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人類社会が成り立ってゆくのに経済はいちばん基本的に重要だろう。 経済の運営には金融セクターと大企業の振る舞いが支配的ではある。 そうは思うけれど、今の政権の金融と大企業覇権的政策はあまりにも露骨でいくらなんでもおかしいと思う。 そういう政治は難しくはないし、選挙にも有利だ。 でも、そうして弄ばれていると僕は思う。僕自身は別に困りはしないけれど、そういう政治が安定政権になってゆく一方では、どうも生きにくい、暮らしにくいという人々が犠牲になり続けている。 経済は市場原理で動くのがいいし、経済には波動がある。政治が関与する必要がないとは言わないけれど、関与する仕方が間違っていると思う。経済の政治利用があざと過ぎる。
Oct 31, 2015
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自宅やマンション前の放置自転車の始末をしたことが10回以上はある。いずれもまず、持ち主向けの告知文を貼って、一定期間促すのは同じなのだが、持ち主が自転車に書いてあって連絡がついて、持ち主に戻ったケース。持ち主が書いてあっても連絡が取れなかったケース。警官に来てもらって、たまたま盗難届が出ていたので、あとは警察が動いてくれたケース。警察が来てくれたが、警察では動いてくれないケース。実はこの最後のケースがいちばん多い。これが困るのだ。結局は行きがかり上、市役所の大型ゴミ回収手続きをとって、引き取ってもらうことになる。今まで10回以上はそういう結末になっている。手間だけでなく、軽微だけど費用も掛かる。1回600円だけど、今回、もううちで使ったらどうかと妻も懲りているので言い出したのだった。僕用の2台の1台も今5000い円上修理費がかかる症状にあるし、もともと理不尽なすっきりしない問題だったので、自分のリスクで使おうかなという気持ちに傾いていた。それで、いつも世話になる自転車屋さんに相談に行った。鍵を付け替えたいことと、自分用にあらためて防犯登録したいからだった。経過はありのまま話した。結論は出た。自転車屋さんは、鍵を取り付けることはできるけれど、鍵を壊すことはできない、という。防犯登録はこのケースではできない、とも言う。ということは、それでも僕が使おうとすれば、自分で鍵を壊しちゃって、自分でつけるか、つけるだけを自転車屋さんに頼むしかない。防犯登録はできないから、登録されている防犯登録は僕ではないまままになる。警察は忙しいはずなのに、よく走行中の自転車を止めて調べたりするから、そんなのに遭遇すると説明が面倒でいい気はしない。なので結局、有料ゴミだし料金であとは処理してもらうしかないのだった。ただね、自転車やsさんのサジェスチョンの中には、こういうのがあった。そんな放置自転車は駅前まで持って行っておいて置いておいたら、市がまとめて引き揚げてくれるから、そうする人もある。無料で済んじゃう。。。。つまり、僕の住んでる街は、市域全体が平坦で、自転車天国。駅前の駐輪場収容数は慢性的な不足。不法駐輪数近畿ワースト6位とかなんだ。懲らしめに、時々全部持って行かれる。自転車収容所まで取りに行くと2~3000円必要だ。夥しい数の自転車が、持ち主を離れて旅立っている。年年歳歳、繰り返し、繰り返し。
Oct 30, 2015
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E.M.フォースターの短編小説には、天国行の乗合馬車、というのがある。昔読んでみた。2年ほど前にも読んでみた。なのにもう、忘れてしまった。手がかりがない、というわけだ。
Oct 29, 2015
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人間の中にも地雷がある、というのが僕の考えだ。ただ人間の場合には、その地雷は人間関係によって触れたら作動する場合と、触れても作動しない場合とがある。そう思うのだ。人間の地雷は、取り除く作業はできない。触れないようにするしかない。
Oct 27, 2015
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ゆみさんの依頼の、ゆみさんと一緒に考えたものが出来上がった。これは彼女が育苗した植物をフリマなどで陳列するための台だ。陳列も大事だが、フリマは搬入、搬出も大変。なので車に乗せる時に、こうなるように、陳列台は運搬保護台にもなる。
Oct 26, 2015
