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こどもたちのあそびに関わった以下の二つの記事がネット配信されていた。【共働き家庭の子どもにとって、放課後の時間はとても長い。毎日の放課後を気心の知れた仲間と遊び、そして”お稽古”もできる学童(中略)が人気を集めている。 週5日の中で、英語・そろばん・算数・音読・書道を学べる。内容も工夫され、どのお稽古も子どもたちはとても楽しんでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/タウンニュース:2011年9月29日) 【名門小学校の受験対策を目的とした「お受験」プログラムのインターネット配信を11月からスタートすると発表した。(中略)受講対象は、来年度の受験生となる新年長児(現年中児)およびその保護者。ペーパー学習、絵画、工作、運動、リズム、生活知識、自由遊び、集団遊び、生活常識、礼儀作法、道徳のほか、保護者向け解説を含む同社の小学校受験対策用プログラムを、Ustreamを通じて配信する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年9月29日) 前者は、「遊び」と「お稽古」を抱き合わせた「学童保育?」、後者は、小学校受験対策のための「遊び」と、違いはあるものの、おとなのもくろみの一環として「遊び」が利用される点では共通している。 一部の親たちにとっては、頼もしい施設・配信となるかも知れないが、はたしてこどもたちにとって良いことなのだろうか。私見として結論を述べれば、これらはこどもたちにとって、極めて不幸なことだと思っている。 前者においては、「遊び」と「お稽古」を抱き合わせとは言っても、「遊び」に期待するより「お稽古」に期待する親も少なくなく、「遊び」が不十分でも苦情は出ないが、「お稽古」の成果が上がらなければ苦情が多くなる。 その当然の成り行きとして、「学童保育」とは名ばかりで、毎日長時間通う「お稽古事」と大差が無くなる。それでなくても少なくなった、こどもたちのあそび時間が、さらに少なくなってしまう恐れが大きい。 後者の、お受験のための「遊び」は、その設定そのものに大きな問題がある。プログラムされた「自由遊び」に至っては、この概念そのものが自己矛盾となっている。これは、あそびとは言い難く、どちらかと言えば「勉強」と何ら変わらないものだと言える。 このように、これら二つの事例では、「こどもたちのため」と言いながら、結局こどもたちのあそびは、おとなたちのための「遊び?」に変質してしまっているのだ。 これらの事例における「遊び?」の活用で、最も喜ぶのは、こどもたちでもなければ、そのこどもたちの親でもなく、こうした「遊び?」の活用の仕方をする、施設であり企業なのだ。記事の施設と配信が、そうならないことを願っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.30
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【テレビの長寿時代劇「水戸黄門」が現在放送中の第43部(12月まで)で終了することが発表された。42年間続いた国民的な番組が終わるだけでなく、地上波の民放から連続時代劇が消えることになる。(中略)視聴者の平均年齢が高いことも、よく指摘される。一般的に、スポンサーは購買欲の旺盛な若年層を好む傾向が強く、時代劇を敬遠するのではないかという。(中略)次に、制作費が現代劇よりもかかることが挙げられる。筋がマンネリで飽きられたのではないかとか、時代劇を見る時に必要な基本知識が国民に共有されていないとか、そもそも、子供たちがチャンバラごっこをしなくなったとか、そんな要因も考えられる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年9月19日) 時代劇の衰退で「チャンバラごっこ」が無くなったのとは反対に、こどもたちの接する機会が増えた戦隊物や変身物に、こどもたちは大いに影響を受け、それらを真似た「ごっこあそび」を楽しんでいる。 考えれば、こどもたち向けのテレビ番組とタイアップした、キャラクター玩具(グッズ)は、時代劇より戦隊物や変身物の方が、次から次へと新商品の開発をし易いこともあるだろう。もちろん、漫画本・アニメもまた然りだ。 ようするに、こどもたちが「チャンバラごっこ」をしなくなったのは、おとなたちが招いたあくなき利潤追及、いわば資本主義的経済の、一つの帰結でもある。記事も指摘している「制作費が現代劇よりもかかる」も、同じ理由からだと言える。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.29
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【テレビの長寿時代劇「水戸黄門」が現在放送中の第43部(12月まで)で終了することが発表された。42年間続いた国民的な番組が終わるだけでなく、地上波の民放から連続時代劇が消えることになる。(中略)視聴者の平均年齢が高いことも、よく指摘される。一般的に、スポンサーは購買欲の旺盛な若年層を好む傾向が強く、時代劇を敬遠するのではないかという。(中略)次に、制作費が現代劇よりもかかることが挙げられる。筋がマンネリで飽きられたのではないかとか、時代劇を見る時に必要な基本知識が国民に共有されていないとか、そもそも、子供たちがチャンバラごっこをしなくなったとか、そんな要因も考えられる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年9月19日) 「連続時代劇が消える」、ついにその時がやって来るのか。団塊の世代である私は、映画やテレビの時代劇とともに育ったと言えるくらいに、こどもの頃は時代劇映像の全盛期だった。もちろん、「チャンバラごっこ」も大いに楽しんだ。 さて、記事には、時代劇衰退の要因として、「子供たちがチャンバラごっこをしなくなった」ことを挙げているが。これは、因果関係がさかさまになっている。時代劇が衰退したからこそ、こどもたちは「チャンバラごっこ」をしなくなったのだ。 もう少し突っ込んで言うと、こどもたちが視聴できる時間帯に、こどもたちでも十分に楽しめる時代劇が激減したのだ。例えば、「隠密剣士」や「白馬童子」や「忍者赤影」などのような、こどもたちが素直に楽しめる時代劇が無くなったのだ。 さらに、映像メディアに限らず、漫画本・こども向け小説・アニメ映画など、他のメディアにおいても、時代(ちょんまげ)物は激減した。このように、こどもたちが時代(ちょんまげ)物と接する機会と時間が激減すれば、「チャンバラごっこ」を、こどもたちが始めるわけはない。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.28
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住吉区内を自転車で移動していて、いつも気になっていた、「さし石」と彫られた、大きな石があった。この石の隣にも少し大きめの「吾妻」と彫られた石があった。 インターネットで調べたところ、一般に「力石」と呼ばれる、力試し用の石だったのだ。娯楽のなかった時代、お寺や神社の境内などに、男たちが集まって力自慢をしたそうだ。 その後、調べた書籍によると、住吉区内にも22基も存在していることわかったので、暇をみては区内中を「力石」を探し回った。その結果、20基を写真におさめることができた。その内容は、遊邑舎分館にある「住吉Web博」内の「住吉区の力石一覧」にアップしたので、参照していただきたい。 ところで、おとなだけでなく、こどもたちも力自慢をしてあそぶことは少なくない。私も、こどもの頃(1950年代)には、空き地や路地などにある、石臼や大きめの石などを使ってあそんだものだ。今、そんな光景を見かけるのは少ない。 ただ、昔は土の比較的柔らかい地面が多かったので、ケガの程度も軽くすんだが、今は手ごろな石があっても、舗装された地面では、手を挟めば大ケガとなるので、あそばない方がいいのだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.27
