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わたしは小売店などでの仕事の経験はありませんが、スーパーにしろ、洋品店にしろ、商品をお客様に販売しているお店では、自分たちの取り扱う商品をお客様に買っていたくため、様々な趣向を凝らせ、お店つくりをしているようです。商売を継続するということは大切なことですが、それは経営が成り立ってはじめてできることであって、実際はなかなか大変なことです。 以前ある雑誌に、「起業した会社が3年後どのくらい残っているか」という記事が掲載されていましたが、確か100社起業したうちの残っているのは10社にも満たないような数だったような記憶をしています。それだけ現実の社会は厳しいということなのでしょう。 ところで昨日は農園にて恒例の直売朝市が開かれました。今回で27回目、村内ではそれなりに継続した活動として定着してきた感じでもあります。しかしここ3回ほど客足が減ってきているような感じを受けていました。確かに出品された商品もそれなりに売れてはいるのですが、朝市にいらっしゃる人たちからの熱気みたいのが感じられないのでした。 そこで今回は、直売朝市スタッフからの提案で「試食コーナー」を大々的に行うことにしました。継続は力なりといいますか、過去二十数回も活動を続けてきますと、出品されてきた加工品などの種類も多種にわたっていまして、そのうちのいくつかを集めて、お客様に食べていただくことになりました。そして実際テーブルの上に並べてみますと。とてもとても賑やかな感じにショウアップすることができました。 さて前もって今回の「試食コーナー」については広報や放送を通して周知してはいましたものの、はたしてどのくらいのお客様が来てくれるかと心配していたのですが・・・・、当日は小雨が降っていたにもかかわらず、前回の1.5倍ぐらいのお客様に来ていただきました。特に試食コーナーはしばらくの間人だかりができ、商品を通して生産者とお客様との間でもコミュニケーションが生まれ、とても賑わっていました。 今回の経験を通して気づいたのですが、最近の活動は少しマンネリ化に陥っていたのかもしれません。そして客足が減ってきたとただ嘆くだけでなく、よりお客様に来ていただけるような趣向を凝らしたお店つくりをしていかなければならないことをあらためて実感しました。 さらにこの活動をより高いステージへステップアップさせていくことが大切であることも仲間の間で再確認することもできました。特に私たちの直売朝市は営利目的の活動ではなく、地域の農業振興や産業育成、また地域づくりを目指しています。それは確かに終わりのない課題でもあります。しかし関わる人たちは知恵を出し合い、力を出し合い、できる限り楽しみながら、少しずつ進めていくことが肝要だと思います。「理想は高く、一歩一歩は着実に」というところでしょうか。
2006年10月30日
スポーツの秋というように新島では毎週のように何かのスポーツイベントが開かれています。 一昨日の日曜日はソフトボール大会が開かれました。このソフトボール大会年2回開催されていまして、今回は秋季大会となります。 以前のブログにも書きましたが、このソフトボール大会には同級生でチームを編成して参加してくることが一般的で、今回も約20チームぐらいが出場していたのではないでしょうか。 しかし日曜日はあいにくの曇り空、11時前には雨も本降りになってしまい、大会自体も途中で中止となってしまいました。ずーと晴れが続いていたのにこの日だけ天候が崩れて残念、しかしわたし達のチームは1試合と2試合目の途中まで試合もでき、一勝しましたので良しとしましょうか。 ところでこのソフトボール大会当然試合がメインなのですが、夜の宴会がもっと需要という感じもします。同級生どおしのチームですから、同時に同窓会みたいなものなのでしょう。わたしは新島生まれでありませんので、みんなと同じクラスだったというわけではありませんが、同い年ということで誘ってもらい、誘われると断らない性分のためか、妻も一緒に試合に参加させてもらい、さらに子供も宴会まで入れてもらっています。ありがたいことです。 わたしは郷里のクラスメイトとはしばらく会っていませんが、会えば自然に意気投合してしまうように、ここでも宴会は小さい頃から知っている気持ちの知れたもの同士、和気藹々おおいに盛り上がっていました。当然同級生といっても新島から離れて他の地で生活している方も多いわけですが、人によってはこの日のためにだけに帰郷して参加してくる方もいるとか・・・、このソフトボール大会、単なるソフトボール試合だけの意味ではないようです。
