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『雁』森鴎外(新潮文庫) 上記作品の読書報告の後半であります。 前回の最後ですでに、画期的な『雁』論が提出されましたが、画期的すぎて誰も相手にしてくれないような気もします。(詳細は前回の拙ブログを。) えー、とりあえず、もう少し進めてみます。 そもそも前回最後のような「画期的」な一文がうまれた切っ掛けはこの疑問からでした。 (1)鴎外は、どんな読者を想定してこの小説を書いたのか。 (2)鴎外は、そもそもなぜこんな「恋愛小説」を書いたのか。 これはやはり気になりますねー。 例えば本作は、「僕」という一人称で書き出されていますが、この一人称は、作品の視点としてはほとんど「破綻」しているんですね。 そもそも「僕」の出てくる場面が圧倒的に少ないし、途中の、まさにこの作品の重点部が、論理的には「僕」には分かりようのない事実(人物心理)の描写だからであります。 にもかかわらず、この「一人称」は、まるで「飛び道具」のように、圧倒的にすばらしい効果を、作品にもたらしているとしか言いようがありません。 例えば「鯖の味噌煮」のエピソード、これは何というのでしょうか、「小憎らしい」ほどの「芸」ですね。 それに加えて、というか、こちらが先行するんでしょうが、文章の完璧なること。 それは、「お玉」の出てくるシーンのみならず(というよりも、「お玉」のシーン以上に)、高利貸し末造の妻などを描いて光彩陸離たるものがあります。例えばこんな場面。 「どうするにも及ばないのだ。お前が人が好いもんだから、人に焚き附けられたのだ。妾だの、囲物だのって、誰がそんな事を言ったのだい」こう云いながら、末造はこわれた丸髷のぶるぶる震えているのを見て、醜い女はなぜ似合わない丸髷を結いたがるものだろうと、気楽な問題を考えた。そして丸髷の震動が次第に細かく刻むようになると同時に、どの子供にも十分の食料を供給した、大きい乳房が、懐炉を抱いたように水落の辺に押し附けられるのを末造は感じながら、「誰が言ったのだ」と繰り返した。 躍動感溢れる、瑞々しい書きぶりですね。 一体に鴎外は、「硬い」文章を書きそうな先入観がありますが、女性の肉体に関わる表現は、漱石よりも遙かに艶っぽいですね。 (漱石の描く女性の艶っぽさの最右翼といえば、『それから』の三千代が、ユリの生けてある水盤の水を手で掬って飲むところくらいですかね。) 一方鴎外は、そもそもデビュー作『舞姫』において、泣き崩れる少女のうなじの色っぽさに耐えきれず、思わず肉体関係を結んでしまう主人公を描いていますもんねー。 ともあれ、小説作法的にはタブー視される物が、鴎外においては、すばらしい効果を生みだしている事を確認したのですが、にもかかわらず、なぜ鴎外がこんな「恋愛小説」を書いたのかについては、いっこうに分かりませんでした。 しかし作品中盤、僕は思わず「あっ」と声を挙げる個所に出会いました。ここです。 この時からお玉は自分で自分の言ったりしたりする事を窃に観察するようになって、末造が来てもこれまでのように蟠まりのない直情で接せずに、意識してもてなすようになった。その間別の本心があって、体を離れて傍へ退いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑っている。お玉はそれに始て気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。 これってまるで、フローベルと『ボヴァリー夫人』の関係じゃないですか。 僕は、かつて鴎外が描いた、登場人物と作者の心情が重なっている一連の作品を思い出しました。例えばこれ。 「君はぐんぐん仕事を捗らせるが、どうもはたで見ていると、冗談にしているようでならない。」 「そんな事はないよ」と、木村は豁然として答えた。 木村が人にこんな事を言われるのは何遍だか知れない。此男の表情、言語、挙動は人にこういう詞を催促していると云っても好い。役所でも先代の課長は不真面目な男だと云って、ひどく嫌った。文壇では批評家が真剣でないと云って、けなしている。一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたはわたしを茶かしてばかし入らっしゃる」と云うのが、其細君の非難の主たるものであった。 木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる仕事に対する「遊び」の心持が、ノラでない細君にも、人形にせられ、おもちゃにせられる不愉快を感じさせたのであろう。 (『あそび』) どうです。この二つの表現は、まるで瓜二つですよね。 フローベルが「ボヴァリー夫人は私だ」といったように、「お玉」は鴎外自身の投影だったわけです。 つまり、高利貸しの妾・無縁坂の「お玉」とは、実は森鴎外その人だったのであります。 うーん、しかしこの「お玉」論は、これはきっと誰かがすでに言っていそうですね。 僕が今回気が付いたと言うだけで、きっと、先達の業績がありそうです。 ともあれ、『雁』のこの部分を読んだ時に、僕の疑問は氷解しました。 そして僕は、その後、ある意味で「安心」しつつ、一方で少し「がっかり」しつつ、本作品を読んでいこうとしました。 「がっかり」とは、なにか「底の見えた」ものに対するつまらなさとでもいうべき感覚だったろうと思います。 しかし、僕が勝手に「がっかり」しつつ読み続けようとした『雁』は、そんな底の浅いものではなかった事を、最後に申し添えておきます。 ちょうど蛇と小鳥のエピソード(まさに終盤・クライマックスへ通じるエピソード)あたりから、作品は読者をぐんぐんと引っ張っていき、お玉の心情を掌の如くに解き明かしつつ、最後、「雁の死」を過ぎると、今度は打って変わって、お玉を突っ放すようにして終わっていきます。そのラストシーンの哀切さ。全く見事としかいい様のないものでありました。 うーん、やはり、鴎外、文豪でありますねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.29
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『雁』森鴎外(新潮文庫) 文豪ですね。 この小説家の作品も、考えれば私は、長く読んでいなかったように思います。 というより、「漱石・鴎外」と並べた時、私は「漱石派」なんですね。 漱石と鴎外の小説中、既読の作品数の差に、かなりの隔たりがあるように思います。 小説家にも、「鴎外派」と「漱石派」がありますね。 実際にこの両者に世話になった小説家は言うまでもなく(例えば荷風とか、芥川とか)、その後の小説家にもそれはありそうです。 「漱石派」の方が多そうな気はしますが、今思い出してみますと、えー、例えば、太宰治・三島由紀夫なんかは「鴎外派」ですね。 太宰は、確か『女の決闘』に、「漱石よりも鴎外」と書いていたような気がしますし、三島も鴎外の文体の影響を受けたと何かに書いていたように思います。 安吾は、以前にも触れましたが、漱石嫌いです。 しかし梶井基次郎は、「漱石派」ですね。手紙に「梶井漱石」と書いてあったりしています。谷崎も、「漱石派」ですね。『それから』に大層感心をしていました。 