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昨夜のお酒は飲みすぎた。一旦6:00時に目は覚めたのだが、うとうとして再び寝てしまい起きだしたのが8:00時になってしまった。 暖かい日になるという予報だったので布団を干すために庭に出るとまるで春の陽気。家の中より暖かいのだ。こんな状態のまま春を迎えるとは思えないがやはりおかしい。里山作業は遅れていた「竹炭焼き」準備の窯への材料詰め込みを今週から始めたがまだ加工した材料が足りなかった。明日には何とかしたい。
2007年01月31日
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今日は里山作業が休みの日。朝食を済ませ洗濯を終えると10:00時になってしまう。 それから「SUNおのがみ」温泉へ竹炭の棚卸しに行くが一袋しか売れていない。この宿は公共の宿で商売気は全くない。売店の暗いところの隅に真っ黒な「竹炭袋」が置いてあるのだから目立たないし、宿泊客はほとんどが高齢者で孫のおみやげが売れ筋だという。これで10ヶ月置いていただいたが往復のガソリン代にもならないので今日限りで納品をやめることにする。隣接する民宿の「古城台」さんは20個も売れていた。帰宅の道中に昨年暮れ「脳梗塞」になったという姉の家に立ち寄る。病気のときは何の連絡もなくて知らずにいたので見舞いにもいかなかった。夕方から里山作業の仲間、Tさん、Kさんを誘い一杯飲む。この二人も暮れに飲んだとき、妻の仏壇を居間に移した方がいいよ! と言ってくれていたので移動をしたらお線香をあげながら一杯やるという約束をしていたのだ。いつものように22:00時過ぎまでとりとめもない山や自然の話が弾み、一緒に妻も加わっているような気がして嬉しい。こんな仲間がいる私は幸せ者だ。
2007年01月30日
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今日は私にとって初めての「きんぴら料理」に挑戦した。これで新しい食材がまた一つ加わった。ただやはり一般のきんぴら料理とはちょっと違う。というのは普通ニンジン、ゴボウ、煮干、唐辛子くらいであっさりしたものだが、主夫ともなると賞味期限切れになってしまう油揚げ、シイタケも加えた。少し複雑な味だがまあまあ我慢のしどころか? あとは誰かに賞味していただいて評価してもらおう。
2007年01月29日
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今朝は「朝のラジオ体操」をベットで聞きながらストレッチしていたらいつの間にかまた眠ってしまい目が覚めたのは7:30分。 それから起きだしてまずは居間にきた仏壇に「おはよう!」。食事準備の合間にも食べているときも、片付けをしている姿も妻が見ている。美味しそうだろうとか、こんなのも作ったよ! と会話をしながら生活ができそうだ。こんなに仏壇の配置換えだけで家の中にほかほかと「温かみ」が増すとは思ってもいなかった。思い切らせてくれたSさん、仲間さんありがとう。そして何よりお仲間さんが我が家に訪ねてきてくれた時に、一緒に加わってくれるので思い出話しも弾むことだろう。今日も暖かく家の前にタンポポの一輪と梅一輪の開花を発見する。
2007年01月28日
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いよいよ今日は仏壇の配置換えの日。10:00時すぎに婿殿が手伝いに来てくれる。 私に難題なのは同時に仏壇と並べたいパソコンの再セットと重い仏壇の運搬。パソコンは電話機と同じ場所になるので接続方法が異なり私にはうまくできないが彼は確認しながら無難にインターネットへの接続も済ましてくれた。仏壇は60kくらいだろうがとても一人では持てない。この二つをサイドボードが置いてあった位置に昼頃には設置完了してホッとする。これで妻といつも一緒の部屋にいられる。 何か落ち着いたような気持ちになる。以前からこのようにしたかったけれど、あの大きなサイドボードを廃棄することまで思いつかなかったが、これから一人の生活を考えると確かに無用のものだったのだ。こうしてみると日常使う部屋がキッチンと居間だけで済んでしまう。あとは寝る部屋にしか出入りしなくなるかも知れない。夕方、世話になった娘家族を呼んで「お寿司」をとっての夕食。すぐ脇に仏壇があり妻も一緒に話しを聞いてくれているだろう。
