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母と私が,「ツワブキの花が開いたばかりで今が一番きれい だから,写真を撮っておく。」と話をしているところに姉が話しに割り込んできた。そして一言 「金木犀の香りは今が一番いいって?」 「ん?」 (・o・)次にテーブルの上にあったこれを見て,姉は言った。 「あっ,ドラゴンボールだ。」 またしても,目が(・o・)になりました。姉は60とン才(前半)です,そろそろやばいのかな?
2005/10/31
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白鳥温泉に登っていくえびの高原入口の紅葉。この画像は3年前の10月27日に撮影したが,今年はどうだろう。今までの気温から見ると未だかもしれないが,ここ2,3日の冷え込み具合からすると終わったかもしれない。短い足が余計短くなり,最近はなくなってしまったので遠出が写友の都合次第になってしまった。昨日,アップしたつもりが「登録する」のボタンを押さないで終わってしまったのかアップされていなかった。
2005/10/30
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ハイビジョンでは,鉄道や温泉などの紀行番組が美しい映像で見られて満足しているが,地上波アナログ番組がないのでつまらないところもある。それよりも悲しいのは,思わぬ出費でほしかった明るいレンズが遠のいてしまった。
2005/10/30
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今日はテレビの入れ替えで一日が終わってしまった。このテレビ,楽天の1円オークションで初めて競り落とせたテレビだ。本当は液晶テレビがほしかったが最後の詰めが甘くなかなか落とせなかった。ブラウン管テレビは重くて人気がないのだろう,あちこちで価格を調べてかなり安めに設定して入札したら落札してしまった。きのう到着して家の中に入れるのも四苦八苦,今日は前のテレビを取り除いて,まず台を組み立てて,テレビを載せた。台の重量が,32kg本体が80kg,重かった。所定の位置に動かして,チャンネル設定。どうにか見られるようになったが,ブースターが劣化して地上放送はまったく映りが悪い。アンテナを立て替える来月上旬までは我慢我慢。それにしても,ハイビジョンって画像が綺麗だ。
2005/10/29
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前回の書き込みは言葉足りずで誤解されてしまった。文章力のないのはつらいね。
2005/10/28
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下のようなお馬鹿なメールが来た。タイトルは,『生活保護を受ける権利を獲得しました。所得番付62位』確かに大した収入はないが,私は低所得なのだろう。しかし,62位で生活保護を受けられるということは高額所得者はいないのかな?それとも,下から62位かな?↓下がメール内容おめでとう御座います!所得番付公開記念としまして、只今フリーの女性をご紹介しております。貴殿の地域では【氏名が書いてある。】様が該当!見事に貴殿が生活保障を受ける権利を獲得されました♪【URLが書いてある】まずは伊東様への受領の意を込め、メッセージを送信して下さい。もちろん貴殿の料金負担は一切御座いません。月契約で50万円~の生活保障を受けてみてはいかがでしょうか!他言無用・秘密厳守でお願い致します。【上と同じURLが書いてある】↑上の行までメールの内容>>貴殿の地域では【氏名が書いてある。】様が該当!確かに同じ姓の方はお住まいですけど,名前が違います。>まずは伊東様への受領の意を込め、メッセージを送信して下さい。未だ1銭も頂いておりませんが,何故受領のメッセージを送らないといけないの?前は「貴方は落札されました」というメールも届いたことがあった。読ませるためにはなんでもありのスパムメールどうにかならないのかなあ。
2005/10/28
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ここの「画像オプション」の容量が5MBから15MBに増えているのに今日気がついた。100KB超の画像が多い小生にとってはうれしい限りだ。ここの画像オプションは空き領域を残して,今までどおりの方法でアップしていこう。今日の画像は,ランタナ(七変化)をソラリゼーション処理した。こちらが元画像
2005/10/27
