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最近、天気のいい日曜日は家族みんなで近くの山にハイキングへ出かけています。今日も10時ごろから晴れ間がでて、風もなく絶好のハイキング日和となりました。 今日の目的地は「田原遺跡」、新島の十三社神社から東の方角、宮塚山の中腹にある遺跡です。 新島村の博物館には新島や式根島で発掘された縄文や弥生時代の遺物が展示されていますが、そこには「田原遺跡」からの出土品も並べてあります。今私の記憶が確かでないので、その遺跡がいつの頃のものか思い出せませんが、数千年前に新島に住んでいた人々の痕跡がその辺りには残されているわけです。 11時ごろおにぎりとお茶と子供にねだられて買ったプチヨーグルトを持って4人でいざ出発!!。探検隊は大張り切りの4歳の長男を先頭に、妻、そして登山口数十メートルでダウンした次男2歳を担いだ私の編成です。 この山の斜面は西側に面しているためたか、高木は少なく、ほとんどの木の枝は東側に流れていました。また幹が細い木が多いせいか、木漏れ日が地面まで届き、とても明るい感じの山道が続いていました。 ところでこの「田原遺跡」には新島ではめずらしく小川が流れています。新島の表面は砂で覆われているため、雨として降った水はすぐに土の中へ染込んでしまします。ですから地下に貯水池ができ、村民はそれをくみ上げて生活水として利用していますが、その反面、川を見ることはまずありません。 しかしここ「田原遺跡」では、山に降った水が山の中腹から湧き水として染み出して、広いところでは幅50cmぐらいの川をつくっているのでした。 わたしも6年間新島に住んでいますが、水が流れる川を見たのは今回がはじめてでした。透き通った水が白い砂の上を美しく流れて様子には本当に感動しました。 数千年前に新島に住んだ人々も、枯れることなく流れるこの水を求めてこの川辺に居を構えたのでしょう。見たところ遺跡らしいものは見えませんでしたが、時を越えて彼らと同じ空間に自分たちがいることをとても心地よく感じました。 さて長男は目的の山の中腹まできちんと一人で登ってくれて、12時過ぎにはみんなでおにぎりを広げて昼食会。次男もほとんど抱っこされたままでしたが、食欲だけは大人並でした。 なかなか素敵なハイキングになりました。 さて次の目標は4人で宮塚山登頂です。
2007年01月14日
全国的にマラソン大会とか駅伝大会というのは一般的に秋から冬にかけて開催されることが多いようです。確かに真夏の炎天下の中をヒイヒイ走るよりは、寒い中を走ることで体から熱エネルギーを発散させる方が理にかなっているのかもしれません。箱根駅伝ももし夏にやっていたら沿道の応援者も湘南あたりでは水着姿に読売新聞の旗をふったり、また都心に入ってはソフトクリームを片手に声援を送る姿になることでしょう。やはり冬の冷たい張り詰めた空気が駅伝やマラソンにはピッタリとも思えます。 ところで新島村でも毎年1月20日前後に恒例の村内駅伝大会が開催されます。確かに箱根駅伝や実業団駅伝などという駅伝大会から見れば小さな村の小さな駅伝大会ですが、それはそれで色々とドラマがあって面白いものです。ひとえに言ったら、小学生から青年、壮年、老年?まで村内に住むかなりの人が参加する、または関わるイベントです。 この時期になりますと、村内ではファザードランプをつけてゆっくり走る車が目に付きます。そしてその車の前には、小学生だったり、中学生だった、または消防団のグループだったりする面々が、黙々と走っているのです。このチッカン、チッカンしたランプの点滅をみると、「あ~駅伝の季節がきたんだな~」と思います。 ところでこの駅伝大会、近年レベルが上がってきているようです。特に中学生たちの頑張りには目を見張るものがあります。中学校自体もこの大会を良い教育の機会ととらえ、力を入れていることもありますが、中学生たちの純粋な気持ちがそのまま彼らの走りに現れてきています。私も消防団のチームで12月中旬頃から練習をしていきましたが、そんな折しばしば中学生からも「誰々が区間記録より速く走ったよ」とか「去年の総合優勝タイムを○分縮めたよ」なんて声をかけられます。そしてこちらが「それじゃ大会でお互い頑張ろうな」なんて声をかけると、「ハイ!!、負けませんよ」という元気な声が返ってきては、クルッと向きをかえて走りさっていきます。そんな姿を見ているとこちらも純粋に嬉しくなります。 また昨年から高校の先生方がチームを組んで参加してきたことも、中学生たちの闘争心に火をつけたようです。昨年はダントツの総合1位でゴールインした先生チーム、彼らの参加が新しい風を吹き込んでくれました。高校生だって負けていられません。今年は優勝争いを演じそうなチームもあるようです。また消防団でも大勢の団員が仕事が終わった後に集まって練習する姿も見られます。そうやって全体の気持ちが高まっていく、それでいいのではないかと思います。 今の中学生の中には1500mを4分40秒ぐらいで走る生徒も数名いるようで、今後進学先にいい指導者がいれば、まだまだのびていくことでしょう。 こちらは減らない体重を気にしながら、若いエネルギッシュで伸び盛りの子供たちを横目に、老体に鞭打つ毎日です。