2007年01月27日
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大寒の最中というのに何という穏やかな小春日なのだろう。 おとといあたりから各地でタンポポの開花ニュースが入っていたので庭先の土手をのぞくとタンポポは見つからなかったが「ホトケリザとオオイヌノフグリ」が咲いていた。そして辺りには妻が移植した「冬知らず」の花が毎年増えて咲いている。そうだ! 妻は「千の風...」より「千の花...」のほうがふさわしいだろう。とにかく花が好きだった。花屋さん、草原、庭先、森の中、尾瀬、三千メートルの稜線、そしてアルプスの山麓・・・。どこでも花に出会っている彼女はご機嫌だった。だから身の回りから花を絶やすことはなかった。もう春の兆しを感じた花たちが急ぎ足で咲いたよ!! と報告する。ところで毎年この時期にはすぐ近くの山まで雪景色なのに今年は遠くの国境稜線近くの峰々にしか雪がない。これからの気候はどうなるのだろう。2月に入ればそろそろスノーシューで山に入りたいのにあまりにも雪が少ないと荘厳さに欠けて物足りないだろう。午後になって部屋の片付けに注文していた「パソコン机」が入ったという連絡があったので取りに行き組み立てる。夜はボランティア協議会の講演会に出席。協議会メンバーで校長先生をして退職したS女史の講和。私の知る多くの教員は退職しても社会貢献活動をしている人は少ないのに、彼女は退職後も心の病の相談をしているボランティアを主宰しているだけあって心が洗われる素晴らしいお話しが聞けた。その証がお礼の言葉を述べる副会長さんの声を涙で詰まらせたことが物語っている。もちろん私も涙を...。こんな仲間が近くにいることを誇りに思う。行政で開催する有名人の話よりずっと素晴らしい。
2007年01月26日
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妻が亡くなりお寺さんともお付き合いするようになった。これという信仰はないけれど自分の育ちから必然的に宗派は「天台宗」でお寺は「興善寺」、天台宗では檀家の数は群馬県では一、二番目に多いという。先日世話人から本山の「延暦寺」の定期的な参拝者募集が来ていたのでこの際に少しでも供養になればと思い参加することにした。時期は三月下旬だが今日申し込みをする。昨日、夕方のNHKテレビで「千の風になって」の詩が話題になっていた。作詞者は不明だが親しい人を失った人の心の支えになっているとのこと。自分の場合はどうだろう。私は現実を生きていく中でただ亡き妻のことばかり毎日考えてはいられない。一日、一時間をできるだけ自分らしく過ごしたい。そのことが一番亡くなった人間を安心させることだろうと思っている。でもすっぽりと感傷に浸る時間も必要だ。比叡山参拝の目的はこれといってない。ただ、縁でその宗派に世話になっている以上は一度この目で「本山」なる場所も見ておきたい。
2007年01月25日
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今度仏壇の位置になる一間のサイドボード、午前中に空にした。中の置物の一部は整理した本棚に収納し、ガラス食器類は8割を廃棄する。けれどまだダンボールに二箱も入れたまま...、でも一応はサイドボードそのものも廃棄できる状態になった。これで週末に婿殿を頼んで仏壇とパソコンの移動ができるスペースが確保できる。 このところ部屋の中で細かい動きばかりしていたら腰が痛い。自分には外の力仕事の方が合っているのだ。午後の里山作業も在庫が少なくなった「竹酢」のビン詰め。これも軽作業。夕方、晩酌をしながらNHKテレビのスィッチを入れると首都圏ネットの時間帯でまた「千の風になって...」の詩が話題に取り上げられていた。自分の場合、色々な離別はあるけれども少し早くても独りになったのは自然の形。このところの世相では想像できない人との別れがある。そういう方たちのことを思うとメソメソしていてはいけないと思う。今日の風の中にも妻は生きているのだ...。
2007年01月24日