こうして考えてみると、存外「鴎外派」も多いです。 というより、鴎外は、いかにも「玄人好み」な感じがします。 なぜこんな話になったかといいますと、鴎外について、いえ、この『雁』について、僕はよくわからない事がふたつあったからです。 それを考えながら、この作品を読み始めたのですが、分からない事とはこのふたつです。 (1)鴎外は、どんな読者を想定してこの小説を書いたのか。 (2)鴎外は、そもそもなぜこんな「恋愛小説」を書いたのか。 この(1)と(2)は同根と考えてもいいのですが、とにかくそんな事が気になりました。 で、読み始めると、ますますこれが気になるんですね。なんと言っても、もっとも典型的な事例は、こんな表現部ですね。 その後だいぶ金が子を生んでからは、末造も料理屋へ出這入することがあったが、これはおお勢の寄り合う時に限っていて、自分だけが客になって行くのではなかった。それがお玉に目見えをさせると云うことになって、ふいと晴がましい、solennelな心持ちになって、目見えは松源にしようと云い出したのである。 「solennel」というのはフランス語で「儀式張った」という意味だそうです。注にそう書いてあります。 まず鴎外が想定している読者は、こんなフランス語が普通に読める人達なんですね。 考えてみれば、そうなのかも知れませんね。この作品は雑誌「スバル」に連載ですが、「スバル」を読む読者というのは、まー、大学生か大学関係か、要するに外国語は二種類くらいは理解できるインテリゲンチャなんでしょうね。 つまりこの小説は「インテリゲンチャ」向きの小説である、と。 もっとも鴎外は、晩年その世界に入った「史伝」の多くを、「東京日々新聞」「大阪毎日新聞」に連載し、難解で読者が困ったという話を聞いた事があります。 つまり、鴎外は、読者の事なんか何も考えなかったのだ、とも言えそうです。 この辺は、漱石と鴎外の、大いに異なるところですね。 もちろん漱石は、朝日新聞に入社後は専業作家として作品を書いていたのですから、読者の設定とその好みに合う作品を描く事は、本職を軍医として持っていた鴎外とは、そもそも比較の対象にならないのかも知れませんが。 一方で鴎外は、小説は何を書いてもいいものだという、その時代としてはとても先見性の高い考え方を持っていました。 だから(「だから」なのかどうかは少し迷いますが)、同じく「スバル」に『ヴィタ・セクスアリス』なんかを書いて(この本は主人公の「個人性欲史」であります)、軍人(軍医)であるのにかかわらず、「発禁処分」を受けたりしていますね。 えー、とりあえずここまでをまとめてみますと、こういう事が言えそうですね。 鴎外はほとんど「白痴的」に、小説『雁』を書きたいから書いた。 うーん、画期的な『雁』論じゃないかしら。 さらに、この画期的な『雁』論は、次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.26
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『眼中の人』小島政二郎(岩波文庫) 俺はこういう人間だ 愛せたら愛してくれ 私は寡聞にも知らなかったんですけれど、これは武者小路実篤の詩の一節だそうであります。 うーん、これはちょっといい表現ですよねー。 まー、武者小路の詩って、いかにもこんな感じではありますが、しかし、なんといいますが、やはり「自信家」でありますよねー。なかなかこうは書けません。 この本は、こんな感じの、「ちょっといい話」の本です。 芥川龍之介の『羅生門』の出版(大正六年)前後から始まり、関東大震災(大正十二年)で終わる、一種の「ビルドゥングス・ロマン(教養小説)」であります。 主人公は、二十台の小説家の「半玉」(文中の表現)であります。 そしてその、筆者とほぼ等身大と目される主人公の、文壇内の付き合いを描く小説のうち、中心となって描かれる人物は「菊池寛」であります。 この小説の、初出誌において付けられていたタイトルは『菊池寛』であったそうです。つまり、菊池寛の「評伝」の様にもなっています。(終盤はそうでもありませんが。) 菊池寛について描かれたところはなかなか魅力的です。例えばこんな部分。 「今度僕の随筆集が出るんだがね、いい題がなくて困っているんだが、何かないかね」 汽車の中のつれづれに、芥川がそんなことを云い出した。 「ないッたって、何かあるんだろう?」 菊池が応じた。 「そりゃ二、三候補のないこともないがね」 そういって、芥川はその二つ三つを早口に並べた。 「……」 菊池は瞬きをしながら黙っていた。菊池が黙っている時は、不賛成の場合だった。 「どんなものが入るんだ?」 やがて菊池が聞いた。芥川がまた早口に、随筆集の中に入るべき一篇一篇の題をスラスラと並べ立てた。その中に、「点心」というのがあった。 「点心ッて何だい?」 「餅餌ノ属。以ツテ時食ナラザルモノ俗ニコレヲ点心ト謂フとあるから、日本流にいえば、お八かな」 「それ、いい題じゃないか、君らしくって――」 「なるほど。そういわれて見ると、悪くないな。点心に極めよう」 間もなく、汽車は浜名湖の上に出た。 どうですか。面白いやり取りを、筆者は上手に掬い取っていますね。 しかし、そんな文壇内の友人や先輩とのやり取りの面白さもさることながら、この小説の真骨頂は、「芸術小説」といっていい、主人公の文芸上の苦悩について、その「芸術観」を含めて書いているところであります。 これについては、佐藤春夫やロマン・ロランなどの文章がかなり長く引用されたりして、その苦悩の足跡が分かるようにかなり入念に書かれてあります。 その部分は、決して面白くないこともないし、古くさいこともないとは思いますが、いかんせん、当の小説内に持ち込んでしまっては、たぶんどれだけ書き込んでも、筆者の方でも充分に書けたとは思えなかったんじゃないかと考えるんですが、いかがでしょうかね。 ただ、「生活しろ。裸になれ。」というフレーズが、何回か出てきます。これは筆者の「小説観」を、小説向けに簡易に書いたのだと思われますが、この「裸になれ。」という、少々野暮ったい言い回しは、とにかく作品内からあふれ出ており、それはとても好感の持てるものではありました。 「ちょっといい話」というまとめ方は、本作品にとって、きっと不十分さを一杯含んでいるとは思いますが、小説の形を取りながら、こんな感じをもたらせてくれる第一級の「大正文壇史資料」というものも、さほど多くあるものでもありません。 今回はこんなところで。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.24