2006年10月24日
“結果には必ず原因がある”という表現は、そのまま植物の栽培についても当てはめることが可能です。うまく植物が育っているときにはうまくいっている理由があるわけで、反対にうまく育たないときにもその理由があります。 前回のブログで触れた明日葉の連作障害にしてもその障害をもたらしている原因が必ずあるわけですが、現時点においてはそれがいったい何の仕業なのよくかわかりません。 まずこういう場合、思い当たる原因をとりあえずあげ、それを実証しながら消去していくことが求められるでしょう。今回のような連作障害の場合、それが(1)土の構造状態の変化によるものなのか、(2)土の栄養分によるものなのか、それとも(3)土の中に住む生物によるものなのか、はたまた(4)土の中にに存在する特別な物質によるものなのか、そんなところで仮説を立てて調べていきます。 まず(1)土の構造状態の変化についてですが、1作目と2作目の土の固さや、水・空気・鉱物の割合、などを調べ比較してみたところ、両者に差は見られませんでした。次に(2)の土の栄養分の違いについて1作目の土と2作目の土を比較してみましたが、そこにも差はみられませんでした。しかし植物が必要とする養分は主要養分と微量養分があって、今回主要養分に差はみられないという結論は出せましたが、微量な養分については実際はっきり分かりませんでした。そして(3)の土の中に住む生物の差(ここで言う生物とは、細菌類やカビ類、センチュウ、その他小動物などをさします)についてですが、これは分析しにくいため現在のところ結果をみることができません。最後に(4)の特別な物質についてです。植物はその生育の過程で根から様々な物質を出すといわれています。その物質の中には“アレロパシー”と呼ばれる成長阻害物質もあって、それが植物の成長を妨げているということも考えられます。ただこれに関しても(3)と同様、どういう物質か特定することは難しく、今のところこういうものが明日葉の連作障害を引き起こしているか分かりません。 こうした調査の結果、取り合えす原因の候補として残るのは、◎ある微量な養分の不足している可能性。(明日葉はカルコンがなど多く含まれていることを考えても、ある微量な養分を特に吸収していて、それが1作目の明日葉栽培で土中から使われてしまっている可能性があります。)◎土中の微生物のバランスが崩れてしまっている可能性。(ある同じ植物を続けて栽培していると、ある特定の微生物が増えてしまったり、あるいは減ってしまい土中の微生物バランスが崩れてしまう可能性があります。明日葉に関しても同様の可能性が考えられます。)◎成長阻害物質が存在する可能性。(2作目の明日葉の種を播いたときに、発芽すらしないということを農家さんの畑で目にします。明日葉の成長過程で生育障害が見られるというのならば土の栄養バランスや微生物バランスが崩れていることも考えられますが、発芽の段階で障害があるということを考えると、何らかの成長阻害物質が土壌内に存在していることも考えられます。) 以上の3点が現在のところ推察される原因ですが、はっきりこれだ!!というところにはたどり着いていませんし、それを解明するのも非常に難しいのが現実です。 しかし現場としては、研究所での試験結果を待っているわけにもいかないので、具体的な対策を練っていかなければなりません。 では次回のブログでその具体的な対策について触れたいと思います。
2006年10月20日

