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巨人がボロ負けしたので、ふて寝していたら、今まで(真夜中の3時過ぎ...)寝てました。すいません....。というわけで、悪天候と巨人軍、よりにも寄って阪神に13対5で惨敗のせいで、わたくしの日記は、我が家は屋根付き(ドームではないが)で天候とは関係ありませんが、延期となりました。くそー、川原(巨人の押さえのピッチャー)!ピッチングの時に一度膝を止める癖を直せ!(これでは、巨人ファンのオヤジと同じであった)そして、今、掲示板を見て、書き込みの多さに、眠気が覚めた。
May 31, 2003
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デパートなどで買い物する時に違いを感じるアメリカと日本。日本の店員のいいところは、丁寧なところで、鬱陶しいところは、バカ丁寧なところである。アメリカの店員のいいところは、放ったらかしにしてくれるところで、頭にくるのは、なかなかレジまで店員がやってきてくれないところである。そして、私は時間があると....つづく。さて、明日の日記は、「バルディーナのNY、デパートの楽しみ方」の1本です。
May 30, 2003
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私は常々、人の品格というのは、家柄やどういう「出」であるということよりも、いざと言う時に無意識に出る言動にあると思っている。私の乳は...いや、乳の話ではない、父は、去年の師走に心筋梗塞でダウンした。それはまだ朝方のことで、父はその時、トイレで座っていた。トイレで座ってすることと言えば、万国共通である。それで、途中でなんとも気分が悪くなり、トイレからフラフラと這い出て、母に「気分が悪い…」と言ったきり、ソファーに倒れこんでしまった。いつも高速回転で動き回っている父の様子が変なので、母はまだ眠っている私を起こしにやってきた。「お父さんが、具合が悪いって…」私は飛び起きて、血圧と脈拍数の数字を確認すると、すぐに救急車を呼ぶようにと母に言った。それは、まさしくショック症状だったのだ。母は私が真剣に血圧や体温をチェックしている間、「風邪かしらねえ...風邪薬、飲んだらどうかしら」などと、とんでもないことを言っていた。救急車がやってくるまで、それほど時間はかからなかった。しかし、まさかトイレから出て来たばかりだと私は知らなかったので、なぜ、父がパンツ一枚で倒れているのか不思議に思った。そして、スウェットパンツ(日本ではジャージというのかな?)を履かせた。父はもうすでに虚ろな状態で、私がうんとこどっこいしょと、スウェットパンツを履かせていることも感覚がない様子だった。救急車がやってきて、救急隊員の人達が手際よくタンカに乗せて部屋から運び出そうとすると、父がこう言った。『便所・・・便所を流してないままだから・・・』『便所を流さないと・・・・』それを、救急車に乗せられるまで何度も繰り返していた。私は「わかった。ちゃんと流しておくから、安心して病院に行って」と言いながら、ピ~ポ~ピ~ポ~♪と救急車が出て行くまで見送った。幸い、母の「風邪じゃないかしら?」という危機から逃れた父は、その後の速やかな処置で一命を取り留め、ついでに、もっとタチの悪い心臓の血栓を見つけられ、後に再手術となった。退院してきた父に、『便所…便所を流してないから…』って言いながら運ばれたの覚えてる?と聞いたら、全然記憶がないと言っていた。父はウンコやその手の話に花を咲かせるのが好きで、不思議とそれが少しも汚らしく感じない話術をもっているのだ。今、また元気になってるからいいものの、父の最期の言葉が『便所…便所を流してないから…』では、余りにも… おかしく、悲しいことだっただろう。
May 29, 2003
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ピアスを開けて以来、今まで聞いたことのない石の名前を知ることが多くなった。掲示板で話題になったり、教えてくださったりするからで、もしそういう機会がなかったら、私は一生涯、宝石にはダイヤモンドとルビーとエメラルドとサファイアというプライマリーカラーしか頭にないままだったと思う。いや、そのほうが、いっそ、良かったのかも.....。しかし.クラプトンも歌っているように、It’s too late... もう遅いのだ。私はあれだけNYにいる間に、近道するためにティファニー本店内を横切っているにもかかわらず、タンザナイトなんて石がこの世に存在することすら知らなかった。もちろん、その名付け親がティファニーであることも知るわけがない。ただ宝石オンチの私がこだわるのは、石がぐるりと一周していなければ「エタニティリング」とは呼べないということであった。それにしても...中日対巨人の中継を見ながら(わしは本来、F1の女王なのに...(異義却下!))中日の外人選手が左耳にしているピアスに目が生き、あれがホンモノのダイヤモンドだとしたら...かなりのものだろうと、ふと考えている自分がいた。最近、やっと、「あやや」が誰かわかった、私だった。
