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「風の谷のナウシカ」の話をした時にあほよしにちょびっとだけオタク臭がほんのり香っていることは皆様にもお伝えしましたが、いまでもやっぱり漫画が好きです。(でもホント、オタクではないのよ・・・)大学は社会学部にいっていてですね、カクカクシカジカなのです。(中略)てなわけで大学の卒論は漫画でした。タイトルは「日本マンガの海外進出」について。その卒論の中で「いい大人が電車で漫画読んでんのは日本だけだわさ」と吠えたのですね。実際、先進国で背広着た社会人が朝っぱらからジャンプ読んでるのって世界的にも異様な絵ですわな。それにも増して朝っぱらからのスポーツ新聞のエロ記事読むのグローバルな視点から見ていかがなものか・・・さて、話は変わってそんなワタクシが会社帰りの電車に乗っていてジャンプを読んでいたのですが顔を上げると車内にいる8割がたの人がみーんな携帯でメール打ってる姿を見てなにやら一種独特なショートフィルムを観ているようですた。もうマンガではないのだね。パーソナルスペースを確保するためにマンガという世界に没頭していくことで一種のインターナルコミュニケーションをとるというのではなく今の時代は携帯を通して外界とつながるわけなのですね・・・発信しながらのインターナルなのだ!電車の中で受信&送信。レストランで受信&送信。トイレでも受信&送信歩きながら受信&送信。自転車乗っても受信&送信。車でも・・・電車でも・・・飛行機でも・・・現代人は「個」ではいられず、いつでもつながっていられずにはいられないのです。一時期電磁波がどうこうで、体に悪いとか何とかいろいろとテレビで騒いでいたけれども、もうこうなっちゃぁ、体にいいも悪いもないでしょ。実際、あらゆるところから電波が飛びまくりのぶつかりまくりなのではないだろうか?携帯の見えない「ベクトル電波」が体を上から下から斜めからワタクシたちを襲っているのですよぉ。あれって体に影響しないのだろうか?ぶつかるだけだから平気なの?さて、ぶつかるといえば皆さん知ってました?ワタクシ達、知らぬ間に体を貫かれているって事を。去年だかなんだかノーベル賞をもらったタナカサンがいたでしょ。あの人と一緒に受賞した「コシバ教授」あの方が研究していたのが体を貫く物質「ニュートリノ」だったと思います。タブン・・・違う?水道から出る水にガーゼを広げると水が通り抜けて行くでしょ?あれはガーゼの網の目よりもはるかに水の方が小さい物質構造か何かなのですり抜けるわけですよ。あれと同じで惑星の爆発だか衝突だかでできた物質「ニュートリノ」はもんのすごーく小さい物質なので人のことなんか上記のガーゼの要領でツラヌキすり抜けていってしまうのだっ!いまこの瞬間もあなたもワタクシもツラヌカレているのです。世界には不思議があふれているですよ。そう、あたしの知らなかった世界が・・・ってことで、今日はワタクシが学生時代にみつけた本をご紹介。その名も「秘密の動物誌」ピーターアーマウゼンハウフェン博士が世界で発見した珍しい動物を紹介する学術的な生態研究誌(言い回しが硬いけれども図鑑みたいなの)なのだ。、この本は作家と写真家の2人が偶然に借りた家の地下室かなんかで博士の研究文献を発見。博士の研究資料をデータ・と写真とで整理して公表したのがこの本なのだ!あぁ、もうわくわくの本なのです。この本の扉にこう書いてあるのです・・・「実在するものは存在するものの一部に過ぎない・・・」なんとも男心をそそりますな。是非ともご覧あれ!ニンニン。 合掌
2004.06.30