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説教者はいくつぐらいの人だったのだろう。老いについて語りたくなるのは、とても人間らしい。でもそれは、語るのは自由だし、語りたくもなるものではあるけど、決してひと様に通じるものではないとも思う。70年前のことが、通じないのと同じだ。70年前に生まれ変われた日本と日本人をまた危うくするようなことばかりする、逆走男がますます独善的になってゆく。70年前のことは彼にもまた通じないからだ。政治は何もしないのがいい。権力者はなにもしないのがいい。日本にとっての災いを起こす彼の場合は。
Oct 25, 2015
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夕方6時にならないうちに暗くなるようになった。短日性の植物なら、花を咲かそうとなるのだけど、日が短くなると、相対的に忙しく感じる。次ぐに追い込まれてしまう感じ。ということは、昼間の長さにに依存しているライフスタイルになっている、ということだな。時間が貴重になる一方の人生だから、考えなくちゃ。
Oct 24, 2015
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歳をとるとひがんでしまう傾向がある。そのために、誤解もしてしまう。たった今の話なんだけど、輸入業務でいつも連携してきたイギリス人からメールが来て、不自由な人々用のすべての製品にならまだ関心があるか、という主旨だった。僕はそのオールプロダクト、すべての製品、というのに勘違いをして、いやRegentは現物もあるし、依然興味があるし、自分自身が好きだ。Omegaは多くの目に触れるところにあるから、まだコンタクトが来る」可能性はある。なので僕の答えは、今までに経験している製品には、であって、すべての製品には、ではない。と、輸入実績ある製品だけは続けたい、という意味を答えた。引き合いがたまにあっても、成約のない状況が何年も続いていたからだ。それにもう歳だし、というか歳だと思われているから。すぐメールが来た。いや、そういう意味じゃなかった、イギリスで話題になっていておもしろいと思うのがあるから、ほかのものでもという意味だった。(オールプロダクトという意味はほかのものでもと言いたかったのだった)日本人は遠まわしに言うスタイルが多い。僕もそうだ。婉曲に、というわけだ。なので僕はそのイギリス人は対日貿易の熟達者だから日本人的な感覚をよく分かっているので、僕は長い間実績がないけど、まだやる気があるか、まだやれるか、みたいなニュアンスかなとそう勘違いしたのだ。事実上フェードアウトしているし、受け身でしか対応しないからだ。そのひがみみたいなのが年齢という事実関係と重なっていて、来季の契約は微妙、みたいなプロ野球選手と似たモードになっているわけだ。英語なので、僕にはバリアが大きいからだけど、そうではなくても、コミュニケーションというものは自分の先入観が重なって不具合はいつでも生じるものだと思う。
Oct 23, 2015
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国勢調査の報告一式を提出してきた。すっきりした。下書きも役所が責任もって焼却してくれる。ものすごい量の未使用印刷物も、まあ紙だからリサイクルされるだろう。5年に一回だから、もうこれが最後だろうな。そういうふうにふと思う人も少なくないだろう。提出会場に来る人々を見て、そう思った。
Oct 22, 2015
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人は何事にもそれぞれの意見がある。意見を言いたいかどうかはまた人それぞれではある。人生経験が多い人は、つまり高齢者はどうしても意見が増える。増えるけれども、逆に抑えて控えてしまうのもまた高齢者だ。逆もある。うるさがられる。国勢調査のシステムや中身は知能程度の高い人たちが考えたことだから、意見はあってもその意見の論拠はすぐ崩されるものなのかもしれない。でも、意見がいっぱいある。今の政権の高慢さもひどいけれど、そのいちばんのお仲間である官僚組織こそもともと事実上の政権みたいなものだから、日本はある意味ものすごいことになっていると僕は思う。汚職は少なくても、無駄に違いないような組織団体業務が長年の蓄積でとらえどころもない裾野が広がっている。国勢調査というこの怪物のようなブルドーザーも国民をなぎ倒すように後姿を見せ始めた。こんどはマイナンバーだ。ひどい軽薄なネーミングなのに、邪悪さも脆弱さも見えないようになっている。統治しやすい国民だからだろう。国勢調査に関する意見収集はどうなっているのだろう。議会ではどうか。でも僕は思う。いちばん意見を収集する価値があるのは、国勢調査員だと思う。でも、壊されるのを避けたいだろう。その理由はなんなのだろう。不思議でならない。