何か植物を栽培するときに、原因が何かよくわからないけれど、どうもうまくいかないな~ということがよくあります。この場合、その問題に直面している本人の経験や知識・情報不足によって、原因を突き止めることができないというケースと、明らかに原因不明でわからないというケースがあると思います。 以前法律関係のお仕事をしている方から「弁護士を選ぶならば若い弁護士を、医者を選ぶなら年配者を選んだほうが良い」と聞いたことがあります。この選択が常に正しいとは限らないでしょうが、弁護士のように、足しげく情報収集しなければならない仕事には若く体力があり体がどんどん動く者のほうが適任で、医者のように、オペを行ったり、病状を判断しなければならない仕事には、多くの患者と接し経験や知識を蓄積した者の方が適しているということを指していたのだと思います。 では作物栽培において何か問題にぶつかったときはどうかといいますと、やはり後者のほうが適任なのだとわたしは思います。例えば"米"のように1年に1回しか栽培できないというものが農業には多くあります。仮に米栽培で就農して5年目という農家がいるとしますと、その方はその場所で過去5回しか米作りをすることができないわけです。もし仮に50回その場所で米作りをしたければ、50年という月日が必要になります。その期間が長く、栽培回数が多ければ多いほど、その農家は様々な失敗をし、そのつど工夫や改良を加え、また情報を収集して経験や知識を蓄積していきます。ですから米の様子を観察して、何かおかしいと感じたら、自分の過去の経験のページをめくり、原因を突き止め、対処していくことになるわけです。ただこれには常に向上心を持って栽培に接していくというスタンスをもっていることがその前提となるのでしょうが・・・・。 ところでわたしのように経験が浅く、知識も不足している者にとっては、植物が問題を抱えているときに、その症状を観察し原因突き止め、また最適な対策をすぐに導き出すということはまだまだハードルが高いことでもあります。ですから、その原因が自分の知識不足でわからないのか、それとも未だに原因が明らかにされていない事柄なのか判断することも難しくなります。 さて今年に入り新島と式根島の農家さんの畑を調査し、その農家さんたちから直接色々なお話をお聞きしてきています。そのなかでほとんどの明日葉農家さんが口にする問題点に、明日葉の連作障害がありました。多くの栽培植物では連作をすると収量が減ったり、病気や害虫が発生しやすくなったり、品質が低下したりする問題に直面しますが、こうした問題が明日葉にもあらわれていています。 明日葉は約3年ごとに更新をしていきます。はじめて畑にした場所で明日葉を栽培するとこの植物は面白いようによくできます。しかし2回目の栽培となると、1作目に比べ6割ぐらいに収量が激減してしまします。そして品質も悪くなり、発芽さえもうまくいかなくなってしまします。 ではその原因が何によるものなのかといいますと、実のところよく分かりません。明日葉は栽培の歴史がまだ浅く、研究がすすんでいない作目であるため、その点の解明はされていないようです。実際他の伊豆七島の島の農業関係機関に問い合わせてみても明確な答えは返ってきません。このケースの場合は、多分「原因がまだわからないケース」に分類されるのでしょう。 しかし分からないからといって、そのまま手をこまねいているわけにもいきません。何らかの対策を練らなければなりません。それも研究室などではなく、現場で解決していかなければならない問題でしょう。このようなケースの場合はまず思い当たる原因を列挙し、そこから当てはまらないものを消去していくことになります。そして絞られたものから仮説を立てて、実証していく作業に取り組むこととなります。 次回のブログでは明日葉の連作障害について考えられる原因と、仮説について書きたいと思います。
2006年10月18日