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夢枕獏の陰陽師がものすごくヒットして、映画化にもなりましたね。野村萬斎さんかっこよかった。中野美奈子のシーカレもでてましたね。源博雅の役で。まぁ、それはよいとして。ワタクシ、これが話題になるカナーリ前に読んでいて、清明(物語の主人公の陰陽師)と博雅(友達の武士)が問答をするシーンが大好きなのでした。清明が博雅にこの世界の在り様を語るところがとてもよいのですが、特に「朱(しゅ)」について語るところがよろしくて、「朱とはモノを縛ることなのだ」というようなことを清明がいうわけですよ。一番簡単なのが「名」と呼ばれる「朱」だというのです。そうか・・・そういえば名前は一生自分を縛っているもんね。名前が存在しているから自分が存在できている・・・わたしがワタシであっても違う名前で呼ばれたらわたしだとみんなが理解してくれないもんね。犬は犬だけど、他の国に行って「犬だ!」といっても理解されないもの。だって違う国では「DOG」だったりするわけだからね。ちょい記号論的な解釈だけど「名前」というのは記号であり、縛りなのであります。それも一生モノです。ふむふむ。つーわけでながくなりましたが、今回ワタクシがお話したいのは・・・赤ちゃんの名前をめぐる壮大な「名付け物語」なのですっ!ワタクシ、知っての通り、2児のチチになったわけです。1人目の男の子にはあほよしの名前から1文字とって「ヨシト」と名付けました。これまた「ぱぱっ」っと決まってしまったわけです。が、今回はそーとーに難航。2人目は女の子が誕生。名前は「まゆり」。ひらがなで「ま・ゆ・り」なのです。あほよしは花屋なので、1、ひまわりとゆりをあわせて・・・2、「ひまゆり」となって、3、さらに短くしてみて「まゆり」となりましたぁ。と、名前の由来を聞かれたばやいにお話ししているのですが、実は全然、膳膳、ゼンゼーン違います。まぁ、みなさま日記でご存知の通り、まだ生まれるとは思っていなかったので名付けの方も不意打ちですよ。まぁカミさんの方がいくつか本とかでみていたようなのですが・・・で、急遽考えた中で「ひらがなの名前にしようぢゃないか!」ということで夫婦内で決定。あれこれ考えた結果。決まりました。こちらの名前が「ゆずか」。よぉぉし、名前が決まったからみんなに発表しなくちゃね。と思って花屋に行って発表。午後になって義理父の社長にも報告。はいっ、ここでハードルだよ。「ひらがなかぁ。優しい感じでいいねぇ・・・でも濁点がなぁ・・・」へ?あーたのむすめの名前も濁点入っているではないですかっ!と思いはしたものの、そんな物言いつけられてしっくりいかないのもムカツクなぁと考えていたら、今度はあほよしの母から電話。「最後の文字の終わり方の音がちょっと強いカンジがするから、もう少し優しいカンジにならないの・・・」みたいな・・・なんで1人目の時にはなーんにも言わなかった人たちが次々に物言いを・・・でも最終的にうちのカミさんがその日の午後、赤ちゃんが生まれて2回目の抱っこをした際に、「はっ!この子の名前は“ゆずかぢゃないっ”」と抱いた瞬間に思ったらしく、カミさんがそう思うならもう本物でしょ。こりゃ変更ですね。ということで花屋のメンバーを再集合させて、「えーと。今朝言った名前は変更になりました。もう忘れてください。」と一応の説明。官房長官になった気分です。まぁ、まずありえんだろう、名前の変更・・・さらに社長からは「苗字の終わり方から言って、名前の始まりは“ま行”がいいよねぇ・・・」とのさらなるリクエストとも注文ともなんともいえないニュアンスの独り言が・・・この人、名付け親になりたかったのだろうか?てなわけで、また名前の方は白紙になってしまったので1からの出直しですわ。さらに、皆さんの意向も組み入れないとなので、結構、制約もでてきたり・・・最終的に以下の点に留意して名前を選考したわけです。1、 ひらがなであること。できれば3文字。2、 名前に濁点を含まないこと。3、 終わりの文字が優しいこと。4、 名前の始まりは“ま行”であること。で、その条件を兼ね備えたのが「まゆり」なのですっっっっっっっっっ!なので・・・条件先行の名付けになってしまったわけですね・・・まぁでも名付けってのはキリがないから、ある程度の制約の中から名付けるのでもいいかなぁ、なんても思いました。ただ、子供に「何でこの名前になったの?」と、きかれた時に困るですよね。つーわけで、ひまわり+ゆりということになったわけです。なんだかいい話にまとめようとしているが、そんなわけなのです・・・ひまわりのように元気で。ゆりのように美しくぅ。まぁ、親の気持ちなんてどこも同じだかんね。すくすく育ってちょうだいね。あっ、いまミルク滝のように吐いた・・・くぅ。 合掌