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『春琴抄』谷崎潤一郎(新潮文庫) 上記作品報告の二回目であります。 そもそもは、秦恒平氏の『名作の戯れ』という文芸評論を読みましたら、『春琴抄』の新解釈について、びっくりするような(「鬼面人を驚かす」ような)斬新な「読み」が書かれてありました。 腰が抜けそうに驚いた僕は、そこでそれを検証しようと、はるばる大学四年生以来の『春琴抄』読書に取り組んだのでありました。 ところがこれが、あっという間に「谷崎ワールド」に引き込まれてしまうんですねー。 えー、「谷崎ワールド」、確かに強烈に魅力的であります。 しかし、例えば前日の夜更けになかなかうまく書けたものだと思っていた「恋文」が、翌朝、朝日を浴びながらではとても平常心では読めないように(えー、この比喩って、分かるんでしょうか)、例えば経済活動をしている途中のちょっとした休み時間に谷崎の本をめくっても、これはいったいどこの世界の話で、且つ、いったい何語で書いてあるんだと、なんか目眩がしそうに「違和感」を覚えることがあるという経験を、わたくし今回致しました。 これは、学生時代ではできなかった経験ですよねー。 「谷崎ワールド」は、確かに、浮世離れしております。 (でもそんなことを言ったら、このブログ自身が、充分浮世離れしていますものねー。) ともあれそんな『春琴抄』の世界ですが、『鵙屋春琴伝』という偽書(これは偽書ですよねー)を紹介する形で話が始まっていきます。 このアプローチの仕方について、昔かなり感心しましたが、今回もやはり感心しました。 当たり前なのかも知れませんが、この設定は、筆者が縦横に仕掛けを張り巡らした結果であります。 僕は特に次の二点を考えました。 (1)偽書において春琴を絶賛した表現を、語りの部分で、例えばその信憑性に対して疑義を呈するなどの形を取ることで、物語世界を重層化し、その客観性を確保する。 (2)上記の形を取りながら、つまり、偽書における春琴への神格化を押さえる形を取りながら、実は予想される物語世界への批判を先取りして塞いでしまう。かつ、結果的には、表現として、偽書の春琴への絶賛は文字に定着・イメージ化される。 うーん、こうしてみると、恐ろしいような「策略」ですなー。 実際、この狙いは相乗効果となって、あたかも春琴像を、具体的に粘土を両手で捏ねるようにして、恐るべきリアリティーと共に形作っていきます。 まさに「悪いヤツほどよく眠る」ですなー(この表現は無意味ですー)。 ところが、にも関わらず、私としてはどうも「弱さ」を感じるところがあるんですがね。 どこかというと、それは春琴と佐助の「肉体的な交わり」なんです。 どうも、春琴と佐助が肉体的に結ばれる(子供が四人できています。養子に出すか、亡くなっていますが。)ところの描写・説明は、上記の悪魔のように素晴らしい谷崎の計略をもってしても「弱い」感じがします。 そもそもこの二人は、そういった肉体的関係を、やはり持たねばいけないのでしょうかね。 少し角度を変えてみたいと思いますが、次のような部分。 畢竟彼女の贅沢は甚だしく利己的なもので自分が奢りに耽るだけで何処かで差引をつけなければならぬ結局お鉢は奉公人に廻った。彼女の家庭では彼女一人が大名のような生活をし佐助以下の召使は極度の節約を強いられるため爪に火を灯すようにして暮らした この表現は、偽書内容への批判として描かれた部分ではあるでしょうが、こんなところは、春琴への絶賛でないのはもちろん、春琴讃美のイメージ化についても、疑問の残るところではないでしょうかね。 考えられるとすれば、 (1)客観性確保のためにやむなく書き込んだ。 (2)こういった部分も、春琴の魅力である。 私が気になるのはこの(2)ですね。 要するにマゾヒズムの奥深さであります。 例えばマゾヒズムにとって、そんな行為の果てに自らの死があっても、それは「快楽」であるといった程度のことは読んだことがあります(河野多恵子の小説にもそんなのがありますよね)。 でも、上記引用文みたいな箇所もそれに当てはまるのでしょうか。 さらに、春琴と佐助の肉体関係ですが、これはやはりなけりゃならないんでしょうかね。 実は僕は、このことを考えて、さらにグロテスクなイメージを手に入れたんですが、いくらなんでもちょっとここには書き込めません。 ともあれ、やはり、「性」の世界というものは、限りなく広そうであります。 谷崎潤一郎、えーっと、「浮世離れ」してますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.22
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『春琴抄』谷崎潤一郎(新潮文庫) 先日家のそばの図書館に行って、いくつか借りた中からこんな本を読みました。 『名作の戯れ』秦恒平(三省堂) 秦恒平氏の本は、確か大昔、大学卒論時(やー、懐かしいなー)に読んで以来ではなかったかと思います。 この本には、二つの「文芸評論」が収録されてあります。ひとつは谷崎潤一郎『春琴抄』に関する評論、もう一つは夏目漱石『こころ』に関する評論です。 どちらも、かなりいろんなところで、おそらくは顰蹙を買ったであろう大胆な仮説であります(懐かしいです。確かにこの筆者は、こんな感じでした)。二つあるうち、僕は、谷崎の方に、より説得力を感じました。『こころ』の読みは、ちょっと無理があるように思いました。 でも、『こころ』の方を、先に簡単に紹介してみます。 そういえば何かの本で、この筆者がそんなことを言っているというのを、ちらりと読んだ気がすることを思い出しました。 簡単に言うと、こんな内容です。 「先生」が自害したあと「奥さん」と「私」(一部二部の一人称の青年)は結婚し、子どもまでできようとしている。 うーん、ちょっとこれはなー、と今でも思いますが、ただこの説を採ると、先生の自殺がなぜこの時機に決行されたのか(明治天皇崩御後の乃木将軍の殉死に触発された、実はわかったようなわからないような「明治の精神への殉死」という理由でなく)という疑問と、自殺を決行するにあたって、残される「奥さん」のことは何も考えなかったのかという「先生」の自分勝手さへの非難が、かなり解決・緩和されます。 つまり、「先生」は、「奥さん」を「私」に託すことの確信を得たので、後顧の憂い無くKに殉じたのだと読むわけですね。 これはちょっと面白いですね。 ただこの説の裏付けとなる本文の読み方が、ちょっと「牽強付会」な気がしました。 それに、「私」と「奥さん」が夫婦になるってのも、どうですか、うーん、ちょっと感覚的に違和感がありませんかね。 そしてもう一方の、『春琴抄』についての文芸評論であります。 ここにもかなり大胆な仮説が展開されています。 どんな大胆な仮説かと言いますと、あの『春琴抄』のクライマックスのひとつ、賊が春琴の顔面に熱湯をかけるというところのことですが、あれは「春琴の自傷」だったのだという仮説であります。 これもなかなか、なんと言いますか「突飛」といいますか、大胆な仮説ですね。 以前から僕も少し、あの部分について、犯人は「賊」ではなくて佐助自身であるという説があることは知っていましたが、春琴の自傷というのは初めて読みました。 しかしその論証については、うーん、ちょっと贔屓目に見ても「玉石混合」、ですかね。 なにより筆者が、少し過激に興奮気味で、「大人げない」感じがしました。 まぁ、なんとかひとつの読み方としては、理解できないことはない程度かな、という感じでした。 というわけで、久しぶりに読む「文芸評論」は、それなりには面白くはありましたが、筆者の主張については、どうも後まで気にかかるところが残りました。 で、『こころ』と『春琴抄』ですから、単純に文庫本の厚みで考えて、とりあえず後者かな、と。(『こころ』の再読も捨て難けれど。) ということで、最初は、秦恒平氏の読みを確認するつもりで読み始めました。 ところが、やはり谷崎はうまいものですねー。 考えてみれば『春琴抄』を読むのは、きっと大学四年生時以来でありましょう。 (卒論なんかで選んでしまうと、その後読み直すなんてことは、よほどのことがない限りないんじゃぁないでしょうかね。そんなことありませんかね。) とにかく、やはり谷崎作品はたっぷりと贅沢で、あっという間に、「谷崎ワールド」に(昔はこんな言い方しなかったですよねー。でもきっと谷崎は、村上春樹以上に「ワールド」にふさわしい作家であります)、引き込まれてしまいました。 さてその顛末は、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.18
