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書名ぼくはいったい どこにいるんだ [ ヨシタケシンスケ ]感想地図をテーマにした絵本。おかあさんが描いてくれたちんぷんかんぷんの地図。僕はいったいどこにいるんだ?地図があれば、ぼくがどこにいればわかるんだ。私は地図を見るのが苦手で、駅から目的地に歩き始めるとき、「だいたいこっちかな」という野生の勘に従って歩き始めるので、たいてい迷う。なんでそんなに自信満々なんだ?!と思うんだけど、そのときは自信があるのだ。というわけで、自分のことを信じずに、Google Mapに道案内を入力する。GPSで、右に曲がれ左に曲がれとイヤホンで音声が指示をする。先日、道なき道を案内され、「これは探検する子どもとかが通る道なのでは…?」という場所をひたすら川に沿って歩く、ということをした。後日、目的地までの行き方を地図上で調べたら、国道沿いの広い道があった。なんだ…。昔はどうしていたのだろうなあ、とよく思う。路線図と、時刻表と、地図で世界が繋がっていた頃。今は何も知らなくても、どこにいるかわからなくても、目的地まで辿り着くことが出来る。そこへ行ったことがなくても、グーグル・ストリートビューで路地まで見られるようになった。でもなんだかな、と私は思うのだ。ぼくはいったいどこにいるんだ?と、思うことは、どこへ行きたいのかと、どこへいるのかを自分で知ることから始まる。便利はそれをなくしてしまったんじゃないかしらん。ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.08.29
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書名メメンとモリ [ ヨシタケシンスケ ]目次第1話:メメンとモリとちいさいおさら第2話:きたないゆきだるま第3話:メメンとモリとつまんないえいが引用いつかだれかがわたしのかわりにいいこともわるいこともしてくれるわ。だからわたしも いま、いつかのだれかのかわりにいいこともわるいこともしてあげるの。感想2023年186冊目★★★姉弟の「メメン」と「モリ」が日常で出会う3つのお話が入った本。タイトルが「メメント・モリ(死を想え)」だから、よっぽど重たい内容なのかと思ったらそうじゃなかった。哲学的で説教臭くはあるけれど(読んでいて「ヨシタカさんの本、基本ぜんぶ同じよな」と思ってしまった。その同じなのが好きなのだけれど)、死にまつわるダイレクトな話ではない。ところで私は「メメント・モリ」と聴くと、同時に「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや)」が思い浮かぶ。サバクタニ、が砂漠谷、と脳内で変換されて、嵐の砂漠の真ん中で、途方に暮れて叫んでいるイメージが想起される。(映画「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」の影響かなと思って調べてみたら砂漠の話じゃなかった)私は3つのお話のなかでは、第2話の「きたないゆきだるま」が好き。こういう、ものが関係ないところで意思をもって夢見ている…という設定が好み。内容は大人向け…だけど、小学生中学年〜高学年くらいから読めるかも?ふりがなはついていないのだけど、うちの息子(年長)もけっこう読めていました。知らない内に漢字をけっこう知っているのだなあと驚き。私は、子供向けの本であっても、ある程度からは「ふりがな(ルビ)」を振ってすべて漢字混じりで書くべき(変にひらがなで置き換えない)だと思っている。そうしないと読めるようにならないでしょう?「姉まい(しまい)」とか、ぶっさいくやん。新聞も常用漢字にこだわるから「まん延」とか使い出すやろ?それでええんか!!笑ちなみに、レビューを読んでいて「ほお」と思ったのが、読字に問題がある人は手書きの文字を読むのがいっそう困難なので、フォントにしてほしいという声。なるほどなあ。私はヨシタケさんの字、好きだけど、別にフォントでもいい。確かに味があるけど読みやすい字ではない。この本の中に、人生は積み木のようなものかもしれない、という言葉が出てきた。良いことも悪いことも全部使って、ちょうどいいように自分の持っているものを積み上げる。バランスよく。崩れることもあるそれが、人生なら。次は何を作ろうかな、と思うこと。次はこうやったらうまく積み上がるかも、と思うこと。それもまた楽しいと思いたいよね。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.08.24
