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さて、テーマの「ウツ」でありますが、もうそろそろ日本もこの、精神的風邪とでもいえるほど、誰もがなりうる可能性のある「病」に対してオープンになり、もっと医学も分析学も発達していい頃なのではないかと思うのであります。朝青龍は別として。あ、あの人の場合は、精神的病ではなく、「仮病」という病気カモシレナイケレドモ。私は今まで、3度ほど鬱を経験したことがる。最初の2回はニューヨークでだった。その最初の時ほど恐ろしかったことはなかった。何しろ、目が覚めたとたんに、それまで感じた事のない不安感というか自己喪失というか、一番恐ろしかったのは、自分はそうしたくないのに、自分はちゃんと生きていたいのに、発作的に台所に言って包丁を取り出して自決してしまいそうな、そんな肉体的、心理的不安に包まれた時だった。もちろん頭の中も、心の中も「死にたい」などとは全く思っていないのに、自分が自分でコントロールできないような感じがして、何をしでかすかわからない、という感じがして自分で自分を抱きしめて震えていた。ただ、私の本来持つ性格なのか、他人を傷つけたりするような、そんな不安は全くなく、ただ、全てが自分に向かっていたのを覚えている。鬱自体、本来「自分を責める」ものなので、他人に危害をくわえるような危険性は殆どないし、そんな気力もないのが鬱状態とも言える。そこで、まず、ブルックリンに住む親友の一人に電話して助けを求めた。彼女は主婦なので家にいるのを知っていたので彼女にまず電話をかけた。彼女はすぐに行くけど、ブルックリンからだと少なくとも1~2時間かかるから、とにかくじっとして待つように言ってくれた。だけど、電話を切って彼女を待つ間、もしかしたら、私は自分で自分を殺してしまうかもしれない...というもの凄い恐怖心に包まれ、電話帳でしらべて、ある先生のとこに電話をかけた。ラッキーなことに先生が直接電話に出てくれて、私が最初に言ったことは今でも覚えているけれども、「私は死にたくないのに、自分が何をするかわからなくて怖くてしかたないです」ということだった。そこまで「鬱」がたっするには、それなりの理由があったし、それなりの時間が沢山あった。先生はさすがにプロで、非常に落ち着いた声で(男の先生だった)『いいですかあ。あなた、大丈夫だからね。いいですか、絶対に受話器を離してはダメですからね。とにかく、大丈夫だから、電話を切ってはダメですよ。』から、話しが始まった。つまり、受話器をもって電話で離している間は、少なくとも安全を確保できるからだった。そして、友人が向かっている事を知って、先生は非常に安堵したようで、それから命綱につかまるようにして、受話器を握って、その先生と話しをしていた。その後、その時のことを思い出すと、世の中には自殺者が多いけれども、もしかしたら、その多くが、本当は死にたくないのに、自分をコントロールできない精神状態になって、死んでしまうのではないだろういか、ということだった。死のう、と思って意を決して死ぬ人も多いだろうけれども、自分の経験から、もしかしたら、「鬱」の本当の恐さというのは、その「死にたくないのに、自分で自分を傷つけてしまう」ことにあるような気がする。と、こう書いていても、鬱というのは、よく言われるように『なったことのある者にしかわからない』とても複雑で、その状態も個人差があり、皆が皆、同じ方法で元気を取り戻せるものでもなく、また、薬ひとつにしても、合う、合わない、効く効かないという個人差があり、カウンセリングにしても、カウンセラーとの相性が合う、合わないという、とてもデリケートなものだったりする。人は皆底辺には「鬱」を抱えている。ただ、それがどれくらのところまで出て来ているか、どれくらい水が溜まっているか・・・というのに似たところにある。そのことは、本丸の「最後の一滴」というタイトルに書いている。「ウツ」については、かなり経験を重ねて行ったせいで、詳しくなってしまっているけれども、もしあなたの知り合いや友達に「鬱」で苦しんでいる人がいて、もし、あなたに「もう死んでしまいたい」と言うようなことを言った時は、どんな状態であれ、とにかく、それはしては行けないことだと、止める事です。面倒だと思ったとしても、とにかく、引き止める事。よく「じゃあ、いっそ死んじゃえば?」と言えば、反動で元気を出して生きるだろう、なんて考える人もいるようだけれども、はっきり言うとそれは健康な人にだけ通用する手で、「鬱」の人には通用しません。通用しないどころか、本当に死んでしまったら、あなたは「自殺幇助」という罪を犯すことになるのです。橋の欄干から身を投げようとしている人を見かけて、止めないのと同じです。止めないどころか、「あ、飛び降りるんですか?じゃあ、手伝いましょう。」と言ってその人の足を抱えて、飛び降りやすく手伝うことと同じ事になりうるからです。「鬱」というのは目に見えない病気で、骨折や怪我なら、見た目で痛そうだとわかるけれども、鬱は見えないだけ、誤解されやすく、理解されにくい病です。そして、誰がいつなってもおかしくないという点では風邪と同じなのです。ただ、風邪と違うのは、ウィルスなどでないので、移ったりしません。人ごとだと思っている、アナタにも、突然、起こりえることなのです。ニューヨークで2度目の鬱がやってきた!と思った時(体の感覚として私の場合はすぐにわかるようになっていたので)知り合いのカウンセラーに電話して助けを求めた。しかし、カウンセリングは予約でいっぱいで(つまりそれだけ患者が多い訳で)一週間以降しか空いてないと言う。『とにかく、お薬をもらうのが先』とカウンセラーの人が言い、総合病院の救急に行ってお薬だけでも先に処方して飲みなさい、ということだった。なぜなら、抗鬱剤というのは効果が出始めるまでに1週間ほど時間がかかる。そして、なんとなくおかしくて、なんとなく、ああ、アメリカだなあ…と思ったのは、「例え死にたい気分でも、絶対に、死にたいとか、自分を傷つけそうな気がするなんて言っちゃだめだからね!」ということだった。何故かと言うと、アメリカのシステムで、「命を守ること」が何よりも優先されるので、そんな事を言おうものなら、どんなに抵抗しようと反対しようと、「家で犬が待ってますから!」と叫ぼうと、強制的に即座にそのまま入院させられて家に帰れなくなるからなのだ。そして、案外知られてないことは、鬱というのは、本当に症状が重い時は死んだりしないもので、つまり、それだけの気力もなく体が重く感じて「死んでられない」という状態なのだけど、徐々に元気を取り戻し始めた頃が本当は一番モロく、壊れやすく、自殺の危険性が高い。なぜなら、それだけの気力と体力がついているので、「死ぬ事」ができる状態になってしまっていて、心はモロイままで不安定な状態だから。過去、鬱で自殺した有名人の多くは、将来について明るく語っていたり、色々なプランを立てたりして元気になったかのように他人には「元気そう」に見えていた時に、だいたい、亡くなっている。最近は有名人が続々と「自分は鬱で苦しんでいたことあった」と平然と言うようになったので、少しは世間的に馴染みやすくなったよーーーな気もしないではないけど、しかし、日本人ほど「鬱」を抱えつつ、我慢している人口が多い国はないような気もしないでもない。そういう私が今、一番つらいのは...日本の家にいると、両親という「宮内庁」にいつも見られていることで、レベルは違うけれども、ある種、皇太子妃の気持ちに似たようなものがあったりすることで、トーーーちゃん!私宛の小包の送り主と内容物をひとつひとつチェックするのやめてーな!....というところです。
