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久しぶりに国会の「予算委員会」をテレビで見る。なんという小泉首相の感情のない空虚な答弁。強弁と無責任を感じるのは私だけだろうか? 途中でボランティア仲間の宗像さんが腰痛で動けない話を聞いたので、昨日から始めた「低周波治療器」を持って往診に行く。昨日より調子が良いという。午後は寒波襲来というのに竹林の中で汗をかく。妻はまだ調子が悪い。
2005年01月31日
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昨夜は遅かったので帰宅すると妻は寝ていたが、朝になって話を聞くと38度以上の熱が出で薬を飲んで早く寝たという。自分は8:00頃まで寝ていてその話を聞く。でも今朝は「玉子酒」を飲んで寝たので体温は下がったという。このところ数日前から娘たち家族の風邪をうつされたらしく調子が優れなかったのだが、高熱は抗がん剤で免疫力が低下している身体には心配。午後は、6日間集中していた竹炭焼きの結果が出る「窯開け」。悪ければ全部灰…。成功は7割り以上が炭になっていること。さーて…結果は? と緊張の蓋開け。あれー…、入り口近くが空洞になって灰。中ごろから炭が見える。これって失敗? それともまーまーか? 私が期待していたより成績は悪かったが、最悪は炭になっていないが、燃え尽きてしまったかと心配していたが、我慢の範囲が…。頑張ってくれた飯島さんと田村さんが「55点」というところが正解だろう。この次は合格点を目指したい。
2005年01月30日
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今日は炭焼き窯を離れて竹林の整理作業に入る。汗だくになって気持ちはいいが、夕方から高崎での以前お世話になっていた山岳会「群馬登高会」の新年会へ。この席に昨秋発刊した「山・私の軌跡」をザックに一杯詰めて(とは言っても15冊しか入らなかったが)、持っていくと仲間は全部買ってくれた。有り難いことだ。
2005年01月29日
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昨夜から楽になった。1:00と5:00過ぎに起きて窯の様子と発電機の燃料補充に二度起きただけで断続的に眠ることができた。安心して朝は眠りすぎてしまい8:00頃窯のところへ行くと飯島さんが見ていてくれた。煙の温度も上がって量も少なくなっていたので「竹酢」を採取する煙突を外して排煙温度を測ると203度。しばらくするとますます煙は少なくなり、ほとんど透明になってくる。排煙温度が210度になったところで窯と煙突を塞ぐ。これで冷えるのを待つだけだ。二日後の日曜日、午後に仲間が出動してくる時間帯に確認できるかも知れない。午後は、村の「地域産業活性化委員会」でヘルシーパルへ行く。今年一年間のプロジェクトもこれが最終。形だけの答申書になってしまう可能性が高いので、今日はその辺りの意見を言わせていただく。ところで、会議時間の45分ほど前にこの会場「社会保険庁保養施設」、今いろいろと問題になっているところだが、売店に私の作った「木の実ブローチ」を置いていただけないかと交渉をする。会議前には時間がなかったので、終了後に担当の課長さんに話を聞いていただくと、私の日ごろの活動「里山再生ボランティア」に対してのご理解をいただき、とりあえず30個を陳列していただけることになった。有り難い、そして成果があれば今年の秋からボランティア仲間と共にブローチ作りも活動資金作りの事業としたいと思う。
2005年01月28日
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昨夜、21:00頃まで飯島さんと都丸さんが付き合ってくれたが、その後一人で夜明けまでウチワでの送風と燃焼補完の作業を続行する。満月で懐中電灯もいらないほどの光が差し、東の空に見えたお月様が、やがて西の榛名山のシルエットに沈むまで一人で単調な作業を続ける。この作業を休んでしまうと、煙の量も少なくなってしまい失敗の恐れがある。この夜はちょっと冷え込んだ。若い頃の山でのビバークを思い出す。7:00過ぎに飯島さんの姿が見えたときはどんなに嬉しかったことか! 今までの経過を引き継いで家に戻って朝食をとり、風呂に入って9:30過ぎから一眠り。12:30頃再び窯のところへ戻ると、田村さんが加わって作業を継続していて煙の温度も60度を超えてきていた。