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朝のゴミ出しは5袋。何度も往復するのはちょっと近所の人には「独り住まいなのに…」と不可解に思われるかも知れない。今日は娘がお姉ちゃんの保育園の会議で不在になるというので9:00時に迎えにいき、長男の一日保育の日。最初のうちは自分の持ってきたおもちゃや私が片付けをしていると色々と出てくるもので遊んでいたが、二時間もすると飽きてきて「おうちへ帰る」とか「お母さんはいつ来る?」などと言い始めたので「散歩に行こうか…」というとご機嫌。風は強かったが里山作業をしている山の中の階段を上り下りして落ち葉に足を取られてスリップするのも楽しそう。ぐるっと団地外周歩道を廻り、公園に出ると「あれっ!ここは公園だ!」と見覚えのあるところにどうして辿り着いたのか不思議なのだろう。一時間弱で家に戻って昼食。今度は落ち着いた。やっぱり散歩がしたかったのだ。午後になって迎えに来た娘は来年度の「会計にされちゃった」と不満そう。散らかった家に夕方までいて夕食準備が始まる頃に帰る。
2007年01月23日
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このところ数日間仏壇を居間に移すための片付けをしている。本を整理してサイドボートのものも処分しなければならない。そのために引き出しの一つ一つの小さな物にも目を通して分別をしていると「思い出」がいっぱい出てくるのだ。 写真、旅での思い出の小物、あれこれと廃棄に迷うものばかり。妻の学友や習い事での資料、とっておいてやりたいけれどどこかで割り切らなければならない。その判断に迷いなかなか辛く作業が進まない。驚いたのは確か結婚指輪だと思うものも小間物に混ざって出てきた。プラチナのもので銀色っぽくなり磨り減っていた。とりあえず仏壇の引き出しに入れておく。きっと働きすぎて太くなった指には入らなくなってしまったのだろう。部屋は散らかったままで今日も終わる。
2007年01月22日
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最近妻という存在の意味をあらためて感じている。独りになって9ヶ月目に入り生活には慣れてきたものの物足りなさと空しさが交差している。何のために生きているのだろう? やることはいっぱいあるけれどいつも評価してくれていた妻がいない。かといって落ち込んでいたのではいけない。あのパワーがあった妻に顔が立たないのだ。でももういない。時々スパイラル式に落ち込む瞬間がある。これを脱出して生きていくには自分自身がパワーアップをしないと独居老人になっていくのに長生きなどできる筈がない。幸いに自分には他の人と比べたら多くの仲間もいるし活動を通じての新たな友達もできるのにこの空しさはどうしてなのだろうと考えてしまう。それは男が独り身になると今まで親しくしお付き合いしていてくれた方も「一人の家」には遠慮と周囲への気遣いがあって以前のより遠ざかってしまう気がしている。それは親戚でも同じだ。というのは自分が妻の力に支えられていた証でもある。いわゆる家庭がないのだ。これからの日々に思いを巡らすとき、もう一段レベルアップした自分自身を築かなければとは思うけれど、どうしても空しさでパワーが湧かない。これが妻に先立たれた男の致命傷なのだ。でも一日、一日を悩みながら頑張ろう。「お父さんは世の中に絶対に役立つ人だから生かせてやってください!」と21年前の髄膜炎のとき、私が意識と記憶のない20日間祈り続けてくれた妻の言葉を無にせずに生きていかなければ申し訳ない。自分に生き抜く力をあなたにいただいたのだから頑張ろう。
2007年01月21日