August 31, 2007
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映画「釣りばか日記」で釣り好き役を演じている三國連太郎は『本当は釣りが嫌い』らしい。人は往々にして、そういうところがあったりするもので、例えば、私は写真をやっているけれども、「写真をやってます」という人に会うのが嫌いであるし、最低なのは『ボクは大学の頃、写真クラブに入っていたんだよ』と言い、私に色々と説明したり、教えようとしたりされる時である。日本のオトコというのは、相手が女だと、なんでも自分のほうがモノシリだと勘違いしている節がある。何と言うか...釈迦にナントカっつーか、あたしゃ、これでも「専門家」でっせ、と言いたいし、そいつが『これがボクの大学の頃に撮影会で撮った写真なんだ』と言ってボードに貼付けられた、何とも言いがたい写真をつきつけられて、さあ、何か言えというような「間」があって、私はその写真を前に腕組みをして、唸るしかないのである。なぜなら、何と評してよいのかわからないくらいヘタクソな写真が目の前にあって、『こんなヘタクソな写真をみると気分が悪くなりますね』とも、さすがに言えず、それはあたかも、全然可愛くない赤ん坊を見せらた時に似たものがあって、「まあ、可愛い!」とはとても言えないほど可愛くないから、どうしても「可愛い」とは言えない性格で、そこで何かどこか褒めるところはないかと、ジロジロみつめ、最終的に、『凄く健康そうな赤ちゃんですね!』で済ませたことが何度かある。趣味で写真を撮っていたり、お母さんが子供の写真を撮っていて「どうしたら、上手に撮れるんでしょうか?」というようなレベルの質問にはどんどん答えるし、アドバイスもしたりする。しかし...あたしゃこれでもプロなのに、あんな写真をあそこまで大きくしてボードに貼ったりしているのを手渡されて、私に言えることはなく、「ああ、ボードに貼付けるっていうのは懐かしいですね」と、全く違う視点の感想を言うしかない場合が過去にあった。そいつは私が生涯たった一度だけ見合いをさせられた時の相手で、世界で一番退屈で口臭のひどい内科医であった。その人生最初で最後の「見合い」から逃げ帰るようにしてニューヨークに戻り、朝の4時半から、その内科医からのFAXで起こされて(まだパソコンを買うちょっと前だったので)これまた退屈な老後の話しやら私の大嫌いなアウトドアライフの話しやらが、ふんどしのようにファクスから長く垂れ下がりうんざりして、ある日、非常に侮辱的な、多分、日本の古いタイプのオトコにはよくあることなのだろうけれども、そういうことを書いてきたので、ビジネスフォーマットで3行半でお断りしたのであった。「ミクダリハン(三行半)とは良く言ったものだなあ」とその時感心したものだった。
August 30, 2007
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まるで、何かの呪文のようなタイトルですが、これは、今、ワイドショーでウルサイくらい取り上げられている朝青龍の本名であります。こういう名前の人と恋に落ちると困りますね。名前をささやこうと思っても、とてもささやけるような音ではないし、なにしろ、名前を覚えるだけでも試験前の暗記のように努力せねばなりません。そして、そのうち、どっちが名前でどっちが名字だったかわけがわらなくなったりして。そうなると、日本流に「省略」と言う方法があって、単純に『ドルダグ』としてしまう方法もあったりする。これではマクドナルドのマックやスターバックスのスタバと同じだ。本人はきっと嫌だろう。私は以前より公言してますように、朝青龍が嫌いです。朝青龍は嫌いですが、琴欧州は好きです。あ、それは今は関係ない。しかし、それほど相撲好きでもない私でも、相撲ほど「非健康的」なスポーツはないだろうと思う。ニューヨークのスポーツチャンネルでも時々の大相撲の番組が放送されているけれども、NHKの「日本の国技」らしい放送の雰囲気とは全く違っていて、解説がどうもプロレスの解説のような雰囲気で、バックにラップやロックが流れていたして、初めて見た時は度肝を抜かれたものだった。まるで違うものに見えた。私は、是が非でも朝青龍をモンゴルに帰国させるべきではなかったと思っている。それに、最初の問題だった、怪我の治療のために巡業を休みながら勝手に帰国してサッカーに興じていた…という根本の問題はどうなってしまったのだ?私は世界でも最高峰のスポーツ選手を何人も知っている。お相撲さんにインタビューしたこともあるし、元横綱の千代ノ富士も知っている。どんな世界でも、その道のトップに上り詰めるためには、努力や生まれ持った才能もさることながら、強靭な精神力が必要なのだ。自分が犯した過ちの謝罪もすることなく、横綱ともあろう者が、その罰則からのショックで精神的に不安定になる…‥なんて、お笑いぐさだと思う。その点でいくと、まだ、六本木ヒルズから拘置所で過ごしたホリエモンのほうが、断然、精神力ではタフであるし、毅然としている。(あっ。別にホリエモンは偉い、という意味ではないし、褒めている訳ではないけど。悪い事は悪い。)ワイドショーが指摘していることを、相撲協会はまったく無視して、その存在の弱さを露見させた結果になった。特に、オヤカタ。ただ、モンゴルに帰りたかっただけなんじゃないの。どうせ、相撲に出られないんなら、モンゴルに帰ってのんびりしようってころだけじゃないか。帰るんなら、潔く引退してから帰れ!ウツの経験がある私が、先生から受けた「ウツ」の説明には、ウツというのは、ほんの数日でなったりするような性質のものではなく、コップに少しずつたまる水のようなもので、時間とともに、少しずつ少しずつ、気付かないか、あるいはなんとなく気付きながら溜まっていき、コップの一番上まで溜まり、表面張力でコップの淵より「ウツ」が盛り上がり、そして、最後の一滴が注がれた瞬間に、崩壊するように「ウツ病」がコップから流れ出す、そんなものなのだ。私たちの国の国技は、いつからそんなに潔くないものになってしまったのだろう。未だに女は決してあがる事の出来ない「土俵」の上で、ガッツポーズをするような横綱。『相撲』は日本の国技である。何人であれ、日本の国技で勝負をするのなら、それなりの日本の礼儀作法を会得し、また、それに従う覚悟がなければ相撲取りになど、ただ強いというだけでなってもらっては困る。それに合わないのなら、さっさとやめて帰ってしまえ!と思う。ああ、一応、帰ってしまったけど・・・・(ええい、もう、戻ってくるな~~~!ドルゴルスレンダグワドルジ!)
