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フランスのオランド大統領が、新しい女性との逢瀬をパパラッチにヤられて、それまでの事実婚を解消ししたことが世界中に知られてしまったということで、フランス人の70数パーセントはだけどそれと大統領ととしての評価は別という意識だという。僕がフランス人なら、いや日本人でも、この場合は僕にしては珍しくその多数派だろう。特に要職にある者なら、それはそれで透明にして、心身自由になっておいて使命に集中するほうがいい。 フランス人は保守的なのかどうかよく分からないところがあるけど、あのような問題は、プライバシーの問題であって、倫理問題としてはまた別であるのだという。人はそれぞれが自由であるべきで、あなたが自由にしていい代わりに、僕のことは構わないでくれ、僕の自由を侵すな、ということなのだろう。これも僕は共感する。 いずれにせよ、プライバシーを重視するからこそ、大統領のプライバシーにもシンパシーがあるということのようだ。 僕はたまたま事実婚の経験はないのだけど、よく考えると、法的結婚と事実婚の間にはグレーゾーンがある。グレーゾーンは法的結婚でも事実婚でも、同時に重なることがあり、オランドさんは大統領だったためにグレーゾーンにも踏み込んじゃって事実婚のほうは解消に追い込まれたという感じもする。そういう意味では、フランスでも社会がプライバシーを守ってくれるわけでもないし、フランス社会も十分に寛容というわけでもなかったわけだ。 大統領は記者に聞かれて答えたそうだ。人生には誰も試練があるでしょう、と。 個人の試練が社会の興味をそそるなんて、と思うけれど、それぞザ・人間だね。
Jan 31, 2014
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10年近く前だと思うのだけど、このときのイベリスは驚くほど見事だった。なので、以来、写真をありあわせのフレームにいれて、洗面所の片隅に置いて一瞥していたのだった。いまさらのように、白は色だなあと実感して、白がいちばん好きな色になったのだった。 園芸店のPOPに液肥を週一度ぐらいあげれば、驚くほど咲き誇ります、などとあったりするけど、そう簡単じゃないとは思いつつ、なんか少し可笑しくなる。おそらく、花屋さんも驚いたのだろうな。と想像したりする。 肥料に関係なく、期待以上に驚くほど咲き誇る、ということはよくある。 僕はやま勘手探りガーデナーなので、肥料もあまりあげないけれど、たまにほんとうに驚くほど見事に咲き誇ることがある。 ある年のボロニアピナータには年中心底驚いていた。年中咲いていたのだ。鉢植えで門の前に置いていたから。日当たりはよかった。風通しもよかった。通る人によく見られてもいた。水路を跨ぐ橋の上だから、水路の段差をで年中聞こえる水音を聞いてもいた。水路からは蒸発するものもあっただろうし、マイナスイオンも発生していたようにも想像できる。そして僕自身、絶賛の気持ちを持っていた。そのボロニアピナータのDNAのせいもあるとしても、なにかよほど気に入った環境と感じていたのだろう。 それが木質化して老い始めてやがて消えてから、なんども新しい株に挑戦したけれど、すべて夏場にダウンして二度とあのような姿は再現できなかった。今思えば、あの年のボロニアピナータ、じゃなくて、何か固有名詞をつけてあげるべきだった。 驚くほど年中咲き続けて、驚きつ続けていたのに、 あんなに愛でていたのに、写真は見つからない。。。。。
Jan 30, 2014
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知ってる人は知ってるけど、僕は日本生まれの日本人で、地球規模では誠に限定した環境で棲息してきた。 生まれた時両親は甲子園球場のすぐ近くに住んでいて、やがて河を経て5キロぐらいの今の町に家を建てた。僕はそこでずっと暮らしてきたし、東京で100日ほど暮らしたり、100回以上出張したり、海外に述べ5~60日滞在したりしたほかはずっとここに居て、徒歩数分以内のマンションとかを併用してきた。地球規模ではまるでずっと一点に静止しているような生き物なのだ。 その僕以上に静止しているのはこの家なのだけど、震災で全壊したとき補修しただけなので、原型はとどめているが危険住宅だ。 僕はいつも思う。自分とこの家とは同じように歳をとってきた。家は僕自身に見える。同病相哀れむ、というような感じだ。不摂生といえば不摂生ぶりも同じだし、あちこち不安だらけで、汚れていて傷だらけで痛ましい。いつ何時、決定的に破壊される事態が起きるかわからないけれど、そうかといって、ちょっといいところもあるのも同じだ。 今いるこの部屋の天井も、大工さんが修復してくれて昔と同じだ。 僕自身の中にも、こんなところはあるのかな。健在であってほしいけれど。。。。
Jan 29, 2014
