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平成のはじめ、有料老人ホーム立ち上げのため研修目的でアメリカの同業者数か所に滞在したことがある。どこもみんなトップは女性だった。というよりも、ほとんど女性の職場だった。CJはあるホームの、といってもリタイアメントコミュニティというのだけど、ナンバー2だった。スタッフからも入居者からもシージェー、シージェーと呼ばれていた。呼びやすい頭文字の組み合わせでもあったけど、存在感も大きかった。彼女の場合、事務所ではなく、まして、事務所の個室でもなく、メインロビーのエントランスの際にデスクを置いていた。ホテルのコンシェルジュと似た顧客との距離感だった。出かけてゆく入居者にも、帰ってきた入居者にも声をかけていた。いや、入居者から声をかけてもいた。もちろん、訪問者にも最初の接点だった。マーケティング担当でもあったからだ。彼女の明るさと行動的なキャラクターとの相乗効果もあったけど、オフィスレイアウトとして斬新でいいなと思った。今もそう思っているのだけど、結局は僕は同じ方式はとらなかった。マーケティング担当が入居者に対する総合的なコーディネータを兼ねるというそういうあり方自体は導入したが、日常の動き方として、できるだけロビーに出ておくというように心がけさせた。僕自身もそう心がけた。デスクをろロビーに出さなかったのは、デスクがロビーにあると、入居者や顧客との対応は豊かになるのだけど、一方でスタッフとのやりとも四六時中必要なので、その両立は難しかったからだ。僕はいまだにアメリカの職場がなぜ日本ほど人員が多くないのかよく理解できないままだ。日本は生産性が悪いのか、個々人の能力が不足しているのか、仕事の仕方がなにかちがうのか、いまだに疑問なのだけど、CJはロビーのデスクでスタッフと話していて、入居者や顧客が通り過ぎてしまうというようなシーンは見かけなかった気がする。とはいえ、僕が会社員ではなくなったころから、日本の企業は何度もリストラを繰り返しているから、今では職場は一変しているのかもしれない。言えることは、あのときのCJの守備範囲はとても広かったにちがいないということだ。
Apr 30, 2015
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本をほとんど読まない僕が、書店の本棚からふと取り出したのは、二十歳ぐらいの時だった。本を読まない人というのはたぶん、僕のように好奇心が少ないか、または読むという行為が円滑に進まないからだと思う。そのときの僕は、いつになく一気に読んだのだった。加藤さんの文章力と文体が音楽のように響いた。知性の豊かさと感受性にも惹かれた。それからというもの、加藤さんの本は次々と読んだのだった。絶版で手に入らない初期の著作「ある晴れた日に」は、加藤さんに手紙を書いて直接貸してもらった。加藤さんは僕より20年早く生まれたから、終戦のときはもう25~6歳だ。青春の多感な時期に戦争体験をして、戦後の新しい日本の発展とともに生きた。多才な論客として時代の証言者でもあった。若いころ、一度東京で会っている。それにはいつまでも赤面する僕の失敗が思い出される。最初アポをとったとき、加藤さんの「じゃあそしたらね」と言われた言葉を、その日okだったのに、「じゃあ、あしたね、」と聞き間違えてしまって、僕はこともあろうに加藤さんを有楽町のジャーマンベーカリーで待ちぼうけをくらわせてしまった。結局はその翌年だったか、紀伊国屋ホールでの講演会のあと、虎の門のメキシコ料理店に連れて行ってもらって話を聞かせてもらった。その話は、聞いているときはうなづいていたが、なぜかすっかり内容は思い出せない。結局人生はお茶を飲むことだな、と聞いた気はする。加藤さんはもともとは医師だけど、文学芸術、政治経済、あらゆる分野に造詣を深められた。長年欧米の大学でも教鞭をとっていたし、多くの著作を通じて昭和の知性と評価されているのは言うまでもない。2008年に旅立たれてしまったけれど、晩年は中国文化にも知的探索をされていた。憲法9条を守る活動もされていた。そういう意味で、今の日本にもまだ生きていてほしかった。知性の巨匠だったけれど、いつまでも若い時のようなどこか恥じらいのある笑顔を失わない人だった。知性に品性を兼ね備えた人だった。
Apr 29, 2015
