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ニュースに影響される人は多い。世論形成の源流にもなる。だから、ニュースの送り手も大事だが、受け手のほうがもっと大事だ。都合が悪いようなことがニュースであって、都合のいいことはただの広報だというような主旨の言い方を聞いたことがあるが、まったくその通りだと思う。多くの日本人はニュースの受け手としては御しやすいようだし、そこが統治しやすい国民である大きな原因だと思う。あまり氏の事務所と建設会社とURのことの場合、ニュースソースが週刊誌からだから特殊なケースだけど、今の多くの国民の呆けぶりではあれでは政権支持率もほとんど落ちないだろうし、野党が陳腐な言で却って損するぐいらいになりかねない。ニュースの送り手にまず問題があるからだ。役所や独法がすぐ情報を出さない、ということのほうが先ずニュースなのに、情報がないとニュース原稿も書けないとばかりにただの受け売りや表層的なニュースになる。ニュースにできないことの中にこそニュースがあることになる有様だ。結局は深堀り出来ないで人のうわさも75日の飽和点になって、放射能のように拡散蓄積されていくのだろう。。。。それにしても、石原さんは、国交も、行革も環境もダメぶりを晒したはずのに、大丈夫なの???
Jan 30, 2016
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畏敬という言葉はまさにこのことであり、このことだけに使われてもいいとさえ思える。 現天皇のことだ。 僕は一切のイデオロギー 、政治宗教の思想信条に縁がないが、天皇の存在に関しては、この70年で大きく転向してきた。今では その誠意と深い責任感とに対する畏敬の念を内心だけにとどめ置くことが できないでいる。 そして敢えて言ってしまえば、 現実にはあり得ぬことだが、今だけは王政であってほしかった。 そして、 もしそうなっていたなら、今の日本の国難前夜のような様相は違っていたと思う。軍事政策も原発政策も憲法問題もこうはなっていなかったと思う。 壊れてしまっている国会の空しい中継を聞いていると、幻想に彷徨いたくもなる。
Jan 28, 2016
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つい先日、ありし日の姿だ。大寒波の犠牲になった。ほかにも被害はあるのだが、このクレプトランサスピンククリッカーは、2年前に知り合って、とても好きになった。けなげにも、大寒波前までふたつ月近く咲いたままだった。強いと思い込んでいた。植物と親しくなり始めて20年以上になるが、いろんな草花との出会いがあり、特別に好きなものも移り変わってきた。なんだか特別な花や別格視されるようなものはなぜか心が動かなかった。この植物は、まだ知らないこんなのもあるんだ、という嬉しい出会いだった。最初にゲットした苗が成長した時の、これは二世だった。最初の苗は消えてしまっているので、10ぐらいはあった二世がすべてこの大寒波の犠牲になった。寒波の前に避難させたもののなかに含めなかったミスが悔やまれる。まともな知識もなく植物に親しんでいる罪だ。・・・事前に避難させなかった僕の責任だ。
Jan 26, 2016
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南北朝鮮、大陸中国、台湾は日本の隣国なのに、近くて遠い国だ。もちろん個人ベースではみんなそんなことはない。もちろん歴史上の悲劇のために、近くて遠いのだが、 その中では台湾とは今は問題がほとんどないし、隣国の中ではいちばん民主主義的でもあると思う。その台湾が政権交代を迎えているのは、対大陸中国との関係が争点だった選挙の結果だ。そこまでたどり着いた経過については、隣国なのに十分には知られていない気がする。僕はそれは日本のマスメディアが抑圧状態にある現象のひとつと思っている。今の日本では公権力の弾圧などはまだなくても、世渡りのために「おもんばかる」からだ。日本での憲法や安保法制を巡る運動が基本的に対米問題であるように、よく似た構図だからだ。台湾の人は総統・議会ダブル選挙で、対中問題で埋没抑止を選択した。 大きな曲がり角の過程で、 ひまわり運動で若者が議会を占拠した経過は驚きだけれど、その驚きは、日本なら流血になっても弾圧して防ぐだろうことなのに、ほんとに占拠していた。これは、見方によれば、占拠を許したわけなので、武器も持たない国民たちに最終的にそこまでの事態に警察も軍隊も流血や殺人を避けたのはどういうふうに言えばいいのか、あえて言えばうらやましい民主精神だ。 謎だ。 謎だがそのほうが健全な社会(国家)と僕は思う。
Jan 24, 2016
