校を探すのは大変だったんじゃないかと思うけど。本田 それはもう、兄貴の情報を信用するしかなかったですから。もう、賭けみたいなもんですよね。こっちはあとがない状況でしたから。──お兄さんから受けた影響はかなり大きいんですか。本田 名門の帝京で実際にサッカーをしてた人間ですからね。だからそれまでも、参考になるようなアドバイスを何回かもらったことがあるんです。──ところでボクが”生圭佑”を観たのは高円杯(=02年。国立競技場の決勝で国見に敗れる)なんですよ。西が丘です。相手は清商……。本田 いや、あのときの相手は室蘭大谷じゃなかったかな。──優勝候補だったもんねぇ……。こうやって話を聞いてみると、「何事にも準備怠りない」という、じつはそういう性格なんですね。オランダへの移籍(=08年1月)も、かなり準備した結果なんでしょうか。本田 っていうか、小さいころから海外の有名プレーヤーを観てきて、「ああいうふうになりたいなぁ」って思ってましたからね。「将来プロになったら、うまくタイミングを見つけて海外に挑戦したいな」って、高校生のときからずっとそう思ってたんです。で、ボクが名古屋グランパスと契約した(=04年。05年デビュー)あとに、監督がオランダ人になったんですね。──そうでした。セフ・フェルフォーセンですね(05年10月~)。本田 入団3年目(=07年)も同じ監督だったんですけど、その年がちょうどセフとグランパスの契約が切れて、彼がオランダに帰る年だったんですね。ボクはずっと海外に行きたいと思ってましたから、俊哉さん(=藤田)に日本人の代理人の方を紹介してもらったんですね。──志半ばで帰国しちゃったけど、俊哉もオランダでプレーしてたからね(=03年8月、ジュビロ磐田からユトレヒトに半年間のレンタル契約。14試合に出場し1ゴールも、ユトレヒトの資金不足とジュビロ低迷を原因に帰国。現ロアッソ熊本)。本田 そう。あの人もオランダでプレーしてたんで、「監督もオランダ人だし、オランダに行く方法はありませんかね」って、俊哉さんを通じて相談したんです。──状況的にはすごくわかるけど、なんでまたオランダの一点決めだったんですか。本田 だって実力的に考えて、いきなりスペインやイタリア、プレミアに挑戦しても、出場できるチャンスは少ないですからね。サッカー選手は、「やっぱプレーしてナンボや」という想いがあったんで。小さいころに夢みてたトッププレーヤーになるためには、より試合に出れる可能性のある国とクラブがいいと思うんで、それでオランダになったんですね。──つまりこのときは、俊哉がお兄さんがわりの相談相手になってくれたわけですね。本田 そうですね。俊哉さんが半年間オランダへ行ってたときの情報を聞いてましたんで。自分自身がステップアップする国として、オランダは最も適してる国なんじゃないかと感じてました。【つづく】【送料無料】日本代表 PREDATOR FM トレーニング 上下セット【adidas】アディダス ジャージ上下セット【2009japanblue】(IL543-E9995)
2009.09.01
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7月5日 J1第16節@等々力競技場 22,185人(88.0%)川崎フロンターレ 1-1 鹿島アントラーズ【得点者】前半33分 ジュニーニョ(フロンターレ/PK←内田篤人)後半19分 興梠慎三(鹿島アントラーズ) 寺田周平の代表への再招集は、このゲームで消滅したのかもしれない。岡田武史監督の眼前で、決して犯してはならぬミスを犯してしまったからだ。 センターバックの周平がボランチにコンバートされたのは第9節、日産スタジアムでの後半からだった。彼は中盤でのルーズボールを、空中戦で制することができる。ここで奪ったボールを両サイドへ振り、中村憲剛や山岸智を起点にフィニッシュへと繋げる。それが関塚隆監督の狙いなのだろう。つまりスタミナが要求される夏のフロンターレの、新たなオプションを経験者に託したのだ。くしくも試合後、指揮官は言った。「守備のベースはできてきたが、そこからどう攻撃の形を作っていくのかが現在の課題です」。 鹿島アントラーズは前半、エリア内での内田篤人のプレーに不可解なジャッジングが下され、PKで1点を奪われたうえ、10人での闘いも強いられていた。前線にマルキーニョスと興梠慎三の二人を残しつつも、ボール供給源の一人である本山雅志が内田のポジションに下がるという緊急シフトだ。 フロンターレがボールポゼッションを握る時間帯では、当然、ゴール前を固めるために人数をさかねばならない。ジュニーニョにいささかの衰えが見え始めてきたとはいえ、フロンターレの今季総得点「27」は、同「28」のガンバ大阪とサンフレッチ広島に次ぐ数字である。しかも05年以降の4シーズンで、アントラーズは一度も等々力で勝てていない。計5試合のいずれもが、1点差による敗戦だった。鬼門のスタジアムで追加点を許すことは、絶対に避けなければならない事態だったのだ。 だが後半19分、そんなアントラーズに最大のチャンスが訪れる。周平はゴール前の敵を引き出し、中盤のアタッカーたちにスペースを与えてやりたかったのだろう。が、それにしても、あまりにも軽率すぎるプレーだった。集中力を欠いたとしか思えない不用意なバックパスを、マルキに奪われてしまったのだ。汗かき役のマルキでなくともインターセプトできるような、ひどく力の弱いボールだった。ほぼ満員のスタンドからアズーロ・ネロ(=青黒)の悲鳴が上がった。 マルキの背後から、興梠がクロスするように前線へ飛び出し、あたかも予定調和でもあるかのようなパスがマルキから若者の足もとへと送られる。センターバックの菊池光将が、興梠のスピードに身体を置いていかれ、GK川島永嗣との1対1から慎三が流し込んだ。 西ではガンバ大阪が、GK松代直樹のミスによって名古屋グランパスに壊された。そしてフロンターレも、目前まで手繰り寄せたはずの勝ち試合を、プロとは思えぬミスによって取りこぼしてしまうのだった。 この敗戦で、フロンターレはアルビレックス新潟にも得失点差で抜かれ、3位に転落した。結果、この2チームと同じ勝点で並ぶ、浦和レッズとの2位争いという展開が濃厚になってきたようだ。首位アントラーズの勝点「39」の背中に追いつくには、勝点差「8」の壁はあまりにも大きいからだ。 後半、フロンターレは何度も決定的チャンスを外した。 わずか開始40秒過ぎには、ジュニーニョの右クロスに鄭大世が頭をピタリと合わせるも、強烈に叩かれたボールがポストをわずかにそれる。貴重な駒を1枚欠いたアントラーズの体勢が整う前にできた、それは一瞬の隙だった。5分にもジュニーニョの個人技から村上和弘が左足一閃したが、これも追加点を奪うには至らない。15分には憲剛がゴール右隅に放ったシュートが、曽ヶ端準にぎりぎりでセーブされる。アントラーズに同点とされたのは、その4分後の出来事だった。 その後も、アントラーズは一人少ないことを忘れてしまうほどバランスのとれたゲームを進めている。決してベタ引きではなく、中盤が手薄なわけでもない。フロンターレに起こるかもしれない次のミスを窺いながら、危険な2トップがハイエナのように、そして献身的に動き回った。そんなアントラーズとフロンターレとの違いは、自分たちが何をすべきかを、選手個々が客観的に判断できるか否かだろう。アントラーズのイレブンは、互いの共通理解ができているのだ。けっきょくフロンターレは、「リーグ随一の得点能力」という相変わらずの凶器を備えながら、10人になった相手のゴールさえも割ることができなかった。レフェリーの判断によって得た、タナボタの1点だけに終わったのである。 ハーフタイムでロッカールームへと戻る西村雄一レフェリーの背中に向って、オズワルド・オリヴェイラがひどい訛りの英語で訴えかけていた。「あなたがたがJリーグを守るべきなんだ!」と。 「このままアントラーズに独走されたら、Jリーグがおもしろくなくなるからね」。まるでレフェリーに何か特別な意図でもあったかのように訝った記者もいたが、オリヴェイラ監督の主張は揺るがなかった。「内田は若いながらもU-20、五輪代表、そしてフル代表でも活躍しているが、一度も退場になった経験のない選手なんです。本人に真相を問いただしたところ、彼は涙目で言いましたよ。”お腹に当たったんだ”とね。彼はウソをつくようなタイプじゃありません。そんな彼の言葉を、私も信じたいと思います。もし内田の手にボールが触っていたとしたら、フロンターレの選手もアピールするはずでしょう。だけど、現実は逆でした。彼らはレフェリーの判断に明らかに驚いていたんですから」 フロンターレは勝点「3」をみすみす逃して壊れたが、アントラーズはこれだけの圧力を受けながらも試合を壊すことはなかった。いわゆる、「勝ちに等しい引き分け」というやつだ。今のアントラーズを、いったいどのクラブが引きずり降ろせるのだろうか。18節の清水エスパルスか、それとも20節のサンフレッチェ広島か。すくなくとも彼らには、ほとんど死角が窺えない。まだサマーバケーションにも入ってないというのに、過去最速スピードでの「リーグ3連覇」、そしてBack to the Antlers' eraも見えてきた。【了】2009 Jリーグチームメモラビリア 鹿島アントラーズレギュラーカード内田篤人
