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■ いよいよ引っ越し!7月から8ヵ月間お世話になった、このアパートともお別れ。冷蔵庫の食料を少しでも片付けるため、にんじんとキャベツで簡易お好み焼きをつくって腹ごしらえ。部屋の大掃除。■ 荷物をまとめ、まず1便。スキー旅行時に疎開バッグと名付けられたリックサックに、今度は本当に食料を山ほど詰め込に疎開風。お母さんが夏に持ってきてくれた小さいトランクとCDラジカセを持って、#61のバスで終点のMcGillまで。バスを降りる時に、運転手さんが手伝ってくれた。今日からは出国までハナコさんちに居候なのだ。いったん荷物を置いて、また家へ。■ 引っ越し第2便。疎開バッグ再び大活躍。4月に日本から持って来た大きいスーツケースを運んで終了。また#61のバスに乗ったら、同じ運転手さんだった。私も驚いたが、彼も私以上に驚いていた。そしてまた同じように降りるときスーツケースを降ろすのを手伝ってくれた。■ ハナコさんと夕飯。長ネギとなすの肉味噌炒め、玄米の入った健康ご飯、ブロッコリーともやしのサラダ、めんつゆと砂糖、酢、醤油の自家製さっぱりドレッシングで。とっても幸せな夕飯だった。なのにテレビでは“War with IRAQ”。7日に帰国のトモミさんも引っ越し終って、一緒に居候。合宿だ。何度もお世話になった市バス
2003.03.31
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■ 多くのカナダ人が予言した通り、朝11時から雪が降り始めた。明日の私の引っ越しを知っているかのよう。■ 私のテレビデオを引き取りに滋賀出身のサチさんがやってきた。■ 14:00クリストフとexchange。けん玉や売れ残った箸、扇子、かつお節などをあげる。■ 18:00~22:15ISAKAYAチャイニーズからの新型肺炎SARSのためトロントで3人死んだとか。トロント、バンクーバーの空港に緊急以外あまり利用するなとの警告が出た。トロントの病院も2軒閉鎖とのこと。トロント経由なのに大丈夫かしら…。
2003.03.30
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■ 飛行機に乗っている夢を見た。そしたら朝雨が降っていた。■ 日本からの電話で起きる。未来からの電話。朝9時に、同じ日の夜11時の人から。■ Erikとexchange。家具のことで問い合わせがあって知り合った石川県出身のエリさんを引き継ぎとして紹介する。彼のご近所に日本人の子がステイし始め、その子が一時帰国した際にキャノンの電子辞書を買ってきてもらったらしい。■ モントリオール在中4年のユウコさんという人が売れ残っている家具全てを$200で引き取ってくれることに。夕方、バンでやってきて、家の家具を根こそぎ持っていった。キッチンにつくりつけであったアイロンの台さえも(だいたいこの存在自体不可思議だったが)。どこか別の場所で売るらしい。
2003.03.29
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■ 31日の引っ越しに向けて徐々に荷造りを開始する。■ 久々に語学学校へ行き、借りていた“The cather in the Rye”を返す。Conversationの先生だったChadと会う。彼は4月からトロント校に移るとのこと。■ モントリオールに持っていった唯一のカセットはオザケンのライフ。リョウコちゃんがCDに焼いてくれた。■ 17:30~23:15ISAKAYA20席増加したにも関わらず、最初から予約でいっぱい。常連さんがまた新たにお気に入りの席を見つけだしている様子。
2003.03.28
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■ 18:00~22:45ISAKAYA新しくできた寿司カウンターは、あまり人気がない。開店祝いに八百屋さんからもらったというフルーツバスケットをみんなで山分け。不思議な形をしたフルーツも多々あり。ほおずきに似た形で、中のオレンジの実を食べるなんとかtail。オレンジの一種で皮は赤く、中は紫色をしたモノ、でも味は普通のオレンジの味だったりする。スターフルーツは切り口がスターの形。