先週は火曜日に羽黒町での駅伝から戻った後、水曜日から土曜日まで新島・式根島の農家さんの畑を巡り歩くこととなりました。現在村内の畑の土の状態を調べる仕事にとりかかっていますが、4日間にわたり土壌改良や肥料についての専門家の方が来島されたので、その方と一緒に調査にあたったのでした。 こうした調査は今年に入って3回目となり、今までに村内で約100箇所以上の畑の調査をしてきました。『躍る大捜査線』の「事件は現場で起きているんだ・・・」というセリフじゃありませんが、やはり農業においても現場をつぶさに歩き、聞き取りをして、調べていかなければ個々の農家が抱えている問題は、見えてこないようです。当然それぞれの農家が抱えている問題は違うものもありますが、ほとんど同じ自然環境で、同じ作目を栽培していると当然共通した問題にもぶつかっています。まずはそうした共通な問題の発生原因をさぐり、その対策を練っていくことになりますが、それには問題の発生原因が特定しやすく、既存の方法をあてはめることで解決できる問題と、問題の発生原因が特定できず試験的にいくつかの対策を模索しなければならない問題があります。 例えば、新島と式根島の土は、砂地の土壌のため水はけがよく、乾燥しやすく、また肥料分が流失しやすい特徴をもっています。ですから農家は夏場水やりの作業に大変苦労します。当然新島村でも農家の高齢化がすすんでいまして、水やりは重労働です。そうしたなか今年の初夏、村内のある農家さんから水やりの作業を何とか軽減できないものだろうか・・・と相談を受けました。もう70代になるその農家さんは栽培しているスルカスという植物に、ホースや散水チューブ、スプリンクラーを使って水を与えていましたが、ホースでの水やりは重労働、散水チューブでは目詰まりや破裂が起きてしまう、またスプリンクラーでは根元に水がいかなかたり、ルスカスの商品価値を落としてしまうという問題を抱えていました。しかし乾燥しやすい砂地の土では、コマ目に水を与えなければ植物は枯れあがってしまいます。 そこで提案させてもらったのが、ドリップチューブという資材。これは等間隔に開けられた穴から水が染み出す構造になっていて、水圧が低くても高くても一定に水を与えることが可能で、目詰まりしにくい丈夫なつくりとなっています。その農家さんに資材を紹介したときは、わたし自身もその資材を使用した経験が豊富ではなかったので、ちゃんと上手くいってくれるか不安もありましたが、今回その農家さんにお会いし、年配のそのおばさんから「とても作業が軽減された」ということをお聞きし、とてもホッとしまた嬉しくなりました。さらにこの方式は植物の根元に直接水を与えることができるため、植物の新芽を痛めることもないようで、その農家さんは芽立ちもいいと喜んでいました。 今回の例も、実際農家さんの畑に通い、現場を見て話をお聞きし、人間関係としてもうまくお付き合いさせれもらわなければわからないことでした。またこちらから押し付けがましくまたごり押しして、「こうすべきだ」なんていうことはせず、あちらの気持ちがそのように傾いてきたときに提案できたというのが良かったのかと思っています。まだまだ問題累積ですが、まずは一つ一つというところでしょう。 次回のブログでは、問題原因が特定できない例について書いてみたいと思います。
2006年10月17日

今日、島内のいきいき広場という村営グランドで新島村民運動会が開かれました。この運動会は一昨年から新島中学校と高校の運動会も同時に開かれるようになり、合同運動会となっています。 ところで運動会会場を見回して、運動会を一番楽しみにしているのは、子供とお年寄りではないかと思いました。グランド内つくられたお年よりの特別席には、空いたスペースがないくらいにお年寄りが寄り合い、またトラックの周りにも元気なお年寄りが、我が家の孫を応援すべく身を乗り出して声をかけていました。そして子供たちも、仲間が大勢いることが嬉しいらしく、芝の生えた土手でダンボールすべりをしたり、追いかけっこをしたりしてはしゃぎまわっていました。わたしは地域の運動会っていうのは、参加するみんなが楽しめればいいと思いますが、特にお年寄りと子供たちが大いに楽しめればそれでいいんんじゃないかなと思っています。 ところでわたしは昔から村民運総会とか地域の運動会というのに憧れをいただいていました。私が生まれ育ったところは特に都会というわけではありませんでしたが、かといって地域でまとまって運動会をやるようなつながりがあるところではありませんでした。しかしわたしの母の実家は、もう少し田舎だったためか、地域のつながりがまだ強く、毎年秋には運動会がひらかれていました。