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春の褒章のニュースで思い出した。父は黄綬褒章をもらっている。昭和48年だ。30年ぐらい前なんだな。父は最初は英語の教師だったが、あの戦時中にどういう境遇だったかは聞いてみる機会はなかった。終戦後すぐに大手電機メーカーに転職した。このいきさつも、聞いてみることはなかった。その会社ではずっと教育畑だった。産業教育の進展とともに歩んだ。当時はアメリカンメソードを日本は学んでいったから、父はアメリカの大手電機メーカーにしばらく提携関係で行っていた。そういうパイオニア的めぐりあわせがあったから、社内外で活動していて、定年になるまでに独立して、結局は75歳まで仕事をしていた。黄綬褒章は長年その道一筋の功績に与えられるようだが、どういう賞であれ、人々の推奨があって初めて実現する。だから、業績と人望の結果と僕は思っている。そういう意味で言うと、僕は父を越えられなかったと思うのだ。そして今、息子はもう僕を越えていると僕は思っている。父を越えられなくて、息子はすでに越えていて、という関係にある僕だけど、そのいずれにも僕は満足している。
Apr 28, 2015
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大きな足跡を残しながら、人生を駆け抜けって行った人、という人生がある。僕が知っている人の中では、浅野恭右さんはそのひとりだ。若いころから社外のことに関係することが多かった僕は、浅野さんがけん引する流通システム化のパイオニア振りに数多く接してきた。今は完全に普及して成熟期にあるバーコードをアメリカについで日本で啓蒙し定着させた。流通業界のような個性豊かな経営者や人材をまとめあげるのは容易なことではなく、しかも川上にあるすべての生産現場を同期させてゆく巨大プロジェクトは浅野さんが居なかったら、誰かがいずれはやるにしても、日本は大きく遅れたに違いない。日本が軌道に乗ると、アジヤ諸国にも指導に駆け巡っていた。いつも忙しく、大きなトランクを提げていた。トランクは海外にも持って行っていたので、夥しい数のエアラインのシールが貼られてそれがデザインになっていた。浅野さんが主催するテニス合宿にも何度か参加した。それはいわばテニス外交であり、当時の通産省のキャリアも参加して、流通各社の実務家が集まっって懇親を深めた。夜の集いにはメンバー紹介があるのだが、浅野さんは各自の自己紹介に必ず絶妙なツッコミを入れて、その場を沸かせるのだった。いつもあまりにも忙しいので、あるとき目の前で言ったことがある。あんまり無理しちゃダメですよ、いつも目が充血しているし、と。充血というよりも、白い眼の部分に出血箇所があったからだ。ものすごい勢いで、いつも関係者に目配りできる人だった。結局、深夜に車の運転中に事故で突然帰らぬ人となった。僕は強いショックを受けた。でも、その頃はもう日本の流通システムのハイテク化の基盤は整っていた。流通の末端でレジ時点で単品情報が収集できるのは、バーコードが商品に生産段階や流通段階で印刷されるソースマーキングが確立されているからだ。川上から川下に至るその壮大なシステム化の事業をトータルで成し遂げて駆け抜けて行った人生だった。
Apr 27, 2015
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ゴールデンウイーク前にいちど汗ばむ陽気になるんだ、だから、半袖、ノースリーブをを売り場に展開する、しかし、5月半ばには、低温になる時期がある・・・Iさんは商品計画の会議で次から次へと助言を放ってゆく。。。ベテランの味でいつも押さえどころを心得てリードしていた。通販部門に変わったときの当時の僕には新鮮な思い出だ。自分の役どころを心得た人で、ナンバー2として、バイヤー経験のないトップによく仕えていた。そのよくできた人物が、あるときから急にトップと折り合いが悪くなった。あれはなんだったのかとよく思う。想像だけれども、よく仕えていた円熟した人物がそうなるのは、彼がいてこそ勤まっていた上司が、どこかで自己中心になったのだと思う。心が折れたのだろう。その頃の僕は、その上司の立場を守るために、部下とともにある業務上の無理をしていた。その無理は、社内的にも知る人ぞ知るにもなっていた。僕が普通は一度行けばあとは別人に順番が回っていくはずの海外出張に意外にも連続で僕を指名したのは、もしかしたら、もしかしたらだけど、僕が慮って行っているその無理への配慮、代償のようなものだったのかもしれない。僕は目上にあたるIさんに、そっと「いいんでしょうかまた僕で・・」と言ってみた。そうするとIさんは僕に諭すように言った。「それはそれ、やがな。いきなさい」とこなれた大阪弁で言った。円熟そのもの、百戦錬磨な人が、仕える上司と不意に折り合いが悪くなった不思議さとともに、この時期の陽気の日々にはいつもIさんの面影を思い出す。
