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5年前にブロンプトン2台で瀬戸内海の島巡りをした時に、次は向かいに見えていた本島を巡りたいと思っていたのだが延び延びになっていた。自転車なので暑くなる前のこの時期にと晴れ間を狙って6月6日の決行と相成った。
本島は瀬戸大橋のSAがある与島の西に位置し、丸亀市となるが、距離的には岡山県からの方が近い、岡山県側からこの島に渡るには児島観光港からの定期船で渡る事になるので、フレンディーに携行バッグに入れたブロンプトンを乗せて、午前9時30分の出航に間に合うように出発した。朝の通勤渋滞も考慮に入れたが40分程で到着。窓口で往復切符1,230円を購入し、クルマのプレートナンバーを告げる事により、向かいの駐車場が2日間無料となる。
この航路は「むくじ丸海運(有)」がムクジマルホープなる全長18メートルの客船を運航しており、手荷物は大丈夫だが、自転車やバイクは乗せる事が出来ないので、ブロンプトンは携行バッグに入れているのだ。
定時に出港したムクジマルホープはディーゼルエンジンを咆哮させながら想像していた以上の凄いスピードで走る。これは高速船の域だ。アッと言う間に児島競艇場を過ぎ鷲羽山展望台のある岬を回ると眼前に瀬戸大橋が広がる。櫃石島と岩黒島の間を抜けるルートで瀬戸大橋の真下を通過すると左手に与島、右手はもう本島だ。6月は年間で一番波が穏やかな時期なので、今日も波は殆ど無く湖の上を走っているようだ。そのせいか所要時間30分となっていたが、20分で本島港に到着。瀬戸大橋観光も出来て、これで片道615円は安い!得した気分になった。
港にはレンタサイクルがあり、一緒だった夫婦は電動自転車1,500円を借りているのを横目に、バッグからブロンプトンを取り出し30秒で組立てて、走行ルートを練る。今日は島を一周するつもりだが、本島港付近での昼食となるため、東側にある塩飽勤番所付近を散策し、再び港に戻り、昼食後西側から右回りで島を一周するルートに決定。専用バッグに折り畳んだ携行バッグや水筒、充電式空気入れなどを入れてフロントに設置して出発だ。
500メートルほど走ると、国史跡の塩飽勤番所が見えて来た。立派な門構えの堂々とした建物だ。受付で拝観料200円を払うと、案内放送が流れる。庭には巨大なソテツが植えられ歴史の深さが感じられる。靴を脱いで正面の敷台から入ると座敷の中は展示スペースとなっており、信長、秀吉、家康からの朱印状や咸臨丸関係の資料が並べられている。「アメリカに向かう咸臨丸には勝海舟が乗船したが、塩飽からも30数名の乗組員も乗船し、往路は20年に一度の荒天で、晴の日は殆ど無く、アメリカで3人の水夫が死亡した。」と記されていた。その他今上陛下が学生の時にご来臨になられ歌会始に島を読まれた歌碑など、具に見ていると、案内放送は3回目となっていた。そろそろと思う頃、電動自転車の夫婦が来館。受付のおばちゃんも面目を保った事であろうが、たぶん今日の来館は3人で終わりだろう。
次は更に東に進み、瀬戸大橋の見える防波堤で休憩。国重要文化財の仏像を安置する東光寺に行ってみるも、門は倒壊の虞があるとの事で、ロープが張られ通行禁止。左側の迂回路から境内に入ると、客殿は倒壊寸前、本堂の屋根も崩れていたが仏像はコンクリートの堂に安置されているようであった。続いて徳玉神社へ行ってみる。こぢんまりとした境内に建つ社殿は破損も無く普通の状態。手入れがされていると思われる。
