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泊まりの孫たちを迎えに来たのは午後になり少しは家の片づけをして新年を迎えようとは思っていたが諦める。庭木の手入れはおろか家の周り、家の中だけでもと思っていたが夜になってしまう。とにかくこのところ忙しかった。正月になれば八日まで山の作業も休みなので時間ができるだろう。それにしてもちょっと締りのない年末になってしまったことは情けない。
2005年12月31日
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昨日までの数日間に組み立てたブローチ百個ほどにニスを塗り仕上げの乾燥をして午後は里山作業の地主さんを一年の報告を兼ねてあいさつ回りをする。夕方になると娘夫婦のところに来客があるからとまた孫の泊まりでのあずかり。
2005年12月30日
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今朝になっても期待していた「谷川岳」は姿を見せず雪が舞っている。宿を出る前にブローチと炭の売り上げをいただくとブローチは60個、炭は20袋以上売れていた。ありがたい。チェックアウトまで宿に世話になり、帰路に向かうとまた月夜野までくると青空。こんな小さな旅が少しでもこれからの活力になれば嬉しい。来年もこんな旅を続けたい。
2005年12月29日
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ゼロータの効果がなくなって肝臓へのガン細胞が増殖を始めてから少し落ち込んでいたので年内にゆっくり温泉に泊まりたいと思っていたが、こんな暮れになってしまった。娘と孫2人も一緒。雪は月夜野あたりから増えはじめ、目的の上牧「辰巳館」に着くと70cmほどあり、今日も少し舞っている。この宿は私の尾瀬ガイド仲間が若主人でお客さまの案内をすることもあり、ブローチや「竹炭」を売店に置いていただいている。こんなふうにあと何回、そして何年一緒に旅に出られるだろうか? 3才と2才の孫と温泉旅館に一緒に泊まるのは初めて・・・
2005年12月28日
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今日は三度目のナベルミン点滴。この薬に変える時、主治医からホルモン療法が陰性のため選択肢が少なくなったことを聞いていたが、手術時の担当医からのデータのためと約4年前のことなので再び検査をしていただくことになっていたが今日の話で「朗報だよ!」とホルモン療法が陽性であることを告げられアリミディックスの補助療法が加えられることになった。私たちにとっては本当に「朗報」だ。以前の担当医よりも現在の主治医の方が乳腺学界では知識も豊かで心強い。でもあまりにも忙しく個人的な話をする時間が取れないが、私が乳がんのネット仲間からいろいろな情報を得ていることを知って少し対応も変わったような気がする。としたら、お仲間さんに何とお礼をいったらよいのだろう。…ありがとう…夕方、3日間にわたった竹炭焼きも窯を閉じられた。経過も順調に推移し、今夜は寒空に身体を晒さなくてもいい。ゆっくり寝られる。
2005年12月27日
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夜中に3回ほど炭窯の様子観察と竹酢の採取に起きる。ちょっと寝不足だがこのところ忙しくて買い物にも出られなかったので間を見て妻と買い物に出かける。炭焼きの方も排煙温度が77度くらいで安定している。これが最低24時間は続く予定だ。
2005年12月26日
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久しぶりに穏やかな一日。朝食前に窯の乾燥焚きを開始する。それからは一日火と煙の状態監視が続く。二時間もたたずに窯の中に火が入りあとは順調に排煙量が増えて午後には「竹酢」採取もスタートできた。
2005年12月25日