May 28, 2003
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『アメジストには“恋人を引き寄せるパワー”があるんだって....』と、ポツリと呟いていたら、恋少なき(数は少ないが一応たまに恋はしている)娘を哀れに思ったのか、「はい、これ、しなさい」と、母が昔、父に買ってもらったと言う巨大なアメジストの指輪を、珍し...いや、毎度のごとく太っ腹にドンッとくれた。深い紺色のビロードの入れ物を開けると、巨大なアメジストの指輪が真ん中にデーンと立っていた。そう。ひっそり、でもなく、可憐にでもなく、デーンと。私には、母がそれをしている姿の記憶がほとんどない。そりゃそうだわ。父がいて(おまけに恋愛結婚でめちゃくちゃ喧嘩…仲が良くて)その上「恋人」を引き寄せてどーするっちゅーねん(未だ、清原抜けず)。ケースから出して指にしてみると、あーら不思議。もしかして、私は「眠れない森の美女」返上で、シンデレラ?って思うくらい(異義却下!)ぴったりサイズ。それは、巨大なひと粒の縦長オーバル型のカボッションカットで、指にしながらまじまじと眺めた。濃い紫色が何の飾り気もない台座で柔らかな光を反射している。『....これは、どこかで見たような....』私はこころの中で呟いていた。なんだっただろう・・・???母は、「まあ、やっぱり指が長いと指輪が栄えるわね...良く見えるもの」と、太っ腹になって差し出したことを撤回したそうな口調で語る。「これだけ大きければ、吸い寄せられてくる“恋人”は、さぞたくましくて、心も(懐もか?)大きな人だわね....」と、アメジストは恋人吸い寄せのシンボルとなった。掃除機のように。そうだ。私は思い出したように呟いた。『なんか、ゴキブリみたい』母は、さっさとその指輪をしまってしまった。ふーんだ。もう、あれは私のものなのだ。だってお母さん。母さんには、寝相が悪くて夜中にパンツ丸出しで寝ているところに、そっと布団をかけてくれるお父さんがいるじゃない。 そうかあ....。私が風邪ばかりひいているのは、夜中に布団をかけてくれる人がいないからだ。
May 27, 2003
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地震のため、続きは明日にします。 (しめしめ) セーフ。
May 26, 2003
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私が清原(巨人軍の背番号5番...ああ、そう言えば、昔は5番といえば、小技の天才、土井さんの背番号だった。あの頃の巨人は山倉がマスクをかぶっていた.....)が好きな理由の一つに、デッドボールを受けても「痛がらない」ところにある。これはサッカーで、ちょっと足をひっかけられて転んでは、3才児以下の子供のように痛がって転げ回って、あわよくばペナルティーキックを...というのとは大違いで、男らしい。あ、いや、別にサッカーが男らしくないという訳ではない。なにしろ、私の従兄の息子はアントラーズのJ・リーガーでイタリア代表と試合をしたりしている。あ。話が逸れた。昨日の清原のデッドボールも痛そうだったけれども、ケロッとした顔のまま1塁に向かった。彼の肘は赤く腫れていた。私はすぐに立ちくらみするのだけれども、血の気は多い。代わりに、ピッチャーをぶん殴りに行ってやりたいと思った。思うだけなら、無傷で済む。しかし、今日の連続デッドボール(172個目?)にはさすがの清原もムッとしているよーな顔をしていた。アナウンサーが『いやー、さすがの清原も怒りの表情!』と言ったが、画面にはただ、ちょっとだけムッとした清原が映っていた。うーん。ステキだ。あれで「怒っている」のなら、夫婦喧嘩はこっちの勝ちだ。あ、彼は妻子持ちだった。まあいい。で、私はテレビの画面を見つつ、今度デッドボールが当ったら、いつものように無表情で1塁に軽く駆け足で進みつつ....ぐるっと方向を変えて、ピッチャーマウンドまでダッシュして行って、マウンドの上でピッチャーを卍がための技でしめあげてやればよいのだ!よし。今度、清原に会うようなことがあったら、耳もとでそっと囁いてやろう。ふっふっふ。『みんなが敵でも、わしが味方や』“ドヤー! 根性がちがうんじゃー!”(Kiyohara said)はい。
May 25, 2003
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すんまっしぇーん。時間がなくて日記が書けなかった。後で書き直そう。-----と書いてしばらくしたら、いつも苦情を言い、私の清原好きにイチャモンをつける「大昔はゴマキ」娘から『ネタがない時はウソでもいいから日記を書け!』と、これまたデッドボールを受けた。・・・・・私はこれでも(“これでも”、と自分で書いていてちょっとムッとした)コロンビア大学で学び、プロフィールには書いてないが、ジャーナリズムの「修士号」持ちなのだ。修士号というのは、大学院である。世の中に何かあると、あちこちの大統領からアドバイスを求められるのだ。私が原稿を書かないとスピーチが出来ない首脳陣がこの地球上には存在するのだ。それで忙しかったのだ。どや。ネグリータ。いくで。いくで。
