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昨日のブログで、見知らぬ女性からのトラックバックが多いという記事を書きましたら、今日も5件ぐらい立て続けにスッチーだの、女子大生だのと名乗る(実は男性なのでしょうが)トラックバックを頂きました。わたしもそんな記事を書いてましたから類は類を呼ぶというようなのかな?。とりあえず削除しておきましたが。 まあ気分を取り直して今日は料理のお話でも。 3月も30日となり、3月も残すこところ後1日、このあいだ正月やったと思ったらもう4月です。早いものですね。 さて新島での任期を終え離島される公務員の方は、たぶん明日か明後日を予定している方が多いのではないでしょうか。わたしも今晩は、新島で親しくしていただいて明後日離島する方を囲んで、仲間とちょっしたお別れパーティーをしました。 といっても豪勢な料理を作るわけではなく、ホットプレートを用意して、もんじゃ焼きと焼きうどんパーティー。男だけの集まりだったので、すごい手軽で、色々話して飲みながらジュウジュウ焼いては、つまみながらのご気楽なものでした。 このホットプレートわたしが大学1年の時に買ったものですから、もう15年以上使っている代物ですが、いろんな料理にいかせて、持ち運びやすく、とても重宝しています。たぶんシンプルな構造なので、それが長持ちしている理由なのかもしれませんね。 ところで、もんじゃを自ら作って食べるというのは私にとってははじめての経験でした。その離島される方が、だいのもんじゃ好きで、週のうちに数回はもんじゃを食べているらしく、手早く具を切りそろえては、準備をしてくれました。そしてホットプレートジャ~と流し込んで、少し経ったら出来上がり、すこし焼き焦がしながら食べるとソースの香ばしさが口の中に広がってなかなか美味しいのでした。 さて、もんじゃはそのシンプルさゆえにいろいろトッピングができるようです。ベースとなるのは小麦粉と水とキャベツとソースぐらいで、後は揚げ玉や焼きそばやカレー粉や卵・・・・、なんでも思いついたものを入れられる感じです。ちなみに今日のは、カレー粉・ベビースターラーメン・かまぼこ入りのもんじゃ焼き、準備してくれた本人いわく、これは邪道なもんじゃだ、といっていましたが、いやいやなかなか美味しかったですよ。こんど家の子供たちと一緒に作って食べたくなりました。多分喜ぶだろうな・・・。人によってはモズクを入れたり、駄菓子屋で売っている「よっちゃんイカ」を入れるマニアもいるとか、まあつまり自分が気に入ればなんでも良いのでしょう。 シンプル・ザ・ベスト。シンプルこそ可能性が広がるのかもしれませんね。今晩はもんじゃの偉大性に惹かれました。 ホットプレートのシンプルさにもね。
2006年03月30日
このブログを書き始めてもうそろそろで3ヶ月になります。自分でいうのもなんですが、飽きやすいわたしにしてはよく続けているものだと感心しています。あまり読んでくださる人のことなども考えずに、ただただ自分の思ったことを書き綴っているという、まあ自己満足みたいなところが続いている秘訣なのでしょうか。まったく画像ものせていませんし、少し字を大きくしたのが唯一のサービスといえばサービスなのかもしれません。 はじめてブログを書きはじめるにあたって「ブログ入門」みたいな本を買って読みました。そうしたらなんとブログで商売もしている方がいるということが書いてありました。さぞかし面白いブログをつくり、商品などを紹介しながらご商売などされているのでしょう。まあわたしのブログとはまったく縁の無い世界のことですが・・・・。 またその入門書によると、ブログではトラックバックということができるということが書いてありました。最初何のことやら分かりませんでしたが、実際ブログをはじめてみたらトラックバックの意味もわかってきました。つまり自分の書いているブログ記事と関連があるようなことを書いてあるブログ記事をお互いリンクすることができるわけですね。 ところで最近わたしの記事にもトラックバックが頻繁にされるようになってきました。やはりコツコツ書いているとトラックバックをしてくれる人も増えてくれるものなのだな~と感心していましたが、不思議なことに女性の名前の方がとても多い。または女性教師だとか、看護婦さんだとか、あれっ俺ってこんな名前の人と知り合いいたかな?なんて思っていました。はじめトラックバックの使い方よく分からなかったのですが、あれってトラックバックしてきた相手のブログを見ることができるのですね。先日それに気がつきました。 そこでそれらのブログを拝見させていただきましたら、そのほとんどがHブログ。可愛らしい女性の写真やチラリズム的な写真、まあ中には全裸の写真などが載っていたりします。またかつて『平凡パンチ』の連載にもあったような官能小説みたいな記事があったりして、ブログってこういう使い方もあるんだ~とちょっと感心してしまいました。 せっかくなんでいくつか読んでみていましたら、中には文章的にも起承転結がすごく良く、なかなか読ませるブログ記事もあったり、詩的なフレーズが挿入されていて構成が素敵なものなどもあったりと、「なるほど、人を惹きつける文章とはこう書くのか」と逆に勉強させられたりしてしまします。それに女性の写真には自然に目がいってしまいます。まあ男のサガみたいなものでしょう。 やはり画像の情報量ってすごいですね。一目で色々イメージできてします。 いずれ自分のブログに画像をのせるのは必須でしょうね。
2006年03月29日
時々島外から農園をたずねてくれる園芸屋さんの口癖に「一円融合」という言葉があります。はじめどんな意味だかわからなかったのですが、小学校などに必ずある金次郎の銅像(薪を担ぎながら本を読んでいる像)で有名な二宮尊徳が普及した考え方だそうです。 その園芸屋さんが言うには、「2人の結びつきは線でしかないけれど、3人であれば三角形になり、4人では四角形、これが6人・8人・10人・・・・・と増えていけば限りなく円に近くなってり一円になる。ビジネスを成功させるというのはそういう輪を作っていくことなのだ。」ということです。なるほどな~と聞いていたのですが、先日ネットで「一円融合」の意味を調べてみたら、「すべてのものは互いに働き合い、一体となって結果が出るという教え」と書いてありました。 確かにある目標に向かって一人でガムシャラにやったところで、いくらその個人の能力が高くとも、おのずと限界はあるでしょう。しかしある目的に対して参加者が増え、そしてその参加者それぞれが受益者となれる場合は、一人では破ることができなかった限界を超えることも確かにできると思います。そのとき大切なことは、その参加者のなかに一人勝ちが生まれたり、またある特定の人たちだけが利益をえたりすることにならないような仕組みにすること、つまり参加する人たちが自分の欲する益を(別に金銭的・物質的なものだけでなく、精神的なものの場合もあるのかも)得ることができるようにすることなのでしょう。そうしなければその一円はいずれもろくも壊れてしまうに違いありません。 今日この3月で離島される方と夕食をともにしました。その方は森林保護のボランティア活動などに参加したり、そうした活動に携わる人や団体の方たちと広く交流したりされている方で、お話を聞いていてとても勉強になりました。その方のお話の中で特に興味をひかれたのは、「人と人とのネットワークつくりの大切さ」ということでした。 自立した個人や団体が、ネットワークを構築し、ある目的にむけてそれぞれに受益が生まれるように事業をすすめていくことが大切のようです。確かに企業などの営利組織でも、NPOやNGOなどの非営利組織でも伸びている組織は、いい形で人のネットワークが出来上がっているのではないでしょうか。そういう仕組みができたらきっと楽しいだろうなと思うとともに、いろいろな人とつながりを持っていったらきっといいことも生まれてくるんじゃないかなと想像しました。