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今年の里山作業も今日が最終日で明日からは1月8日まで年末年始休みに入る。でも私の仕事はまだ終わらない。というのは今日仲間に炭焼きの準備を完了してもらい、明日以降の休みのうちにもう一度竹炭焼きをしたい。そのため、集まった仲間7人に充填する竹の加工を頼み無事に準備ができた。そのあと、ささやかに慰労のお酒を寒風の中で焚き火を囲んで飲む。本当に今年もありがとう。仲間たち。
2005年12月24日
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昨日からの積雪は7cmほど、庭の花や木の実は雪を被って寒そう。今日は金曜日なので作業は休みの日だったが、明日で年内の里山活動は最終で年末年始の休みが1月8日まで続く。どうしても炭出しをしておき、次の材料を詰めておきたい。昼過ぎ一人で窯を開ける作業をしていると仲間の木暮さんが来てくれる。嬉しい! 心配した炭の出来具合も思ったより良さそうで胸をなで下ろす。窯から炭を取り出して次の材料を窯の半分まで詰めることができた。これで明日の最終日は第二回目の炭焼き準備ができる。それにしても寒い日が続く。写真は庭のナンテンと取り出した炭。
2005年12月23日
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今日の予定は先日失敗した「炭焼き窯」からの竹炭の取り出しだったので午前中には家に戻ろうと世田谷をあとにする。電車が新前橋まで来ると何と雪が舞っている。更に渋川に着くと1cmほどの積雪で降り続いている。12:00時すぎに家に着き、少し小降りになったので炭焼き窯のところに行ってみたが、再び雪は強くなり誰も現れない。今日の作業は諦める。
2005年12月22日
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せっかく無理して泊まっていただいた兄夫婦に申し訳ないが今日は都内で10:00時から「尾瀬ガイドネットワーク会議」に出席しなければならない。駅まで車で送るよ! という兄に「通勤時間帯は歩く方が早いときもあるので…」といって7:25分に家を出て渋川駅まで歩いていく。高崎で新幹線に乗り換え何とか会議時間には間に合った。会議そのものはいつもの通りでガイド内容が180度異なる団体と意見が一致するはずはない。でも、この席に参加しないでいたら私たちの思いは消されてしまい、観光地「尾瀬」としての誘客側に押されてしまう。午後からの尾瀬ツァー会社を対象とした「尾瀬ガイダンス」は全くその思いを強くした。入山者の減少、山小屋や地元の対応PR。トイレ使用料金への協力要請や大規模団体の抑制依頼などなし。]虚しい思いが残る。ガイダンス終了後の私たちガイドとの交流会に出席した旅行会社も少なく、ただ義理で情報収集に来られていることをつくづく感じた。17:00時近くなって会場の霞ヶ関をあとにして今日は世田谷の兄のところに泊めてもらうためお邪魔して夜中まで飲みすぎる。
2005年12月21日
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昨日、妻の母33回忌で実家に来ていた鶴岡からの兄夫婦が訪ねてくる。午前中に天候が落ち着いているから帰るというが、私そうそう来られることもないのでの山の作業も休みの日だし無理やりに泊まって一杯やろうと引き止める。空いた時間は私のブローチの選別をしてもらい夕方から飲み始めるが2人ともガン手術の体験者。無理な飲み方はしない。私にはちょっと物足りないが当然のことだ。また年が明けて、春の訪れが来る頃にも妻が元気でいれば会えることを願っている。
2005年12月20日
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炭焼き窯を塞いでから9日目になったので今日はいよいよ今年最初の炭出しをしようと「窯」を開けると中がまだ暖かい。それでも「よし、出しちゃおう!」と作業を続けると後部中央が赤くなり「火」がおきてくるではないか!! 「まずい!…」慌てて再び密閉作業をしたが大失敗。これでは燃焼が広がり相当部分灰化してしまうことが予想される。残念無念!