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22の時、会社人という社会人になった。それから29年の間勤務した会社が大丸だった。50になったとき転職したが、退職願は早期定年退職制開始の初日だった。そのため、正規の定年退職者扱いなのだ。そのご利益で昨夜、すでに閉店している心斎橋店の見納めの機会があった。僕は愛社心には欠けるところがあったけれど、このこの建物は大好きで愛着が深かった。会社の代表イメージであるこの建物のために、愛社心も支えられたとおもうぐらいだ。1920年に」建てられているこれは、国内にも数々の名作のあるウイリアム・ヴォーリズの作品だ。関西学院や神戸女学院もそうだし、教会関係はもちろんいっぱいある。入社したその年、まだ見習社員だったときに、この中で火事があった。後方部門のある階段付近だったが、店内は消火活動で水浸しになり、長い間火事のにおいがした。未明の火事が沈下した頃に出勤して衝撃を受けた。心が痛み、僕の中では長年においは消えなかった。昨夜売り場の商品もないフロアは、初めて見た光景だった。百貨店ならではの華やいだ演出の表舞台なのになにか奇妙な感じだった。でも、何もないのに往時の華美と優雅が残っている空間でもあった。命と同じように、たしかに「有るものは無くなる。」無くなる前に別れることができた短くて稀有なひとときだった。
Jan 18, 2016
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人の生涯の中では、人生観が変わるような時がいくつかあると思う。僕の場合、日本のあの終戦前後が、人生観が変わるというより、生まれるような時期だった。それは人生観よりも国家観世界観のようなことだ。そして初めて人生観が変わる思いだったのが、21年前の今日起こった巨大地震だった。有るものは無くなる、ということを関東大震災に遭った人が言われている。まさに、現実の存在が一変してしまうのだ。動かざること山の如し、ではなかったのだった。人生観がどう変わったかを説明するのは難しい。内容はちがうけれど、遭遇しないと分からないかもしれないのは、あの戦時の日本を知らない人が戦争法案の独善で高揚していることへの虚無感に僕の中では通じるものがある。
Jan 17, 2016
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芦屋の高名な社会福祉施設のギャラリーがなさっているアートカレンダー展に出展していた。今日は最終日で、本来なら出品物を引き上げにいくのだけど、どちらももらってくれる人があったので、電話であいさつしただけですんだのだった。ギャラリーをボランティアで切り盛りしているKさんは、再来年の2018年もするつもりだからお願いね、と言った。え?!2018年??来年もだけど再来年もね、という意味だった。 うわ、日野原先生じゃないからきびしいなあ、と笑って言ったけど、そのギャラリーは確かに2018年ももうかなり予定が詰まっているのだ。 そのギャラリーのクリスマス展に出展しはじめてからもう確か6~7年になる。 ラップデスクで出始めたのだけど、クリスマスギフトにラップデスクをという人はひとりかふたりしかなかった。なので、クリスマスや新年に関係しそうな物を作って出品し始めた。他の出展者はそれぞれみんな上手だった。内心恥ずかしいと思いながら、また恥をかきに来ましたと自嘲気味につづけてきた。でもギャラリーの企画運営をしているKさんは、毎年招いてくれるのだった。僕もまたケアされているのだろう、そう思うようにもなった。上手にケアされるのも大事だよと僕は思うのだ。ケアする喜びはケアされる喜びと相呼応しているのがいい。感謝の交換なのだ。感謝の交流なのだ。
Jan 12, 2016
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百歳を越えておられる高名な医師と書家の番組を見た。医師は男性で僕も尊敬している超有名人だ。書家は女性で国際的にも評価が高い。 お二人の人生観はかなり対照的だった。それは職業にも起因すると思うし、書家のほうは終生独身であるせいもあるだろうし、もしかしたら男女差もあるだろう。でも僕は少し気になっていることがある。それは有料老人ホームの仕事をしたころから感づいていたことでもあるが、高齢になるということは体も固まってくるけれど、精神もまた固まってくるということだ。それはよくいえば悟りというものに近づくことかもしれない。でも、人は生きている限りは人や社会との関わりが貴重だから、その辺りが微妙なのだ。体の固まりは介護できても、精神の固まりは介護がしにくいということもある。精神が固まると、どうしても人の話を聞けなくなる。聞いて上げにくくなる。自分の話の繰り返しになる。対話が成り立ちにくくなり、そうすると楽しい展開がしにくくなる。僕は寡黙なほうだし、自分の話ばかりして煩がられるほうではないとは思うけれど、体も硬そうだが、精神も固まる傾向はある。なりたくないな。・・・日野原先生のように毎年初めての分野に飛び込むことはできないけれど、ちょっとハードルあげてみることは大事だ。
Jan 10, 2016
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昨日娘が、僕の77の誕生日の感想は?と云った。 多くの高齢者は、自分がそんなに言われるほど高齢じゃないと思っている。僕もそのひとりだ。なので、年など気にしたくはない。とはいえ、そうはいいながらさりげなく自分の年を意識している。意識して、いろいろなことを諦めていっている。諦めていきながらそれに耐えているという、そういう姿であるということだ。若者にそれを共有しろといってもそれは無理だ。だけれども、そういう姿で日々を生きている人々だということを慮っておくことは必要だと思う。ま、そういうこと。 と僕は言った。 実は、 暮れにまだ70にもならない義弟が急逝した。 いちばん安心してものが言える義妹にだけは、僕は内心をこう洩らした。 ぼくは永眠した義弟のその姿を見たとき、あ、なんか楽そうだなあ。。。と感じた。初めてそう感じた。