2009.07.08
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5月5日 J1第10節@国立競技場 32,854人(61%)柏レイソル 2-3 浦和レッズ【得点者】前半11分 エジミウソン(レッズ)前半24分 北嶋秀明(レイソル)前半38分 石川直樹(レイソル)後半39分 OWN GOAL(レッズ)後半42分 セルヒオ・エスクデロ(レッズ)「サッカーではさまざまなことが起こります。たとえばレフェリーのミスジャッジやオウンゴールなど、意図的には望んでいないことが起こるものです。だけど私たちは、幸運を必要とすべきではありません。幸運よりも、チームのクォリティを上げることが必要なんですから」 フォルカー・フィンケ監督が「幸運」を繰り返したのも無理はあるまい。3日前のアルビレックス新潟戦を、ロスタイムのゴールで逃げ切ったばかりだった。そしてこの日も、ハンドに見えたエジミウソンの先制に柏レイソルの猛抗議は一切受け入れられず、セルヒオ・エスクデロの決勝点も偶然によって生まれた。サッカーでは、様ざまなことが起こる。クォリティの面で上回ったチームが、最終的には敗れたのだった。 レイソル主催の国立での成績は、両クラブほぼ互角である。 02年7月、田中達也らの活躍で浦和レッズが2-1でレイソルを下したゲームから順を追っていこう。3年後の夏、逆にレイソルが3-0でレッズを完封、この年の年間順位16位のチームが、格上である2位のチームに雪辱した試合だった。だが07年4月、今度はレッズがワシントンと小野伸二のゴールでレイソルをゼロ封する。そして最も直近の例が、昨年6月の国立だ。李忠成の先制などでレイソルがレッズを2-1で倒す。Jのお荷物クラブから強豪の仲間入りをはたした近年のレッズにとって、レイソルは決してラクな相手ではなかったというわけだ。しかし今季、彼らはまだ1勝しかあげていない。「1勝2敗6分」というあと一歩及ばぬ成績が、レイソルが抱える苦痛を物語っていた。 序盤のレイソルは激しいプレッシングをかけながらも、アプローチとフィニッシュのちぐはぐさでたびたびチャンスを逸していた。そんな矢先の11分に生まれたのが、エジミウソンのヘディングシュートである。出鼻をくじかれたレイソルが、どう反撃していくかに注目が集まった。なぜなら問題を抱えていたのは、むしろレッズの側にあると思えたからだ。 レイソルのシステムは市船出身・北嶋秀明を頂点とする4-2ー3-1である。トゥーリオと坪井慶介が交互に北嶋をケアしていたが、キーとなったのがレイソル2列目の「3」だった。右サイドのワイドポジションに忠成、トップ下に習志野高出身の栗澤僚一、そして左サイドにはレイソル生え抜きのプレースキッカー・菅沼実が並ぶ。この3人に対して細貝萌が忠成を、ボランチの阿部勇樹が栗澤を、山田暢久が菅沼をチェックするという役割分担が行なわれた。ところが細貝と山田の守備の負担が重くなり、レッズは効果的なサイド攻撃がほとんどできないでいた。 逆にレイソルは、2列目の両サイドがフッと中に入る動きを見せたときに巧妙なチャンスシーンを作り出していた。 その典型例が、試合を振り出しに戻したキタジのダイビングヘッドだろう。インへ潜り込んだ忠成の動きに細貝が惑わされ、後方からオーバーラップを仕掛けた小林祐三のケアに一瞬遅れた。両者ともにセカンドボールに触れたが、最後にモノにしたのが小林だった。レイソル右サイドバックのクロスに、182cmのキタジが躍動した。 同じようなシーンは左サイドの菅沼と石川直樹の関係でも見られ、サイドの攻防という点では完全にレッズが後手に回っていた。38分には菅沼のフリーキックのこぼれ球を石川が左足で突き刺し、前半2-1でレイソルがリード、後半はフィンケ監督がどう修正してくるのか、その手腕に期待がかかった。 ところがこのドイツ人指揮官の策は、攻撃の駒を入れ替えるだけに留まる。メディアからのプレッシャーに潰れかけているという原口元気を高原直泰に代え、それでも追加点を奪えないと見るや、24分にセルヒオ・エスクデロを中盤に投入し、ロブソン・ポンテの攻撃参加をより多く促した。 後半のレイソルは、レッズが警戒する2列目がやや引き気味になってしまったのが悔やまれる。11分には「カウンターに強い」という理由で話題の大津祐樹を北嶋と交替させ、19歳とは思えぬフィジカルの強さとスピードでレッズの坪井を脅かせもした。ただ大津をターゲットにしたパワープレーの数が増え、中盤の展開が甘くなってしまったことは否めない。それでも22分には、センターバック・近藤直也のヘッドがボール1個分ポストを外れる。あるいは31分の菅沼のフリーキックがポストを叩くなど、確実な勝利を手繰り寄せようとしていた。 トゥーリオが前線に顔を出す回数が増えた39分、集中力を切らせたとしか思えないレイソルにミスが出る。今年になってからようやくチームにフィットし始めたエジミウソンは、セットプレーで最も気をつけなければならない男だ。記録はオウンゴールとなったが、左コーナーキックを183cmの頭でねじりこみ、土壇場で同点としたのである。さらに42分、そのエジミウソンのシュートをGK菅野孝憲が弾き、たまたまそこにあったのがエスクデロの躰だったというわけだ。 レイソルはこの気の毒な敗戦で「1勝3敗6分」となった。ろくな補強もせず、中盤のキーマンであるホベルトを負傷で失った最下位・大分トリニータとの差は「5」である。「不運」だけでは片付けられない泥沼状態に陥ったといってよいだろう。 そしてこの勝利で単独首位に立ったレッズも、気を緩めるわけにはいかない。ACL出場中の2位鹿島アントラーズ、3位名古屋グランパスエイトの第10節は7月にズラされており、現時点ではあくあでも暫定順位だ。そのうえ10日には川崎フロンターレ、16日にはガンバ大阪とのホームゲームが控える。1点を守りきる魅力薄のサッカーから、ショートパスをつなぐチームへと変貌を遂げつつあるが、この日のゴールは2点がセットプレー、決勝点はフィンケが嫌う「幸運」である。中央突破に偏りがちなサッカーにアレンジを加える必要があるはずだ。【了】【新商品】浦和レッズ 2009 プレイヤーズ コンフィットTシャツ No.4/TULIO/田中マルクス闘莉王【Jリーグ/Tシャツ】
2009.05.07