2007年01月13日

当然のことではあるが、言葉にはそれぞれイメージが付きまとう。そして言葉が共通なイメージをもつからこそ、同じ言葉を使う人間同士の間においてコミュニケーションがなりたっているわけである。 それはそれぞれの言葉がその社会で一般的に経験されてきた共通的なことを表現しているからだろう。そしてその社会が新たな経験を重ねると、当然ながらその言葉の従来のイメージに新たなイメージが加わったり、またはその言葉の意味じたいも変化していったりする。 例えば「台風」という言葉を耳にしたとき、私は暴風や豪雨そして波浪など荒れ狂う様を想像する。また「西ん風」という言葉を耳にしたとき、私は長時間にわたる強風や晴天、体感音頭の低さなどを想像する。これは新島にすむ多くの人の共通したイメージではないだろうか。 そのためハウスを持っている農家であれば、台風が来ると聞けば、ビニールハウスのマイカー線をきつく締めなおしたり、また人によってはハウス自体が吹き飛ばされないように、ビニールを剥いでしまうとうことをしてその準備にあたる。しかし西ん風が吹くと聞けば、台風までの天候の荒れはイメージせず、ハウス内に風が入らないようにきちんとビニールを閉めるとか、風邪が吹き付ける西側を補強するということで準備をする。 これはそれぞれの農家がそれまでの経験をもとに、またこの地域社会での過去の経験から、その言葉のイメージが出来あがっているからである。 しかし時としてそのイメージが崩されることがある。まさにこの連休に受けた西ん風はそれ自体が持っていたイメージを大きく変えさせた。 低気圧が950hPaまで下がった低気圧がもたらす西ん風は、それまでの西ん風の域を越え、まさに台風であった。 ですから、村内でも多くの農家のハウスが被害を受け、また中に植えられていた作物が相当なダメージを受けることとなった。また巻き上げられた海水で島全体に塩害がもたらされた。もし農家の頭に西ん風も台風並の暴風をもたらすというイメージがあったならば、台風のときにとられる対策を行い、その被害は最小限に抑えることが出来ただろう。 そういう私も、西風を台風よりは劣る気象現象だととらえていた。しかし今回の経験を通して、時として西ん風も台風と同じような天候の荒れをもたらすことを学習した。 そして私の中に、また地域の中で「西ん風」という言葉のイメージが塗り替えられることとなった。 それが経験というものなのかもしれない。
2007年01月09日

私は決して物持ちの良い人間ではないと思う。どちらかといえば物に対して執着したり、それをありがたがったりすることは少なく、ましては肥えた目をもっていないため、批評をしたりすることもあまりしない。例えば車であればとりあえず動いて用をたしてくれればよいわけだし、テレビだって映ればそれでよいと考えてしまう、それにブランド品の銘柄を言われてもピンとこなくて、私が持っている唯一のブランド品は日常生活にも使ってしまっている、アシックスのランニングシューズ(果たしてこれがブランド品なのか・・・・?)ぐらいのものである。要するにこだわりの少ない人間なのである。 ですから新聞を読んでいて「消費者動向」なんていう言葉を見ていたり、「内需拡大を目指す」という題目をみると、世の中私みたいな人間が多いと、いくら新商品を出しても購買力がなかなか高まらず内需もさめてしまうんだろうな~なんて考えたりしてしまう。 ところでそんな私には珍しく、物持ちよく使ってきたフリースがあった。これは1998年に買った赤色の「Jack Wolfskin」のフリース。もうかれこれ8年間着てきた代物である。確かに8年間といっても時々着ていたならばそんなにたいしたことでもないが、私は1年365日の内少なくとも330日以上はこの服を着ていた。週6日間着続け、1日洗濯していた。そしてこのフリースはまさに私のトレードマークとかしていて、ある人に言わせると遠くからでもこの服のお陰で私を容易に認識できたそうだ。 