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『典子の生きかた』伊藤整(新潮文庫) 伊藤整という筆者、よく知らないながら、私は今まで何となく好感を持っていました。 ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を翻訳したら、それが「猥褻罪」として訴えられ、全面的に法廷闘争をした気骨ある文人、という程度の理解でありますが。 一方、文芸評論の作品は、何点か読んでいました。 『小説の方法』なんて、大学時代に読んで、すごく感心した覚えがあります。「逃亡奴隷と仮面紳士」なんてキーワードを、今でも覚えています。いかにも、「理論派」「明晰な頭脳」という感じですね。 しかし、それは、床屋談義程度の、または文芸評論についての、筆者のイメージであります。 さて、上記の小説でありますが、この作品は、筆者の長編小説第二作だそうです。 長編小説第一作はというと、これであります。 『青春』伊藤整(角川文庫) あ、この小説、半年ほど前に僕が読んだやつではありませんか。 でも、そのときはあまり感心しなかったんですね。 作品がとっても痩せている感じがしました。うーん、「貧相」なイメージなんですね。 小説って、やはりもっと栄養豊かに、面白い筋がなければいけないんじゃないかと、私はとても思います。 若き芸術家の卵たちの青春群像を描いているとはいえ、僕は、そこに筆者の芸術思想を盛り込みすぎていると感じました。 「思想」だけでは、やはりつまんないんですね。それだけなら評論でいいと思います。 小説は評論じゃあない、面白い「お話し=フィクション」がぜひとも必要です。 (しかし、そんな意味で、日本文学史上の小説家を改めて眺めると、漱石・太宰・谷崎あたりがやはり他を圧倒して面白いですよねー。追随しているものが後、えーっと、芥川とか、その他ちらほら、うーん、あまり見あたりません。もっとも、私が知らないだけでもありましょうが。) と、そんな感想を持ちました。 ただ、この作品は筆者の最初の長編小説と言うことで「若書き」の感は否めず、別の作品にも触れねば、と思っていたところに、ブックオフで見つけたのが冒頭の小説であります。それが、筆者の長編小説第二作目でありました。 変なたとえ話が浮かんだのですが、高校野球、ね。 試合が終わった後、勝ったチームの監督のインタビューがありますよね。そんなとき、「弱かったチームが、一戦一戦戦っていきながら強くなっていきました」みたいなこと、よくおっしゃっていませんかね。 僕はこのフレーズは「謙遜」だと思っていたんですが、でもこの小説を読んでいるとそんな感じがとてもしました。 「伊藤整チーム」は、一作が書き上げられ、二作目が書かれつつある中で、確実に「うまくなってきた」と、「不遜」ながら、私は思いました。 それは、主人公の設定にもよるんでしょうね。 この二作目の主人公は、孤児の二十歳の女性であります。そもそもが芸術小説や哲学小説になりにくい設定にしてあります。 (ただ、主人公の、人生上の新しい展開を迎えようとするきっかけの一つが、トルストイの『イワン・イリッチの死』を読んだことによるというのは、ちょっと、おもしろいですね。) しかし、にもかかわらず、この作品も、とーーーーっても、「堅い」印象を受けました。 そもそも、タイトルが堅いじゃないですか。『青春』に、次が『典子の生きかた』ですから。 幼くして孤児になった女の子が、血縁・同性・異性、そして生きていくことについて、自分のいるべき場所を探し続けるという、実に「青春物語」なテーマですから、やむなしとは思うものの、例えば、こんな書きぶりであります。 室へ入って扉を閉めるとすぐ典子は、「ちゃんと答えてね」と言った。そして自分のそばに立っている鈴谷を感じながら、「あなた、私を好きなの?」と言った。これが自分の言うことのできる最後の言葉だ。これを言ってしまえば、もう私には、何も力がなくなる、と自分を消えかかっている蝋燭のように感じた。 これはラブ・シーンですね。こんな堅い対応をする女性であるとも読めますし、やはり「設定」が堅いんじゃないかとも思います。 ついでですが、この後はこういう風に続いていきます。「うん」と暗がりで鈴谷が言った。そして、ちょっと間をおいてから「君はどうなんだ?」「私、私はわからない」と典子は言った。しかしそれは、もう私は何も言う力がなくなった、と言う意味であった。その、力の尽きた私のことが、この人にまだわからないのか、と典子は思うのであった。 次の朝、朝日のいっぱいに入ってくる窓際で鈴谷は典子に言った。 えー、わかりますでしょうか。 終わりから二行目と最後の行の間に、二人の初めてのセックスがあるんですね。 うーん、隔世の感がありますよねー。「猥褻罪」で訴えられた方の文章とはとても思えませんよねー。 ともあれ、そんな話であります。今でもこの本は読まれているのでしょうか。 たぶん、ちょっと、無理ですよねー。(本書の初出は昭和十五年であります。) だって、現代の「青春の彷徨」といえば、セックス・ドラッグ・バイオレンス等々、そんな感じのものばかりじゃないですかー(偏見かしら)。 今の若者、こんな「堅い」の、きっと読めませんよねー。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.17
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『白髪の唄』古井由吉(新潮文庫) 上記小説の報告の後編であります。前回の報告のポイントは二点でした。 (1)「何も次々と新しいものが出てくるわけではない」 (2)「『全快』快感のない老人の病気状態に準ずる様な老人の話」 ふーむ、言いたい事はほぼ終わっていますね。 えらいものです。 さて、この筆者は、日本文学史的な位置づけで言うと「内向の世代」と呼ばれる人々の一人になるんでしょうね。文学的出発としては大江健三郎氏なんかの後になります。 このグループの人々はそもそもが、日常の不安定な人間関係をテーマにとることが多いようですが、古井氏もそんな作品が若い頃からたくさんあったように思います。 確か芥川賞を受賞した作品もそんなのでした。これですね。 『よう子・妻隠』古井由吉(新潮文庫) この作品、早い時期に三島由紀夫が絶賛していました。 三島に習わずとも、一読、「凄さ」の感じられる小説であります。 ちょっと先に、この小説の話を少ししておきたいと思います。 さて、もはや少し「うんざり」なんですが、『よう子』の「よう」の字がまた出ません。 「木」を書いてその下に「日」を書くんですが、確かに、僕はワープロソフトに憤ってはいるんですが、そういえばこんな字、あまり見ませんね。 