2004.06.24
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好評につき今回も妊婦スペシャル。カミさんが入院していたのは前回お話したとおり高円寺・あずま商店街にある「林医院」。名医です、林先生。(←欽ちゃん似)ほーんとに小さな個人産院なのにすごーく遠くからも患者さんが通ってくるって評判なのだそうだ。しかも待ち時間も大学病院並みの2時間、3時間当たり前の世界らしい。それでもみなさん林先生の所に来るのね・・・やっぱり親身になってお話を一生懸命聞いてくれることとか他の病院を紹介してくれるにしても患者さんがいるその場で電話をしてくれたり、待ち時間がいくらあってもその患者さんひとりひとりをじっくりみてくれるところが妊婦さんのハートをワシヅカミなのだそうだ。あと、そうだ。入院した時のご飯がむちゃくちゃ美味いというのもポイントらしい。実際見たけど、こりゃかなり美味そうだったね。ホントに作りたてほやほやを運んできてくれるのよぉ。退院時のお祝い膳なんかタイの尾頭付きで、カミさんはあまりの豪華さに写真まで撮ってました・・・「だって机に乗り切らないんだよぉ。2段のお膳の上、デザートつきだよぉ!」グルメ旅番組ぢゃねーっつーの。さぁ、あなたもぜひ、林医院で!さて、我らが林医院。外観はなんとなく新しくなっているものの、中はなんだかノスタルジックな昭和初期・・・産院なのに階段もむやみに急です。2階の廊下はウグイス張りとなっております。鳴ります。ってか鳴きます。入院する病室は2階に5~6部屋あるんだけれども全て個室。この部屋がまたいいんだ。これが。なんていうんでしょう・・・「ここ民宿?。」みたいな。畳敷きの8畳くらいの部屋で、マットレスのベッドがあるのね。で、冷蔵庫とテレビと洗面台。それと看護婦さんを呼ぶ例のボタン。あとは押入れくらいかな。すんごくシンプルな上になんとも古風。畳だかんね。天井も船底天井だ!実に下宿先か民宿のようなので、さすがのあほよしの実母も「あのテレビはどこから100円入れるの?」とまぢで聞いていたくらいですた。初めの子供は巨大な病院だったので、林医院ではもうすごーくなごんでしまって「泊まってっちゃおうかな・・・」と思わせる安心感と親近感がありましたねぇ。“胎児が選ぶ産院ランキング”があるとすれば、間違いなく5本の指に入るであろう。ビバ林医院!トイレは共同なんだけれども、建築スペースの関係なのかなぜか2階に向かう階段の踊り場に・・・なぜこの位置なのか・・・当然こちらも個室トイレなのだけれども、入院して2日目の夜にトイレにいったワタクシのスウィート。部屋を出ると分娩室からヒーヒー、フーフーとがんばっている同期妊婦さんの声が昭和の洋館のごとき廊下に響き渡っていたそうな。「おーっ!がんばってるねー。結構結構!」と悪徳代議士のような感想を心にとどめながら踊り場トイレに入室洋式の便座に腰掛け、用をたしたその瞬間。「おぎゃーおぎゃー」と赤ちゃんの声が・・・「あの時ほど爽快な気分で用を足したことはないね・・・やっとでたってカンジで。他人の出産とリンクしてなんだかワタシも充実した」(妊婦談)ワタシ。不謹慎だと思います・・・くぅ。(涙) 合掌
2004.06.20