Apr 26, 2015
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史上最悪の国難があの戦争だった。それが教訓となってこそ、日本と日本人は70年間のあいだ、他国とは違う生き方ができて豊かになり、産業技術、生活文化が独自の進化を遂げてきた。今では日本自体がテーマパークのようになって、国際的な評価も独自のものになった。日本人ならたぶん、この延長線上には世界のモデルになりうる未来志向の使命を切り開くことができるような気がしていた。僕はアメリカは好きだけど、戦後の日本の外交政策はアメリカから距離を置いてゆく方向にいくべきだったと思う。隣国の中国が大国になることは昔から自明だった。今や日本はアメリカと組まないと中国に対峙できない状況になっているが、それは過去の外交政策の怠慢の結果に過ぎない。アベコベ氏は一面において、いわばその犠牲者みたいものだけど、アメリカと同期しながらありきたりな国に変わっていかざるを得ない。加えて、どういうDNAなのかわからないけど、村山談話と同じ文言は絶対に口にできないという旧式日本人の悪性ウイルスに感染しているような人物だ。
Apr 25, 2015
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結婚して49年になった。2人が4人になり、家族が6人になって、さらに10人になった。10人目は1歳だ。
Apr 24, 2015
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戦後50年の時の村山首相談話は確かに被害国側の立場を汲んでいる。でも自民党族の大半は本当は快くは思っていないと思う。今の首相は快く思っていないほうの最右翼のほうだろう。先日もBSフジのプライムニュースに長時間単独生出演してるのを見ていたが、間接表現でよくそれが表れていた。番組の最後で彼は言っていた。いままで日本は控えめだったが、これからは積極的に発言してゆくと。タイミング悪すぎるけど、そういう人物が運悪く権力者になった。僕は選んだ覚えはないし、そう思う人も多い。歴史が狂う時というのはそういうものなのだろう。自然災害のような災害だからどうしようもない。静かに進行する災害なのだ。
Apr 23, 2015
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日野原先生だったら、たぶん5年先ぐらいまで予定を持たれている。今確か103歳だ。ちょっと考えてしまわれることもあるだろうけど、お願いするほうが待つからだ。僕は独立してからの仕事の中で、耐久消費財は扱ってはいけないなと気づいてからはそうしてきたけれど、今引き合いのきている英国製の特殊な椅子の場合、7年前でもうそれきりと思っていた。今回仮にこれが成約となると、うまくいって8月納入だから、数カ月は最低健在でなくてはならないし、もしかしたらまた次が続くきっかけにもなるかもしれない。明日はどうなるかわからないのに、とりあえず今日は大丈夫だろうと僕たちは暮らしている。ならばついでに就活しちゃおう、と身分証明写真を撮ってきた。:::のではないです。今年は国勢調査があるので、また調査員を頼まれている。その書類のためなのだけど、これも実際には年末まで健在でないとできないことなのだ。今まで、10年前と5年前の2回している。10年前は、みなさん高齢化してもう無理なので、とそういう言い方で頼まれたのだ。10年前から5年前の間には、僕は脳出血を起こしている。なので、5年前引き受けたとき、これは最後だろうなと思っていたのに、引き受けてしまった。そういう流れとしては、実はもうひとつ難題がある。僕が工房として占拠気味に使わせてもらっている場所のオーナーは今秋からまた再び1年半の南極観測隊越冬隊員になる予定だ。前回は、1年半の不在期間を健在でクリアできるかなと内心不安もあった。今回はその不安の濃淡は微妙に変化している。まあ、考えても考えなくても、結果は同じだ。これは、昔はるかに若いMちゃんが僕に言ったセリフだ。むこう2年間は予定は立てることにしよう。
Apr 22, 2015