漢字辞典を調べたんですが、 (1)ぼんやりしたさま (2)暗い (3)深い とありました。 うーん、そのままの女性ですね、主人公の女性は。 というより、この女性は(ひょっとしたら今はこんな言い方はしないのかも知れませんが)、「自閉」の女性なんですね。大学生です。 その女性とつき合っているのが「彼=S」であります。「よう子」の病を治そうとしているようなしていないような、というのは、実は間違いなく「彼」の中にも、「よう子」と同じ要素があるからです。 この二人の、なんともイメージの分厚い、腐る一歩手前の果実のような日々が書かれています。 これはかなりの力作です。筆者の才能が、ビンビンと伝わってくるような作品です。 上述しましたように、筆者はこの作品で芥川賞を受賞しましたが、芥川賞にとってもこの受賞者は大いに「あたり」ですね。 (「あたり」というのは、同じ芥川賞受賞者でも、その後の活躍ぶりから「はずれ」の受賞者が結構いるからですね。でもこれも当たり前ではありますが。) もう一つ作品『妻隠(つまごみ)』も、まるで心象風景的には『よう子』の続編のような作品です。 主な登場人物は若い夫婦。この二人が、「よう子」と「彼」の心象的未来の姿ですね。 ここにも濃密なねっとりとしたふたりの「病的」なやりとりがあります。 この2作は、さて、やはり「恋愛小説」なんでしょうかね。 見てくれ、ストーリー的にはちっとも幸せそうではないのに、でも、あれこれ考えてみると、なんだか「これはこれでひとつの幸せの姿ではないか」と、まるで怖い物見たさのように思えてきます。不思議な小説です。 それはつまり、この作者が、強靱な小説世界を作り出しているということで、今となれば「内向の世代」の中で最も「大家」に近い作者であるゆえ、当たり前とは思いつつ、極めてオリジナルな、確固たる才能を感じさせる作品となっています。 さて、冒頭の『白髪の歌』に戻ります。 デビュー作当初から大いに実力を発揮した「大家」が、その後文学的経験を積むと同時に自らも実年齢を重ね、「老い」をテーマに書いたのが、この小説であります。 読んでみました。で、うーん、みごとによくわからない小説でした。 それが、「まったくわからない」んじゃないんですね。「よくわからない」んですね。 なんとなくわかるような「瞬間」もあるような気がするんですね(そしてそんな場合は大概気味が悪い描写なのですが)。 60歳くらいの主人公を中心に、同年齢の人物が2人出てきて、彼らがとっかえひっかえ出会っては話をするという、実にそれだけの話なんですね。で、する話が過去の話なんです。 幼かった頃、戦争中、若さ溢れる頃などの話です。 そしてそこからえんえんと、現在と過去、現実と夢、あったこととありえたこと、妄想と狂気、生と死、老いと病、などが組んずほぐれつ、蚕が糸を吐くように、境目を持たずにずるずると続くわけです。(また、主語を極端に省略した文体がとても効果的に。) これはなんといいましょうか、なんか、ぬるーいお湯にずーと浸かり続けているような、ねばーいものを体中ににゅるにゅると塗りつけられているような、なんとも曰く言い難い皮膚感覚の小説でした。(またこれが、長い。文庫本450ページです。) しかし、トータルとして述べますと、僕はこの本にわりと「プラス」の印象を持ったんですね。 結局、「老い」を現場から中継するような形で報告してゆくには、この形が一番有効なのじゃないかと。これは一種の「したたかさ」の形なのではないかと。 文庫本の解説文に「書きつつ狂う」とありましたが、もしも文学に、科学よりも優越する分野が残っているとすれば、「老い」のごとき、まさに「酔生夢死」な分野の現場中継にこそ、文学のアドヴァンテージがまだあるように僕は思うんですが、いかがなものでしょうか。 そんな小説でした。 「『老い』に『全快』なし。されど安心したまえ。それはあなただけの話ではない。」 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.15
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『白髪の唄』古井由吉(新潮文庫) 去年のことです。 急にきりきりとお腹が痛くなり、「戻し下し」という状態になってしまいました。 仕方なく仕事を休んでお医者さんに行きまして、診断していただきました。 ちょっと前に流行った(今でもこっそり流行ったりしているんですかね)、「ノロウィルス」ということでした。 「ノロ・ウィルス」なんて、次から次に新しい病気が現れてきて、困ったものですなー、とお医者さんに言うと、 「なーに、この病気は、昔は『お腹の風邪引き』といわれていたものじゃ」と、あっさり言われました。 なるほど、単に新しそうな名前に変わっただけだったんですね。 何も次々と新しいものが出てくるわけではないと。 うーん、今回の報告のまとめを、このあたりに最後に持ってくるべく、書いています。 さてその後、私は、おかげさまでなんとか仕事に復帰したのですが、当時、それで全快になったのかと思い出せば、なんとなくそーであるような、ないよーな。 私はもともとそんなに健康体ではありませんが、何となく「柳に風折れ無し」で(このことわざの使い方、これでいいんですかね)、持病はありながら、そのため大病に至るということは、おかげさまで今までは無かったように思います。 ところが今回こんな事になりまして、結局二日だけでしたが、仕事を休むことにもなりました。その後復帰に至りましたが、しかしそこからの感じが、どーも今までの感覚と微妙に違うんですよねー。 つまり、「全快」というはっきりした区切りがないんですよね。 今回の場合で言いますと、お腹の病気ですから、話が尾篭になってしまって少し申し訳ないんですが、要するにトイレで、 「よしっ! 今日も健康!」という状態にいっこうになかなか戻りきらない、ということですね。 下痢をしていたもので、その間、お医者さんからお薬を貰っていました。 で、それを飲み続けていると、今度は「逆現象」になんとなくなって、そしてちょっとしてまたその「逆」っぽくなったり、まるで振り子の両端、ちょうどうまいこと「真ん中」で安定しないんですね。 こういうのって、何でしょうね。 私、思うんですが、やはり一種の加齢でしょうねー。 例えば、若くっても、病気に掛かることは当たり前ながらありますよね。でも若ければ、一定の時間が過ぎると、きちんと「全快」するんですね。はっきりと病気と健康の境目があるんですね。 ところが年取ってくると、これがなかなか「全快」に至らない。境目がない。病気なようなー、健康なようなー、で、境目があったとしても、どこがそうなのかよくわからない。ずるずるしたまんまなんですね。 思うんですが、こういった現象は、これから年齢を重ねるほどに、どんどん体験していくんでしょうね。 そう言えば映画『フーテンの寅さん』で、団子屋の「おいちゃん」が病気になったり入院したりした時、退院後も、何となくいつまでもぐずくずと体調が優れない様子であったり、わりと長くまで「後養生」をしていたりといった場面がありました。 これが、それにあたるんですね。 うーん、山田洋次のリアリズムなんですねー。 なるほど、日々、加齢に対して新しい発見の今日このごろですが、楽しい発見じゃないのがつらいところでありますね。 というところで、実はこの、「全快」快感のない老人の病気状態に準ずる様な老人の話が、冒頭の小説であります。 と、書いたところで、ほぼ一回分の報告の予定字数になりました。 今まで、「まくら」の長い報告や、あっちこっちに飛んでいく報告は数多くいたしましたが、私の下痢の話で終わってしまった報告は初めてであります。 えー、非常に申し訳ございません。 次回に続きます。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.12