13:00を過ぎるといつもの仲間が出動してきて交代しながらウチワで仰ぐ。しかし初めてする人ばかりなので、逆に温度が下がり始めてしまった。その大変な作業をしてみた清さんが、携帯発電機と扇風機を借りてきてくれる。15:30分、いよいよその扇風機による送風開始。見る見るうちに煙の量は増えて、排煙温度も安定してくる。煙の量は倍くらいになった。まさか、こんなに長い時間、ウチワで仰ぐことなど考えてもいなかったのでまるで「千人の味方」を得た気持ちになる。初めての窯、初めての自分たちだけの炭焼き、わからないことばかりだ。このときから窯の前に付きっきりから開放される。なんとありがたいことだろう。夜も眠れる。
2005年01月27日
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夜中に燃料を補充して何とか朝まで乾燥を継続する。本当はもう二日くらい乾燥を継続したいのだが、自分一人で夜中のメンテナンスまで体力が続かないので、朝から出てくれた飯島さんと田村さんに相談して乾燥が弱火になった8:00に「窯」の入り口を開けて火入れ準備。明けてみると中の竹入り口付近は「アメ色」になって乾燥が進んだ様子だが果たして中の方は? まったく見えない。9:00に火入れをして窯の蓋をする。さあーいよいよ「炭焼き」だ。午前中は順調に推移したものの、午後になって温度上昇が進まないのに気づき、13:00過ぎよりウチワを使って仰いで風を焚口に送る。これでもあまり効果が見えてこないので竹を割って焚口から燃焼を補完する。この作業が延々と続くとはこのとき予想もしなかった。
2005年01月26日
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とにかく忙しい一日。4:00に窯の状態を確認に行くと、昨夜の燃料がまだ燃え尽きていなかったので追加する。朝になると飯島さんが応援に来てくれた。今日は妻の定期通院日で午前中は病院へ行き、午後は高額医療費の還付手続きに役場へ行き、産業課へ立ち寄って手作りブローチを敷島温泉の売店に置いていただけないかと相談すると、アポイントをとってくれたので「ユートピア・赤城」へ立ち寄る。館長が不在とのことだったが主旨だけお話し、後日の連絡待ち。その合間に炭焼き窯のところへ行っては様子を見て燃料補充。
2005年01月25日
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午後は炭焼き窯に竹を充填して乾燥のための点火をする。14:30分。それから様子を見ながら21:00まで監視を続けた。ところが、大河ドラマを見に時間を空けたら、窯の中に火が入ったらしく赤く見えて窯の上部半分くらい暖かくなっていた。今まで多くの仲間と苦労してきたので自分の判断だけて対応を決めかねて、田村さんと武君を現場に呼んで対策を練る。少し火を遠くして、とりあえず明日まで様子を見ることにする。夜半には火も消えるだろう。
2005年01月24日
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昨夕から、3歳と1歳の孫を預かってたくさん遊んでやって一緒に寝る。左右のガキどもはいつもより穏やかに眠りについてくれたものの、夜中になると布団から飛び出して動き回る。この監視は熟睡できず朝までウトウト・・・。そんな二人は充分に寝たのか、6:00頃から目を覚まして動き出して「もう少し眠らせてくれー…」と言いたい。昼に迎えが来て戻ったので午後の作業は炭焼き窯の漏洩補修と竹炭の材料加工。結局、赤土はヒビが入ってしまい恒久対策にはならない。でもそれぞれの知識と技術を持った仲間がいるのでありがたい。このボランティア活動をしていると、社会の縮図のようで色々な人の能力が思わぬところで発見できる。今まで知らなかった人の集まりだが、これからの宝物になるだろう。
2005年01月22日
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今日は山の作業も休みの日で、朝から雪模様の空のため少し身の回りの整理を始めたものの、どうも気が乗らない。いわゆる「ものぐさ」なのだ。やっとゴミ袋一杯ぶんの書類を整理したらもう嫌になってしまった。午後になって暖かい日差しになったので「チェンソー」の手入れをする。昨日、「竹炭」作り用の伐採した材料をみんなで運搬したので、明日から窯に入れる準備作業。そのために竹切り用チェンソーを磨いだのだが、果たして切れ味は?