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9:00時過ぎになって電話帳から「ブックオフ」を探し出して本を引き取りに来ていただけるか問い合わせると15:30分過ぎになれば伺えるとのこと。ちょうど山の作業からも上れる時間だし、とても私の車で運ぶには無理の量なのでお願いする。 いよいよこの大量の本が手元から離れるとなるとさみしい気持ちになる。若い日の思い出、最近買ったばかりでまだ全部目を通していないものなどもあるがずっとこのまま置いても私に残されたこれからの時間にきっと振り返って読むことはないと思うので断腸の思いで割り切った。引取りには好印象の青年が来てくれた。「こんなに沢山あるのに申し訳ないのですが、汚れがある古いのはタダ、外観で査定させていただくので...」とのこと。数が多いので一旦持ち運んでお金はお持ちしますとのこと。私は「金額は当てにしていません...」と答えたものの、夜になってからの電話で「値のついたものは34冊、1,230円」だという。それにしてもこの金額「どうなっているの?」と不思議? 引取りとお金を持ってくる手間を差し引いても納得はいかないが「こんなものか?」と知る。
2007年01月20日
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やっぱり仏壇を移そう。ついに決めた。そしてパソコンも...、そうすればいつも一緒の部屋にいられる。 となると、スペースの確保と部屋のレイアウトだ。居間には間口一間の大きな本棚と大きなサイドボードがある。これを一つだけにして空いた一間のスペースに仏壇とパソコンを置けばなんとかなる。ところで本の始末が大変だ! そのため今日は一日本棚の片付け、若い頃に購入していた雑誌「山と渓谷」、「岳人」、「岩と雪」だけでも残っているものが数百冊。これはすべて保存を諦めて廃棄することにしよう。そして単行本類や小説、写真集、日用図書などなど・・・。ダンボールに10個以上になった。今日のところは部屋中が散らかったままで終わりにする。明日は不要図書だけ「ブックオフ」に引き取ってもらおう。庭にはロウバイの花が咲いた。毎年暮れに剪定をしすぎて妻に叱られたのを思い出す。やはり今年は暖冬で早く開花してしまった。
2007年01月19日
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8回目の月命日を過ぎて暮れに指摘された「仏壇の位置」について「どうしようかな?」の悩みが離れない。 今朝も早く目が覚めて床の中でいろいろと思案すると再び眠りにつけなかった。そうだよな、これからずっと一人で生きていくのだから女房と一緒にいつもいられる居間に仏壇は移した方がいいと思うとそのレイアウトを考え、いっそのこと屋敷の中にワンルームのような別宅を作ろうか? などとも思ってしまう。現在は居間とパソコンが置いてある日本間を往復して使い、その間にある部屋に仏壇。いっそのことパソコンも仏壇も居間に移してしまおうかな? とも思っている。そしてもう一つの案は別宅。12坪くらいの平家にキッチンと居間の部屋、そして風呂とトイレだけのできればログハウス風でバリアフリー住宅。親しい仲間がいつも集える広い部屋が一つあればいい。
2007年01月18日
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午前中と夕方に少し小雨が降るすっきりしない天候のためか里山作業の出動者は4人と少ない。 それでも炭窯の補修作業は何とか終わり、少し準備のための竹割り作業もできた。今年の炭焼き作業スタートはこんなことで昨年から比べたら大幅に遅れている。しかし、まだ加工の済まない炭が沢山残っているので買い手さえいればいくらでも提供はできるのであせることはない。窯は下部に大谷石を並べたので四方の砂埋めもしっかりできた。これで空気漏れも少なくなって良い炭が焼けることを願っている。これからちょっと心配なのは煙突の詰まりをどう改善していくかだ。
2007年01月17日
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風もなくて天気予報よりずっと良い天気。午前中は洗濯を終えてから里山作業で使う「竹専用ナタ」を4本購入し、その足で食料の買出し。 午後からは家の裏に散らかっているビン類を来週の危険物収集日に出す準備と傷んだ板類の整理をして焼却する。そして夕方は新料理に挑戦! とはいってもいたってシンプルなもの。一つは・ひじき・切り干し大根・油揚げ・シイタケ・ニンジンを混ぜた煮付け、もう一つはウドの油炒め。でもこんなのは自分では作ったことはない。味はとても自分では気にいったものになったけれども、ひじきを使ったものはどうも混合比率がおかしいのかあまり見かけたことのないものになってしまった。切り干し大根の量が多すぎたのだ。でもいい、これでレパートリーがまた増えた。