2006年03月28日
何事もそうですが、はじめてそれを試みた人というのは本当にすごいと思います。例えば納豆。納豆をはじめて食べた人の勇気、計り知れません。例えばキノコ。まさに人体実験の連続だったのではないでしょうか。そういうものの新島の代名詞といえばクサヤでしょうか。はじめて食べた人のこと本当に尊敬してしまいます。だってこんなにも旨いものの存在を知らししめたのですから・・・。 ところで農業では接木という技術を使うケースが多々あります。あるかんきつ類の木の枝に、その品種とは違うかんきつの枝を接ぐということは頻繁に行われる技術です。これにしてもはじめて接木を試みた人の発想というのは何とすばらしいのでしょうか。普通2つの異なる植物をつなげてしまおうなんて考えませんよね。私など多分何百年生きようともそんな大胆なことは思いつかないでしょう。 ところで農園では接木苗生産の真っ最中です。キュウリ・スイカ・メロンの接木を行っています。キュウリとメロンの場合はカボチャを台木に使い、スイカには夕顔を台木として使います。 まず接木を成功させるポイントは、台木と穂木がちょうど接ぐのに適した大きさになるように種をまくことです。例えばキュウリとカボチャでは、キュウリのほうがカボチャより発芽が遅いので、キュウリを数日早くまくこととします。 次のポイントは台木と穂木の切り方。ウリ科の苗というのは茎の中心が空洞の円柱型をしています。そしてこの円柱の部分を通して、水分や養分を上げ下げししています。ですから台木と穂木の円柱部分がきちんと合うようにつぐことがたいせつです。 それから接いだ後の温度と湿度と光の管理も重要です。温度も下がりすぎず、上がりすぎないこと。また乾燥させないこと。あまり強い直射日光を当てないこと。そういった点を注意しながら管理をしていきます。 接木の作業は農園の女性スタッフのみなさんがやってくれていますが、毎年毎年腕をあげてきていて、またスピードも速くなってきています。年度末の何かと忙しい時期ですが、毎日がんばってくださっています。本当に感謝です。 春の接木作業は6月上旬まで続きます。
2006年03月27日
3月も最終週にはいりました。別れの季節です。 昨日今日のお昼の時間、東京行き大型船が発着する新島港へ離島する方々を見送りに行ってきました。教師や警察の方、また長年島に住んでいて島を離れる方など多くの人がこの時期新島を離れます。また就職や就学で離島する若い人もいます。そうした方々の中には、家族で移る方も多いので、相当数の方が離島されていくのではないでしょうか。 港ではここ数日間、毎日のように大勢の見送りの人でごったがえしています。船が波戸場から離れる前には、船にのった離島される人々と、岸にいる見送りの人々が赤や黄や緑の紙テープで何本も何本もつながれます。そして船が汽笛ともに少しずつ岸を離れていくと、「ありがとう」とか「さようなら」といった声とともに、その紙テープはまっすぐにピーンと張られ、そして次第に1本1本切れていき、最後には切れ端が、海面を漂うのです。 船での別れというのは、船自体の速度がスローなせいなのか、また手を振る人々の顔が徐々に小さくなって見えなくなってしまうせいなのか、海という広い世界に船が飲み込まれていくような光景のせいなのか、わかりませんが独特の感傷をもたせます。 確かにこの3月という季節は日本中の多くのところで別れが繰り広げられているのでしょうが、島での別れというのは、今後まるで本当にその人と会えなくなってしまうのではないか、と思えるような気持ちにさせられます。周りを海に囲まれているというのがその理由なのかもしれません。 狭い空間で暮らしていると、人々の生活が近く自然に他の人の暮らしが目に入ってきてしまいます。そうしたいつも身近な人たちと、ある日を境にパッタリと会わなくなり、まさに消え去ってしまうのです。つまりいつも聞いていたあの子の声がピタッと聞こえなくなるのです。まるで異次元の空間に吸い込まれてしまったように。 ただ人は別れを通して成長するともいいます。こういう経験が生きていくことの深みをましていってくれているのかもしれません。 4月には新しい人たちがたくさん新島へ来ることでしょう。また出会いがあります。プラス思考で気持ちを切り替えていきたいものです。
2006年03月26日
農園では3月20日より春夏苗の販売が始まりました。 毎年のことですがこの時期なりますとまるで新年を迎えるようで、気持ちが引き締まる思いがします。2月中旬からはじまった種まきから、温度・湿度・光の強さ・水分調整・病害虫などに注意を払い育ててきた苗が、一つの商品として販売されていくわけです。当然うまくいかないことも多く、お客様からもクレームを頂くこともあります。けれどちゃんと原因を解明して整理できれば次は修正がきくわけで、その経験が農園の財産になっているわけです。 だんだん日の昇る時間が早くなり、ハウス内の温度もあがりやすくなってくると、当然ハウスの窓を開けたり、温床のカバーを開けなくてはいけない時間も早くなってきます。朝早く農園に行ってそうした一連の作業をするわけでが、カバーをパット開けると朝日に浴びた苗たちがいっせいに目に飛び込んできます。わたし自身も朝の新鮮な空気をすっていて気持ちいいせいかも知れませんが、土から芽を出したばかりの子葉や、昨日より大きくなった本葉をみるととてもすがすがしく思えてきます。 ところで今年は協和種苗の「坊ちゃんカボチャ」というミニカボチャの苗を新しく導入しました。すごく作りやすい上に、たくさん実がなって、とても美味しいカボチャで、一つ500gぐらいと小さいので使い切りやすい便利なカボチャです。協和種苗でもかなりの自信作らしく、数年前から力を入れて販売しているようです。 ミニカボチャの苗は3年前ぐらいから農園でも販売するようになり、年々販売本数もう増えてきましたが、今年「坊ちゃんカボチャ」を導入したことで、さらに多くの方に買って行っていただいています。第1回目の販売苗はすでに売り切れてしまい、仕方なく第2回目の小さな苗を陳列していますが、それでも構わないと皆さん買っていってくださっています。ただそれに比例して普通のカボチャの苗が昨年より売れ行きが少なくなってしまっていますが・・・。なかなか売れ行きを予想して種まきをするのは難しいことです。 明日は日曜日、天気も悪そうでないので、みなさん野良仕事などいかがですか。
2006年03月25日