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後世まで残しておきたい文化の一つに,言葉があるすなわち方言だ。小生なんか,人が「お疲れ様」と言うときに「おやっとさー」とか「おやっとさま」と言うし,「失礼な人」の「失礼」を「ごぶれさー」とか「ごぶれ(御無礼)さまな」と方言で言うものだから,「先生は,本当は何歳なんですか?」と聞かれることも多々ある。ただ,この方言もパソコンの漢字変換のときは厄介なものだ。今回の講座は,ローマ字の予備学習が功を奏して,キーボードの入力についてはさほど苦労がない。が,困っているのは,この方言だ。今日の講座で「場合」という文字が出てきた。何しろ,昼の講座だから,その昔お姉さんだった人やお兄さんだった人が多くて日常会話はまだまだ方言を多用している世代である。この年代の人が「場合」を方言で発音すると「ばあい」ではなく「ばわい」であり,入力も「bawai」と入力している。「体育館」も発音すると「たいいくかん」ではなく「たいくかん」となり,「変換できません。」と手が上がる。方言を入力しても漢字変換は出来ませんと教えても,方言と共通語の区別が付かないらしくて,教える側は変なところで四苦八苦している。
2005/10/26
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これがブタクサです。このブタクサの画像借り物です。もし,自分で撮影していたら,おめめジュクジュク,鼻水ジュルジュルになっているでしょう。今日は我が家周辺はゴミの収集日。朝,ゴミ袋を持って集積場所に行き,帰り道にものすごいスピードを出して車が走ってきた。我が家の前の道路は,チャイルドシートを装着していない車の抜け道で実績の上がらないおまわりさんにすると,検挙率が一躍アップする道なんだけどおまわりさんは絶対にやって来ない。理由は簡単,車がやってくる方向には警察住宅があって,身内の家族が捕まると世間様に示しがつかないからだ。一台目は,後部座席に6歳未満であろう子供立たせた車だった。問題は,2台目の車。7,80m離れたカーブを曲がって坂道を下ってくるときにすでに音が聞こえていた。とにかくアクセル全開の感じで走っているのだが,音は「ブタクサ,ブタクサ」と聞こえる。そう,どこのエンジンとは言わないが長期間使ってくたびれかけたエンジン音が,バイクのエンジンの音に似ているといわれた,あんな感じの音だった。20mくらい離れたところでタイヤのパンクを確信して振り返って見ると,案の定,タイヤのパンクだった。空気は完全に漏れて左前輪のホィールで走っているような状態だったので,指をさして教えると,20mくらい走ってから停車し,車から降りてきて,いきなり,「なんか用ですか?」と,忙しいのにるっせージジイだなあと言わんばかりに,突っかかってきた。パンクしていると言うと, 「えーっ,うっそー,ほんとにー?」,だって。我が家の前の道を通るということは,一番近い団地からも200m以上ある。そこに住んでいるとしても,カーブは4箇所ある。いくら,パワステが付いている車だといっても,ハンドルを取られるし,重くなるはずだ。それでも気付かないとは,トホホ・・・・だ。で,その御仁,「どうしよう,どうしよう」を連発しながら,そのままブタクサブタクサと軋ませて走って行きました。その音を聞いて車そのものを見ていなかった幼稚園の女の子が「今の自動車パンクしてたねえ。」と一言。チャンチャン。
2005/10/25
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「みなさま,こん○○は。私は,おおぜいの方から嫌われているセイタカアワダチソウでございます。私が嫌われる理由といたしまして,私の旺盛な繁殖力が上げられます。もう一つの,嫌われる理由として『花粉症を引き起こす』という理由です。私も大量の花粉を撒き散らしますが,私の花粉は人様の粘膜をくすぐるような,悪いことはいたしません。日本人の間には,旺盛な繁殖力=大量の花粉=花粉症の原因 という数式が成り立っているようです。私は,大阪万博の頃から全国に広がり始めました。私は,それ以前に日本にやってきていました。万博の頃,日本にやって来て悪事を始めたのがいます。私に濡れ衣を着せた張本人は「ブタクサ」です。私は,こいつのおかげで完全に悪者扱いにされてしまいました。私のように,鮮やかな目立つ色ではなくひっそりと生活するふりをして,悪事を重ねています。知らぬ存ぜぬと言いながら悪事を重ねる,こんな人間が人様の中にもいますよね。私は,汚名を返上したいのですが,なかなかわかってもらえません。もう一度声を大にして言います。私ことセイタカアワダチソウは,繁殖力は旺盛ですが,花粉症を引き起こさせる活動はしておりません。花粉症の悪さをしているのは ブタクサ です。 」
2005/10/25
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銀行にいって金を下ろし,振り込んだり頼まれていた画像をプリントしたりとあわただしい午前中を過ごして,午後はゆっくりと主夫に専念できるだろうと思っていたら,午後2時過ぎ,頼んでいた小屋の解体にいきなりやってきて,解体が始まり,大幅に予定が狂った。雲仙シリーズが終わって,題材を探したがなかなか見つからない。畑のコスモスを撮影していたら,名前がわからない蜂が飛んできた。