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『少年H・上下』妹尾河童(新潮文庫) この小説を取り上げるについても(以前にも同種の迷いがありましたように)、私事ながら、少し迷いました。 この筆者は小説家ではありませんよね。 小説らしいものも、現在のところこの一作しか書いていらっしゃらないようですし、ちょっと迷うところでありました。 もう、10年以上前、だいぶ前になりますが、ベストセラーになった本です。 今回読んでみて、僕は、この本がベストセラーになった事自体に、とても「感心・感動」しました。 迷いつつも本作を取り上げたのは、その辺のあたりを、少し書いてみたいと思ったからであります。 私の読んだ新潮文庫は、活字が大きくて、沢山の漢字にふりがなが付けてあって、とても読みやすかったです。 本文に入る前に、「小さい人にも読んで貰いたくてこうした」と書かれてありましたが、読み終わってみて、その配慮にはとても好感を覚えました。 ところが、この本は上下巻で、合わせて970ページほどあります。 これはどうなんでしょうかね。 長すぎはしませんかね、あるいはそんなことないのでしょうか、僕にはよくわかりません。 ただ、ストーリーとして有機的・構造的に動き出すのは、明らかに後半になってからであります。 あたかも『源氏物語』が、ほぼ真ん中、「若菜」の巻以降になって初めて構造的に進んでいくようになり、前半はいわば、光源氏のラブ・アフェア・エピソードの積み重ねのようになっているのと同様であります。 では本書において、なぜ後半からストーリーが動き出すのかというと、それも明かですね。 「戦争」が始まるからであります。あるいはそのもう少し手前の時期、日本国中がとてもきな臭い匂いを発しはじめるからであります。 およそ国家というものが、一人の人間の生殺与奪権を持ち始めるのは、日本の場合は明治以降であるということを、私は以前司馬遼太郎の文章で読みました。 もちろんこれは、江戸時代までが「よい」社会であったなどという単純なものではなくて、世界史規模の歴史の「発達」の一段階と捉えるべきでありましょう。 (これは少し言葉を選びつつ書くのですが、「お国」などという観念的なもののために死ぬことを要求する社会は、歴史的に見ると極めて近年の「新参者」であります。) しかしそのような状況が、本書において、小説として、具体的・日常的にかつ丁寧に描かれているのを読むと、そこに「国家」とか「国体」とかいうものの、いかんともしがたい胡散臭い構造があぶり出されていることを感じずにはいられません。 司馬氏や先人の言を待つまでもなく、もとより国家とは、厳然として「利己的」な存在であります。 そしてそういったことを読者に自然に感じさせる本書は、実はなかなかによくできた本だと言うことができます。 もうすでに私の子供は成人してしまいましたので、現在どのような形になっているのかよく知らないのですが、私が子供の宿題を見ていた頃に、子供と一緒に読んだ小学校の国語の教科書には、かなり多くの反戦教材があったように覚えています。 そしてそのことに、私はわりと感心したのでありました。 さて、冒頭にも述べましたが、この本はベストセラーになりました。 そのことを考えますと、なかなか世間も棄てたものではないと思うのですが、奥付を見ると、平成9年刊行とあります。 その時からすでに12年。 混迷の度を年々濃くする世界情勢の中で、今でも日本の世相の中に、この「反権力性」ははたして残っているのでありましょうか。 少々戸惑い、そして不安とするところであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.10
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『墨東綺譚』永井荷風(新潮文庫) 考えれば荷風の小説にも長く触れていません。 自分ではフェイヴァレットと思っていても、実際は長く読んでいない作家って、一杯いて、うーん、困ったものだなーと思っています。 漱石・太宰、共にすごく好きですが、彼らの小説を、一作品まるごとしっかり読んでから、どの位になるでょうかね。 そんな事を考えますと、なんだか心許ない気がして、本当に、いかんなー、と思います。 さて、永井荷風ですが、上記の僕のフェイヴァレットという言い方からすると、この筆者は、僕にとってそうではないです。 でも、以前にも少し触れましたが、大学の卒業論文(はー、もう100年も前のような気がしますね)が谷崎潤一郎なものだから、同じ「耽美派」として、荷風も少しまとめて読みました。 それ以来です。 で、いきなり困ったものだなーと思っています。 何のことかといいますと、タイトルがちゃんと出ていません。「ボク」の字は「さんずい偏」に「墨」です。全く困ったものでありますね。 (ついでに言うと、日本文学関係で同じように漢字が出なくて多くの人が困っているのは「内田百けん」ですよね。この「門構え」に「月」がやはり出ません。) そういえば本書の本編の後に「作後贅言」という後記のたぐいの一文があって、そこにこの漢字の由来が書いてあります。 江戸時代文化年代に林述斎が作った漢字で、あまねく用いられた時期もあったものの、その後「いつともなく見馴れぬ字となった」とあります。 要するに、一文字で「隅田川=墨田川」を表している漢字でね。「川」の意味の「さんずい編」を「墨」にくっつけているわけです。 これは単なる一例ですが、この小説のいわゆる「読み所」はこんなところなんですね。 えー、もう少し順を追って報告してみますね。 流行から取り残された初老の小説家である主人公と、私娼街玉の井の娼婦「お雪」とのそこはかとない交情と別離を、随筆風に綴りながら「滅びゆく東京の風俗への愛着と四季の推移」を描くという、そんな話です。 この話がまた、評価が高いんですねー。 発表が昭和十二年の朝日新聞と言うことで、重苦しい世相への反発という意味での世評の高さもあったとは思いますが、時代を斟酌しない評価もとても高いんです。 こういう随筆のように導入していきながら次第に虚構世界に入っていくという書きぶりは、そもそも日本文学の「自家薬籠中のもの」ですね。 谷崎もうまかったし、志賀直哉もうまかったし、現代文学作家、大江健三郎もそんな小説が結構ありますものね。 で、荷風のこの小説も高評価です。 新潮文庫の解説文に、中村光夫の表現として「荷風の白鳥の歌」と書いてあります。 うーん、何が言いたいのかというと、この小説を読んで、僕はもう一つ面白く感じなかったと言うことに、まー、困っているんですね。 作品の舞台の古さのせいにするつもりは全くありません。 少し前に、題材の比較的近そうな宇野浩二または岩野泡鳴なんかの小説を読みましたが、結構面白かったです。 思い出してきたのですが、それこそ100年も前(!)に荷風をまとめて読んだ時も、『ふらんす物語』と『あめりか物語』はわりと面白く読んだ記憶がありながら、荷風の独壇場である「花柳小説」などは、あまり面白いとは思わなかったんですね。 まー、その頃は二十歳過ぎの「若造」でありましたから、そうなのかなと思いましたが、今でも一緒ですね。 よーするに、我が読書力の低さ故とは思うものの、まー、持って生まれたものもあり、如何ともしがたく思います。 結局、この作品が荷風の代表作であるならば、残念ながら僕は荷風の小説と交わる部分を持つ事がなかった、としか言えません。 うーん、『ふらんす物語』なんかに、結構面白く思ったのがあったように思い出すんですけれどもね。 残念です。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.08