May 24, 2003
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掲示板にニューヨークチーズケーキのことを書いたら、ニューヨークチーズケーキはどこがどう“ニューヨーク”なのかと問われて、答えが出てこなかった。それが当たり前だと思って、ずっと、食べていた。テレビの画面に見なれた景色が映る。ニューヨーク。私は、今までの人生の中で経験した、ほとんどの、いいことも、悪いことも、悲しいことも、うれしいことも、この町の中だった。わたしの町が映る。と、映画「LEON」を見ながら、ストーリーにごまかしながら、涙が落ちた。こんなことは多分、アイルトモクラブに書くべきことかな。そうそう。「レオン」とカタカナで表されるこの映画。本当は“リオン”って発音するんだよ。そして、悪役のゲイリー・オールドマンと私は、同じ歯科医に歯を治してもらった。それも、ニューヨーク。
May 23, 2003
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三日で終わると思っていたこのサイト。1ヵ月を突破した・・・・。と、今日はヘロヘロなのですみません。
May 22, 2003
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母が枝切り鋏で庭木の飛び出た葉っぱや細い枝を切っていた。私はとにかくハサミで何か切ることに餓えていて、それは、ディノ(今はいない愛犬)の散髪(正確にはグルーミング)を自分でやっていたので、ディノ亡き今、切れるのは自分の髪と母の髪と....友達は皆、あれこれ理由を付けては結局逃げ回る。おお、デカイハサミ。これは切り応えがありそうだと思って、母から「枝きりハサミ」を取り上げて、庭の色んな木の剪定をはじめた。私は母よりも10センチは背が高い。それでも届かないところに、ピンッと突っ立った枝葉があって気になる。父はソファーで座ったままの状態で器用に昼寝をしている。(どーりで成田ーNY便の14時間でもピンピンしているわけだ)届かない所に枝葉がピンッと伸びているのが気になって仕方がなく、ふと見ると、古びた脚立が立て掛けてあるので、それに登って枝を思いっきり切り落としてスッキリすがすがしく降りてきた。が、その脚立を折りたたもうとした時、思いっきり左手の薬指を挟んで、薬指がポロッと地面に...と思うくらい挟んだのだ!陥没して出血する元気もない薬指...愛しい人が指輪をはめてくれる日まで清く正しくとっているというのに(その相手が現れないことは別として)なんという事...と、しばし放心状態でいた。おまけに、かなり精神的ショック(母談)のために、全身が震えてすっかり伸びていた。しかし....今日は清原のホームランが見れた。私は野球には興味はないけれども、実は清原が好きで、シューマッハに会っても、どーってことないけど、清原には、あ、あ、会いたい....。ヒーローインタビューの間、巨人のマスコットのジャビット君の足をつかんで、逆さまにぶら下げていた清原....ああ、タイプだわ....。(私の「タイプ」はマトが絞られていません)
May 21, 2003
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たまには真面目に。私はずっと自分は、画家かロックミュージシャンになるのだろうと思っていたのだけれど、実際に時が過ぎてみると、写真家とジャーナリストとアートディレクターとトイレ評論家そして、恋する乙女になっていた。最後の“乙女”というのは「ただの女」と、訂正しておこう。幼稚園の頃から楽器と絵を描くことには長けていた。そして、小学生になる頃には「言葉」の響きに惹かれていた。私はアメリカへ渡る前まで、ずっと日本で写真をやりつつも、絵画、特に油彩をやっていた。ニューヨークで美術大学のクラスの課題に、何でもいい、有名な画家の良く知れた作品の模写を鉛筆でやってくるようにというのがあった。翌週、課題は壁に並べられた。教授の評価は、日本ではなかなか耳にしないものだった。模写であろうと、それがどんなに有名な画家の作品であろうと、描き手の「スタイル」つまり、個性がそこに現れることを教授は見ていた。誰かの作品に似せること。誰かのコンセプトに似ていること。自分よりも有名な誰かに似ていることが評価に価しないことを、教授は教えようとしていた。最初の人になりなさい、と。
May 20, 2003
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日記、書けません。(日記、書く気がしません)(日記、書きたくありません)(日記、書いてもしかたありません)今日は、このサイトを消そうと本気で思った一日だった。おしまい。