2003.03.27
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■ 既に帰国してしまった友達に頼まれたガス代を振り込みに行く。口座振り込みといっても小切手と同じようにビルを封筒に入れ、ATMで金額を打ち込む。人のビルで違う口座だけど、大丈夫かなぁ~。それが無事引き落とされたかどうかは今もって定かではない。■ 16:30~22:45ISAKAYAいよいよ新装開店!開店前に最後の準備。“Reserve”の札を20こつくる。そりゃスペル覚えるわ。いよいよオープン!テーブル番号も大幅に変わり、みんな配置図を見ながら。今までは2ケ所に6人用テーブルをつくったら、あとから来た団体さんが入れない状態だったが、さすが20席も増えただけあって、広い、団体さんも余裕!今日は皆川一家総出にウエイトレス3人で、私はピンチヒッターだったが、それでもてんてこまい。平日なのに新装開店当日だったためか金曜の夜なみに忙しかった。久しぶりのまかないもうれしい。
2003.03.26
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■ 12:00ISAKAYA、大掃除をする。14時には全員集合。皆川一家、改装中に一時期国してすっかり日本の女の子になって帰ってきたリョウコちゃんにキューバの日焼けを残すモモさん、ヒロミちゃん、サナエさん、アユミさん、新人ミキさん、臨時の皿洗いジュンペイくんに、小林くん、キッチンのカワイさん、沖さん、寿司カウンターの明ちゃん、イッセイくん。未だテーブルの位置が決まっていないが新装開店予定日は明日なのだ!キッチンでは食器洗浄機がフル回転して皿という皿が洗われ、ふかれ収まっていった。ビール類もふいて新しく入った飲み物専用の巨大冷蔵庫へ。 シンクの水漏れ発見!改装中電話機が見つからなかったのだが、発見され繋げた途端に予約の電話が!途中今日がお父さんの誕生日ということでケーキを食べて祝う。
2003.03.25
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■ ヒロミちゃんからもらったカナダの薬(カナダ版コンタック:めちゃめちゃでかい2cmくらい、強そうなので半分に切って飲んだ)が効いて、今日はバッチリ!■ 13:00ハナコさんちで和食パーティ。ターキーのそぼろに、チャイナタウンで手に入れたという高菜もどき、きゅうりとカニカマ、自家製ガリの酢の物サラダに明太子。■ 19:30ソファーを引き取りに、MTL在中16年の変な帽子を被ったおばさんと、赤いトラックを運転してきたその夫が、まるで夜逃げのようにしてソファーを運び出していった。その前にヒーターを何かしに来たイタリア人がコンピュータデスク2つを$100で買い取ると言ってきた。一応オーケーしたが、その後に、日本人ではないと自称する女の子カクさんからそのデスクを見たいと、どうなる?■ スーパーProvigoのレジでどうみてもルンペンのおじさんがアメリカドル$1札でお惣菜を買おうとしていた。レジのお姉さんはアメドルでの計算を知らないらしく他の人を呼びにいったりと難行していた。隣に並んでいたお客さんがさっとカナダドルを出して、事なきを得た。ルンペンはお礼にウインクして出ていった。外でそのお惣菜をむさぼり食べていた。■ Provigoの帰りにISAKAYAの前を通ったら皆川家全員集合し、インテリアデザイナーで常連客でもあるペロンの兄ちゃんたちもいた。ソファーは決めた時の色とは違ってグレーになっていたが、その方がいい。ぶち抜かれた残りの壁はお父さんチョイスのオレンジ色になっていた。最初はその色に馴染めなかったが後から馴染んでかなりキュートに主張していった。奥のスモーキングセクションが四角いライトにグレーと赤の壁で超ムーディかつナイスになっていた。室内インテリアを手掛けるペロンの兄ちゃんたちはいつもスモーキングに座るので、自分たちのよく使う空間に力を入れたのか?