2007年01月16日
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今日もスケジュールがいっぱい。妻の月命日で娘たち家族が来てくれるという。その前に兄の所から軽四トラックを借りてホームセンターへコンパネの買出し。 そして11:00時過ぎに訪ねてきた娘家族4人と墓参りへ。婿殿は墓石を綺麗に拭いてくれた。週末が月命日になったのは今回が初めてで5人で一緒に来られたのも初めてで「母さんみんな一緒で来たよ!」と報告できて嬉しい。お花は昨日の直売所で4束買っておいたので余った。まだ時々「もうほんとうにいないんだ...」と思うことがある。朝食後はまた炭焼き窯の修復作業。そして夕方は直売所の収納。夜は泊まりで「国立赤城青年の家」での「群馬グリーンネット」仲間との新年顔合わせに初めて参加させてもらう。集まったのは役員の方以外は私の外に一人だけ。でも初参加なのに3人を除いてどこかで顔を合わせたことのある人たちだったのでホッとする。一番私が年上だけれど、各方面で活躍しているこの方たちとの繋がりによって私の勉強になることを望んでいる。
2007年01月14日
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壊した門柱の石をまずは屋敷の外まで運ぶ。数は42個。さらに午後になって作業に出てきたTさんとKさんの3人で炭焼き窯のところまで運び、窯の周囲を整理して南側の一面だけ造り直しの作業に入る。石の絶対数から2段18個だけにして外の面に使わなければ足らない。 その上部はコンパネで土留めをすることにして明日材料を買ってくることにする。作業を終えると重いものを持ち運んだために腰が痛い。
2007年01月13日
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昨日の夜はTさんから声がかかってご馳走になる。仲間が4人集まりそれも17:00時から22:00時過ぎまでだから久しぶりに二日酔い。8:00時過ぎに起きて朝食、ゴミだしをすると予約していた床屋さんへ9:00時に・・・ 忙しかった。 家に戻ると昨日に引き続いて門柱解体作業に入る。片側20個の大谷石が組み合わせてあり、これを炭焼き窯のところに運んで窯周辺の補修に使おうと思っている。気温は低いのだけれど風がなくて汗が出てくる。とにかく最下段の基礎部分の撤去が大変な労力がいる。ハンマーとタガネで砕き石を割る。12:40分頃に全体を解体終了。このあとに残るのは運搬と片付け。そして一番時間がかかりそうなのが基礎部のハツリ作業、これは時間をかけてゆっくりやろう。家の入り口が2.5mから4mくらいに広がった。
2007年01月12日
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二年前の中越地震のときにヒビが入ってちょっと危険な状態だった門柱、いずれ撤去しようと思って延び延びになっていたけれど重い腰を上げてやっとその気になりホームセンターでタガネを購入して取り壊すことにした。 この大谷石の門柱、もう30年以上も前に新築したときに「安いのが手に入ったから...」と近所の石屋さんから持ち込まれて25万円で購入したもの。当時尾は妻に「お金もないのに無理をして...」と叱られたのを思い出す。安かっただけあって表面の風化も進んで修復するのにもまたお金が要るし、駐車スペースの妨げにもなっているので屋敷がちょっと体裁悪くなるけれど思い切った。今日は右側の柱だけ壊したが、基礎の部分はコンクリートのためにタガネをハンマーで叩いて大変な作業。でも時間の合間を見て日にちをかけてゆっくりやろうと思う。妻も壊すことは承知していたので許してくれるだろう。
2007年01月11日
