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久しぶりにゆっくりとした稽古をさせていただきました。まずは、灰形の稽古。一尺の土風炉に、中の五徳が入っていましたので、五徳の外側を切って二文字押切りで灰をなでました。先生の評では、前谷に比べ、後谷が高すぎ。灰づもりの段階で工夫をとのことでした。さっそく後谷を一センチほど削り、前谷にその灰をのせてなでてみましたら、バランスよくできました。この頃は手を加えて直せるようになりました。ちょっと進歩しました。『廻り灰の式』は先生独自のものですが、風炉の時期にふさわしい七事式と言えるでしょう。折据を回して役を決め、5人でひとつの灰形を作り上げ、”水の卦”を書き、必要なら藤灰も撒きます。今日は一つ山の遠山灰を作ることに。。私は二番目で前谷をなで完成させるのが仕事です。毎回、おもしろうて、やがて悲しき、いえいえ、楽しき、または、おかしき、廻り灰。五人の笑い声で終わる花月です。その笑いは、謙遜、未熟を恥じる、ユニークさに噴出す、五人の懸命さを受け止める優しさ、まあこんなもんかと自嘲・・・、複雑な思いです。たとえ凸凹があってもゆがんでいても、できたての灰形は炭がよく熾ること間違いなしです。もし湯の沸き方が不十分なら、多分、それは火床が深すぎるから。続いて亭主が元火を入れ、ぬれ釜をかけ、『炭付花月をいたします』、と挨拶。菓子付きで、各服点で、全員お薄をいただきました。昼食の後は、香付花月。真那蛮(まなばん)の豊かな香りを聞きたあと、香包を見ると、香銘は『五月雨』。お薄のあと、墨をすりながらも、頭の中は『五月雨を集めてはやし最上川』の句がぐるぐると…。苦労してようやく『五月雨に笹舟はやし野辺の川』とまとめました。おそまつ。記念の記録奉書紙は、『花』を引いたおとなり三客の方がget!!梅雨の晴れ間の静かな一日、お茶三昧に過ごしました。感謝。合掌。
2006年06月23日
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気がついたらエコがいない。ベッドの下、クロゼットの中、バスタブの中、押入れの中、トイレ、ベランダ…。 ふだん、いつの間にかもぐり込んでいるところは全部探したけど…いない。 カレンとナイルにも聞いてみたが、知らんぷり。外に出たとすれば、可能性は、 1 ベランダの手すりから飛び降りた、または滑り落ちた 2 玄関から出て行ったの二つしかない。すでに夜7時過ぎ。 小雨降る暗がりの中、動てんした娘と私は、外に出て、マンションの植え込み、駐車場、ごみ置き場を探した。 マンションの最上階まで昇り、階段を下りながら、各フロアーを調べ尽くした。 何回エコの名前を呼んだだろう…、が、いない。ここでもう一度よく考えた。今までただの一回だって、ベランダの高い手すりを飛び越えたことはないし、玄関は、リビングのドアと玄関前の衝立とで、二重三重になっているので、これまた三匹のうち、だれも出たことはない。絶対、家の中にいるはず。口先は心配そうでも、ちっとも心配していない夫は、リビングのテレビをつけていたが、娘が『ちょっとテレビ消して、静かにしてみて』と、和室から声をかけてきた。『いま、カサカサ音がしたの。 エコちゃん! エコ! ・・・・・。 あっ、ここで音がする!!』えっ、そこは私の袖机ではありませんか。 なんで、そんなところに・・・。下段の大きな引き出しを開けると、エコがねむそうな顔で、封筒やファイルを乗り越えて出てきた。横腹に毛が寝たあとをつけ、『いま起きたばかりだけど、みんな集まってどうしたの?』という風情で私たちを見上げると、餌皿の置いてあるキッチンに向かった。昨夜、引き出しを開けて出し入れしていたのは確かに私。カレンはこの引き出しに入りたがるけど、体がつかえるのか、閉め始めると途中で出てくる。エコ(体重3キロのシンガプーラ)は体が小さいから、引き出しの奥の狭い空間に入ったままだったのだ。それにエコは『グァ』と低く短くしか鳴かないので、袖机の奥に入ってしまったら、私には聞こえなかったのかもしれない。 その前に、暗くて暖かくて寝入っていたのかもしれない。娘が耳をすまして聴いてくれてよかった。お宅でも、誰かがいえ何かが、紙を触るカサカサという音、耳をすますと聴こえるかもしれませんよ。
2006年06月16日
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板谷波山の作陶の生涯を描いた映画『HAZAN』 を見ました。(NHKBS)明治5年生まれ、茨城県下館出身の波山は、東京美術学校彫刻科卒業後、石川県工業学校の彫刻科、のち陶磁科の教師となり、7年間を金沢で過ごしました。鈴木まると結婚し、3人の子供が生まれた頃、作陶の思いたち難く、教師の職を捨て、明治36年東京田端に窯を築きました。当時の事ですし、資金も事欠き、窯も夫婦二人で苦労して二年半がかりで作りあげました。妻まるも覚悟をしていたものの、明日の米にも事欠く極貧生活。ひとたび窯に火を入れれば、不眠不休の薪くべで、火を落とした後は二人ともぼろくずのように眠ってしまいます。