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昨日わたくしの長女がめでたく誕生!高円寺の林医院にて2460グラムでの出生でございます。予定よりも23日も早い早産でワタクシはかなーり心配しました…これはある妊婦が経験した危機一髪の物語である・・・6月2日、午後9時。ワタクシの携帯がなった。見てみると奥さんからで、なんでもおなかが張って仕方がないという。ワタクシはまだ花屋に勤務中なのでなるべく早く帰りますねといって電話をきり、それでも10時すぎぐらいに会社をでたのね。11時頃に帰宅。少し話をしてみると「なんか、おなかの張りの痛さじゃないカンジなんだよね・・・」「1時間に2回ぐらいのペースで痛いんだけど。」といっており、すでに通院している高円寺・林医院にも電話したらしい。男は勝手なもので、「あーそーなんだぁ。もしかすると今晩から明け方に生まれちゃう?今晩産んじゃうの?」などとかるーく、しかも無責任な反応。やーねーオトコって・・・つーことで風呂に入ってワタクシ終身。でもカミさんはどうにもこうにも痛いので眠れず、もしやのことを考えて入院の準備を夜中じゅう、夜通ししていたらしい。で、一睡もしないまま朝を迎えたらしいのね。もちろんワタクシは熟睡。朝になって本人自身もかなーり心配だったみたいなので、朝一で病院にいきたいので幼稚園の送りをたくされ、ワタクシは会社を遅刻させてもらい、子供を連れて幼稚園へ。カミさんは病院2件をはしごするため、中野と高円寺へ旅立って行きました。園のテラスで子供とバイバイして幼稚園から仕事に直行。お仕事をしていると3時くらいにカミさんから電話が・・・「いま病院終わったよ。少し動きすぎなので安静にしていてくださいだって。子宮口もまだ全然開いていないから生まれないですよっていわれたから、お迎えすんだら横になるねー。」とのことでした。あぁ、こりゃ一安心だねー。と思って再び仕事をしていると19時41分にメール着信。「入院するから病院 行く」(←なぜか半角空いている)あれっ?ふーん。そうか、がんばれぇ!入院してゆっくり落ち着いて生んだほうが安心だよ・・・と思っていると、8時20分過ぎに実母からケータイへ電話あり。「なーんか生まれたってよ。」「な、なにぅ?まぢで?」てなかんじで長女誕生。これはワタクシのオンタイムタイムテーブル。これが妊婦だと違うんだなぁ・・・それでは妊婦バージョンへ・・・3時に診察が終わってダンナに電話。幼稚園のお迎えは4時なのでゆっくりと沼袋にある幼稚園へ。園庭にはお迎えのママ友達がたくさんいて、約10人くらいの人に囲まれつつ今日の診察結果を報告。ひとまずよかったね・・・とみんなに一安心され、いざ帰宅の途へ。しかーし。いつもは15分くらいで帰れるその帰り道を、おなかの張りと痛みのせいで休み休み、シャガミながらの帰宅のためな、なんと2時間をかけてのご帰宅。タクシーになぜ乗らなかったのか?やっとの思いで3階にある我が家に到着。早く寝ればいいものをここでさらに米をたくわけですよ・・・掃除も少ししたらしい・・・わからんね。妊婦は・・・そんでもってやっと横になったものの、直感的に「こりゃだめだ!」と思い、長男のヨットを連れて荷物を持って外へ。子供を実家にあずけて、いざ病院じゃぁ!と思って3階からの階段をおりきったところでまず、一度目のダウン。ここでまず動けなくなり、うずくまったまま隣の焼き鳥屋さんのおやっさんに「おじさーん。おじさーん。タクシータクシー呼んでくださぁぁぁぁい。」と大声で叫ぶと、仕込みをやっていたおやっさん(マスター・やっちゃん:推定57歳)が店から飛び出てきて、もう状況を見た時点で大慌て。「救急車呼ぼうか?救急車呼ぼうか?」とおやっさんのといかけにもうちのカミさんは拒否の姿勢をくずさず、「タクシーで!タクシーで!」とかたくなに拒んだらしいのですね。後から聞いたら「子供を預けてからと思ったから」らしいが、そんなこと別にいいだろう・・・これも後からおやっさんにお礼に行ったときの事なんだけどもワタクシ、いわれてしまいました。やっちゃんに。「奥さんにさぁ、あーゆー時はさぁ、救急車乗った方がいいよっていっといてよ・・・」と少し寂しそうに言われてしまひました・・・で、やっちゃんは自分の奥さんを怒鳴りながら呼ぶと「タクシーだ、タクシー呼んで来いっ!」ってなかんじで奥さん新青梅街道まで猛ダッシュ!なんとかタクシーを拾うことに成功!おなかの痛みで悶絶してるところで、はいっ、先ほどのメール。「入院するから病院 行く」(←なぜか半角空いている)に、なるわけです。