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自宅駐車場に泊まった後は自宅でお昼寝。平成最後の日の前日のこの日、夕方から隣町のかんぽの宿に行って宿泊。ここなら道が混んでも絶対にたどり着ける…からとったのだが、いざ行ってみると予想以上に近い「車で20分…。」移動中は大雨だったが、雨も上がってきたのでホテル近くの郷土資料館や河原を散策。石投げではなく、河原の草ちぎり。森もテクテク歩く。橋の上から、崖の上のホテルが見える。その下が「釜の淵」夕食もおいしかった。お風呂は2回入って満足。「鮎美の湯」は長湯できる低めの温度の温泉。普通の湯と両方あり、おすすめ。日頃、日帰り温泉としてもやっているようで(1000円と高いけど)今後使えると思った。翌日はサマーランド。夏はプールだけでいいのだが、春は遊園地経由で室内プール、そして地下温泉…というコースが何年も定番になっていて…この日は雨…それも結構な雨で、プールは超満員だが遊園地はガラガラ(笑) そりゃこんな日にフリーパス買う人はそういないって(笑)これは屋根下だが、ここに行くまでにかなり降られた。2名様貸し切り。雨に窓をたたかれる観覧車は結構怖い。雨の合間にこういうのにも乗れた。ドーム内では濡れないのでおっさん二人でこんなのにも乗ってしまう。プールで少し泳いだら、もう波が来る時間で、それが終わるとプールに入れない休憩時間。そのタイミングで昼食に行く。ドームの外の沖縄料理に行くつもりだったのだが、寒いこともあり、母が目の前の室内の中華料理屋に行こうと言い出す。以前あった店と違うし、あまり気が進まなかったが、スポンサーのご意向なのでそのまま入って息子と座り、母が最初の数品を買ってくるいつものパターン。すると、近くのテーブルにもどろうとしたお兄さんが豪快なコケ!遠くまでドッシーンと聞こえるような大きな、でも運動のできそうなお兄さん…だったので、みんなが見たが、無事立ち上がってテーブルに戻る。そこから数分、母が品を持ってテーブルに戻ってきて一安心。もう一品がこの後にできる…と取りに行っている間に息子謎の大きなチーズフライだかなんだかをがつがつ食べ始める。そういえば母なかなか帰ってこない…と思ったら、店の人にラーメンを持たせて一緒に戻ってくる!?音が聞こえなかったが、S母は「滑るから気を付けよう」とわかっていたのにそれでも滑って、なんでも体が「L字型」になったままお尻を強打!…したとのこと。運動神経ない方なので下手に手をついて怪我したりはしなかったのだが…どこかわからないけど痛い…ということで、地下の風呂には行き、早めに引き上げて雨のサマーランドは終了。いつもは帰りによる焼肉もなしで自宅に帰ったがSも文句言わず。その後、骨折やひびはなかったものの、尾てい骨強打によるいろんな痛みが出て、2週間近く?は家事もままならず…特に残りの連休中は父大忙し…となるのであった。この3日間をがんばったら、あとはのんびりするぞ…と思っていたのだが…。こうして平成最後の日は過ぎて、S母は時代をまたいだ「けが人」となった。その日、令和を迎えた瞬間、全員が疲れて寝ているのであった。
2019/04/30
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わかっていたとはいえ、やっと新生活に慣れてきたタイミングでの連休は、いつものゴールデンウイークでも「6月にしてほしい」と思っているのに、今年の10連休は、自分の仕事でも、息子の作業所通いでも、大変困るものであった。内閣が長期休暇を作ろうとして改元をここに持ってきたらしいが、天皇家にとっても国民にとっても迷惑な日程だったのでは…。学校なんか、平成31年度と令和元年の表記が入り乱れることになるから、4月1日からだとどれだけ助かっていたことか…。