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自然災害だとあきらめもつく。でも、自然災害でも人災なものもある。地震や火山爆発などは自然災害だろうけど、異常気象なんかはそういう側面がある。そうして考えてゆくと、人間だって自然の構成要素の一部だから、自然災害と人災の区別はほんとはないのかもしれない。昨日BSフジのプライムニュースに現首相が出ていたが、言う前からいうことわかっている人物だけど、こういうのが全権握ってしまうということも人災そのものだし、あのような人物が日本と日本人の歴史を歪めていくのも、人災で過酷事故とも言える。もうどうしようもないという意味で、そう言える。民主主義というシステムは人災を生むシステムでもある。
Apr 21, 2015
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人間は3世代でつながっていくことが多い。だからかもしれないが、子供が育っていくには父母だけでなく、祖父祖母のサポートがないと結構厳しいと思えることが多い。もちろん3世代の関係があるのは、いわば恵まれた境遇であって、当たり前のように思ってはならないことは言うまでもない。娘の家には3人の男の子が育っているが、長男は今月から小学校だ。幼稚園はいつも遊んでいるという感じの幼稚園だった。もちろんポリシーがあってのことなのだが、そういう世界から小学校に適応できるかなと少しは懸念していた。彼は、僕が将来結婚して子供が生まれたら、やはりA学園に行かせる、と言っていた。だから、遊び放題の幼稚園離れできるかなと思っていたら、小学校へ入って僕べんきょうする、と言っている。教科書も読み漁っている。これはヘルプによく行っている妻の話で、祖母である妻にもまともな会話をしている。妻のその土産話がいつも楽しみだ。年の近い弟といつも遊んでいる。喧嘩も多いが、お互いにお互いを必要としている仲良しだ。過日はこう言ったそうだ。僕は将来は結婚しないでK(弟)と暮らすよ、と。Kは即座に僕は結婚するよ、と応じた。あはは、まだまだ子供だわ。
Apr 20, 2015
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NHKとテレビ朝日を呼びつけた自民党だけど、そんなこと許されていいのか。もうあまりにもあからさまな傲慢だ。こんなこと白昼堂々となされるのだから、もう日本は壊れている。壊れているから騒動にもならない。騒動にもならないから一層壊れてゆくマイナススパイラルだ。もう、強制終了しかない。呼びつけられて行くほうも行くほうだし、
Apr 19, 2015
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僕が小学校に入ったとき、国民学校一年生♪と歌われていた。国民という言葉は当時はイデオロギー用語だった。今の逆走ソーリが国家国民という用語を使うときの彼の頭はその頃の悪性ウイルスの乗り移りみたいなものだ。僕は国民よりも市民という言葉のほうが好きだ。国民学校1年生だった時、国民、国家という用語が人々を支配し、自由と基本的人権さえ損なわれてた。醜悪な圧政が人々をマインドコントロールしていた。そういう中で、僕には説明できないことだが、天皇制があった。国民学校の朝礼台の斜め後ろには畏れ多い感じの小さな館がありみんな敬礼させられた。なんだかわけがわからないから、6歳の胸に言い知れぬ反感がこみ上げたものだ。大人になってからの僕には昭和天皇はまるで父親とおなじぐらい特別な人だった。わけのわからぬ違和感は消えて行った。とても不思議な巡り合わせと思うのは、現在の日本の異様な状況の中では、永田町界隈は事実上機能不全の末期的症状で、戦後70年間の良き日本が殺されていく感じであるなかで、永田町に近い東京の中心の森の中に唯一健全な良心が慎み深く輝いている気がする。
Apr 18, 2015