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大分トリニータ 森島康仁インタビュー その2──ずっとセレッソ大阪育ちだっただけに、チームを離れるのは寂しかったんじゃないですか。モリシ 6年間も西成にいたんで、そうとうモマれましたよね(笑)。セレッソに対する未練はどこかにあるんですけど、チームで結果を残せなかったし、大分のほうがタイトルに近いような気もしてたんで。──その大分に追加登録された08年7月16日まで、セレッソでは一度もベンチに入れませんでした。精神的にも辛かったんじゃないですか。何をやってもダメなわけですから。モリシ 3ヶ月間も試合に出れなかったんで、萎えて練習してましたよね。ホント、口惜しすぎて……。とくに外国人監督の場合、一度選手を使わなくなると、その期間が長くなる傾向があるんですよね。──ペリクレス・シャムスカとレヴィ・クルピの違いは何ですか。モリシ クルピは規律が多いんです。たとえばコンビニには行くなとかね。でもシャムスカは「これとこれをやれ」と、的確に指示を出して終わりなんです。すっごいポジティブなんですよ、「自分の人生が見えてんのか?!」って思えるぐらいに。たとえばちょっと家庭の事情があって悩んでたときに、その気持ちが試合にも出てたらしいんですよね。そしたらシャムスカに言われたんです。「お前、昨日何かあったやろ?」って。「何があったんや。言うてみぃ」って訊かれたとき、「なんでこの人わかるんやろ」って思いましたから。シャムスカは、それぐらい気が利く人なんですよ。「大丈夫や。焦るな」って励まされましたからね。──あの人には、どこか研究者のような風情があるんですよね。モリシ ホントにすごい人だと思いますよね。「いい選手はいい監督になれない」ってよく言いますけどね。──プロ選手としての経験がないという意味では、インテルのジョゼ・モウリーニョみたいなもんですよね。だけど昨季リーグ開幕前まで全くノーマークだった大分がナビスコを獲り、優勝争いも演じました。何が力になったんでしょう。モリシ スポンサーがないチームなんで、選手たち自身でスポンサー回りまでするし、そういうところで一つひとつ頑張ってきたことが、サッカーに対する厳しさにもなったんじゃないかな。だってスポンサー各社の社長から直接、「もっと勝ってもらわないとウチも困る」って言われるんですよ。だから選手たちのなかにも、「早く優勝したい」っていう気持ちがすごく強かったと思うんです。ボクもちょうどチームが勝ち続けていたときに移籍してきたんで、「このままいけば絶対に強いチームになる」と思ってたんですよ(=7月20日の第18節vsジュビロ磐田戦後半に大分デビュー。以来、チームは7勝2分。第21節vsアルビレックス新潟戦で大分初先発し、1得点記録した)。ナビスコの名古屋戦なんかも「負けるんとちゃうかな?」って思ってたのに、「これはもしかしたらイケるんちゃうかな」って気持ちに変わってたし。1-1になって、第2戦には勝って、「あれ? 決勝だよ」って(笑)。──地元・大分では大変な歓迎ぶりだったんでしょ。モリシ どこへ行ってもスーパースターでしたね。レストランに入ったらタダになったりとか、コンビニでもタダにしてくれたところがあったぐらいです(笑)。──ビッグアイ(=現・九石ドーム)の雰囲気がまたいいんだよね。応援がまとまりやすいから。その点では、長居はちょっとデカすぎだね。モリシ 九石は常に2万人を軽く越えるでしょう。気持ちいいですよね。──昨季はホーム不敗記録を更新したもんねぇ。モリシ でも、今年は危機感がありますよ。っていうのも、ボクがセレッソ時代、優勝争いした翌年に降格してますから(=00年の第1ステージで2位。しかし翌シーズンの年間順位が16位に終わり、J2降格決定。ちなみに00年の監督は副島博志。01年夏にジョアン・カルロスに引き継がれたが、短期間のうちに西村昭宏にバトンタッチされた)。──だけどシャムスカもピクシーも、昨季はオシムのようなマジックを見せてくれました。とくにシャムスカは、相手によって練習方法を変えてるらしいですね。モリシ そうだったかなぁ……、ああ、やっぱり変えてますね(笑)。去年の成績は寛大な心をもった監督の力なんでしょうね。間違いなくいい監督だと思います。今年は完全移籍を決めましたけど、「森島がいるから、そのほかの補強はいらん」って言ってくれましたから。──いやぁ、チームの財政事情もあるんだろうけど、補強はもう少し欲しいところじゃないんですか。来季からはACLでも闘えるような仕様にしていかないと(=07年度の決算報告によれば、大分の営業収入は横浜FC、ヴァンフォーレ甲府、ヴィッセル神戸に次ぐワースト4だった。08年度の決算報告が待ち遠しい)。モリシ でもシャムスカにはすごく評価してもらってるわけで、その期待にもっと応えていかないといけないなって思いますね。「21歳のときの高松大樹とくらべても、今のモリシの能力のほうが高い」とまで言われてるんですから。そういうポジティブな話を聞けてすごく嬉しかったし、だから完全移籍を決めたんです。──給料は上がった?森島 上がりましたね。でもあれだけ評価してもらってるんだから、逆に少ないかも(笑)。【その3につづく】
2009.04.26
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4月5日 J2第6節@味の素スタジアム 7,166人(14%)東京ヴェルディ 1-3 ベガルタ仙台【得点者】前半33分 大黒将志(ヴェルディ)前半47分 エリゼウ(ベガルタ)後半19分 中島裕希(ベガルタ)後半32分 田村直也(ベガルタ) どのチームにも、キーパーソンとなる選手が必ず存在する。チーム力とは、えてしてその人数と比例するものでもある。東京ヴェルディにとって不幸だったのは、河野広貴が4月2日のトレーニングで右足の関節を負傷したことだろう。29日の栃木FC戦を観たかぎり、彼こそが現在のヴェルディが抱える唯一のキーパーソン、すなわち「試合を動かせる選手」に思えたからだ。 一昨年、17歳でトップチームにデビューし、昨季は17試合に出場したドリブラーである。だが、栃木戦の翌日に19歳になったばかりの選手に頼らざるをえないところに、現在のヴェルディの悲劇がある。「頼らざるをえない」とまで言っては、いささか表現が酷かもしれぬ。だがこの日のヴェルディからは、栃木戦の前半で見せたようなスピード感すらも消えていた。つまり、たったひとりの選手が抜けただけで、かなり表情の異なるチームになっていたわけだ。たとえいくつかの駒を失っても、やるべきサッカーの質はほとんど変わらない。たとえば、ガンバ大阪のようなチームだ。これもまた、そのチームの力を測る物差しのひとつとなるだろう。 河野を失ったヴェルディは機動力に欠け、序盤からベガルタ仙台にゲームの主導権を握られていた。このチームの伝統であるパスサッカーが機能しないのは、スピードで相手を置き去りにしたジョージ与那城、あるいはラモス瑠偉のようなピッチ上の司令塔が不在だからだ。ベガルタの選手でいえば10番・梁勇基(=リャン・ヨンギ)のような、ボールをキープしながら味方の上がりを待ってスルーを出せるタイプがいない。スピードで左サイドを支配できる相馬崇人も、J2からの再スタートとなった06年に失っていた。これでは、ワントップの大黒がボールに触れる機会が少なくなるのもやむをえまい。 悪性のウィルスはチーム全体に感染し、とくにヴェルディのディフェンスは時間を追うごとにボロボロになってゆく。ボールを奪うやいなや前線に向って労を惜しまぬベガルタに釣り出され、あっという間に数的有利を作られてしまうのだ。 高木琢也監督が、この日のベガルタをこう評した。 「ベガルタのほうがゴールへの意欲があって、ゴールを守ることにも執着心を見せていました。ベガルタと比べると、ウチは攻撃のアプローチが遅く、スピードも劣ってましたから」 失点は、誰の目から見ても時間の問題だったわけだ。それだけに、前半33分のヴェルディの先制は意外だった。滝澤邦彦の左サイドからのフリーキックを大黒将志が角度を変えて奪ったものだが、栃木のゴール前にたまたまできたエアポケットがゴールにつながった。栃木のディフェンダーがボールウォッチャーになってしまったのが原因である。 高木監督が、再び振り返る。 「残り15分を落ち着いていこうという全員の統一意識があれば、前半のロスタイムに同点にされることはなかったかもしれません」 ホィッスルの音が響く直前の前半47分、クリアボールを左で拾った関口訓充がゴール前にクロスを上げ、これをエリゼウが頭で決めたものだ。 五戸時代に「青森にこの兄弟あり」と言われ、80年代初頭の高校選手権で全国を驚かせた手倉森誠監督は、たいそうご満悦の様子だった。