2003.03.24
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■ まだまだ本調子じゃないが、カナさんちでの持ち込みパーティのために長ひじきを使ってにんじんとひじきの煮込みをつくる。これでもうひじき料理3回目。日本ではひじきなんて使ったことなかった。長いので切る必要があったのだが切り忘れた。そして相変わらず味覚喪失のままのため、味見できない。■ 13:00ヨウコさんがテーブルを見に来る。30分後、アパートの管理人さん登場。その後、CDラジカセを見にカップルがくるが、色が気にくわないと断られた。■ Place des Arts のメトロ内で偶然あいさんに会う。2人でヒロミちゃんちへ。体温計を借りたら37.4℃と微熱。18時からのカナさんちのパーティを断念し、ヒロミちゃんに夕飯と薬をもらい休ませてもらう。
2003.03.23
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■ まだまだ咳痰鼻水絶好調。何を食べても味がしない、甘さもわからない。味覚が壊れた。臭覚が80%、味覚をコントロールしているとみた。■ 家具について、コーヒーテーブルを欲しがっていたヨウコさんが、同じ学校だったヨウコさんと判明。CDラジカセの件でマキさんという人から連絡が。電話の向こうで、フレンチで相手と相談している。「色は?」と聞かれて、「むらさき」と言ったら笑われた。それでも明日見に来ることに。
2003.03.22
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■ 家具をみに、石川県出身同じくワーホリのエリさんがやってきた。家も探しているとのこと。■ Erikとexchangeの予定だったが、気力、体力既になく、キャンセル。家に帰って薬飲んで大人しく寝るべし。
2003.03.21
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■ アメリカがイラクに攻撃する中、アメリカ経由で日本に帰国する友達をBerri-UQAMのバスターミナルまで送る。バスターミナルからは30分おきにDorval 空港までのバスが出ているのだ。早朝4時すぎに着いたが、4時のバスにお客さんがいないので、運転手さんが乗せてくれた。■ 家に帰ると鼻の下ガビガビの咳き痰。SARSか?■ またも、日本からの荷物が近くのデパナー(コンビニ)に届けられていたので取りに行く。荷造り用の大量の圧縮袋だ。■ ランチに昨日のスモークミートの残りをしょう油とマヨで味付けしてサンドウイッチにして食べたらめちゃめちゃうまかった。■ McGill大図書館でfrom-montreal のclassifiedに帰国セールならぬ、帰国してしまった後セールのアドを書き込む。帰国した友達に家具の売却を頼まれたのだ。ネット中に既に2件の問い合わせ。明日見に来ることに。大学構内にもアドを貼る。
2003.03.20
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■ McGillのフードコート“Sukiyaki”でランチ。店名はスキヤキ、店員は中国人、出てくる料理はベトナム風。よくある光景。■ スモークミートで有名な創業1930年の老舗“Schwartzs”へ。1人の弱そうな店員が21時あがりで、着替えを始め、たちまち、カナディアンアーミーのユニフォームになった。彼はバイトらしい。帽子をくるくるっと指でまわして被っていた。調子にのって10回くらい。丸まる1本の、ぶっといピクルスにフライドポテト、スモークミートに骨付きステーキ、ソーセージとすごいボリュームで、体調の悪かった私は珍しく残してしまった。でも残りモノはちゃんと包んでもらう。■ 夜、ラジオでアメリカがイラクを攻撃することを決めた、と、伝えた。戦争が始まったのだ。そして友達はアメリカ経由で明日帰国する。
2003.03.19
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■ モントリオール再び。さすがに春の日射し。1年前に散歩した時のあの感触がほほをなでる。■ 洗濯したら砂がじゃりじゃりでてきた。■ maxi にいって、基本食材を買う。のどが痛くてどうしようもないので、のど飴を探す。さすが、欧米ガム社会、のど飴と思って買ったら、のどガムだった。■ St.LaurentからPrince Arturに入って、左側にある“Minerva”というモモさんお勧めのギリシア料理のレストランへ。そのあと、ISAKAYAメンバーと合流し、バーへ。
2003.03.18
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■ 8:00起床し、最後のビーチをみんなでお散歩。昨日の雨で少し涼しい。砂をフィルムケースに入れて持って帰る(これって違法?)。■ 9:30チェックアウト。ホテルのフロントに日本へのハガキを出した。いつ届くことやら(以外と早く、3週間で届いていた)。10:00のバスで空港へ。■ 13:15搭乗。14:45に途中のカヨラゴ空港に停車、ケベコワがたくさん乗ってきた。何か飛行機の調子が悪いらしく、予定を大幅に変わって1時間以上とまっていた。映画は行きと同じモノを、しかも途中から上映していた。機内食、今回は前の方に座っていたのでチキンかビーフかの選択権あり。紅茶についていたミルクは練乳のように甘く、濃かった。そして開けると飛び出す。■ Dorval空港には20時に着く。飛行機で隣に座っていたおじさんは、スペイン人でブラジルに住んでいたこともある、モントリオール在中30年のミュージシャンだった。自分のCDをみせてくれた。税関でワーホリビザの上にハンコを押され、これで自動的にカナダ滞在3ヵ月延長の観光ビザもゲットできたのか? モントリオールはプラス3℃なり。それでも南国から来たうちらにとっては寒く感じるのだった。キューバとの温度差25℃くらい?