2005/10/24
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駅に立ち寄ってみた。ラッキー,イベント列車が運行するではないか。ホームでは,その列車に乗るおじいちゃんと孫が走り回っていた。笑顔がさわやかな男の子とおじいちゃんだった。
2005/10/23
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薊谷を11時10分に出発して,11時35分には仁田峠に戻った。この頃になると,強風も止み雲ひとつない青空になった。展望台で記念撮影をしたあと,平成新山をみると山頂には雲もなく,噴火の名残の溶岩ドームもくっきり見えた。(11:39撮影)その後,13時40分の格安料金のフェリーに乗るため,池之原の駐車場まで下り,車で温泉街へ,皆は15分で温泉を堪能(?)したが,ゆったりした気分でないと温泉に浸かりたくない小生は,足湯でガマンした。汗だけを洗い落とし,島原に下りていき,昼食はまたしてもコンビニ弁当。フェリーでカモメさんと遊ぶために「○び○ん」も買ったが,帰りはカモメさんにはしっかりとふられ,熊本港に入港する前に,数羽のユリカモメさんがやってきただけだった。体力のなさを実感し,山には登れなかったが自然の美しさ,厳しさを味わうことが出来た。体力づくりのために始めた,春先のウォーキングを持病の痔病のため断念し,今年こそはと思っていたのがまたまた未達に終わり残念だ。来年も,誘われるとまたのこのこついていくのだろうなあ。今回の撮影で,約100コマ撮影したが,デジカメだからこそ出来る「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。」方式も,相変わらず無駄撃ちが多かった。今回使用した機材;カメラ Canon Eos10D レンズ Canon EF28~135mm シグマ 17~35mm フィルターは,EFレンズのときC-PLを使用。 光芒を強調するフィルターは未使用,というより所有していない。「静かな世界」の太陽光の光芒がなぜあんなにはっきりと出たのか顕彰する必要がある。 フェリーの船上から見た雲仙の山並み。(2005,10,16,13:58撮影)中央の一番高い山が,平成新山。右手前の緑の山(眉山)がなかったら,火砕流は島原の市街地に流れて来る可能性があったらしい。
2005/10/23
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登山パーティーでは単独行動は禁止と言いながらも単独行動をさせてもらって撮影した。携帯電話はあるものの,雲仙でどこも通じるのはその名の会社の携帯だけで,私が持ってる携帯は,画面の中にアンテナは立っているものの全くダメ。連絡も取れないまま逆のコースで最後の休憩場所薊谷へ向かい10時35分,一人歩いていった。撮影をしながら11時に到着。11時10分普賢岳から下りて来たパーティーと無事に合流。小休止の後,今来た道を20分で仁田峠へ引き返した。画像は10:46撮影,亜硫酸ガスで枯れたのかと思ったが,周囲には大きな木があるので,火山性ガスのせいではないようだ。
2005/10/22
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場所が場所なら大騒ぎになるだろう。とにかく,駐車場でよかったよかった。それとも透明人間か?
2005/10/22
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雲仙シリーズももうすぐ終わり。今回は,雲に覆われた平成新山の山頂。海上から見ると笠雲に見えていたかもしれません。展望台のベンチに座って雲の変化を,飽きもせずに見ていました。撮影10:10頃
2005/10/21
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『静かな世界』の画像を,壁紙用に加工して,フリーページの「壁紙」のページにアップしました。気に入られた方は御自由にお使いください。サイズは,1024*768ピクセルとちょっと大き目の1280*1024ピクセルです。 個人で壁紙として使われるのはいっこうにかまいませんが,それ以外の目的でのご使用は固くお断り申し上げます。 リンゴ印のパソコンでの保存方法はわかりませんが,Windowsの場合,画像の上で右クリックし,「名前をつけて画像を保存」か「背景に設定」を選択してください。またXpのばあい,デスクトップで右クリックし,アイコンの整列を選び,「デスクトップアイコンの表示」のチェックを外すと,デスクトップは画像だけ表示されます。
2005/10/20
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火山活動終息宣言から10年,火砕流や土石流が流れ下ったところにも草が生え命が芽生えています。
2005/10/20