2005年12月19日
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13日に注文したスタッドレスタイヤが昨夕入ったとの連絡があるが、皮肉にも今朝も雪が積もっている。仕方なくチェーンをつけて交換に行く。注文してこんなに時間がかかったのは、私の車のタイヤは13万円もするというのでディーラーと相談してちょっと工夫してもらい9万円のものを取り寄せていただいたためだ。この暮れに来て13万円もの出費はつらい。
2005年12月18日
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里山の作業を終えて家に戻ると読売新聞の記者が訪ねて来る。私の「里山再生活動」を初春の地域ニュースに紹介したいという。たかが「渋川広域圏」の記事だがこれも認知度が上った証拠。
2005年12月15日
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どうしてこんなに寒い12月なのだろう。まるでここ数年の「大寒」の頃よりも寒い。
2005年12月14日
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朝起きると外には初雪がうっすらと積もっている。今日はナベルミンになってから通院での点滴がスタートの日。病院へ行くにはタイヤチェーンをつけないとちょっと心配。毎年チェーンで過ごしてきたがこれからは週一回病院への点滴に行かなければならないのでスタッドレスタイヤを履こうと思っていたが間に合わなかった。娘に電話をすると「私が行ってやる」という。ありがたい。病院は彼女にお願いして早速タイヤの注文に行く。ナベルミンの点滴は「むくみ」も初回のようになくそう苦痛もなくできたということで安心する。夜は娘へのお返しで2人の孫を風呂に入れる。
2005年12月13日
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朝の気温はマイナス2度。12月にしては珍しい。朝食のあと、ちょっとウォーキングに行ってくる。といって琵琶の葉を10数枚摘んで戻る。「ありがとう」といってくれた。いくら寒い日でも山の作業をしていると汗だくになる。でも家に戻る間に汗が冷たくなってしたたり落ちる。
2005年12月12日
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枇杷の葉のことでちょっと妻の感情を害してしまった。というのは「自然療法」という本に琵琶の葉を身体の病の部分にあててお灸をすると効果があるというページを見て、試してみたいのでその葉が欲しいという。自分の気持ちは転移して増殖してきた肝臓の「乳がん」にこれからの効果? について疑問を持っていたので対応が冷たかった。後ろの家の庭にあるよ! といったら、そんなところで採りたくないという。それはそうだ。「何に使うの?」と聞かれたら病気のことを話すか、他の利用法の話をするしかない。妻は私の対応にがっかりしたらしく沈んでしまった。でも夜になって「北側の遊歩道のところにあるのを思い出した」というので、明日の朝、取りに行こうと思う。
2005年12月11日
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昨日の寝不足で8:30分まで寝込んでしまう。朝食のあとブローチのニス塗りと乾燥を74組すると11:00時近くになってしまう。そして今年はいつも妻に頼っていた障子張替えを自分でしてみようと思い、とりあえず欄間8枚と雪見障子8枚をはずして洗い準備をする。でも今日はこれまで…、午後は山の作業と夕方からはまたブローチ作りに追われる。
2005年12月10日
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昨夜は夜通しで炭焼きの監視をする羽目になってしまった。いつも世話になっているガン友のBBSに妻の治療の「次の一手! ないのかなー」と書き込んだら、仲間からたくさんの激励と事例が書き込まれた。ほんとうに有り難い。みなさんに感謝!!
2005年12月09日
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今朝、炭焼き窯のところに行って驚く。昨夜21:00時の時にはまったく火の気も煙突からの煙もなかったのにもくもくと煙が出ている。排煙温度を測ると49℃。これは妻の退院を迎えにいってからすぐに対応をしなければならない。10:30分ころ病院へ行き、12:00時前に戻る。4日間の入院費用は53,000円と少し。戻ってから早速竹酢採取用の煙突を設置し、温度監視に入る。夕食時にこれからの病との闘いの厳しさを2人で話す。遺影、連絡先、こんなことが退院当日の話題になるのは辛いが避けられないことだし、お互いに涙を流せるのは幸せかも知れない。
2005年12月08日