May 19, 2003
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ニューヨークではほとんど1年中の衣類を1年中クロゼットに並べている。ニューヨークにも日本と同じようにはっきりとした四季があって、その景色の移り変わりは見事なポエムのようでもある。しかし、余りにも見事で、4月などは特に、1週間の間に、雪が降ったかと思ったら、翌日はポカポカ陽気で、翌日は汗をかいたりして、わずか1週間の間にさえ、四季があったりもする。おまけに、真夏でも寒い日があったり、真冬でも突然、初夏のような陽気の日があるもんだから、極端で自分にまっすぐ(つまり単純明解)なニューヨーカーは、ちょっとでも気温が上がれば、真冬であろうと何であろうと、短パンにTシャツ姿になり、気温が下がると、真夏でもダウンジャケットを着たりする。私はこういう、プラクティカルな考え方が好きで、夏にこんなの着てたらおかしいんじゃないの?と鳥肌を立てつつ下着のような格好でいたり、もう9月だからオシャレに冬物を先取りして着るのがファッションよと、汗だくになりながらツイードで身をつつんでいるのを見ると、どうかしてるんじゃないの?と思ってしまう。日頃から、どうかしてるんじゃないの?と思われているらしい「私」がそう思うのだから、そうとうなものかもしれない。約3年ぶりに帰国して、久しぶりに町行く人々のファッションを見ていると、だいたい、3種類くらいのカテゴリーに振り分けられるなと思う。私は多分...「いずれにも該当せず」か?あ、そうだ。夏物の服を出していて、奇妙な写真が出てきたことを書こうとしていたのに、すっかり忘れてしまっていた。明日に回そう。覚えていれば。
May 18, 2003
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昨日は Back to the Future の日本語吹き替えを見ていて、ほえ~っと思っているうちに、時間が過ぎてしまった。そして、今夜は、ケビン・コスナーが日本語を喋っている。ケビン・コスナーという人は、声に物凄く特徴がある。なんとなく、甘ったるくてヘロヘロしている。しかし........,,,なんだ!この声は!うぅぅぅぅ、、、、私のテレビは何しろ二重音声装置がない。居間に行けばデカイテレビで見れるけど、私が英語で見ると、両親からブーイングが起こる。字幕を読むのが面倒な年頃なのである。←両親。仕方ないので「来日中」の私は与えられたオンボロテレビで見るしかない。おまけにこのテレビ、私のマックのモニターよりも小さい。そう言えば、洋画の邦題で苦労することがよくある。NYで、日本にいる友達と映画の話をすると、その題名が余りにも違ったりすると、まず、主人公の俳優からストーリーを話して、それが一体、どの映画のことか、当てなければならない。私は英語のタイトルしかしらず、友人は邦題しか知らなかったりする。一度、パリから成田行きのエールフランスの機内映画に「フーテンの寅さん」があった。その時、チャンネル1は日本語、2は英語、そして3はフランス語だった。「おじちゃん」寅さんのこのひとことは「Monsieur(ムッシュー)」になっていた。これもまた、ある意味、衝撃だった。しかし、この声!(ケビンコスナー)耐えられないので、世界ふしぎ発見にしよう。あ、終わってしまった。仕方ないので、やたらとドスのきいた声のケビンコスナーを見るしかない。あ、キスしてやがる。ええなあ~~~。....いや。ちょっと。この、ボディガードとレイチェルがベッドインして、レイチェルが「こんなに安全だって感じたの、初めてよ」とかなんとか言うのだけど、ここで、アメリカ人はどっと爆笑する。つまり、そういうユーモアのセンスの違いがあったりする。
May 17, 2003
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すまん。今夜テレビで、生まれて初めて、Back to the Future を日本語で見ていたので、日記を書く時間がなくなってしまった。この映画はもう50回くらい見ているけれども、全部、英語。日本語でどんな風に訳されているのか興味があった。(アメリカではバック.トゥ・ザ・フューチャーを1から3まで連続放送することなど、平気でやってしまう。それも、一日中。)何故なら、英語にはどうしても日本語に出来ない「シャレ」やら「言い回し」があって、それがどうなってるのか....見ていた。30年過去の父親が、カフェで教わった通りの台詞をメモ見ながら未来の妻、ロレーンに言う。「You are my density(密度)... I mean, destiny..(運命)」「君との出会いは、密度なんだ、いや、つまり、僕が言いたいのは、運命なんだ」と直訳するとそうなるけど、これでは笑えない。「君との出会いは、運道なんだ、いや、つまり、運命なんだ」それにしても、どうしても、画面の口元と聞こえてくるアフレコの言葉がバラバラに見えてしまうのは仕方がない....。ああ...仕方ないとはわかりつつ.....
