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夢見る男、こと僕だ。あまりにも夢ばかり見る。睡眠中の夢も見過ぎている。著名な人とも普通に会っている。プーチンには会ってないが、オバマには先日会った。彼は手招きして、ちょっと、と言った。なんか狭い場所に行って、大統領の彼は、ちょっと話があるという仕草をしたが、考え込んで視線を落とした。重大なことを口にしそうだと僕は感じた。ふと、その狭い場所の入り口を誰だったか知り合いが通り過ぎようとしてこっちを見た。僕は手招きした。ひそかな感じを身振りで示した。大統領は悩んでいて、それを吐露しそうだとそう思ったし、その知り合いにも同席して聞いてもらっておきたかった。地球上の問題や歴史を見ると、独裁は好ましくはないが独裁で秩序が継続できたような側面がある。アメリカは国内的には独裁ではないが、世界の秩序維持のためにはある意味独裁的な覇権を発揮してきた。いわゆる世界の警察のような使命感だ。アメリカの大統領は、世界警察の司令官でもあるという、ひとりの人間が背負えるようなことじゃないけど、そういう使命感がよくもわるくも今も存在する。でも、ベトナムもアフガニスタンもイラクも破綻したし、ウクライナもシリアももちろん北朝鮮も、アメリカの覇権が効いているとは言えない現実がある。まして、テロリズムには無力とは言えないけれど、経験したことのない試練ではある。オバマ大統領は僕の中では頭を抱かえていた。ぼくら市民には、底知れぬ恐怖だ。地球人にとって、ほんとうの宗教が必要とされる時代なのかもしれない。
Nov 25, 2015
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ひとり晩御飯だったので、外食後の立ち寄り先はここだった。休日だから混んでいた。店頭で一人分をオーダーする七十路男は浮いていた。でも、この平和な光景も、ほんとは地球規模では浮いている。あまりにも豊かで平和な時間が流れる中で、同時代人が飢餓に陥り、空爆やミサイル攻撃の巻き添えになり、国外脱出中に溺れて命が尽きている。戦争だと言って非常事態体制になり、報復と報復の出口のない事態が進んでいく。恵まれて豊かな社会からは犯罪はあっても組織的テロリズムは生まれない。今格差がグローバル化しているが、古来人類は格差を作るばかりで来た。格差を容認するものばかりの保守政治で支配してきた。人類の争いの構図がはっきりしてきた。
Nov 23, 2015
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口にしたくない言葉、戦争。世界的規模、つまり大第三次のという見方が一般化する頃だ。過去の戦争とは質的に違っているために、いつの頃からか始まっていて、今政治家たちが戦争扱いし始めたために、火に油を注ぐ様相になりかねなくなっている。戦争には勝者はないし、報復のマイナススパイラルで巻き込まれる犠牲者が増え続けてゆく。空爆では解決できないと識者は論じ、事情通もそう言っている。犠牲者を出し続け、難民を増やし続け、テロリズムをアメーバのように拡散し、活性化するだけのように思う。かといって、地上軍で介入しないと、というのが有力かもしれないけれど、そういう次元の論議自体がもう泥沼を予見させる。殺しに来るから自衛のために殺しに行かないとというステージに入っているから、早晩集団的自衛権の拡大に接触するだろう。原発も新幹線もミサイルにもテロにも無防備だから、日本がすべきことは集団云々や後方支援という名の軍事介入などではないことだけは確かだ。
Nov 19, 2015
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画像を連結したらおかしなことになった。日常必需品である自転車の、修理費がかかりすぎるので、修理費程度の中古自転車を買った。いつも世話になっている自転車やさんには、惹かれる中古がなかった。その近所のガソリンスタンドの一隅に、5台ほどの中古自転車があって、その一台がずっと僕の気を引いていたのだった。僕が住む市は、全域平坦なので、自転車王国だ。駅前の不正駐輪数は長年解決不可能な多さだし、自転車の盗難や乗り捨て放置も日常茶飯事だ。自転車はある意味シェアされていると言えば大げさかもしれないけれど、行方不明になるリスクが高いので中古を買うことになるのだ。なんとこの自転車は5800円だった。まだ新しいみたいだし、27インチの車輪がついている。ハンドルはトンボ型のほうが好みなのだけど、これは高いハンドルになっているから、駐輪してもすぐわかる。ギアチェンジがないのは今は運動機会もなくなっているからまあいいとしよう。この自転車には鍵がなかった。それ自体が何かわけありの素性を示唆しているが、ガソリンスタンドが不正な方法で販売しているはずはない。中古自転車の流通網があるのだろう。それはいいのだが、中古自転車が発生する由来には、何かまともでないような気がする。昨日、まだ買って三日目なのに、パトカーとすれ違うと呼び止められた。鍵がないけど、どうしたのですか。さっそく、そう来た。わけを説明して、警官は防犯登録を照会した。防犯登録はガソリンスタンドがしてくれたから、すぐわかった。結局、チェーンキーでなく、固定の鍵を付けてもらった。1100円ほどかかった。警官がその程度のことで仕事しているのは、それだけまだ治安がいいからだ。その程度のことでも仕事しているのは、悪化してゆく治安の抑止力にはまだ余地があるということでもあってすこし安心でもある。