2003.03.17
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■ 9;00起床。朝食ビュッフェ:モモさんとあいさんは昨日の二日酔いでパス。朝食タイムが終わりに近づくと、すずめっこがやってきて床掃除をするのが日課らしい。別に誰も気にしない。■ 11:30頃ビーチへ。今日がラストです。ビーチ野犬は痩せ細り、まるでコヨーテのよう。崩壊したらしい建物の日陰にいつも陣取っている。野ネズミ?砂ネズミ?小さいコロッケのようなネズミがいた。地元民の子どもが話しかけてきた。今日は日射しが強い。絵に描いたような入道雲が浮いていた。■ あいさんたちの部屋で、またもや偶然ケーブルテレビでやっていた“チョコレート工場の秘密”をみる。みんなウンパルンパを怖がっていた。■ ホテルではケベコワだらけ。極寒の季節に南国キューバにバケーションに行くのはケベコワの典型的な避寒策らしい。そしておじさんなんかは、地元の女の子を買うのだ。 キューバは中古車が多い。そしてかっちょいいのだ。
2003.03.16
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■朝、お散歩する。今日の波は穏やか。天気はいいが、雨が降り出す。外に出れないので部屋でおみやげに買ったドミノで遊ぶ。雨が止んでお日さまが適当に出たところでビーチへ。雨あがりの大地には大きな虹が3本も出ていた。■ここのホテルのシフトは1日おきらしく、今日はバーにマルデイユもいるし食堂のウエイトレスたちは愛嬌のある子たちばかりだ。もう一つのシフトの方はうってかわって無愛想になる。■夜8時のシャトルバスで再び、ハバナへくりだす。同じ宿泊客のケベコワたちについていくと、昨日行った”ハノイ”近くのバーに辿り着いた。そこにはカウンターがあり、目の前でモヒートやらピナコラータをつくってくれる。ここで、How to モヒート:砂糖スプーン1杯に、レモンジュース、ミントの葉をつぶして、氷4つくらい、ソーダー水1.5カップにラム酒1を入れる。how to ピナコラータ:砂糖3杯に、ピナコラータ200ml、氷をくだいて、ラム酒3、ミルク適当、をミキサーにかける。もちろんその間グラスは冷やしておく。注)これはバーテンがつくっているのを観察してメモっておいたものなので、正式な作り方かどうかは定かではない。 生バンドが1時間おきに変わって演奏する。店はオープンなので(というかホテルでさえ、壁はないのだ)外から地元の子どもが覗いていた。トイレは水が流れず、おばちゃんがお客が用を足している間にバケツに水を汲んで待ち構えており、流してくれる。それにはちゃんとお礼にチップをあげなきゃね。■11時すぎ、キキに会いに行くが見つからず。しかし彼の友達に会う。そしてディスコに連れていってくれると。怪しいながらもついていく。そこは煙りモクモクの爆音の腰振りまくりのすごいところだった。 深夜2時、タクシーを拾う。メーターは$4.92でとまるも$12で交渉していたためその分を払う。もちろん窓を開けるトッテなし。
2003.03.15
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■ 昨日からの下痢で正露丸や薬草丸にお世話にりつつ…ダウン。食べたもの全てが出ていってしまう。もったいないよう。■ 昨日メイドのおばちゃんたちに「おはよう」を教えたところ、「おはじょー」と返してくれる。3人揃って「おはじょー」。Yoの撥音がjoになってしまうらしい。■ ディナービュッフェ。昨日から来ていたトロント在中の韓国人のおじさんに話し掛けられる。日本語ベラベラ。60才後半だからだろう。息子、娘がモントリオールのMcGill大に通っているという。トロピココに来て、はじめて見るアジア人。■ 夜8時のシャトルバスで、ホテルからハバナへ行く。ダウンタウンでおろされ、ガイドブックに載っていたビールを1杯1ドルで飲めるという“ハノイ”へ。ハノイとはベトナムの都市名だが別にベトナム料理があるわけではないらしかった。30分メニューが来るのを待って、30分オーダー取りにくるのを待って、30分品物がくるのを待って…といった感じ。隣に座ったのは奥さんがケベコワで旦那がキューバ人というカップル。その後はフランス人とイタリアアラブハーフ。■ “ハノイ”から夜道を歩いていると、地元民エンリケ、ニックネーム、キキと兄弟、その仲間達に出会う。うちらと話していたらお巡りさんがやってきて、彼らのIDを取られチェックされていた。なんでもディスコを紹介してくれるとか。明日の夜に会う約束をし、今夜は一先ず帰ることにした。ホテルまでのタクシーを交渉してくれたが結局自分達で拾った。その拾ったタクシーも曲者で、メーターの後ろをいじってぼったくろうとしていた。それを指摘したら、メーターの前に飾りを置いて隠そうとしたり。窓を開けるトッテがなくてジタバタしていたらドライバーが自分の所のトッテを取って渡してくれた。半信半疑で、トッテがあったであろうところに差し込んで回してみると…It works!! トッテは1本で十分ってことですね。