May 16, 2003
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父は子供の頃、カエルを捕まえては、麦わらをカエルのお尻につっこんで、ぷ~~~っと息を吹き込み、膨らまして遊んでいたと得意げに話す。カエルの鳴く季節になると、必ずこの思い出話しを聞かされていたものだった。私は大変に繊細にできているので(異義は認めません)数年前、ストレスが原因で、ジャンボサイズかつ、タチの悪い胃潰瘍を作ってしまい、胃の切除を受けねばならなくなった。開腹手術の前には、ありとあらゆる検査があって、その中に「大腸検査」もあった。私はまだ嫁に行かねばならぬ身....(行く気はあるのだよ、皆さん)「そんな恥ずかしい検査は受けません!」と断固、拒否していたのだが、内科医アーンド外科医がそろってやってきて説得するので、しぶしぶ受けることになった。私は検査着に着替えて、絶対に担当医と目を合わせないようにうつむいたまま、検査台へ上がり、「どうか、この医者と町でばったり出くわしたりしませんように…」と祈りながら横になっていた。大腸検査は胃透視検査の比ではないほど苦しかった。なんでこんな目に合わなければならないのよっ!と腹立たしいくらになった時、『じゃあ、空気を入れますよー。ちょっと苦しいけどガマンしてくださいねー』という担当医の声が聞こえてきた。私のお腹はぷ~~~~っと膨らみ、その苦しさに気絶しそうだった。いや、いっその事、気絶すればよかった。その時、父の昔話が脳裏に浮かんだ....。これは、あのカエル達の怨念に違いない。父があんなことをカエルにしたから、娘が同じ目にあうんだ...。検査を終えて、うつむいたまま「失礼します」と担当医に挨拶して、病室に戻って、待っていた両親に向かって、私がいかにつらい目にあってきたかを半泣き状態で訴えたのだ。『わたしね、カエルと同じ目にあったのよっ!』父は笑い転げるだけだった。
May 15, 2003
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子供と言うのは、その外見の愛らしさとは相反して、意外に残酷なものである。そうして、大人になって、子供の頃の自分達の「残酷さ」が話のネタになったりもする。子供の頃、私はよく小さなカエルと遊んでいた。カエルを捕まえては、洗濯機に水をはってその中に入れて、回した。しばらくして、カエルを洗濯機から出して地面に置くと、目が回っているらしく、はちゃめちゃな方向に暫く跳んで、そうして、どこかへ帰って行くのだった。雨が降りそうになると、あるいは、雨になると、庭のカエルが鳴き始めるようになった。母は「そろそろ、そんな季節になったのね」とのんきに聞いてる。私はさすがに、またとっ捕まえて洗濯機に入れて目を回させようとは思わないくらい大人になったけれども、ニューヨークではほとんど見かけることのないカエルを久しぶりに見てみたくなって、窓を開けて探してみることにした。すると、さっきまで「ゲーコゲコゲコ」「ゲロゲロゲロゲロ」と鳴いていたカエルの声がピタリと止んだ。「どこかにいるはずなのにねえ」と母に話しかけながら、一生懸命目をこらして姿を探す。諦めて窓をしめて椅子に座ると、また「ゲーコ、ゲコゲコゲコゲコ…」と鳴き始める。すっと椅子から立ち上がり、立ちくらみして、一瞬、座り込んだりしながら、また、窓を開ける。すると、ピタリと声は消える。『・・・声はすれども姿は見えず ほんにあなたは屁のような・・・・』父から受け継いだ川柳を口ずさむ五月の昼下がりであった。
May 14, 2003
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昨日、病院へ行った。出入り口に、SARSファッションの医者だかガードマンだかアルバイトのフリーターだか知らんが、男がひとり、ただイスに腰かけて、出入りする人をジロジロ見て発病者はいないか見張っていた。ジロジロ見るだけでSARSがわかるとしたら、大したもんだ。診察の順番を待つ間、高菜おにぎりでも食べようと、備え付けのテーブルへ「ここ開いてますか?」と、年の頃なら70代か80代のじいさんに聞くと「どうぞ」と快く相席させてもらった。「そんなんで、足りますか」と突然。じいさんが話しかけてきたので、『ええ。胃がないものですから』と馬鹿正直に答えた。しばらく沈黙が続いた。「昭和フタケタですか?」じいさんが突然、聞いてきたので、え?っとおもいつつ『私の生まれた年のことですか?』と聞き返すと、「はい。そうだなあ、西暦で言うと....」と、勝手に私の生まれた年を西暦で勘定しはじめ、出てきた答えが、「せんきゅうひゃく.....」(私は内心、自分がいくつくらいに見られているんだろう?とドキドキして待った)「せんきゅうひゃく…よんじゅうねんくらいかな?」私はよく人を「目がテン」状態にすることはあるが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。『1940年って...私、まだ還暦、迎えてませんけどっ』私はぶ然として答えた。じいさんは、何ごともなかったかのように、「そういえば、今年は2003年かぁ。