遊心六中記

遊心六中記

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

2017.03.31
XML
カテゴリ: 探訪

阿弥陀堂の外観 を視点を変えてあと少し撮ってみました。
正面の階段に近づき、南東側から撮ると、外回廊の柱の上の斗栱が四手先の木組みになっているように私には見えます(数え違いがあるかもしれません)。重厚な感じです。

阿弥陀堂の基壇の床は敷石が四半敷となっています。修復間もないので、亀腹の白さが際立っています。


南北の側面に設けられている 板唐戸 の金具が燦然と輝いています。正面と側面の大半は上部が連子の 桟唐戸の扉 です。
回廊に吊られた灯籠にも鳥害防止のための金網が取り付けてあります。


           建物 南東隅の木組みの美 と隅木に取り付けられた 風鐸
風鐸は、どの程度の風が吹けば音を立てるのでしょうか・・・・・。

 大屋根に降った雨水を受ける天水槽は機能本位の感じです。
水槽の脚部分に装飾はありません。



入母屋造りの大屋根の南側面です。






破風板の合掌部に家紋が飾られ、主懸魚と脇懸魚が同じ意匠で照応しています。破風板の飾り金具にも家紋が中央に使われています。破風板の表面が螺髪の様に見えて興味深いところです。





阿弥陀堂の前から、南に向くと京都タワーが正面に。


鐘楼の傍まで拝見に行きました。

南側から回り込み、 東から眺めた鐘楼の景色 です。入母屋造りで、屋根は桧皮葺きです。
鐘楼は瓦屋根が普通で、桧皮葺きというのはあまり例はないと言います。私自身も拝見した記憶がありません。現在の鐘楼は明治27年(1894)に再建されたものだそうです。 (資料1)


               鬼板には五三桐紋がレリーフされています。




近づいてわかったことが2つあります。一つは 入念な透かし彫りが見事なこと です。
一面を部分取りで拡大してみると、

       流水に漂う鳥たちの姿が彫られています。

もう1つは、梵鐘を眺めてみると新しいものだということです。

ズームアップで池ノ間に鋳出されたレリーフを2枚撮ることができました。
飛天(天女)像には釋淨如という文字が、鳳凰のレリーフの方には真宗本廟という文字が 読み取れます。
調べてみますと、真宗大谷派第25代門首・大谷暢顯の法名が「淨如」だそうですので、現門首の名が刻されているのでしょう。 (資料2)  事後に調べてみて知ったことです。
2010年11月、この400年ぶりに新調された梵鐘が法要「報恩講」が始まった21日に「撞初式 (つきぞめしき) 」が行われたといいます。2011年の親鸞聖人750回遠忌を前に、滋賀県東近江市の鋳物師黄地(おうち)佐平氏(79)が寄進されたそうです。高さ2.7m、重さ4.5tで、旧梵鐘を踏襲した意匠で造られたのだとか。 (資料3)

さらに、鐘楼の東側に初代の梵鐘が仮置き状態で保管されていたことです。今時点だけなのかも知れません。すぐ傍で拝見できたのがラッキーでした。

「東本願寺撞鐘(梵鐘)」 と記した説明文が掲示されています。転記しましょう。

「東本願寺の境内地南東の鐘楼に懸かっていた撞鐘(梵鐘)。
 慶長7年(1603)、徳川家康から京都烏丸六条の寺地の寄進を得た教如聖人が、
 同9年(1604)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したもの。
 鋳造  慶長9年(1604)5月28日
 吊下  慶長9年(1604)6月6日
 撞初  慶長9年(1604)6月7日
 製作  鋳物師大工浄徳
 仕様  総高 256cm
 口径  156cm
 総重量 3800kg
 絵柄・銘文  左向鳳凰(上部) 本願寺(下部)
        右向飛天(上部) 信淨院(下部) 信淨院=教如上人
        右向鳳凰(上部) 慶長九甲辰暦(下部)
        左向飛天(上部) 五月廿八日(下部)
        縦帯下部     大工大坂淨徳
        鐘身内部     慶長九甲辰年 大坂大工淨徳 五月廿八日 」