2003.03.14
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■8:30起床。朝食ビュッフェ、コックがチーズとハムを大量に入れたふわふわオムレツをつくってくれるコーナーがある。■11:00すぎ、タクシーでハバナへ。道路の道ばたではヒッチハイク待ちの人たちや野ヤギ。トラックがバスを運んでいる感じのバス、いつも人でぎゅう詰め、が走っていたりする。ホテルナショナルでセイコさんと待ち合わせ。彼女が街を案内してくれることに。ホテルからタクシーでオールドハバナへ。”老人と海”で有名なヘミングウエイも通っていたというレストラン”Bodeguita de Medio(Little shop in the middleという意味)”へ。見た目おしるこのような塩味の豆スープにお赤飯のような豆ライス、グリーンバナナフライ等。そしてラムとミントの葉で作られたカクテル”モヒート”。モヒート発祥の地でもある。店の壁には訪れた人々の写真やサインが所狭しと書いてある。ウエイターが葉巻きを売りにきたりもする。■Catedral de San Cristobal教会を見学。近くのおみやげ屋でハガキを購入。切手は65セント以上ならなんでもいいらしい。そして普通郵便は2ヵ月かかるらしい。かかりすぎじゃろ。■近くのマーケットへ。200mくらいひたすらおみやげ屋。片言の日本語でよく話しかけられた。その隣ではみんなが思い思いに絵を売っている。だいたいやる気がない。ドミノを4人くらいで卓を囲んで青空の下、道ばたでプレイしている。チェ・ゲバラ(革命を起こして死んでしまった国民のアイドル)の顔写真や旗がそこら中で売っていた。■革命広場:何か演説をやっていた。車がみんな60年代風のアメ車みたいでかっこいい。むやみやたらに道に人がいっぱいいる、兵隊さんでさえ、モモさんの露出したセクシーな身体を舌なめずりしながら見ていた。■セイコさんとは16時頃別れ、またタクシーでホテルに帰る。$13と自己申告し、それをさらに$12にまけさせた。でも自動メーターは$4.22でとまったままだったので、本当の値段はわからない。でも陽気なドライバーだった。
2003.03.13
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■8:30頃おきて、お散歩。朝の海。日射しは既に強し。■9:30朝食:いつも遅く終わり頃に行くので、残りが少ないことに気付く。そして10時になるとあっという間に片付けられてしまう。■Koheiが北島三郎よりもでかい鼻の穴を持つ黒人のビュッフェスタッフからキューバシガー25本入りを$50で闇取り引き。危険だ。$45しか持っていない、といって更に値引きさせていた。■水着に着替えて再び、ビーチ。今日はヤシの下でしっかり日陰をゲット。ビーチには日陰にベンチがあるが、うっかり座っているとお金を請求されるので注意。昨日の日射しの下だけで、身体中ヒリヒリ。 NYからきたという大阪出身のセイコさんに会う。彼女は針の先生と日野さんという怪しい日本人のおじさんたちとメキシコを経由してきたという。彼女はキューバ、ハバナに1年間、NYには2年留学中。キューバではじめて日本人をみた。日本語のキューバのガイドブックを貸してもらう。■モモさんが海に放尿する以外は1日中身体を焼いていたため、ダウン。■ホテル、1日に2回ほど停電。食堂でおもむろに窓を開けだしたら、クーラーが停まった証拠だ。その前に食堂しかクーラーのかかるところがない。各部屋には旧式の小さなクーラーがあるが、どっかに飛んで行きそうな音がする。 部屋の電話で、モモさんたちの部屋と連絡を取る。5回に1回の割合で通じる。通じてもザーっという音がバックミュージックに流れている。■ホテルの中にもプールがあり、夜になるとライトアップされてきれい。天井はなく、水面を夜月も照らす。酔っぱらいが飛び込んでいることもしばしば。
2003.03.12
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■8:00起床。昨日は夜についたので、窓の外が暗く、安いプランだし、窓からの眺めはよくないだろう、なんて思っていたら、朝おきてびっくり。窓の外は海だった。砂浜とヤシ。まさに常夏の景色!■9:30下に降りて朝食。食べ放題。さすがに果物は充実していた。言葉はみんなスパニッシュ。Barでは朝10:00からアルコール飲み放題!■早速水着に着替えて、海へ!Plava Santa Maria del Mar(たぶん海岸名)。ホテルでタオルを借り、砂浜に敷いて寝たり、コバルトブルー&エメラルドのグラデーションの海に入ったり。時々、ボートがすごい勢いで通っていく。気をつけないとひかれる。お巡りさんが時々巡回している。どうやら地元民が観光客に直接接触してはいけないらしい。ゴムチューブのうき輪で遊んでいたグループが怒られていた。■13:30ホテルに戻ってランチ。これまた食べ放題。昼食後もまたビーチへ。ウオークマンにスピーカーをつけてバックミュージックつきでまったりのんびりと。■ディナーも食べ放題。その前にフリーBarへ。Barに何度も足を運ぶものだから、バーテンの男の子(マルセイユ)とみんな顔なじみになってしまった。みんなの覚えた唯一のスペイン語は”オートロセルベッサ、ポルファボーレ”だろう。意味は「もう一杯ビールください。」私はまったく飲めないのでひたすらトロピカルジュースを飲んでいたが。