次は本島霊場第1番の長徳寺に向かう。参道の松もよく手入れがされており、境内には丸亀市指定天然記念物の見事なモッコクの大木がある。太い幹から40本の枝が放射状に広がり正に圧巻である。この寺は住職が居住しているようだ。
次は年寄宮本家の墓である。宮本家は塩飽の古くからの豪族で、水軍として海外でも活躍した宮本家歴代11基と灯籠が並んでいる。最初見た時は墓というよりは何かの碑のように見えたのほど大きく立派な墓であった。
最後は木烏神社に立ち寄った。社殿も大きく境内は草も無いので、除草剤を散布しているのかも知れない。この神社の特徴は令和元年に日本遺産の認定を受けた笠木が蕨手になった石鳥居と江戸幕府の禁制を逃れるために道具納屋として建てられた千歳座(芝居小屋)である。
色々と見て回ったので、丁度昼時となり、港へ引き返す。今日は本島パークセンター内にあり、週に4日ほどしか開店しない「海を休ませるレストラン」で新鮮な魚料理を食す予定だ。外から中を覗く限り、お洒落なカフェの雰囲気で客は1人。想像していた店と違うような気がしたので、入店前にもう一度スマホで場所を確認したが、やはりここで間違い無いようなので入店。魚料理はあるかと聞いてみたら、「今日は唐揚げ定食のランチと、カマスのような魚が1匹乗ったシーフードカレーです。」との回答。ここまで来て唐揚げ~え!撃沈である。今日は魚があがらなかったのかと思い、仕方なく唐揚げ定食を注文。ノンアルビールでも飲んでゆっくりしようと思っていたが、店の雰囲気が馴染めないので、早々に平らげて退散。
帰りに駐輪場の向かいの本島漁港水産物直売所の建物の1階に「島娘」なる食堂があるのに気づいた。ここではタコ飯やサワラ定食もやっていた。こっちにすれば良かった。後で分かったのだが、唐揚げ定食を食べたのはHonjima Standという店で、「海を休ませるレストラン」は水産物直売所に移転したようであるが、それらしき看板は無かった。良く分からないが、昼食にありつけたので良しとしよう。
午後からは周囲16kmの島を一周するのだが、周遊道路の総延長はもっと短いと思われるし、船の出港時刻は16時45分なので、時間は余すほどある事から寄り道や休憩しながらのんびりと走る事にする。泊の路地を入って行くと瀬戸内芸術祭の作品として酒屋に丸い看板が設置されていた。どの辺りが芸術なのか良く分からない看板であったが、まぁ芸術なんだろう。直ぐ近くに来迎寺があるので行ってみたら、本堂の屋根には養生シートが被せられ雨漏りの応急処置を施していたが、何年もつ事やら。修復は難しいのだろう。
小阪港まで来ると前方に急な登り坂が見えて来た。ブロンプトンの変速機は右にハブ内臓の3段と左にギア切替の2段となっており、組み合わせると合計6段変速になっているが、タイヤが小径の16インチなので、道路状況によって小まめな切替が必要となる。
坂を見据えて一番軽い1段のローにシフトして突入、ペダルは軽いのだが如何せん回転を上げなければ進まない、最後は立ち漕ぎで抵抗したものの、足が限界となって断念。頂上まで押して上がる。やっぱり1,500円出して電動自転車にしとけば良かったと少し後悔したが、これも日頃の運動不足の解消になると思い直して、坂を下ると体に受ける風が涼しく吹き出した汗が一気に引いて行く。
島の西側の生ノ浜先に到着すると、三所神社がある。小規模だが拝殿には唐破風と千鳥破風まで備えた凝った造りであるが、残念な事に唐破風の右側が崩れ落ち進入禁止のロープが張られていた。神社の前の道路脇で休憩していると、コミュニティーバスが目の前を通った。そう言えばあちこちにバス停があったのを思い出した。バス停に行ってみると、どうやら2台のバスで右回りと左回りに島を一周しているらしい。どこのバス停で乗り降りしても1回200円だ。疲れ果てて動けなくなったらこのバスを使えば本島港に帰れそうなので少し安心した。