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フェードアウト中の輸入業の仕事が7年ぶりに呼び覚まされて、今詰めているとこだ。介護用品の分野では個別性が重要で、しかも特定の難病などに関連した問題に接するがある。7年前に東大の研究所経由で受注した椅子の場合、それはハンチントン病という難病の患者さん用のものだった。その難病は、遺伝性のある神経系の障害で、特に自分では制御できない身体的動きがあり、昔は舞踏病とかという俗称さえあった。ただ、欧米に比べると日本人の発症率は10分の1ぐらいで、10万人中0.5人とされている。だから、国内でも数百人という極めて稀な難病である。僕が椅子でご縁ができた英国のメーカーはそういう特殊な用途の椅子をいろいろ製作している。日本にはそのようなメーカーはない。なので、輸入するしかないので、引き合いがあれば1台づつセミオーダーメードなのだ。今回も同じ研究所経由の話だけど、7年前に導入して今は神奈川県の病院にある現物を知っている患者さんからの引き合いであるという。僕は介護医療関係の仕事は問題解決であるという考えなので、こういう場合、仕事そのものが楽しいし、嬉しい。もちろん、利益は度外視している。ただ、この難病だけでなく、どんな難病でも、必要なサービスや物品は全額公費で対応できるような国にはやくなってほしいと思う。現政権の経済政策のような、選挙対策優先で保身を図るばかりで、 恵まれた者に恩恵のある政策をすれば恵まれないものにもいずれは回っていく、という論法のイカサマ的な古典的手口は許せない。アベコベだからだ。
Apr 17, 2015
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民主主義は人類世界的にベストなシステムとされているし、僕もそう思う。でも怖さもあるなと痛感するのは、今の日本の政治状況だ。 今の強権政治の生みの親は国民である。だから、なぜこんな酷いことになるのかと問うてみても、責任は国民に戻ってきて、選ばなかった僕にまで降り懸かってくる。それが民主主義というものだ。 民主主義は選挙と言うシステムで象徴的ではある。 選挙を通じて、今の一党独裁のような状況が出来てしまった。自公などというが公は権力の味をしめてしまったし、自のほうは便利使いしている。なので、特殊な某国のような一党独裁制同然なのが現状だ。 それでも、この原因となった選挙は総選挙でも参加国民は6割以下だし、地方選だと半分以下だった。総選挙の場合は、小選挙区制という仕組みのために、自民公明のような、組織や利害で繋がっている党が議席をさらってしまうことになる。地方選挙はもっとひどい。立候補者自体が不足している。だから、基本的に民意の結果じゃないし、普通の感覚ではかなり無効なような選挙だ。 でも、仮にこれ以上の方法はないとしよう。 仕方なく行われるこの仕組みで議席や権力を得た者が主義主張はともかくとして、国民の尊敬に値する者であるかどうか、任せておきたいと思える人物であるかどうか、それはもう国民からはどうしようもない。特に首相職になる者は国民は選んではいない。選んだことになってしまうだけなのだ。 今なっているような人物の場合、イデオロギーが昔風すぎるし、それ以上に権力を得た者がもつべき謙虚さがない。自分が長をしている党は選挙で3割台の得票だったに過ぎないのに、システム的に議席で支配できてしまっている。政権を奪還したと繰り返して、30数パーセントというのは100に近いみたいな権力乱用を繰り返している。 権力者の席に着けば、その瞬間からその者は全国民の代表であって、自分の党派の狭い了見をやりたい放題に出来る、と思っている。そういうのが民主主義、そういうのが法治国家と、まるでそう思っているかのような傲慢で慇懃無礼な振る舞いだ。 もし彼がが自分の息子なら日本国民のために、勘当してしまいたいと思うし、すでに今までの行状の罰として島流しにしてしまいたいと思う。
Apr 16, 2015
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もともと経済政策がアベコベというかほとんどイカサマ的と思うけれど、国や国民の歴史を狂わせるのは平和と言う用語を使いたがる軍国化族だ。お膳立てするいつもの奇妙な自公コンビも、権力を乱用する者も責任はとらないし取れない。選んでしまった国民たちも被害は被るとしても、責任はとらない。わざとらしさを当たり前のようにニュースで見ているうちに歴史が暗転してゆく。
Apr 15, 2015