ということは...」と、まだ、私の生まれた年にこだわって計算している。「終戦が1945年で昭和20年ですもんな...」『私、戦争は経験してませんから』「え?戦争、知らないですか・・・ありゃあひどかった」『それに、私、大正生まれでもないですから』「ほう」しばらくまた沈黙が続いた。「昭和と平成の間、くらいですかな?」じいさんは沈黙の間もずっと計算を続けていたのだ。『はあ~? 私の生まれた年のことですか?』私はまた、最初と同じように聞き返した。「はい。昭和と平成の中間くらいでしょ」・・・・。『あのぉ、昭和と平成に“中間”というのはないですし、わたし、15才はとっくに過ぎてますから』「ふむ....」じいさんは考えこんでしまった。そして、また沈黙に入った。そして、『素敵なネックレスですね』そう言い残して、じいさんはやってきた付き添いの奥さんに連れられて行ってしまった。あれはいったい、なんだったんだろう...???さすがに、父が一刻も早く退院して帰宅したいと願った世にも奇妙な病院である。
May 13, 2003
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掲示板にすべきレスを日記に持って来て、今日の日記を書いてしまおうという魂胆。◆大島弓子(敬意を込めつつ敬称略)について人の名前をほとんど覚えない私が、その台詞まで覚えているのが大島弓子。ノックアウトされるものばかり。あれほど、ページ稼ぎのためにページ一面すべてを雪が降っている「雪」の○でうめ尽くしてもなお、感動させることができる漫画家はそうそういない。大島弓子作の「四月怪談」がかなり前に映画化されたけれども、あの独特の世界は再現不可能だった。なかなか「この世」に帰ろうとしない主人公の国下初子に向かって、幽霊の岩井弦乃丞(漢字変換不確か)が言う。「とりえって、なんですか。 とりえがないことも、とりえじゃないですか」彼女の作品には「生と死」「心理学」がふんだんに扱われる。「フロイト式蘭丸」もそうだし「パスカルの群れ」もそう。『秋日子かくかたりき』私だったらもっと、確実に、あの世界を映画にするのにと、今でも思う。うーん、話がまともなラインになってきたので、今日はこの辺でやめておこう。
May 12, 2003
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母の日なので、台所の母に向かって、『今日は母の日なので、気持ちをどーぞ』と、私の気持ちを贈った。母は笑顔で「ありがとう」と言って、その形のない「気持ち」を受け取った。何しろ、何か物を贈ると、その後が大変なので、母としては「気持ち」が一番“安全”なのである。子供の頃、多分...お小遣いを貰い始めた最初の頃だったので、小学校低学年の頃だったと思う。母の日を前に、その微々たるお小遣いを溜め込んで、母の日にマーケットでヒラヒラのスカーフを買ってプレゼントした。正札をつけたまま。母はその正札を見て「贈り物の時は、これは外すものなのよ」と苦笑しながらも、限ったお小遣いを一生懸命ためて、買ってくれたんだなと涙目になっていた。そして、うんとお小遣いをくれた。実は、そのスカーフを包んでもらう時、私はわざわざ正札を付けたままにしてくださいと頼んだのだ。てなわけで、私の「気持ち」が母としては、一番うれしいのである。
May 11, 2003
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私がなぜ、このサブサイト(私には本丸サイトがある)に「期間限定」と付けたかと言うと、自分でもそう長続きはしまいと思ったのだ。(本丸はそれでも3年以上続いているから摩訶不思議)何しろ、ここは毎日日記を書かねばならぬ。まあ、書かなければ書かずに放っておけばよいのだけど、中には1日でもサボると「日記を書かんか~!われぇぇぇ~!」と、麗しの…いや、コブラのようなお嬢さんから叫びの書き込みをされたりするので...怖い。今日は早めに書いている。なんでかというと、今、自分で髪を染めている最中の時間待ちなのだ。日本で「チャパツ」というのが流行り始めた頃も、流行り過ぎた頃も、ずっと私は黒髪の地毛で通していた。何しろニューヨークにはホンマモンの茶パツやら金パツやらレインボーヘヤーやらがうようよいて、東洋顔の私が無理矢理その仲間に入ろうと染めたところで、たかが知れている…という半ば開き直りと諦め(節約も兼ねて)があった。ところがどっこい。2年ほど前から、ストレスと体調不良のための投薬が原因でやたらと白いものがチラホラし始め、2~3本なら抜いていたのだけど、そのうち、抜き続けていると、父の頭を笑えなくなりそうな勢いになってきたのだ。父も、いや、父は、禿げている。(あぶねー、あぶねー、アニキからぶん殴られるところだった)思いきって、日本からヘアーカラーを送ってもらって、染め始めたのが最初だった。ところが、何しろド素人が自分で染めるのであるから、かなりムラになる。鏡の中にはなにやら三毛猫がいるではないか。わたしだ。
May 10, 2003