Oct 21, 2015
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国勢調査はあと1軒、今晩受け取りに行くのがあり、それであとは纏めに入る。アートバザールの後始末は明日、ちゃぶ台のひとつを配達する約束なので、と言っても、折り畳み式だし、電車に乗って届けてくる。宝塚南口、好きな駅なのだ。なんか昨日も今日も楽しみな気持ちが波打っているのは、ちょっとしたピークをクリアするからなのだけでなく、クリアすると前からの予定にいよいよ取り組めることが楽しみだったからなのだった。それでふと思った。楽しみということの共通の条件はしたことないもモノやコトにかかわっていく、ということだと気が付いたのだった。頼まれている木工が3件あり、着手できることが楽しみの原因だったわけなのだ。そして、ハンドメードということは、その都度初めての内容であるということでもある。なので、着手するという楽しみ、プロセスの楽しみ、もちろんこれが楽しみの本体であり正体なのだけど、そして、自分も満足、依頼者も満足、という結果になれば、楽しみが完成することになる。
Oct 20, 2015
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出展後の後始末がいつも後回しになるのに、今日は結構片付いた。いつもと違って、食に関係するアートバザールだったから、ラップデスクは膝の上のちゃぶ台というネーミングにしたし、ちゃぶ台のようなものもいくつか作った。それに、たまたまオーダーメードを頼まれたことから、それまでは知らなかった野菜、果物、椎茸などの乾燥を暮らしの中に組み込んでおられる人が意外に多いと知ったので、いくつか作ってみて、それも意外に反応があった。今、ちょちょっという感じで作ったこれは、昨日出展ブースの隣の出展者からいただいたバジルの若苗用だ。なんでも装いをすればこちらの意識も変わるから、きちんと育てようと思うのだ。その人はスペイン陶板などを作っていて、それ用の額を作ってもらえるかということだったから、喜んで引き受けた。つまり、別に上手でもないし、まして職人レベルを目指してるわけもないのだけど、世の中にないものを作るのは楽しいから、すぐ心も体も動くわけだ。妻に言わせると、何もできない人で、金槌持たせたら10分で怪我してくる僕だったのが、そういえば変わったものだとすこしは思う。
Oct 19, 2015
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年に一度あるかないかという、今日は日なのだ。好きな義妹とついでがあったので、一緒に食事できたのはよかった。でもそれ以上のなにか特別なことはなかったのだった。アートバザールと国勢調査の峠が同時に来て、収束に向かっている。だからと言って、久しぶりにバーにでも、という気にならないところが、やはりどこか情けないような気がする。ま、日ごろ結構自由にしているから、というか、させてもらっているから、というか、まあそういうことにしておこう。
Oct 18, 2015
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守秘義務というのは、必要ではある。今国勢調査員状態なので、非常勤公務員だ。国勢調査というものには当然意見がある。その中には調査員をしているから経験することでの意見も増えてゆく。もう週明けからは調査員としての担当区域の結末報告を出さないといけない日程になっている。でもそれには現実に無理がある。無理があるという現状認識は意見でもあり、情報でもある。でももうこれ以上は言えない。守秘義務というと、個人情報の取り扱いを連想する場合が多いが、そんなことは当たり前だ。厳守に決まってる。僕がいいたいことは、国勢調査ってこれでいいのか?という方向にいく。日本だからこそ、こんな物凄い調査が可能なのだとも誇りにできる側面はあるが、相当抜本的に見直す時期に来たと思う。たぶん、見直されてはいくだろうから、これでおしまい。
Oct 17, 2015
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いいお天気が続いている。ペチュニアがそろそろ交代してよという感じだったので、店頭に出始めたパンジーがここに来た。週末のアートバザールの搬入もしてきた。晴天が続きすぎていて、お天気も交代を望んでいるかもしれない。週末は国勢調査の未了分をお願いに回らないといけない。昨日分かったのだけど、意外に多いのだ。僕の担当の場合、ネット回答者が63件もあったのに、郵送回答は38件しかない。アートバザールで時間がないからちょっとピンチ。というわけで、今日は平日だけど、今から回りはじめる。なので、足つぼマッサージをしてもらってきた。たなごころhttp://たなごころ.jp/