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半世紀前に僕が3年だけ居た職場で一緒だった今は熟女がの3人で来襲してきた。 当時の写真を持ってきてくれたので、iPhoneで撮らせてもらった。 2002年に人事部出身者の会があり、その時会っていたらしいのだけど、記憶のいい加減な僕には半世紀ぶりと思ったしそう感じた。 僕を訪ねようと言いだした首謀者KNさんは今は白髪だった。言いだすぐらいだから明るい円満な人柄だったのは今も変わらない。少し地味目だったNKさんも、円満な感じの品のある女性になっていた。ボーイッシュだったKMさんはそのまんま年を重ねたという、当時のままのようだった。聞けば結婚後も実家だったので、子供の頃からずっと同じ家だということだったので、なるほどと思った。 5時間ほど会話は途切れなかった。 僕の部屋にも寄ってもらって、雑貨コレクションから好きなものもらってちょうらい、とお願いして、それぞれ選んで持って帰ってもらった。 会っておしゃべりするのは半世紀以上ぶりだけど、これが最後だろうなと、会う前からそう思っていたけれど、関東から来たKNさんとはやはりそうなるだろうな。
Apr 14, 2015
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70年談話なんかやめておけ、と思う。あの逆走男はやめない。愚民的言葉学に終始しているからだ。 村山談話で中国も韓国も外交カードにしなくなっていたのに、参拝問題も含めてアベコベ氏のような陳腐なタイプの場合にはわだかまりがある。国内事情としてもあの村山談話は閣議も通過しちゃった、いわば通過しちゃった感のあるものだ。 でも、アジア外交に視点が行きすぎるのも僕は基本が間違っていると思う。 歴史認識ということでは、僕が強調したいことは他国を犠牲にしたことそれ以前の問題として、自国民を犠牲にしたというまさにそのことなのだ。 3百数十万人というだけではない。自国の全国民の生活と人生に被害を与えたのだ。 謝罪などで済む話じゃないのは、他国にはもちろんだけど、自国にこそ永遠不滅な歴史的過ちなのだ。それを土台にした平和主義の堅持でなくてはならない。 アベコベ氏の感染源はまさにアベコベの方向に行きかねない危険なイデオロギーなのだ。 今のような政権こそまた再び、自国民の敵になりかねないということを理解すべきです。
Apr 11, 2015
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NHKの編集だから、制約もあるのだろうけれど、BSで他国のテレビのニュースのダイジェストを見ていると、地球中が揺れている感じがする。主に地球人類の中での葛藤だから、第三次世界戦争に至らざるを得ないような深刻な状態だ。だからこそ防衛強化軍事強化と言うのかもしれなしけど、それは違うと僕は思う。いわば現政権の横暴な進め方は予防的ではなく、敢えて破局を早めるようなことになるだけだと思う。言い換えれば、よりもよって日本が他国並みのありきたりな対応を強めれば、世界戦争に陥ることを防ぐのに貢献できる国は有力な国の中では他にはないのではないかと思う。島国であり、経済大国であり、技術大国であり、宗教的にも寛容な日本こそ、巻き込まれてはならないし、巻き込まれることを防げなくても遅らせることはできる。政権さえもっと政治哲学があれば、外交的にも貢献できるはずだ。今の政権はもしかしたらまた日本の歴史的過ちの重罪を犯しかねないし、浅薄で危険な火遊びをしようとしていると思う。
Apr 10, 2015
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映画のエンドロールでこういうのはあるだろうか。あるかもしれない。 長い余韻の残るエンドロールが続いていて、不意に画面が転換して劇中の場面に戻る。。。 スクロール中のスクリーンの真ん中にいきなり小さな光が出て、それがスクリーンを中央から破くように映像がクローズアップされてきて画面全体が劇中の映像に戻る。。。 あ、まだ終わってなかったのか、と観客は気づく。 ・・・ 今日8年ぶりに僕の輸入業が呼び起された。英国製の椅子のそれも最も特殊なタイプの椅子で、ハンチントン病という難病の患者さん向けに設計されている。これを8年前に別注で輸入したことがあり、その同じ研究所から自分も使いたいという患者さん用に依頼が来たのだった。イギリスのエージェントに電話したら、1台??!!と突っ込まれたけれど、8年に1台なんだから1台しか買えないよと僕は言った。これから作るのだからいろいろな詰めはこれからだけれど、1台だけの物流費は負担が大きすぎるので、8年前と同じように、大きなビジネスをしている会社のコンテナに便乗させてもらう方式でまたいくつもりだ。こういう応用問題は好きなんだ。
Apr 9, 2015