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【道路脇などに生える雑草のオオバコで遊ぶ催しが二十四日、富山市西中野町の市科学博物館であり、子どもたちが身近な植物を使った“取組”を楽しんだ。 子どもたちは職員の説明を聞きながら、茎と茎を絡ませて引っ張り合う「オオバコ相撲」を体験。オオバコは繊維が強く、昔から相撲に見立てた遊びに使われてきた。「はっけよい、残った」のかけ声で始まる勝負に、子どもたちは「やったー」などと歓声をあげながら何度も対戦した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/中日新聞:2011年9月25日) 記事のような、「草花あそび」をこどもたちに教える取り組みは、多く開催されるようになってきている。喜ばしいことではあるが、そんな取り組みをしなければ、こどもたちに伝わらない現実でもあり、複雑な思いだ。 私のこどもの頃(1950年代)は、記事の「オオバコ」ではなく、そのものズバリに「相撲取り草」と呼んでいた「オヒシバ(雄日芝)」を使ってよくあそんだものだ。 その「オヒシバ」を使った「草相撲」は、おとなに教えられたのではなく、こどもたちが仲間とあそぶ中で、教えられると言うより見て覚え、自然に次の世代に伝わってきたのだ。 年下の世代に伝わるには、当然ながら、そのあそびの仲間集団は異年齢でなければならない。しかも、その異年齢集団が、徐々にメンバーの移り変わりがあるものの、地域に途絶えることなく存在し続ける必要がある。 こども間でのあそびの伝承が途絶えたのは、この異年齢集団の永続性が失われたことに大きな原因がある。今の、こどもたちの異年齢集団の現状は、このように量の問題だけでなく質の問題を抱えているのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.26
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野田佳彦首相も細野豪志原発事故担当相も、「冷温停止」の誤用を繰り返すが、今回の福島原発事故(大人災)について、素人ながら幾つかの疑問点を持っている。その疑問について思いつくままに、つづっていくこととする。 東京電力によると、汚染水浄化システムが度々のトラブルに見舞われながらも、着々と?汚染水の浄化が進んでいると言われているが、この点に素朴な疑問が起こるのだ。 確かに、「汚染水浄化システム」を通過する前後で、放射性物質の濃度が激減しているが、はたして原発施設内に存在する元の汚染水の放射性物質濃度がどうなっているのかが、少なくとも日々の経過を追った数値が公開されていない。(私の見落としかも知れない。) 良い方に解釈して、原発施設内各所にある水の汚染濃度は低下傾向にあるとは思うが、その低下推移が「汚染水浄化システム」により分離された放射性物質の量に見合っているのかが、見えてこないのだ。 もし、それが見合っていないとなると、どこかであらたな放射性物質が水に拡散していることになる。もしそうなら、この状態では事故そのもの自体が収束しているとは言い切るのは難しい。 もちろん、原発事故が引き起こした、環境や食品の汚染と、それが原因となっての人や動植物の被曝、さらには経済的被害など、様々な深刻な放射能被害は、収束どころか、未だ拡大し続けている。 東電は、事故の当事者として、前記の疑問に答える必要がある。また、これまで原発を推進してきたのみならず、諸外国に原発を売り込む考えを持っている政府も、東電に頼らず自ら直接に情報を集め、前記の疑問に答えなければならないのは言うまでもない。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.25
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ネットニュースに配信されていた、野田佳彦首相が国連の「原子力安全会合」で行った演説要旨から、一部を以下に引用する。【関係者のひたむきな努力により、事故は着実に収束に向かっている。原子炉の冷温停止状態は予定を早めて年内を目途に達成すべく全力を挙げている。(中略)事故の全てを迅速かつ正確に国際社会に開示する。事故調査・検証委員会が来年には最終報告を示す。(中略)人類が英知によって原発事故の突きつけた挑戦を克服し、福島が「人々の強い意志と勇気によって人類の未来を切り開いた場所」として思い起こされる日が訪れると確信する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年9月23日) 野田佳彦首相は、細野豪志原発事故担当相同様に、壊れた原子炉に「冷温停止」を使用して、未だに放射能を出し続けていることから、国民と全世界の人たちの目をそらせることに「全力を挙げている」。 首相は、「事故の全てを迅速かつ正確に国際社会に開示する。」と言うが、東京電力は、ほとんどが黒塗りの「深刻な事故に対応した手順書(シビアアクシデント・マニュアル)」を典型として、一貫して「事故の全て」を開示していないのだ。 こんな状況で、よくも抜け抜けと「国際社会」に対して、大見得をきれたものだ。しかも、その大見得は大ぼらなのだ。こんな厚顔無恥な首相に、喩えられた「どじょう」は、さぞかし嘆いているだろう。 そして、首相の大ぼら演説の結びの言葉が、これまた福島県民をはじめとした日本国民を愚弄するものとなっている。「原発事故の突きつけた挑戦」、国民の誰がこんな挑戦を望んだというのだ。 そもそも、原発事故(原発大人災)を突きつけたのは、東京電力であり、野田首相が大臣だった前内閣をはじめとした、歴代内閣ではなかったのか。これまで多くの英知により、原発の安全に関する指摘・提案がなされてきたが、これを歴代内閣はことごとく退けてきたのではないか。 ようするに、歴代内閣が「強い意志」をもって、原子力産業に都合のいい「英知?」だけを選んで、原子力産業の「未来を切り開い」てきた結果、起こるべくして起きたのが原発大震災であり、その地こそが福島なのだ。福島に平凡な今を返してほしい。 野田首相よ、あなたが、最も無能な首相の後を継いだ、最も大ぼら吹きの首相であったことが、全世界の人々から「思い起こされる日が訪れる」と、私は確信する。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.24
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【壊れていない通常の原発であれば「冷温停止」の意味はシンプルだ。停止中の原子炉が安定して冷却され、炉内の温度が100度未満に保たれている状態をいう。 しかし、燃料が溶融し、原子炉に穴があいている東京電力福島第1原発では、そう単純な話ではない。 細野豪志原発事故担当相はウィーンで開かれている国際原子力機関(IAEA)の年次総会で、福島第1原発の冷温停止時期について、「年内をめどに達成すべく全力を挙げる」と述べた。安定冷却と放射性物質放出の大幅な抑制をめざす政府の目標期限は来年1月であり、多少の前倒しを意識した表現だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年9月21日) 「冷温停止」と言う欺瞞は、上記のニュースと前後して配信された次の記事を見ても明らかだ。【東電は一時期、最大で敷地内に12万トンあった汚染水が海に漏れ出すのを防ぐため、タービン建屋地下の水位を地下水より1メートル低い海抜3メートルまで下げた。ただ、1日200~500トンの地下水が、建屋地下の壁のひび割れなどから流入していることが判明。年内を目標に全量処理する計画の実現が難しくなった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年9月21日) なんと、「1日200~500トン」と言う膨大な量の地下水がタービン建屋に流入していたのだ。しかも、東電は「タービン建屋」へ流入と言っているが、「原子炉建屋」にも地下水が直接流入している可能性があるにもかかわらず、それについての言及はない。 また、メルトダウンあるいはメルトスルーにより、原子燃料が直接地下水と接している可能性も排除できない。そうだとすれば、放射性物質の地下水への浸透を意味し、放射能汚染が今なお広がっている可能性もある。 だからこそ、原子炉および付随施設の周りを遮水壁で取り囲む計画があるのだ。遮水壁設置の計画を立てておきながら、地下水流入経路を「タービン建屋」に限定していることを見れば、政府・東電の欺瞞は明らかだ。 なお、メルトダウンしていれば、原子炉内部よりも高温になっている個所も存在し得る。例えば圧力容器下部やさらにそれがある部屋の床などがそうだ。もし、そうした高温の可能性がある個所を考慮すれば、「冷温」すら怪しくなる。 よって、現状は「冷温」の見通しも暗く、放射能汚染の拡大の「停止」の時期は、見通しさえできないくらいに遠い。細野豪志原発事故担当相よ、あなたは大ぼらを吹かずに、情報操作する東電を、大声を出して糾弾するのが筋と言うものだ。エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.23