障がいある息子Sとのこの10日間、いつもより混みそうな観光地には出かけたくないし、かといってずっと家でゴロゴロは10日間はさすがに長い! 例年なら最後にサマーランドに行くくらいでどこにも泊まらなかったのだが…今年はそれではもたない。そこで、前から「いつかやらなきゃ」と思っていた防災宿泊訓練を1泊、近隣の旅館に1泊…からのサマーランド、後半は家でゆっくりする…という計画を立てた。大地震で自宅が半壊…余震が続く…避難所に行くべきところだが我が家はそこには行けない…というのを想定して、大型テントを買ってあったのだが、いざという時に息子が「自宅に戻らずに外で生活できるのか」というのを試しておきたかったのだ。で、その宿泊を自宅駐車場(2台分のスペースで鉄柱と金属の屋根を下の一面セメントで支えている)で行なった。緊急時もバーベキューグリルと七輪は使えるのでお湯等は使えるし、長期保管食料も取り出せるのだが、さすがに今回それを食べるのもなんなので、焼肉バーベキューと合体したイベントとしておこなった。そう、うちの敷地は倒れる建物や木もたくさんあるが、土地は広いのである。さらに、神社の公衆トイレは近くにあるし、離れの家(工房)のトイレも使えるのだが、緊急時に備えて「簡易トイレ」を息子が使えるようにする目的もあった。これは大小分けたのが良かったのかとてもうまくいった。緊急避難の時に着の身着のままで逃げられるかどうかはわからないが、この日は「外出」の手順を踏んで、息子はお出かけ(旅行)のつもりで家を出る。写真カードで知らせてあったのであまり混乱せずにまずは大テントの食堂に入りイスに座った。父はこの日、場所を検討しながら、タープを張り、テントを張り、トイレを設置し、バーベキューの準備をして火を起こして、その炭を七輪にも回し、野菜と肉を焼き、それをテント内に届けて…ハードだった(笑)ちなみに毎年バーベキューはしているが、自分で火起こししたり、火を管理するのは…うーん、20年ぶりくらい(笑)そこから少し離れて、息子が逃げずに同じところにいられるように一番広いテント内にテーブルイスを置いて食堂としたが、緊急時は祖父の寝る場所もいるし、その時はみんなにバーベキューグリルの周りに座ってもらおう…と思った。母と息子は、テント内で待つグランピングのお客様状態(笑)懐中電灯やランタンがLED電球になったことも関係あるのか、虫も思ったよりひどくなく(夏の蚊はこうはいかないだろうけれど)、ネットを置いて動物の侵入も一応警戒しつつ、夜9時くらいにはすべて食べて、もうテントで寝ることになった。普通はここから火を囲んでゆっくり飲んで…なのだが、自分しか飲まないし。さて、息子をどう寝かしつけるか…今回の最大の課題で、寝袋が無理ならテント内で毛布、どうしてもだめなら離れの部屋の中でもいいか…騒いだら自宅に戻るか…と3段階で考えていたが、Sは自分でもテントの中に入ってみたかったのか、エアーマットにつられたのか、自然と横になり、寝袋に入るところをやってみせると真似して自分も入る。が、そのあとは、楽しくてしょうがないのか、寝る気配は全くないまま、トイレに行ったり、ゲラゲラ笑ったり、テントの素材を撫でまわしたり、ボーンっと蹴っ飛ばしたり、超ご機嫌。本人が移動してきてもいいようにもう一つのテントで横になっていた母は、その日とてもゆっくりできてそう疲れてないはずなのに(人生初のテント泊だったらしく緊張して眠れないはず?)、早々と寝てしまい、時々寝言やらなんやら聞こえてきて、テント生活何の問題なし…らしい。息子と添い寝していてもどうせ寝ないので、父は外で片づけを開始。自分ちの外なのに、遠くから鵺(ぬえ)の金属的な声が聞こえてきたり、その他、フクロウやら謎の鳥の声が聞こえて、森の中の面持ち…。夜の怖さ…うちは霊的なものよりも獣そのものが怖い場所だった…と思っているうちに息子も12時過ぎに静かになって寝息を立てていた。その後、横になったが、テント初めて…ではない自分だけがなぜか寝付けず…。