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尊敬できる為政者など存在しないのが普通かもしれない。でも、同じ人間なのだから、なろうとすればなれるはずだ。 権力を得たときに、奪還したと繰り返すような男の場合には、実際には自党の者に投票しなかった人が7割近くいるのに、選挙に参加しなかった人も5割近くいるのに、そういう人々も含めた代表が自分なのであって、そういう多様な価値観を咀嚼して政治を行う使命だと解っていない。受容する度量も無さすぎる。そういう為政者の人格のせいで、日本と日本人の国格や品性を損なっていくのが哀しい。歴史の歯車の狂いは始まったばかりだけれど、もうこのまま10年は悪いほうへ悪いほうへ進む一方だろう。僕はもう生きていないだろうから、どうでもいいのでなくて、だからこそ哀しい。
Apr 8, 2015
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FBで繋がっている人の中に割合著名な人もあって、ある方が最近FBが決めている友達5000人以内というのに達したので、申請はしていただけない、でも友達をやめる人も出るから、それで空いた枠を連絡します、とあり、今までも自分の投稿で安倍政権の批判をするとそういう離れる人が発生するので、ということだった。 僕は逆にたまたま友達がその人の投稿をシェアしたのでその人を知ることになり、知人友人じゃないのに申請したら受け入れてもらったのだった。政権批判という損するだけのことをしておられるからこそ、畏敬の念で僕は申請したのだったけど、それとは反対な、わざわざ離れる人があるということなのだ。世の中が危険になる兆候というのは、まさにこういう人が増殖する時だ。危うきに近寄らず、寄らば大樹の陰、みんなと違うと思われたくない、まして今はネット時代だから、根こそぎ個人情報が吸い上げられてしまうから関係ないことにしておきたいのだろうか。 メディアのような巨大組織でも「おもんばかって」しまう現状だから一般人がそうなるのは無理もないけれど、たいして失うものもない一般人であるからこそ、しっかりしてほしい。たとえ民主主義が悪用されて、人品疑わしいものが権力を乱用しても、最後の砦は一般人個人個人だ。
Apr 7, 2015
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いくらネット社会だと言っても、テレビや新聞の影響力は最強のものだ。毎日何千万という日本人が見ていて、テレビでやっていた、新聞に載っていた、と言っている。 そのテレビも新聞も、全く報じないことがある。メディアは汚染されている、という状況は絶対に報道していない。汚染はこの2年でまん延し、今年でほぼ全面的になった。いかがわしい権力者からすれば、ほぼ完成したという感じだ。 何をもってそう言うか、とその筋の人が言えば、それは恫喝であり、メディアに圧力をかけたなど事実無根、とわざわざ言明しても、今ではその言明そのものが圧力と同じ効果を果たしている。 テレビや新聞の仕事の人と接したことはいくらでもあるが、昔から高圧的な人たちだ。それが今のような高圧的な政権に汚染されているのだから、高圧×高圧の高圧の二乗の中で国民はそれを空気のように呼吸させられているというふうに言えると思う。そんなもの、 見るな、読むなと言いたいぐらいだけれど、見るならそれを解って見ろ、読むならそれを解って読め、とそれだけは言っておく。
Apr 6, 2015
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馴染のない市外局番の電話がかかってきた。 山梨の**です、わかります?? 営業じゃなさそうだ。 **です、と彼女は言った。 **さん??と僕がファーストネームを言うとそうだった。 幸い当たった! びっくりだあ! そうでしょう? ・・・ 社会人になった頃の最初の職場である神戸大丸の同僚の中の1人だ。 昔の同僚何人かと神戸で会うらしい。そのあと何人かで僕のところに来るという。 来たいというその日はちょうど東京の友達が来る日で、その後の時間帯ということになるのだけど、遠来の客2連発は珍しい。 というよりも、彼女たちとは半世紀以上も会っていないから、降ってわいたような珍事でもある。その職場に僕は22から25の3年しかいなかった。年頃同士の同僚も多くて仲も普通によかったけれど、その頃の僕はすでに大阪に彼女が居たので、誰とも個人的な関係ではなかった。 古き良き昭和の時代の真っ最中で、しかも初めての職場だったから、もちろんとても懐かしい。 ショックが走るかもしれないなあ。こっちも老いているけど、老いてる僕を見たら、自分たちも老いてることを気づいてしまう。いや、女性はまだそこまでは老いてない気はする。 どうなることやら。