信淨院 の文字


慶長九甲辰暦の文字

本願寺の文字

縦帯の一番下左側に浅彫りの文字で 「大工大坂淨徳」の文字 が判読できます。


鐘を吊り下げる 「龍頭」の全体 を目線の高さ近くで見ることなど滅多にありません。
さすがに、がっちりとしています。

この後、阿弥陀堂内を拝観して、渡り廊下づたいに御影堂の拝観に向かいます。

最後に、少しマニアックですが、阿弥陀堂の回廊で 「埋木」探し をしてみました。
現在の阿弥陀堂は、御影堂とともに明治28年(1895)に竣工した建物なので、比較的新しいせいか、「埋木」はあまりありません。

これくらいです。
 これはどうなんでしょう・・・・。

序でに、江戸時代に出版された『都名所図会』に収載された 東本願寺の絵図 を引用させていただきます。 (資料4)


この図会に絵図とともに、記された 説明文の翻刻文はこちらをご覧下さい。 当時のガイドブックにどのように説明されていたかがよくわかります。 (資料5)

慶長7年(1602)に教如上人が徳川家康から、烏丸六条の南に、六町四方の寺地の寄進を得て、本堂(御影堂)や阿弥陀堂を建立されます。大門(御影堂門)、阿弥陀堂門、菊門は伏見城の門が移設されたようです。撞鐘堂もまた伏見城内の井戸屋形なりというと説明しています。当時は阿弥陀堂門が日暮の門と言われていたとも記しています。それが現存すれば、西本願寺に現存する国宝の「唐門」と同様の門だったのかもしれません。

東本願寺は天明の大火で火災に遭遇したあとも、数度火災に遭い、最後は元治(1864-1865)の大火、つまり幕末動乱の折の大火で焼失し、明治期の再建復興に至るのです。
「蛤御門の変どんどん焼け」として知られている大火です。
「名の知られた寺院では,東本願寺・本能寺・六角堂が焼失しました。京都御所・二条城・西本願寺は,火がすぐ近くまできましたが焼失は免れました。」 (資料6) とのことです。

つづく

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p366-370
2) 大谷暢顯   :ウィキペディア
3) 京都・東本願寺で「撞初式」 梵鐘を400年ぶりに新調 :「Yahoo!ブログ」
4) 都名所図会. 巻之1-6 / 秋里湘夕 選 ; 竹原春朝斎 画   第2冊 41,42コマ目
       :「古典籍総合データベース」(早稲田大学図書館)
5) 都名所図会 東本願寺   :「国際日本文化研究センター」
6) 蛤御門の変どんどん焼け  都市史25 :「フィールド・ミュージアム京都」

補遺
煩悩払う除夜の鐘   観光・京都おもしろ宣言  :「京都新聞」
  「教義に合わぬ」東西本願寺はならさず  ← ネット検索で初めて知りました。
火災図を用いた「元治の京都大火」被災範囲の復原   論文 pdfファイル
  長尾泰源・谷端郷・麻生将 共著   歴史都市防災論文集Vol.6(2012年7月)
天明の大火    都市史24  :「フィールド・ミュージアム京都」
都市大火史からみた近世京都の景観研究   論文 pdfファイル
  中村琢巳・塚本章宏・林倫子 共著 京都歴史災害研究 第14号(2013)

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


スポット探訪 京都・下京 東本願寺細見 -1 阿弥陀堂門・総合案内所・阿弥陀堂ほか へ
スポット探訪 京都・下京 東本願寺細見 -3 御影堂・御影堂門・参拝接待所 へ

観照 [再録] 京都・下京 梅小路公園の梅 へ
スポット探訪 [再録] 京都・下京 粟嶋堂-人形供養-宗徳寺 細見 へ
スポット探訪 [再録] 京都・下京 京都水族館 へ
スポット探訪 [再録] 京都・下京 西本願寺細見 -1 御影堂門、総門、灯籠と大水盤 へ
   西本願寺は 7回シリーズでご紹介 しています。これはその第1回です。
探訪 [再録] 京都・下京 史跡めぐり -1 左女牛井跡・若宮八幡宮(佐女牛井八幡)へ
   この第1回からゴールの五条大橋、河原院跡までを 4回シリーズ でご紹介しています。
スポット探訪 [再録] 京都・下京  平等寺(因幡堂)へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.04.01 00:57:16
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: