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『かわいそうだね?』綿矢りさ(文芸春秋) まず、タイトルの意味がなんとも分かりません。 というか、もちろん書かれていることは分かるのですが(それは分からないはずはないやろ)、「かわいそうだね」に「?」がついていると、具体的にどのような状況下でこのニュアンスの用い方がされるのか、何だかよくわからないことないですか? あれこれ考えて、わたくし的にとりあえず納得できるのは、例えば、小学校の教室であります、授業をしていて、先生が生徒たちにちょっと謎をかけるように言います。こんな感じ。 「じゃあみんな。答えは3だね? それでいいね?」 これを国語の授業にして、先生の問いを小説の登場人物の心理読解の質問にします。こんな感じ。 「じゃあみんな。答えはかわいそうだね? それでいいね?」 ……、わたくし、そんなシーンしか理解できないんですけどー。 「?」が付いただけで、この言葉の抑揚もよくわかりません。そんなことないですか? 実は、後に詳しく書きますが、あの大江健三郎もよくわからないといってるんですねー。 大江氏はこう発言しています。 「私も最初は『かわいそうだね?』というクエスチョンマークのついたタイトルに、違和感を持ちました。」 あ、よくわからないとは言ってないか。違和感、か。でも、近いですよね。やはりこのタイトルは「ヘン」なんですよね。 で、その大江の発言に対して、綿矢りさはこんな風に答えています。 「題名にしても文章にしても、目を引きたいというか、奇をてらいたい部分があるから、あまり年代に関係なく、そういう部分に引っかかる人は多いかもしれません。」 ……目立ちたかったんですぅ。……んー、世界の大江によくそんなこと言うよ、と思いませんか? まー、いいですが、そんな本です。 私も読みまして、ちょっと戸惑いました。 何に戸惑ったかという前に、まず、いいなと思ったところから挙げていきますが、お話のテンポもよく、それなりにストーリーも、ぎりぎり無理なく読ませます。私は関西人ですから終盤の主人公が「キレた」(本文では「つながった」と書かれていますが)場面の関西弁もとても楽しく読みました。 それに、何と言っても、文章力は全編通して、かなり正統的なものがあると感心しました。心理描写時の直喩・隠喩の的確さ、目の付け所が実に秀逸であります。 以前私は、文章力というものは野球の守備力みたいなもので、あまり大きなスランプがないんじゃないかと考えたことがありましたが、本書も一度最後まで読むと、後はどのページをぱっと開いても、そこから面白く読み進めていけます。文章だけで勝負できるという感じですね。 でも、その正統的な文章力で、いったい何を描いているかというと、それは、控え目に考えても、私のような年配を主たる読者層とは想定していない内容じゃないか、と。これは、二十代から三十代の女性向けに書かれた小説ではないか、と。初出雑誌は「週刊文春」だし、そんな女性向けのエンタメ小説なんじゃないか、と。 ところが、本作に大江健三郎が注目するんですねー。 第6回大江健三郎賞をあげちゃうんですねー。 ……と、やっとここで、大江健三郎がつながりました。 で、上記に書いた私の戸惑いとは、ここであります。 なぜ、これが大江賞なわけ? 大江氏は、このエンタメ小説のどこをどう評価して大江賞に選んだわけ? と、まー、私は戸惑ったわけです。 で、調べてみると、こんな本が図書館にありました。 『大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる』(講談社) この本は、大江賞の8回分の選評と、大江氏とその年の受賞作家との対談が載っています。(大江賞は大江一人が選者の賞です。)上記の両氏のセリフはここから引用しています。 で、他にも、大江はこんなことを言っているんですね。 「こういうジジイに読まれて賞をもらうということは不思議で、困ったとも思われたのではないでしょうか?」 それに対して綿矢りさは、もちろんそんなことないと否定します。(わたくし、これは嘘だと思いますよ。当然不思議に思ったろうし、さらに、大江健三郎に褒められたら難しい小説かと思われて買ってもらえなくなるんじゃないかとくらいは、ちらっと不安に思ったような気がします。)でも、続けてこう発言しています。 「(略)それで今回、読んでいただいて、無意識のうちに読者を限定してしまったのを、ちょっと反省しました。」 (白状しとるやないか。) と、そんなふうに、作者も大江も、読者限定小説と一応書いている本書を、大江氏はなぜ賞に選んだのか。 上記の大江賞についての本のタイトルに「『文学の言葉』を恢復させる」とありますが、これは大江賞設立にあたって大江が書いた文章中にある言葉ですが、本エンタメ小説のどこをどう評価したらこの設立趣意と繋がるのか、私は気になって読んでみました。 すると、うーん、そう読むのかー、なるほど、さすが、上手に褒めるものだなーと、なかなかに興味深かったのですが、……あー、すみません、次回に続きます。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2025.05.17