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この掲示はちょっと穏やかでない。効き目もあるかもしれないが、これが苦情の元にもなるかもしれない。 小さなマンションの総合管理を請け負っている。総合だからなんでもする。たまたまこのマンションの入り口が近隣を含む範囲のごみ回収場所になっているので、問題があると矢面に立つことになる。去年の中ごろからご近所や入居者の特定の人から苦情が絶えなかった。指定日じゃないのに放置している、前の日から出すので夜中にカラスや野良猫が荒らす、などが主な理由だった。 この掲示は、実は3回目の文面で、いちばんそっけなくてきつい。でも経過があるからあえて出したのだ。 これを出す前にひとつ片付いたことがあった。それは、またまた指定日じゃないのに大量のダンボールと牛乳パックが放置されていて、いちばんナーバスな入居者からナーバスな電話が来た。今までにもその人からの通報で、ごみの種類についても聞いたことがあるのだけど、この日は幸いにもダンボールに証拠が残っていた。配送伝票が残っていたのだ。それで、ご近所のクリーニング業の人にもしかしてお宅でしょうかと丁寧にお伺いしたら、実はそうだった。ここのオーナーさんは僕ぐらいの世代で、去年も入居者の苦情からあるお願いをしにいって、解決に協力してくれたのだった。その苦情というのは、入居者の部屋の窓から2メートルと離れていない場所にお隣のそのクリーニング店の吸排気ダクト(えんとつ)があって、夏場は窓を開けるから匂いが入ってきて、有毒なものではないか、ということだった。 今までそんなことを言う人はいなかったのだけど、去年夏入居者が入れ替わり、すぐその苦情になったのだが、クリーニング用の機器から出るものらしいので、交渉に行ったら、しばらくして煙突の方向と高さまで変更する工事をしてくれたのだった。今回も特に感情を高ぶらすこともなく、店内に貼っているごみ回収の資料を見て正しいと思い込んでいたのだった。でもそれは新しいと思っていたらしいけど、新しくはなかった。なので、その時点で、昨年来の度重なる指定日無視事件は原因が解明できたのだった。 で、残るは前夜に生ごみを出す迷惑な人物が改心することだった。その最後のひと押し掲示がこれなんだ。 すぐ電話がかかってきた。もしかして掲示に文句あるのかも、とそれならかけてきそうなある人物からだったので、それでも強気に出るつもりだった。僕にすれば強気なのは、もうあのナーバスな入居者の心労を早く解消したかったからだ。 電話の主は契約者じゃないが同居している人で、ナーバスさんの口ぶりからはちょっと疑わしかったのだけど、 あの掲示、いつごろ出したんですか。。。 たしか、そう言ったと思うので、相手も知っているはずの経過を説明して、なのでもうこんどからはごみを調べないといけないからね、とプライバシーに踏み込むためだという意味を説明した。 相手は、いつごろなら出してもいいんですか、と聞いてきている。 ?? 最初からそう聞いていたのかもしれないけれど、とっさに掲示に意見があるのかと思ったものだから、よく分からなかったのだ。 それは市のルールで当日朝と決まっているよ。 いや、自分は4時とかにたしかに出したりするから・・・とどうも心当たりあるような話を相手は始めた。 まあ、仕事とかいろいろ兼ね合いはあると思うから、早朝でもいいと思うけれど、要はカラスや猫が荒らさないように状況を判断してください、ということで分かりましたとなった。 実は、ご近所の人からも階段を降りてきて置いていった、という証言もあって、僕も内心は疑っていた。 でも、二度ほど他の用件で当人と会っているけど、面倒などおこしそうにない普通の若者だった。だから、今回の電話で一層視界がクリアになった。 というわけで、昨年来の数々の苦情の原因は、この掲示を最後に絶滅したものと思うのだけど、どうかな。
Jan 28, 2014
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雑貨で囲まれて落ち着くという空間の中にカード加盟店の証まであるのだけど、これはもう遠い過去だった。でも今日カード会社から書類が来て、長い間利用がないが継続するかどうかの確認を求めてきたので、ちょっとびっくりした。継続でもいいようだから、継続しようかとさえふと思ってみたけど、事業者名の変更とか面倒だろうなとすぐ思いとどまった。 当時僕は良品ネット21というのをしていて、良品計画より検索エンジンは先行していた。知られざる良品を紹介する、販売もする、という活動だった。今ではもう整理して説明することもできないけれど、僕がやることはいつもお金にはならなかった。加盟店としてもまちがいなく最低ランクだ。古い友人があなたには小あきんど根性がないから、といつも宣告していた。 お金にならなかったけれど、借金なんかも作らなかった。いっぱいいろんな未体験なことがあって、取引関係でも友達ができたし、顧客関係でも友達ができたし、大企業に勤めていてはできないことがいっぱいできたから、バーチャル貸借対照表もバーチャル損益計算書も良好な成績なのだった。 ただ、告白すると、本当の貸借対照表も損益計算書も実は作ったことはない。ビジネスはしていなかった。アクティビティだったのだ。