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午後からは山の作業に入るため昼前に病院へ行くと元気そうだったが全身への「むくみ」が見られた。それでも頑張って食事もとれている様子で安心する。この分なら予定どおり明日は退院できそうだ。家に戻って炭焼きの準備、まずは電気のケーブルを庭から延ばして設置。昼食を済ませてから「乾燥焚き」の火入れ準備をしていると仲間が4人集まる。みなさんは下刈り現場へ向かい一人で火を燃やし始める。今日のところは夕方までで夜は火を消すつもりだったが、16:00時すぎに焚き口から煙が逆流をはじめる。これはまいった! 中に火がついてしまったのだ。慌てて燃えている木を取り出して焚き口をとりあえず塞ぐ作業を一人でする。ここは炭焼きの第一ポイントなので他人がいても助けにならない。とにかく一時間ほどかけて徐々に口を閉鎖して今日の作業を終えると辺りは暗くなっていた。次の乾燥焚きは妻が戻って落ち着いた頃のあさってにしようと思う。
2005年12月07日
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明け方の雪が雨に変わり午前中に止んだので良かった。おばあちゃんが行けないので報告できるように孫の夕佳の保育園での発表会に出席する。運動会の時に比べるとだいぶ積極的に声を出し、動作もできていたので一安心。ビデオも撮っておいたのであとで見てもらおうと思う。その足で病院へ行くと「点滴中」だった。ナベルミンの量は40ml、前後に吐き気止めと生食50ml。ナベルミンは血管への害が強いという理由で全速で落としていくので数分で終了する。幸いにも点滴中もその後もそれほどダメージはなかったので一安心して戻る。明日はMRIでの検査になる。
2005年12月06日
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妻の今回の入院は辛い。20ヶ月前の再発転移の時と同じ気持ちだ。化学療法しか適用できないガンに多くの選択肢はない。主治医に画像をみながら話もお聞きした。自分自身のインターネットで知りうる情報の話もさせていただいた。今は明日からの「ナベルミン」の効果あれ! と願うのみ。
2005年12月05日
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朝八時から区内の防風林にもなっている北の樹木の伐採作業に区長より頼まれて班長さんたちと一緒にお手伝い。チェンソーを2台持っていき一応無事に計画の作業を終えて戻り、午後からの尾瀬ガイド仲間の講習会へ向かう。今回の講習会の講師は尾瀬の地主「東京電力」の尾瀬担当竹内純子さんの講演。中味はかって知ったことだがこうして尾瀬に関係する方々のお話をお聞きすることは大切だと思う。それぞれの方の思いを結集して後世代へ引き継ぎたいものだ。夜は懇親会。宿泊できる人が16人とは少し残念だが明日は勤めの人がいて致し方ない。
2005年12月04日
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今日も寒く作業に出てきてくれたのは私のほかに2人だけ。釜の修理と焚口の準備を終える。かといって釜の修理は火入れをしてみなければどんな状態なのか分からない。でも、一応これで乾燥炊き準備は完了する。あとはいつ火入れをするかだが、私のスケジュールがまだ定まらないので来週の中ごろになるのではないかと思う。明日は区の伐採作業のあと、尾瀬ガイド仲間の講習会と懇親会で上牧温泉の「辰巳館」泊まり。あさっては妻の入院。
2005年12月03日
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今日はついに昨年4月2日の「再発遠隔多発転移」の宣告を受けてから20ヶ月目に入った。そのときの目標、データからの最長19ヶ月をクリアー。妻はもちろん私にとっても嬉しいことでもおめでたいことでもない。ただ、これからも戦うことのみ…。次の目標はどこに・・・? 一日一日を大事に過ごすこと。できるだけ病を考えずに・・・来週の月曜日に入院して予定では4日間、ナベルミンの反応を見ることになった。病院からの帰り道で妻が「お父さんのパーカーもう新しいのにしよう!」というので素直に言うことを聞き、買い物をして帰る。
2005年12月02日
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昨夜、ガン友の方から日記を見て心配していただき電話があった。ほんとうにどんな見舞いよりありがたい。こんな地方に住んでいると、県内では評判の乳腺科でも患者があふれ診察は事務的で主治医との心の通いは難しい。かといって慌てて次の病院を…といっても次善の病院はない。「セカンドオピニオン」のことも考えてはいるがまだ再発転移治療を始めてから1年と8ヵ月。使用してきた薬もゼロータで3種類目。それなりに効果もあって明日になると私の調べたデータでの存命新記録達成になるのだ。でももう副作用ばかりでゼロータが効かなくなった以上つぎの化学療法を試みるしかないので妻と話し合い、明日に病院へ行って「ナベルミン」を試みることにした。
2005年12月01日
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