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下の『静かな世界』の画像から約1時間後9時28分頃,妙見岳の展望台から撮影した平成新山。普賢岳(海抜1359m)の中腹の地獄跡火口(海抜1220m)付近から始まった噴火は,溶岩ドームを作りながら隆起を続け,最終的には海抜1486mになりました。画像手前の緑の山が普賢岳です。高低差はさほどないように見えますが,現在でも100m以上の差があります。この展望台で撮影していたときに,広島弁のおじさんが「せっかく見に来たんだ,噴いてみろ。」と少し大きな声で言いました。冗談で言ったのでしょうが,地元の人間ではない私でさえカチンときました。,地元の人がこれを聞いたらと思うと,どんなに思ったことでしょう。
2005/10/19
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皆が登った後,8時45分頃までは風の音だけが聞こえる静かな世界でした。画像は,『墨絵の世界』の35分後の有明海。手前の斜面が火砕流や土石流が下ったところ。
2005/10/19
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左から,妙見岳,普賢岳,平成新山(元々は普賢岳の中腹だった。現在は親より大きくなって100mも高い。ただし,登山禁止)前の画像と時間が前後するが,10.16 7:37撮影
2005/10/18
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途中挫折しかかって,他の人のように黄金に輝く雲は見られませんでしたが,朱墨,青墨で描いた雲を神様は見せてくださいました。下の白い部分は有明海,その上の青い波のような線は平家の落人が住み着いた付近の九州山地の山並み。その上は空です。短くて小さな天使の階段が無数に出ていましたが,この画像ではさほどはっきりしません。10/16 AM7:52ころ撮影
2005/10/18
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今日の部分月食地球の影が薄い部分濃い部分二重になっているのがわかります。撮影スペックは,先月の中秋の名月と同じ。テレコンを使っているので,シャッター速度を1/125に落とさないと暗くなるようだ。
2005/10/17
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カモメを撮影した後で,ISO感度を元に戻さず撮影したために,ブレがなく逆に功を奏した。明るい光に露出をあわせ,-2/3ほど補正したがそれでも光の筋は現れなかった。帰宅後,トーンを少し落とす補正を加えた。次回は,「墨絵の世界」に続く。
2005/10/17
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このカモメさん,レンズの前でホバリングをして空中に止まってくれました(まさか)。きのうの,えびせんカモメさんとこのカモメさん容姿がずいぶん違いますよね。そこで,野鳥の会に入っているWeb友の掲示板に同じ画像を二つ載せて,見てもらいました。結果はえびせんカモメは ウミニャンコウミネコで,今日のカモメは,ユリカモメ (ただし東京の乗り物ではない) だろうということで,さっそく,ネットで調べるとチドリ目カモメ科で親戚でした。JR九州の「白いカモメ」ならすぐに区別がつくのですが,本物のカモメさんたちは,どれがどれやら全く区別はつきません。
2005/10/17
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帰りの車の中でお遊びの撮影を試してみました。直進ズームでは,こんなお遊びをしたことがありましたが,回転式ズームでは初めての試みです。銀塩カメラでは,フィルム代が勿体無くてこんなお遊びは出来ません。
2005/10/16
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昨夜の野宿が尾を引いて,体力無し,根性無しを改めて認識させられた今回の雲仙行きだった。昨夜,食事を終えてテントに入ったのが午後9時過ぎ,テントを張った場所は駐車場の一角で,地球温暖化に貢献している元気なお兄ちゃんたちが,とっかえひっかえ爆音を轟かせながらやってくるし,風が一晩中ビュービュー吹いて,眠れるものではなかった。今朝5時前起床,朝食をとって,テントをたたみ,出発した。ところが,バテルと思って無理して食べたのが間違いだった。山道30分も歩かないうちに,気分が悪くなり,最初の休憩所に到着する前に顔面蒼白,目の前真っ暗になり,引率の登山ベテラン先生を独占してしまった。挙句の果てに,「○ーッ」とやってしまった。白湯を飲んで,どうにか気分も良くなったが,すでに限界と悟られた先生は,「あなたは,われわれが帰ってくるまでこの辺で写真でも撮っていなさい。」と,言われその辺をうろうろ。紅葉にはまだ時間があったが,中には紅葉した葉も見られた。ススキにレンズを向けていたら,通りかかるおじさんたちが「何を撮っているんだ」と言わんばかりに後ろに立ち止まり,覗き込んで歩いていった。