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【壊れていない通常の原発であれば「冷温停止」の意味はシンプルだ。停止中の原子炉が安定して冷却され、炉内の温度が100度未満に保たれている状態をいう。 しかし、燃料が溶融し、原子炉に穴があいている東京電力福島第1原発では、そう単純な話ではない。 細野豪志原発事故担当相はウィーンで開かれている国際原子力機関(IAEA)の年次総会で、福島第1原発の冷温停止時期について、「年内をめどに達成すべく全力を挙げる」と述べた。安定冷却と放射性物質放出の大幅な抑制をめざす政府の目標期限は来年1月であり、多少の前倒しを意識した表現だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2011年9月21日) このブログでは、しばらく福島原発大人災ついての私見を控えてきた。しかし、その収束を担当する細野豪志原発事故担当相が、記事のようにIAEAの年次総会において、「冷温停止」に向けてと、大見得を切っていることへの抗議に代えて、あらためて私見をつづる。 そもそも、「冷温停止」とは、記事にもあるように、「停止中の原子炉が安定して冷却され、炉内の温度が100度未満に保たれている状態」をさすが、当然ながら「壊れていない通常の原発」について使用する概念だ。 それを、メルトダウンした原子炉に転用(誤用)して、収束?のための「工程表」に盛り込むこと自体が間違っているのだ。それにもかかわらず、政府や東京電力が、「冷温停止」を使用するのは、日本国民はもとより、原発に危惧を抱いている全世界の人たちを欺くことにある。 「冷温」や「停止」という言葉を、あえて使うことにより、ありとあらゆる甚大な被害をもたらせている放射能汚染の進行が、あたかも普通の(異常高温でない)状態で、「停止」に向かっているように見せかけているのだ。(その2に続く)エッセイは、次のページでいろいろ掲載しています。遊邑エッセイFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.22
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【さっさと制服を脱ぎ捨てバッグを放り投げ、もう一斉に表へ飛び出している。「先に宿題しなさーい!!」と叫ぶお母さんの声も耳に届かず、それから日が暮れるまで、小路は子供たちに占領される。 鬼ごっこや自転車乗り、男の子はビー球あそびやボールを使って。とにかく動きが激しいのが男の子で、そこらから拾ってきたれんがをゴールに見立て、ぞうりでボロボロのボールを蹴っとばし、ワーっと上がる歓声でにぎやかである。(中略)どこかの庭木に果物がなると、家人の目を盗んで木に登る。我が家の桃の木など、格好の的だ。まったく疲れるということを知らない。 女の子は日本でいう「かごめかごめ……」のような遊びで盛り上がっているかと思えば、空き地に咲いている小さな草花を取ってきてままごとをしたりしている。泥を混ぜたり水でこねてみたりと忙しい。(中略)とにかく「1人で」遊ぶのではなく、大きい子も小さい子も、みんなが一緒に遊んでいる。バッグを置いて表に出れば、遊び相手に困ることはないのだから。大きい子は小さい子の世話をし、見ていて危なっかしくもあるが、ほほえましい。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/朝日新聞:2011年9月21日) 上の記事は、古き良き時代の日本の様子を、描写しているのではない。なんと、ネパールのことなのだ。ネパールも都市化が進み、上記記事の他の個所には、「都市部では遊び場も減ってきて、安心して子供たちが遊べる空間は少ない。」とある。ネパールも、現在の日本のようになってしまうのだろうか。 さて、そんな事情もあってか、このネパールのこどもたちがあそんでいるのは、記事によると「袋小路」なのだ。上記のようなあそびが盛んだった頃の日本も同様だった。「袋小路」、言い換えれば「路地(大阪では「ろうじ」と呼んでいた。)」が、記事のようなあそびの場だったのだ。 今の日本にも、路地はあるが、大都市部では、その路地まで舗装化が進み、舗装されていない路地はほとんど無い。路地がこどもたちのあそび場であるためには、舗装はしない方がいい。記事にある「ビー球」(ビー玉)あそびは、路地が舗装されていたのではあそべないのだ。 さらに、日本では、何故か小さな路地まで車が進入し、何故か運転者はスピードを緩めない。そんな路地では危険過ぎて、ボールあそびはもちろんのこと、「かごめかごめ」も「ままごとあそび」もできない。 今さら、日本では路地を昔の姿に戻せないかも知れない。それなら、大きな公園も都市には必要だが、路地の代わりとして、ほんの小さな空き地でいいから、こどもたちのあそび場として活用してほしいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.21
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【クロスワード、サムクロス、数独などのペーパーパズルの早解きを競う世界パズル選手権。昨年10月にポーランドで行われた第19回大会では、参加27か国中で日本は団体戦準優勝、個人戦では有松太郎さん(49)が優勝した。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ニコニコニュース:2011年9月20日) 「パズル」の早解きを競うのも、一つの楽しみ方だとは思うが、「ルービックキューブ」のタイム競争のように、一旦解法を覚えてしまってからの競争は、パズルを解くと言うよりも、もはや手指の動かし方の競争に近い。 また、ペーパーパズルでも「クロスワード」のように、「カギ」の設問自体が絶えず新しいものに変わるようなパズルはそうでもないが、「数独」のように解法を覚えれば、後は基本的に機械的に解答が見つかるものも、タイム競争は筆記速度や速読などの能力の競争と変わらなくなる。 私もパズルをこよなく愛する者の一人だが、これまでに初めて挑戦したどんなパズルでも、付属の解法書などはいっさい見ずに、独力で解法を見つけることを楽しんできた。 ベストの解法ではないが、「ルービックキューブ」や「数独」はもちろんのこと、ほとんどは独力で解法にたどり着いた。それで十分に満足しており、解く早さを伸ばそうとはあまり思わない。こんなパズルの楽しみ方も、私にとっては、老いゆく脳を、鍛える一つの方法でもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.20