Oct 16, 2015
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ひとりでは行かないけど、人と行くときには選べる店が家のすぐ近くにあるというのは幸せだ。そしてそこには恋人もいる。イタリア特有のブランデーのグラッパのボトルが飾ってあって、そのボトルが恋人なのだ。厳密にはそのボトルの底にグラッパ漬けになっているガラス製の人形がそれで、人形はラケットを持っている。人生でいちばん好きなことのひとつだったテニスがモチーフなので、恋人なのだ。欲しそうにしてみても、ダメですオーラが返ってるから恋人なのだ。間に入って邪魔する人がいるから、恋人なのだ。ジャマする人は、長年その店の顔でもあるマキさんだ。理由はある。それはどなたからの贈り物だからだ。というわけで、今日はシンガーソングライター夕紗ちゃんのプレバースデーだから久しぶりに会えたというわけなのだ。お勧めイタリアンDavincihttp://davinci.ecoweb.jp/夕紗http://www.audioleaf.com/yuusa_1/
Oct 15, 2015
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昭和の終わりから」平成にかけての数か月、僕は東京でフリーの仕事をした。その委託事業では、輸入促進が課題だったので、輸入品に実績のある流通業をいくつか訪ねた。その中で、中野にあったカタログハウスのオフィスの空気を覚えている。自信を持っているスタッフたち、というのが残った印象だった。もちろん、消費者としての僕は好きな通販会社だった。企業の社会的使命とは言いながら、正義感のあるポリシーと企業経営とはなかなか両立しにくい。両立するためには、国家権力やその時の世の中の大勢に媚びを売らないで済むだけの、強い支持力のある顧客を保有していなければならない。カタログハウスは、原発にも安保にも屈しない姿勢を表現している。企業であるにもかかわらず、それができるのは、ほかにも某信用金庫などがあるが、なかなかできるものではない。できるものではないのに、できているということには、特別の尊敬と喝さいを送りたいと思っている。むしろ、今のような不健全な日本では、マスコミ、女性、のほかに本来政府や官僚や無責任な大衆に媚びざるを得ない有力企業体の中にも、このような企業が増えることが日本社会のセーフティネットになりえると思うのだど。。。
Oct 14, 2015
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夕暮れが早くなってきた。これは今西日を受けているマルハマンネン草だ。セダム類は好きなので、これは別に育てていた鉢からこぼれ落ちていた数本を植えておいたら、いつのまにか形が整い、育ちぶりがとても綺麗になって、ここんとこ完璧な美しさになっている。美しいというよりも、健康な感じがある。そのままで居て!という気がする。植物も思い通りにはいかないけれど、たまに驚くほど見事に生育してみせてくれるときがある。人と同じ、個体差は大きい。植物の場合、その植物の学名や名前や商品名はあるけれど、同じ仲間にひとつづ固有の名前をつけることはない。動物とは少し違う。ひとつには、固有の名前をつけるほどはそれぞれの個性が識別できるほどではないからだ。でも、記憶に長く残るぐらいにその生涯が見事なことがある。そういうときは、名前つけておきたかったとかと思う。数年前まで生きていたボロニアピナータの場合もそうだ。毎日見る度に、すごいな、おまえはすごいなと感じた。季節があるはずなのに、ほとんど一年中咲いていた。夏越えは難しいだろうと思ったのに、夏を越え、冬を越え、またもう一年咲いて、それでもまたさらにもう1年咲いていて、というふうに4年か5年生きていた。ほとんど咲きながら生きていた。植物をしている人は、言葉をかけて愛でていたらよく育つ、などという。モーツアルトの音楽がいいという人もいる。あるような気もするがよくわからない。あのボロニアピナータの場合、僕は門の前に鉢植えで置いていた。日当たりはいい。風通しも悪くない。門の前も横も水路があり、水路の段差のために終日、年中滝のようになっていた。水蒸気も滝の音もマイナスイオンも関係したかもしれない。そして、門の前だから、僕の目に触れる機会も多く、いちばん目をかけてもいた。存在感を感じてもいた。そのボロニアピナータから差し芽をした人も、僕自身も差し芽には成功しなかった。それから何度かその面影を追って、ボロニアピナータの苗を買って育てたが、いちどもうまくいかなかった。同じ場所で環境を同じにしたが、二度と再現できないでいる。
