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自分に向けられた言葉について結構よく考えます。誰かの言葉に傷ついたり、ショックを受けたりするのは、結局自分の弱みに気づかされるから。それで、そういときこそ実は学びのチャンスなのです。(中略)不安を感じたときこそ、とにかく学ぼう、学べば何か見えるものがあるんじゃないかっていつも思っているんです。最大限どこまで自分を伸ばせるか、どこまで成長を広げられるか、それは自分次第です。
でも、知りたいことはあった。それを知らなければ、その先の人生を送っていける自信もなかった。
人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある。
なのに、今は既製品の靴に、無理に足を押し込んで履いている。
だから、歩いているうちにすぐ足が痛くなる。それじゃダメだ。
靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わせなきゃいけない。
昔わらじを自分で編んだように、自分に合わせた履き物を作る。
そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いていける。
自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ。
勝ちたいと願うことと、負けないことは違う。前者は他者に向けての言葉で、後者は自分に対しての言葉だ。負けるな、負けるなと自分に言い聞かせる言葉だ。
アンナは笑って一緒に手をたたき、うっとりと娘を見つめたが、またすぐに本を読み始めた。子どもに対する彼女のあっさりとした反応を見ると、僕はちょっと心配になる。アンナが子どもと遊ぶのはほんの一瞬で、ふざけたり、笑い声を上げたり、くすくす笑ったりもするけど、すぐにうわの空になって、興味をなくしてしまうのだ。
「ねえ細野さん、自分だけの場所を、嘘でもいいから持っておくの。人が一人は入れるくらいのちょっとした大きさの嘘でいいから、その嘘を胸の中に持って唱え続けていられたら、案外別のどこかに連れ出してくれるかもしれないよ。その間に自分も世界も少しくらい変わっているかもしれないし」
けれど、自分の抱いている漠然とした不安と同じ種類のものを、伊都子も抱いているに違いないと思った。日々の雑事に追われるだけで時間がどんどんたっていくこと。たくさん歩いた気がするのに、ふりかえっても自分の足跡が見つけられないように思えること。たとえば四十歳になるまでに何かしなくてはと思う者の、その「何か」のとっかかりすら見つけられないこと。
母親を失うということの恐ろしさの根源は、自分の人生の始まりからずっと愛着してきた存在からの応答を永久に失うということかもしれない。問いかければ、応えてくれた存在が、もう何の反応も返してくれないということ。やりとりをすることができないということ。その苦しさである。それは呼吸できなくなる苦しさにどこか似ている。母と言う存在が返してくれる言葉や微笑みを、子どもは呼吸しながら生きているに違いない。何の反応も、言葉も微笑みも返ってこないということは、いくら息を吸おうとしても、息が入って来ないような苦しさを催させる。
「それから、何気ない草や木を、どうしてこんなに美しいものに変えることができるのだろうって思いました。それで本当はもっといろんなものが美しいのではないかって思いました。いつも何気なく見ているものが実はとても美しいもので、僕らの意識がただ単にそれを捉えられないだけじゃないかって思って…。絵を描き始めてから僕はようやく何かを見ることができるようになったんだって思いました」
「よそ者リーダー」に求められる謙虚さ・4つの姿勢
1 役職や年齢に関係なくすべての人に等しく接し、その声に耳を傾ける姿勢
2 自分と違う意見や相反する考え方を批判せず、真摯に受け止める姿勢
3 知らないことはもちろん、多少知っていることでも、改めて教えを請う姿勢
4 常に自分を振り返り、自分に足りない部分を知り、認める姿勢
224.乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役… 2021.10.03
220.アンと愛情 [ 坂木司 ] 2021.10.01
217.なんか勝手に人生がよくなるやめるこ… 2021.09.29