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書名ナージャの5つのがっこう [ キリーロバ・ナージャ ]感想2023年171冊目★★★・6カ国転校生ナージャの発見 [ キリーロバ・ナージャ ]の絵本版が出たので、娘に読んでもらおうと思って、自分も読んだ。(学校の教科書でも「外国の学校を紹介する」という単元があって、興味を持っていたので)いやあ、改めて「自分の当たり前は世界の当たり前じゃない」と気づく。日本の公教育しか受けたことがないので、私の当然が共通認識だと思っている。学校とはそういうものだと。でも、所変われば品変わる。著者のナージャさんは、小学生の時に数学者の父と物理学者の母の仕事の都合で、5カ国(ロシア・イギリス・フランス・アメリカ・日本)の学校に通う。教科書はどの国も複数年使う(お下がり・貸与)。日本は全員に毎年ピカピカの教科書をあげる。ノートは、外国では「方眼」と「線」の2種類だったり、1種類だったり。日本は教科ごとにすべてノートが違う。(これは、漢字の練習や縦書きの文化の影響もあるかも)日本の学校の紹介で、「え、これが『ふしぎ』なんだ?」と挙げられている項目に思う。入学式?名札?上靴?スイミングキャップ?プール?スクール水着?ピアニカ?下敷き?掃除当番?給食当番?防災頭巾?体育座り?跳び箱?逆上がり?集団登校?黄色い帽子?組体操?ラジオ体操?公教育の学校って、その国の人全員の「最小公約数」を作っている場なんだなあ…。こう見ると、日本って「専用のもの(ひと)」を決めてやるのが好きだよね。だからこそ応用がきかないし、融通がきかないし、大量のモノが必要なんだけど。最後のページには、「6つめのがっこう」を自分で考えて描いてみよう、というページがある。大日本図書の「キミがかんがえたきょうしつをおくろう!」に応募してね、と。私がずーっと憧れているのは、『窓ぎわのトットちゃん』の古い電車の車両を利用した教室。いいなあ、そんな教室。畳でゴロゴロできるのもいいよねえ。冬はこたつを置いて(勉強できない)。夏は板の間でひんやりして。勉強は基本がタブレット形式で、その子それぞれの進度にあわせた学習。提案される課題の中から、自分でその日の目標と順番を決めて取り組んで、終わったら本を読んでいていいの。先生はそれぞれの学習状況を見て、それをコーディネートする役割で…。体育は「体を動かす楽しさを知る」「生涯を通じた健康の維持」に特化して、イベントは希望者参加制で。未来の学校を考えるとワクワクする。今の学校にワクワクしない理由が、そこにあるんだろう。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.08.05
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書名なんだろう なんだろう [ ヨシタケシンスケ ]感想2023年160冊目★★★絵本ではない、本でもない、その間くらいの本。幼稚園くらいには難しいくらいのレベル感。もとは、道徳教科書(小1~中3/光村図書)のコラムで、そこに描き下ろしを加えたもの。「なんだろう なんだろう 『〇〇』ってなんだろう」からはじまる、〇〇についてのいろんな考え方。なんだろう?で終わって、答えがないのがいい。私は「夢」のところが好きと思った。夢をもっている人って、かっこよく見える。じゃあ、夢がないのははずかしいことなの?先日、息子(5歳)に「まま、しょうらいのゆめ、きまった?」と訊かれて、答えに窮した。えーっと、宝くじに当選して、一億円くらい手に入れて、それを運用しながら不労所得を得て、ちょびっと働く…みたいな。夢がない夢!笑南の島で毎日家の前が海、みたいなところに住みたいし、ブータンにも行きたい。子どもをそういうところに連れて行ってもあげたい。どうせ打ちのめされるなら、うんと広い世界に。今の仕事をしていて何になるのか、という話をしたら、「余裕があるからそういうことを言えるんだよ」と言われた。お金を得ることに必死なら、そんな選択肢がそもそも存在しないから。あなたは贅沢なんだ、本当に困っていないからそんなことが言えるんだ。今の仕事をやめたら後悔するよ。そうなのかな。そうなのかもしれない。でも今の仕事をやめなくても、後悔はするんだろうね。そのどちらを自分が選ぶかであって。