なにしろヴァンフォーレ甲府戦に続き、湘南ベルマーレ戦でも1点に泣いたのだ。 「自分たちの不注意で食らった2連敗の反省を選手たちがよく生かしてくれたと思います。じつは、バルサの試合のビデオを2度見せたんですよ。シンプルにボールをもつというイメージをもたせるためです。今日はヴェルディの背中をうまくとれたし、タフに動けたと思います。この1週間練習してきたことを試合で出せました」 まず後半19分、右ボランチ・斎藤大介のドリブルが再び関口に渡り、中島裕希が逆転ゴールを奪う。3点目は32分、ヨンギのドリブル突破から中島へ、こぼれ球を左サイドバックの田村直也が決めた。 じつはこの田村、今季水原三星ブルーウィングスから移籍してきた朴柱成(=パク・ジュンソン)の交替カードだった。ジュンソンが前半終了間際に肉離れで負傷したため、急きょ切られた早めの1枚だ。 前半から手倉森監督が盛んにジュンソンをピッチ際に呼び寄せ、何事かアドバイスを送っていた。その内容を訊いたところ、上がるタイミングに逡巡しがちな彼に「もっと勇気をもって攻撃に参加しろ」と伝えていたのだという。まだ手倉森のサッカーに慣れていないジュンソンは、遅かれ早かれベンチに下げられていたのかもしれない。すくなくとも田村が入ったとたん、ベガルタの左サイドが危険になり、結果的に3点目につながった。監督の采配がズバリ的中したということである。 どうしても1点が欲しいヴェルディは25分、194cmの船越優蔵を投入して2トップにフォーメーションを変えた。1点ビハインドになってからは高いフィジカルをもった左ボランチの河村崇大をトップ下に上げ、中盤をダイヤモンド型にもした。だが4-3-3システムで中盤を厚くしたベガルタから支配権を奪うことは最後までできず、4分間のロスタイムもうまく利用されてしまう。「1-3の状況になっても攻撃時のスピードが上がらなかった」と高木監督は言ったが、選手をまとめきれてないようにも見える。選手たちは自分たちに自信を失うとともに、指揮官への信頼も後退させているのではないだろうか。かなり深刻であることだけは間違いない。【了】
2009.04.05
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3月29日 J2第5節@国立競技場 4,040人(8%)東京ヴェルディ 1-0 栃木FC【得点者】後半47分 大黒将志(ヴェルディ) 半月板周辺に異常を感じたのは、ひと月ほど前のことだった。 どうやら、専門外のシューズでボールを蹴りまくったのが原因らしかった。だが、歩行に困難をきたすほどではない。当初は湿布薬治療だけで違和感がなくなるのを待ったのだが、やがてそれも億劫になっていった。 ところが約1週間後、下から冷気が忍び寄る雪の等々力スタジアムから帰宅したまでは良かったが、翌朝になってから右ひざに激痛が走り、起き上がるのにも難儀する。なにしろ足を動かそうとするたびに、骨がささくれだづような痛みに襲われるのだ。「こりゃあ、さすがにマズい。取材もできなくなる」。 そこで神輿仲間の薬屋の好意で、本郷の外科医までクルマで送ってもらうことになった。医師の診断によれば、「ヒザの皿に加わった歪んだ衝撃にブレを起こし、ひどい炎症を起こしてしまった」らしい。 回復するまでに時間を要する骨の異常ではない。そう胸をなでおろしたとたん、今年最初の神輿は、4月12日の根津権現「つつじまつり」であることを想い出した。なんとしても、それまでに全快させなければならない。筆者にとっては、今シーズンの”開幕戦”だからだ。おそらく、骨と骨の間に射ったのだろう。なんともいえぬ、鋭利な痛みをともなった注射の世話になり、重い気分で帰宅したのだった。 以来、筆者は杖とともに生きている。「戦極」の会場に行けば、顔見知りの記者に「もしかして関節技でやったんですか?」と問われ、サッカースタジアムでは「後ろからタックルでもされたの?」と問われる。 日にちの経過とともに、平地での歩行スピードは上がりつつある。しかし階段や坂道での歩行は、細心の注意が必要だ。「大仰でヤダな」と思いながらも、階段がつきもののスタジアムでは杖が必需品となる。埼玉スタジアム方面へ向かう地下鉄のラッシュも怖い。駅のホームにひっそりと設置されたエレベーターの場所を覚えるなど、健常体では学べなかった社会知識は増えたものの、3本目の足であるステッキを駆使しながら前進するのはじつに面倒くさい。 そんななか、栃木SCの素顔を知るべく、国立競技場へと向った。東京メトロを乗り継げば乗車賃が最も安いのだが、メトロからJRを乗り継ぐと20分前後の時間倹約ができる。チャージ不足の判明やトイレをもよおすなど、道中では何が起こるかわからない。のろまなハンディキャッパーは、迷うことなく後者のコースを選択したのだった。だが何が起こるかわからないのは、サッカーの醍醐味でもある。「ワールドカップでベスト4」を豪語する指揮官の根拠も、事実、それでしかない。 栃木は、4日前にも国立で試合を行なっている。彼らの、国立初ホームとなるゲームだった。「観衆2,020人」は、後楽園ホールであれば満員の数字である。 栃木のサポーターは新幹線のやまびこを利用しても、宇都宮からスタジアムまで1時間半近くかかる。相手が九州のチームであることを考えれば、それほど悲観する観客数でもないだろう。相手チームにとっても、東京であれば経費の倹約にもなる。東京の中心にある広いスタジアムは、ニュートラルな役割をはたしているわけだ。 第3節のベルマーレ湘南戦で、栃木のサッカーは反町康治監督をひどく驚かせたという。チャンスの数でベルマーレを上回りながら、勝てたはずの試合を落としたのだった。だが4節のアビスパ福岡との試合後、松田浩監督は消え入りそうな声で会見に臨んでいる。 「11人の意思統一がないと、チームの力にはなりません。攻撃力も守備力もウチらしさを出せませんでした。この分析が当たっているのかどうかわかりませんが、もしかしたら”自分たちはいいサッカーができている”という慢心があるのかもしれません。まだ先発メンバーを試している段階なので、それが原因かもしれませんけどね」 それまで1失点だけで凌いできた昇格クラブだった。逆に、得点はゼロだ。これらの数字から、ゴール前をガッチリと固めるカウンター型のチームと予想していたのだが、序盤からアビスパに勇猛に挑んでいた。問題は、それが15分ともたず、最終的に2点を奪われてしまったことだった。 東京ヴェルディは4試合で4失点の11位、栃木は同5失点の最下位18位である。ヴェルディとの得失点差は、わずか「3」だ。開幕序盤からの連敗は、不幸な結果しかもたらさない。ここでの勝敗が栃木の浮沈を握っていた。 しかしけっきょく運は、やはりダメダメだったヴェルディに傾いたのである。 「先発メンバーを試している」松田監督は、アビスパ戦から若干のアレンジを試みた。左サイドバックの入江利和をサイドハーフに上げ、左サイドハーフの栗原圭介を右サイドハーフにコンバートしたのだ。このふたりの両サイドハーフ、とりわけ入江がタッチライン際の高い位置でプレーしていたのは、明らかに得点への猛烈な欲求でしかない。 一方のヴェルディは元日本代表・大黒将志のワントップ、そしてその背後で盛んにポジションチェンジを繰り返しながら前線に数をかけるというプランである。キーパーソンとなったのは、18歳の河野広貴だった。左サイドでは滝澤邦彦、あるいはボランチの柴崎晃誠と連携し、右サイドでは飛び出し能力に優れる通称チビ・飯尾一慶とコンビを形成し、ピッチを縦横無尽に走り回っていた。 ところでヴェルディの高木琢也監督といえば、現役時代は日本では数少ないハイタワータイプのFWとして恐れられた。相手ディフェンダーが頭で競ろうとしているのに、彼は胸でトラップしたほどだ。スピードに難があったが、監督になってからチームに求めてきたのが、彼自身のその欠点でもあった。常に冷静沈着な指揮で、横浜FCでも結果を遺したものだ。 この日の彼の采配にミスがあったとすれば、右サイドの交替が後手に回ったことかもしれない。左サイドで何度も起点を作った入江を放置したのが後半、栃木に圧倒された原因となっていた。 