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【8月、一時期涼しい日があったものの、東北の被災地でも猛暑が続いた。6月から7月にかけては、避難所や仮設住宅、街中の至る所に異臭がしたり、ハエが発生して、不快感を増した。(中略)石巻市渡波にある洞源院に取材に行った時にも、寺の中にはたくさんのハエがいて、取材中にも気になるほどだった。避難している子どもたちもハエには悩まされていたが、逆に「ハエ叩き」を遊びに変えて過ごしていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/Business Media 誠:2011年9月19日) 被災地のこどもたちは、【「ハエ叩き」を遊びに変えて】過ごせるほど、元気になっているのだろうか、そうならば喜ばしいことだ。大震災と言う逆境の中でも、こどもたちは自らを癒すためにあそぶのだろう。 このような非常事態の時だけでなく、こどもたちは生活の中で起きる様々な出来事をあそびに変える。私の経験でも、煮炊きのためのカマドでつかう木を、オノ(大阪ではヨキと呼んでいた。)で細く割るのだが、「やらせてほしい」と祖父に頼んだものだ。 ただ、このようなあそびは、それが日々の課業(日課)となってしまえば、その時点で「楽しさ」は「苦痛」に変化する。おそらく、記事の「ハエ叩き」も、義務としての日課となれば、こどもたちは「ハエ叩き」を止めるだろう。 上記のような、あそびから課業への変化なら、理解しやすいのだが、「あそび」と「あそび的課業」の違いに気付くおとなは意外と少ない。それは、こどもたちのあそびにおとなが日常的に関わっている施設でも、よく見受けられる。 「けん玉道場」などと銘打って、こどもたちにけん玉を教える取り組みが、上記の施設などで行われているが、この取り組みを「あそび」と勘違いしている方も少なくない。このような取り組みは、完全に「あそび的課業」なのだ。 反対に、「けん玉道場」ではない時に、その道場で覚えたけん玉の技を使って、時には一人で楽しんでいる、時には他のこどもたちと技を競い合っている、これらの時こそ「あそび」だと言えるのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.19
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【ドラクエは敵を倒しながら主人公を成長させ、冒険を進める「ロールプレーイングゲーム(RPG)」。約三年ぶりの発売となる今回の最新作は、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii(ウィー)」と、来年発売予定の後継機の「WiiU(ウィーユー)」が対応機種だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2011年9月5日) 上記の引用は、根強い人気のゲームソフト「ドラゴンクエスト」の新作についての記事だが、このゲームのジャンルは記事にもあるように「ロールプレーイングゲーム」となっている。 ご存知のこととは思うが、「ロールプレーイングゲーム」の「ロールプレイ」とは「役を演じる」ことだそうだ。そこで、素朴な疑問だが、このゲームの遊び手は、はたして演じているのだろうか、そんな疑問がおきる。 確かに、ゲームの中の一つの役(キャラクター)(多くの場合は主人公だが)を受け持ち、何らかの目標・目的を目指しているが、ゲームの遊び手は、あくまでゲーム上のキャラクターに対して指示しているだけなのだ。見方を変えれば、実際に演じているのはゲーム上のキャラクターとみなせる。 その点で、広い意味で「ごっこ」に位置づけされる「ロールプレーイングゲーム」と、こどもたちの「お母さんごっこ」などのような「ごっこあそび」とは、同じ「ごっこ」のジャンルではあっても、根本的なところで違っている。 こどもたちの「ごっこあそび」は、あそび手が演じなければ成立し得ないのだ。しかも、生半可な演技では、つまらないあそびとなってしまう。なお、こどもたちは「ごっこあそび」においては、見事に受け持った役を演じ切る。 だから、もし「ロールプレイ」を「役を演じる」とするなら、この「ごっこあそび」こそ、正真正銘の「ロールプレーイングゲーム」なのだ。そして、ゲームソフトの「ロールプレイ」は、「役割を果たす」あるいは「役を遊ぶ」と解釈すべきだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.18
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【サッカー元日本代表の前田治さん(46)=横浜市都筑区在住=によるスポーツ教室が14日、箱根町立宮城野保育園(箱根町宮城野)で開かれた。周辺の箱根、温泉の両幼稚園からも園児が参加し、計23人がトップアスリートから運動の楽しさを学んだ。 子どもの体力向上などを目的とした文部科学省の事業の一環。(中略)前田さんは「幼いうちに体を動かす楽しさを知り、スポーツの本当の魅力を味わってほしい」と願っていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/カナロコ:2011年9月15日) 今、こどもたちの体力低下が進んでいると言われているが、それは多くが指摘するように、「外あそび」、なかでも「身体を動かすあそび」の著しい減少が一因となっている。 そして、そのまた原因は、「身体を動かすあそび」が面白くなくなったからではなく、こどもたちがその面白さに気付くほどは、十分にめぐり合っていないからなのだ。 こどもたちは、記事のような取り組みなどで、スポーツの面白さや、「身体を動かすあそび」の面白さに出会えば、多くのこどもたちは、びっくりするほど身体を動かしてあそびほうけることは、多くの実例が示している。 だから、こどもたちの「身体を動かすあそび」との出会いを妨げている原因を取り除けば、こどもたちは自然に「身体運動の楽しさ」に目覚めていくだろう。 こどもたちから「身体を動かすあそび」のための時間・場所・仲間を奪った者、そして、こどもたちをゲーム漬け・テレビ漬けにさせた者、これらのほぼすべてはおとなたちだったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.17
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【サッカー元日本代表の前田治さん(46)=横浜市都筑区在住=によるスポーツ教室が14日、箱根町立宮城野保育園(箱根町宮城野)で開かれた。周辺の箱根、温泉の両幼稚園からも園児が参加し、計23人がトップアスリートから運動の楽しさを学んだ。 子どもの体力向上などを目的とした文部科学省の事業の一環。(中略)前田さんは「幼いうちに体を動かす楽しさを知り、スポーツの本当の魅力を味わってほしい」と願っていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/カナロコ:2011年9月15日) トップアスリートの方から直接教わることは、こどもたちにとって素晴らしい経験となるだろう。このことにより、こどもたちの体力が向上することを願っている。 さて、記事にあるような、「運動の楽しさ」や「体を動かす楽しさ」(以下、「身体運動の楽しさ」とする。)は、記事と同趣旨の様々な取り組みの目的となっているが、ここであらためて、こどもにとっての「身体運動の楽しさ」について考えてみる。 記事のような取り組みを進めておられる方にとっては、わかりきったことだと思うが、「身体運動の楽しさ」の「楽しさ」は、単なる「身体運動」そのものあるのではなく、その「身体運動」によるスポーツや遊び(あそび)に起因するのだ。 一般的に、「身体運動」はその結果として、疲労をもたらせる。その疲労は、多くの場合「快感」にはならず、時には「不快」となる。だから、「身体運動」は、よほどのことが無い限り「楽しみ」の対象とはならない。少なくとも、こどもたちにとっては「身体運動」は、「しんどい」ことなのだ。 しかし、その「身体運動」によって成立するスポーツや遊びが、生み出す喜びや楽しみは、「身体運動」による疲労や苦痛をわきへ追いやる。だから、「身体運動」により成立するスポーツや遊びが、面白ければ面白いほど、その「身体運動」に取り組みやすし、長続きさせるのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.16