2005/10/16
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どうにか,帰ってきました。きのう,熊本港を出るときはまったくカモメの姿が見えなかったが,出港してしばらく経つと,後部甲板に人が集まりだした。いってみると,たくさんのカモメさんが餌もらいに飛び交っていた。餌の「か○ぱえ○せ○」を投げるのは他の人に任せて,撮影に専念した。画像は『か○ぱえ○せ○をキャッチするの図』。原版では,かなりブレているが,540*360まで縮小しシャープネスをかけるとブレはそれほど目立たない。帰りの今日は,コンビニに立ち寄ったときエサを自分で調達したが,島原港ではカモメの姿はまったく見えず,熊本に入港する前に数羽が現れただけだった。
2005/10/16
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center> 今日昼1時に,雲仙向けて出発です。熊本まで行きフェリーで島原半島に渡ります。お泊りは,雲仙で待望(?)の野宿です。現在,こちらは雨,午後になると晴れるという予報が出ています。体力のある人は,明朝,妙見岳,国見岳,普賢岳の山歩きです。小生は,前にも書いたとおり,体力,気力,根性がないので妙見岳付近でブログのネタ探しをします。
2005/10/15
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昨日の小生の駄文で,アシジの聖フランチェスコのことを書いたが,鳥は人間が近づくと飛んで逃げるが,フランチェスコが鳥に手を差し延べるても逃げることもなくじっとしていたとか,鳥が集まってきたという話が残っています。有明海の長洲港や島原半島の島原港ではカモメが餌付けされて,特定の食料を持ってフェリーの甲板に出ると,それをめがけて群がってきます。さて,ナンセンスナゾナゾですが,リチャード・バックの『カモメのジョナサン』の映画と小説が流行った頃,同じように流行った実にくだらないなぞなぞです。その1「カモメが団体でやってきました。なんというカモメでしょう?」その2「旅行のいでたちのカモメの団体がやってきました。なんというカモメでしょう?」その3「年寄りのカモメがやってきました。なんというカモメでしょう?」その4「ほっぺたに傷があるカモメがやってきました。なんというカモメでしょう?」などなどです。答えはすべて「カモメの○○サン」と答えるものでした。わかりますか?
2005/10/15
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午前中明日の準備をして,午後からは金曜の勉強会。そのあと,足りないものを買うためにホームセンターに立ち寄ったら,買い物の間に雨が降り出し,豪雨になっていた。今日は庭先のコスモスも撮影しなかったので,「転車台のD51」でお茶を濁しておこう。さて,明日は熊本⇔島原間のフェリー,カモメさんたちと戯れることができるだろうか。アッシジの聖フランチェスコなら,「か○ぱ○び○ん」の袋を見せなくてもカモメさん達は集まってくれるだろうに。これを入力しながら昔流行った,「カモメのジョナサン」を捩ったナンセンスナゾナゾが頭をよぎった。
2005/10/14
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たった,1羽だが「長旅,お疲れ様」。昨年より1週間遅く,御到着だ。私は12日に初飛来と目論んでいたが,一日外れた。1週間位前,ちょっとだけ北西の風が吹いたときに12日頃にやってくると家族には話していた。今朝の風を体に受けたときに,どういうわけか今日鶴がやって来そうな気配がした。数年前も同じような気配を感じた日に鶴がやって来た。あの日と同じ感覚だった。一日,ずれはしたが無事に飛んできてくれて嬉しいものだ。南方海上には台風があるが,鶴がやってきたから,こちらには台風は来ないだろうし,万が一,やってきても強くはならない。異常気象で彼らの敏感さが狂っていなければ,彼らが飛来してから強い台風はこちらに来たことがない。画像は,去年のマナヅル。
2005/10/13
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今回見つかった写真に上の画像(約40年前)があった。撮影した記憶がないので,正確な撮影場所がわからない。大体の見当をつけて車を走らせたら,無事に場所は確認できた。しかし今の姿を撮るためにファインダーを覗いたら悲しくなった。SLがなくなり,電化され,新幹線が開通し,鉄筋コンクリートの建物もふえ,スーパーも出来,生活は確かに豊かになり便利にはなった。しかし,それと引き換えに,大切な自然を失い,人を思いやる心,人に対する優しさまでも失ったのではないだろうか?