FIRE(早期退職)は手段であって、「夢」ではないよな。けど私からしたら、そこから離れることはかなりの幸福度を上げる。金銭との相対効果が取れるほど。いやもう、働きたくないでござる〜。労働どころか社会生活を送って生きていくのに向いてない〜。って言いながらみんなやってるんだよ、と言われるんだけど。私から見ると、みんなどうして普通に生きていけるんだろうと思うんだよ。娘の登校しぶりや「生きづらさ」みたいな問題って、そのまんま私にも当てはまる。この世界で、この自分で生きていくしかないのだから。順応と適応ーーーなんて、この年になっても無理なのに。なんだろう、なんだろう。私ってなんだろう。頭の中で「なんでだろう〜なんでだろう〜」とテツandトモが歌い出すのを止めて。このままの自分じゃ駄目で、調整が必要になっている私。やりたいことがあったほうがそりゃ、毎日楽しいよね。でも、いろいろ選んだり、試したりするのもきっと楽しいから、ゆっくりのんびり探してもいいんじゃない?人生って死ぬまでトライ・アンド・エラーで、なんとかこれでやっていけると思ったら局面が変わってまた新たな方法が必要になる。その繰り返し、ネバーエンディング・ダンジョン。めんどくせぇ、と思ってしまう。ようやくなんとか、やっていけると思ったのに!それを楽しめる余裕がない。間違えることをおそれ、新しい方法を怖がる。プライドが高いということは、自己肯定感が低いことの裏返しでもある。何とか保っている「なけなしの自分」を、誰かの否定は粉々にされてしまうから。こんにゃくゼリーくらいの弾力性をもって、生きていけたら良いのにね。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.07.24
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書名りゆうがあります (PHPわたしのえほん) [ ヨシタケシンスケ ]感想2023年129冊目★★★はなくそをほじっちゃうのだって、理由があるんだよ。という、子どもの説明の物語。私は数ある言い訳のなかで、ストローをぶくぶくしちゃうのは、「いろいろ あるけど、なんとか げんきに やっています」と、かみさまに ほうこくするための、せかいきょうつうの サインだから。が好きでした。この本を読もうと思ったのは、前に「『子ども』という存在」みたいな講演を聞いたあとに、私って結局その子の「結果」しか見ていないよなと思ったから。たとえば、朝に子どもが牛乳を椅子の上に置いて、派手に零したとするじゃないですか。どうする?私なら、「あーーーーーーー!!!!」ってめっちゃ叫んで、「なんで椅子の上にコップ置くの!!」って言って、「あーもう床びしょびしょやん!」「服もまた着替えなあかんやろ!!」「はよ着替えて!!」「さっきので牛乳もうないで!!!」みたいな感じになっちゃうわけですよねー。自分で書いてて嫌になるわー。それで、ここに何が欠落しているかっていうと、「りゆうがあります」なのですよ。子どもは、子どもなりの考えと理由があって、椅子の上に置いたわけですね。まあその試みは失敗して、牛乳零しちゃったわけだけど。それでさっきの私は、ひとつも、これっぽっちも、そこを訊いてないわけ。もしかしたら牛乳零したこと自体が目的だったかもしれないのに。私、前に書いたんですけど、2019.03.16「理想の子育てをあらわす言葉」子どもが何か夢中でやっているとき(それはたいがい、大人から見たら「なんでそんなことしてんねん」って場面捉えてコラァ!って言うようなことなんですが)、それを脊髄反射的に怒るんじゃなく、「信じて待つ」ということが出来るようになりたいんですよね。理由があるんだろ?戻しとけよって。まあその道程ははるか遠く、相変わらず「コラーッ!」って口を突いて出るんですけど。子どもとこの絵本を読んで、お互いに「りゆうがあります」って思えたら良いなと。結果だけを捉えて子どもを断罪しちゃうときって、疲れているときが多い。だから、ブチ切れてしまう時、「ああこれは、私は『怒りたくて怒ってる』んだな」と最近気づくようになりました。あんた疲れてるねんて。はよ寝たほうがいい。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.06.16