2003.03.11
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■10:30Bureau de change(両替え所)でカナダドルをUSドルに換金。カナダドル$1.47でUS$1。ほとんど使わなかったカナダドルのトラベラーズチェックもここで、全部アメドルにした。■いつものようにLionel-Groulxからバスを乗り継いでdorval空港へ。南国の国へ行くため、雪の中をかなり薄着で。■16:00空港であいさん、モモさん、Koheiと合流。TMR(Tour MonTrealの略らしい)のカウンターで搭乗券を受け取ることになっているのだが、カウンターには誰もおらず。結局先にチェックインカウンターに行って並び、TMRの様子を見に行ったモモさんが無事、4人分の搭乗券をゲット。本人なしで搭乗券を渡してしまうカウンターもどうかと思うけど…。■20:00搭乗、25分には離陸した。キュバナエアライン。機内アナウンスはスペイン語と英語。離陸前に飴が配られる。だ液の分泌を促し、耳の圧を調整するのにいい効果。 深夜0:30カヨラゴという島に途中着陸。気がつくと冷房になっており、外の湿った暖気が潮の匂いとともに機内に入ってきた。乗客の大半が降りた。機内食:ビーフまたはチキンで選べるはずが後ろの方に座っていたため選択権なし。天井の荷物入れの中にビニルいっぱい入っていたパンが出てきた。■空港につくと早速、むわっとした暑い空気。荷物を取る。そこに”ロスト・バゲ・バッケージ”という怪しい日本語が。たぶん紛失届けと書きたかったのだろう。係員に間違ってるとつげ、正しい日本語を教える。もし今度行ったらなおってるかな? ■空港にフレンチを話す人が出迎えてくれ、スペイン語のみの地元ドライバーのバンに案内してくれる。ひたすら30分くらい夜道を走り、ホテル”Tropicoco(トロピココ)”(ふざけた名前だ)に到着。深夜2:30チェックイン。まだ興奮覚めやらぬ4人はホテル内のBarへ。早速ケベコワ3人に会う。ホテルの部屋には開かずの金庫があった。後で使い方を聞いたらデポジット$10でカギを貸してくれた。朝4時寝る。
2003.03.10
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10:30Bonaventureのスケートリンク前でフレデリック夫妻、Koheiと待ち合わせてSouthshore行きのバスに乗り、バスターミナルからはフレデリックパパの運転でシュガーシャック小屋へ。”La Goudrelle”Cabane a surce。surceとは砂糖という意味。小屋に入ってすぐに広いレストランへ。赤のチェックを基調にしたテーブルクロスとユニフォーム。お皿にはピクルスやコールスロー、甘辛の豆煮、”キリストの耳”と呼ばれる豚の切り身をカリカリにしたかなりsaltyなモノが用意され、巨大なオムレツとハムがやってきて、各自お皿にとってメープルシロップをかけて食べた。このシロップはそんなに甘くなく、さっぱりしていた。全皿食べ放題。 食後は雪の上に熱々のメープルを垂らし、少し待って固まったら割り箸のようなものでくるくるして食べる、水飴のようなタフィ体験も。 メープルの木にドリルで穴を開け、バケツに樹液をためる。この時点では透明の少し甘い液体。1本の木から8リットルとれると言われている。それを集めて過熱すると茶色い琥珀色のシロップができる、2月末から3月にかけて収穫される。暖かい方がいいらしい。 小屋ではもちろんメープルグッズがいろいろと売られている。小屋を出て、メープル林を馬車で巡る。思っていたより、メープルの木が細くてびっくりした。 帰りはフレデリックパパにダウンタウンまで車で送ってもらった。明日は打って変わって、南国常夏の島、キューバである。
2003.03.09
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■Erikとexchange。「ある」と「いる」について。■18:30~23:15ISAKAYA前半すごく混雑。今日は改装前最後の営業。明日から2週間閉店する。入ってくるお客さんが途中から真白になった。外を見ると大雪だった。あっという間に20cmは積もった。3月なのに…。 お店に食材をあまり置いておけないので、まかないは残り物を使って豪華になっていた。 2、3歩も歩くと身体に積もってくる。除雪車もあきらめたらしく、道路はモコモコ。でもチェーンをつけた車は、ここモントリオールでは見たことがない。いつもより豪華なまかない