2005/10/13
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とりあえず,SL写真の取り込みを終わった。機関車の画像は34枚で,あと昭和30年後半から40年前半の町並みの画像など,歴史的に貴重な(大げさかな?)画像の電子化が残っている。前にも書いたが,昭和40年代前半の頃のカラー写真は,減色がひどいし,フィルム,印画紙共に粒子が粗いために焼き付けたものがピンボケ状態になっている。ネガをスキャンしないとダメだ。さて,今日は後期第3回目の教室の日だった。今回は,講座が開始される前に,川端康成の『雪国』の冒頭部分をローマ字で書いてもらう宿題を出していたので,ローマ字入力に対して無理な理由付けをして拒否する人がいないようだ。この方法は正解だったのかもしれない。そして,保存する専用フォルダーの名前も絶対に忘れないように自分自身の名前をつけさせた。これで,後はアルファベットの配列と自分のフォルダーへのリード&ライトが一人で出来るようになると,第一難関突破だ。
2005/10/12
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博物館への取り付け道路は田んぼの中の一本道です。この道の木陰で,仕事を終わった案山子さんたちが休憩中でした。
2005/10/12
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結局,今回出てきた蒸気機関車の写真は35,6枚だった。現在3分の2をスキャンしたが,作業をしている人を写している写真が極端に少なく2,3枚しかない。「危ないから入ってくるな。」と言いながらも,無視して撮影していると「怪我をするなよ。」に変わり,それ以上はなにも言われない,構内に入って撮影ができたのんびりした時代だった。車庫の中で撮影したものもあるが,今以上に下手糞な画像で,露出がまったくなっていない。
2005/10/11
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昨夜のSL画像発見とスキャンで興奮冷めやらぬまま朝をむかえた。あれからカラーとモノクロのSL写真が数枚出てきたがスキャンはしなかった。「スキャンは時間がかかるから好きゃん」と言いながら,ちびちび進めていかねばなるまい。特にカラー写真は減色が激しく,ご覧の通りの状態。日向でのSLは使わないで錆びてしまった鉄の塊状態だ。曇りの日のものは,グレイに塗装されなおされたような色になってしまっていた。この画像は,数少ない青春時代の一コマ。新座市の平林寺で撮影したもの。フォークグループとして,レコードを出すときにはジャケット用の写真として使うつもりで撮ったものだ。30ン年前でジーンズに時代を感じてしまう。当時はジリ貧でカメラを手放して持っていなかったが誰のカメラで撮影したのだろう?画像の中のどの人間が私であるか想像にお任せいたします。この中の二人には卒業以来,会ったことがありません。
2005/10/11
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以前から,高校時代に撮影したSLのネガを探しているが,上沼恵美子風に言えば我が家は淡路島くらいの建坪なのでいっこうに見つからない。今日,やっと古い写真が入った箱が出てきた。その中には,高校時代に自分で焼き付けた,下手くそな写真がたくさん入っていて,中に写真屋で焼いてもらったモノクロのSL写真が数枚出てきた。その中に,珍しくカラー撮影のSL写真が3枚ほど入っていた。もちろんネガは行方不明。当時,カラーフィルムを使ったことは殆どないから,この写真の記憶も全くなかった。D51592とC6018,奥にはキハ52系であろうディーゼルだ。場所が地元の機関庫だから自分で撮影したものだろう。撮影は,昭和42,3年ごろと思われるものだ。とにかく,古いSL写真が見つかって嬉しい。
2005/10/10
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今日我が家の犬走りに遅生まれのカマキリがいた。カメラを地面に据えてマクロ撮影を試みたが大きな目玉に驚いたのかものすごいスピードで逃げたがそれでも執拗に追いかけるとカメラにむかってきた。
2005/10/10
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周りの人間から「あんたほど,ブルージーンが似合わない人間はいない。」と言われ続け,もっぱらチノパンを愛用している。今回,恐怖の野宿にあわせてジーパンではなくチノパンを買った。色は,スズメバチが怖いから野宿用の薄いベージュとちょっと濃い目の茶色。茶色は,すぐはくために買ったもので,早速着用した。買ったところは,行きつけの人なら画像を見てわかるだろうが,高級品を販売したり,野菜を販売したりと,色々と人目を引きたがる「雲丹黒」いやUNIQLO。(わたしは,ここを全国展開のユニフォーム屋さんだと思っていた。)夕方家に帰って,ズボンを脱いで驚いた。なんと,胴囲と長さを示すこのシールをつけたまま一日中歩き回っていた。このシール画像のように短いものではなく,結構長いものだ。ばれてしまったものは仕方がない。全国の皆さん,私の短所は足です。チャンチャン。