農業の世界にあまり興味がない方には、農業系出版物といってもあまりピンとこないかもしれませんが、ちゃんと農業系の新聞や雑誌などが世の中(日本)に存在します。農業系新聞で一般的なのが「日本農業新聞」でしょうか。これは一般の5大新聞などのように新聞休刊日を除いて毎日発行されています(「全国農業新聞」というのもあります)。また月刊誌では「現代農業」や「家の光(宗教誌ではありません。JA系の雑誌)」、「農耕と園芸」「農業経営者」などでしょうか(会員限定ですが、タキイ種苗やサカタの種から出されている月刊誌もあります。)。それ以外にも季刊号の雑誌もあったり、NHKの「趣味の園芸」も確かに月刊ですね。 それぞれの出版物に個性があって色々特集が組まれたり、新技術が紹介されたり、地域の取り組みが紹介されたり、知らないことを教えてもらったりしてなかなか面白いものです。 先日も日本農業新聞の子供向けコーナーに「ス入り大根ができる理由」が書いてありました。いままで私は大根がス入りするのは生殖成長に変わるから(つまり花を咲かせようとするため)だと思っていましたが、正確には老化現象なんだそうです。つまり老化してくると葉が養分を作る力が弱くなって根に養分を送ることができなくなります。その結果生きている大根は呼吸で根の養分を使ってしまうので、根がスカスカになってしまうそうです。 大根の収穫適期というのは一週間ぐらいだそうです。本当に美味しい大根を食べれる時期というのは実は短いんですね。それからス入りがしているかどうかを知るには、葉の付け根から3センチぐらい上のところを切ってみて、切り口に隙間があったらス入りと考えてよいとのことでした。 色々勉強になります。
2006年03月24日
昨日もブログに「彼岸も過ぎ・・・」なんて書いていましたが、まだ彼岸中でしたね。彼岸の入りが3月18日で、お彼岸は1週間ですから、最終日は明日となるのでしょか。すいませんでした。ちなみに秋のお彼岸は、秋分の日をはさんだ前後3日間のはずですから、9月20日~26日までとなるようです。 さて今日は島の70代の農家のおばさんたちから新島で作られるそれぞれの野菜の播種期と収穫期の聞き取り調査をしました。なぜこのような聞き取り調査をしたかといいますと、最近島内の農家さんたちから島で作られた野菜を小中学校の学校給食や保育園、老人ホームなどで使うようにできないだろうかという声が寄せられていまして、それを実施する事前準備として、収穫期を把握するための資料が必要になったからです。 わたしも新島に5年暮らし、農家の方々とのお付き合いも広くなってきていますので、栽培暦の大体とことはわかっていたつもりでしたが、いざ聞いてみると知らないことも多くとても興味深い調査となりました。 例えば種を播く時期ですが、3月下旬と9月中下旬にピークがあることが分かりました。一般的に夏野菜といわれるトマト・キュウリ・ピーマン・ナスなどという夏に収穫される果菜類は3月下旬に種まきするのがよいようです(これは種から露地に播くケースということでして、現在のように施設を使って温度をかけて育苗をしている場合は2月ぐらいから播きはじめるわけですが・・・)。この3月下旬というのがちょうど春のお彼岸明けぐらいをさしているようです。以前都内の農家さんから、露地への野菜の種まきは桜の咲く頃がよいと、うかがったことがありますので、新島はそれより幾分早く種を播くことができるようです。 また秋野菜と呼ばれるキャベツ・ブロッコリー・白菜・大根(これらの野菜は春取りもできるが・・・)などは、露地播きならば9月の中下旬に播くのが良いそうです。210日といいまして、立春から210日目ぐらい(9月1日あたり)には台風が来ることが多く、農家にとっては厄日です。それが過ぎた頃に播くのが天候的にも温度的にも適しているのかもしれませんね。これもちょうど秋のお彼岸前とかお彼岸中という時期となります。 昔から自然相手に仕事をしている方は、このように季節や暦の変化を感じながら仕事のスケジュールをたてているのだな~あらためて再認識させてもらいました。
2006年03月23日
「寒さ暑さも彼岸まで」というとおりお彼岸も過ぎ、最近は朝晩もそれほど冷え込む日もなくなって、春らしい陽気が感じられるようになってきました。 農園では20日よりかぼちゃの苗の販売が始まりました。毎日10名くらいの方が訪れては、カボチャの苗を買っていってくれています。今年は普通の大きいカボチャ以外にも、手のひらサイズのカボチャが収穫できる「坊ちゃんカボチャ」の苗も販売しています。予想していたよりも「坊ちゃんカボチャ」の売れ行きがよく、ちょっと驚いています。小さな食べ切りサイズのカボチャのほうが便利なのでしょうか。 さて新島特産のアメリカ芋(白いさつま芋)も先週ぐらいから芽がいっせいに地上にのび出してきました。1月下旬から温床内で芽だしをしたせいか、例年より早い芽の息吹のようにも感じます。ただ気の早い人ですと4月下旬ぐらいから苗を欲しがる方がいますので、早く芽が出ることにこした事はないのですが・・・。 ところで先週、村内の焼酎メーカーさんのところで農家さんも交えてアメリカ芋の生産・購入計画について話し合いをしました。その焼酎メーカーさんでは、2年ぐらい前より地元のアメリカ芋を使った焼酎の製造をしています。大量生産ではなく、地元産の芋だけを使い、毎年数樽だけ仕込んでいます。去年、一昨年と出来上がった芋焼酎を飲ませてもらっていますが、飲みやすく仕上がった美味しい焼酎です。 今年はアメリカ芋を最大4トンまで仕入れて焼酎作りをしたいということでしたが、その4トンのアメリカ芋を生産するのに必要な面積や苗の本数、また生産コストなどについて農園も相談を受けました。試算したところ、一代表的なさつま芋である紅あずまに比べて収量が落ちるアメリカ芋の場合、4トン生産するのに約40アール(4反)必要であること、苗は最低4000本は必要なことなどが分かりました。また生産原価につきましても地元の数件の農家さんからヒアリングをして、反当りの大体のコストも見えていきました(時給をいくらで計算するかにもよりますが・・・)。 今回の話し合いは、苗を植え付ける前の今のうちに、島の農家さんに焼酎用のアメリカ芋の生産をお願いし、必要量をちゃんと確保できる計画をたてようという目的もありました。今の段階でしっかりと割り振っておくことが必要量を確保することに重要だと考えたからです。 地元で生産される珍しいさつま芋を原料に焼酎を作るなんて、とても夢があることだと思います。農家さん側からしても購入価格を設定してもらって生産するのは安心感がありますし、自分が作ったアメリカ芋が地元で焼酎に生まれ変わったというのは農家さんにとっても誇りになるのではないでしょうか。 ますます人々に愛されるアメリカ芋焼酎に育っていってくれたら嬉しいです。
2006年03月22日
今晩は村内の居酒屋さんで、農園の歓送迎会をやりました。(こう書いていると毎晩出歩いているようで申し訳ないのですが・・・、そろそろこんな生活もおわりそうです。) 現在農園のスタッフは5名います。その中のお一人がご主人の仕事の関係で離島されることになりその方の送別会と、それから今年の2月から新しくスタッフに仲間入りしてくれた方が1名いましてその方の歓迎会をやりました。 農園では育苗期など忙しい時期には5名くらいのスタッフが、また通常時でも3名のスタッフが仕事をしてくださっています。また特に特に忙しいときにはシルバーさんが4~5名ぐらい入りますので、ピーク時には10名ぐらいのかたが農園で働いてくださいます。(最初はどう仕事を段取りすればよいか戸惑いました。) わたしも5年間担当者としてここで働かせて頂いていますが、過去に15名くらいのスタッフの方といっしょに働かせていただきました。そして皆さんに仕事をお願いすることでわたし自身色々と学ばせていただいています。 仕事をすべて一人でやることはできず(特に事業が広がってくると)、他の方にお願いすることも多くなってきます。そうした中で痛感するのが、担当者としてのわたしの説明力や、また相手の状況を理解する能力などがとても大切だということです。これら両方に苦手なわたしは、たくさんたくさん失敗もしてきましたが(現在も失敗している)、そのたびにスタッフの皆さんに助けられています。 これからも農園で働いて下さる方が、気持ちよく仕事ができる状況を少しずつですが築いていき、さらにいい仕事をしてもらえるような環境をつくっていけたらと思っています。 今晩の会も、女性がほとんどということもあり、ギャハッハッハ、と笑いながら楽しく終わりました。