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昨年秋頃から独り寝の私の天井に出没してにぎやかしてくれたネズミ、最近は昼間も走り回っていてこのままネズミ算式に増えては困ると思って昨年暮れに家の周囲を一周して「どこから侵入するのだろう?」と探してみたが「ここだ!」と思うところは見つからなかった。でも「もしかしたら?」と思う場所がひとつ。 それはエアコン室外機の蛇腹ホースをカバーしている筒。以前に侵入された時も「毒入りの餌」を置いたけれどほとんど食べた形跡がなかったけれど、やはりここしかない! と思って暮れに「ペッタンコ」を置いてみた。年が明けて最近は静かな夜を迎えられるようになったので「どうしたのだろう?」と思ってはいたけれどもその「ペッタンコ」もそれほど信頼していなかったので確認もしないでいた。ところがもう一週間近く「天井の運動会」が行われないので「まさか!」と思いつつ「ペッタンコ」の確認をしたところ「いた! いた!」見事に三匹がペッタリ... 思わず「やったー!」。ちょっと可哀想な気にもなるが「ごめんなさいね...」。これで静かな夜が戻ってきた。でもこの静かさもまた寂しいかなぁー。
2007年01月10日
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独り者の洗濯は洗濯機に一回分溜るまでの間隔だから自分の場合は5日に一度くらいでいい。ところが冬になると洗濯機では一緒に洗えない毛糸のセーター類に困っていたが、いよいよ何とかしなければ...の時期がきた。 独身のときは「モノゲン」という粉石鹸で手洗いをしたが家の中を探してもそれらしきものが見当たらない。お風呂のバケツにセーターを浸して毛糸洗いの液体洗剤をやっと探し出して入浴しながらお風呂のお湯で「もみ洗い」をしてみた。お湯でも良いのかな? ゴシゴシしたりあまり絞ってはいけない気もする。何度かお湯を取り替えて最終的には洗濯機の脱水槽で一分間の脱水をして干す。失敗したら誰かに教えてもらおう。今日は夕食のおかずに久しぶりに2日間浸しておいた「ゼンマイ」の煮付けを作った。おいしい。これfは何日か食べられる。
2007年01月09日
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身に覚えのあるころから成人の日は1月15日と刻まれていたが今年は8日の今日。変わってからも15日に近い前の週とは理解していたが来週の15日が丁度月曜日になるので「なんで?」と感じていたが朝寝ながらラジオを聴いていたら一月の第二月曜日に決まっているそうだ。ということは絶対に15日になることはないのだ。何か昔の人間にはしっくりこない。 今日から「里山活動」がスタート。11人が出動してくれて竹運搬組みと竹炭加工組みに分かれて作業をしたが「仕事始め」のため今年の安全祈願で「一杯やろう!」ということになり、焚き火と炭火を開始して私は家を往復し、ダイコンの煮物、花豆、松前漬け、シイタケ、お酒、焼酎、ウーロン茶と運ぶ。木暮さんの奥さんはサラダ、漬物、茹でた里芋を用意してくれてすぐに「乾杯!」の準備は整う。これが5年間の活動した仲間のチームワークだ。ここに妻がいたら私の負担はずっと軽くなるのに...と思うと空しい。ところが乾杯の1杯を飲んでハッと気がついた。「今日は17:00時すぎに直売所の竹炭を引き取りに行かなければならない日だ!...」飲んではいられない。私のことを気遣ってかお酒を飲む4人は持ち込んだ二升の酒は一升を残して終わりにしてしまった。でも楽しい談笑を一時間と少しして解散。皆さんありがとう。今年もよろしくお願いします。
2007年01月08日
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今日は「七草粥」の日。あまり好きではなかったが妻は必ず「一年の無病息災のためだから...」といって毎年作ってくれた。本当は今度自分が作って「仏壇」に供えなければならないのに作らなかった。申し訳ない気持ちでお線香をあげながら「ごめんね...」と謝る。こうして家族という形態が失せてしまったことは淋しい。 昼から時雨模様になり猛烈な雪が舞うが気温が高いのでうっすらと白くなったところで雨に変わる。ただ漫然と時間を過ごすのはもったいないので台所の整理を始める。すると日本茶類、コーヒー、紅茶など賞味期限が切れたもの、迫っているものなど沢山あり、また食器類は箱に入ったままのものなど出てきてすぐに廃棄する危険物の大袋が一杯になってしまう。今日のところは一袋半で終わりにする。食器類などは何世帯分あるだろうか? これからの生活には不要なのでこれから何とか処分していかなければならない。夕方になってとにかく野菜がもったいないのでまた大根の煮物を鍋いっぱい作る。おとといに仕込んだ「松前漬け」は試食をしてみると上々の出来栄え! これでレパートリーが一つ増えた。