Jan 27, 2014
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ロシアやロシア人のことをよく知る人は少ないと思う。僕はまったく知らないし、たぶん偏見だけ一部持っている程度だろう。それが過日ロシアをよく知っている人が言っていたけど、ロシア人は政府言うことなど信じていないし、各自が各様に考えを持っているのだという。それは少し安心したのだった。 今の日本人はほんとうのところどうなんだろう。僕はほんとうに分からない。たとえば僕が反体制反権力な発言をしても、表立って共感を示す人はいない。共感は要らないし説得する気もない。ただ僕に反感だけ持っていて黙っているのだろうか。 消費増税は必要、消費増税は社会福祉に使う、原発は安全、安全という評価が出た場合にのみ再稼働させる、日本の原発技術は最高で輸出するのも経済対策、 昔と情勢は違うのだから防衛力は強化すべき、積極的平和主義?????秘密保護法でアメリカからも機密情報が得られる?? みんなそんなのほんとうに信じているのだろうか。 日本の歴史の暗部を正当化するような、間違った回帰思想が見え隠れする。ありきたりの国に変えてゆくのが国際化ではないのに、ありきたりの国に合わそうとしてゆく。若い世代はなにも知らないから、ネットなどで一方向に湧く傾向さえ出ている。よくないと思うよ。危険な兆候だよ。 昨日、ラジオでもNHKの新会長のスピーチが聞こえた。さかんにわざとらしく放送法の原点を強調していた。なんかおかしなやつだなと直感した。NHKはもともと中立じゃないけれど、それは分かって僕もNHKを聞いている。でも、NHKはもっと政権広報寄りになるだろう。こういうのって仕方ないんだよ。権力というのはそういうものだ。いまのような極端な強大権力を作ってしまうと、もうどうしようもない。普通の人まで処世術で寄り添ってしまう。寄らば大樹の影なのだ。 起こってしまったことはもう長期に深みに入っていくだろう。 自由を奪われる環境ができつつあるし、自由から逃亡するほうが楽と感じる者も多い。国民ひとりひとりが自立して評価し行動するようになれるのかどうか、どうも無理みたいだけど希望は失ってはいけないと思う。
Jan 26, 2014
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ながらラジオは、 いつもNHK第一の午前枠「すっぴん」を聞いている。各曜日ともいいのだけど、木曜は水道橋博士で、いわば振れ幅が大きい。でも結構普通な話題も多くて、子供が熱帯魚飼ってる話がときどき出る。博士自身は熱帯魚には無関心だけど、熱帯魚を可愛がる子供の様子が可愛いのだという。それを聞いてるこちらのほうは、熱帯魚を可愛がる子供が可愛いというそういう博士が可愛い、いや可愛くはないけど結構普通っぽくていいじゃないかという感じがする、というわけなのだ。つまり、、「普通」って、なんか安心するという面がある。 ヤンキースに決まった田中マー君が、記者会見で1球目は何にしますか?という質問に会って、なんともいえない我慢してるような表情になって、初めてプロに入った時も同じ質問ありましたが、(一瞬ちょっと言葉に詰まって)なんなんですかねえ、それ・・・とちょっとふくれっ面になりかねないような様子で言葉をつないで、ストレートですかねえ、とちょっと投げやりに答えていた。おまえらアホか、と記者に投げつけたかったのだろう。 ほかのダサい質問にも、野球するの初めてじゃないんで、とさらりと前置きしてから答えていたけど、これはウイットがあって、洒落た前置きだった。 これから7年で160億円稼ぐ25歳の男も「普通」を出したので可笑しかったし、なんだか安心したよ。
Jan 25, 2014
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夕べの夢の中で、制服のCAの女性と向かい合っていて、あなたたちならタバコはどれぐらい吸ってるの?と僕が尋ねたら、相手はお肉をおいしくいただきたいから吸いません、という答えが返ってきて、なぜかそれはそこでは納得しちゃった。はは~、彼女らには機内食で肉のメニューが支給されるのか、と思ったからだった。 この無意味な夢は、ドア横の席になったことが結構あって、でも僕は離着陸時に向かいに腰かける彼女たちとわざとらしい会話をするタイプの乗客じゃなかったから、多少の心残りが沈殿していたのかもしれない。一度だけ、向こうから話かけてこられたことはあったのだけど。。。 もちろん昔は禁煙のサインが消える時間のある国内線もあったけれど、タバコ嫌いな僕はいつも疑問だった。なぜそんな迷惑行為が公認されているのだろうと疑問だった。 