ヴェルディの右サイドバックは18歳の和田拓也、その前に168cmのチビと165cmの河野では、入江怒涛の攻撃力にはとても対応できなかった。頻繁にポジションを変えることで狙いを定めにくくするという意図は理解できたが、ふたりの連携が乱れれば、すぐに綻びが生まれる。それが栃木を勢いづかせた理由のひとつともなっていた。河野を永里源気に交代させたのは14分、飯尾を平本一樹に替えたのが24分だ。しかし、一度奪われたリズムは元に戻らず、後半は最後まで栃木に支配された。 ここで、後半の栃木が撃った12本のシュートのうち、おもだったものだけを挙げてみよう。いずれも相手ペナルティエリアに入り込んでのアプローチだった。ちなみにヴェルディの後半は、たった2本のシュートに終わっている。 まず7分、フリーキック崩れからGK土肥洋一がポトリと落としたシュートに元ヴェルディの米山篤が詰めた。だが、それでも栃木はゴールを奪えない。19分と23分に放った栗原のシュートは1本がポストを外し、もう1本はGK正面におさまった。27分と46分のFW松田正俊のシュートは、1本目のヘッドを外し、2本目はまったくのフリーでGK前に飛び込みながら右へ流しすぎてしまう。32分の入江の1本もGK正面、その1分後の大久保裕樹のヘッドも阻まれた。 ゴール枠にボールは飛んでも、いっこうにゴールが奪えない。出口の見えぬ迷路に堕ちていった栃木の選手は、まるで自身消失となりそうな自分と闘っているようでもあった。 こうして迎えたアディショナルタイムの47分、永里のドリブルをディフェンダーが倒してPKを奪われてしまう。栃木はトラップを大きく外す、キックを奪われるなど、ボールコントロールミスが多い。しかし、そうした技術面だけでなく、運にも見放されたかっこうだ。 「何が起きたのかわからなかったが、PKを奪われるようなファウルがあったとすればウチのミスでしょう」。松田監督の声は、この日も聞こえにくかった。「ボールが4本以上つながらない」と高木監督が嘆いたダメダメなヴェルディに、気の毒な栃木は終了1分前に犯したひとつのファウルだけで撃沈されたのである。骨折り損なサッカーを続ける栃木は、これ以上の炎症悪化を避けねばならないだろう。【了】
2009.03.29
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3月11日 ACLグループH第1節@等々力 12,125人(48%)川崎フロンターレ 1-0 天津泰達【得点者】後半16分 レナチーニョ(フロンターレ) こうして中3日で迎えたACLで、はたしてフロンターレは変わったのだろうか。 ポットHにエントリーされたフロンターレの相手は、昨季中国Cリーグ4位の天津泰達(=ティエンシン・テダ)である。元イタリア代表のダミアーノ・トンマージを補強するなど、昨今の経済発展を背景に中国のクラブは景気がいい。07年には世界第3位のドイツをGDP(=国内総生産)で猛追したという過去もあり、03年に成都五牛でプレーした藤吉信次も、噂では年俸約3千万の契約を交わしていたらしい。 今季はレッズを解雇された岡野雅行が香港リーグのTSWペガサスに移籍し、2月のデビュー戦でいきなりゴールを奪ってもいる。ACLの活性化とともに、日本人選手のアジアでの移籍も今後も活発化していくにちがいない。 閑話休題。 さて、結論からいえば、関塚監督が目指すフロンターレのサッカーは、いまだ実験段階のようである。左の伊藤宏樹と右の山岸智は、レイソル戦よりも高めのポジションをとることができていた。3人のブラジル人が中に絞り、彼らへの道も開いていた。だが、やはり両サイドがうまく使えていない。選手たちの視野は決して広いとは言えず、互いのイメージが一致していないようにも映った。結果、個人技による中央突破が目立ち、「個人」に「組織」をプラスするには、まだ道が遠いようだ。 この日の関塚采配も、横山を投入したのが後半34分になってからだ。4日前と同様、この交替カードで前線に流動性が生まれたが、おそらく指揮官は何らかの意図があってここまでこらえているのだろう。しかしグループ予選を突破したあとのノックアウトステージ初戦は、1位突破でなければ不利なアウェイでの闘いとなる。「チーム作り」の前に、「あと1点が欲しかった」というのが本音ではなかったろうか。 ACL次戦は来週の水曜日、韓国に遠征して浦項スティーラーズとの一戦がある。セントラルコースト・マリナーズと引き分けた相手だけに、ここで一気に叩いておきたいところだ。はたして指揮官は、どんなベンチワークを見せるのだろうか。 最後に日本のクラブが出場しているACL他グループの経過を記しておこう。 【グループE】蔚山現代(韓国) 1-3 名古屋グランパス北京国安(中国) 2-0 ニューカッスル・ジェット(オーストラリア)※グランパスと北京が勝点ともに「3」で各1位と2位。【グループF】ガンバ大阪 3-0 山東魯能(中国)スリウィジャヤ(インドネシア) 2-4 FCソウル(韓国)※ガンバとソウルが勝点ともに「3」で各1位と2位。【グループG】水原三星ブルーウィングス(韓国) 4-1 鹿島アントラーズ上海申花(中国) 4-1 シンガポール・アームド・フォーシズFC(シンガポール)※水原と上海が勝点ともに「3」で各1位と2位。アントラーズはフルメンバーで臨みながら、マルキーニョスの1点だけに終わり、まさかの3位。【了】
2009.03.13
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3月7日 J1リーグ第1節@等々力 17,841人(71%)川崎フロンターレ 1-1 柏レイソル【得点者】後半5分 菅沼 実(レイソル)後半32分 鄭大世(フロンターレ) 結局フロンターレのサッカーは、「21+5」分間だけに終わってしまた。 プレスシートに着くなり、横浜からハシゴしてきた隣の記者の会話で、いきなり先制点を浴びてしまったのが筆者である。「やっぱりマリノスは降格候補のチームだったね。目立った補強はほとんどしてないし、むしろ戦力ダウンだよ」。日産スタジアムでのキックオフは、等々力の3時間前だ。あとで正確なスコアを知ったのだが、ホームチームはサンフレッチェ広島に2-4で敗れていた。 「俊輔獲得に10億円」という華々しい準備資金を用意しながら、それが足を引っ張り、細かい補強が手抜きになったのかもしれない。加えて親会社は、たんなる好戦主義にすぎなかった無能大統領の影響を受けて大赤字だ。昨今の泥沼自動車不況のさなか、クルマの販売台数落ち込みはマイナス35%を超え、名門だった野球部まで手放してしまった。 90年代中ごろ、カルロス・ゴーンCEOは数千人の従業員が働く厚木工場を閉鎖した際、マリノスの将来にも言及している。「サッカークラブは残すべき」と。この当時はいかにもブラジル生まれ、フランス育ちの指向を見せたものだが、今回の不況はあまりにも深刻すぎる。このご時勢で、子会社マリノスの要望がすんなり通るはずもない。 小宮山尊信らの成長とともに、田中隼磨は名古屋グランパスへ移籍してしまった。記者の言う「むしろ戦力ダウン」の一例である。いっぽう若い力が急激に伸びているサンフレッチェは、昨季から元気だ。今季のマリノスに不安を感じていた筆者は念のため「0」、つまり「ドロー」も予想していたのだが、まさかホームの開幕ゲームで4失点とは思ってもいなかった。これでtotoの予想をいきなり一つ外したことになる。ひとり暗い気分で、等々力でのキックオフを迎えることになるのだった。 昨季リーグを2位で終了したフロンターレの総失点「42」は、リーグ9位の成績にあたる。一方の総得点「65」は、リーグトップの成績である。優勝した鹿島アントラーズの失点が「30」、3位グランパスが「35」、4位大分トリニータが最少失点の「24」だ。アントラーズと同じ18勝をあげながらフロンターレが優勝を逃したのは、明らかに守備のマズさだった。 そこで今季から現場に復帰した関塚隆監督は、チームに「全員守備」の意識をもたせようと強化を図ってきた。中盤から前線にかけての「個人の力」に、「組織の力」をプラスすることで、もうワンクラス上のチームを作り上げようという試みだ。 