Oct 13, 2015
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夏が意外にいさぎよく崩れ去ったので、今年は短い秋も少しゆっくり流れている。あの夏の抗議活動は今はどうなっているのだろうか。愛すべき日本を壊そうとするばかりの政策が強行されてゆくなかで、ほんとうに腰を据えた組織的な救国活動に育って行ってほしい。かつての自民党では、アリの一穴という喩えで、アベコベ男のようなのを制止することができる人が自民党内にも居た。今の自民党は、自民党にさえあった良い特徴も消えてしまっている。それでも、今の野党の度量の無さからみて、二大政党制を目指せる野党はもう10年は育たないだろう。つまり、アベコベ男の長期政権になる。日本と日本国民にとって、ほんとうに災難としかいいようがない。来年の参院選挙も自民党過半数は変わらないだろう。この夏の抗議活動を土壌にした倒閣の活動が育つとしても、来年倒閣できる可能性はゼロに近いだろう。アリの一穴をしてしまったアベコベ男から権力を取り上げることがとりあえず救国的課題だと思う。アリの一穴の喩は、崩れ始めると止まらなくなるということだ。もう取り返しはつかない、とは思わない。石破さんは、軍事オタクみたいで前から気色が悪かったが、今の自民党なら早く石破さんが後継する事態になってほしい。すこしは事の運び方が正常化するだろう。そういえば、石破グループには、かつてアリの一穴と言って睨みを効かせた人の息子さんがいる。
Oct 12, 2015
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知らなかったのだけど、画家の堀文子さんだ。100歳に近い。いい顔されてるなとまず思った。語り方に全く老いがない。早朝にテレビをつけたら、この人が話していた。すぐに引き込まれた。NHKの職員が番組を作る時のストレスをよく感じ取ることがある。この人を登場させたのは、まだNHK職員も堕落しきってはいないと思う。再放送があれば勧めたいけれど、再放送はないかもしれない。別に反政権的な話題だったわけじゃない。そうではないけれど、あの忌まわしい昔の日本に回帰しそうな危機意識は、多くの旧世代人が共有するものだ。僕にとっても、終始共感できる話をなさっていた。自立した女性の巨人のひとりだろう。日本の女性ももともと偉大な人物が多いのは言うまでもないけれど、「活躍」活躍と、三流の広告コピーのようなことを連発して無垢な国民たちを煙に巻くみたいな陰険な政権が醜く見えるだけだ。マスコミと女性がしっかりしていれば大丈夫だが、それが今はどうも・・・、とそれも真髄を突いている。この人の生涯を知りたくて、さっそくいくつかオーダーした。Kindleで読めるものもあったので、放置しているKindleも使ってみよう。
Oct 11, 2015
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政治も宗教も、触ると危険な事柄なのに、どうしてもタブーには僕は触ってしまう。この写真にある言葉の意味するところは、ほんとうは僕には理解能力はないのだろうけれど、宗教ならどれでも同じような言い方はされていると思う。無宗教の僕でも、似たような感覚がなくはない。なくはないけれど、同じ人間である他者から、そういう決めつけられ方をされると、なんていい加減なことを言うのか、と思ってしまう。横柄な、とさえ思ってしまう。僕はおよそ宗教には帰依できない人間なのだろう。僕の理解では、宗教は総合芸術とでも言うべき、超芸術なのではないかと思う。ただ、人間には必要なのだ。だから、存在価値はあると思う。今の世界は、第4次世界戦争のような様相になっている。サイバー戦争のような新次元のものと古典的な宗教戦争のようなものが合成された事態なのだけど、宗教の名のもとに人が人を殺すようなことが相変わらず繰り返され、むしろ嵩じてゆく現実を見ると、結論ははっきりしている。神の名をかたって人を殺すのは宗教じゃない。宗教であるはずはない。そして同時に、それこそは宗教だとも言えてしまう現実こそ、それ以上言うことはないだろう。宗教のよりも上に、宗教を越えたところにこの写真の言葉はあると思うのだけど。。。
Oct 10, 2015