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『幽霊』北杜夫(新潮文庫) 上記本の報告の第二回目であります。 前回、斉藤由香のエッセイ→『楡家の人々』という流れで読書をしたというところまで報告しました。(ついでに『楡家の人々』には、とても感動したということも。) で、さらに私の読書は冒頭の『幽霊』へと繋がるのですが、それは、もはや何の本に書いてあったか失念してしまったのですが、北杜夫のエッセイの中に、友人から言われた言葉として書かれていた文によります。こんな科白だったと思います。 「あなたは、『幽霊』と『楡家の人々』を書いた段階で死んでいたら、天才と呼ばれたのに、残念だ。」 この友人の言葉に対して北杜夫は、自分でもそう思う、実に残念だと、まー、嘆くわけですね。(このあたり、いかにも、どくとるマンボウ氏ですよね。) それを思い出しまして、前回の拙ブログの冒頭にも書きましたが、いつどこに行っても一定のスペースを誇っているブックオフの北杜夫棚へ行きますと、『幽霊』があるんですねー、これが。まー、たまたまでしょうが。 で、今回の読書報告に至ったわけです。 一読。この小説も間違いない上質な「純文学」であります。 筆者の処女長編だそうですが(短編は既に発表があります)、すべての優れた表現者の処女作がそうであるように、この小説にも、実に豊かな創作物の萌芽があります。 副題に「或る幼年と青春の物語」とありますが、前半が主に「幼年期」、後半が(どんでん返しがあるのですが)「青年期」のお話ですかね。 僕は、前半の方が好みでした。 その前半部に、「幼児も決してちいさい子供ではない」と書いてあるのですが、僕はこの「幼児」と「ちいさい子供」の差異が今ひとつわからないのですが、描かれている内容は要するに「少年期」のもののように思います(違っているのかな)。 少年の成長を扱う小説というのは、過去、いろいろとあると思いますが(例えば『あすなろ物語』とか『次郎物語』とか)、この本には、「少年期」特有の感情を表現するキーワード、例えば、 死・残酷・微熱・まどろみ・皮膚感覚 といったものが、実に豊かに書かれてあります。 そしてそれが、かなりマニアックな「昆虫」の知識と描写を伴って、実にこってりと書かれてあります。 この一種マニアックな「こだわり」というのは、どういうものなんでしょうかね。 マニアックなこだわりといえば、すぐに村上春樹の小説に見られる「音楽」へのこだわりが浮かぶのですが、これは単なる「意匠」なんでしょうか。 かつて織田作之助が、自らの小説の中にたくさんの数字を書き込むことについて、もはや小説の中のあらゆる描写は信じられず、信じられるのは数字のみだ、と喝破したことがありました。 (村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』にも、数字に異常にこだわったことのある主人公が描かれていましたっけ。) そうして『幽霊』における「昆虫」の描写にも、間違いなく織田作の感じ方に近いものがあるように思います。 そんな「濃厚なけだるさ」とでも言えそうな感覚が一杯に詰まった作品であります。 一方後半部は、青年期の主人公が、さらに新しい生活に入っていこうとするところで作品を終えています。 ここにはまた、「若さ」というものが内包する普遍的な不幸と、個人の特有な不幸とを重ね合わせながら、ほとんど小説の「原石」の様なテーマが、一杯に散りばめられた後半部でした。 さて、これほどの「豊饒」なものを持ち合わせた筆者は、その後どうなっていくのでしょうか。 僕がよく知らないだけで、すでに十分な「業績」をお残しなのかも知れません。北杜夫の小説世界には、そんな稔り多いフィールドが広がっているのかも知れません。 しかし、この拙ブログに何度か書いたフレーズですが、つくづく生きている作家というものは大変なものでありますね。 お人ごとながら、頑張ってくださいね、と小さな声で、僕は呟いたのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.05
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『幽霊』北杜夫(新潮文庫) 北杜夫氏であります。 この方は、今も一定の愛読者を持ち続けていらっしゃる人ですね。 現在の出版状況などにはとんと無知な僕に、なぜそんなことがわかるのかと申しますと、いつ、どこのブックオフに行っても、決して狭くはない一定のスペースで、北杜夫の文庫本が並んでいるからであります。 いうまでもありませんが、たくさん古書業界に流通している本は、やはりたくさん売れている本でもありますね。 まず『どくとるマンボウシリーズ』ですかね。 高校時代、僕も結構たくさん読みました。なかんずく『どくとるマンボウ青春期』については、書かれている内容への憧れとともに、何度か読み返しました。 で、読者とはわがままなもので、その後、勝手に「卒業」したとか思ってしまうわけですね、何の根拠もなく。 「俺は北杜夫は卒業した」などと言って。 僕は、別に卒業したとは思いませんでしたが、その後なんとなく、北杜夫の作品は読みませんでした。 久しぶりに読んだのは、実はひょんなことからです。 時々、いわゆる「軽い」系のエッセイ等が読みたくなる時があります。 そんな時のことです。たまたま北杜夫氏の娘さんのエッセイを読んだんですね。それも、その「斉藤由香」という人が、北杜夫の娘とは知らないで、ブックオフで105円で買いました。こんな本です。 『窓際OLトホホな朝ウフフの夜』斉藤由香(新潮文庫) 読み進んでいくうちに作者が北杜夫の娘と分かってからも、僕は別に感心することもなかったですが(でも楽しく読みました)、しかし父親に関する部分だけは、なかなか印象に残りました。 (この、「父親-娘」という文人の血脈は、以前も少し触れましたが、森鴎外、幸田露伴、太宰治等、結構たくさん見られるパターンでありますね。) その父を巡るエッセイの中に、私は窓際OLだが、父も、かつては芥川賞を貰ったりしていたが、現在は窓際小説家であるというニュアンスの一文がありまして、私は昔とても面白く読んだ『どくとるマンボウ青春記』をなつかしく思い出しました。 