Apr 5, 2015
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わずかにまだ正常だったテレ朝報道ステーションが墜落して、古舘さんがなんだかはしゃいでいるような番組になった。古舘さんにはちょっとがっかりだ。NHKのこれもちょっとはまともな感じがしたニュースナインも見る気もしない感じの時間になった。テレビも新聞も追放してから、ちょっとは見ていたのがそのふたつだったから、BSのなぜかフジがまだましなプライムニュースというのを2時間やってるので、見ている。これはおきまりの出演者だけでもないし、2時間近く特定テーマで掘り起こしている。キャスターの反町さんも特に主張や見識を出す人でなく、視聴者的目線で多角的に突っ込んでいるのがまだましな健全度だ。意外にまだ今のところは政府広報のようには偏っていない。報道の自由度という問題は、報道内容をどう伝えるかもあるけれど、その前に、どれを伝えてどれを伝えないか、ということのほうがもっと大きい。その点のほうが、愚民化がやりやすいのだ。NHKは海外の諸国の放送をダイジェストしているが、そこにも取捨選択はあるとしても、海外の放送局のニュースは日本ではまったく伝わっていないものがよくある。今イエメンが深刻な状況だけど、在住外国人の避難には中国軍も参加している。日本人は少ないのかもしれないけど、中国艦船で救出されているのは中国人だけじゃない。これなどは、逆に日本でも大きく報道して、あべこべ氏のプロパガンダにも好都合と思うけれど、政府広報各局を見ていないから知らない。
Apr 4, 2015
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今の首相はよく奪還という用語を使う。政権奪還以来・・、というふうに。これはいろんな意味で人物性を表しているなと僕は思う。 60パーセント前後の人しか参加しない選挙で自党はその中の30数パーセントの得票なのに選挙システムのからくりと泡沫野党乱立のせいでで議会を支配し、 今の地位に返り咲いた、二重の意味で奪還の人だ。 原発事故をコントロールしていると嘯いて、陳腐な経済政策で国民を幻惑しながら、長年の野望どおりに国家の逆走を進めている。一連のこれらの言動はせっかく積み重ねてきた日本の良さを台無しにし、国益を損なってきているのに一般世論は惚けたままなのは僕には不思議でならないけれど、それだけ成功裏に事が運ばれているとも言えるかもしれない。 僕にはもうどうしようもない。 それだけが確かなことだ。
Apr 3, 2015
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61位ショックがショックでないらしいことがショックだ。 報道の自由度がこの大事な時代にこの国では目立って下がっているという現象は騒ぎにもならないこと自体が不健全だ。健康診断なら要精密検査で、ただじゃすまない。 でもこの情報化社会で情報化社会の発信組織が汚染されていたら、一般人はどうしようもない。報道の自由度劣悪な国で、報道の自由劣悪という報道を報道組織が出すわけはないから、この症状は意外に情報として拡散していないらしい。 とても不健全な情報環境の中で歴史が暗転していっている。
Apr 2, 2015
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国別報道自由度61位ショックで少し調べてみたら、近年異様に一気に急降下している。これは自分の感じ方と一致している。2010年は11位だったらしい。それも前年の17位から上昇して、なんとか先進国らしいレベルだった。民主党に政権交代された頃と一致しているが、まだ民主党政権下の2011年の原発爆発が大きく影響して、一気に転落し53位になり、また政権が昔の政権に戻って、リバウンドのような逆走が始まり、さらに57位になり、今61位なのだ。この4年間はもう国民は非常に歪んだ情報環境で暮らしていることになる。今の政権体質だと、回復しないしもっと巧妙で悪質になると思う。健全な国家、健全な社会であるためには、透明性に度量のある指導者と仕組みが待望される。
Apr 1, 2015
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