00年春の初対戦から数えて、柏レイソルのホームでは3敗2分と1勝もしていないフロンターレだが、等々力では5勝1敗1分とホームでの相性はなかなか良い。しかも昨季は4度にわたって対戦し、トータルで12回もゴールを割ってきた相手だった。 だが今季「アクションサッカー」を掲げるレイソルは、運動量を生かしたショートカウンターが持ち味だ。それだけに、最終ラインや中盤でのパスミスは即失点につながりかねないという危険な相手でもあった。 このようなデータは、わざわざ筆者が指摘しなくとも、選手たち自身が肌で熟知しているはずだった。にもかかわらずキックオフ1分も経たぬうちに、右サイドバックの山岸智が井川祐輔へのバックパスをミスする。これを突貫小僧の李忠成(=チュンソン)に拾われ、忍者のように川崎ゴール前に出没したフランサにGKとの1対1を作られてしまう。 まさに、アッという間の出来事である。幸い、ボールがゴールラインを割る直前に井川がなんとか救出したが、このカードは日産スタジアムと同様、「1」と「0」でtotoを張っていた。もしフランサのシュートが決まっていれば、残り89分間はさらに重いものとなっていただろう。 けっきょく前半は、スコアレスドローに終わる。 ハンス・オフトをはじめ、スチュワート・バクスターやビム・ヤンセンのもとで指導経験を積んできた高橋真一郎監督は、キックオフと同時に攻撃サッカーを仕掛けるつもりだったらしい。しかし3人のブラジル人を底辺に、鄭大世(=テセ)を頂点とするフロンターレの前線トライアングルに対する警戒心が強すぎたようだ。レイソル指揮官の思惑とは逆に、「まず守備ありき」のサッカーとなっていた。だが時間の経過とともにレイソル守備陣の対応が精度を増し、前半のフロンターレはチャンスらしいチャンスをほとんど作ることができないままハーフタイムを迎えたのだった。 フロンターレは、的確さを欠いていた。昨季のような「行け行けサッカー」は前線の4人だけで、両サイドの選手が攻撃に絡むことができない。彼らが攻撃参加しようにも、3人のブラジル人が行く手を阻み、ドン詰まりになってしまうのだ。記憶のかぎりでいえば、伊藤宏樹の浅いオーバーラップが一回あっただけだった。昨季の村上和弘や森勇介のようなサイドバックらしいプレーは、すっかり陰を潜めていたのである。 フロンターレは厚い中盤で前線を支えてやるべきだが、両サイドの攻撃参加が皆無に近いため、対応に慣れてきたレイソル守備陣を脅かすまでには至らなかった。もっと言えば、前線の4人と3列目以降が分離しているのだ。これでは指揮官の目指す「攻守のバランスがとれたチーム」からはほど遠いどころか、去年のフロンターレ「未満」ということにもなりかねない。 「初采配の緊張感はありませんでしたか?」と問われたレイソル指揮官の試合後は、余裕しゃくしゃくの表情だった。「緊張感はあまりありませんでしたが、ミーティングのときに噛んでしまいました」と笑う。 その高橋が、はからずも言った。 「フロンターレはけっこう攻撃と守備が分断するチームなんで、フランサを中心に中盤からボールを奪っていこうとしました。ウチの両サイドバックを絡めることができればもっと良かったんですが、あのふたり(=左・石川直樹、右・村上佑介)が上がると、フロンターレのレナチーニョとジュニーニョが危険になるんでね。リスク管理についても指示しておいたので、ついつい消極的になってしまったんだと思います。まぁ、ウチが掲げるアクションサッカーという意味では、いまひとつ物足りませんでした」 ようするに高橋監督のプランに、フロンターレの攻撃はまんまとハメられたということである。 ハーフタイムで、関塚監督はこんな指示を出している。 「立ち上がりのゲームの入り方に集中していこう。ボールをしっかり動かし、サイド攻撃をもっと使うように」 前半の反省をそのまま踏まえたアドバイスである。しかしレイソルの先制は、開始わずか5分で生まれるのだった。 フロンターレ谷口博之のコントロールミスをレバークーゼン上がりのフランサが見逃さず、ディフェンスにクリアされたボールがポポへと渡る。右サイドから上がったクロスに、レイソルユース出身の菅沼実が反応し、頭で決めたのだ。指揮官の指示とは裏腹に、フロンターレイレブンは「集中力を欠いていた」というほかなかった。 フロンターレのちぐはぐなリズムに、その後も大きな変化は見られなかった。なにしろ関塚監督が重い腰を上げたのは、後半21分も過ぎようとする時間帯になってからだ。19分、レイソルの杉山浩太に悪質なタックルを見舞ったヴィトール・ジュニオールに、イエローカードが出されたのが采配を動かしたきっかけだろう。すぐさまヴィトールをベンチに下げ、ストッパーからボランチにコンバートした横山知伸を投入した。 これによって4-2-3-1だったシステムが、キャンプ中にトライした4-1-4ー1にシフトチェンジされる。高いフィジカルをもつ横山ひとりに3列目をほぼカバーさせ、タニをトップ下に、同じ2列目に中村憲剛も顔を出させるというフォーメーションだ。 その直後のことだった。横山→レナ→憲剛と流れるようにボールが繋がれ、ペナルティエリア内に侵入した憲剛がマイナスのパスを出す。ジュニーニョのシュートは惜しくもクロスバーを越えたが、フロンターレらしい流動的なサッカーがようやく戻ってくる。復活した怒涛の攻撃サッカーが、32分の同点ゴールにつながった。憲剛のシュートのこぼれ球を、昨季以上に好調そうなテセが押し込んだものだ。開幕白星をあげたいフロンターレ、そして、すくなくとも「勝点1」を狙いたいレイソルは、残り10分で二人ずつの選手を投入して戦局に対応したが、フロンターレの攻撃は「5分」のロスタイムを消化した最後まで止まらなかった。 翌日、スポーツ紙は「関塚采配ズバリ」と報じたが、もっと早い時間にシフトチェンジが行なわれていれば、フロンターレ有利は間違いなく動かなかったはずだ。つまり、ほとんど「采配ミス」に等しい「ズバリ」だったということにもなる。 引き続き、3月11日に行われたACL初戦のレポートをご覧いただきたい。【了】
2009.03.13
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大分トリニータ 森島康仁インタビュー1月20日収録@『月刊Sky PerfecTV』編集部(新宿区曙町)──「モリシ1号」が引退して、いよいよ「デカ」が取れたんじゃないですか。モリシ いやぁ、「デカ」はまだついてますねぇ。──「モリシ」と呼ばれるのと「デカモリシ」と呼ばれるのと、どっちが多いんですか。モリシ 「モリシ」と呼ばれることのほうが多いけど、チームメイトからは「デカモリシ」と言われてるし。──ボクが初めて生デカモリシを観たのは、3年ほど前の「SBS杯」(毎年夏に静岡で開催されるU-18国際大会)だったんですよ。あのときは有力な選手があまり呼ばれなかったんで、メディア関係は君だけに注目してた。モリシ ああ......、あれからもうだいぶ経ったような気がしますねぇ。──あの当時とはだいぶメンバーが変わってましたけど、カナダのU-20ワールド杯に出場した日本代表は、すごくいいチームに仕上がってました(=07年6月30日開幕)。吉田靖監督(=当時37歳)の手腕だったの? それとも選手たちが自然にまとまっていったわけ?モリシ 選手がまとまっていきましたね。でも、監督が自由にやらせてくれるタイプだったのが良かったんだと思います。「遊んでもいいから、やるときはやれ」ってよく言ってました。その雰囲気にボクらも合ってたんで。だから一つずつ勝っていくうちに、選手同士がどんどん仲良くなっていきましたよね。──U-20ワールド杯の放映は、日本ではごく一部でしか放映されませんでした。吉田監督にしても、準優勝のチェコにPK戦で負けたという内容だったのに、その後もあまり評価の声が上がってません(=決勝トーナメント初戦のチェコと2-2で引き分け、日本はベスト16止まりに終わった。一方のチェコはベスト8でスペインをPK戦の末に下し、準決勝ではオーストリアを2-0で完封、優勝したアルゼンチンに1-2で敗れて準優勝)。モリシ う~ん......。