August 29, 2007
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原稿のほとんどがパソコンのワープロ機能を使って書く時代になった今でも、何故か、原稿数は未だに『原稿用紙、○○枚』という言い方をする。ああ...あと○○日で原稿用紙200枚はキツイなあ...と思っている、絶不調の管理人です。さて、昨日は日本と中国のトイレの(あくまでも女性用のみ。男性用には未だ入ったことがないので)違いを書いたら、ギンママさんが、インドネシアのトイレ事情を教えてくださいました。確かに、トイレの横に水と桶が置いてあるというのは、どうやって服を濡らさずに洗えば良いのかわからない。シャワーのほうがどちらかというとウォシュレットに近いものがある。でも、遥かに中国の「拭いてゴミ箱に捨てる」というのよりは清潔であるし、臭いも少なそうではないか。デヴィ婦人なら、その正しい「水と桶でトイレで洗う」方法を知っているのだろう。テレビで紹介して欲しい。私はニューヨークに長く住んではいても、自室があったためにニューヨークのホテルというのにはほとんど泊った事がないのだけど、それでも、兄やらゲストが来ると、「一緒に(もちろん別の部屋で)泊ってもらわないと怖い」などと、いい大人が言うので、本当は犬の世話もあって、ホテルと自室を行ったり来たりと面倒なのにわざわざ高い料金払って(といっても私が払う訳ではないのでいいけど)泊ったりしたこともある。だけど、やはり、どんな高級ホテルより、ニューヨークでは自分の部屋が一番居心地がいい、というのが答えだった。で、ニューヨークで見たかどうかは記憶にないけど、ヨーロッパのホテルに泊ると、よく楕円形の便器のようで便器でない、奇妙な形のものを目にすることがある。私は子供の頃からヨーロッパに行っているので、その頃、生まれて初めてそれを見た。そして、それが一体なんであるのかが不思議でならなかった。正解は女性用の『ビデ』なのだけど、何しろ子供ですから、そういうものの必要もなく、ただひたすらに『これは何だろう?洗濯するんだろうか?』と思って、蛇口をひねってみると、水が噴水のように吹き上がる所と、普通に出て来るところといろいろあって、ますます訳がわからなくなっていったのだった。あれから大人になり、かなり知恵もついた…と思うのだけれども、先日、友人からその外国のホテルにある『ビデ』の使い方を聞かれて、正確に答えられなかった。なぜなら、その楕円形の形自体、非常に困惑する。座って使うものなら、便座のようになっているほうが使いやすい。立って使うのならもっと細長いほうが立ちやすい。で、あの奇妙な「楕円形」は一体わたしらにどーせよというのだ。まあ、ないよりはマシかもしれないけど。何しろ、フランスにはトイレ自体がなかった時代が長く、オマルを使って、汚物を窓から道へ捨てていたので、それはそれは、フランスというところは異臭漂う街であったでありましょう。そのために、ハイヒールが発明されたのは有名な話しですが、今流行の「ウェッジソール」では意味をなさない。フランスと言えば、私はパリをこよなく愛しておりますが、フランス人とは何故か余り相性が良くない……というより、気があったことがない。私の友人のスッチーですが、彼女の同僚がフランス人と結婚するため、その披露宴パーティーに出席するために、フランスまで行ったそうな。すると、タカビーなフランス人と相席になって食事になり、そこにいたフランス人の女達がくすくす笑いをしながら、「あ~~ら、ニホン人でも、ナイフとフォークが使えるのねえ~~オ~~ホホホホ」とあからさまに馬鹿にしたという。私はそれを聞いたとき、とっさに、巨人の星の星一徹が機嫌が悪くなるとちゃぶ台をひっくり返していたのを思い出し、「なんでテーブルひっくりかえさなかったのよ~~!」と、人ごとながら頭に来たものだった。便所もなかった国の奴らめが...と。臭さをごまかすために香水がやたらと発達したのだが、臭い匂いは元からたたなければダメ!とコマーシャルでも言っているように、ウンコに香水かけても、匂いはダブルパンチになるだけで消えはしないのだ。ベルサイユ宮殿に行くと厳かに、マリーアントワネットの「オマル」などが飾ってある。「あ~~ら、日本人でもナイフとフォークが使えるのね~~オ~~ホホホホ」と言われたら、『あ~~ら、イタリアのメディチ家からナイフとフォークを教わって良かったわね~~それまで、手づかみでお食べだったんですって?あらあ~~私達、手先が器用なものですから、「お箸」というものをその頃から使っておりましたし便所もありましたし~~~オ~~ホホホホ』日本人よ。欧米に行っても誇り高くあれ!わからないからといって、ただ笑って誤摩化すのはもうやめにしようではないか!と、なぜ、こんな話しになってしまったのか、わからない。
August 28, 2007
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先日、用があって街に出た時のこと。ある地下通りのトイレに立ち寄らねばならず(必要ですから)いつものように入ってみたら、いつもはないような行列が.....そして、強烈な「臭い」が鼻をつくのでびっくりしながらも、順番を待つしかなく、並んでいたら、どうも会話から、その中年以降(つまり...50代くらいかなあ)の団体は、中国からの観光客であるらしいことがわかった。これは「差別」ではなく「文化の違い」の話しである。とにかく、こぎれいな地下街のトイレにはあるまじき「臭さ」に唖然として、単純に、「何故だろう・・・・?」と思った、という話しをその後、友人にしていたのだった。すると、先日、その友人が中国文化をちょっと知っているらしい人と会った時に、私が経験したトイレ臭いぞ騒動の話しをしたら、その人の説明によると、普通、普通って言うのも変だけど、まあ、普通、日本と欧米など、私が行ったことのある国では全て、使ったトイレットペーパーはそのまま便器に捨てて、水で流す。ただ、備え付けのトイレットペーパー以外の紙は流さないように、との注意書きが書いてあるところは良く見る事がある。では、中国ではどうかというと、どうやら、使ったトイレットペーパーは便器に捨てず、そこに置いてあるゴミ箱に入れるようになっているので、習慣として、排尿あるいは排便して拭き取ったトイレットペーパーはそのままの状態でゴミ箱に溜まるのであるとのことだった。そうする理由は、簡単に言えば、便器が詰まるからである。つまり、中国の多くの便器はまだ発展途上にあって、紙を流せるだけのハイテクにはまだ至っていないという。まあ、私がパンダ見たさに『中国にパンダ見に行きたい!』と可愛らしい(台詞だけ)ことを言っていた頃、それを聞いたおネエさんが、「あら、中国ってね。トイレにドアがないのよ。」と、衝撃的な事実を聞いて、ただそれがために、パンダを見るのを諦めたことが昔あった。では、その頃の中国のトイレはどんなだったかというと(きっと今でも田舎に行けばそういうところは多いのかもしれないが)長く溝が掘ってあり、そこに股がって用をたす。それも「個人的」ではなく「団体」でだ。そこで、バランスがとれないと困るので、棒が定間隔にのびていて、それにつかまりながら、前の人のお尻を眺めながら用をたすというので、度肝をぬかれたものだった。今、中国はその発展とは裏腹に、いろいろな事がその「発展」に間に合わず、歯車が狂っているように感じてしまうのは仕方がない。