2005年01月21日
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昨日、山の作業でスコップが痛んでしまったのでいつもの農具屋さんに買いに行く。どうもホームセンターの農機具は、値段は安いが修理もままならず質も悪い。店の主人は私の活動を知っているのでいろいろとめんどうを見てくれる。今日は今使っている「カケヤ」がヒビが入って次のときに買おうと思い、値段を確認していると店から姿を消した主人が「おい、これやるよ!」とカケヤをくれるという。買えば4千円以上する。うれしいやら、申し訳ないやら・・・。でも私たちの活動への応援だから嬉しい。皆さんにも紹介しなくては・・・。ところで昨日、micanさんという方の「乳がんホームページ」に書き込みをしたら、早速複数の方からレスが入る。みんな自分のことのように心配してくれる優しさに本当に感謝している。「命・生き様…」を見つめた人たちだからこその優しさかと思う。自分たちも負けないように人の役にもたたなければとひしひしと感じる。皆さんありがとう。
2005年01月20日
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以前、職場でお世話になった先輩の訃報を聞き、今日の告別式へ。73歳だという。私とちがって酒もタバコも飲まなくて元気で長生きしそうな方だったが、白血病になってしまったという。私もそう親しくはなかったものの、お別れには参加させていただいたが、大企業の卒業生なんて冷たいものだと感じた。100人そこそこの静かな告別式だった。
2005年01月19日
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おととい見つけた「赤土」を練って炭焼き窯の煙もれの修復をしようと午前中から粘土を作る。妻の言うには陶器を作るように「練って、練って…」と指導を受けるが、この作業は結構辛い。バケツに土を半分も入れないで練っているのに、突いていると全体が持ち上がるほど粘りが出てくる。でも小さな固まりは残ってしまい、素手でソバやウドン作るように練る。そして一応、煙が出そうな隙間に塗りこむ。 午後の作業にはいつものように出かけてみたが、足元に雪が残っているのでしばらくは誰も出てこなかったが、14:00近くになって飯島さん、そして田村さんが顔を出し、赤土の採集や壁塗りをする。そんな作業をしていると仲間が二、三人顔を出してくれる。
2005年01月17日
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朝起きると、雨だったが夜中は雪だったのだろう。10センチほどのベタ雪が積もって屋根から落ちる音が気になった。今日、妻は前橋の「広瀬川クリニック」の中嶋先生のところへ「乳がん」の経過とこれからの知識取得のために、いわゆる初めてのセカンドオピニオンとして相談に行く。先生の話では、お世話になったリンパ治療の効果はなかったが、このまま化学療法だけを続けていれば健康な細胞が蝕まれて4,5年の命かな? と言われたそうだ。自分でもそう思う。治療をしなければ健康なのに、抗がん剤をこう連続していると絶対にダメージを受けるのではないかと気がかりなのだ。そのダメージを少なくするために、色々なサプリメントを服用している。こちらの方が経済的には辛い。この病気になった以上、避けられないことだが「お金の切れ目が命の終わり…」ではない筈。先生の勧めでは、丸山ワクチンを使用してみては? の提言。この薬は副作用がなくて試す価値はあると思う。サプリメントを減らして、その金額の分だけこちらも試してみようと思う。
2005年01月16日
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朝からの雪は昼頃から小康状態になった。とは言うもののこんな天気では山の作業に誰も出動はしないので、午後になって炭焼き窯補修のための赤土「壁土」が畑の周りで出ないものかとスコップで掘り始めると、70センチくらいで色が変わってきた。さらに一スコップ掘り下げると、全体が赤土になる。しめた! これは何とか使えそうだ。再び降り出したのは雨だったが夜になってまた雪に変わり、寝る頃には雨とめまぐるしく変わる。でもこの様子なら明日の朝は雪かきもいらないだろう。
2005年01月15日
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形になった炭焼き釜が乾燥してきたので煙の漏洩テストのために少し火を燃やす。すると心配していたとおり、前後の天井部分のモルタルとブロック間から煙が出てきた。「やっぱり」の感だが、どうしてもモルタルが硬化していくと沈みがあり固形物のブロックとの間に隙間ができてしまうのだ。壁土か、再度モルタルかで修復しなければならない。
2005年01月14日
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大晦日に雪が降ってから今まで、暖冬が嘘のように寒い日が続いた。まだ上越国境は雪模様だが冷え込みは少し緩んだ気がする。形だけ出来上がった炭焼き窯の様子を見ると、このところの冷え込みで少しモルタルが凍ってしまった模様。午前中型枠を外して窯の中の掃除をする。午後は竹林の整理、昨日からの場所は一番の急斜面で、湧き水が流れ出すところだ。併設してある水道管もあって慎重に仕事をしないと損傷してしまう。他の人が入って管を傷めないよう標識テープも張っての作業。この周辺、あと2日くらいかかりそうだ。
2005年01月13日
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今日は陽子と夕佳の誕生日。29才と3才。有り難いのは母子とも同じ日生まれでお祝いも1プラスαで済むこと。妻と昼前にデコレーションケーキと子供用にショートケーキを買って訪ねる。自分は午後からの山林作業のために昼食を共にして家に帰るが、女房は私が山から戻る時間まで過ごしてくる。夜、第四チャンネルで「乳がん」をテーマにしたドラマがスタート。これから毎週見ることになるだろう。
2005年01月12日