2005/10/09
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上の画像が始めて買ったデジカメ:エプソンCP500。買ったのは今から7年前で,鹿児島市内に出かけたときに買ったものだ。画素数は,今のカメラ付き携帯電話のカメラより劣る,81万画素。このカメラ,ものすごく大飯食いで,液晶ファインダーを使おうものなら,単三乾電池4本が30分で空っぽになってしまう。CCDも補色系と今では考えられない。使えるCFは16MBまでで,これ以上大きなものは使えない,使いたければファームウェアーを書き換えてください,ただし有料です。次に,買い換えたのがCASIOの2400UXという機種で,絞り優先撮影が出来るという触れ込みだったので買い換えたが,絞り優先といっても絞りが2段階では使い道がなく,次の機種を買い換えたのを機に,すぐに手放した。手放すきっかけとなったのがしたのキヤノンPowerShotG2。400万画素も今では少ないほうかもしれないがISO100で撮影する限りにおいては,何の不足もない。ISO400で撮影するとノイズが目だって使い物にならない。---つづく
2005/10/09
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今朝10時前に画像のところに出かけて行ったが,さすがに日曜日だけのことはある。10時半頃は到着したが,駐車場はどこも満車で,これでは撮影どころではない,花見ならぬ人見だ。結局,即刻,撮影中止を決め込んで,最近よく通っている林道へ車を走らせた。目的は,この林道からコスモス園の方角を鳥瞰して,どの辺りが見えているか確認のための画像を撮影すること。そのために,望遠レンズを持参していた。逆光撮影でコントラストが弱くてろくな画像ではないが,確認するだけの画像は撮影できた。そのまま,林道を7km走り市街地が見下ろせるところで,久しぶりに銀塩の一眼レフを取り出して市街地を撮影。最近は,デジカメ一眼での撮影に慣れている為に,撮影後は画像を確認する癖が付いてしまったようで,1枚撮り終わるとカメラの後を見てしまい,一人でニヤついてしまった。
2005/10/09
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温暖化の影響か,夜と昼の寒暖の差が全く感じられない。これでは,楓も赤くならずに茶色くなって落ちてしまう。庭の楓が,紅葉を見せてくれるか心配だ。
2005/10/08
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『平成新山』 木曜日の夜の教室の方から,「雲仙に行きませんか。」と誘いを受けた。ここから雲仙に行くとどうしても一泊しなければ,山登りは出来ない。小生は,運動能力ない,体力ない,根性ないで,公私共に認める「三ない運動」の第一人者だ。それに小心者ときている。野宿なんて怖くて,とても出来ない。行く人たちは,ほとんどが「走ろう会」のメンバーで体力と運動能力には自信がある人たちだ。昨年は,霧島高千穂の峰に行って,最初のうちに落伍してしまった実績もある。これではいかんと思って,持久力でもつけておこうとウォーキングを始めたが,始めてすぐ大痔主になってウォーキングも挫折。結局,体力づくりをすることもなく秋になってしまった。今年もまた自慢じゃないが,恥ずかしながら落伍だろう。今までにキャンプというものもしたことがない。学生時代に,ワンゲル部が開催したオープンワンダルングに参加したことがあったが,このときはちゃんとしたバンガローだったから心配しなかった。まず気になったのが宿泊だったので尋ねてみると「テントを持っていない人もいるので,旅館に泊まります。」ということだった。ならば「足手まといでしょうが連れて行ってください。」とお願いしておいた。そして,一昨日木曜日,計画表をもらった。見てびっくり!!げーっ,旅館じゃなく野宿だ。 しかも,しっかりとメンバーに組み入れられて,費用の計算にも組み入れてある。仕方ないから,準備をしておくかということで,ホームセンターにいって,シュラフと下に敷くアルミ箔を張ったスポンジマットを買ってきた。リュックは,一泊くらいの荷物が入る山岳撮影用の大き目のカメラリュックで代用することにした。まだまだ,準備しなければならないがゆっくりと準備していこう。
2005/10/08
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昨日,Fukkyママさんのところに,「納豆が1番」という日記があった。某国営放送局の夜の番組で「納豆は300回かき混ぜると」おいしくなると言っていたが,同じ放送局の夕方の番組では,醗酵学の先生が「かき混ぜればかき混ぜるほど,おいしくなるが50回もかき混ぜれば十分」と言っていた。300回もかき混ぜれば,粘々で繋がってはいるものの,大豆は一粒々々がばらけ始めて食べやすくなる。でも,回数はどれくらいかき混ぜればいいのだろう。納豆を食べられるようにしてくれた くめ納豆の高級納豆を 食べてみたいが最近はこちらでは売られていない。
2005/10/07