2003.03.08
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■11:00~15:00ISAKAYAランチ12人の団体と6人の団体を受け持つ。みんな12時にいっぺんに来て嵐。時間をズラすということを知らないのだ。■とうとうキューバ用の水着を買う。試着して肉付きの増加に失望。■19:00McGillでトモミさん、Kohei、Koheiのexchange相手ドミニクに会う。”ビドルズ”という名のJAZZ BARに行こうとしたら改装中だった。4月より新装開店ということだったが結局、私の出国日まで工事は終らなかった。St.LaurentのCafe Bar restaurantへ行く。ドミニクにいろいろと実用フレンチを教えてもらう。話題転換のanywayはフレンチでen tous cas、”アントゥカ”、日本語の「なんつうか~」に似ていて覚えやすい。
2003.03.07
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■日系文化センターで本を借りる。村上春樹&安西水丸の『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』。返却日が4月10日と聞いて、少々センチな気分。その時にはもういない。■17:30Lionel Groulxでトモミさん、ダニエルと待ち合わせ、Koheiも合流してトモミさんちへ。トマトベースのシチューに、アサヒスーパードライとキリン、”神様の気まぐれ”という名のチーズ(中がとろ~んとしてうまい)と共に。
2003.03.06
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■11:30チャイナタウンの桃源餅屋の前であいさん、リョウコちゃん、アユミさん、モモさん、Koehiと待ち合わせて飲茶へ再び。中国では日曜日は飲茶の日らしく、前回は日曜に行ったので込んでいたが、今回は平日だったので空いていた。相変わらず、売り子のおばちゃんがプレートの名を叫んでテーブルの間を通っていく。どんどんきて、どんどん食べたので、何を食べたのか忘れてしまった。■桃源餅屋上の喫茶店、シモネットでバブる(バブルティーを飲むこと)。今日はアーモンド。非果汁類。杏仁豆腐の味がした。■17:30~21:45ISAKAYAフレデリックとゆうこさん夫妻が食べに来る。
2003.03.05
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■ラジカセを売りに出していた件で朝、電話がかかってきた。今日早速会うことに。マキコさん。部屋の大掃除。■マキコさんを迎えに行こうと準備していたら、先日新しくアパートに引っ越してきて、キムさんから紹介されたユミコさんがトイレに出て、そのまま内カギがロックされて閉め出されてしまったという。このアパート自体にもカギがあるので、キムさんに連絡を取ろうと外の公衆電話にかけにいくとアパートからも閉め出されかねない。合鍵と電話代を貸してとりあえずキコさんを迎えに行く。■無事ラジカセ$10でご購入いただく。■Place des Artsで家電話機の引き渡し。ケベコワと結婚してSouthshoreに住んでいる日本人。$15を$10にまけられてしまった。■18:00~22:00ISAKAYA新装開店までドリンクを補充できないので欠品続出。クランベリーの収穫について、シェフお父さんより豆知識。クランベリー畑の周りに土手をつくる。その中に水を注入。水にクランベリーが浮いたところを網でかっさらうらしい。なんて強引な。要領いいんだか、悪いんだか。
2003.03.04
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■ 日本はヒナ祭り。夜からがくんと気温が下がり、久しぶりに鼻中凍る-20℃の世界。昨日の昼間が0℃だったのだから、その差は20℃!■ Guy-concordiaであいさん、モモさん、Koheiと待ち合わせ、カズコちゃんのいる旅行会社“BaroBaro”へ。とうとうキューバ行き決定!お金も支払い実感がわく。■ Guy-concordia近くのフードコート(Green House内)でランチ。私はレバノン、あいさんはタイカレー、モモさんとKoheiはモロッコ。カナダから帰ってきて、何が恋しいかって、この世界各地の料理が手軽に食べられるフードコートですね。 ↑これはMcGill、Eatonセンター内のフードコート■ キューバで着るべく水着探し。外は雪。■ HMVで帽子を落とした。けど、カウンターに届けられていて、無事戻ってきた。“ぼ、ぼ、ぼうしなくしたんだけど…”“これかい?”“そうそう!!メルシーボークゥ!”