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「ここの掲示板はカタカナが多いですね」と掲示板にかきこみがあった。確かに、ここの掲示板はカタカナが多い。それは、ピアスやジュエリーストーンの話しが並んでいるからなんだけど、実は、私はかたっきしカタカナに弱い。海外に長く暮していると、横文字はほんまもんの横文字で読み慣れ、それはあたかも象形文字を眺むがごとし。私が久しぶりに帰国して、最初にびーっくりしたのは、証券関連会社の"Merrill Lynch" が「メリルリンチ」とカタカナになって、おまけに縦書きの看板になっていたことだった。しかし、もっとびっくりしたのは、電車のアナウンスだった。「車内での携帯電話のご使用、通路での食事や座り込みは、他のお客さまのご迷惑となりますので.....」いつから我が祖国、ニッポンでは通路で食事をし、人前で堂々と化粧をするおねーちゃんが育ってしまったのだろう。しかし、どこにも「ライオンの像には跨がらないでください」とは、三越前に書いてないので、ホッとした。ああ、もう日記が書けなくなってきた。芥川龍之介の苦悩がわかる、今日この頃であった。おしまい。
May 9, 2003
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昔むかし、ある放送局で、バルディーナはマイクを握って喋っていたことがあった。もちろん、日本語で。それで、ある大晦日の中継で、お寺の鐘のことで住職にインタビューするための打ち合わせをしていた。住職は丸坊主じゃった。しゃ~ない。坊主なんじゃから。で、そのお寺では深夜、一般参拝者も除夜の鐘をつけることになっていて、「まあ、それなら108人抽選ですか?」と問うた。すると住職は、『いやー、いらした方全員、付いて頂きます』とニコニコ顔で言われるので、「それじゃあ、108はとうに越えますね」と私が言うと、『今の世の中、煩悩の数は108つじゃあ、とてもとても足りんでしょ、ハッハッハッハ』実は、今、私はロイヤルブルームーンとカボッションのお花とラムネの瓶のダブルカボの煩悩に(ぜーんぶピアスの話じゃ)頭がいっぱいで「愛が叶います」のチューリップのことなどすっかり忘れてしもとる。いかんいかん。いや、考え方を変えて、煩悩の数だけピアスを集めることを目標としよう。それで幸せになりましたとさ。と、日記には書いておこう。←てなコマーシャルが昔むかし、あったそうじゃ。
May 8, 2003
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数日掲示板を見ないだけでも、浦島太郎の気分になるものだけど、私はウルトラ・浦島と言える。余りにも長い間、ニューヨークに暮し、その間、日本と往復を繰り返していはいたものの、毎回、2週間、長くて3週間足らずで、最早、観光客のノリだった。思い立ったらふらりと帰国し、また戻って行く。その姿は...まさにフーテンの寅さんに近い。浦島太郎は助けた亀に連れられて、竜宮城へ行ったのだが、泳げない私は、亀が水面に潜った途端に溺死したに違いない。かといって、浮き輪を腰に付けていては辿り着けない。命がけの竜宮城だが、私はどちらかというと、鯛やヒラメの踊りを見るより、ヒラメは薄造りにしてポン酢に紅葉おろし、鯛は刺身をとった後に、鯛のアラ炊きにして食いたい。浦島太郎はそんなに竜宮城の居心地が良かったのならば、ずっとそこにいるべきだったのだ。エルトンジョンですら「ダニエル」という曲のなかで、スペインへ旅立つゲイの恋人を見送って涙しながら『そんなにそこがいいのなら、ずっとそこにいればよかったのに…」と歌っている。それにしても乙姫。「これは決して開けてはなりませぬよ」などと言って、玉手箱を渡す。開けてはいかんようなものは、最初からやるなー!と言いたいところだ。あれは、人間の心理を読んだ言葉で、人は、してはいけない、見てはいけない、行ってはいけない、限定品で表参道店でしか手に入らない、という文句にやたらと弱い。乙姫は「さあ、帰ったら、これをお開けなさい」と言う代わりに、「あけてはなりませぬよ」と、きっと開けるに違いないウヒョヒョヒョヒョと、玉手箱を持たせたのであった。この玉手箱は、多分、宇宙飛行士が「予想できない事態になった最後の手段」として渡される、自決の薬に似ている。変わり果てた地上にひどく傷付いた浦島にはきっと、どうしても必要なものだったのだと・・・竜宮マニュアルに書いてあるのだろう。
May 7, 2003
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なんというか。つい先程、「私の好きなピアス屋さん」の中のお店のひとつが、毎週恒例でやっている「リクエスト限定」発売というのがあった。それも、限定1個だの2個という、メチャクチャ狭き門なのである。しかし、今まで、私はかなりの高確率でそれをゲットしてきたし、スピードにおいてはちょっとした自信があった。なのに...今夜、友人へのプレゼントにと思って久々にタイムアタック(もう、まさにF1の予選さながらのスタートなのだ)に挑戦してみたら、いつになく手も指も...遅い。自覚できるくらい、入力が遅いのだ。それで、ゲットできなかった。もちろん、何もそれが二度と手に入らないほど大袈裟なものでもなければ、またいつか買える時が来るのもわかっている。なのに、ああ、それなのに、それなのに...この虚脱感はなんだ。今年のシーズン開幕直後、3連続で表彰台に上がれなかったシューマッハも同じような気分だったのかなあ・・・などと言うと、ヘルメットが飛んできそうだ。ヘルメットが飛んできたら、素早くキャッチして、なんでも鑑定団に出して、ピアスの資金にしよう。