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友達の昔の恋人の話をしてしまって、ふと思った。自分の話はしにくいな、と。ブログもフェースブックも、いつかは個人情報が故人情報になって残ってしまう。メールはもっと微妙だ。事前に手立てを図っておく人や、代行するサービスもあるのだろうが、ネット時代以前にはなかった問題が起こっているだろう。でも、起こっているのは問題だけじゃなく、新たな付加価値というか存在価値も考えられる。人は死んでしまうと生きている人の心にしか存在できない。それが、ネット空間にもある意味存在的に浮遊していくことになる。死者への思い出はバーチャルではあるが疑似リアルのようにある意味生きる。双方向ではないが片方向のコミュニケーションが残存する気がする。
Oct 9, 2015
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人はみな恋をする。どういう世代でも恋をする。既婚でもそうでなくても恋はする。昨日のブログで久しぶりにF君の恋人を思い出したのに、その名前が思い出せない。すぐそこまで浮かんでいるのに思い出せない。彼が何度でも、**子が、**子がと話していたのに、**が思い出せない。恋人が既婚だと、悲恋に終わることが多い。片方が既婚な場合、男性が未婚、女性が既婚の場合と、男性が既婚、女性が未婚の場合とでは、悲恋の結末も違ってくる。プロセスの様相や期間も違ってくる。既婚と既婚なら長続きしやすいし、人生経験があるから悲恋というよりも熟恋という感じになる気がする。ただ、家庭と両立しないから悲恋も熟恋も修羅場が待っている。ことが多いだろう。いや、何を言ってるんだ、ということかもしれない。昔とは違うよと。違うか違わないかは別として、時代が変わっても、人は恋をする。人生には不可欠だし、人生の潤いでもあるのは、昔も今も同じだろう。彼の恋人の名前はまだ浮かばない。顔は覚えているのに。
Oct 8, 2015
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人の生涯は長くても1世紀しかない。なのに、半世紀なんてあっという間だ。妻がマーケットで半世紀も前の隣人に会った。妻はちょっと勘弁してよと思うぐらい記憶がいい。女性は男性よりもだいたいそうだけれど、相手の女性は少し思い出しにくかったらしい。でもすぐに思い出せて、旦那さんはおぼっちゃまみたいな人でしたね、と言ったそうで、今会ったらあまりの違いにびっくりするとその人に言ったのかどうか、僕にはそう言ったのだった。僕の実家の前に昭和なアパートがあった。そこはなぜか長年空き地で畑か荒れ地になっていた。ジェーン台風の時だったか、洪水になって、そこに住んでいた野良犬一家が流された。かろうじてその中の一匹の子犬を救い出して、家で買ったのだった。やがてそこがアパートになり、勤務先の仲良しの同期生Fくんが住むことになった。やがて彼には恋人ができて、よく遊びに来た。恋人は既婚者で、アパートの前にいつも駐車していたので、僕は車があると遠慮して遊びには行かなかった。その車のナンバーは今でも覚えている。悲恋の運命にあるから彼は自嘲的に言っていた。4215死に行こう、だった。彼女は貿易会社の社長夫人であり、とても美しい、育ちのよさそうな人だった。もちろん、年上だった。年頃だった僕らは、結構女性の話をよくしていたのに、いつ終わったのか、聞いたことはなかった。そういえば、いつ彼が引っ越したのかも思い出せない。隣の駅の賃貸に移ったのだけど、そのほうが会う瀬によかったのかもしれない。そのうち僕は結婚することになり、うちのまん前なので、結婚当初はそこに住んだのだった。妻が今日会ったのは、その時の隣人だった。そういえば、そのアパートはお風呂なし、共同トイレだった。僕は実家が前だから問題なかったけれど、安月給とはいえ、つらい環境だったはずだ。僕も思い出す。寒いから温度計を見たら、6度だった。つつましい暮らしだったが、昭和36年、高度成長の最初のうねりがあった。
Oct 7, 2015