着続けていた理由はただ着心地が良かったからだ。生地の厚み(着すぎて購入時に比べかなり薄くなってしまってはいるが・・・)がちょうど良くほとんど1年を通して着れたこと、またファスナータイプでなく、かぶり着するタイプであったため壊れるというところがなかったこと、様々なところに切れやほつれが出てはいたが、現場の作業をするにはそのほうが気楽であったことなどがあげられる。要するにめんどくさがり屋で、他の服に目を配る事もしない私にはとてもピッタリだったのだ。 しかし今年このフリースとも別れるときがきた。それはいつも同じフリースばかり着ている私に妻が嫌気をさしたのか、新しいフリースをクリスマスプレゼントに選んだからだ。どうやら妻も周りから「あんたの旦那はいつも同じ服ばかり着ている・・・」と言われたりしていたらしい。そして今年の元旦、いつものようにこの赤いフリースを着て仕事に出かけようとしたら、妻からもうこれは着ないでといわれた。 確かに私は物持ちの悪い人間で、者に対して愛着を抱くこともあまりない人間である。しかしこのフリースはこの8年間常に私とともにあった。私の体を覆い、そして喜怒哀楽する私の鼓動の動きをいつもそばで感じ取っていた。このフリースをどこのお店で買ったかも、そしてなぜこのメーカーのこの色を選んだかもよく覚えていないが、いまこのフリースに残る傷やほつれを見るとき、自分の過ぎてきた8年間を断片的に思い出す。それは決して一言では表現をすることはできない。 多分この服をこれから着ることはあまりないだろう。しかし仮に70歳ぐらいまで自分が生きるとしたら、そのうちの1割以上の時間を文字通りともにした過ごした大切な1着である。 今私は家族の寝静まった中、こっそりこのフリースを着てこのブログを書いている。
2007年01月08日

今年私たちの家族は新島に移り住んで7年目を迎えます。この間色々な経験や失敗もしましたが、だいぶ島のライフスタイルにも慣れ、それなりにリズムをつかみ始めてきていました。そんな矢先に・・・・、まだまだ新島のこと分かっちゃいないなという経験をさせていただきました。 実は今日の第1便の飛行機で家族で上京する予定でいました。予定内容は、私は友人の結婚パーティーの司会を務めるため、それから妻の父の還暦のお祝い親族パーティー参加する(私も後から参加する予定でした)ためでした。しかし、この予定は台風並に発達した低気圧の影響ではかなくも打ち砕かれたのでした。 低気圧のことは多少気になっていましたが、まさかここまで発達するとは想像していませんでした。天気予報は1週間ぐらい前から気にしていて、週間天気予報が6日が「雨のち曇り」で、7日が「晴れのち曇り」となっていましたので、これなら7日の朝の飛行機の席をおさえておけば大丈夫だし、また6日の午後の飛行機も空席があるようだったので、それでも行けるだろうと踏んでいました。それに飛行機ならば風には強いという思い入れもありました。 しかし現実はそんなに甘くはなかったのです。6日の船は海が荒れてきたことから朝の早だし便のみとなり、また低気圧からのびる前線が発達し6日の午後は止むと予定されていた雨もずるずると激しくふり続け、そして6日の夜から吹きだした西風はますます強さを増し、7日の朝には新島に「暴風波浪警報」が出される状況になっていました。いくら風には強いという飛行機でさえも、台風並の風が吹き荒れるなかを着陸、離陸するのは無理、結局搭乗する予定であった1便の飛行機は飛ぶことが出来ませんでした。 要するにまだまだ新島の冬の西風を甘く見ていたのです。また今年は暖冬が続いていて、あまり西風を経験していなかったことも、気持ちの緩みをもたらしていたのかもしれません。 確かに予定が入っていたならばもっと前に離島することを考えても良かったのかもしれません。しかし当然仕事は金曜日はありましたし、金曜日の夜には消防団の分団での駅伝会議もありました。それに6日は消防団の出初式、やはりこれには出席しなければいけないという気持ちもあり、また分団の駅伝部長としましては、選考選手を分団の新年会で発表する責任もあったので、きちんとやり遂げなければいけないと考えていました。そして全てをやり終えてから、飛行機で行けるだろうと希望的な観測をいただいていたのです。 しかし現実として「ヤバイ!!いけないかもしれない」という思いを実感しはじめたのは、6日の出初式のあたりから。Iモードで天気図を見てみると、低気圧は950hPaぐらいまで下がる予報が出ており、また実際非常に等圧線も込んできていました。