島の北西の福田港からは北側を走る道となり、電動自転車の夫婦とすれ違った。楽そうに走って行く後ろ姿を見ながら、やっぱりあれにしておけば良かったかなと悪魔の後悔の囁きが聞こえる。大浦に到着すると四社神社があったので寄ってみる。この先からはまた、急な坂道が待ち受けるので、暫しの休憩と水分補給を行って坂道に挑むが途中で敢えなく断念。
自転車を押しながら、V7だったらこんな坂など物ともせず走れるし、原付バイクでもスピードは落ちるが登れるだろうし、バイクの有り難みを実感として味わう事ができた。結局4回ほど自転車を押して歩く嵌めになったが、何とか笠島に辿り着く事が出来た。
笠島には町並み保存地区があるので、立ち寄ってみた。狭い道路脇に本葺き瓦の古民家が並び、電柱も遠くへ移設してあり風情ある町並みを形成している。吉田家の前にブロンプトンを駐めて、見学していると同家の主人が偶然通りかかり、拝観しますか?と尋ねるので、思わずハイ!と答えると中に通され、拝観料500円を払って主人に説明を受ける。座敷に上がり最初に通されたのは便所。大、小共青い牡丹の花模様が施された特注の有田焼で惚れ惚れするような見事な便器であった。何でもこの家は海運業を営んでいた主人の祖父が大正時代に2,000円を投じて塩飽大工に依頼して建てたそうで、両親が他界したのを契機に一部を一般開放しているとの事。廊下の軒を支える12メートルの無節の杉丸太、廊下側にも作られた長押、気泡が入ってしまって少しうるうるする味のある窓ガラス、刀のツバをあしらった欄間、屋久杉の腰板、柱と桁、建具の精度たるや宮寺の建築そのものである。屋根は本葺き瓦で最近葺き替えたが、その他は100年前と同じだそうだ。日本建築の伝統美が今も息づいており、凄みさえ感じた。
しかし、100軒近くあるこの保存地区の家屋は8割程度空き家となっているそうである。実に残念な事であるが、吉田家には映画やTV番組の取材が多く、有名俳優などが訪れた時の記念写真を見せてくれたが、興味があったのは「ふらり旅居酒屋百選」で訪れた太田和彦だけであった。
町並み保存地区を後にして坂を登ると幸せの鐘がある展望台に着いた。ここからの瀬戸大橋の眺望は素晴らしい。遠く児島の鷲羽山ハイランドまで見渡せる。ここまで来れば坂道はもう無いし、ゴールも近い。新在家海岸まで下って来ると、瀬戸芸で作家と塩飽大工のコラボで作った和洋折衷の家があったので見学。何となく塀の向こうを覗いてみると、無造作な墓地があった。何だろうと思い説明看板を読んでみると、遺体を埋葬するための「埋め墓」と石塔を立てるための「詣り墓」をそれぞれ別の所に設ける事を両墓制と称するが、この墓は「埋め墓」で、民俗学上、貴重な遺構であるとの事である。
船の出港まではまだ2時間もあるので、本島小中学校裏手にある八幡神社に行こうと再び勤番所の前を通ったら、受付のおばちゃんが本気寝をしていた。矢張り今日の来館者は3人だけだったようだ。八幡神社の参道両脇には島特有のウバメガシの大木が自生しているが、枝が払われ明るくなっていた。拝殿は残念ながら、コンクリート造りでまるで風情がない。金額の事もあろうが、神社にコンクリートは似合わない。
瀬戸芸の看板アートを2つ見て、寶性寺に向かう。この寺の建物は最近全て屋根瓦の葺き替えを行ったようであるが、住職が常駐している気配が無い。