そういう僕も、二十歳代ではときどきタバコを吸った。ひとつには、22で会社に入って半年後、配属された職場がデパートの1階で、同じ課にタバコ売り場もあったため、当時珍しい輸入たばこが手に入りやすかったからだった。もうひとつには、業界の委員会なんかに出るようになり、年配の人と会議室にいると、若造の僕はなんかマがもたなくなって真似ごとでタバコを吸ったのだった。でも確かにその頃、人の迷惑なんて思いつかなかった。 そりゃそうだったんだろう。当時の男性喫煙率はなんと、20代でも80%あった。まるで今の強大政権みたいなものだ。自分たち以外のことは何も見えていなかった。 結局タバコをやめたのは、夜遅くまで飲み歩いてタバコを吸うと不整脈に襲われるようになったからという自分の事情だった。 30代の初めの頃、京都の国際会議場で国際企業IBM主催のコンベンションがあり、その大きな円形会議場で隣の先輩がささやいた。なにか気づかない?と そのとき教えられて開眼したのだったけど、誰もタバコなんか吸う人はいなかった。まともなビジネスマンのたしなみ、みたいな空気だったのだ。 やがて、それはたしなみであるだけじゃなく、人の居る空間でタバコの煙を吐くなんてただの粗野な迷惑行為だと遅ればせながら気がついて、一気に嫌煙派になったのだった。 今日本は禁煙政策がとても遅れている。これは日本人の感性、国民性からはとても不思議だとは思うけれど、案外国民性であるのかもしれないし、政治の怠慢というかいまだに経済優先の古めかしい体制のせいでもあるのだろう。原発問題もまたなんか構造的にも国民性的にも同じようなことだろう。いや、原発の病根はもっと根深い。今年は、現在原発ゼロの日本が逆走強大政権のせいで千載一遇のチャンスを台無しにして、元の木阿弥になる歴史的悔恨の年になろうとしている。 辞典では、元の木阿弥とは、いったんよかった状態が元通りにもどってしまうこと、とある。 喫煙の政権交代はできてきたが、原発は深刻な状態だ。
Jan 24, 2014
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ポリシーはあるほうだと思ってきたけど、そうでもないなと思う。 ネット利用を電力系からケーブルテレビ系に転換した。電力系の前はNTT系だった。NTT系が長かったのは、古いネットユーザーは大体そうだろうけれど、僕の場合はまだ公社だったころに一緒にあるプロジェクトをしたよしみがあったので、長年心変わりしなかった。でも、NTTが通信技術の変化をユーザーに次々押しつけて、めまぐるしく変わっていったので、倦怠期に入った。それで、通信と放送の融合を機会にネット・テレビ・電話を一体で使える電力系に変えたのだった。4~5年かな、僕は満足していた。満足していたけれど、親会社が原発系であるため、小さな抵抗のために縁を切ったのだった。いやそれは後講釈、きっかけは、ケーブルテレビ系の営業マン氏が誠実味のある男で、つい話を聞いていたら、月に2000円も安くなるので、一年2万ならいいかもと一気に契約したのだった。それが秋口のこと。 ケーブルテレビには、実はNTTより前から縁があったし、勤めを辞めてからも自分の仕事で縁があった。営業マンよりも業界の過去を知っていて、話もはずんで、そういうおなじみ感も作用したのだった。 そして今日、遅ればせながら電力系の撤去費用の請求が来て、約束どおり、同額をケーブルテレビ系が補てんしてくれるので、いやこれは口外してはいけないかもだけど、補てん請求の手続きをしたのだった。 僕は今はテレビ見ないからほんとはケーブルテレビ系は不向きなのだけど、先行きを考えて月2000円ダウンを多とした。 でも、告白すると、月2000円安い代わりに、ネットの速度は遅いという認識は欠けていた。契約してから、長年の仕事仲間兼友達Kiyokaさんから指摘されたのだが、実はいまどきはすべて光ケーブルだと思い込んでいたのだ。なので、ダウンロードにはめっきり時間がかかるようになった。かかるようになったけど、そんなの困らないような生活にもなっているから それでいいのさ。
Jan 23, 2014
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妻が夕がた戻ってきて、例によって車嫌いな僕をピックアップすると、お風呂にはいったのかと聞いた。女性は嗅覚に優れているらしいからコワい。今の僕は、それでもビクッとする必要はないのだけれど、そう断定するのもなんだか情けないから、「ほぼ」必要はないのだけど、と訂正しておくとして、実は昼間一仕事のあとお風呂に入ったのだった。使ったシャンプーが結構香るのだ。そのシャンプーはたまたま切れたときに最近ドラックストアの販促ワゴンで初めて買った。当店の人気ナンバーワンとか書いているので、そうおっしゃるなら買ってみましょうと普段あまりしない行動をとったのだった。 ま、そんなわけで、洗髪してまだ1時間も経ってなかったのだ。 