2006年03月21日
3月ということで、何だかしょっちゅうのようにお別れ食事会をしています。今晩もお世話になった警察の方との食事会を知り合い宅でやっていました。(お世話になったといっても刑務所とか取調室でお世話になったというわけではありませんが・・・・) 食事も済み、子供を遊ばせながらゆったりしていましたら、ソファーの上でピョンピョン飛び跳ねていた1歳半の息子がいきなりバランスを崩して床に倒れました。そうしましたらちょうど落ちたところに食事に使った子供用の木製の椅子がおいてありまして、その椅子の角に顔面からぶつかってしまいました。その光景を目の当たりにしたわたしは思わず血の気が引く思いがしました。(実際血の気がひきすぐには動けませんでした。) 幸い目を打ってはいなかったものの、目の上のまぶたがぱっさりきれ、血が流れ出していました。今まさに強烈なパンチを目のあたりに受けノックダウンしたボクサーのような顔になってしまいました。「まぶたは切れやすい」という知識も頭にあったわたしは、医者に見せるべきか、それとも夜も遅いので自分たちで応急処置しておこうかと考えていましたら、その知り合いの方が診療所に電話をしてくれまして、お医者さんに診ていただくことにしました。 新島村には病院はありませんが、村営の診療所があります。常勤の先生が3名いらっしゃっいます。自治医大と順天堂大の出身の先生が勤務してくださっていて、数年間にわたって島の医療に携わってくださる先生もいます。高齢化がすすみ、また小さな子供も多い村では、お医者様は大切な大切な存在です。 今晩も9時ごろだったにもかかわらず、丁寧に診察して頂いて、治療をしてもらいました。わたし自身今回の怪我もほっておいても治るだろうと思っていましたが、やはり先生に診ていただくとホッとしました。 本当にありがとうございました。島での医療活動は専門性を追求するよりは幅広く対応することが求められると思います。医療にする関する広い知識と経験をもたなければ対処できない大変なお仕事でしょうが、頑張ってください。これかもお世話になります。
2006年03月20日
農業の仕事をしているので、旬の野菜というものには多少敏感なほうだと自負していますが、新島に住んで水産物にも旬があることを知りました。 例えばメジナ、時期によってこんなにも味が違うのか・・・とビックリさせられました。はじめて食べたメジナは夏でした。新島へはメジナ狙いの釣り客さんもいらっしゃるくらいですから、メジナとはさぞかしうまい魚だろうと思って食べたところ、率直な感想として、あんまり旨くないな・・・という印象をもちました。 そんなわけでそれ以降メジナを食べようとを思っていませんでしたが、あるとき冬のメジナを食べる機会がありました。それほど期待もせずに口にしましたら、なっなっなんと、うまい!!!。あまりのうまさに皿の上に盛られたメジナの切り身を箸ではさんでマジマジと見つめてしまいました。島の方に聞きましたら、冬場は海水温も下がり、また食べている餌も臭みがないものを食べているから魚も臭みがないのだ、という話をしてくれました。そのとき以来、わたしの中でメジナは常に上位の位置にランクされています。 ところで今日は農園で直売朝市が開催されました。3月ということで観光客の方もいらっしゃってくださり、出品された物のうち多くを売り切ることができました。その中でも特にスゴカッタのが、金目の干物。漁師さんが作りたての干物を干し籠にのせて販売してくれました。金目の赤い色がとても美しく、また肉厚で、見るからにうまそうだな~という感じで、わたし自身買いたいな・・・と思っていました。しかし開店早々大勢のお客さんがその干物に群がり、用意した40枚ぐらい?の干物もあっという間になくなってしまいました。まさにあっという間の出来事、という感じでした。 今回は作りたての干物をちょうど用意してもらえましたが、いつもそうともかぎりません。真空パックを用いて保存可能な形に加工して、ストックしながらいつでも販売できるような体制もできたらと思っています。 あ~だけど本当に美味しそうだったな。
2006年03月19日
今日も飲んで帰ってきましたが、とりあえず午前様ではなかったので、ブログ書かせていただきます。 さて今日は東京都の大島支庁新島出張所が中心となって企画した、村内松植林ツアーが開かれました。羽伏浦海岸側にある林の木々が薄くなっているところに松の植林をしたようです。(わたし自身は裏方として昼食などの支度をしていたので植林はしていないのですが・・・) この活動は島外の2つのNPOと支庁、新島村、村民有志によってすすめられました。参加したNPOのうち1つは国内を中心に森の環境を保全することを目的に活動している団体で、もう一つは日本でボランティア活動をしたい外国人を受け入れたりまた海外でボランティア活動をしたい日本人を送り出したりする活動をしている団体でした。 今回は8名の方がボランティアとして新島を訪れ、植林活動をしてくれました。20代を中心とした若い方でしたが、みなさん新島のことを知ってみたいとか、島民の方と交流したいとか、新島の文化に触れてみたいという思いをもって参加されているようでした。 夜彼らとの交流会に参加させてもらいましたが、外側からみた島の価値みたいなものを逆に教えてもらったような気がしました。新島には色々な財産(文化・自然・人材・産物など様々)が眠っていて、そういう個々の価値をつなげていって線にしていくことで、その魅力に相乗効果が生まれ、その結果新島を訪れたいという人も増えてくるのではないかというわけです。 島外とのネットワークを築き、人の交流(普通の人どうしの交流)をすすめ、こちらもどんどん情報発信していくことで、また新しい価値が創造できるのではないかと感じました。
2006年03月18日