May 6, 2003
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日記をサボると苦情を言うお嬢さんが約1名ほど。しかし、頭痛微熱風邪ひき中の私が、手術退院後で貧血でキョンシー顔した父親と向き合っていても、何も面白いことは起こらないのだった。ま、それはいいとしてだ。ニューヨークという町には、あちこちにバッタもん、つまり偽ブランド物を売ってるところがある。一番多く目につくのはプラダ。次にグッチとイタリア勢優勢。チャイナタウンに行くと、そういうものばーっかり置いてある店がズラーっと並んでいるし、アタッシュケースに偽ロレックスを並べて、立ったまま商売している黒人のおじさんもいる。一度、いくらくらいするのだろうと思って、オイスターの偽物の値段を聞いたら、35ドルだと言う。それで「この時計って、どれくらいモツの?」と問いかけてみた。すると『だいたい、早くて6ヵ月くらいかな』だと言うので、「ええ~6ヵ月しかもたないの?」と嫌な顔をして見せたら、『だから安いんだ。壊れたら、また買えばいいじゃろ?』と返された。私はニューヨークが大好きだ。今日はこれにて、幕じゃ。て、てん、てんてんてん♪
May 5, 2003
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なので、日記はお休みします。また、明日~~~~。
May 4, 2003
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昨日、入院していた乳...誰の乳や...父が退院した。まだ、大手術後の影響らしく、時々、顔色が悪く「顔色悪いね」『どんなに悪いかい?』「うーんと。...キョンシーみたいに見える」という父娘の会話が交わされる。例の、○○子~と、夜な夜な寝言を言っていた爺さんはその後どうなったのかと、私以上に父自身、興味があったらしく、退院報告を兼ねて、元の病室を訪ねたところ、元、父が使っていたベッドに新しく入った患者さんが、「隣のこの方(爺さんのこと)はよく夜中に「□□美~□□美~、ここに来てくれ~と寝言をおっしゃいますけど、余程、奥様が恋しいのでしょうね」と父に告げた。父はとても、いや、あの方の奥さんは△△子さんで...とは言えず、とにかく、この、世にも奇妙な病室から一刻も早く帰宅しようと決心したらしい。そして、帰宅して娘にキョンシー扱いされるとは、これまた夢にも思っていなかったらしい。よし!日記、時間、セーフ!
May 3, 2003
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ニューヨークに長く暮している間、風邪もひけば病気にもなって、救急車には計6回乗った。高熱で具合最悪でER=救急に行き、かったるい受け付け嬢(嬢と言うのは正しくない。受け付け....ピーッ)の、問診をまず受ける。それで、契約書のようなものに何枚もサインをさせられる。そして、ぐったりと救急ベッドに横たわっていると、蒼緑のVネックのシャツ(ここが日本と違う所で、動物病院のドクターは白衣を着ていたりする)に聴診器を首にかけたドクターがやってきて笑顔で How are you?お元気ですかぁ~~? と問われても....こっちは病気で最悪なのでトンでもない深夜に救急でやってきているのだ。なのについ I’m fine, thank you.と答えそうになる。これではパブロフの犬だ。
May 2, 2003
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私は今、風邪をひいている。だから、日記は書けない。というのがエクスキューズ(excuse)=言い訳、となる。それに「私(me)」をつけると、お馴染みの、エクスキューズ・ミー(失礼します) になって、ちょいと太めのおばさんがエスカレーター前で立ち話しをしていて通れない時などに用いる。が、柄の悪い裏通りで恐そうなおっさんと肩が触れた時は、「すんまっしぇん、すんまっしぇん、昨日、田舎から出てきたばっかりやもんで、えらい人ごみに驚いてまんねん。許してけろ」のほうがプラクティカル(practical)=実際的で実用的である。ま、今日はここらへんで、勘弁してやろう。いや、そうじゃなかった。私は風邪をひいていて、いつにも増して頭が痛い。So, would you excuse me???
May 1, 2003
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