だけど7日の天気は晴れ、それに飛行機は風に強いはずだから・・・・、と気持ちに逃げ道も作っていました。 だたもし行けなくなった場合、多くの人に迷惑がかかってしまいます。特に結婚パーティーの司会の件は何とか別の人を立てておかなければなりません。そう考えてからその準備の格闘が始まりました。 6日の16時前に詰め所で開かれていた分団新年会を早めに出させてもらい、あちこちと連絡をとり始めました。 パーティーに関しては、司会の仕事は当然ながら、タイムテーブルからパーティーの流れまで、すべて私のほうでプロデュースしていましたので、それをまず他のやってくれる人に引き継がなければなりません。携帯電話を片手に、パソコンとにらみ合いながら、説明をし続けました。 またパーティーの中でスライドショーをやることになっていて、それもパワーポイントで編集してありましたので、それを送らなければなりませんでした。ただこれは約30メガぐらいの容量があり、試しにメールに添付して送ってみましたら届きません。そこでそれを5メガぐらいずつに編集しなおして、6回に分けて送りました。幸い送り先に届けることが出来ました。 このスライドショーにはかなり気合を入れていまして、年末年始から編集してきたのもでしたから、これが上映できないとなるとパーティーの盛り上がりも欠けてしまうと自負していました。ですから今回ほどインターネットの恩恵と偉大さを感じたのははじめてでした。 しかしもう一つ問題はパーティーのときに仲間10名ぐらいでサンバダンスを披露するコーナーを企画していて、その時着るための衣装も私の手元にあったことです。年末上京した折に、東急ハンズに出かけ、色々買い込んできてあり、これも持って上京する予定でした。だたこれはどうしようもないので、急遽新郎に東急ハンズまで行ってもらって、同じものを揃えてもらいました。 とりあえず6日の日は24時まで新郎や友人に連絡を取り合いながら格闘して、何とか自分が上京出来なくてもパーティーが予定通りおこなわれるような段取りはできました。 そして7日朝、風はますます強くなるばかり、飛行機のほうも何とかフライトしようと粘ってくれましたが、結局あまりの風の強さにGOサインが出ませんでした。 さてパーティーのほうですが、先ほど新郎に電話をしましたら、ちょうど3次会が終わったところ(23時)とのこと、「まだまだ次いくぞ~!!」という感じでした。またパーティーのほうも無事スライドショーもできて、盛大に盛り上がったとの報告ももらいました。さらに電話へ出た後輩からは、サンバダンス衣装が足りなくて「俺は裸体に葉っぱ一枚つけて踊りました~」という嬉しい返事も返ってきました。 とりあえず陰ながら役に立てたかな、と胸をなでおろしました。 ところで今日の1日ですが、家族でママ下温泉へ出かけ、また妻と子供たちは商工会の福引に出かけました。巨大な低気圧に大当たりした我が家、もう1発大当たりを福引で狙いましたが、こちらはティッシュ9箱と味噌1個どまり、残念ながら2度の大当たりはありませんでした。 さてさて今年はどんな年になるのでしょう。いい年にしていきたいですね。
2007年01月07日

今年の正月はあまり天気には恵まれていません。今日も昼前から雨が降り出し、夕方もすっきりしない天気が続いています。 予定ならば今日は凧揚げをする予定でした。知り合いの方が競技用の凧を持っていて、正月には一緒にそれを広場で揚げるのを例年の慣わしとしていますが、今年は残念ながら蔵入りのままになってしまいそうです。この競技用の凧、私にとってはとても衝撃的な凧でした。幼少時代から凧揚げといえば糸一本で操作するものだと思っていましたら、この競技用の凧は左右の手に持った2本の糸で操り、それもその操り方をマスターすれば大空の中で自由自在に躍動的な動きを表現できます。ついつい大人の自分がその面白さにはまってしまいますが、今年はこども達もそれを体験させてみたいと思っていました。 さてそれは仕方ないとして、今日は長男に別のことに挑戦させてみることにしました。それは自転車を補助輪ナシで乗ること。ちょっと雨がやんだ頃合をみて、補助輪を外した自転車を持って家族みなで公園に出かけました。長男は今4歳、保育園の年少組ですが、同じ組にも補助輪ナシの自転車に乗れるお友達がいるということで、それなら我が家でも挑戦させてみることにしました。最初手を支えて自転車を漕がせますが、様子をうかがいながら手を離すと、フラフラしながらも数メートルは自分で漕いでいきます。まあすぐに足をついてしまうわけですが、しばらく練習すれば何とか乗れるようになるのだろうと思える感じでした。 多分来年の正月はこの公園の中を補助ナシの自転車で自由自在に躍動的に?、漕ぎまわっていてくれることでしょう。 こんな感じで我が家の正月3日は過ぎていくのでした。