窯の温度を上げようにも、お金がなくて薪の手配も思うにまかせず、まるが家の戸板を外して薪代わりに火にくべる場面は圧巻でした。作陶を始めて数年は納得のいく作品ができず、釉薬作りにも没頭した波山でしたが、ようやく独自の『葆光(ほこう)釉』を作り出し、大正6年日本美術協会展で、最高賞を獲得したのでした。『葆光』というのは、”汲めども尽きず、満つれどもあふれず”という状態を表す、と映画の中で波山がつぶやいていました。そのもの自体で完成し成就しているということなのでしょう。老師哲学に通ずるとのことでした。波山の彫刻は、『一日一寸角』といわれるほど、丹念で精功なものでした。また、波山のそばには、現田市松という轆轤師がいて、生涯をかけて、波山の原図どおりに作品を成形しました。美術学校時代、高村光雲に学んだ波山の彫刻と”葆光釉”は、市松の完成した形に命を与え、”葆光彩磁”として、近代芸術の独自性と個性の表現を体現し、世人の注目するところとなりました。後で調べたところ、現田市松が昭和38年3月に交通事故で亡くなった後、波山はその後を追うように10月にこの世を去ったといいます。二人三脚で作り続けてきたのでしょう。波山の存在意義は、陶芸が職人技としか認められなかった時代に、芸術作品としての作陶を世に知らしめ、陶芸を芸術の域に高めたこと。そのため、納得の行かない作品はすべて壊してしまい、美術商にも迎合せず、家族に貧しい生活をさせてしまいました。映画の中、米屋が数ヶ月たまった米代を取り立てにきたとき、『あと一ヶ月待ってくれ、窯が焼けるから』と、まるが懇願したにもかかわらず、米屋がなお引き下がらずに文句を言う場面。穏やかで明るいまるが『芸術とはこういうものだ』と啖呵を切るところ。夫に芸術を成就させたいという理想と、お腹が空いても泣きもしない子供たち(六人)を不憫に思う現実のはざまで苦しむ、妻でもあり母でもあるまるの胸のうちが爆発したときでした。波山は昭和28年文化勲章受賞(人間国宝は断る)。まるは昭和33年死去。榎木孝明と南果歩、静かな演技ですが、さまざまな思いのこもった人間像が浮かび上がり、好演と思いました。茶陶とは趣を異にする波山の作品ですが、ゆるぎない美意識は、利休の茶に通ずる厳しさを感じました。
2006年06月14日
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三千家(表・裏・武者小路)の菩提寺でもある、京都大徳寺の開祖・大燈国師(宗峰妙超)は、11歳で播磨の書写山の喝食(かつじき・ご飯ですよと声をかける役)となりました。17歳、さらに師を求めて京都に出て、生涯の師・南浦紹明(大応国師)に出会い、鎌倉建長寺にも同行して、印可されたのが(悟りを得たと認められること)26歳のときでした。印可したものの、師である大応国師は「お前はまだまだあまりに若いから、20年間は表に立たず、身を伏せているように」といったそうです。大燈国師は、師の教えを守り、雲居庵のちには大徳庵を結びながらも、京の賀茂川の河原で、貧しい人々に混じって暮らしていました。身を隠しても、その名は世に伝わり、ときの花園天皇は是が非でも会いたいものと思い、家来につけ出してつれてくるように命じました。家来は一計を案じ、当時のグルメ”まくわうり”を携えて賀茂の河原へ・・・。『足で歩いて来ない者に、このまくわうりを与えよう』と言ったところ、集まった群衆の中から、『手で渡さないなら食べてやろう』と声が・・・。ここで大燈国師は花園天皇に召され初めて対御し、後に開く大徳寺の保護者・後援者を得たのでした。大徳寺の法堂が完成し、開堂したのが、大燈国師45歳のとき。師・大応国師の法乳(授乳するようにやさしく仏法を教えてくれること)の恩に報いたのです。花園法皇譲位で、後醍醐天皇即位、足利尊氏挙兵、建武の中興、そして南北朝時代へと、変動の時代を生きた方でした。
2006年06月13日
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日曜日、母の誕生日が近いので、娘と一緒に両親を訪ねました。母の好きなお刺身を中心に昼食の買い物。これも母の好物、チョコレートケーキに81歳分のロウソクをつけてもらい、娘がピンクのバラの花束をプレゼントするといって、花屋に寄りました。実家に着くと食卓はすでに整えられていて、私たちが持ってきた料理を広げればいいだけになっています。さすがお母さん。いつもきちんとしてる。早速ビールで乾杯。四人で食卓を囲みました。お父さんがキッチンの換気扇を新しくしてくれたのよと、母がうれしそうに言うので、見に行きました。右に目をやると、見慣れたホワイトボード。このボードには、以前から母が買い物メモを書いていました。先日は、”鰤・カルパッチョ”と、新メニューも書いてありました。きょうは、隅っこに、大きく、”ロナウジーニョ”と書いてありました。帰り道、おばあちゃんってかっわいー、と、娘が言いました。忘れたくない言葉、ありますか?
2006年06月05日
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