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【ベネッセ次世代育成研究所は、「3.11東日本大震災の影響 子育て調査レポート」を発表した。(中略)調査によれば、震災直後外遊び減った首都圏で53.4%に上り、震災直後の首都圏では「屋外遊び」「友だちと遊ぶ時間」が減り、「屋内遊び」「おうちの方と遊ぶ時間」が増えた。、震災から2か月が経過した調査時点でも、外遊びが「減った」(17.7%)、屋内遊びが「増えた」(22.8%)と、約2割の子どもが、外遊びを減らし、屋内遊びを増やしていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/全国私塾情報センター:2011年9月15日) 福島原発大人災(だいじんさい)による放射能が、こどもたちのあそびに及ぼす影響は、福島県に留まらず、首都圏にも大きな影を落としているようだ。あらためて、人災の直接の原因者である東京電力はもちろんのこと、原発を進めてきた歴代政権とその与党の責任を、ここに糾弾するものだ。 大人災前には、すでにこどもたちの「外あそび」は少なかったわけだから、そんな少ない状況でも気付くくらいに、「外あそび」の減り方が大きかったのかも知れない。親たちがそうさせるのか、こどもたちが自主的にそうするのかはわからないが、悲しいあそびの現実だ。 また、「外あそび」の減少だけでなく、こどもたちの一人あそびが多くなって久しいが、さらにその現状が悪化してているのだ。それでなくとも、こどもたち同士の地域での結び付きが弱まっていたと言うのに。怒りがさらにこみ上げる。 これまでは、大震災の度に、人と人との「絆(きずな)」が注目され、実際にその「絆」が強まったりもしてきたが、それとは違って今回は、こどもたちにとっては、その「絆」も弱まる可能性も考えられる。 このように、大人災の罪は連鎖反応的に広がっているのだ。大人災は、大きな人災でもあり、大人の起こした災い(おとな災)でもある。このことへのおとなの真摯な反省と、こどもたちへの償いは、原発を無くす約束から始まると、私は思う。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.15
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【「辞書を引くことで学ぶ力を育てるには、国語の授業で決められたような教え方では無理です。言葉の教育をする上で辞書を使うことは有効なのだけれども、無味乾燥に辞書の使い方を教えるだけで終わっている。教科書をそのままやるとか教科書が厚くなったからといって、子供の学力がつくわけではありません。知らない言葉の意味を調べるために辞書を引くのではなく、身近な場所に常に辞書を置き、とにかく暇があったら引くとか、知っている単語から引かせるとか、楽しみながら辞書で調べる習慣をつけていくことが大切です。遊ぶ感覚を勉強につなげると学習効果が上がり、自分から学ぼうという気持ちが生まれます。学習指導要領が教育現場でもっと柔軟に運用できるようになればいいのですが」】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日本経済新聞:2011年8月28日) 私は、記事にあるように、小学校の頃から「遊び感覚」、と言うよりあそびそのものとして、辞書によく親しんでいた。おそらく、小学校3年生くらいの頃だと思うが、初めて辞書を手にした時の、わくわく感が思い出される。 私に限らず、こどもたちは「初めて」の物や経験には、わくわくするものだ。こどもたちの好奇心がそうさせるのだろうが、私も真新しい辞書を手にしてしばらくの間は、何度も何度も辞書を引いて「あそんだ」ものだ。 もちろん、インターネット社会の今日、ネット検索やネット辞書でも、同様の経験ができるとは思うが、決定的に違うのは、目的の言葉に到達するまでの過程だ。ネットは、一般的に瞬時に目的の言葉には到達する。 紙の辞書は、目的の言葉そのものに到達するまでに、さまざまな苦労が待ち受けている。例えば、「遊び」なら「ア行」の「あ」を経て、「あそ」から「あそび」のあるページに到達する。運が悪ければ、たどり着いたページでも、目的の言葉を求めてさまようこともある。 こうした手間が、実はこどもたちに「アイウエオ順」の実践的感覚を培ったり、一つのページにある、多くの言葉の中から目的の言葉を見つける技術も鍛える。 さらに、見つけるまでの間に、未知の言葉に出会い、時にはその未知の言葉の意味を、つい読みいってしまう寄り道もある。それは、こどもたちの語彙を増やすこととなる。特に、縦書きの国語辞書は、より多くの言葉に目が行きやすく、よけいな寄り道が増えるが、それはその分、新語に出会う確率を高くする。 この一見無駄のように見える手で引く辞書の手間は、その言葉を覚える際には、脳に刻み付けられる印象の度合いが、ネット辞書より鮮明となる。言葉やその意味を覚えるには、これは有利な条件となる。 もちろん、以上のことは、あくまでも辞書を引くことが、苦痛になるような環境では難しい。記事が指摘するように、「無味乾燥に辞書の使い方を教え」たり、強制したりするようでは、辞書引きが苦痛となるだろう。自然に辞書とあそんでいた、そんな状況が最も望ましい。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.14
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【現役の生物調査員が考案した生態シミュレーション型のボードゲームです。河川に生息する5つの動植物にわかれて、それぞれの動植物を増やしていきます。楽しみながら、環境、自然、生態系について学べます。学校、職場、NPO、地域活動、施設のプログラムなど、環境を学んだり、考える場面で最適。企業のCSRから、家庭の遊びまで、使い方は自由自在。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/EICネット:2011年9月12日) 記事のような「生態シミュレーション型のボードゲーム」は、それなりに「環境、自然、生態系について」学ぶことができるとは思うが、肝心の環境と自然破壊が進み、生態系が乱されていたのでは、と思いたくもなる現実がある。 自然や生態系を護るには、ただそれを書籍・ビデオ・ゲームなどのメディアを通じて学ぶだけでは不十分で、実際に動植物を観察したり育てたりする実践的活動が不可欠なのだ。 また、あそびながら学ぶとしても、草花あそびや虫捕りなど、自然と直にふれあうあそびが最適だ。少なくともこどもたちにとっては、自然とのあそびだけで十分だ。 「環境、自然、生態系について」学ぶべきはおとなであって、そしてこどもたちの身近なところに、実際に「動植物を増やして」行かなければならないのもおとななのだ。おとなの役割は、こどもたちと「生態シミュレーション型のボードゲーム」をすることではない。 もし、記事のゲームを販売・講習する団体が、本当に「環境、自然、生態系」を護ろうとするのなら、このような「ボードゲーム」を広げるよりも、おとなたちに「環境、自然、生態系」を実際に護らせる活動を、繰り広げるべきだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.13
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【お母さんお父さん、子供を外でたっぷり遊ばせていますか? 車が危ない、変質者の心配、紫外線の問題等々、最近は外で遊ぶ子供が少ないのではないでしょうか。遊ぶ場所がないってのもあると思いますが。研究者Peter Gray氏が、現代の85%の子供は1950年代の子供よりも鬱や不安症等の問題をより多く抱えているというレポートを発表しており、その原因はライフスタイルにあると言います。(中略)もちろん、外で友達と遊ばなくなったことと鬱病が増えたのは原因として密接に結びついていると証明されたわけではありません。しかし、Gray氏は外で遊ぶということが長期的に見て子供の健康に影響を与える大きな原因の1つだと考えています。同じ歳の子供と遊ぶことで、その子達の社交性や認識能力、自信等にも影響を与えているというのがGray氏の見方です。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ギズモード・ジャパン:2011年9月8日) 今、こどもたちの教育において、「コミュニケーション能力」を育む取り組みとして、芸術家などの協力を得て、「正解のない課題に創造的・創作的に取り組む活動を中心とするワークショップ」を、文部科学省がは提起している。 はたして、芸術などの創造活動・創作活動には「正解」が無いのだろうか。私は、人それぞれに「正解」があるからこそ、人は創造活動・創作活動に挑戦し継続させることができると考えている。 人それぞれにあると言うこの「正解の多様性」こそ、文部科学省の意図する「正解のない」と考えていい。だから、「正解」の多様な存在を誰しもが認めることが、「コミュニケーション能力」においても重要な要素となるのだ。 考えれば、こどもたちの好奇心も、科学者の探究心も、芸術家の創造力も、全てが何らかの「正解」を求めると言う、人間あるいは生命のDNAに刻み込まれた「本能」から発しているのだろう。 そして、その「正解」には、唯一の「正解」だけでなく、時として複数の「正解」、すなわち多様な「正解」があることに、確信を持つことこそ、他者を思いやる心を育てるのだ。そうすれば、いじめも戦争も無くなると思うのだか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.12