最後は住民が自宅の車庫を開放して「色鉛筆アートを展示しているのでどうぞ。」の看板があったので、立ち寄ってみる。題材は猫と犬が殆どであったが、どれも毛並みが繊細なタッチで描かれており、感心した。港への帰り道、船からもよく見えた丘の上に建っている巨大な瓦葺きの建物は一体何なのかと興味が湧き、下まで行ってみると。何と天理教本島大教会であった。この島で一番大きく、一番立派な建物が天理教とは。島民はどう思っているのだろうか。
港の手前の公園に江戸時代に切り出した石の鑿痕が残る残石が草中に展示されていたので、見学、大阪城や江戸城築城にも本島の石が使用されたとの事で、当時に思いを馳せながら無事本島港にゴールイン。残りの冷やしたお茶を全て飲み干し、休憩していると電動自転車の夫婦が楽勝の顔で帰って来た。やっぱり電動自転車にしておけば良かったかも。悪魔の声が囁くがもう遅い。
乗船準備をして、自転車を折り畳んでいると、釣り帰りのおっさん2人が「小さくなるなぁ。それ、5万円位か?」と聞いて来たので、答えようかどうしようかと迷ったが、見る目が無いので「20万、外車なんでね。」と答えてやったら、「20万もするんか!わしの小遣いじゃ無理だわ。」と言っていた。あんたの小遣いの金額なんか興味が無いし、高いか安いかはその人の主観である。
間も無くしてムクジマルホープが迎えに来た。帰りも船尾のオープンデッキに座り、瀬戸大橋や瀬戸内の島々を眺めて観光気分で楽しみながら帰る。波も無くベタ凪の海面だったので矢張り20分で到着。1日よく漕いでよく歩いたので疲れたが、心地よい疲れであった。
今回ブロンプトンで訪れた本島は初めての上陸であったが、そこそこ観光施設もあり、ゆっくり目で一日過ごせそうだ。島には古くから海運業を営みとして生活する人々が多かったため、20寺を越える多くの寺や神社が建立され信仰の対象となってきた。そこには海という時には牙を剥く魔物がいるが故の信仰の表れだろう。
しかし、時は流れ交通は海上から陸上に移り、足としての船がないと本土に行けない不便さに若者の流失に歯止めが掛からず、山と同じ島も過疎になって行くのである。世の中は栄枯盛衰であるが、島に新しいカフェや食事処が新たに出来たり、子供達や地区住民が清掃奉仕をしたり、観光名所の看板を設置したりと試行錯誤をしているようだ。
この島に観光客が毎日来て貰えるようにするには船に乗る時間と金額に見合う満足度が必要であろう。この島には塩飽の歴史が詰まっているのだから、折角走っているガラガラのバスの有効活用から考えてはどうだろうかと、他人事ながら考えてしまった。
児島観光港に停泊する本島行きムクジマルホープ
ベタ凪の海から見える瀬戸大橋
勤番所の門前
国史跡の塩飽勤番所
ブロンブトンと瀬戸大橋
東光寺客殿
徳玉神社境内
長徳寺入口
丸亀市指定天然記念物のモッコク
年寄宮本家の墓
木烏神社の鳥居
木烏神社の芝居小屋
瀬戸芸の作品
シートが掛けられた来迎寺
坂の頂上付近からの瀬戸大橋の眺望
唐破風が破損した三所神社
四社神社とブロンブトン
笠島の町並み保存地区(海岸線に並行して弓なりに湾曲するマッチョ通り)
東山に沿って南北に通る東小路
吉田邸の玄関前
吉田家の見事な座敷から庭を望む
幸せの鐘から瀬戸大橋を望む
瀬戸大橋の坂出方面を望む
鷲羽山ハイランドを望む
甲生地区の埋め墓
鈴なりに生ったグミの実
コンクリート造りの八幡神社拝殿
實性寺入口
船上から斜張橋を望む
瀬戸大橋の架かる島々を輪行 2020.09.30 コメント(4)
サイクルコンピューター 2018.03.12