で、無性に北杜夫が読みたくなって、つい、買ったままずーっと読んでいなかった本を読み始めたというわけです。これです。 『楡家の人々・上下』北杜夫(新潮文庫) うーん、読み始めて直ぐに気が付いたんですが、うーん、これはなかなか恐るべき大変な小説ではないか、と。 これはひょっとして、とんでもない巨大な「鉱脈」にぶち当たったんじゃないかという、ぞくぞくするような期待感を持ちました。 新潮文庫は下巻の表紙のカバー裏に、(異例にも)三島由紀夫が紹介文を書いています。三島らしい名文なんで、一部引用してみますね。 この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、小説というものの正統性(オーソドクシー)を証明するのは、その市民性に他ならないことを学んだといえる。(中略)あらゆる行が具体的なイメージによって堅固に裏打ちされ、ユーモアに富み、追憶の中からすさまじい現実が徐々に立上るこの小説は、終始楡一族をめぐって展開しながら、一脳病院の年代記が、ついには日本全体の時代と運命を象徴するものとなる。しかも叙述にはゆるみがなく、二千枚に垂んとする長編が、尽きざる興味を以て読みとおすことができる。 どうです。いかにも三島らしい「才気走った」紹介文ですね。僕も久しぶりに三島の文章を読みましたが、懐かしくも、くどいばかりに丁寧かつ明晰な文章であります。 で、さて、『楡家の人々』ですが、三島の紹介文のごとく、実に小説として「正統」的であります。 しかし、この小説の一般的評価ってのは、どんなものなんでしょう。 これだけの小説ですから、評価が低いとは思えませんが、しかし日本文学史は、このような「風俗小説」に対して、ずっと評価が低かったのは事実です。 その傾向は、別にこの本にだけのものではないでしょうが、この本も「埋もれた」「忘れられた」本になってはいないでしょうね。 そんなことのないことを願うばかりですが、なんと言っても、この本はいかにも小説らしい小説、小説好きにとっては「贅沢な晩餐」のような小説であります。 この小説は間違いなく、近代日本文学史を代表する傑作だと思います。 ところで、その後の私の北杜夫読書ですが、これもさらに展開しまして、そして冒頭の小説にぶつかるわけですが、以下、次回に。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.03
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『死者の書・身毒丸』折口信夫(中公文庫) えー、この小説があることは以前より知っていました。 一応、大学で国文学を専攻していたもので、古典についてレポートなりを出す時に、まー、わりとお世話になったような記憶があります。 民俗学の二巨頭ぐらいですかね、引用出典への批判をあまり要求されなかったのは。 他の研究者からの引用の場合は、その研究者(研究論文)そのものへのさらなる吟味・批判が要求されることがあって、大いに難儀をしたものです。 で、「困ったときの折口頼み」と。 そんな折口信夫が書いた「奇書」ということで、この本は以前より手にしたこともありましたし、ぱらぱらと覗いてもいました。 そして、私はどうしたかというと、逃げていたんですね。 だって、ぱらぱらと読んだだけでも、とてもわかりそうな気がしなかったですもの。 そして幸いなことに、私はずっと忘れたままでいられたのに、先日本屋さんにいけば、あるじゃないですか。いえ、中公文庫にあることも、実は知っていたんです。 とにかく、じーーと睨みながら、「もう逃げられぬ」と観念して、買いました。 そして、読みました。 上に「奇書」と書きましたが、「奇書」とは、そもそも文学史が評価しきれない作品のことですね。以前にも見たように、文学史は、時代から隔絶して単独に一つの世界を作っているような作品(作者)については、うまく評価できないんですね。 例えば、漱石なんかでも、考えようによれば、際どいところで「奇書」から逃れているような気がします。漱石作品の深み・高みは、時代を大きく越えて屹立しています。 それが「奇書」扱いから逃れたのは、もちろん、作品に描かれている内容の広い普遍性、という理由もありましょうが、あれは、えー、「ぶっちゃけたところ」、鴎外と、二人いたせいでだいぶ「助かって」いるようなところありませんかね。 両巨頭で、一つの文学的流派を作っているような形ですね。 実際二人いれば、とりあえず「流派」がひとつ作れますものね。 武者小路・志賀の「白樺派」しかり、川端・横光の「新感覚派」しかり、そしてまた谷崎・永井の「耽美主義」しかりですね。 そういう風に考えると、柳田国男兄が小説を書かなかったせいじゃないか、『死者の書』が「奇書」紛い扱いになったのは。 しかし一方で、我々読者の側から考えれば、「奇書」に対する興味というものは、明らかにありますよね。あれはいったい何なんでしょうか。 うーん、「怖いもの見たさ」ですかね。 一つの想像力の「極北」を覗きたいという、やはり「怖いもの見たさ」だと思います。 で、さて、『死者の書』ですが、この中公文庫版では、三作品が入っておりまして、二つめの『山越しの阿弥陀像の画因』というエッセイ(だと思いますが)に、一応作者による『死者の書』の解題が書いてあることになっています。 「あることになっています」という持って回った書き方をしているのは、このエッセイも、わたくし「よーわからん」からです。 しかし、こうしてわからん文章を続けて読んでいますと、なんか我が身の無知さ加減が実感されて、つくづく悲しいものがありますねー。 ともあれ、暗号を解読するように、筆者による解題をまとめますと、以下のようになります。(全然はずれってことは、たぶんないように思うんですが、ひょっとしたらかなり違っているかもしれません。) 古来、中国より伝来した仏教が日本化していった指標の一つとして、「山越しの阿弥陀像」というものがあるそうです(作品中にその写真が数枚入っています)。文字通り、二つの山の間から、主に上半身(腰あたりより上)を見せている阿弥陀像です。 なぜこんな姿の仏画があるのかについて、そこには日本古来の「日想観」という夕陽への崇拝があり、それは御仏が西の海に向かって波間を進みゆく構図でもあります。 そして、その姿を擬したものとして「山越しの阿弥陀像」があるのではないか、ということであります。 そんな神々しいお姿を、「藤原南家の郎女(いらつめ)」という女主人公が拝む心情にきりきりと的を絞って、まるでアンドレ・ブルトンの「自動書記」の様に、無意識の導くままに書いたというのが『死者の書』である、と。 うーん、わかるような、わからんような、……。 というわけで、結局、民俗学の本ってのは、こんな感覚ですよね。 要するに、「人と人以外のものとの共棲感覚」とでもいいますか。 時代を太古におき、舞台を奈良とし、文体を古文体に模することで、この作品はその感覚を可能にしていると思えましょう。 えー、力及ばず、まー、「惨敗」ということで、今回はどうもすみません。以上。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末/font>にほんブログ村
2009.09.01
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