新島では一般的なのかもしれませんが、わたしも昼食はクサヤが定番となっています。 かつてのわたしのクサヤについての知識や経験といえば、新島へ来る前に母校の小泉武夫先生から世界の臭い食べ物ランキングの中で、クサヤは○番である(順番は忘れた)ことを教えてもらったり、また新島暮らしの予備訓練として、珍味を置いてある都内の居酒屋でくさやを少し食べたということぐらいしかありませんでした。しかし今はもうクサヤ抜きの生活は考えられないというくらいまでに成長?しました。 例えば今のわたしであれば、目の前に普通のアジの開きとクサヤが1匹ずつ焼いて出されたら、間違いなくクサヤのほうを食べます。肉厚のムロアジのクサヤを食べたときの歯ごたえや、匂い、そして噛めばかむほどに口の中にひろがる旨み、こうしてブログを書いているだけでもよだれが出てきます。 さて一昨日のブログに東京都食品技術センターの研究員の方々が新島へいらっしゃったことを書きましたが、その内のお一人の若い女性研究員の方がクサヤについての研究論文をいずれ書きたいと考えているという話を聞きましたので、村内の「クサヤの里」という施設にあるクサヤの製造工場へクサヤ加工の様子を見せてもらいに行きました。 わたし自身もはじめてのクサヤ加工場の見学で、すごく楽しみでした。工場内ではちょうどトビウオのクサヤを冷風乾燥機に並べて入れる作業をしていて、あの独特の匂いが充満していました。研究員の方々はその日の飛行機で都内へ帰る予定でしたので、当初服にクサヤの匂いがついてしまうことを気にして工場に入るかどうか躊躇していましたが、最終的には上着を脱いで入ることとしました。 工場の地下にはクサヤ汁のタンクが据え付けてありまして、今回のトビウオを漬けるために使用したクサヤ汁も再び地下タンクに戻り蓄えられる仕組みになっていました。そのクサヤ汁を分析にかけるために少し採取させていただき、さらにクサヤ汁を舐めさせていただきました。クサヤ汁は、想像していたよりは塩気が強くなく、色々なアミノ酸が液の中に溶け込んでいるせいか、まろやかなうまみのある味でした。実際クサヤ汁の塩度は6度ということで、海水の3~4度に比べてもそれほど高いという感じでもありません。 現在新島の中では15件ぐらいのクサヤ屋さんがあるそうです。それぞれ「手前クサヤ汁」があって、味も違うとのことでした。当然住んでいるクサヤ菌も違っていることでしょうね。
2006年03月17日
今日も帰りが午前様になってしまいました。本来ならばブログを書かずに風呂でも浴びて寝てしまうこととなるのですが、先ほど「今日はちゃんとブログを書く」と約束をしてきてしまいましたので、それを実行しなければなりません。 今晩(もう昨日になってしまいましたが)は、新島消防団第4分団の冬期夜間警備のお疲れさん会が分団長宅でありました。新島では12月から2月の西風の強い時期に消防団員が夜間村内を巡回していまして、それが終了したということでの慰労会でした。 10:30頃一度会を閉めましたが、その後数人の団員が残り、世間話や今後の分団の役回りなどを話していましたら、わたしの書いているこのブログの話も出まして、字が小さいということと、字の色が薄いという指摘を受けました。ただただ自分で感じたことを毎日書いているブログですが、結構呼んでいる人がいるものだな~とビックリしました。しかしそのような指摘を受けたからにはすぐに実行に移さねばならないと思い、今回文字を濃くしてまた大きくしてみました。 いかがでしょう?読みやすくなりました? また改行を多くしたほうが読みやすいとか、デザインも季節ごとに変えたほうがいいとか、画像も載せたほうが良いとかいう提案もありました。ただそれにはわたしの日本語文章作成能力をもっと向上させなければいけないことや、デザインの編集技術を習得しなければいけないこと、さらに画像を取り込める媒体をそろえなければいけないことなどありますのでお時間を頂きたいと思います。 わたしのブログはただ書いてはネットの世界に送り出しているだけで、ブログサーフィンを楽しんだり、他の方のブログにコメントを書き込ませていただいたりすることまでまだ余裕がありません。だんだんそういう広い世界のことも知りたいなと思っています。またご指導くださいませ。
2006年03月16日
自分のブログの掲載日を見ていますと、時々書いていない日があります。ブログが書けない日の法則が何かと考えてみたら、夜飲みに出かけて遅く帰ってくる日にブログを書いていないという法則が見えました。そんなわけで昨日も午前様で書かずに寝てしまったのですが・・・・。 昨日と今日にかけて東京都食品技術センターの研究員の方々が新島を訪れました。このセンターは東京都の出先機関で秋葉原にあります。主に東京都内の食品加工メーカーや組合、グループなどへの技術的な支援をしているところです。同じビルに東京都中小企業振興公社という機関もありまして、ここは都内の中小企業の支援のための経営相談や法律相談、新規企画相談などをしています。 今回この食品技術センターの研究員が新島を訪問したのは、一昨年あたりから新島村内で地域の特色を生かした食品加工の開発が盛んになり、島からもいろいろな方が同センターに相談しに伺っていたため、その新島のパワーに押された形でわざわざ現地まで指導に来てくれたのでした。 加工食品の開発には、その商品を完成させるまでに様々なハードルを越えていかなければなりません。当然加工技術も重要なのですが、適正な加工資材の導入、保存性や賞味期限の問題、含有成分や細菌など有無、パッキングや包装の方法、ラベルづくり、販路の拡大など一つ一つ悩みながら問題をつぶしていかなければなりません。そういう点について技術や情報・知識を提供し支援してくるのがこのセンターです。そしてセンター自身多くのネットワークを築いていまして、相談に応じて専門的な加工食品メーカーや資材店や商談会開催の情報などを伝えてくれたり、また一般的には知られていないちょっとした加工のコツ(ミソ・ツボ)などについても指導してくれたりしてくれます。最近は神頼みではなく、まさに同センター頼みで、わたしなど都内に足を向けて眠れない気持ちでいます。 研究員の方が来島さえていた間に、現在島で加工品を製造しはじめている方を集め相談会を開催しました。参加者からは商品の日持ちの問題やパッキングの方法、食品の変質させない方法などが多くたずねられていたようでした。新島のような離島ですと保存性の高い加工品などを開発して輸送のハンディを克服していくことが戦略として大切だと思います。それも地域の個性があふれる商品で、安全で安心なものが今求められているのではないかと思います。地場商品には物語が必要ですね。
2006年03月15日
むかし中島みゆきの作詞作曲で、柏原芳恵が歌っていた「春なのに」という曲がブレークしたことがありました。「春なのにお別れですか~」というサビの部分がなんとも印象的で、そこだけ口ずさんでしまう人も多かったと思います。 さて新島の3月はお別れの季節、まさに春なのにお別れの季節なのです。先日の土曜日には農園の施設を使って、村内で剣道を学んでいる子供たち(父兄も混じって)による送別会がありました。村内の小中学校の子供たちの中では柔剣道を学んでいる子供たちが多くいます。この子供たちには新島警察署へ赴任される警察官の皆さんが代々ボランティアで指導してくれていて、子供たちも常に高いレベルの指導を受けることができます。またこの柔剣道教室は長年続いているとても良い教育の場所ともなっています。 わたしはこの送別会参加者ではありませんでしたので、どなたが送られているのか詳しく知りませんが、年度末ということから推察するに、任期が終える警察官の方や、親の仕事の関係で島外へ引っ越すこととなった子供たちだったのではないかと思います。大勢の方が集まりとても楽しく時間を過ごしているようでした。(そういう楽しい時間がよけい寂しさを感じさせてしまったりするものですが・・・) また昨日は我が家でもこの3月で転勤される公務員のご家族と食事(夕食)をしました。お互い小さな子供がいましたので、いろいろとお世話になりながらお付き合いをさせていただきました。まだ島に居たいな~と思っていらっしゃるようでしたが、そう思って離島されるのはその方たちが新島でいい思い出を持てた証拠なのかもしれませんね。 夕食のメニューは昼間子供たちと摘んできたアシタバやツクシやたらの芽の天ぷらでした。春らしいお別れのメニューだったかな。