つまり、その地下街のトイレにいた中国人観光客のおバサン達は、ただいつも通りに、用をすませたら、使ったトイレットペーパーを、本当は生理用品などを捨てる小さなゴミ箱の中にどんどん捨てていたので悪臭が漂っていたのであったのだろう...というのが、その中国にちょっと詳しい人の解説だった。逆に、日本人が中国に行って、場所にも寄るとは思うけど、いつも通りにトイレットペーパーを便器に捨てて流してしまって、トイレが詰まって大変迷惑をかけたりしていることもあるということなので、これは、もう、文化の違いと、価値観の違いとしか言いようがない。しかし、中国の旅行代理店の人も日本向けの旅行の手引きとして、『トイレットペーパーは便器に捨てて流しましょう。日本のトイレは詰まりませんから。ただし、トイレットペーパーのみです』と案内すべきではなかろうか。私は自称「トイレ評論家」なのだけど、今までいろいろなトイレを見て来たけれども、モナコのカフェ・ド・パリの地下にある(あそこはトイレが地下にあって、非常に清潔である)の便器を初めて見た時は感心したものだった。なんと。便座が四角なのだ。しかし、トイレに関しては、日本が先進国であることは間違いない。そう言えば「間違いない!」と言っていた漫談の男の人は『世界に通用するために』ニューヨークに語学留学を1年するということで、もう行ってしまったのかどうかはしらんが、私は単に1年くらいの「語学学校留学」で「世界に通じる」ほどの英語が習得できるとはとても思えないし、まず、アメリカの「笑い」の質というのは日本とは全く違っていて、日本のようなナンセンスギャグはまったく通用しない。通用しないので、私は日本のお笑いを見ていて、ニヤリとすることはたまにあっても、笑えない。あ。また、話しが逸れてしまった。
August 27, 2007
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前回、ピザの話しを書いたら、読んだ方から数名、「今夜はピザにしました」というメールを貰った。どんなものでも、気心しれた友達と一緒に食べるものは、ひとりで食べるよりもずっと、ずっと美味しい。長年、海外で一人暮らしをして、一人で犬に見つめられながら食事することが多かったからか、つくづくそう思う。さて、私はよく「沢山、本を読んでいらっしゃるんでしょうね?」と言われることがあるけれども、実は余り読んでいない。読んでいないので『学校で読まなければならなかった本以外に自分で好んで読む本は少ないですよ』と答えると、大抵の人はびっくりしたような顔の裏に呆れ顔が見え隠れしていたりする。実際に、必要性があって(学校の課題のためや宿題のためや調べもののため)読んだ本は別にして(その数は天文学的数字ではあるけれども)、自ら好んで読んだ本の数よりも、多分、自分で書いた文章の方が多いと思う。それくらい、子供のころから書くことは、絵を描くことや楽器を演奏したり歌ったりすることと同じくらい自然だった。私は何かしら、毎日写真を撮るのと同じように、何かしらものを書いている。それは、丁度ピアノの「ブルグミウラー」という単調な練習のようなもので(ピアノを習ったことのある方なら、必ずやっているはずです)ピアノをやっていた頃は、毎日練習しなければ、また、バンドをやっていた頃も、毎日練習しなければ感覚は鈍くなり、下手になる。それはスポーツも芸術も文学も仕事も家事も子育ても、全てに共通することだと思う。実は私はプロであるにも関わらず(あるいはプロだからか)写真集も写真展も余り見る事がない。これには訳があって、はっきりと傲慢な言い方をすると『駄作を見ると感性が鈍る』...という持論からきていて、私が自腹を切って買って持っている写真集は(日本のものはそのクオリティーの低さから買う事はまずない)アンリ・カルティエ・ブレッソン・・・くらいかなあ。後はひたすら「貰う」。それでもかなりの写真集がある。アンリ・カルティエ・ブレッソンは、私には絶対に届かない感性とフォトジャーナリズムに徹していながら、その芸術性も優れていて、見ていると「やる気」が起こって来る。ブレッソンが実際に撮影している時のフィルムを見た事があるけれども、その早業は素晴らしかった。私が「嫁に行こう」と勝手に決めていた映画監督のスティーブン・スピルバーグも早撮りで有名で、そのために、あれだけヴァラエティーに富んだ作品を次から次に休みなく未だ撮りまくっている。その点、フランシス・フォード・コッポラは監督として「ゴッドファーザー」で燃え尽きてしまたような感がどうしても否定できない。けれども、『ゴッドファーザー』は3部作になっていながら、中だるみもなく、全てが素晴らしく、映画の教科書的な作品であることは、映画好きの方にっとては周知のことであろう。『いろいろな作品を見る事もひとつの勉強で...云々』というのは、まだ余りよくわかってない方のいい分であって、私個人としては、駄作を目にする度に(それが近代美術館であろうと)気分が悪くなるのだ。本はちょっとそういうスタンスとは違っている。世の中には読書家と、ほどんど本は読まないとう両極端な方達が大勢いらっしゃいます。私は本を読む人達は偉いなあ...と思う。なぜなら、私はよほど読む気がする本以外は読もうとしないし、もっと悪口を書けば、「時間の無駄」とさえ思えるものも多いような気が、ある時からし始めたのだ。本を読む事は良い事です。少なくとも、最近の人達にはもっと「本を読むこと」が必要だと思う。それも、キチンとした文学を読む必要があると思う。自らこうして「ブログ」を書いていて言うのもなんだけど、読むのは新聞のテレビ欄とネットとブログ...というのはどーも、そういうことをやっているから、難しい漢字が解読不可能だったり、表現の幅が極端に狭くなり、そうして、使える日本語の単語数が減少し、妙な流行語だけで生活するような、妙な日本人が出来上がってしまうのだ。しかし、余りにも「本」を読み過ぎて、頭デッカチになってしまう人も中にはいて、「本」から得た「知識」と、経験から得た「感覚」の違いがわからなくなってしまう人も割りといたりする。本ばかり読んで、「知識」「情報」は有り余るほど持っていても、実践がなく、自分が本当に体験するまで、本当の事は、実は、わからなかったりすることのほうが多い。『経験』というのは、本にも勝る。経験から得た知恵や感情や感想は本では得られない。「本」は疑似体験に過ぎない。(お笑い系、百科事典は別として)私の友達に、何でも本で読んだ事を元に話しをする人がいたけれども、何もわかってないな...と思いながら話しを聞いていたものだった。そして、ある日、その人が大変な経験をして、初めて、私が言っていた意味が分かった………と泣いていた。私が「本の虫」ではないのは、それほど威張れたものではないけれども、これは是非読みたいと思った本を読んだ時は、また、それなりにいろいろなことを得ることができる。しかし...最近、本屋に行くとロクな本しか売ってないというか....そんなの読むくらいなら、しっかりしたマンガ読んだほうが余程マシ...と思うのも事実であった。F1の世界に近い私は時々思う。どんなにセナから、また、シューマッハから「フォーミュラワンのコクピットに座って加速して300キロに達した世界」の話しを何度聞いても、決して、それだけは、経験できない世界だな...と。私は時々思う。あの晴れた最初の5月の日曜に。タンブレロターンを逸れた瞬間の、あの、『0.9秒』(実際の時間である)の間にアイルトンは何を見て、何を思ったのだろうかと。