2007年01月07日
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天気予報では穏やかな日も今日までで明日からは荒れ模様になるという。こんなに暖かい冬ではおかしい。まだ家の中では一度も氷点下になったこともなく、山々の雪も12月初春の様子。 午前中はほったらかしにしていた畑(今は荒地)の片付けをして焼却作業を午後までする。家に入ってからは「松前漬け」をしてみようと挑戦する。これは毎年冬になると炬燵に入ってスルメと昆布をハサミで刻み、あとの調理は妻にお任せの年中行事だったが、味付けはしたことがない。ニンジンを細かく切り、お酒、ミリン、醤油を3:2:1くらいに混合してみた。あさって頃には結果が出るだろう。それにしてもいつものことだが独り暮らしには量が多すぎたがうまくできたら分けてやろう。喪中ハガキを出していなかった方や昨年初めて出合った人からポツポツ年賀状が届く。妻のことなど話してはいないのだから仕方ない。来週になったら寒中見舞いを出そうと思う。夕方になって年が明けて初めて孫たちが夕食を食べに来たので「お年玉」をやる。喪中とはいえども子供には関係ないことだし問題ないだろう。夕食をしながらDVDにコピーしたおばあちゃんの録画を見ると、お姉ちゃんの方は今月5歳になるので画面を見て「おばあちゃんだ!」とすぐにわかるけれど、3歳の弟はやはり記憶が薄いのかお母さんはわかってもおばあちゃんははっきりわからない様子。この二人が大きくなったとき、どんな印象をいつまで覚えていてくれることだろう。
2007年01月06日
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天気予報では穏やかな日も今日までで明日からは荒れ模様になるという。こんなに暖かい冬ではおかしい。まだ家の中では一度も氷点下になったこともなく、山々の雪も12月初春の様子。 午前中はほったらかしにしていた畑(今は荒地)の片付けをして焼却作業を午後までする。家に入ってからは「松前漬け」をしてみようと挑戦する。これは毎年冬になると炬燵に入ってスルメと昆布をハサミで刻み、あとの調理は妻にお任せの年中行事だったが、味付けはしたことがない。ニンジンを細かく切り、お酒、ミリン、醤油を3:2:1くらいに混合してみた。あさって頃には結果が出るだろう。それにしてもいつものことだが独り暮らしには量が多すぎたがうまくできたら分けてやろう。喪中ハガキを出していなかった方や昨年初めて出合った人からポツポツ年賀状が届く。妻のことなど話してはいないのだから仕方ない。来週になったら寒中見舞いを出そうと思う。夕方になって年が明けて初めて孫たちが夕食を食べに来たので「お年玉」をやる。喪中とはいえども子供には関係ないことだし問題ないだろう。夕食をしながらDVDにコピーしたおばあちゃんの録画を見ると、お姉ちゃんの方は今月5歳になるので画面を見て「おばあちゃんだ!」とすぐにわかるけれど、3歳の弟はやはり記憶が薄いのかお母さんはわかってもおばあちゃんははっきりわからない様子。この二人が大きくなったとき、どんな印象をいつまで覚えていてくれることだろう。
2007年01月05日
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正月の三ヶ日が終わった。しばらく家に閉じこもっていて体を使っていなかったので朝食後に布団を干してウォーキングに出かけてみる。途中ビワの花が咲いていた。その花を見てふと妻のお墓に行ってみよう!」と思い立ち、里山作業の範囲を一周して前黒沢を渡り、仲畦の原に出るころには久しぶりの汗がにじむ。お墓には何も持っていかなかったけれど「やっと三ヶ日が終わったので出てきたよ...」と挨拶する。なんとなく心が穏やかになったような気持ちになった。そして何より体を使うことの爽快感が何ともいえない。 兄の家に寄ってお茶をいっぱいいただいて家に戻ると、あまりにも暖かい日なのでいつも気になっていた家の裏に出しっぱなしで放置されていた何年前がわからない「草ボケ」の果実酒を絞ってみることにした。ジョウゴと布巾で漉し、味をみると少し氷砂糖が少なかったようだが充分味会えそうだ。3リットルほどできた。