たぶん幼稚園児のときか、小学校の低学年の頃だったと思いますが、わたしは毎年のようにその秋の運動会を見に行っていました。運動会会場には子供からお年寄りまで大勢の人が群がり、グランドのはじには確か露天も出ていたように記憶しています。また競技も地域の独特な種目が織り交ぜられていて、米俵運びや、わら縄編み競争なんかがあったことを覚えています。わたしはこの地区にすんでいる者ではなかったので、この運動会に参加できる資格はありませんでしたので、多分「僕も出たいな~」なんて眺めていたのだと思います。それにどんな年齢の人も参加できる種目があり、たとえばわら縄編み競争なんていうのは、その道のプロみたいな年配者の人がいて、瞬く間に稲わらを編み上げていっていました。そして運動会が終わった後には、母の実家の家に誰かしら近所の人が集まっては、その日の運動会の楽しかった場面を話題にしながらみんなでゲラゲラ笑って過ごしました。多分そんな楽しい会話に当事者として参加できなかったつまらなさが、自分の地域運動会への憧れになっていたのかもしれません。 ですから新島でこうして地域の運動会が開かれていることを、わたしとしては嬉しく思っています。運動会というのは子供の専売特許みたいなものではなく、参加したければ大人だってそれに混じって出場できるみんなの運動会であるべきですから・・・。 ところでわたしは今年も特に短距離が速いわけでもないのに、頼まれると断れない性分なため"7町会7人リレー"というのと、"町会対抗リレー"に2種目にでることになりました。特に10代から50代まで各年代男女の代表者が走る町会対抗リレーには、今年はさらに妻も一緒に参加、妻からバトンをもらうことになりました。私のレース内容としましては順位を4番から5番に落としてしまいましたが、後半年配者が頑張ってくれて、7チーム中4番とちょうど真ん中まずまずのレースとなりました。 時折寒い風が吹き付ける1日でしたが、怪我なく無事に終われてよかったです。(4丁目のカラーは“青”。みんな青い衣装に身を包んでいます。)(Kokubomotorsご婦人が素敵なダンスを創作して応援団を率いてくれました。我が家の長男も参加させてもらいました。)
2006年10月15日

突然ですが山形県の羽黒町(昨年、鶴岡市と合併)へ行ってきました。 8日(日)の夕方の飛行機で新島を出発し、その晩は浜松町で宿泊、翌朝9日(月)の早朝ジェット機で羽田を立ち羽黒へ到着、そして今日10日(火)の朝に羽黒を出て、夕方新島へ戻りました。 それは、毎年体育の日あたりに開かれる、羽黒駅伝大会に参加するためでした。新島村と旧羽黒町は友好町村の盟約を結んでいまして、毎年羽黒駅伝大会には新島チームが参加させてもらい、また新島駅伝大会には羽黒町のチームが参加してくれます。つまり相互交流を目的とした、駅伝参加というわけです。 ところでわたし自身の羽黒駅伝参加は、3年ぶり3回目となりました。1チームは5名で構成、約17kmをタスキでつなぎます。参加チーム数は小学生チームから成人チームまで約30ほど、約1万人弱の旧羽黒町の中から集落ごとに編成されたチームや、スポーツ少年団から編成されたちびっこチームなどがあります。大会自体は手づくり感のあふれるとてもほのぼのとした感じのものです。 たまたま走ることは好きだったわたしは、羽黒へ行こうとお誘いの声をかけていただいて、こうして羽黒に行かせていただくことになったわけですが、はじめて参加したときは、山形県に行くのもはじめて、さらに羽黒町というのがいったいどこにあるのかさえ知りませんでした。しかしはじめて参加させていただいた時から、すっかり羽黒町に魅了されてしまい、今ではすっかり大の羽黒町ファンになってしまいました。 それではいくつか羽黒町の魅力を書き出してみたいと思います。まず庄内空港に降り立つときに目に入ってくるのは、最上川などの河川によって形作られた、美しい広がりのある庄内平野でしょう。そしてその平野を覆うように彩る水田の風景がまた格別です。 またお米の美味しさと果物の豊富さにも驚かされます。