August 26, 2007
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まだ、一応、病人なので、自宅静養中なのですが、昨日は遠くから、古い友人がやってきてくれて、お昼前に待ち合わせをして、夜までたっぷり、すごく楽しくリラックスした時間を過ごしたのでした。何しろ「一応病人」ですから、両親もランチを食べに行くというので、待ち会わせのスタバまで車で送ってもらったので、ラクチン。私は根っからのネット人間ではなく、本当に好きなのは、友達と直接会って、顔を見ながらおしゃべりしたり、食事をしたり、ウィンドーショッピングしながら歩くことなのです。ずっと着ていた(着替えはしていたが)ユニクロを脱いで、いつもよりちょっと時間をかけて、先日買った「ボビーブラウン」の限定アイシャドーパレットを使ってメイクをしてましたら、「こりゃ、やっぱりなかなかいいなあ~」と思いつつ、つい、塗りすぎて逆レッサーパンダっぽくなってしまい、慌てて化粧を落としたりした。体力がないので、わりと何度も行っている「何時間いても、目立たない」レストランでランチを食べ、3時間ほどそこで食べたり話しをしておりました。それから、ちょっと歩いて、普段、基礎メイク類は免税店で買うのが殆どだけど、長年愛用のランコムのアイメイクアップリムーバーが減ってきて、ランコムのマスカラというのが、これまた「マスカラはランコム」というくらい優秀で、特にウォータープルーフのマスカラしか使わない私には、アイメイクアップリムーバーが減ってくると段々不安になってくきていて(本来、毎年今頃はニューヨークにいるのだけど、今年は仕事で免税店をまだ通っていない...)何か買おう、でも、海外もので高いのはちょいとムカつく、と思い、結局、色が面白かったのでMACのカウンターで見ていたら、相当アイメイクをした店員さんが「これは凄く落ちますよ~~」と、誇らしげに言う。「私、こんなにアイメイクしてますけど、ウォータープルーフのマスカラもコットン1枚できっれ~~~に落ちちゃうんですよ~~~♪」と言うので、横にいた友人がぼそりと独り言のように、じゃあ、ぜひここで落として見せてください、と言うので、『あの~友人が、「じゃあ、ぜひ、ここで落として見せて欲しい」って言ってますけど?』と言うと大笑いしていた。そして、友人は恥ずかしがっていた。そして、そのノリが割と良かった店員さんだったので、そこのを買うことにした。すると、たった2600円(+消費税)の化粧品1点買っただけなのに、日本のお店の変わった礼儀作法というか、その小さな袋をすぐには渡してくれず、わざわざ、まるでダイヤの指輪でも買ったかかのように、お店の出口まで運び、出口でやっと渡してくれ、そして最敬礼するのには、ほとほとやりきれない気分になった。ブティックもそうだけど、なぜ、商品をそのままレジで渡してくれないのだろう?どうして、出口まで「お見送り」せねばならないのだろう?あれは、どう見ても滑稽であるし、他にできるサービスはあるだろうに、と思う。特に私などは気分散漫なので、一度買っておきながら、受け取った後、出口に向かって歩いている間にほかにも欲しいものを見つけて、追加して買ったりすることが多いので(NYで)日本では、まるで追い出すかのように、出口まで見送られたら最後、二度と、その日はその店に入れないような気分になってしまうのであった。さて、あまり歩き回れなかったので、アフタヌーンティーでお茶した後、夕飯に、以前、何度も例の『サカイさん』に連れて行ってもらった、めちゃくちゃ美味しいピザを友人にも食べさせたくて、ピザ屋へ行った。そこのピザは釜からすべてイタリアから運んでいて、全てにこだわりがあって、私はローマで以前、この世で一番旨いピザ(私評)というのを食べた思い出があって、それを超えるピザには未だ出会ってないのだけど、そのローマのピザの次に『旨い!』と思ったのがそこのビザなのであった。ラッキーなことに二人用のテーブルが1つだけ空いていたので入ることができた。そして、注文を取りに来た女性に「このピザで、チーズ大盛りで」と言うと、実はその店のチーズもすべてイタリアの特別なルートを通して入手しているもので大変貴重なのでメニューにも「チーズの追加」などという項目はなく、なにげなく、いつもサカイさんが言っていたのと同じように言ったら、お店の人は一瞬困惑したような表情で「チーズ、“大盛り?” ですか?...あの・・・・そういうのは...」と困っている。そこで、『あ、いつも友人がそう言って注文していたので、同じように言ったんですけど?』と言うとお店の人は、「どなたのお知り合いで・・・?」問われたので、思わず「サカイさん!」と言いそうになりながら、とっさに頭の中で「ああ、本当の名前は何だったっけ?」と思いつつ思い出せたので、『○○さんなんですけど...』と言ったとたん、お店の人の表情がパッと明るくなり「ああ、○○さんのお知りあいで、ええ、大盛りですね。はい。かしこまりました!」と行ってしまった。友人と、「ああ、焦った。あんまり日頃サカイさんって呼んでるもんだから、本名がわからないところだったよ~~」とほっとしていると、友人は『でも、名前言っただけで、あれだけ態度が変わるって、サカイさん、タダモノじゃないって、それだけでわかるね』と感心しつつ、運ばれたピザを口にするなり、余りの旨さに感動しまくって、顔つきまで変わり、『もしかしたら、今まで生きて来て食べた物の中で一番美味しいかもしれない!』と興奮していた。私はなんとなく、友人が嬉しそうに食べているのを見ているのが嬉しかった。そして、サカイさん珍騒動の全てを知るその友人は食べ終わった後、『このピザだけは、サカイさんに感謝!』と言って笑っていた。何故かと言うと、本場イタリアで私が食べた、一番美味しかったピザのチーズの量が、そこの(本当は実在しないはずの)「チーズ大盛り」くらいが普通で、それより少なかったら、味はちょっと落ちたかもしれないからだった。しかし・・・・レジで会計をしていると、お店の人が「本当にいつもありがとうございます」と言い、どうやらサカイさんと来ていた時のことを思い出したようで、他の店員さんまで出口まで出て来て、最敬礼している....今日はよく最敬礼される日だなあ...ああ、きっと、今度サカイさんがピザを食べに行ったら、『あら、この間、お友達の背の高い(私は靴をはくとサカイさんより若干背が高いので)女性がお友達と一緒にいらっしゃいましたよ~~~』って、言われるんだろうなあ....そうすると、チーズ大盛りのためにサカイさんの名前を使ってしまったことがバレるんだろうなあ...とおもいつつ、帰宅したのであった。『チーズ大盛り!』(サカイさん)きっとあれって、本当は「ダブルチーズ」とか別の言い方があるんだろうなあ....。
August 24, 2007