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なお、この記事は編集の都合上、削除(コメントも含む)する可能性があります。よりまして、コメントは掲示板の方にお願いいたします。 【お母さんお父さん、子供を外でたっぷり遊ばせていますか? 車が危ない、変質者の心配、紫外線の問題等々、最近は外で遊ぶ子供が少ないのではないでしょうか。遊ぶ場所がないってのもあると思いますが。研究者Peter Gray氏が、現代の85%の子供は1950年代の子供よりも鬱や不安症等の問題をより多く抱えているというレポートを発表しており、その原因はライフスタイルにあると言います。(中略)もちろん、外で友達と遊ばなくなったことと鬱病が増えたのは原因として密接に結びついていると証明されたわけではありません。しかし、Gray氏は外で遊ぶということが長期的に見て子供の健康に影響を与える大きな原因の1つだと考えています。同じ歳の子供と遊ぶことで、その子達の社交性や認識能力、自信等にも影響を与えているというのがGray氏の見方です。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ギズモード・ジャパン:2011年9月8日) 記事もそうであるように、「パズル」と言えば、「ジグソーパズル」が、真っ先に想定される。しかし、「パズル」には極めて多彩なジャンルがある。何故、人は「パズル」に魅かれるのだろうか。 その理由の一つが、必ず正解があるからだ。多くの「パズル」は、正解が一つなのだが、「シルエットパズル」の「タングラム」のように、正解が複数のものもある。反対に、正解の全く無い「パズル」は「謎」ではあり得ても「パズル」ではなく、もちろん挑戦するものはごく少数となる。 なお、多くの科学者などが様々な現実の「謎」に挑戦しているが、それも正解が「必ずあるはずだ」と、正解の存在が前提となっている。その意味で「パズル」も科学的探究も、正解がある(あるだろう)と言う確信・推定がなければ、誰も意欲的に挑戦しないのだ。(その2に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.11
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(その1からの続き、引用記事は再掲)【お母さんお父さん、子供を外でたっぷり遊ばせていますか? 車が危ない、変質者の心配、紫外線の問題等々、最近は外で遊ぶ子供が少ないのではないでしょうか。遊ぶ場所がないってのもあると思いますが。研究者Peter Gray氏が、現代の85%の子供は1950年代の子供よりも鬱や不安症等の問題をより多く抱えているというレポートを発表しており、その原因はライフスタイルにあると言います。(中略)もちろん、外で友達と遊ばなくなったことと鬱病が増えたのは原因として密接に結びついていると証明されたわけではありません。しかし、Gray氏は外で遊ぶということが長期的に見て子供の健康に影響を与える大きな原因の1つだと考えています。同じ歳の子供と遊ぶことで、その子達の社交性や認識能力、自信等にも影響を与えているというのがGray氏の見方です。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ギズモード・ジャパン:2011年9月8日) その点で、今のこどもたちの「外あそび」の現状について私見を述べれば、身体を使った「外あそび」と、他のこどもたちとの「外あそび」が減ってきているのだ。 今、こどもたちの「外あそび」の現状を憂い、様々な「外遊び」のイベント・保育・取り組みなどが行われているが、ただ屋外で遊んでいるだけで、身体を使ってはいるものの、結局「一人あそび」同然の場合も少なくない。 また、あまりにもおとなが関与しすぎて、こどもたちはある種の「習い事」と変わらないようなケースもある。そこまではいかなくても、チーム対戦型のあそびで、おとなの審判の下に「遊び?」が進行しているものもある。 このように、「外遊び」を目的とした取り組みにおいては、「外あそび」の内容と、こどもたちの自発性と自主性に留意することが大切だ。もちろん、同様の理由で、「外あそび」はスポーツでは置き換えならないことも銘記すべきだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.10
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【お母さんお父さん、子供を外でたっぷり遊ばせていますか? 車が危ない、変質者の心配、紫外線の問題等々、最近は外で遊ぶ子供が少ないのではないでしょうか。遊ぶ場所がないってのもあると思いますが。研究者Peter Gray氏が、現代の85%の子供は1950年代の子供よりも鬱や不安症等の問題をより多く抱えているというレポートを発表しており、その原因はライフスタイルにあると言います。(中略)もちろん、外で友達と遊ばなくなったことと鬱病が増えたのは原因として密接に結びついていると証明されたわけではありません。しかし、Gray氏は外で遊ぶということが長期的に見て子供の健康に影響を与える大きな原因の1つだと考えています。同じ歳の子供と遊ぶことで、その子達の社交性や認識能力、自信等にも影響を与えているというのがGray氏の見方です。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ギズモード・ジャパン:2011年9月8日) 「外遊び」が「鬱病等に効果的」かどうかはさておき、少なくとも「外遊び」の効果として「社交性や認識能力、自信等にも影響を与えている」との見方は、私ならずとも多くの専門家の一致する意見となっている。 だから、その「外遊び」が減ったことが、こどもたちの「社交性や認識能力、自信等」に負の影響を及ぼし、結果として「鬱や不安症等の問題」を抱えることもあるのかも知れない。 ところで、「外あそび」と一口に言っても、人それぞれに捉え方が違っており、間違いなく一致しているのは、「屋外であそぶ」ということくらいだ。「泥んこあそび」や「山崩し」のような身体をあまり使わないあそびから、「Sケン」のように全身を使うあそびまである。もちろん、あそぶこどもたちの人数で言えば、一人あそびから集団あそびまである。 だから、今のこどもたちの「外あそび」の現状を考える時、単に屋内か屋外かに着目するのではなく、身体を使っているかそうでないか、独りであそんでいるか集団であそんでいるかに注目することが大切なのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.09