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『少将滋幹の母』谷崎潤一郎(新潮文庫) 以前から本ブログで何度か同じことを書いたように思いますが、こうして一応日本近代文学限定の読書報告をしていて、好きな作家が3人いますと言い続けています。 今に至ってもこの3名です。 夏目漱石・谷崎潤一郎・太宰治 一応我が陋屋の本棚には、岩波・中公・ちくまのそれぞれの全集があります。 ところが実はわたくし、3人とも、完璧には全巻読破できていないんですね。その理由は各々の作家についてにいろいろにありますが(例えば漱石全集は「文学論」「文学評論」がむずかしくって私にはよくわからないなど)、一言でいえば、どなたも人気作家だから、全集の巻数が多くてついていけないんですね。(なさけなー) そんな情けない理由なのですが、今回の作家、谷崎潤一郎においても(これも以前より何度か述べていますが)、大昔、大学の文学部卒業の際の卒業論文が『蓼食う虫』だったので、確かにその収録巻までは全部読みました。(しっかりメモまでつけて。) でもそのあとは、実はぽつぽつ読書なんですね。ずぼらな私は、取り上げた作品を分析するには、そこまでの作家の過去作品の読解だけでいいじゃないか、とズルして考えたんですね。 まー、えーかげんなこの思考は、そのまま私の書いた卒論内容に反映したわけですがー。 というわけで(何が「というわけで」なのかよくわかりませんが)、私は、本小説を読むのは多分3回目だったと思います。 といっても、高校時代と大学時代の読書ですから、もう霧の彼方のような遥か大過去であります。だからこの度読んで、まるで初読のようにとっても面白かったです。(あ、わかった。これが言いたかったんだ。) 特に前半(「その四」で滋幹の母が拉致されるあたりまで)は、ゆっくりとたゆたっているような書きぶりが、お話の進むテンポにそれとないユーモアとゆとりを生んでいるようで、読んでいてとても心地よかったです。 「筆者」を前面に出して随筆的な書きぶりで始まりますが、物語が進んでいくと、それは一種戯作的な描写になっていきます。 この戯作的な描写にゆったりしたものが感じられるのは、わたくし思ったのですが、さらに進んでいくと現れてくる性愛的な展開に対して、筆者が小説を作る技巧としてだけではなく、筆者自身の人生観的なものとしてある種の全面的な信頼感を抱いていて、筆者自身が寄り掛かりながら、安心して描いているからじゃないか、と。 なまじっか、筆者の他作品をいくつか読んでいると、特にそんな思い(期待?)が強いのかもしれませんが。 というのは、本作には、本筋と並走しながら深い関係を作っていく平中の好色逸話が描かれています。この逸話は、筆者も作中で述べているように、芥川龍之介も短編小説にしているんですね。 私も既読の短編小説ですが、この度本棚から取り出して、もう一度さくっと読んでみました。で、気が付いたんですね。 平中の造形が全然ちがう、と。 もちろん、芥川は短編小説で、こちらは長編小説の、それも重要登場人物であっても主人公ではない人物、という違いのせいもありましょうが、とにかく「芥川・平中」は、とってもシニカルでナルシスティックで神経症的であります。 「芥川・平中」は、例えば、ねらいの女性の閨に忍びもうと庭で潜み人の動きが絶えるまで待っている時など、(雨夜ではあるのですが)雨のことでも考えるとしようと、「春雨、五月雨、夕立、秋雨、……」と「雨」を列挙していきます。 またクライマックスの「おまる」の中身を見る場面でも、いよいよという段になってこんな風に考えます。 「この中に侍従の糞がある。同時におれの命もある。……」 芥川らしいといえば芥川らしい、自意識から逃れられない「芥川・平中」であります。 それに比べれば、例えば「その四」に描かれる、老大納言が左大臣に操られるかのごとくに最愛の若妻を差し出す場面など、苦悩とか自意識などは吹っ飛ばしての、思わず掛け声の掛かりそうな見事な場面づくりとなっています。 三島由紀夫が、作家として自らの老後に強い不安を持つと書いた文章に、そんな自分と対比して、谷崎潤一郎の作家的資質は、全く老いを恐れることはなくうらやましい限りだと書いていました。 それは、より具体的に書くと、谷崎独自の性愛における被虐的嗜好(おのれはつまらないものとして美しく若い女性の前にひたすらひれ伏すという構造)が、老いそのものも自己薬籠に入れてしまうような資質とでもいえるでしょうか。(事実、谷崎は老人の性を描いた日本文学史の先駆者となります。) 本書には上記に少し触れた「その四」の展開と、最後「その十一」の展開の、二つのクライマックスを持ちますが、どちらの場面も、恐ろしいような名描写が実に長い尺で描かれています。 我々は、その描写に運ばれるままに読書の快感を堪能するとともに、鬼気迫るその物語作家の天才性に、まさに舌を巻くばかりであります。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2025.05.04
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