山形、庄内地方を代表する果物といえば、サクランボ、柿、ラフランス・・・ほかにもリンゴやナシ、桃など涼しいところでできる果物ならばなんでもあり、そして美味しいのです。 それから酒の旨さ。やはり米どころと清流の地とあって、日本酒も最高です。南部杜氏に代表される東北地方の酒は辛口の酒が多いように思いますが、あのあたりの日本酒はほろ辛く、口当たりの良い味で、ついつい飲み過ぎてしまいます。ちなみに過去2回の夜の歓迎会では、あちらのペースにはまり、一次会にて撃沈、記憶を失いました。しかし今回は三次会まで何とか完走?、実際レースよりツライかも・・・。 さらに羽黒といえば、信仰の山として知られる羽黒山と月山、湯殿山の出羽三山。羽黒山にある出羽三山神社近くには、全国から訪れる参拝者などが泊まれる宿坊が今でも残り、神社まで続く約2500段もの石段は、まさにあの山伏のいでたちをした修験者が今でも現れそうな雰囲気を醸し出しています。 しかし何よりの魅力は、この羽黒に住む人たちの魅力でしょう。はじめてわたしは羽黒に行った年のこと、出会った羽黒の人たち人たちからまさに強烈な衝撃を受けました。はじめ彼らのあまりにもオープンマインドな接しかたに戸惑いをも感じましたが、人と知り合うことを喜び、そして楽しむすべを知っている彼らといると、自然にこちらの心もなごんでいってしまい、知らぬ間に肩の力が抜けていってしまうのでした。自然に「人間っていいな・・・」という気持ちが沸いてくるのを感じました。 まあそんなわけで今回も羽黒のみなさんから熱烈な歓迎をしていただいたのですが、とりあえず駅伝大開のほうに話を戻しますと、新島チームも強行日程での参加にもかかわらず無事タスキをつなぐことができ、成人の部では、14チーム中8番という成績を残しました。 そして砂質の土壌の新島では見ることができない、田園の中の農道を、とても気持ちよく走らせてもらいました。また来年もいけたらいいな~と思っています。
2006年10月10日

新島にいながら、3日間もブログを書かずに過ごしてしましました。だいぶブログ生活に慣れてきたせいか、書かない日は夜布団に入るとき、自分に対して罪悪感みたいなものを感じるようになってきてしまいました。習慣病化してきてしまっているのかもしれません。果たして良いのか悪いのか・・・? ただ今回はそれなりの理由がありました。それは昨日、新島中学校の3年生を担当する先生から、ゲストティーチャーとして招待されていて、そこで発表する内容の準備のため、2日間ほど夜遅くまでその作業にとりかかっていたからでした。 新島中学校では、総合学習の時間を使って、“モヤイ時間”という授業に取り組んでいます。“モヤイ”とは「共同で仕事をすること」などの意味で、“結い(ゆい)”ともいわれます。例えばむかし農業において今のように機械化されていなかった時代、農作業は地域みんなでするものでした。各家々の田畑の仕事を力を合せてすすめていく、そのようにみんなで手を貸しながら作業をしていました。そして新島では、そういうことを“モヤイ”と呼びます。今でも何かイベントをやったり行事をするときに、時々「モヤイ精神でやろう」というフレーズを耳にします。 さて新島中学校では、この“もやい時間”という授業を使って、各学年それぞれ異なったテーマで勉強をすすめています。そして今回ゲストティーチャーとして呼んでくれた3年生(約30名)は、「国際理解」というテーマを取り組んでいて、わたしに与えられた課題が、「エクアドル」(むかし青年海外協力隊の隊員として2年ちかく住んでいた)の話をしてほしいということでした。 しかしただエクアドルの話をするといっても、授業テーマが「国際理解」ですから、やはりそれに沿ったような話の内容にしなければいけません。そこで我が家の倉庫からエクアドル滞在期間に撮った写真を引っ張り出してきて、それらしい話の材料になりそうな写真をピックアップする作業からはじめました。そうして色々写真を眺めているうちにむかしのことが徐々に思い出されてきて、50分間を以下の内容ではなすことにしました。 1、エクアドルはどんな国(概況) 2、エクアドルの人は歌や踊りが大好き 3、お友だちになるためのスペイン語講座 4、エクアドルの食べ物紹介 5、エクアドルの農業はどんな感じ? 