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家庭待機、いや、家庭療養中であるわたくしですが、ひじょーーーーーーーに、ヒマで、かといって、何かする体力も気力も余りなく、やたらと喧嘩っ早くなっているような気が...。さて、今日も早寝早起きして部屋におりましたらば、両親が丁度留守の間、『ピンポ~~~ン♪×2回』と、インターホーンが鳴る。出てみると、「○○乳業です~~。今、宣伝でサンプルをお配りしております~~」と言うではないか。普通のセールスなら断るところだけど、「何かもらえる...」となると、では、玄関まで出ていって何か貰ってみよう、と思い、いつものユニクロの部屋着(それも秋冬用である)にスッピンにざんばら髪をポニーテールにして出る...という、恋人などには絶対に見せられないような姿のまま「牛乳屋と恋に落ちる心配もないし...」などと思いつつ、玄関をあけると、うっ。いかにもうさん臭そうなオヤジがアイスバックをもって立っている。『あ、奥様でいらっしゃいますか~~?』まあね。女学生ってトシでもないし、平日の昼間っからユニクロ着てスッピンでいると「奥様」しかいねーだろうーなあ...と思いつつ、「あ、いえ、”奥様”ではないですが...」と一応訂正すると、『あ、お嬢様でしたか。』と訂正されたのはいいが、なんとなく、自分でも「おじょーさま」ってガラではないの自覚があるので、「あ...いや、別にお嬢様って訳でもないんですけど...両親は今留守なので」(だいたい、こんな格好した「お嬢様」なんているかって)と言うと、今にも渡そうとしていた飲み物の瓶を渡すのを止めようとするではないか。(なに?おじょーさまだったら、くれないわけ?)『じゃあ、お嬢様ではお分かりになりませんね』と言うので、ムカッときて(喧嘩したいムードだったので)「決定権は私にありますが?」ととどめをさすと、急に戻し始めた牛乳のふたを開け始めた。だいたい、そういうものって、目の前で開けるもんじゃねーだろ?「どうぞ、お飲みになってください。また、お邪魔しますから」と言ってさっさと行ってしまうのがスマートなセールスなのだ。『これは、日本で一番売れている牛乳なんですよ~~~』(おい、誰がそう決めたのだ。私は聞いた事ないぞ)といいつつ、ふたをあけるが、私は豆乳しか飲まないので、たまに無理矢理牛乳を飲むと即、ゲリラの襲来になってしまうのだ。実は、ウチの親戚は某乳業会社をやっているので、本当は牛乳もアイスクリームも親戚のやつがあったりするのだ。ライバル会社が私の目の前にいるわけだ。そして、『さあ、お飲みになってください!お嬢様!』・・・あのさあ、その「お嬢様」ってイヤミ?フリフリのドレス着て、巻き髪で目に星でもなければ正式な「お嬢様」じゃねえの?ユニクロじゃ、ダメ?その時、運良く、両親の車が戻って来た。病人風の貧乏ったらしい「おじょーさま」ならなんとでも騙せるだろうが、オヤジが車から降りて来て、『何ごとか?』と言ったとたんに、牛乳屋の態度が変わった。後は知らん。「なんか世界で一番売れてる牛乳なんだってさーーーー」と言ったまま部屋に戻った。母は怪訝そうに、「開けた牛乳なんて、何が入ってるかわかったもんじゃないわ」と言っている。そうして、午後になって、横になっていたら、また両親がでかけていて(ウチの両親はじっとしていない)セールスの電話がかかってきた。『○○と申しますが、奥様で?』・・・・平日の昼間に家にいるのは「奥様」しかいないとでも思っているのかあ!...と思いつつ、「いえ、違います。」と言うと、やはりまたもや『あ、ではお嬢様でいらっしゃるんですね』また来たか...と思いつつ、一応、はい、と答え、ついでに突然、子供の声風に「お母さんもお父さんもいないので、わたしにはわかりません。さようなら」と言って電話を切った。これはどちらかというと、「お嬢ちゃん」かも。あ、そうだ。今度から、セールスの電話をとったら、『キリンさんも好きだけど、象さんが一番好きです!さようなら!』ということにしよう。
August 21, 2007
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このところの自分は、まるで、的を見失った矢のようだと思う。私の性質として、的をめがけてさえいれば、まっすぐに、どんな困難も乗り越えて突き刺さって行く強さがあったはずなのに。タイトルは、近々、本丸でもなく、全く別のブログで連載方式で、書こうかと思っている連載もののことで、お笑いを期待されている方には残念ですが、お笑いではありません。いつ始まるか、まだわかりません。あ、もう書いてたりして。あ、タイトルが違っていたりして。
August 20, 2007
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昨夜はあまり調子が良くなくて、バレーボールの試合の後にある、最近、私がハマって見ている日曜劇場の(例の舘ひろしが女子高生風の演技をするやつです)ドラマの最終回だったので、ぜひ見なくては...と思いつつ、平成教育委員会春のスペシャルをみるだけで精一杯で、その後、バレーボールが延長になるかどうかもわからなかったので、とにかく、1時間半分、録画予約を入れて、そのまま寝てしまった。余談ではありますが、私個人の好みでいいますと、私はバレーボールなどの応援の『ニッポン!チャチャチャ!』というのが大嫌いで、ああいうノリがまず肌に合わない。かといって、日本を応援してないわけではなく、オリンピックでもなんでも日本を絶対的に(F1は除く)応援します。ついでに言うと、よく誰かが引退する時や試合後に、『感動をありがとう!』と言う垂れ幕があったりしますが、もう、我慢できないくらいアホか…と思い、まったく気が合いません。なーにが「感動をありがとう」か....って。(これでもかなり控えめに書いている)ええ。わたくし、変わり者ですから。おまけに団体行動が大嫌いですし。(だから子供の頃から遠足が苦痛だった....)私がどんな風に今に至ったか?最初にテレビに出たのが幼稚園の頃でNHKでした。親のほうが喜んでいたようです。小学生の頃にはすでに詩集に作品が載って、作品依頼が来たりしてました。13才でロックバンドを作り、某プロダクションから目をつけられたりしましたが、ちょっと時代を先走りしていたようで(あちらは可愛いアイドルをお探しで、私らは根っからのブリティッシュロックをやっていたので)ヒラヒラした服着てアホみたいな歌、歌えるか!と、サヨナラでした。16才の頃には某新聞社のヨーロッパエッセーを執筆していました。(子供の頃、ヨーロッパにいくことが多くありましたので)大学は、一応プロフィールでは「コロンビア大学」「パーソンズNY&パリ」「芸術学士号」とだけ書いているけど、実際はジャーナリズムの大学院の修士号の肩書きがあります。ですが、勉強が大嫌いで、最近、秋吉久美子さんが早大の大学院に合格したというニュースを知って、『ああ、もう勉強はいやだ...もうあの頃には戻りたくない...よくやるなあ』とひとしきり感心したものです。とにかく、小学生の頃から勉強が嫌いでした。ただ、好きな分野になると「勉強」ではなく「楽しみ」になるからか、めちゃくちゃ研究したり学んだりします。詩人、金子光晴の詩集の最初のページにこうある。『インク壷からの抗議』最高に素晴らしい。日本人として日本に生まれながら、正しい日本語もろくにつかえないことを恥だと思わず、それを指摘する者をなんでもかんでも『ウザイ』というバカの一つ覚えで遠ざけようとするところに、アホさというか、弱さが見える。最近取引した某オクの連絡に、またもや「商品のホウ、ゆうパックのホウで発送のホウ、完了しました。届きましたら、評価のホウ、よろしくお願いします。」・・・なんだ、その「ほう」ってのは?