2007年01月03日

今日は正月2日目、朝10時ごろからシトシトと雨が降っています。大晦日と元旦は農園の動物に餌を与える仕事があったため、時間をみながら出勤していましたが、今日は1日家族と時間を過ごすことに決めました。 ところで我が家では、ここ数年正月の習慣にしていることがあります。それは家のすぐ側にある青峰山という山に登ること、新島十三社神社へ参拝すること、大変お世話になっているお宅2件へご年始の挨拶に伺うこと、そして畑の神様にお参りにいくことです。 青峰山は我が家の目の前から登山道の入り口があって、数歩踏み込んだだけで、幹の太いタブやシイの大木が生えるうっそうとした森になります。この森には昨日の昼頃に登りましたが、小雨が降っていたにもかかわらず、森の中は大木のカーテンに覆われ、ほとんど雨が降っていることを感じさせませんでした。またこの時期アオノクマタケラン("しゅくしゃ"と呼ぶ)の実が真っ赤に色づき、まるで緑の生地の上に赤い房模様を描いた絨毯を敷き詰めたような景色が広がっています。とてもとても美しい情景で、その中を一歩一歩登っていくと静かで澱みのない空気に包まれ、自然に気持ちが凛としていきます。 また家族で登りますと、去年の登山のことを思い出したりします。去年は次男はまだ歩き始めたばかりで山登りなどできず、わたしに抱っこされながら頂上を目指しましたが、今年はほとんど一人でスタコラスタコラ登ってしましました。自分の背丈より高いアオノクマタケランの葉の間を小さい体を揺らしながら歩いていくさまに1年の時間の流れの存在を感じました。 さて今日は十三社神社へのお参りと畑の神様へのお参りに出かけました。 新島では正月に村内に点在する神様へお参りする習慣があります。正確にいくつの神様があるのか私は分かりませんが、以前妻と一緒に探して20神様以上あることは確認しています。またぞれぞれの仕事に応じて参拝する神様が違うそうです。例えば漁師さんが参拝する神様もあれば、建設業関係の方が参拝する神様もあります。そして私は当然「畑の神様」にお参りに行きます。 その神様は新島本村の大場所と呼ばれる畑地区の入り口付近に奉ってあります。ちゃんと気にしなければさーっと車で通り過ぎてしまうような小さな社ですが、青々とした1本のソテツの木ときれいに敷き詰められた白い砂が落ち着いた調和を出しています。かつては毎年その神様の前でお祭りもおこなわれたとか・・・。 一通りそれらの習慣を終えると、我が家のお正月も終わりとなります。 あまり華やかでもないし、とても慎ましいけれど、それだけでとても満足です。
2007年01月02日

「この1年間どうでした?」と周りの人たちに尋ねると、多くの人から「あっという間に1年間が終わってしまったね」なんていう答えが返ってきます。そういう私もそういう返答している人間の一人で、反射的に同じようなセルフを返しているような気がします。 しかしこの振り返る時間が1年間でも、3年間でも、5年間でも、10年間であっても同じような質問を投げかけられたら、「あっという間に・・・」といった返事をしてしまっているような気がします。特にだんだん年齢を重ねてくると、例えば3年前の出来事と6年前の出来事と10年前の出来事を思い出したときに、それぞれ断片的に頭に浮かび、そしてそれらがひと括りに過去という時間に据えられてしまいます。ですからどれもこれも過ぎ去ったこととして「早かった」という一言で表現されてしまうのかもしれません。 しかしよくよく考えてみると、日々色々なことに直面して生きてきたことは事実です。1年の終わりの日、書き込みを入れたカレンダーをめくり返してみたり、記録帳などを見返してみると、そこに書かれた文字をキッカケに様々なことが思い出されてきます。あんなこともあった、こんなこともあった、こんな人にも知り合い、別れもあった、楽しかったことも、辛かったことも、そして簡単に言葉には表せないことも・・・。そういう意味でも暦の上のことだけではありますが、はじめがあり、終わりがあるというのはとても意味のある事だと思います。1年に始まりがあり、終わりがある、ゆく年があり、くる年がある・・・・、起承転結という表現が適切かどうか分かりませんが、そういうリズムを感じて生きていきたいな~と思った1年の初めでした。
2007年01月01日
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