6、エクアドルでは日本はどのように見られているのか? 7、その他色々エピソード 8、僕がエクアドルで学んだこと そして以上の内容にあいそうな写真をスキャナーでパソコンに取り込んだり、ネット上にある使えそうな写真をダウンロードしたり、また自宅にある音楽CDを寄せ集めたりしました。さらにそれらを発表しやすく、またわかってもらいやすい様にパワーポイントで編集して、プロジェクターで映し出せるようにして、何とか締め切りまでに間に合わせることができました。 ところでこの準備をすすめるなかで、手元にある写真などを通して思い出の手綱をたぐり寄せていくと、あれこれ忘れていたことが頭の中に浮かんできて、それらの中からそれなりに紹介できそうなものもでてきました。例えば「6」の、「日本はどのように見られているか?」というところでも、エクアドルではTOYOTAやSONYといった日本製品がとても有名だったこと、しかしそれに対して日本の国の場所を知らない人がとても多かったこと。日本のアニメや子供向けのテレビドラマが何本も放映されていたこと。空手や忍者=日本みないに思っている人が多かったこと。わりあい広島や長崎という場所の名前は知っている人がたくさんいたことなどなどです。 わたし自身の経験としても、自分が仕事をしていた農業学校があった小さな村の村長が、いつもダンスパーティーが終わった時など、酔っ払いながら別れ際にわたしに対して「アジノモト、アジノモト~」といいながら握手をしにきていたことを思い出しました。まあそれだけ、日本の国や日本人よりも、日本製品のほうが良く知れわたっていたということを物語っていたのかもしれません。 さてさて肝心の授業のほうですが、自分なりには手持ちの映像を駆使して、音楽を流し、ちょっと踊って見せたりして体を張って取り組んでみました。まあ素人なんで、しっかり生徒たちに伝えていくというところまではいかなかったとは思いませんが、何とか無事に予定の50分ぐらいで終えることができホッとしました。それじゃ今晩はしっかり寝るとするか・・・。
2006年10月07日

人間は年をとるごとに嗜好が変わってくるようですね。10代から20代ぐらいならばとりあえず高カロリー高タンパクでコッテリとした食事と山盛りのご飯にありつけていれば満足していましたが、今ではそんなに量はいらないけれど、アッサリしたもののほうが美味しく感じられることが多くなってきました。それは音楽や本への嗜好もそうで、最近は落ち着いたもののほうがシックリくるような感じがしています。またその変化は、芸能に対しても同じで、いわゆる流行的なものよりも、伝統的なものに気持ちが惹かれます。 若い頃ですと、いわゆる郷土芸能といわれるものの部類には、まったく興味もなく、興味もないので何が存在しているかさえわかりませんでした。しかし年齢を重ねての嗜好の変化により、新島に伝わる郷土文化や芸能に自然に目がいくようになりました。毎年8月の新島の本村集落と若郷集落で盆祭りに踊られる「大踊り」も安土桃山時代頃から新島に伝わる郷土芸能ですし、そして今回出会うことができた「獅子木遣り」も大変歴史のある芸能です。 新島には「獅子木遣り」と呼ばれる、“獅子舞”と“木遣り”が共に行われる全国的にも大変珍しい、芸能が伝えられています。東京都の無形民族文化財にも指定されているそうです。この文化継承のために、現在「新島獅子木遣保存会」が島内で活動していまして、先日その熟練メンバーの方から“一緒にやってみないか”とお誘いがありました。この「獅子木遣り」、わたしも新島に住み6年になりますが、今まで見たことがなく、話にしか聞いたことがありませんでしたが、以前から興味もあったため参加させていただくことにしました。 そして本日からその練習がはじまりました。この「獅子木遣り」には雄獅子と雌獅子があって、それぞれ新島本村集落の“原町”と“新町”にわかれています。わたしは新町に住んでいますので、雄獅子の方の練習に参加させていただくことになりました。今日が初日というで、先輩方の木遣り唄に耳を傾けながら、一生懸命手元の歌詞をみて、声の抑揚にあわせました。独特な言いまわしのため、なかなか合せてうたうことはできませんでしたが、腹から精一杯の声を出して歌い上げるところが、何とも気持ちよかったです。 とりあえず今月は週2回ごとの練習があります。今後練習に参加させていただくにつれて、「獅子木遣り」についても少しずつわかってくることが増えてくると思います。そういったこともだんだんブログに書いていきたいと思っています。