2006年03月13日
今晩は久しぶりに強い西の風(冬の新島特有の強い西風)がふいています。海からの塩気を含んだ風なので屋外へ露出した建物や、植物、車などあらゆるものに塩がこびりつく状態になってしまいます。 山育ちのわたしがこの島に住んですごくショッキングに感じたことの一つに、車がさびるということがあります。確かに鉄でできている車がさびるのは当たり前ですし、海岸の車は長持ちしないというような話は以前から聞いていたわけですが、さすがに自分の車のマフラーがくさり、穴があいて落っこちてというのを経験したときには、車がくさるという意味を身をもって感じることとなりました。それ以来村内で走っている車のなかに、扉が半分腐っている車や、ものすごい排気音をたてながら走っている車をみてもさほど驚かなくなりました。 島の車の全部とはいいませんが、そのほとんどは中古車です。つまり海水を浴びたり、塩気のふくんだ風に当たっているあいだに車はどんどんくさり老朽化していってしまうので、新車を買ってきても長くもたせて使うことは不可能で、中古車を買ってきて最後は乗りつぶし廃棄するということが賢明なわけです。新車を買ってしばらく島内で乗った後、それを島外の中古車ディーラーへ売るという人は多分いないと思います。 ここでは一般的に2回または最大3回車検をとるというぐらいが車の寿命らしく、まあ5年から7年ぐらいが妥当な期間のようです。ただ島民の中で少しでも長く車をもたせたいという方は、購入した車が島に着いたらすぐに自動車修理工場へ車を持ち込み、車体の下や扉の裏など可能なところに黒ニスを吹き付けてもらい、コーティングしてもらいます。また海岸に行ったあとは必ず車体下を水で洗い流すということをコマ目にします。そうすることで数年は車の寿命も延びるそうです。 島での暮らしの中でわたしにとっても自動車修理工場はとても大切な存在です。修理をお願いしたり、タイヤを交換してもらったり、バッテリー取り替えてもらったり、ありとあらゆる面でお世話になっています。昨日も農園へ来たお客さんの車のバッテリー接触不良をすぐ来ていただいてなおしてもらいました。まさに車のドクターです。これからもお世話になります。
2006年03月12日
最近自家製の梅酒を夕食に楽しんでいます。別に毎日飲んでいるわけではありませんが、妻とわたしのどちらかが「どう?一杯飲もうか」と切り出して、週に2度くらい飲んでいます。もともとわたしはお酒は強いほうではありませんので、積極的に飲むというタイプではありません。ただ料理の雰囲気とか、飲みたい気持ちが沸いてきたとき自然に妻に呼びかけているようです。(小心者なので自分の分だけ用意して飲むということがどうもできないらしく、飲む仲間を集めてしまう習性がわたしにはあるらしい・・・) 寒さが強かった少し前までは梅酒のお湯割を楽しんでいたのですが、最近のお気に入りは梅酒の炭酸割です。大き目のブランデーのグラスに氷を入れ、梅酒の中で漬かった梅を一つとグラスに落とし、梅酒を注ぎ、炭酸水で割ります(注ぐといっても梅酒用のビンからお玉ですくい上げてグラスにいれているわけですが・・・)。梅酒の琥珀色と炭酸水の連続した気泡がとても美しく、それだけで食事の雰囲気がグエードアップした感じになります。 今飲んでいる梅酒は、平成13年ものの梅酒です。梅をホワイトリカーにつけて氷砂糖を入れただけのものが、時間が経つとこんなにも美味しい飲み物になるのかと感心させられます。グラス片手に炭酸で割った梅酒を飲んでいますと、自家製の梅酒という理由もありますが、この梅酒を仕込んだ時のことが思い出され、そしてこの梅酒の熟成に費やされた4年半とその間に起きた出来事などが平行した時間の中で断片的に思い出され、どこか感慨深くなってしまいます。 梅酒のまろやかさがたまらず、少しずつチビリチビリ楽しんでいますのでいつかビンの中の梅酒も終わってしまうことでしょう。ちょっと惜しい気持ちもありますが、桜も散り際が美しいといいますように、ビンが空になってしまうというやるせなさと、飲んでしまいたいという葛藤がより梅酒の味を引き立てていますので、多分このまま終わりまで飲んでしまったほうがいいんだろうな~。(自分に言い聞かせている) けどちょっと残念な。
2006年03月10日
青年海外協力隊という国の事業があります。都心の電車などに乗っていると時々中吊り広告に「協力隊員募集」というようなフレーズを目にしますから、知っている方も多いかもしれません(発足して初期のころは協力隊と自衛隊の違いがよくわからず混同されていたということを聞いたことがありますが・・・)。先ほどHPで検索してみましたら過去28,000人ぐらいが発展途上国と呼ばれる国々に派遣されているとありましたので、日本の人口を1億2000万人と考えますと、4,000人に1人ぐらいが参加している事業ということになるようです。わたし自身ももう10年ぐらい前ですがこの協力隊の隊員として送り出されたことがあります。 ところで先週の終わり、この青年海外協力隊の活動を支援している(社)青年海外協力協会(JOCA)の知り合いのスタッフから、今週新島を取材したいと連絡がありました。このJOCAでは3年ぐらい前から、帰国した隊員OBやOGへIターンやUターンの情報を提供する事業をしているのですが、その事業がこの3月で終わるということとなり、最後に隊員OBやOGが暮らしている地方へ取材をする企画がまとまり、新島が選ばれたとのことでした。現在新島には私を含め5人ほど協力隊のOBとOGがいまして、人口2,600人の島に5人というのは、とても密度が高いということがその理由のようでした。 昨日の午前中はOBの教員2名が中学校での授業風景を交えて取材をうけ、また午後は子育て中のOG1名が自宅で子供とともに取材を受けました。そして今日の早朝わたしが農園で取材を受け、そのあと教員の奥さんで子育て中のOGが取材を受けました。取材にいらした方もそれぞれのOB/OGから島の魅力あるはなしをたくさん聞けたと喜んでいましたが、あまりにも色々聞きすぎて、どのようにまとめようかな~とちょっと頭を悩ませていたようでした。 取材をまとめたものはJOCAのメールマガジンやホームページなどに掲載するとのことでしたが、読者も数千人はいるといっていましたので、うまく島のPRにつながってくれればと思っています。
2006年03月09日