この時点で19時41分ですからね。パニック状態になりながらもメールって打てるんですね・・・つか、結構文面にそんな緊迫感っまーったく伝わらんね・・・で、子供を車で5分足らずのあほよし実家にあずけつつ子供だけ下ろして今度はいざ高円寺・あずま通り商店街の林医院へ!ここへも飛ばして5分くらい。いよいよ早稲田通りに差し掛かったところで・・・はいきました。商店街通行止め。「あぁ、入れませんねぇ。ピピピピピ。はい、1380円です。」えーっ!こっ、こっ、ここで下ろすのぉぉぉぉ?このワタシをぉぉぉぉ?と、正直、妊婦は思ったそうです。結構、白状だよね運ちゃん。つか、そりゃないさ・・・やっとの思いでお金払って、プルプルタクシーからおりる姿を見て「じゃぁ、病院までいってきますよ・・・」とやっといってくれたらしいが、その時は妊婦痛みの怒ピーク。運ちゃんが荷物かかえて病院へ向かってからは商店街の入り口で生まれたばかりの小鹿のように足をプルプルさせながらやっとのことでたっていたのがあえなく二度目のダウン。もうその頃には商店街だけあって、人だかりが出来てしまっていて、見知らぬ若者に「ケータイ貸しましょうか?」とか「肩かしましょうか?」「おんぶしますよ!」とか、あずま通りはもう大騒ぎのおおわらわ。カミさんもピークだからそばにいた見知らぬ人の腕を力いっぱい掴んでいたらしい。そのうち、なりふりかまっていられなくなってきたので自然と声もでてきてしまい、「痛いー、痛いよぉー」「ふぐぅーふぐぅー」などと叫んでいる所に欽ちゃん似の林先生と若い看護婦さん×2名登場。(同時に運ちゃん退場)先生は一目見て「こりゃやヴぁい」と思ったらしく、「一気に走りますよっ!」といって看護婦さんとともに肩にカミさんを担ぐとダッシュ!(先生推定70歳)そ、そんな語無体な・・・と頭の片隅に感情のかけらが転がりつつも何しろ痛いのが先行している妊婦なもんで再び「痛いーっ、痛いよぉぉぉぉ。」「もう産まれるぅぅぅぅぅぅぅぅ」などと商店街をCIAに捕まった宇宙人のように引きずられながら叫びまくる妊婦。こりゃ、注目度100%だろう・・・どう考えても・・・病院までの距離は約150メートル。これが結構あるんだわ・・・50メートルくらいいったところで妊婦みなさんにカミングアウト。「せっ、先生、せんせーっ。わっ、わたしっ、破水しましたぁぁぁぁぁ」引きずられてるその体勢での破水・・・ドラマでもこうはうまくいきません・・・そういわれても、走るしかない先生(←推定70歳)。そして待ち受ける看護婦さんたち。やっとの思いで林医院へ。しかーし、分娩室は2階。あと8段・・・、あと6段・・・とカウントダウンされながら一歩一歩出産に向かう妊婦。もうこの頃の心境というのは「あーもー産みたいっ。とにかく産みたい。産ませてください・・・お願いします・・・」という感じになるのだそうだ。産ませてくださいって・・・分娩台にのってあーもー産みますっ。ってところで寸止めくらって麻酔を打たれ、「はいっ、どうぞ。いきんでっ!」で、プルリン。と。いきみ一発。プルリン出産でゴザイマス。あぁ、よかったよぉ。無事に生まれて。商店街で産まなくて・・・。伝説の妊婦になるとこだったよぉ。まぁ、でも十分な逸話だろう・・・ちなみにあほよし実家にタクシーで寄ってから20分後には生まれてしまったというのだから驚きである。陣痛も何もあったものではございません。その晩、ママ友達に連絡をいれたら。「あれっ?だってさっきお迎えに来てましたよね・・・」といわれたらしい。そりゃぁ、ビビルだろうさ・・・ワタクシの実家は老夫婦が洗濯屋を営んでおりまして、出産したという電話が入ってから5分で父・ギゾウさんがかけつけたらしいのですがまず最初に手渡されたのが、カミさんのズボンだったらしい・・・カミさんは義父には一生頭が上がらないと申しておりました・・・プルリンと産まるる子供と破水ズボンうれしハズカシ 洗濯屋の嫁 合掌
2004.06.16
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