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【小泉今日子と永瀬正敏が夫婦役で共演した「毎日かあさん」のDVD&ブルーレイ(9月7日発売)に、初回限定版特典として原作者・西原理恵子が書き下ろした漫画「毎日かあさん 特別編」のブックレットが封入されていることが分かった。(中略)西原自らの人生をもとに、母親としてたくましく生きる漫画家サイバラが、失敗を繰り返してばかりの夫カモシダ、遊び盛りのふたりの子どもとともに、家族のきずなを深めていく姿を描く。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/エイガドットコム:2011年9月8日) 記事にある「毎日かあさん」の鴨原家の「遊び盛りのふたりの子ども」は、小学1年生と5歳だそうだ。この「遊び盛り」、ネットでざっと調べてみても、それがどの年ごろのこどものことを指すのかはハッキリしない。 このブログのテーマの、「あそびはこどもの仕事やで!」に従えば、「遊び盛り」はこどもの時期となる。そのこどもの期間を成人(二十歳)までとするのも広すぎる感は否めない。 ともかく、こどもの期間が「あそび」で特徴づけられるとしても、やはりその「あそび」の盛りの時期があるはずだ。そこで、このブログで「あそび期」と定義している幼児(3歳)から小学校6年生までを「遊び盛り」としておこう。 さて、この「遊び盛り」の9年間、今のこどもたちは、はたしてあそび切っているのだろうか。その点を、身近にいるこどもたちで見直してほしい。少し前の時代に、小学校高学年になると塾に通い始め、「遊び盛り」は短くなった。 さらに最近では、就学前のこどもたちにまで、塾や習い事が浸透し、もはや「遊び盛り」は風前のともし火となっている。高校生活からのドロップアウトの増加を考えれば、ひょっとすれば「遊び盛り」が10代後半までずれこんだこどもたちもいるのかも知れない。 こんな、おかしな状況に至った現状を見る時、あらためて「遊び盛り」をあそび切ることの大切さを痛感する。私事で言えば、最もこどもらしいあそびの記憶があるのは、「あそび期」のなかでも、小学校の3~6年生の期間だ。 今、この時期のこどもたちの放課後が短くなり、「遊び盛り」がこのことで、時間的にも「盛り」と成れないのは、非常に残念で、それを結果として許してきたおとなの一員として、こどもたちに申し訳ないと思っている。このブログを、それへのささやかなお詫びとしたい!「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.08
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) ここで、これまでのことをまとめると、こどもたちの「コミュニケーション能力」を育むには、文部科学省が提起する「『話し合う・創る・表現する』ワークショップ」は必要条件ではなく、こどもたちのあそびを昔の姿に戻すこと(あそびの復興)こそに、必要で十分な条件が存在すると言えるのだ。 そのあそびの昔の姿で、最も大事なのは、年々少なくなってきている「あそび時間」を、個々のこどもたちはもちろんのこと、全てのこどもたちにまんべんなく取り戻すことにある。それは、就学前の幼児から小学校生にとっては急務でもある。 そして、この「あそびの復興」は、「コミュニケーション能力」だけでなく、文科省が心配する、こどもたちの学力と体力の向上にも、大きく貢献できる道でもあることは、本ブログでも度々指摘している。 しかし、この「あそびの復興」は、文部科学省が進める、英語必修化、授業時間増、全国学力テストなどが原因となって、肝心の「あそび時間」が短くされてきた。このことを放っておいて、「ワークショップ」を進めても、大きな効果は期待できないのは明白だ。こどもたちの「コミュニケーション能力」の向上は、「あそびの復興」でこそ実現すべきなのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.07
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) 文科省指摘の四番目の効果。【○ 他者認識や自己認識の力、伝える力の向上、自己肯定感と自信の醸成により、子どもたち相互の人間関係が良好になり、学級の雰囲気が改善されて、学級全体として学力が向上する。また、いじめや不登校、暴力行為などの問題の解決にもつながる。】 これまでのことだけでも十分に予想できるが、、上記の効果も多くのあそびで十分に可能だ。特に、あそびにおいて大切なのは、あそびは単に「自己肯定感と自信の醸成」だけでなく、それとは反対に、時と場合によって、否定的な評価を受けて自信を無くすケースもあると言うことだ。 肯定的な評価だけでは、悪条件や逆境を乗り切る力は、十分には育ち得ない。あそびのように、何時でもそこから逃れられる環境では、否定的な評価に耐え抜く術(すべ)や、困難な課題に何度も挑戦する力を、無理なく育んでくれる。 あそびにおいては、その中で起きた否定的な評価や結果に、違うあそびを通して自分が耐えられるようになってから、また元のあそびに復帰すればいい。もちろん、所詮あそびだから、嫌いなあそびがあっても、一向に構わない。逆境に負けない力を育んでくれるあそびは、他にも無数にあるからだ。 このあそびの利点にこそ、「いじめや不登校、暴力行為などの問題の解決」の一つの確かな道があるのだ。そして、それには芸術家などの専門家や教師などのおとなの力は、基本的には必要としないのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.06
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) 文科省指摘の三番目の効果。【○ 子どもの良い面や優れた面が外部の大人(芸術家等)によって引き出されたり、ワークショップでの「ふりかえり」において、子どもたちが互いに多面的に発見・評価したりされたりすることによって、自己肯定感と自信の醸成がなされる。】 これまた、「ワークショップ」に頼らずとも、多くのあそびにおいて、こどもたちの関係だけで可能なこととなっている。勝ち負けのあるあそびや、コマ回しなどのように技術が必要なあそびももちろんのこと、お絵かきや虫捕りあそびなどでも可能だ。 例えば、「ケイドロ(ドロケイ/探偵ごっこ)」などのチーム対戦型のあそびでは、活躍すれば味方のこどもたちから良い評価を受ける。同様に、長くコマを回せる、絵がうまい、トンボ捕りが上手など、あそびの種類が多彩であれば、何らかの自分が得意とする分野で、十分に良い評価が得られる可能性がある。 まさに、様々なあそびをすることにより、「自己肯定感と自信の醸成がなされる」機会に恵まれるのだ。こどもたちから見れば、どちらかと言えば評価する側に立っているおとなより、同じ評価される側である他のこどもたちからの良い評価は、大きな自信となるのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.05
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) 文科省が指摘する上記の「ワークショップ」の効果の二番目は、次のとおりだ。【○ 言葉による表現に加え、身体表現等を用いて相互に伝え合うことの喜びに気付き、的確な指導の下、少しでもうまく伝えたいという意欲により、表現手法が工夫され、「伝える力」が向上する。】 はたして、「創造的・創作的な活動」における上記のような状況だけで、十分に「伝える力」を向上させられるのだろうか。そもそも、「コミュニケーション能力」が問題視される以前のこどもたちは、上記のような教育の場での「創造的・創作的な活動」には、頼らずとも「伝える力」を自力で育んでいた。 それは、昔のこどもたちは人と人との生身の付き合いを重ねることによって、「伝える力」を向上させてきたのだ。その生身の付き合いの中でも、「ごっこあそび」や「集団あそび」も含めた、他のこどもたちとのあそびが仲立ちする人間関係は、「伝える力」を最も効率よく磨く実践の場だったのだ。 「創造的・創作的な活動」としの「ワークショップ」が、ともすれば限定的なシチュエーションの人間関係になっているのに比べて、「他のこどもたちとのあそび」は、こどもたちに極めて多様なシチュエーションを提起する。「伝える力」を育む上では、このシチュエーションの多様性は有利な条件となる。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.04