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iPhone5sから6sに変えた。当たり前のように。ほんとは残債があと3か月ある。でも頻繁にストレージが足りません、と出るし、ポケットの中でホッカイロみたいになる。僕はソフトバンクなのだけど、こんど機種変更先取りプログラムというのを始めるという。19か月で変えやすいようになっている。競争のためでもあるが、iPhoneのバッテリーは1年半ぐらいが寿命だというのだ。え??確かにバッテリーにはどうも不安がある。バッテリーの技術革新が飛躍しないのはたしかにストレスなのだ。そうなると、頻繁にモデルチェンジするのは、それもあるのかなとさえ思う。メーカーと顧客との関係のなかでは、例外とも言えるほどの売り手市場、物凄いメーカー支配力ではある。今日はもうひとつ、え??というのがあった。ソフトバンクは本来電話通信の業態なのに、留守電機能がオプションの有料になったという。そ、そんな・・と思ったのだけど、留守電を利用しない人が多くなったのだそうだ。そのスタッフ自身がそうなのだという。LINEとかがあるからだ、ともいう。・・・日ごろ思うことは、銀行はひどい。手数などかからないことに手数料でをとる。膨大な財源だ。ほとんどの業態が価格設定やポイントサービスなどのインセンティブで身を削りながら生き残りを図っている中では、憎々しいかぎりだ。でも、ソフトバンクも結構巧妙に稼いでいる。一方で身を削りながら、込み入った手続きで稼いでいる。月額数百円のいろいろなサービスメニューがまずは自動的についてしまう。こちらで操作して、一つづつ削除しないといけない仕掛けになっている。結局は、消費者はほんとうにしっかりしていないといけない。
Oct 6, 2015
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妻が長年やっている英会話グループの外国人講師がアベ政権が大学での哲学や文学はやめろと言ってきた、と怒っていて、前回はそれがテーマだったらしい。いくら悪政満載の政権でもまさかと僕は思った。予算を回さないというような話じゃないかと思うのだが、妻は大学で哲学や文学は必要ないというほうの議論をしたらしい。そんなものは個人が図書館や本で勉強したらいい、とかと講師に抵抗したらしい。確かにいわゆる文系の学部の内容は理系と比べると価値があるのかなと思わないでもないし、理系の学生は結構勉強するけど文系の学生は大学生生活ということだけみたいな気もする。それは昔の話だ、それはお前のことだ、ということかもしれない。よくは分からないが、図書館にある本の著者の多くは大学での研究者やその薫陶を受けた者たちだから、大学からそういう学をなくしちゃったら、本とかも廃れていくかもしれないし、文系の分野のいろんなことを体系化したり歴史を継承する仕事も廃れてしまう。つまり、人類の知的財産が継承されにくくなってしまう。あはは、知的財産など縁遠い僕が言うことじゃないが、やはり人は役に立つかどうかだけが人生じゃない。理系は役に立つことばかりだ。それは経済や産業につながり、相互に依存している。役に立つということばかりになると、原子爆弾とか原子力発電とかも生まれて、結局は人類は早晩自爆するのだと思う。そういう愚かさを抑止するのは、文系の使命かもしれない。村上千秋さんは、故人だが、僕が通った高校の時の国語の先生だ。その息子さんの村上春樹さんは世界じゅうに影響を及ぼしている。賞をとるとかとらないとか詰まらない話だが、こんどはそうなるのではないか。そうなると、また新しい読者が増える。僕もそうなるのかもしれない。
Oct 5, 2015
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地球の歩き方、の歩き方ではない。人体の歩き方だけど、人間の歩き方ほど美しいものはないなと感じる時がある。欧米に行った時や日本の群衆の中で欧米人が混じっているときに、どうしても日本人はこれだけは負けてるなと思う。岸田外相は外務がお仕事だから、仮に英語が流暢ではなくてもウォーキングと発声のトレーニングを誰かがしてあげたらいい。脚が長くなくても美しい品のある歩き方には憧れてしまう。加齢は歩き方に現れるというのは昔から僕がよく言っているのだけど、妻は最近それを強調しだしていて、自分でも速く歩くように心がけている。速く、と、美しくとは少し違うのだけど、その両方が調和したらいいなと思う。そういう僕自身は最近は歩くのが遅くなったと言われる。もともとは速かった。なので、昔妻と付き合っていた頃は妻が追いつくのに苦心していた。最近はなんと逆になっている。妻が速く歩くのは僕はそれはうれしいことだ。ただ、どういうわけか、最近の僕はあまり速く歩きたくはない。自分の中の気分というか、精神的な巡航速度に同期しながら歩くのがいい、という心境なのだ。敢えてそれでも、速く歩くほうが老化抑止効果にはつながる、と内心は分かっている。人は皆、そううすうす感じながらも、流されるか、流れに掉さすかを選んでいるのかもしれない。
Oct 4, 2015