で、その洗髪は、あす朝床屋に行きたいと思っているからだったのだ。 ??? 長年行っていた床屋さんは家から徒歩2分もかからないところだったのけど、あるとき用事で自転車で通りかかった時に入った床屋さんが、長年行ってる床屋さんより清潔感があって、おまけにシルバー割引というのがあってお安かった。その床屋さんが長年行ってた床屋さんの近くに引っ越してきたので、今度は徒歩3分だけれども、僕は簡単にそこに変えてしまった。しばらくすると、その長年通ってた床屋さんは閉店しちゃったので、まあ敗退したわけだけど、さすがにちょっと後ろめたかった。 で、その今行ってる床屋さんは、世代が若返っているので合理的なのだ。床屋さんにしては珍しく予約が取れるのだ。 でもね、僕は少なくとも二度、その床屋さんのミスターのほうにオコラレテいる。一度は、予約時刻ぎりぎりに着いたためだ。5分ほど早めに来てくださいとは言っていたから、言い分はあるのだろうけれど、遅れられました、準備があるので、こんどから注意してください。。 意表を突かれたとはこのことだ。 もちろん僕なら絶対に言わないもの。。。 ・・・ もうひとつは、別なあるとき、来られるときは髪を洗って来てください、はさみが入らないんです。。。。 こんどはもう、 ええ~~~っ????!! という感じだったけれど、これもまた絶句だった。 確かに僕は木工で木くずがかかったり、細かな埃をかぶりやすいのだ。 こちらはシャンプーしたいから床屋さんに来るのに、床屋さんに行く前にシャンプーしなくちゃいけないとは!!!! と、僕は叫んだ。 ・・・ いや、心の中でだけど。 ま。そういうわけで、今日は明日床屋さんに行くためにシャンプーしたよ。 そのマジメな床屋さんは、すでに去年秋に値上げについてのお知らせを渡してくれた。それは実施時期が今年の4月1日になっていた。 マジメな床屋さんは、消費増税の価格転嫁についてもマジメでした。
Jan 22, 2014
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最近始めたことなのだが、モノを活かす、ということがある。 モノというものは、単なる物体ではなくて、人間の営みが形を変えただけで、それはある意味人の生涯の一滴だといまごろになって気づき始めたからだ。無機物のようでいて、実は命のひとかけらとも言えるからだ。 だから、全壊して補修しただけの古い危険住宅である実家もなんとかして使えるものにしていく方向で暮らしの中の時間を少しづつそれに割いていきたいし、壊れているものを治せるものは治したいし、ただ所有して保管しているだけのものは、僕の元にあるよりも活きる居場所があればその居場所にもらってもらいたい、などと考えるようになった。 この明かりも、もらってくれる人があって嬉しい。
Jan 20, 2014
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あの朝の戦慄を表現するのは難しい。 僕の場合、その瞬間はあまりにもあり得ない激震だったし、街じゅう壊れたような轟音だったから、なぜか「神への憤り」だった。その後しばらくしてそれは神からの鉄槌という感受性に変化した。ありえない感は、そんなことはありえないという慢心からくるものであって、慢心に対する鉄槌と感じたのだった。兵庫県東南部、それは最高の生活文化環境と僕は慢心していた。もちろん、自然災害に意図などないのだけれど、僕はそう感じたのだし、人生が変わった節目でもあった。端的にいえば、なりふりかまわなくなった。実は今でも普段着のまま寝ているのだ。なにが幸せで何が豊かであるかという価値観が変容した。 今は3.11のほうがはるかに巨大な厄災だし原発事故のために国家的な非常事態ともいえる歴史的状況が現実だから回顧している場合ではない。
Jan 17, 2014
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最近FBで繋がった、海外で活動しておられる方が、よい旅だったかどうかは、そこでどういう人に会えたかですね、という趣旨のコメントをされていた。まったく同感なので、そのとおりですね、と言ったのだけど、人生の旅自体がそうですね、とは言いそびれてしまった。まだ知り合って間もないからちょっと軽口を控えたのだった。重いことを簡単に言えば軽口になるからね。 でも人生という旅こそ、だれと会うかということそのものであると日頃思っているし、今の自分の立ち位置からするとその感慨とともに生きているとさえ思う。 だから、人間はその食べたものでできている、のだろうけれど、人生は人々との交わりでできている、と言える。 そういう意味で、誰の人生も豊かだと思う。豊かという意味はほんとはそれしかないのでは。 寒空は月が明るい。
Jan 16, 2014