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書名あんなに あんなに (一般書 337) [ ヨシタケ シンスケ ]引用あんなにあんなにあんなにいろいろあったのにまだたりない感想2023年115冊目★★★ヨシタケシンスケさんの絵本。でもこれ、「子どもが巣立っていった親」に読んでほしい一冊。あんなにちいさかった子どもが、いまではこんな。過去のさまざまな思い出が蘇る。最近、保育園や学童にお迎えに行った時、ぱっと顔を輝かせて飛び出してくる子どもが、自分の前もって想定している大きさより大きくて驚く。毎日毎日家で会っているのに、毎日毎日驚く。いつの間に、この子はこんなに大きくなっていたんだろう。シャンプーをするときの頭が、前よりももっと高いところにある。お風呂に3人で入るのが窮屈になってきた。小2の娘は、もう立ったまま抱っこすることは出来ない。座って抱っこしてもはみ出してしまうようになった。漢字を書き、2桁の繰り下がりの計算をする(!)。年長の息子は、自分で着替えをし、歯磨きをするようになった。抱き上げるのが辛くなってきた。保育参観に行けば、あの子がみんなと一緒に集団行動を(!)。生まれたばかりのふにゃふにゃの、得体のしれない生き物。ここはどこ?わたしはだれ?なんにもわかってない顔で、宇宙人みたいな目で世界を見ていた赤ん坊。あんなに、あんなに、手がかかったのに、大変だったのに。それが、たった数年で、こんなに。彼らは走っていってしまう。駆け抜けて、前だけ向いて。映画「マンマ・ミーア!」の「Slipping Through My Fingers Scene」を思い出した。息子と私の横を、3人乗りのママチャリが走り抜けていく。先頭はお母さん。その後ろを2台の自転車が付いていく。あそこに乗っていたちいさな子たちは、大きくなって、自分で自転車を漕ぐようになった。そうしてこれから、自分の力で、好きなところへ行ける。お母さんの自転車の後ろを付いていく自転車は、1つ、また1つと減るだろう。そうしていつか、お母さんはひとりでその自転車に乗る。前と後ろには、スーパーで買った荷物を入れる。その時に思い出す。抱き上げて載せる時の重さが日に日に増していったこと。泣き喚いて暴れてベルトを止めさせてくれなかったこと。雨の日にカバーをかけると悪戯っぽく目を輝かせたこと。自転車の座席で寝てしまい荷物を手に途方に暮れたこと。あんなに、あんなに、小さかったのに。あんなに、あんなに、一緒にいたのに。彼女は夕暮れに一緒に歌ったうたを、ふと思い出して口ずさむだろう。風の音にかき消されて、よく聞こえなかった競い合うような甲高い声。あのとき聞き逃した言葉をもう一度ーー何度でも取り戻したいと願う。通り過ぎていく自転車の後ろ姿を見送り、私は息子の手を握りしめる。そうしていつかの自分の背中を見送る。年老いた彼女は駐輪場に着く。自転車を止めて荷物を持ち上げる。空っぽになった子どもの座席。それでも、まだ、こんなに、こんなに、いっぱい。にほんブログ村ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。
2023.05.30
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本のタイトル・作者にげてさがして [ ヨシタケシンスケ ]本の目次・あらすじもし、自分に、ひどいことを言ったり、する人がいたら?君は、逃げていい。逃げるんだ。君を守るために。そうして―――。引用にげて さがして、うごいて うごいて、どうか いつか きみにすてきな なにかが、すてきな だれかが、みつかりますように。感想2022年228冊目★★★★私が学校図書館で司書教諭をしていたら、新学期前に絶対この本を並べる。二学期を前に娘に、と思って自分のほうが泣きそうになってしまった一冊。ハンディな小さめ判型の絵本。いじめ(という名を隠れ蓑にした暴力などの違法行為)を想定した絵本かな、と思っていたんだけど、いやこれ大人にこそ刺さる。パワハラ、セクハラ、モラハラ、なんでもとにかく、そういう目にあっている大人。ここにいて、踏ん張って、頑張らないと、と思っている人。そのために自分が傷ついて、ぼろぼろになっている人。逃げよう。逃げるは恥かも知れないが、役に立つのだ。逃げて、探しに行こう。ここしかない、と思わされているなら、そんなことはない。自分に言い聞かせるように、そう思った。あの人はどうしてあんなに、わたしのことを嫌うのだろう。無視され、嘲笑され、怒声を浴びせられ、それでも私は平気なふりをしなくちゃいけないのかしら。何でもないように。こんなことも知らないのと鼻で笑われ、お前は間違っていると発言するたび罵られて。