なくてもちゃんとした日本語として通じるぞ。『あげる君』『おまたせ君』『ほう子ちゃん』そして、「から子さん」(1000円からお預かりしますという間違った日本語を丁寧と感じているコンビニの店員さん)多分、『丁寧そう』に思えて使っていのだろう。だけど、それは全部、間違いです。『お箸のほう、お入れしますか?』(正しくは「お箸をお入れしましょうか?)私は中途半端に帰って来た浦島太郎なので、できることなら、もっと先になって、そんなことも気にならいくらいボケてから帰ってきたかった。おしまい。多分、こんな事書くから、誰も書きたがらないんだろう....。まあいい。あ、タイトルの卒論1文字5円というのは、最近問題になっているインターネット上で、代理卒論を請け負う人達が提示している額で、卒論というのは、そりゃあもう、かなりのページ数ですから、そうとうな額になりますなあ。しかし、何のために大学へ行くのだ!卒論も自分で書けないような、他人にお金払って書いてもらった卒論で卒業する時点で、幼稚園児に戻りたまえ。4年間、高い学費払って、何を学んだのだ?と、言いたい。
August 19, 2007
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あまり良いできではありませんが、これは、昨日、部屋で暇だったので、久しぶりに自分でやった『フランチネイル』であります。病人にしてはできが良いかと....。私と爪には変な心理作用がありまして、まず、濃い色を塗ると活力がなくなります。しかし、何もしてないとスッピンで町中歩いているのと同じくらいだらしない気分になります。かといって、最近流行の非常にド派手な「ネイルアート」というものには全く関心がなく、どちらかと言うと、やってらっしゃる方には悪いけど、つけ爪して(あるいは自分の爪を伸ばして)それにキラキラいろいろやって、花が咲いていたり、星が飛んでいたり、もっと凄いのになると、爪がピアスをしていたり、爪の先にぶ~らぶら何かぶら下がっていたりするではないですか。私は、自分の好みだけで申しますと、あれはダメですね。あくまでも個人的趣味からです。爪のお手入れを奇麗にして、すっきりしている人の爪は好きです。ド派手なネイルアートですが、まず、実用的ではない。実生活をする上では余りにも不便そうに見えて仕方ない。(実際そうでもないのかなあ?)ニューヨークの例ばかりで悪いけど、例えば、ニューヨークでそういうネイルアートである程度以上のこと(華美なネイル)をしている女性に、キャリアウーマンはいません。(私はキャリアウーマンではありませんが)女優さんやモデルさん達は気軽にしていらっしゃると思います。職業柄というのもあるのかもしれません。ニューヨークで、どういうところでそういうネイルをしている女性を見かけるか?と言うと、全部が全部ではないけれども、大抵、ドラッグストアーのレジとか、マーケットのレジのおねーちゃん達に多いです。別にそういう職業がいけない、という訳では決してありません。しっかりレジ打ってくれればそれでいいのですが、ただ、かったるく、値段がわからない時に、ヒステリー起こすのはやめてほしかったりはする。何しろ「ネイルサロン」がスタバとどっこいくらいの数がニューヨークにはありますから、私もニューヨークにいるときは自分で爪はやりません。「爪」というのは西洋では女性の「化粧」以上に重視されているらしく、皆、非常に奇麗に手入れしています。(例外もいますが)といっても、単純に「奇麗に手入れしてマニキュアを塗っている」のがほとんどで、魔女のように長くして、その爪に星が飛んでいたり、キラキラしていたり、ピアスがついていたりする人は一般的にはほとんど見かけません。何故か?まず、何も出来ない不便さがあるのと....(そういう爪で作ってもらった食事を食べたいとは余り思わないし...まあ、西洋人はお米を研がなくていいから、邪魔にはならないのかもしれないと思ってみたり。)アタマの程度が『アホ』だと思われやすいからです。ああ、言っちゃった~~~~。いや、まあ、若いうちはいいけど、大学に入ったりすると、そんな爪では勉強できませんから。はっきり言って、そういう爪やってて卒業できるような大学ってほとんどないですから。まあ...せいぜい中学,,,か、高校生程度でお遊びでやってるのかもしれないけど、その辺は余りわからない。そんなわたくしですが、なぜか、フレンチネイルだけは好きなので、ニューヨークでは2~3度ドル高いけどやってもらい、その筆さばきに関心しっぱなしです。まず、キーボードを早く確実に(誤字脱字誤変換は多いが...)打つにはある程度の長さが限界で、これは学生の頃からそう思っていて、そのギリギリまでしかのばしませんので、フレンチネイルはそれでもなんとかいい感じでナチュラルな色なので気分も悪くならないので、好きです。子供の頃からずっとピアノをやっていたので爪を伸ばす機会がなかった。その延長で、今度はロックバンドを作ってギタリストをやっていたので、爪を伸ばせなかった。やっと伸ばせる...と思ったのが大学卒業後だったけど、今度は胃を切り取ったせいで爪が極端に弱くなって、長くはできなくなってしまった...という、まあ、つまりわたくしには縁のない世界なのでありましょう。しかし、フランスでは「フレンチフライ」はフレンチフライとは言わないのです。なんと言うかというと「芋フライ」と言います。すると、このフレンチネイルも....なんだか怪しいなあ。いや、まあ、それぞれ、自分の好みなので、好きにすればいい訳で、他人に迷惑かけてる訳じゃないのでいいけど、洋服よりも派手な長い爪を見つめながら、「あ~~いやだ~~~爪が割れちゃう~~~、もう、だからヤなのよっ!」などという台詞を聞くと悪いが、アホかと思ってしまうのは自然反応なので仕方がない。しかし、あの爪で引っ掻かれたら負傷するだろうなあ....。一時、アメリカにはアメリカンコーヒーはない!と言われていおりましたが、あります。ああ、それにしても、最近、余りに早く寝るので、早く目が覚めて、することなくて(体力がまだない)暇でしょうがない。
August 18, 2007
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昨日はさすがに、日記を書く力がなかったです。返信にも書いたけど、こういう機械的な文字というのは、かなり具合が悪くても、元気そうな文字になってしまって、状況が把握できないのが現状でして、これが、手書きの手紙だったりすると、文字がヘナヘナになって『ああ...かなり具合悪そう...』って思ってもらえるだけアナログの利点がある訳です。昨日はほとんど横になりつつ、しかし暇でもあったので、友達と電話で話し続けておりました。そして、途中で『うっ。スマン。腹が痛くなってきた,,,またかける』と言ってはよろけながらトイレへ急ぎ、戻ってきて電話をかけ直していたら、またお腹が切腹のように(切腹したことないけど)痛くて、そんなことをくりかえした一日であった。私は、ここのサイトでは、単におもしろおかしく物事を語ったりしているので、ストレスとは縁のない人生と思われているのカモしれないけど、ストレス性悪性胃潰瘍で胃のほとんどを切り取らねばならないほど、すべてが消化器系に影響する性質を持っていて、そのせいで、円形脱毛症になったりすることは免れているわけですが。