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僕は震災で全壊して補修した実家を書斎兼物置にしているので、パソコン作業もそこでしている。今この裏はちょっといいマンションなのだが、こどものころはヒロボーの家だった。ヒロボーの家は庭が広くて、うちの台所の向こうはその庭で、庭は縁側に面していたので、開放した縁側からはよく賑やかな話声が聞こえていた。ヒロボーは末っ子だったのでそう呼ばれていて、僕ら近所の子供らもそう呼んでいた。かなり年の離れた姉さんが3人とやはりかなり年上の兄さんもいたから、ヒロボーのお父さんは僕らのお父さんよりかなり年上だった。鉄工所の経営者だけど、もう毎日悠々と暮らしていた。家族の話声がよく聞こえていたのは、ヒロボーのお父さんは耳が少し遠かったからだ。それは後年分かったことで、当時は賑やかな家族だなと思っていた。 ヒロボーのお父さんは毎日のように近くの池に釣りに行っていた。それは小さいが深い池だった。鮒や鯉が棲んでいたが、ナマズもいたので、ナマズは釣り人には嫌われていた。ヒロボーのお父さんは長い時間をそこで過ごしていた。僕はよく見に行っていて、どんなものが釣れたのか聞いてみたりもしたが、うるさがられる感じがして敬遠していた。寡黙な人で少し吃音だったので、僕らは距離を置いていたのだった。でもその静かな姿は子供心にも印象が残るものだった。誰かが叱られたという噂を聞いたりするので、遠巻きにしか寄りつけなかったけれど、なんか絵になる姿だった。 今日yukiさんの誕生会にちょっと寄った時、一応顔なじみのyuukiくんが何かと話しかけてくれるので、ふとあのときもっと話しかけていたらよかったかな、と思い出してしまった。
Jan 15, 2014
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体制依存症の都民が細川さんを勝たせる見識を発揮するとは期待できないけれど、原発問題は国の存亡にかかわるというメッセージを発したのはおよそ見識のない逆走男が外国に原発をセールスする姿と比較すると当たり前のことなのに新鮮でさえある。都知事になるのがだれであってもそんなことはどうでもいいと思う。都知事選という短期間だけど巨大なメディアが当たり前のことを俎上にあげる機会になることが機能不全に陥っている日本の世論に刺激を与えることには意義がある。問題は政府広報みたいになっているマスメディアがどれだけの露出と扱い方をするかだと思う。マスメディア次第ではそういうのに乗りやすい都民たちの投票行動にも少しは期待できるのかもしれない。もちろん期待したいけれども、生活習慣病と同じで、なってしまっている病気はなかなか治るものではない。期待して裏切られるのはもういやだ。
Jan 14, 2014
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お正月の三が日が過ぎ、いつも四日目年齢通過のどこか軋む日で、5日になるとほっとする、というパターンではあるのだけど、寒くても平穏な日々の中にも胸の奥底になにかが蠢くことがある。 なにか? 春への鼓動、とかそういうポエムならいいのだけど、平穏すぎる、というなんとなく疑うような、それは気分なのだ。 もう19年になる。 たしか僕は何かで東京にいた。関西から移り住んでいた人に、早く帰ってきたらどう?とそういう話をしていたのだった。大地震がいずれ不可避だという意味だった。 でも、その1週間ほどあとに、夢にも予想しなかった地元にあの晴天の霹靂のような一瞬地球が壊れたと感じた物凄い破壊が起こったのだった。その瞬間の僕の内なる叫びは神への怒りの気持ちだった。 平穏は一瞬で一変するのだ。
Jan 12, 2014
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頼むよ。 追いかけないでくれ。 。。。。。。 逃げられないんだよ。 だから、 追いかけないでくれ。 あっという間に捕まっちゃうから。 。。。。。。 昨日から、 腰痛男なのさ。 。。。 。 。 どうもね、細い金属を切断する作業をしていて、指先と両腕が緊張する動作を続けていたことが原因らしい。人体のメカニズムとして、そういう緊張は腰椎に連動していると自分で感じる。腰椎で支えるところに無理がかかったね。 毎年のローカルニュースだけど、西宮神社の開門からダッシュしてというのがあった。聞いただけで腰が痛いよ。 でも、 アメリカ在住の人からの年賀状も来て、寒中見舞いがいくつか来て、ちょっとグッドニュースが書き添えられたのもあって、それでバランスのとれた日だった。
Jan 10, 2014