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小学校の運動会を見に行っていた。日本の学校の運動会は、たぶんとてもオリジナリティがある。そういう日本独自のスタイルを楽しめるということがもちろんあるが、昔より高度になっているとも思う。かなり練習も必要なダンシングメニューがそれだ。僕は小学生の頃、運動会が楽しみではなかった。やっとついていっている、という感じ。下手するとそれが辛くて登校拒否になったかもしれない。なぜ登校拒否にならなかったのだろう。僕はそんな勇気もなかったからだ、とそう言って妻にも受けていて、妻はそれを人に喋ったりもしている。それもあるのだけど、おそらく、それだけじゃない。同級生も先生も、そうはいっても何かなんとなく僕をもちあげてくれていたのだ。勉強ダントツ??そうでもない。いじめられキャラでもあり、保護したくなるキャラでもあり、なんかほかとちがうとそう扱われていたと思う。そう感じていた。だから僕は思うのだ。学校に行くのが辛い、とならないようにすることは可能なのではないかと。少なくとも教師にはできる。日ごろから教師がその子の味方になってくれていたら、行きたくないモードにはならないのではと。
Oct 3, 2015
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数字は文字通りデジタルだけど、数字の元になるリアルはアナログだ。国勢調査でネット回答率が東京では異常に低いことが世間も僕も不思議で興味がある。東京人の友人も国勢調査員人なんだけど、彼の担当区域でもやはり低い。東京人はいちばんインターネット利用率は高いのに、なのだ。単身世帯は東京は特に高い。僕自身担当区域に単身らしいお宅が多くて、表札もないし、うまく会えてもなんとなく迷惑そうだ。すぐ扉を閉めたいというオーラがある。僕の類推は、東京では単身者が特別に多いから、結局は回答用紙が届いてないか、ポスティング広告ぬまぎれている可能性がある。何度訪ねても、表札もなくチャイムにも出てくれないし、チャイムもならないとなると、誰も住んでいないように判断せざるを得ないこともあるだろう。僕もそういうお宅が数件あって、でも傘なんかも表にあるし、結局は伝言つきで用紙をポストに入れて帰っている。調査員の手元の報告用リストには姓名と家族数を書くようになっているから、会えなければ書きようがなく、なんど行ってもだめな場合には、空き家なのだろうと判定してしまう可能性も小さくない。一方で、調査員のほうも、東京のような流動性の大きいところでは、地域に密着した人が頼まれているとは限らない。なので、ネット回答の用紙でお願いする時に、直接に会えていない率も高いのではないだろうか。直接会えれば、今回はまずネット用回答用紙でお願いに回っています、と説明しはじめることができる。僕の場合、その時点でネットはできないからと、用紙を渡さないで帰ってきたお宅が20件ぐらいあった。かといって、そういって受け取られたのに、結果ネット回答されなかったところが、半分近くあったわけだ。僕は国勢調査に改善点が多いと思っている。ただ、とても現代社会が投影される行事だと思う。
Oct 2, 2015
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迫害のある国に生まれていたとしたら、どうしただろうと思う。思うけれども現実感がない。もちろん日本にいても迫害がないわけじゃないけれど、難民になってしまうようなことは起こっていない。よかったね、とそういう問題では全然ない。すこしもよくないからだ。首相が難民問題の質問になんだか頓珍漢な答え方をして、ちょっと外国メディアに記事にされているが、あれはもしかしたら同時通訳が悪かったか、質問を聞き漏らしたのかもしれない。自衛隊の活動範囲を拡大したことを誇らしく繰りかえして、相変わらずの独りよがりなのは困ったものだけど、今の異常な難民問題の場合は、難民を受け入れるという意味での参加こそ最優先だと思う。戦争には一切参加しないが、戦争の犠牲者には多少の犠牲をともなっても救済の参加をする、というのが日本人の採るべき道だ。シリアに詳しい学者が言っていたが、シリアの人は自立心がとても強い国民性で、外国に行っても同国人で群れるということがないらしい。今のシリア難民はまだ増え続けざるをえない情勢だし、職業もあり教育水準も高くて所得も多い人でも生命の危険のために難民になっているという。何を聞き間違ったのか、それともまさかボケてみたわけじゃないだろうけど、外国記者に日本では少子高齢化が課題で・・・と答え始めたとき、僕も目がテンになった。人口減少なので、移民が増えれば好都合とでも言い出すのかと一瞬思ったが、相変わらずの決まり文句を喋っていた。
Oct 1, 2015
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