2007年01月04日
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今日は買い物のついでに車の中では箱根駅伝を聞きながら高崎の「石井スポーツ」に行ってみることにした。 目的は「羽毛服」、これには自分の登山への思い出が重なる。最初に買ったのは19歳のころ。当時は月給より高かったが冬山に入る時と、ビバークの多い山行きにはどうしても欲しかった。それをヨーロッパアルプスに行くまで着て、30歳前に2着目。これは昨年まで使っていた。良いものは長持ちをするがもう限界。ダウンの繊毛が外に浮き出てくる。この間にも間に合わせで安物の羽毛ジャケットは2着ほど買ったが、やはり質が悪くて生活着の範囲内のもので不満だった。今回の物もそれほど上等なものではないが自分のこれからの行動範囲を考えると充分に耐えてくれるだろう。人生最後の羽毛服になる。テントも持たない岩登りで何度この羽毛服が夜の寒気から身を守ってくれたことだろう。家に帰って少し遅い昼食をとっていると姪が「散歩しながら来たよ!」といって訪ねてきた。妻がいるときはいつも寄ってお茶を飲んでいったけれど今は野菜配達人みたいでゆっくりしていくことはなくなってしまったが、今日はブローチの片づけをしてお茶を飲んでいってくれた。
2007年01月03日
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これで大晦日から家に閉じこもって3日目になる。外に出れば年始の挨拶で周囲の方にも気を使わせてしまうような気がする。新年なのにお会いした方に「おめでとうございます」が禁句ということは何か疎外感と寂しさを感じてどうしても閉じこもりになってしまう。これが喪中ということなのだろう。 午前中は箱根駅伝のテレビをつけながら組み立てが済んだブローチのニス塗りをして乾燥をする。全部で115個。晩酌は妻の写真をテーブルの上に置いて独り言を話しながら一時間以上もした。とはいっても量はいつもと変わらない。知人からよく「お酒を飲み過ぎないように...」と忠告されるけれども、一人になれば片付け、翌日の準備、お風呂と次の仕事が待っているので深酒などしていられない。かえって定量が決まっていると思う。たまに誰かが来ると嬉しくて少し飲みすぎるので心配してくれるのだろう。でも明日はちょっと買い物に外出しようと思っている。(画像は日本間の座卓足に紐をつけて乾燥中のブローチ)
2007年01月02日
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穏やかな年明けになった。「喪中」の年明けはどう過ごせばよいのだろう。親や兄弟の時はあまり神経を使わなかったが妻となると・・・? 娘は一人でいないで家に来て「駅伝でも見ながらブローチでも作っていれば...」ともいってくれる。そして「おせち!も注文したよ...」と。自分には「おせち」が引っかかる。これって正月料理の代表じゃないのだろうか? 喪中の私には関係ない食べ物の筈・・・。結局このことが気になって出かけないことにした。申し訳ない。ニューイャー駅伝を見ながらブローチ金具の取り付け作業をずっとしていて、その後パソコンに向かい二日前からの日記を書く。昨日の夜もそうだったが、これからどう生きていこうか? が頭の中をグルグルまわる。子供の世話はできても世話になる歳には早すぎる。かといって毎日、毎日一人で会話のない家にいるのも空しい。まして喪中のこの正月はきっと誰も来ないだろう。いろいろと外の活動で頑張れば頑張るほど「誰も褒めてくれないのに何のために...?」の空しさが残る。やはり昨日の唄「千の風になって」妻が励ましてくれていると思うしかない。「負けたらあかん...」「もっと遊べば...」の心も交差する。いずれにしても「独居老人」になって落ち込みたくはない。今年は一年忌が過ぎるまでに何とか新しい目標を探したい。
2007年01月01日
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