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朝から晩まで、ずっと雨が降り続いている。平地では雪にならない気温だったから平穏といえば平穏な一日だった。 テニスができていた頃はこういう日は「詰まらないなあ」という気分が終日続いたのだった。テニスをしないことに慣れてしまうと、むしろ雨の効用に目を向け、雨だからこれをしておこうということにもなる。真冬の間、屋内に避難させておこうと思った鉢植えのための懸案の作業ができた。人間、諦めるのももまた、いいことなのかもしれない。 それに今日は、暮れからお互いの予定がマッチしなかったことが今日になって出来たのだった。子育ても介護も仕事も、もうひとつの仕事ももちろん主婦としての家事も全部こなしているyukiさんが間隙をぬって来てくれて、暮れの予定が追いついたのだった。 僕が持っているだけになっている灯りコレクションの中で使いたいと言ってくれたふたつを渡せたし、彼女がトールペイントした可愛い木箱の壊れた部分を復元させてもらうことになった。日本もすでに直して使う時代になっているけど、愛着のあるものを修復させてもらえるなんて嬉しい。 雨の日は地道な事柄が進むのかもしれない。
Jan 8, 2014
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1月に入ってもう二度もテニスの夢を見た。横のコートでダルビッシュが一人の若者を相手にコーチしていた。さすがだね、あの男の子幸せだろうね、などと誰かと僕は話している。ダルビッシュが夢に出たのは3度目だ。僕は清原、小泉純一郎、進次郎とも夢では話している。ちょっとたしなめるような話し方しているところが年寄りくさいけれど、実際に会えばちがうだろうなと思うから、夢はなぜ見るのだろう。 もうひとつは、もう95%復帰できないだろうと思ってるのに、テニスでゲームしていて、自分でも気を良くするようなキマリかたが連発したのだった。テニス断念してからもう何回見てるだろう。やはりこれも、リアルではこうはいかないと思う。 夢は、混とんとしているようでいて、どこかある種のバランス調整なのかもしれない。
Jan 7, 2014
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年中シャワー派だったのに、真冬はやはりお湯につかりたくなることが増えた。かといって、お風呂用ラジオとかお風呂で読書とかはとてもできない。でも、温まる間にちょっと物思いはできるのだ。 年賀状の中に、今年3人も年賀の挨拶は今年限りで、という文面があった。たまにあるのだけれど、3人もあった。同期生が一人、あとは先輩なのだけど、そろそろ終活という表現や身辺整理の一環として、や今後もきちんとできるかどうか自信がないから、とかそれぞれだった。そうかと思うと、こうして年賀状だけのおつきあいというのもこの年になるといいですね、というのもあった。 僕は折り目正しい人物じゃないから、これからもそのどちらでもないけれど、やはり前者にはどこか抵抗を感じるところはある。世の中には生前葬なんかもあるらしいから、いろんな考えが流通しているのかもしれない。 意外にFBしてない人がほとんどなので、年賀状にある近況は嬉しい。毎年同じやりとりになる「今年は会いたい」というパターンに関してはまた同じ繰り返しになるから、近場の人たちに関しては春までにはそれぞれ具体化していこうと決めて、バスタイムが終了したのだった。
Jan 5, 2014
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不本意にも75周年に達してしまった。感想は混とんとしている。悲哀の二文字が漂流しているけれど、明日になれば忘れてしまおう。 中曽根康弘さんは95歳ぐらいだけど、文字通り矍鑠とされている。 中曽根さんのことが気になり始めたのは僕が中学か高校の頃だ。改進党という政党で若くして頭角を現したが、僕には警戒すべき人物に映った。将来首相になる気がするというか、首相になる意欲オーラのある人だった。半世紀以上前のことだ。元軍人ではあるけれど、というより元軍人であるからか気になる国家主義者と映っていた。 後年結局首相になり、歴代首相の中では首相らしい首相だった。振り返れば、原発を導入した責任者のひとりでもある。そしてなによりも、骨のある改憲論者と映ってきた。 今日のニュースで、なにかのテレビ番組で今は改憲する状況とはいえないのではないか、という趣旨の発言をされたらしい。もちろんこれは、今はまだ、という意味と思うけれど、ひとつの見識としては僕は見直した。半世紀を超えて初めて、見直したのだった。 75周年の僕には、これは内心の安らぎだった。
Jan 4, 2014