Nov 17, 2015
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これは娘宅の野菜などの保管収納用に作ったものだ。先般、娘が、作ってほしいものがあると、嬉しそうに言った。すまなさそうにではなく、嬉しそうにそう言ったのだった。頼めるものが思いつけてよかった、という感じに。もちろん、それでいいのだった。僕が喜びそうなコトをプレゼントしてくれたことになるからだ。僕にハンドメードの時間が始まったのは、8年前だけど、最初はラップデスクを創作するためだった。それは、イギリスから輸入していたことが契機ではあるけど、8年前に不覚にも脳出血したからでもあった。脳出血で半盲という症状になり、これじゃ当然テニスもできないと観念したけど、テニスには復帰できるまでにはなった。でもそれから、もう70代なのに50肩というのになってしまって、それはほんとに治らなかった。6年前にテニスができなくなり、4年半前にはもうあの東日本の大災害を知って心も折れてテニスを断念し、テニスクラブもやめてしまった。生きているのにテニスしないなんて、僕は想像もしてはいなかった。テニスしなくなって空いた時間は、ハンドメードの時間になった。ラップデスク以外にも、創作雑貨のつもりでいろいろと楽しくなった。でも、もともとは全く不器用なので、自分では不満ばかりの恥知らずなハンドメードだし、これは一生同じだという気がする。でも救いはある。たまに頼まれるからだ。ハンドメードは世の中にはないうもの作る、ということにやっと気がついてきた。ないもを作るというのが免罪符、救いなのだ。今年も残り少なくなってきたけど、恒例のクリスマス展に出品するものをつくらないといけない。同時に、あと、スペイン陶板してる人の額縁2つと、ちゃぶ台も待ってもらっている。無から有に、作るのって楽しい。考えるのからして楽しい。作るプロセスはもっと楽しい。失敗するけど失敗から分かることがあるから楽しい。仕上がって喜んでもらえたら、二重に楽しい。つまり、WIN WINだ。
Nov 15, 2015
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朝、いつもどおり実家の古家を点検していると、暗い玄関にドアの隙間から朝日が差しこんで、一輪挿しをライトアップしたみたいになった。壁には昔のレコードジャケットがあるので、背景のままで撮った。綺麗だ。そう感じてうれしくなった。ちょっと絶不調だったし、おまけに足の付け根の長年の異物を切除したばかりなので、自転車も乗れないし、かなり植物状態だった。外に出てゆっくり歩きはじめると、見るものがどれも美しく感じるのだった。並木道の柳の木の肌が黄色く染まっているのに気付いて、不思議な感じもして、なぜ気付かなかったのだろうと思った。側溝の淵に、苔類が綺麗に育っているのも、歩いているから気付いたことだった。普段から車嫌いなので、自転車のほうが車よりも移動中の視野が楽しいと思っているのだけど、自転車よりも、歩いているほうがずっと、目に入るものがちがうなと思った。
Nov 11, 2015
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歴史の研究者の人が、今年のハローウインの盛り上がりを見て、日本人は時代の変わり目には踊るんです、と言った。不安をまぎらすためかもしれない、とも言った。そうかもしれないという気もするし、いい加減なこというなあという気もする。戦後70年、ことあるごとに曲がり角という言い方があった。この70年をひとこと言えば、僕はグローバル化だと思う。グローバル化という前人未踏の歴史は当然に曲がり角の連続系になる。変わり目の連続系になる。そしてまだそれは現在進行形だ。70年の後半はまさにインターネットがそれを加速化してきている。そして、人類がみんな世界を可視化でき始めたから、理不尽な格差も曝されるようになって、ますます争いが深刻で複雑になってきてもいる。そういう意味では、アベコベ男の逆走路線も逆走ではなくて先取りで、国際的にありきたりな国にしていくいくことで、安全性を高めるということがもしかしたら仕方ないことなのかもしれない。それを抑止力というふうに思っているらしいけれども、それはほんとうだろうか。誰にもそれは分かりはしない。争いであれば、それは相手次第、関係性次第だからだ。相手だって、自分の将来は分からない。世界は二分されているわけでもなく、もっと複雑で複合的だからだ。不安心理が人を動かしているとしたら、たしかに曲がり角中の曲がり角かもしれない。僕は今の政権は厄の神みたいな存在だと思うし、災難というしかないけれど、杞憂に終わればもちろんそれに越したことはない。