正直言って、吉田さんには北京五輪の監督もやってもらいたかったし、もし吉田さんが監督になったら「絶対に行きたいね」って皆んな話してたんですけどね。まぁ、評価っていうものは、試合に勝ったら選手の評価が上がるし、負けたら監督の責任にされるものなんでね。優勝して初めて「監督が凄かった」って言われるじゃないですか。だから正しく評価されるのは、なかなか難しいんでしょうねぇ。──初戦のスコットランド戦で、ロングフィードからモリシが躰で押し込んだゴールがあったでしょう(=前半終了間際の43分、日本のロングボールに対してディフェンダーがクリアミス。GKがカットしたボールにそのままモリシが躰で飛び込み、最後に押し込んだ日本の先制弾。後半12分には梅崎司が2点目をあげ、同34分には安田理大のグラウンダーのクロスに対して、青山準が放ったミドルシュートから3点目。3-1でスコットランドに快勝した)。モリシ はい。──あのデカいスコットランドのディフェンダーに、思いっきりぶつかっていってたよね。モリシ 本当にデカかったですよね。だけどそういうチームに勝ったんで、逆に勢いがつきましたよね。──あのボールによく追いついたよね。足は速いほうなの?モリシ それはよく言われますね。──モリシだけじゃなく、皆んなよく走ってた。オシム監督が欲しがるような素材がたくさんいるチームでした。モリシ たしかにチーム全体がよく走ってたと思います。──で、その当時のモリシの発言に「サッカーは喧嘩だと思ってる」というコメントがありました。モリシ ああ、言いましたね。本当に喧嘩だと思ってますから。とくに国際試合では、日本人ってナメられることが多いでしょう。「弱いくせに」なんて絶対に思わせないようにプレーしようっていうのが、ボクのプレースタイルなんですよ。──モリシは日本代表のヴァンダレイ・シウバでしたよ。モリシ ......(爆笑)。ボクはミルコのほうが好きなんですけどね。あの左ハイが。──ところでセレッソ大阪から大分トリニータにレンタル移籍したのは、去年の夏でしたよね(=7月16日の第17節から追加登録される)。モリシ そうです。──なんでそれまで出れなかったの? ケガ? それとも監督の考えと合わなかった?モリシ う~ん......、まず、それが第一の理由となりますよね。ボクのプレーにすごく否定的でしたから。ボクのようなフィジカル系の選手が嫌いで、練習のときも当たりに行くとよく怒鳴られてました。やっぱり、そういう監督っているんですよね。ボク自身も合わないと思ってましたから。──だけど箱の中でそんなにファウルを取られるようなタイプでしたっけ?モリシ 取られますけど、「何でいまのが?」って、いっつも思ってるんです。──たとえば平山相太のような競り合うタイプなんかは、よくファウルを取られてるっていう印象があるんだけど、モリシもそんなに取られてた?モリシ 考えてみたら、そんなに取られてないですね(=大分ではリーグ戦17試合で2枚のイエローのみ)。逆にオフサイドは多いですけどね。──それは長い距離を走って裏へ抜けようとするタイプだからでしょう。だからフィジカルが必要になってくるわけだけど。モリシ はい。──ということは、大分への移籍はすごく正解だったということだよね。モリシ 無茶苦茶正解でしたね、ホントに。大阪のファンの皆さんには申し訳ないですけど、仮りに会社の上司に仕事をホサれ続けていた人間が、別の会社から「君にぜひウチに来てほしい」ってオファーされれば動くでしょう。で、移った会社が自分に合ってたら、もう元の会社には戻れなくなりますからね。お金の問題じゃなかったんで。ボクはサッカーがしたかっただけなんで。──サッカー選手が試合に出れなかったらしょうがないもんね。モリシ だってシャムスカから「自由にやっていいから」って言われたときには、涙が出るぐらい嬉しかったですから。「オレはもう何も言わないから。お前は自由に動いていいから」って言われたんです。【その2につづく】
2009.03.08
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09年1月1日 天皇杯決勝@国立競技場 44,066人(83%)ガンバ大阪 1-0 柏レイソル【得点者】延長後半11分 播戸竜二(ガンバ)「もし今季ACLの出場権が獲れていれば、天皇杯でここまで来れたかどうか、それはクェスチョンですね。CWCでやり尽くしたあと、一番バーンアウト状態になってたのは自分だったかもしれません。”あの舞台にもう一度”という感覚を、選手たち全員が失ってなかったおかげです。CWC後の3試合は、そんな選手たちの強い気持ちに自分も引っ張られたんじゃないかと思います」 横文字好きの西野朗監督は、よほど感激していたにちがいない。笑いを押し殺した表情で席につくなり、みるみると言葉が溢れ出してきた。選手たちを誇りに想う気持ちが、そうさせていた。筆者は、とりたててガンバ大阪を応援する立場にはない。しかしこの日のゲームから得た感動は、大不況に突入した新しい年を吹き飛ばすほど魅力に満ちたものだった。 考えてもみよう。「世界3位」の座を手に入れたのが12月21日である。中4日で天皇杯の準決勝に臨み、神戸でのグランパス戦をまずクリアした。再び中4日で横浜F・マリノスとの準決勝を闘い、山崎雅人の決勝ゴールが生まれたのは延長後半11分のことだった。120分にわたる闘いだ。ただでさえケガ人を抱えるガンバを満身創痍としたのも当然だろう。だが、決勝で柏レイソルを倒さなければ、昨季ACL王者がACLに出場できないという、じつに理に合わぬ事態を招いてしまう。CWCで「バーンアウト」したはずのガンバの面々には、メンタル面での切り替えが求められていた。 今度は中2日で迎えた、元旦の決勝である。まったく同じタイムの延長後半11分、決勝ゴールを決めたのは、CWC以来フィニッシュを外しまくった播戸竜二だった。10日間でパチューカ、グランパス、マリノス、柏レイソルと闘い抜いた総時間は、420分にものぼる。精神力が肉体を超えた結果だった。 ハーフタイムでの遠藤保仁の話が興味深い。遠藤をいつベンチに下げるか逡巡する監督に、彼はこう報告したのだ。「ヘンにアドレナリンンが出ちゃって、痛みがどこかへいっちゃいましたよ」。 橋本英郎のコンディションを心配していた西野は、この言葉で動く。判断力が鈍くなっていた橋本をボランチから一つポジションを上げ、イヤでも判断力のスピードを上げざるをえない位置においた。2列目のヤットに計算が立ったことで、橋本とのポジションチェンジを試みたのだ。慢性化した足首の痛みが残るため、ロングフィードこそできなかった。しかしガンバの攻撃は、ヤットを必ず経由するのがパターンとなっている。チームの柱をマークされにくい最終ラインに近づけることで、ヤットを起点としたビルドアップを可能にしたのだ。 この日のゲームで勇退する、レイソルの石崎信弘監督が頭を垂れる。 「ガンバの疲労を計算に入れて、前半で勝負を決めようと思ってました。そのチャンスを逃したのが痛かったですね。だけどガンバは、優勝に値するチームだと思いますよ。あれだけ疲れていても、あれだけ正確にプレーができるんですから。今日の口惜しさを糧に、レイソルもガンバのようなチームになれるよう願ってます」 前半6分、村上佑介のクロスに反応したポポのシュートが藤ケ谷陽介に止められた。21分にも、アレックスのクロスを菅沼実が頭で角度を変えたが、やはり藤ケ谷に抑えられた。とにかく点が欲しい石崎監督は後半、右アタッカーの太田圭輔を下げてフランサを投入したが、この一策は采配ミスだったように筆者には思えた。 フランサは、ひじょうにトリッキーなプレーヤーである。事実、何度もスタンドを沸かせた。だが彼は、まるでピッチの王様でもあるかのように走ることを無視する。自分のミスでボールを奪われても、決して追おうとはしない。そんな男の尻拭いをするのは、周囲の味方たちだ。11人対10人で闘ってるようなものなのだから、体力的に有利であるはずのレイソルが疲労困憊に陥るのももっともな話だろう。プレッシングサッカーを仕掛けていたレイソルが、後半からその表情を変えたのは、フランサ投入に一因があったように筆者には見えた。 