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暮れに刊行されたのが来た。 昭和の知の巨人と言われる加藤周一は1919年生まれだ。若いころの僕はフォローしていたし、東京で食事をともにしたことさえある。でも、その後の功績はあまりに大きくて、とてもフォローしきれなかった。 戦後はフランスを中心にヨーロッパで活動し、カナダを中心に北米で活動した時期もあり、晩年に戻ってきてからは中国に深くかかわった。そうかといって、アジアアフリカにもかかわっていたし、幅広い分野、幅広い時代を旅した超人だった。晩年になって憲法9条を守る会に情熱を傾けるような市井の活動にも尽力されていたので、長年諦めていたフォローを回復しようという気になっていたけれど、5年前に惜しくも旅立たれた。 15年戦争と言われた日本の暗い歴史に若き加藤さんは証言者の一人だった。僕はその15年の最後のほうの空気感しか知らないけれど、それでもなお、経験なき知識と経験を伴う知識はぜんぜん違うと思ってる。経験のない知識で国政をやる者の時代になった今、だから、人間は過ちを繰り返してしまう危険性をはらんでいる。 日本が侵略的戦争を始めている時代にも国内は普通の生活が行われていたと証言している。15年の間で変容してゆく社会の証人だった。最初に変化を感じたのは情報の統制だったようだ。それはとてもよく理解できる。今の日本は少し症状が似ている気がする。
Jan 3, 2014
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大手メディアというものは、世論に影響が強いし、世論を形成してさえいる。新聞に載ってた、テレビでやってた、と人々は言う。新聞は有限のスペースがあり、テレビは有限の時間があり、 どう使うかは事業者の利権のようにもなっている。同時にスポンサーに依存しているというところに限界という性質をはらんでいる。 過去1年間で僕なりのマスディア健康診断では、要精密検査の陰影が見えている。ワンサイドな権力構造になったことがその背景だと思う。 NHKは中立とされているが、メディアに中立などというものは ありえないと思う。何を報道するかという選択時点で偏向せざるを得ないし、視聴者は完全に無力だ。 どう報道するかとなると これは視聴者の洞察力次第ということになる。視聴者には洞察力はあるのだろうか。 僕はまだ偏向度が少ないと思われるNHKラジオを日常的に聞いている。偏向度と言うと語弊があれば、参加者が多様だということだ。生放送だから管理されにくいという面もあるし、番組に出る人の幅が広い。それに今の時代、昔と違ってネット社会だから生のラジオが双方向性を持てるのでリスナーが参加している。つまり健全性がまだ生き残っているところが貴重なのだ。それに、性的にマイノリティといわれる人たちもレギュラーになっているところなどはリベラルで安心できるようになってきた。 ちょっとだけ苦言を呈するとすれば、CMがない一方で、NHKの番宣や番組の素材の話題の露出 が多すぎてわずらわしくはある。 僕はラジオはTPOに合わせていくつも持っている。いちばんの優れものは、加美電子のKAMIラジオというラジオでこれはNHK第一しか聞こえない。蓋をあけるとすぐなり始める。蓋の裏は鏡で、スピーカーの横には小物入れがある。 僕はまだリスナーとしての参加はしていないけれど、もしするときには僕のラジオネームは「NHKしか聞こえないラジオ持ってる」さんとなるはずだ。でも、これってなにげにKAMIラジオを検索するよう誘導してるみたいだから、局内で封じられるかもしれない。。。 ちなみにですが、僕はアフィリとかはしないけれど、これはお勧めです。
Jan 2, 2014
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妻の教会の元旦礼拝に同伴してきた。クリスマスは結構同伴しているけれど、元旦は現役のころは百貨店時代は大みそか遅いから元旦はまだ寝ていたし、 老人ホーム時代は年始のセレモニーで休んではいなかった。フリーになってからもその流れでほとんど同伴しなかった。さすがに近年は行かない理由が見つからず、何度か前からついていっている。でも、態度が不承不承だったのだろう。今日は朝何時に出る?と僕から尋ねたのだった。 礼拝が終わると恒例の年頭家族紹介がある。これが妻が一人では気の毒とわかり始めたのだった。僕は異教徒じゃないけど、そこでは異邦人だからマイクが回ってきても妻に渡してしまう。今朝妻は、今年は夫が自ら来てくれました。47年かかりました。とそう言ったのだった。 刺さると言えば刺さったけれど、現実を受け入れるようになった一環に過ぎない。 信仰には縁がないのでコメントしようがないのだけど、無信仰ではなく、未信仰ということにしておこう。 クリスマス礼拝の讃美歌は馴染のあるものが多いが、元旦礼拝はそうでもないのでつらいことはつらい。でも同伴することにしているのは、妻にはそれも人生の一部だからだ。そして思うのは、教会はずっと同じところにあって地域に根差しているから、みんな人生をある意味共有している。お互いにその人生の歩みを知り合っているからだ。 妻はもう半世紀以上その教会にいる。そういえば、妻がしている英会話サークルももう26年になる。そこでも人生の流転をある意味共有している。 それはいいことだなと思うからだ。
Jan 1, 2014
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