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小生が子供のころの弁当のおかずは,現在のように野菜があり,動物性たんぱく質の食品があって,などと言うことはなく何か一品ということが普通だった。それが,魚肉ソーセージだったり,佃煮のスルメだったりと,それでも文句ひとつ言わなかった。当時,夏を除いて出てきたのが,薄揚げの煮付けだ。甘辛く煮付けたそれは,まさしくおふくろの味そのものだ。今日それを,真似てみようと揚げを買ってきて煮付けてみた。が,味付けの基本「さしすせそ」を守っているものの,まったく味が付かなかった。お袋の味付けは出来ないが,ちゃんと味がしみるまで,何回も作ってみよう。
2005/10/07
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久しぶりに夕焼けを見られた。今日は,昼も夜も教室があったが,早めに夜の教室に出かけて近くの河原を三脚とカメラを担いでぶらぶら。きれいな夕焼けではなかったが,きれいなところを少しだけ切り取ってみた。
2005/10/06
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自分の本来のホームページにも掲載した話ですが下のようなこともあります。ただし,鹿児島弁を文にしたものですからわかりにくいところがあると思います。上の画像のタノカンサーに関するエピソードです。ここから転載タノカンサーの写真を撮影していると,当然のことながら地元の人々と言葉を交わすようになってくる。先ず,石像を撮影する人間が珍しいのか好奇心旺盛な子供たち,そして農作業の手を休めている人々やたまたま通りかかった人々と,話し始めるきっかけもさまざまだ。入来町に撮影に行ったときは,私がタノカンサーの所在地を尋ねたことがきっかけとなり蒲生町に住んでおられる同姓の方と知り合って(私の数十代前のご先祖さんは蒲生町の出身で,かなり低い確率で親戚かもしれない)県の文化財に指定されているタノカンサーを教えてもらったりもした。さて,そんな中でとあるところに行ったときに聞いた話。やっと見つけたそのタノカンサーは個人所有で像の高さは30cmくらいの小さなかわいらしいものだった。個人所有ということは,所有者に一言はお断りを申し上げてから撮影に入るのが道理というものであろうが,個人所有でも家の木戸口に田んぼに向けて,生垣の根元に置かれているということはお断りしなくても大丈夫だろうと,撮影した。狭い道路に堂々と駐車していたものだから,当然のように家から人が出てきて(70代の男性)怪訝そうな目つきをして撮影を見ておられた。撮影が終わってから,お断りとお礼を申し上げると, 「こげんとを写さんて,ほけ,うっかもあっどが?!」 と言われたので「この辺のタノカンサーを全部撮影しました。」と申し述べると,納得された様子で,近くのタノカンサーを教えていただいた。本題に入りましょう。撮影したタノカンサーは,江戸時代に僧侶だったその男性のご先祖が何処からか連れて来たことや,今ではお孫さん達の遊び友達(?)になっていることなど話されました。その後,ご自分の体験談を話し始められました。 「あたいが,小まんか頃,こんタノカンサーに,シベンのひっかけたやな,○ン○マがものすご腫れてな,動きゃでけんごッひんなッてな,親ンしが,ひったまがって,タノカンサーを洗るて,焼酎(しょちゅ)どん上げて祀ってくいっやたや,腫れもひいたっじゃらな。タノカンサーて馬鹿(バケ)しとったっじゃいどん,ちゃんと魂(たまい)が入っとっとじゃんなあ。」 話を聞いて笑ってしまいましたが,あながち「自然を大切に。」とか「物を大切に。」といった決まりきったキャッチフレーズだけではないものを感じました。
2005/10/05
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タノカンサーは旅が好きです。ある地域で米の不作が続くと,豊作の地域からその地域へと旅をされます。出発される時間は,夜遅く世間が夜の闇に包まれてからです。また旅に出られるときは,神様らしく丁寧に置手紙を置かれ,お詫びの焼酎も置いて出発されます。どこの地域に旅をされるのかはわかりませんが,旅先が豊作になると焼酎をお土産に,また戻っておいでになります。この旅行は「田の神おっとい(盗むこと)」といわれていますが,ほとんど元あった場所に戻されます。2,3年前私が住んでいるところでタノカンサーが集団旅行にお出かけになりましたが,途中で旅行資金がそこをついたのか骨董品屋で売られているところを無事保護されました。画像の田の神は鹿児島県大口市にある「大日如来田の神」で,大日如来講の人々が大日如来像を田の神として祀ったもので,特異なタノカンサーです。
2005/10/05
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田の神については3月8,9日頃のブログに簡単に説明してあります。前のブログの画像は,3月8日の画像の田の神を宮崎県えびの市から寄贈されて,反対側に作られたもので,全員が右手に持っているものは杓文字です。この画像は私の好きな田の神像の一つで,薩摩川内市入来町にあるものです。珍しい女性の姿をした珍しい田の神像です。
2005/10/05
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