2003.03.03
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■ 18:00~22:30ISAKAYA日曜日は忙しいか、まったりかのどちらかです。そして今日はまったり。ヒマなキッチンが雪だるまをつくって遊んでいた。お皿を置きに行ったらまな板の上に、のりがまゆ毛でワカメが目、箸が手の雪だるまがいたのだ。休み中工事をやるので食器を移動。
2003.03.02
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■ いよいよ3月。残り40日。ワーホリレポート用の自由帳を買いにいつものMont-Royal にある$1のもの以外も売っているお店へ。しかしいつものが売っていなかった。この日記はワーキングホリデー中、1年間、自由帳にイラストと共に描かれたモノの、文章部分だけ、ワードでデーター化し、時々スパイしてた時のデジカメ写真を載せたりしている。スキャナーを手に入れたら、イラストも載っけていきたい。そしてゴールは出版よ。それまで、うちに眠っているのもなんだから、できるだけ、多くのこれからワーホリピープルまたは、一緒にワーホリ体験共有してきた仲間と思い出、シェアしていきたくて書いてます。レポートに戻ると、レポート用の自由帳を他の店でも探したがなかなかいいのが見つからず、まあ、あと40日だし、50枚の白紙レポート用紙を購入したんでした。画材屋にも行ったが、日本に比べてスケッチブックの品数の少なさはやはり、日本が紙大国ならではだったのか、と思えた。でも原料となる木が多いのはカナダの方よねぇ。■ 久々にウインドウショッピング。前にもチェックした、本物の犬が寝ていてびっくりしたSt.Laurentの“eva.b”。2フロアーが隣続きになっていて奥はユーズド。赤いフロアーの赤タグは$5、青タグは$9、黄色いタグは$3。店員さんにはじめて値段のシステムを教えてもらう。ジャケットやジーンズ、小物等かなり掘り出し物がございます。でもチャック壊れているのとか平気で売っているカナダ。■ 道を歩いていたら、目の前を雪の塊がどさっと落ちてきた。あと1歩早かったら…。周りの人も驚いて“大丈夫?”と声をかけてくれた。■ 3月末の引っ越しに向け、from-montrealという地元サイトのclassifiedに帰国セールアドを書き込む。テレビデオにCDラジカセ、ラジカセ、オーブントースター、家電話(引っ越していったウエイトレス仲間テルちゃんが置いていったもの)、携帯。早速6軒問い合わせが。オーブントースターは買手が決まった。■ 17:15Parcのsecond Cup前のバス停にてトモミさんとKoheiと待ち合わせ、セバスチャンの友達のナタリーの家へ。1品持ち寄りパーティ。私は“ラシャッテ”で1・の抹茶アイスを買う。レジで冷やすための氷をください、と言ったが通じず、MTLで育ったらしいアジアンボーイが勘付いて、氷をパックしてくれた。結局途中で道ばたの雪を好きなだけ突っ込んだ。家ではポーリッシュ風のダンプリング、ピロギ(ポテトの入った餃子みたいなのを茹でて鉄板で焼くもの)、トモミさんはお手製クッキーとサーモンの押し寿司、koheiは天津飯。ケベコワたちのパーティには必ず各種チーズとワイン。今回はメープルワインといって温めて飲む、JeanTalon市場の近くの酒屋にしか売ってないという。甘いらしいです。おみやげに最適かも。10人くらい集まって。
2003.03.01
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