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妻の治療薬ゼロータは三週服用、一週休みの一クールが終了して今日は病院へ行って処方を受けるが、あと一クールは継続になる。副作用は手足の皮膚乾燥と爪の剥離がひどい。今日は軟膏も処方してもらう。自分の身と思えば、どんなにイライラが募るだろう。とても「木の実ブローチ」など作れる指先ではない。ところで、今日はその「木の実」をたくさん送っていただいた「さんだゆう」さんへ完成品を少し郵送する。本当はもっとたくさんのお返しをしなければならないのだが、人気があってすぐになくなってしまうことと、この時期になると痛む実が多くなること、そして硬くてネジの埋め込みが大変なことで自分の指先保護のために大量に作れないためです。
2005年01月11日
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あまりにも寒いのでゆっくり起きだして温度計を見るとマイナス4.5度。今冬の最低気温。陽が上るのを待って炭焼き窯を見にいくとちょっと怪しい雰囲気。午後からの作業は炭焼き窯の方は乾燥するまでしばらく放置して、久しぶりに竹の間伐作業に戻る。ところがこんなに冷え込んでいるのに、数十分すると汗だくになる。
2005年01月10日
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やっと12月中旬から手がけた「炭焼き窯」が形になった。思ったより材料費が5割アップになってしまいそう。それでもセブン-イレブンさんの助成があったからのこと。問題は今晩の冷え込み。モルタルが凍りつくこと。
2005年01月09日
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いよいよ今年も里山活動が今日からスタート。炭焼き窯の仕上げ作業にかかり、今日は天井を作る最後の型枠だけで終えて、初仕事ということで一年の安全を祈願して焚き火をしながら今日集まった仲間といっぱい飲む。ちょっと度が過ぎてしまった。
2005年01月08日
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ついに10数年使った掃除機が壊れてしまったので買い替えに行く。今まで使っていたのは紙パックを使用している方式だったが、今回はゴミ廃棄方式。大型電気店で売り出しの安いものを買った。そけでも23,800円。今の生活には厳しい。
2005年01月07日
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この時期は太陽が出ないと寒い。午前中は「木の実ブローチ」をニスにつけて乾燥の作業をしただけでコタツに入ったまま。午後になって、こんなグータラではいけないと思って、昨日、ボランティア活動の賛同者がプレゼントしてくれるという「物置」が半額になったというホームセンターからの連絡があったので、その設置場所の整地作業をする。少し動けばすぐに汗だく。まったくものぐさな自分にあきれる日。
2005年01月06日
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妻の声はますます調子悪い。かすれて小さく聞き取るのも大変だ。本人はもっとたいへん。熱も出ないのに、これが薬の副作用でなければいいのだが・・・。私の作っている「木の実ブローチ」が今年の暮れからボランティア活動の財源にならないかと思い、国道17号の子持村の「道の駅」売店へ出していただけないかアプローチをしてみた。結果は「ノー」、村内以外の方はだめだという。まあいい。私や仲間の活動を知らない方が初回で窓口がOKを出すことはできないだろう。帰ってから今年の初仕事「木の実ブローチ」を残った材料で作成準備。半日で25個くらいが今のところ限度かな?
2005年01月05日
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昨日は嬉しくて久しぶりに飲みすぎ。8:00まで布団の中。こんなこと、現職だったら許されないのに甘えている自分がいる。妻も2日から風邪気味だったのが、今日は喉にきて声が良く出ない。幸いにも熱はないとのことだがちょっと気になる。
2005年01月04日
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予定の一人が欠けてしまったが、彼はみんなが集まる前に家に来てくれて、お酒などを差し入れして欠席理由を話していった。ありがとう、申し訳ない。この集まりはもう10年以上になる。そして私が55歳で会社を辞めてからも続いている。なんと有り難いことだろう。自分には退職してもお邪魔できる先輩はいなかった。「右へ習え…」の高度成長期を満喫した世代にはついていけず、再就職も断念したのだ。退職をすると年賀状も極端に減るという。でもありがたいことに私は増えている。それは新しいお付き合いをさせていただいていることによる。夕方は、5人の後輩たちの奥様が迎えに来て、私のプレゼントは「木の実ブローチ」だけ。来年も妻が元気だったらみんな集まる。そのためにも明日からまた新しい日がスタートだ。
2005年01月03日
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朝から箱根駅伝を見ていると、箕郷町の両親が訪れてくるという電話。これから…という雰囲気だったが、午後にして欲しいとお願いして妻に報告する。妻は明日訪れる私の後輩対応の掃除や準備に追われて忙しいのに、何で5日過ぎ頃に来て欲しいと話をできなかったの! と怒られる。確かにそうだと思い、折り返して電話を入れたが通じなかった。あとはしょんぼり・・・。訪れた両親は新年の挨拶だけといって一時間もせずに帰られた。
2005年01月02日
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いよいよ新しい年が明けました。この歳になるとか、色々なことが重なって「おめでとう!」という言葉が素直に出でこないが、こんな気持ちではいけないなと思う。「一年の計は元旦にあり」という言葉もあるように、心新たにスタートしよう。昨日の雪かきをしてから、ニューイヤー駅伝に見入り、娘たち家族が来てくれる。妻は大変だが、こんなことができるのが幸せなのだろう。スマトラ沖での津波で亡くなった方は、12万人を超えたという。戦争、自然災害、今年はまたどんな一年になるのだろう。
2005年01月01日
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