それでも黙ってここにいなくちゃ、いけないのかしら。私はもうね、その人と極力接点を持たないようにしていて、とにかく接触を減らすようにしている。その人のほうを向かないし、コピー機のところにいたら印刷しに行かないし、トイレも一緒にならないようにしている。ここにいることしかできないなら、そうするしかない。関係が悪いことは上司にも年度当初から伝えていたけれど、それでもこれじゃいけないと思って頑張った。でもだめだった。私はもう、仲良くなろうとする努力をやめた。私を傷付ける人に、私は優しくしなくていい。全ての人に好かれようと思わなくていい。相手が私のことを嫌うのは、私にはどうすることも出来ないのだから。私の何が悪かったのだろう、どこを直せばいいのだろう、と思い悩むより。前を向こう。自分のことを考えよう。稚拙なあれこれにかかずらっている暇はない。私にはたくさんやりたいことがある。やるべきことは山ほどある。私はただ前を向いて進む。私が悔やむとしたら、それは私のことであって、他人のことではない。そうしたらね、だいぶ楽になった。とにかく接触を減らして、心理的に切り離す。これもひとつの、「逃げる」だ。でも、同じ空間にいる限り、不意打ちのように攻撃を受ける。馬鹿みたいにまともに食らってしまい、やはりダメージは受ける。だから、子会社出向の打診を水面下で受けた。自分を守るために。まったく自分の行きたい方向ではないけど、それもいいかと思って。転職するのは、今の状況と環境だと難しい。ならば出来る範囲で、変えてみよう。にげて、さがして。転がって転がって、思っていたところとぜんぜん違うところへ。転がって転がって、思っていたものとはぜんぜん違うものがくっついて。ねえ、きっとそれも楽しいよね。いったい私は、何になれるんだと思う?いったい私は、どこへ行けるんだと思う?探す、というのは主体的な行為であるけれど。そうじゃなくてもいいんじゃない?とも思うのだ。キャリア形成、という言葉に違和感があるのはそれだろう。会社の都合であちこちの部署へ都合よくやられるなかで、どんなキャリアプランを描けると?人事に翻弄されて、駒のように並べられて。けど、どんな場所でも学べる。「学ぼう」とするその姿勢ひとつで。知らなかったことを知るのは、楽しい。出来なかったことが出来るようになるのは、嬉しい。にげて、ころがって。転がって転がって、私はその過程を面白がりたい。転がって転がって、△で□な私が、最後に○になれたらいいな。↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.09.05
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本のタイトル・作者いっしょなら Together [ ルーク・アダム・ホーカー ]本の目次・あらすじそして、大きな嵐がやってきた。ひとびとは家にこもり、嵐が去るのを待った。引用日々の暮らしが、動きつづける機械のように思えることがある。たち止まる時間なんてどこにもない。時計の針はカチカチを音をたてて進み、人はいつだって、足早にどこかに向かっている。忙しすぎて、考えるひまさえなくて、ただ押し流されるようにして、同じ毎日をくりかえす。流れ去る日々に目を留めることもなく、人は毎日を駆け抜けてゆく。感想2022年021冊目★★★★黒い嵐が世界を覆う。コロナを嵐に見立てた大人の絵本。けっこう分厚い。世界同時期印刷(日本、イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカ、オランダ、ポルトガル、韓国、中国、台湾)らしい。絵が、ペン1つで描かれたモノクロで、すごーーーーく素敵な絵。黒い嵐(コロナ)の不穏さや、さびしくてかなしい感じが、白黒の画面からよく伝わる。空白の使い方、絵の配置がかっこよくて、構図もすごくて、絵がほんと良い!!コロナの中において、私たちが失ったもの。でもだからこそ、気付いたこと。人とのつながり。みんなが同じことを言っているけれど、きっとそれらはすぐに、元の生活に戻れば忘れられてしまう。残しておかなくちゃ、この時のこのことを。絵本の中に「これまでもずっとあった隔たり」という言葉がある。ダライ・ラマ法王が、今は世界中の人と繋がれるけど、隣の人とは話もしない、というようなことを仰っていたことを思い出した。引用部分の、「元の世界」。ビフォー・コロナの世界。でも私が送っている日常は、相変わらずそのまま。朝、満員電車に揺られて会社へ行く。