新島より一つ南の島に、周囲が約12km、面積約4km2、人口が約600人の式根島があります。行政区では新島村に属していまして、新島村の式根島支所が島内にあり、両島の間は”にしき2”と呼ばれる連絡船が朝・昼・夕の1日3便往復(片道所要時間は10分)しています。式根島はとても緑が多く、周囲がリアス式海岸で覆われていて入り江がいくつもあり、自然の豊かなとても美しい島だとおもいます。夏などは家族旅行者が多く訪れるようで、まさに子供たちが絵日記で、「網を持っては山に入り、水中眼鏡を持っては海に入る」といった絵を描くことができるような島でしょう。 さて今日その朝便のにしき2に乗って式根島へ土壌調査へ出かけてきました。背中には膨らんだデイバックを背負い、片手にスコップを持ち、長靴姿で船に乗り込んだわたしの姿から、多分他の乗船客の方は、この人何しに行く人なのだろうか?といぶかしがったかもしれません。新島に5年おりますが、式根島へ渡ることはあまり多くなく、確か10回目ぐらいの訪問だったように思います。今回は4件の式根島の農家さんの畑を訪問されて頂き、色々とお話をお聞きしながら土壌の断面調査や化学的分析をするための土壌サンプルを収集させていただきました。 対象農家さんは、絹さやえんどう栽培が1件、アシタバ栽培が3件でしたが、その中の絹さやえんどう農家さんは大変土づくりに力を入れている方で、山の中からコツコツ自分で集めてきた落ち葉を積んで腐葉土化させては、毎年5トン/10アール当たりいれているということでした(通常バーク堆肥などの施用量は多くても3トン/10アール当たり)。同じ作物を同じ場所で続けて作ることを連作といいますが、このような栽培をすると多くの作目で連作障害が発生します。絹さやえんどうは連作障害が発生しやすい作目ですが、ビニールハウスを使って施設栽培をしているため、場所を変えることはできず、何とか連作障害が発生させず高品質で多収穫できるようにと考えて続けているのがこの落ち葉堆肥の多施用とのことでした。お話の一つ一つから大変ご苦労されて農業をされていることが良く伝わってきました。 来月には今回の土壌サンプルの分析結果も出ますので、また式根島の農家さんを訪問し報告に伺うことを計画しています。
2006年03月08日
2月上旬に村内第1回土壌調査を本村地区の畑を中心に行いましたが、今回2回目の土壌調査を今日よりスタートさせました。今回の調査対象地は、若郷地区の農家さん、式根島地区の農家さんです。また前回調査をした本村地区の農家さんにも分析結果がでてきていますので、それぞれの畑にお邪魔して結果の報告と今後の土づくりの相談にのったりする予定でいます。 今日は若郷地区の4件の農家さんを訪問し、いくつかの畑の土を掘らせてもらったり、分析用の土のサンプルを採取させてもらったりしました。今まで5年近く新島に住んでいますが、なかなか若郷に行って畑の土を調べさせてもらうということはなかったので、若郷の畑の土とはいったいどんな土なのかとても楽しみでした。以前から若郷の土は本村の土に比べ黒く、また粘り気がある土だという漠然としたイメージを持っていたのですが、まず若郷トブネ港の南側の高台の畑の土を掘らせてもらい感じたことは、地表から60cmぐらいまで黒く軟らかい土層が続いていること、また見た感じや触った感じなどからして土の中の空気層や水の層や固層のバランスがとてもよいことが分かりました。多少粘り気があり、水はけもよい土で、前から話に聞いていた里芋がよくできたり、立派な根物野菜ができるという話にも納得がいきました。それから「新島山の畑」の土やトンネル工事のあと新しく造成しなおした「くだまきの畑」の土も掘らせてもらいましたが、それぞれ特徴をもった土であることがよく分かりました。 かつてわたしも土というのを「単なる地表の鉱物」という概念ぐらいにしかとらえていませんでしたが、今農業の視点から土を見てみると、本当に千差万別、世の中に似たような土はあっても厳密に言えば同じ土はありえないということがわかってきました。この周囲28kmの小さな新島でさえ、こんなにも多様な土があるわけで、作物を作るときに他のところでよくできたからここでも同じようにすればよくできるということは通用しないわけです(確かに一般的なマニュアルはありますが・・・)。 「栽培するときにはその土の状態や特徴を良く理解することがとても大切だ。」ということを色々な畑を調べさせてもらうたびに実感してきます。
2006年03月07日
以前都内に暮らしていたときは、いつも建物の中にいるような生活だったため、体で四季を感じるということが少なかったような気がします。確かに桜のように、花を咲かせ、葉の緑を濃くし、紅葉して、落葉する木が都内にもあってそれのうつり変わりを目にすることはできたのですが、どうもその変化を体全体で感じたとい記憶があまりありません。 ところで今新島で植物を育てるという仕事をしていますと、季節というのはちゃんと移り変わっていくものだということを感じるようになりました。島のお年寄りの話に耳を傾けると、「この季節には畑では何をしなければいけない」ということを教えてくれたりします。例えば種まきにしても、「この野菜は何月何日にはタネを播かなければ良いものが取れないのだ」というように、その適期を逃さないように注意をするわけです。 さて今年の3月6日は啓蟄なのだそうです。啓蟄なんていう言葉も以前は自分の記憶に残っていなかった言葉ですが、作物を育てていますと、なるほどうまい表現だなと感心してしまいます。啓蟄とは冬ごもりしていた虫が、土に穴をあけて地上に這い出してくることを指すのだそうです。確かに昨日一昨日のポカポカした陽気を考えると、暖かさに人も浮かれてしまうのですから、虫だって地上に出てきたくなるだろうな~ということが想像つきます。実際農園でも憎きハモグリバエ(このハエは植物の葉に卵を産みその幼虫が葉の中を食害する)もあらわれ、いよいよまた戦いの日々が始まるのだと気持ちを入れなおしたりするのです。 ところで啓蟄とは二十四節季の中の3番目の節季だそうです。今では天気予報のキャスターが時々「今日は大寒ですね」とか「立秋になりました」と節季を教えてくれますが、昔はこの節季を利用して農作業の内容を決めていたそうです。最近農業の分野で節季を再評価したり、また太陰暦を見直す動きがみられます。確かに桃の節句とか、七夕なんていうのも今の太陽暦では何か季節にあわないな~と思えることも多々あります。世界の国では、月の満ち欠けで農作業の内容を決めている国もあります。 声高々とはいきませんが、地道に太陰暦支持者を広げていきたいと思ったりしてしまいます。
2006年03月06日
昨日今日とポカポカした暖かい日が続いています。新島村内の大島桜も場所によっては咲き始めています。私の記憶が正しければ昨年よりも早い開花と思います。 そんな気持ちのよい陽気につられ、子供たちの面倒をみながら新島の中央にある宮塚山まで車でドライブに出かけました。山の上のほうでもハンノキは新芽を息吹、路肩には七島スミレが紫色の可憐な花をつけて春の訪れを告げていました。 ところで宮塚山の頂上を超え、さらに道を進むと「新島ロラン局」の高い鉄塔が見えてきます。船に乗っている方にはおなじみなのかもしれませんが、ロランというのは電波の中の長波を使って海上での船の位置を把握するシステムです。よく宇宙の衛生からの電波を使って位置を確認するシステムにGPSがありますが、GPSが衛星系電波航法システムならば、ロランは地上系電波航法システムとなります。ロラン局というのは国内にも何箇所か立っていて、近いところではここ新島と南海の島南鳥島にあります。例えば新島のロラン局から出された電波と、南鳥島のロラン局から出された電波の到達時間の差によってその両ロラン局の間にいる船は位置を確認したりするわけです。 このロラン局は海上保安庁の施設で、この施設にも保安庁のかたが常勤されています。3週間ぐらいの交代で新島ロラン局にいたり、南鳥島のロラン局にいたり(ものすごく海と星がきれいらしい)、または別のところにいたりとお仕事をされているようです。子供たちとロランの建物のなかに入り、展示物などを見ていましたら、お二人の方が出迎えてくださいまして、色々お話を聞かせてくださいました。子供は飽きてしまっていましたが、わたしのほうは興味津々いろいろ質問させてもらい、担当者の方もとても親切に説明してくださいました。新島でも人里から車で20分ぐらいかかるところにあるので、あまり人も訪れることもないらしく、記帳簿には3日前の方の記入がありました。子供たちが次第に帰ろう帰ろうとせがむので、あまり長く入られませんでしたが、今度は一人お話を聞きに来たいと思っています。 新島ロラン局の保安庁のみなさん、心細いところでの大変なお仕事でしょうがお体に気をつけて頑張ってください。