2006年10月03日

子供がうまれ、育っていくにつれて、自分たち夫婦の生活がだんだん子供たちに関わるスケジュールを中心にまわることが多くなってきます。我が家では今年から長男が保育園に入園し、彼の保育園への登園や帰宅の時間、また園でのイベントや行事でその一日の生活の流れが決まってくることも多くなってきました。 そして昨日、まさにそうした子供と親が関わる一年に一度の大イベント、「運動会」がありました。 “運動会”まさに懐かしい響きです。30年~25年くらい前まで自分が子供として参加していた運動会を、今こうして親としてまた再び関わるようになるとは・・・、子供の時分にはそんなこと夢にも想像しませんでした。しかし今年から今後10年近く(次男もいますので)この運動会という年に一度のイベントに、何らかの形で関わっていくことになるのです。そして昨日その第二の運動会人生(自分が子供のときの運動会を第一の運動会人生とすると)がスタートしました。 多分わたしのその第二の運動会人生はいたって標準的なスタートだったでしょう。前日の晩はこの運動会のために買ったばかりのビデオカメラの説明書を読みました。当日は妻は朝早くからお昼の重箱弁当をつくり、わたしは子供を時間までに小学校のグランドまで届けました(新島では小学校と保育園が合同で運動会をします)。そして運動会がはじまるとグランドの中の子供たちを見つめるたくさんの親や祖父母に混ざって、私たち夫婦もビデオカメラを設置し、他の親たちがしているように、声援を送り盛り上がり、そして頼まれたままに親子競技や、保護者競技に参加し楽しみました。まさに予定通りでオーソドックスな「This is 運動会」の展開だったと思います。 さてそんな中でやはり新島らしいな~と思った出来事がありました。それは保育園児のかけっこ競争のときですが、園長先生が走る園児たちの紹介をする時に、苗字を呼ばずに屋号で紹介するのです。なぜかといいますと新島には同じ苗字の方がたくさんいます。「前田さん」、「植松さん」、「梅田さん」などいくつかのメジャーな苗字があって、苗字で呼んだだけではいったい誰のことを指しているのかわかりません。ですから、屋号で紹介することで、「あっ!!この子供は誰々さんの孫だ」とか、「親戚だ」とかそういうことがすぐにピ~ンとくるわけです。特にお年寄りの方には、屋号でなければ誰のことを言っているかわからないようです。島外から移り住んだ私たち夫婦には屋号を聞いてもどこの家のことかよく分かりませんが、たぶん屋号が名前みたいな役割もしているのでしょう。実際屋号を自分の名前にしている方もいるようですが・・・。 また園児たちは運動会で着る上着に自分の名前入りのゼッケンを親につくってもらい貼り付けましたが、そこにも屋号を書き入れていました。しかし我が家の場合新島での屋号を持っていませんので、妻はどうしたものか悩んでいたようです。そこで私の仕事の関係から「農園」という名をかしてもらい(承諾をいただいて)、ゼッケンに書き入れました。 そんな子供たちの紹介の配慮もあって、いかにも新島らしい、こじんまりした運動会で、とてもほのぼのとした感じでした。 とりあえず第二の運動会人生、落第点もなく無難なスタートを切れたようです?。後で録画したビデオを見ましたらかなり手ぶれがしていて、見難い映像になっていましたが・・・(手ぶれ補正あったはずなのに)。※運動会会場で「ブログの字をもう少し大きくしたほうが読みやすいよ」とご指摘いただきました。ちょっと大きくしてみました。
2006年10月01日
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