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) 次に、「コミュニケーション能力」の問題を根本的に解決するための私見を、文科省がこれまでの「ワークショップ」の効果として指摘している幾つかの点について触れながらつづっていく。 【○ 創造的・創作的な活動の中で、また、協働で話し合いながら正解のない課題に取り組む中で、ふだんは見ることのない他者の一面を見いだしたり、創造的活動や演劇的活動などの表現手法により、自分と異なる状況を擬似的に体験したりすることで、他者認識や自己認識の力が向上する。】 ここで難しい言葉を長々と並べて推奨されていることは、極論を言えば「ごっこあそび」の機会を、少なくとも、就学前の幼児期から小学生低学年の時期に、十分に保障することで、概ね達成できる。 幼児が行う「お母さんごっこ」ですら、こどもたちはほぼ完ぺきに、お母さんやお父さんなどを演じ切り、「自分と異なる状況を擬似的に体験」しているのだ。その演じっぷりに、「ふだんは見ることのない他者の一面」を発見するこどもたちも少なくない。 しかし、「幼稚で低レベルのあそび」として過小評価され、子育て・保育・教育で重視されなかったり、あそび全般までもが、勉強のための邪魔扱いされたりして、この「ごっこあそび」が、こどもたちの間では年々減少してきているのだ。問題は「外あそび」「自然体験」だけではないのだ。 この「ごっこあそび」が優れている点は、わざわざ芸術家にお越しいただかなくても、あるいは著名な演出家にお出ましいただかなかくても、こどもたちの自力で、「ワークショップ」並みの、否、それ以上の効果を上げるケースも少なくない。「ごっこあそび」は、優れた「コミュニケーション能力」を育む道場なのだ。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.03
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【文部科学省は8月29日、「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」の審議経過報告を公開した。(中略)現状では、インターネットを通じたコミュニケーションが普及している一方、外遊びや自然体験等の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが他者との関係づくりにマイナスの影響を及ぼしているとしている。こうした中、新しい学習指導要領では、言語活動の充実により、コミュニケーション能力や情緒を養うことも期待されている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/リセマム:2011年8月31日) 文部科学省が、こどもたちの「コミュニケーション能力を育む」取り組みを進めるのは、大変良いことなのだが、その取り組み方には、手放しでは賛同できない。 その点についての私見を述べる前に、文科省が公表している「子どもたちのコミュニケーション能力を育むために~『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組~」から必要部分のみを以下に引用しておく。【(2)子どもたちの現状や課題○ 子どもたちは気の合う限られた集団の中でのみコミュニケーションをとる傾向が見られ、また、コミュニケーションをとっているつもりが、実際は自分の思いを一方的に伝えているにすぎない場合が多いなどの指摘がある。○ 児童生徒が不登校となったきっかけと考えられる状況として、友人関係をめぐる問題が約20%を占め、また、約8割の大学等において、家族、友人などの対人関係に関する学生相談が増加しているとの調査がある。○ インターネットを通じたコミュニケーションが子どもたちに普及している一方、外での遊びや自然体験等の機会の減少により、身体性や身体感覚が乏しくなっていることが、他者との関係づくりに負の影響を及ぼしているとの指摘もある。(中略)(4)コミュニケーション能力の捉え方とその育成○ コミュニケーション能力を、いろいろな価値観や背景をもつ人々による集団において、相互関係を深め、共感しながら、人間関係やチームワークを形成し、正解のない課題や経験したことのない問題について、対話をして情報を共有し、自ら深く考え、相互に考えを伝え、深め合いつつ、合意形成・課題解決する能力と捉え、多文化共生時代の21 世紀においては、このコミュニケーション能力を育むことが極めて重要である。○ コミュニケーション能力を学校教育において育むためには、1.自分とは異なる他者を認識し、理解すること、2.他者認識を通して自己の存在を見つめ、思考すること、3.集団を形成し、他者との協調、協働が図られる活動を行うこと、4.対話やディスカッション、身体表現等を活動に取り入れつつ正解のない課題に取り組むこと、などの要素で構成された機会や活動の場を意図的、計画的に設定する必要がある。(中略)■子どもたちへの効果○ 創造的・創作的な活動の中で、また、協働で話し合いながら正解のない課題に取り組む中で、ふだんは見ることのない他者の一面を見いだしたり、創造的活動や演劇的活動などの表現手法により、自分と異なる状況を擬似的に体験したりすることで、他者認識や自己認識の力が向上する。○ 言葉による表現に加え、身体表現等を用いて相互に伝え合うことの喜びに気付き、的確な指導の下、少しでもうまく伝えたいという意欲により、表現手法が工夫され、「伝える力」が向上する。○ 子どもの良い面や優れた面が外部の大人(芸術家等)によって引き出されたり、ワークショップでの「ふりかえり」において、子どもたちが互いに多面的に発見・評価したりされたりすることによって、自己肯定感と自信の醸成がなされる。○ 他者認識や自己認識の力、伝える力の向上、自己肯定感と自信の醸成により、子どもたち相互の人間関係が良好になり、学級の雰囲気が改善されて、学級全体として学力が向上する。また、いじめや不登校、暴力行為などの問題の解決にもつながる。】(【】内は文部科学省のサイトから一部引用、ただし機種依存文字(○数字)は変更して記載、2011年9月2日現在) 文科省が指摘する「子どもたちの現状や課題」は、概ね異議はないが、問題なのは、この現状・課題を解決する取り組みとして、「子どもたちへの効果」があったとする【『話し合う・創る・表現する』ワークショップへの取組】を進めようとしていることだ。 この「ワークショップ」自体は、それなりに効果があるのかも知れないが、こどもたちの「コミュニケーション能力」の思わしくない現状を招いた、「外での遊びや自然体験等の機会の減少」という根本的要因がそのままでは、効果も単なる「その場しのぎ」に留まるものとなるだろう。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.02
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(昨日からの続き、引用記事は再掲)【この商品の特徴は不要になったチラシや包装紙から、簡単に折り紙が作れること。プラスチックの本体にある透明プレートに紙を挟み手前に引くだけで、あっという間に折り紙が完成する。(中略)今後子どもたちを中心にますます人気を集めそうだ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日経トレンディネット:2011年8月31日) 折ってハサミを使う作業は、記事の製品を使うより手間がかかる。しかし、ものは考えようで、手間がかかるからこそ、どうすれば早くきれいにできるかの課題をこどもたちに提起する。 本当に、こどもたちが折り紙が好きであれば、こどもたちの上記の課題に果敢に挑戦するだろう。その時、手間はこどもたちを鍛える絶好の機会となるのだ。 反対に、折り紙そのものが嫌いな子は、記事の手間のかからない、便利な機械があっても、チラシから折り紙をつくることさえ、長続きはしないだろう。そうなれば、便利な機械は無用の長物となりかねない。 なお、チラシや包装紙を正方形にするまでもなく、そのままの長方形であそべる折り紙は、昔からたくさんある。折り紙が今ほど安くなかった時代、身近で手に入れ易い、チラシなどの長方形の紙を使って、様々な折り紙あそびを工夫して生み出してきたのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓
2011.09.01
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