Nov 5, 2015
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中国は一人っ子政策を転換した。でも、一人っ子政策下でも、日本で生まれる子供よりけた違いに多くの子供が生まれているという。両親がどちらも一人っ子なら、一人でなくてもいいらしいし、人口がけた違いだからだ。日本でも少子高齢化が深刻だとして、子育て支援が重要だと、言わない政治家はいない。子育てについて語る資格などないに決まってる。でも自分も過酷な時代に育ってきたし、自分の子供たちも、すごく大変だったということでもない。なのに、今の日本で子供の虐待数統計を聞くと、驚嘆するぐらい多いことからすると、いかに子育てが大変かを示唆するものだと思う。一方で同時に、今日も聞いた話だけど、4人を育て上げている女性が、タイヘンでしょうと訳も分からぬ男性が言っても、そうでもないように言う。子供は育ってくれた、みたいに言う。そういえば、子育てが趣味です、と言い放っていた人もいた。いずれも、ある意味泰然とした風だったし、ある意味そうだったのだろう。多様である、といえばそれでそのとおりなのだけど、なぜ人によりそんなにも違うのだろうか。長く生きてきても、だから分かってゆくことと、なのにわからないこととが増えてゆく。
Nov 4, 2015
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朝、テレビで喋っている人の言葉に思わず足を止めた。たまにあることだが、それでそのまま続きを見てしまう。長渕 剛のインタビューだった。音楽的には関心はないのだけど、この人が話していると思わず聞き入ってしまうということが前にもあった。何言っても、ほとんど内容がなんか深い。同じ時に同じ物に接していても、彼だけは普通じゃない言葉を発する気がする。つまり感性がちがう。だから、言うことが違う。聞いて心が傾く。考えが定まらぬうちに、つぎつぎと機関銃のように言葉が出るから、追いつけないぐらいだ。人の個性は生来のものに加えて、過去の積み重ねが混合して形成されてゆく。その育ってゆく個性が、さらに個性を深く耕してゆく作用も果たして、類い稀な人物が大木に育ってゆく。自分が消えていっても、歌が残っていってほしい、と彼は言った。誰が作ったものかもわからない歌がずっと人々に親しまれていくように。夕焼小焼けのように、と。僕は生来煩いぐらい濃い人、変に熱い人は好きじゃない。でも例外がある。もっと知りたいなと思う例外がある。
Nov 3, 2015
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もう今年も終わってゆく。そういう感じがするのだ。あらかた決まっている予定以外の予定は、入れにくいし、入れる気がなえてゆく。諦めることがいちばん容易だなと気付く。歳をとるということは、諦める習慣がつくということでもある。自分のことだけでもない。筋書きのがあからさますぎる今の悪政も、もう諦めておくしかない。憲法の寿命も70年だったし、夢を描きすぎて失速してゆくということなのだろう。心ある人は、耐え忍んでいるのだろう。人の生涯は、耐え忍ぶことを学んでいくということなのか。そういう気がする。
Nov 2, 2015
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府知事になった頃の橋下氏には期待をもったことは事実だ。こともあろうに慎太郎氏と組んだ時、誤解していたと知った。そしてその時こそ、維新がまったく維新とはかけ離れたものになる転換点だった。それでもまだ国民の中に自民党を倒せる勢力を待望する層があって、総選挙で議席を増やした。結いの党ができていたので、異質な統合があってすでに維新は目がぼやけた台風のようになった。そしてまたこともあろうに醜悪な内ゲバになって、ただの分裂した熱帯性低気圧になって、議会における地に堕ちた野党イメージにさらに泥を塗る結果になった。橋下氏が起こした現象はただのゲテモノのような姿を示しながら、現政権の悪政を助けるだけの迷惑さんであるだけだろう。民主党の足を引っ張った小沢氏に加えて、政界オタクたちが政治を弄んだことになる。そして、巨大与党はますます横暴になって、議会はただのお墨付きを付与するだけの存在になった。アベコベ男にはもう憲法が射程内に入っている。よほど国民が目覚めない限り、巨大与党は10年は続いて、戦後70年の日本の歴史が台無しになってゆく。野党が絶滅危惧種になっている国に希望はない。ありきたりな国にはなってゆく。それは愛国の政治ではない。
Nov 1, 2015
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