2006年03月05日
昨日都内の下町出身の方とお話をしていましたら、いつのまにかもんじゃ焼きの話になっていました。お好み焼きやたこ焼きなどは何度も食べたこともあり、イメージもとても付きやすいのですが、長野出身の私にとってもんじゃ焼きとはいったい何じゃ?の世界に近い食べ物です。学生時代友達とお好み焼き屋に行ったときにそのお店にもんじゃ焼きのメニューもあって興味半分で食べたことがありました。ただ一緒に行った連れ合いも田舎出身の奴で、鉄板の上が液体で水浸しのようになって何とも美味しくない食べ物と化してしまい、それ以来長い間もんじゃ焼きは食べていませんでした。 ところが昨年浅草に行くことがありまして、お好み焼き屋へ入り入りました。そうしましたらもんじゃ焼きもメニューにあります。威勢がよくてテキパキしたお店のおばちゃんの勢いに押されて久々にもんじゃ焼きにチャレンジしてみました。「もんじゃの焼き方」という張り紙がありましたから、それをみながら焼こうとしたところ、その威勢のいいおばちゃん黙っていられなかったんでしょうね、いきなり私の持っていたヘラを取り上げてはパッパッパと焼いてくれたのでした。はじめて目にする本場のもんじゃ、あれよあれよという間に焼きあがり、小へらを握らされて「ホレー食え~」の勢い、その威勢に押されて食べてみたら「これ結構うまいわ~」ということになり、さらに薄皮せんべいも作ってくれてさくさく感を楽しみながら美味しく味わいました。 さて話は最初に戻りますが、その下町出身の方は子供のころ毎日のように駄菓子屋に通っていて、そこにはもんじゃ焼きの鉄板が3つあったそうです。もんじゃ焼きというのは色々なトッピングをあわせられるそうで、人によってはモズクやベビースターラーメンを入れたりするということですが、一つの鉄板で鉄板のエリアを分けてそれぞれが自分の好みのもんじゃ焼きを作ったりもするそうです(「チビチビ焼き」というらしい)。しかしそれをやるといつまでも1つのグループが鉄板を長時間独占してしまう形になってしまい、あとのお客さん(子供たち)の順番がなかなか回ってこないため、駄菓子屋によっては「チビチビ焼きが禁止」が発令されているとこのことでした。 ガキ達が駄菓子屋の端の鉄板に群がっては、あ~だこ~だ言いながらワイワイやっている姿、思い浮かべるだけでどこか微笑ましくなってしまいます。
2006年03月04日
先週のことですが、農園で仕事をしていましたら見かけない人影がガラスハウスの中でうろちょろしています。なにやら怪しい!!、もしかしてさつま芋苗泥棒か?(ちょうど種芋を伏せたところだったので・・・)と思い恐る恐るハウスを覗いたところ、一人の青年が蛇口から水をだして小さな容器に入れているところでした。 見た感じ好青年ぽい若者だったので、話し掛けてみたところ、都内の大学の3年生の学生さんでした。卒業論文のテーマで新島の水を取り上げていて、その予備調査で新島の水のデーターを集めにきているとのことでした。農園には島外からもいろいろな方が尋ねてきますが、そういう方の中にはとても面白い情報を持っている方もいて、今回の学生さんもそんな匂いがしたので、少し話を聞いてみることにしました。 島によっては水を確保するのがとても大変な島も多いはずです。小さな島では川などありませんしね。たとえば新島の周辺でも北に位置する利島では雨水を集めて使っているということですし、南の式根島では新島から海底送水管で水を送っています。その点新島は特有の砂質土壌の影響からか真水の地下水が豊富にあって水に事欠くことがありません。私の知りあいのある新島の年配の方は、「新島の人の競争心のあまり強くないという気質は、生きていくために最も根源となる水が島に豊富にあったからなのだ。」と言っていました。それが事実どうかはわかりませんが、わたしもこの島へ来るまでこんなに水が豊富にある島だとは知りませんでした。 ところでその学生さんは地下水に含まれる成分やpH、またEC(電気伝導度という)を調べているとのころで、新島本村周辺でも水を採取したところでその数値が違うのだと教えてくれました。確かに水に含まれる成分(ミネラル分は)その水が通ってくる岩石や土壌の組成や性質に大きく影響されます。同じ本村地区においても島の中央の宮塚山のふもとの水と、南の向山のふもとの水では成分に違いがでてきてもおかしありません。 農業においても水なしで作物を育てるというのは考えられません。また水の状況(温度・含有成分・pH・水の流れなど)に作物は大きな影響を受けます。一概に水といっても全て同じというわけではありません。その学生さんにはまた来てもらいたいと思い、私の連絡先を教えました。
2006年03月02日
今夜も8:00を過ぎ、そろそろ息子たちを風呂に入れる時間となしました。最初に妻が次男と一緒に風呂に入り、彼らが出てらわたしと長男で入ることとなりました。ところが最初に風呂に入った妻から、「お湯が出ない~」という声が聞こえてきます。よくよく調べてみると屋外の倉庫に据え付けてある灯油のタンクがスッカラカン。つまり灯油切れでお湯が出なくなっていたのです。多分新島では灯油ボイラーを使っている家も多いかと思いますが、ボイラーが空になる前に地元のガソリンスタンドに連絡をして灯油を配達してもらうことになっています。しかし今回すっかり連絡するのを忘れていて、灯油欠状態にしてしまったのでした。 しかし夜の8時もすっかり過ぎてしまい、外は雨、私たちの落ち度なのに無理をいって灯油を持ってきてもらうのも失礼と思い、気持ちを切り替え長男と一緒に露天風呂に行くことにしました。 新島には新島港(黒根港)の側の海岸に無料の露天風呂があります。ギリシャのパルテノン宮殿みたいな造形をした建物が目印で、大小6つぐらいの湯船があります。ちょうど西側に面しているため、海に沈む夕日が湯船につかりながら見ることができ、観光客や島民の憩いの場にもなっています、男女混浴なので水着をつけて入ることがルールになっています(たまに間違えて裸で入ってくる観光客もいますが・・・とてもラッキーな場面?もあります。)。お湯は塩分を含んでいます。 雨の中車を走らせ行きましたら、案の定誰も入っていませんでした。息子と2人で入り、誰もいないことをいいことに湯船の中でウルトラマンごっこをして(必ずわたしが怪獣役になる)遊んでいましたら、風雨が強くなり、いつのまにか嵐になってしまいました。息子と横殴りの雨の中しばらく耐えながら入っていましたが、さらに強くなってくるので、タイミングを見計らい温泉から出て何とか無事に帰ってきました。 帰る途中すっかり服もぬれてしまい、せっかく着替えた服をもう一度家で着替えなおしたことは言うまでもありませんが・・・。
2006年03月01日
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