Jan 5, 2016
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今日から僕は77になった。やったぜ。Et alors?ただの通過点だ。それがどうした?という気もする。死もまた、ただの通過点、なのかもしれない。今日が生涯最後の日と思って生きよ。 今日が永遠に続くと思って生きよ。交錯の中で混沌は続く。
Jan 4, 2016
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年賀状はクールジャパンではないかなと僕は思うのだけど、この慣習のような考案のような礼儀のようなものはいつから始まったのだろうと調べてみたら、年の初めに祝いあうというのは何も日本固有じゃなかった。でも、20世紀にはいってからだという。日本では明治初期にはがきが発行されてかららしい。 でもたぶん、年賀状は日本のお正月のシーンに溶け込んでいるし、くじ付きだったり、干支が多く使われるだったりして、その様相はクールジャパン的じゃないのかなと思う。 人は生涯でいろいろな人との交流が広がるわけだけど、年賀状はその交流のひとつの結晶系のように感じる。 かといって、深い交流でも、決して年賀状を交わしたことはないというのもあり、そこにも人生がある。
Jan 3, 2016
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クールなうえはらさんですか?内線電話に出ると、いつもそう切り出す人がいた。まだ30代の頃の本社の広いフロアに居た頃だ。このいたずらっぽい電話ごっこの主は、大部屋の遥か遠くに見える部署でちらりと姿が見える少し先輩の人だった。その頃のクールを和訳するのは少し難しい。今よく使われるクールもまた、和訳するのは難しい。クールジャパンのクールだ。たまに偶然見るテレビ番組で、大勢の外国人が出演していて、日本的ライフスタイルの中にあるユニークな事柄で盛り上がっている。事例を出して、これはクールかそうではないか?と外人たちに問いかけたりしている。つまりクールジャパンのクールの意味深なところが受けている。外人にも受けるが、それを反映して日本人にも受けてるところがおもしろい。さっき、近所の食品スーパーの前を通過したら、いつになくひっそりしているので、あるアナウンスがよく響いていた。何かと思ったら、格安切符の自販機だった。不似合いなほど音質がよく、プロの声優にちがいない録音だった。百円台からの電車の切符が安く買える機械なのだが、ずいぶん各地にある。それ自体が不可思議だけど、大手の製品とは思えないその自販機に、驚くほど音質のいいアナウンスが組み込まれている!デフレ社会はいろんなものを生んだけれど、日本人らしい勤勉さとサービスマインドだと思う。これ、クールですか、クールじゃないですか?僕はクールと感じる。年賀状のことあれこれを考えても、クールと思うのだけど。。。
Jan 2, 2016
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大みそかに電話が鳴った。長年ご無沙汰の東京の友人だった。元気ですかというだけの電話だった。ということは彼も元気だった。よかった。リタイア後はコーラス活動をしている。シャンソンとかも得意らしい。声も変わらない。僕も変わらないという。でも僕は歌も歌わず、声もだめだ。でも僕はかねてからボイトレは義務教育のカリキュラムに入れるべきとさえ思っている。誰でもが大人になって必要とするスキルが教育現場に欠けていると思っている。そんなことを言った。さすがに音楽やってるだけのことがあると感じると言った。彼は昔男2人コンビで六甲山のバンガローでキャンプしたことを思い出させた。はは、ほんとについこの間のことのようだ。半世紀も前なのに。彼は最初入った会社の同期生だ。そういえば、去年高校の同窓会があって、僕は一度も出席したことはないのだが、いつも熱心に勧めてくる友人が音沙汰がなく、後日郵送されてきた資料にも、回答なしとなっていたので、なにかあったのかなとかすかに案じながら年賀状まで待っていようと思っていた。でも今朝年賀状が来ていた。趣味がないと言いながら、旅行に行っているという。これもよかった。今日は妻が神戸の冬という炊き出しボランティアに出ているので、静かな自由時間を過ごした。花の手入れなどをしていると、うまく育っているようでよかったなと、いくつかの苗でそう思った。小さな「よかった」だけでいい。小さな「よかった」だけがいい。毎日の中で、特別なことは望まない。普通がいい。毎日毎日普通がいい。
Jan 1, 2016
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