事実、石崎監督はこう告白している。 「フランサをトップに入れたら、追い越していく選手がいなくなってしまいました。そこで忠成を2枚目のカードとして入れたんです」 李忠成がポポと交替したのは、後半13分だ。22分にはボランチの山根巌が負傷し、早くも3枚目のカードを切らざるをえなくなる。後半30分も過ぎると、レイソルのスピードはますます落ち、ほとんどのプレーがレイソル陣内で行なわれるようになった。「勝負どころは、どこかで必ずある」。西野はそう言ってハーフタイムで選手を送り出したが、レイソルの失点は時間の問題だった。 こうして延長後半11分、シュート体勢に入った倉田秋をディフェンスがブロック、そのこぼれ球を播戸兄貴が決めたのである。ペナルティエリア内で倉田にパスを回したのは誰か。そう、ヤットである。やはり、彼こそがガンバの心臓部ななのだった。 このようなチームがアジアの王者になったことを、我われは率直に喜ぶべきだろう。27日のJユースカップでも、ガンバが大阪勢対決を制して優勝した。安田理大、橋本英郎、寺田紳一、下平匠、倉田、平井将生……、いずれもガンバのユース育ちという自前のプロ選手たちである。正しいクラブとしてのあり方を、彼らは示してくれている。次に彼らが挑戦するのは、2月28日のスーパーカップだ。同じACL制覇を狙うクラブ同士として、宿敵・鹿島アントラーズと闘う。優勝賞金は3000万円だ。「世界3位」で得た約2億のファイトマネーと合わせて、今季のガンバの重要な補強費となっていくはずだ。 試合前の選手紹介で、明神智和と西野朗の名がコールされたとき、まっ黄色に染まったレイソル側サポーター席からブーイングと拍手という複雑な反応が一斉に起きた。日本を代表するボランチと、名将となりつつある指揮官を数年前に失ったレイソルは、その過去を反省し、新たな目標をもつべきだろう。それが、石崎監督の”遺言”でもあるのだ。【了】2008Jリーグチームエディションガンバ大阪ジャージーカード/JC1遠藤保仁(2色)
2009.01.02
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ボールと戯れるようなマンチェスター・ユナイテッドに完敗してから3日後、ガンバ大阪の「世界3位」をかけた闘いが始まった。 昨年は、浦和レッズが3位決定戦に臨んでいる。ワシントンの2ゴールで一度逆転に成功したものの、エトワール・サヘルのアミン・シェルミティに同点弾を許し、PK戦に突入したのだった。熱いサポーターの声援でPK戦を制し、ようやくつかんだ浦和の「世界3位」だ。それだけに西野の本音は、「きっちりと勝つ」ことだったろう。なにしろ3位と4位では、ファイトマネーが50万ドルも違ってくる。来季の契約年俸1億円と言われるヤットの約半分、4500万円である。新シーズンに向けてさらなるチーム強化をはかりたいフロント陣にとっても、総額2億円を越える賞金はぜひとも手にしなければならない”ニンジン”だった。 強風が吹き荒れていた。救いだったのは、ピッチを左右に横切るような風であったことだ。ゴールからゴールへと向う強風では、どちらかのチームにとってアンフェアになってしまう。そんななか、ホィッスルの音が風を断ち切るように響いた。 パチューカは、3日前のリガ・デ・キト戦とほぼ同じ布陣だった。ただしガンバ対策として、それまでの3-4ー2-1から4-2-3-1にフォーメーション変更を試みたとエンリケ・メサ監督は明かしている。中盤の人数を増やすため、サイドバックの上がりに期待した4バックへのマイナーチェンジだった。 しかしパチューカは初戦となったアル・アハリとのゲームで、120分間にもわたる闘いをいきなり強いられた。決勝へ駒を進めるクラブを除けば、互いの実力にそれほど大きな差がない世界レベルの大会だ。にもかかわらず、8日間で3試合はいかにもキツかったろう。 ピッチに出て実際に闘うのは人間である。キトに敗れ、張り詰めていた緊張の糸も切れたはずだ。目標を見失ったチームから、それまでと同じエネルギーを見い出すのは難しかった。キトの特徴はワントップを頂点にして、アルゼンチン人のダミアン・アルバレスとクリスティアン・ヒメネスをはじめ、2列目の選手が盛んに前線への出入りを繰り返す点にある。相手チームのマーカーは彼らを捕捉するのに苦労し、疲労が蓄積しはじめる後半20分過ぎあたりからピンチを招く。だがこの日は、肝心のアルバレスにスピードがなく、ゲームを作ることができずに苦しんだ。 主力をケガで欠きながら、この日も橋本が効いていた。前半29分、縦に抜ける橋本から中央の播戸にパス、これを播戸がワンタッチで前方の山崎にスルー、山崎が難なく右足で決めている。マンチェスター戦での先制点が、彼にはなによりも大きな自信となっているはずだ。かりにも「ワールドカップ」と名のつく大会だ。そう簡単には出場権を得られぬイベントでの2点目が、27歳の男をさらに飛躍させるにちがいない。もちろん、代表入りも視野に入ってくるだろう。 だが時間の経過とともにチーム全体の動きが鈍くなる。ガンバらしくもなく、最終ラインがずるずると後方へ下がってしまうのだ。結果、じつに平凡な、おもしろみを欠いたゲームとなってゆく。たまりかねた西野は、ハーフタイムでもう一度指示を出す。「もっと厳しくプレッシングをかけろ」と。だが「20分も経ったら、やっぱり押し込まれてしまった」と、試合中の不安を口にした。 前半32分にシュートと見せかけたルーカスが、右から走りこんできた播戸にパス、これを播戸がきれいにボレーでヒットさせたシーンがあった。不運にも逆に飛んだGKの左足に当たり、決定的な追加点を逃したのだが、この1本を除けば、播戸のシュートはなぜかゴールにつながらない。フィニッシュに見放され続けていた。 そこで西野は後半18分、「ずっと使ってみたかった」と惚れ込む二川を播戸に代えて投入、ルーカスと山崎の2トップにシステムを変える。守備的な選手を入れる方法もあったのだが、この交替は「攻めろ」を意味する。西野から選手たちへ送られた無言のメッセージだった。 パチューカも後半から不調のアルバレスを下げ、2トップにシステム変更したが、セットプレーを除けばヒヤリとさせられる場面をほとんど作り出せなかった。 メサ監督が、がっくりと肩を落とす。 「今日は正確性に欠いたゲームとなりました。どうしてこうなったのか、その理由が、今の時点ではまだきちんと整理できてません。しかし人生には悪い時間もあるものです。いつも太陽が光り輝いてるとはかぎらないのです」 夜のとばりが降りるなかゲームはそのまま静かに終焉し、ガンバの「世界3位」は予定調和だったかのように確定したのだった。 昨年のレッズに続いて日本のクラブが3位になったことを問われ、西野監督はこう答えている。 「レッズの過去についてはどうでもいいでしょう。今年のガンバのアプローチの仕方はレッズとは違うものだし、サッカーのスタイルそのものが違うんですから。ただしアジアの代表として、ACLはJのクラブが当然制さなければならないと思ってます。今年はガンバがその使命をはたしただけですよ」 レッズを下回る8位でリーグ戦を終えた今季、ガンバが来季ACLの出場権を得るには、25日の天皇杯・名古屋グランパス戦に勝利するのが第一関門だ。リーグ戦3位だったグランパスは、すでに出場権を手に入れている。モチベーションの高さはガンバ側にあると考えるのがふつうだが、パチューカ戦の内容を同じように繰り返しては望みはない。「選手たちの一刻も早い回復を祈りたい」と指揮官が語ったように、まずはマンチェスターとの死闘で傷ついた肉体を癒すことが先決だろう。 グランパス戦をクリアすれば、残るはそのわずか4日後、中村俊輔獲得に10億と噂される資金を用意し、やはりACLをターゲットにしてきた横浜F・マリノスとの準決勝が控える。中8日で決戦に臨むマリノスとガンバとでは、あまりにもハンデがありすぎる。しかしここを突破してこそ、「ガンバ大阪」の名を世界に轟かせることができるのだ。【了】
2008.12.23
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