春先だし、蛇が出たらどうしようとかいろいろ考えたが、Facebookに珍しく生投稿やタイムリーな返信などしているうちに、さすがに体が疲れていたのか1時間くらいしたら寝られた。そして、朝の太陽で目を覚ました自分…「ここはどこだ?」と5秒くらい戸惑ったがもう寝ていられずに起床。離れの家にトイレに行った後、そのまま一人で片づけを開始。すべての道具を、離れのバーベキュー倉庫と駐車場にセットできるようにした(準備が大変だったので早速改善)。人が寝ているテント以外がすべて片付けられ、まわりでガタガタ音がしても光が入ってもそのまま寝ていられる二人のタフさには脱帽である…。息子がトイレに起きたついでに、母にもテントを退場いただき(笑)自宅に二人で帰ってもらう。すぐ朝食準備ではなくまた部屋のベッドで寝たのではないかと疑っているが…そこは気にせずに…自分は2時間くらいでバーベキューやテントの後片づけ終了。中国製のワンタッチテントは準備も片付けも楽だが隙間や布地そのものから寒さが入ってきていた。コールマン製のテントは立てるのもたたむのも手間がかかるが暖かく、「ちょっとここをめくって止めたいな」と思うと必ずそこにそういう部品がついている…というのに感心した。何はともあれ、一度外で避難訓練ができたことが良かった! いざという時…というのが来ないことが一番だがその際に自分が建物の下敷きになって、避難できなかったとしても、少しは何とかなるだろう…とはならなかった(笑)かもだが、「父を何とか助けよう(生かすと役に立つ)」となったかも。
2019/04/28
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我が家の表庭の山桜…10数年前までの忙しかった頃は存在に気付かないまま…なんて年もあった。いつの間にか巨木となり、下のほうの枝が2階のベランダから手が届くほどに。カーテン開けて部屋で横になるとこの光景! この山桜、ソメイヨシノほどみんなをうならせる美しさではないが、最近はこれくらいがちょうどいい(笑)と感じる。下半分上半分さて、昨年度8枠で「これくらいがちょうどいい」と感じていた講師枠、3月末に同じ中学校で「11か8か3か0」というものすごい幅の中で受けていた。相方の先生の人事によってと、クラス数の増減によってと、不確定要素が大きくてこんなになっていたが、「なし~11」までというふり幅の中、この日付まで引っ張ったのは初めて(笑)こちらがお気楽状況(送迎の合間の時間、週3日までならいくつでもOK。枠なくなったらもう他校でもやりません)だから大丈夫だったが、そうでなければ講師に「他で決めます」と逃げられるパターン…校長わかってんのかなと新年度になったら嫌みの一つでも言おうと思っていたら、言う相手が転勤していた(爆)ということで最大パターンの11で来たけど、送迎で1・2・6時間目は入れられないのを週3日にねじ込み(ヘルパーが安定して取れる曜日のみ6時間目も入れて)10枠で全学年受け持ち…となった。クラス数が少ないとはいえ、同時に全校全学年に出るのは32年目にして初めてかも。一度、「クラス減で0枠だと学校の仕事これで終了かあ。平成と同じ31年間、わかりやすくてちょうどいいかなあ」と思いつつも、ちょっと寂しかったので(笑)、昨年度より大変になったが「最後のご奉公」のつもりでがんばります!この数年今にもやめそうなことを毎年言ってるが(笑)、2巡目の教員免許更新はやめようとか、家族の体調とか、相方の再任用の先生が変わると枠なくなるとか、そろそろ紙すき版画工房に力を入れたいなとか…あと1年か2年でゴールなのかなと本人は思っている。授業楽しいのも、散り際の桜の美しさか(爆)写真はまだ盛りの桜、中央部。
2019/04/06
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