人波に揺られて階段を昇る。黙々と進む人の群れ。誰も話さない。無表情に、無感情に、流されて行く。私はいつも、チャーリ・チャップリンの「モダン・タイムス」や、手塚治虫「ユニコ 魔法の島へ」を思い出す。自動的に、淡々と動作するヒトの機械。そして自分もその一部であることにぞっとする。ベルトコンベヤーに載せられた商品みたいに会社へ着く。本当はこんなことを、しなくてもいいはずなのに。この情報化した社会で、もう、必要のないことがあるのに。それでも慣習は変わらない。劇的に変わっていく社会で、やり方を変えないものが残る。急がずに、ゆっくりと。スローダウンしよう。もうじゅうぶんだ。小さくしよう。便利さを、過剰さを、拙速さを。そうすれば、できるんだろうか。正義に目を瞑らず、人の道に悖らず。違和感を見逃さず、他人にやさしく。毎日感染者数が更新される。外国の数万人、数十万人の感染者を眺めていたのが遠い昔のことのよう。寒い中、ひしめきあう階段を昇る。心を無にしながら。みんな、身を低くして、嵐が去るのを待つ。長い長い嵐だ。どうせなら世界は洗われて、新しくピカピカになればいいのに。どうにも私たちはすぐに忘れてしまい、後には黒い影が残るようだ。だから、嵐のただなかにいた時に、何を考えていたのか。思っていたのか。覚えていて。忘れないで。これまでの関連レビュー・年収200万円でもたのしく暮らせます コロナ恐慌を生き抜く経済学 [ 森永卓郎 ]・パンデミックブルー(感染爆発不安)から心と体と暮らしを守る50の方法 [ 古賀良彦 ]・コロナ後の世界を生きる 私たちの提言 [ 村上陽一郎 ]・コロナ後の世界 いま、この地点から考える [ 筑摩書房編集部 ]・なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない [ 辻仁成 ]・コロナ禍日記 [ 辻本力 ]・武漢支援日記 コロナウイルスと闘った68日の記録 [ 査瓊芳 ]・コロナの時代の僕ら [ パオロ・ジョルダーノ ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.01.30
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本のタイトル・作者いつか あなたを わすれても [ 桜木 紫乃 ]本の目次・あらすじさとちゃんは、ママのおかあさん。わたしのことを、ママだと思い、ママのことを「親切な方」という。引用「もしも いつかあなたを わすれる日がきてもわすれてしまう あれもこれも みんな なかったことでは ないのだからあんしんしてねあなたのしあわせを いのっているときがどれだけこうふくかいまなら わかるの」感想2022年020冊目★★★大人のための絵本。認知症になったおばあちゃんと、お母さん。お母さんと、娘である私。孫の視点から見た「母子」の物語。家族じまい [ 桜木紫乃 ]のバージョン違いのような。著者のコメントで、ご自身の体験をもとに『家族じまい』『いつかあなたをわすれても』を書かれたそうだ。母が自分を忘れたら。ショックなのかな、やっぱり。ショックだろうなあ。父が私を忘れても、たぶんそこまで悲しくない、気がするのに。(ひどい)この「母子」の濃さというか、割り切れのなさ。なんというか、裏切られたような気がするんだと思う。何もかも忘れてしまって、この人が私に背負わせたものもみんな忘れて。しかたないこと。これは順番。自分に言い聞かせても、忘れないでよ、って詰ってしまいそう。忘れないでよ。思い出を、置いて行かないで。女の子と女の人の違い。守ってもらう存在から、自分を守れる存在へ。文中に、さとちゃんは娘の成長を嫉妬したという表記がある。私の母も、そうだったのかな。私も、そうなるのかな。著者は認知症の母との関係を「親子の絵に余白がうまれて、完成に近づいた」という。いつか私は「忘れていいよ」と言えるかな。忘れていいよ。怖くないから。悲しくないから。黒い言葉を、真っ白に塗り替えて。すべてゆるして、ゆるされて、最後を待つ。そんな時を、迎えられるだろうか。オザワミカさんの、簡略化されたイラストも素敵。線がほとんどなく、配置の見せ方が上手い。これまでの関連レビュー・家族じまい [ 桜木紫乃 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2022.01.29
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