おまけに、急性膵炎で急遽入院の過去の実績もあり、いつ、また急性膵炎になるかわからない爆弾を抱えていたりします。胃を切除すると、どうしても胆石が出来やすくなり、砂のような胆石がたまたま膵管に詰まったりすると、膵臓が急激に炎症をおこし、その死亡率30%だとか。つまり、10人に3人は死ぬ訳です。しかし、膵臓の痛みというのは、胃潰瘍の比ではないくらい、意識がなくなりそうなのになくならないような強烈な痛みで、10人のうちの3人になったほうがマシ~~~!と思うほど、痛い。あ、先日の救急車は急性膵炎ではありません。あれだったら1週間は解放されません。ここ数日、7年間、まともに会話をしようとしなかった兄が、突然、私を捕まえて話しをしようとしていて、夜な夜なシャワーを浴びたり、トイレに行ったりすることが困難な状態になっていて、トイレに行く時など、そ~~~~っと音を立てずにドアを開け、まるで父がトイレに行っているようなリズムでカモフラージュして、さっと部屋に戻り、部屋の電気を消す...という生活でございまして、何が嫌かと言うと、兄が「いい話しを聞いてきたから、後で聞かせる」と言うような「話し」にはろくなものがなくて、ただでも元気がないのに、急激にウツ状態に陥りそうなくらいな「話し」がほとんどだということを、過去の経験から知っているのでとにかく捕まるとおとなしく聞かねばならないので、捕まらないように逃げ回っているわけです。とにかく、兄妹なのに、その性質は極端に違うのです。まず、兄には「冗談」というものが通じない。そのくせ、私にはとても笑えない程度のお笑いで笑っていたりするので、まったく話しが合わないのでございます。病院の救急から帰って来た後、トイレを出たところで靴磨きをしている兄と遭遇してしまい、いきなり、『おっ。元気になったか!』.....あのねえ。昨日救急車で運ばれた人間が翌日に元気になってる訳ないざんしょ?返事をする気力もなく、首を横にふり、部屋に逃げ戻る。捕まると大変だ。そこで、一番兄に捕まる可能性があるのが、夜のトイレの時であるから、夜、トイレに行くときは必ず、お腹を押さえて『ゲリラでございます...』という格好をしてトイレに急ぐのです。そして、またお腹を押さえて部屋へ戻る。そうすると、そ~~~っとしておいてくれる....。ああ・・・何も会話がなかった頃のほうがずっと楽だった....。写真は最近買ったオリーブグリーンのエスパドリーユでございます。
August 17, 2007
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やっと、パソコンの前に座れるようになりました。昨日、具合が非常に悪くなり、いや、その前からかなり悪いカナァ~~~と思いつつ、過ごしていたのですが、昨日とうとう爆発物がちょっと爆発したような具合の悪さで...って、いったいどういう表現なんだか...ま、とにかくですね、意識がどうにかなってしまうくらい具合が悪かったので、親が救急車を呼ぼうと言っているのは聞こえたら、そこに7年ぶりに話しをするようになった兄が帰ってきて、兄が救急車を呼ぶのに電話をかけようとするのですが、それが『えーっと、救急車って119だったっけ?』などと問うておるではないか。確かに私はアメリカが長いので、時々、救急が119だったか911だったか(アメリカは911、つまり連続テロと同じ数字である)混乱することがときたまあるけど、兄は根っから日本にいるのになじぇ?そして、119番に電話する兄の声が聞こえてきた。まるで「蕎麦3人前お願いします。」というようなトーンであった。そして、「近所になったらサイレンを消して来てくださいますか?」などと注文まで言っている。確かに、サイレンが近所に停まると『何ごとか?誰か死んだか?』という騒ぎになるので、住宅街では必要事項かもしれない。おまけに、患者の性別や年齢や状態を聞かれているらしく、その『年齢』のところで兄はいったい、私を何才だと思っているのだろうか?とちょっと興味深く聞いていたら・・・3才若く答えていた・・・多分、自ら日頃から3才サバよんでいるから、そこから妹との年齢差を理数系でやたらと数学達者な兄は即、計算したのであろうが、救急車がくれば全部バレるっちゅーに。私は自力では動けなかったので、救急隊員のおっさん(声で判断)が二人で抱えて玄関前のストレチャーまで抱えていかれ、その時、「ああ、Jクルーのパッチワークのパジャマパンツにニューヨーク土産屋のTシャツ姿とは恥ずかしいなあ・・・」と思いつつも、まあ、色彩的にはいい感じだからいいだろう、病人だし、と思って諦めた。救急車にはアメリカ、日本とこれでかなりの回数乗っているけど、昨日はヘタすると、ロバートデニーロとビリークリスタルのコメディ映画っぽくなるところであった。救急隊員は私に意識があるかどうか名前を呼ぶけれども、私は答える気力がなく、まあ、どうでもよかろう、生きていることには変わりないし、心臓の音もピーピー鳴ってることだし、と思っていたら、なんと。なんとなんとなんと。私の腕をつねるではないか!『痛って~~~!!!!!』そこで腹が立って、ただでも具合の悪い病人に向かってすることか!と思い(生きているのは確かなのだし、血圧も常時はかっているのだし)こうなったら、意地でも反応するものかっ!と無視し続けたら、今度は、手の指先を人差し指から順に、メチャクチャ押さえるではないかっ!『痛って~~~!!!何すんのよっ!』と、ひっぱたいてやりたかったが、病人だったのでそれは不可能だった。そこで、脳裏に浮かんだのがロバートデニーロとビリークリスタルの映画「Analyze That」(邦題わからず)のシーンだった。無反応を演じているデニーロに医者(ビリークリスタル)が最後には注射器を太ももに突き刺す、というシーンで、ああ、このまま返事をしなかったら、最後には注射器が・・・と思ったので、出来る限りの力を振り絞って、『痛い。なにすんのよ』と言いたいところを、素直に、『はい』と答えたら、虐待は(?)終わった。今でも押さえられた指やら胸やらが痛い。救急についたら点滴と採血が行われ、先生がやって来たので、目をあけると、トレンディードラマに出てくるような若造の顔が目の前にあった。実は、医学については、私はいろいろな理由でかなり詳しい。多分、お盆休みに救急にいる若医者と言えば...レジデンスに違いない。レジデンスくらいの知識はある。それを、まるで幼稚園児に話しかけるように話すのがアホらしく、こちらも点滴でちょっと元気が出て来たせいか、話す事はできるようになって、『どーせ、ポケットに「ワシントンマニュアル」を入れて、廊下でアンチョコ見るようにしてその本見てから、患者に会いに行くような程度なんじゃないですか?』と言ったらびっくりしていた。なぜなら、日本の医者(特に若い)が教科書代わりにいつもポケットに「ワシントンマニュアル」を入れている、と言う事自体、知る人はほとんどいないからで、若医者は思わず、『はい。これですか?』とポケットからワシントンマニュアルが出て来た・・・ああ、なんか本気でがっかり....。容態が落ち着いたので帰宅を許され、今に至る。それから、昨日、病院のベッドで点滴が落ちるのを自分で調節しつつ考えた。ここ数日、メッセージやメールや色々なほうほうで、掲示板だけでも書き込みができるようにして欲しいという内容を受け取って、中には本当に真面目にメールを書いてくださった方もいた。自分が書いてないのに、言うのは間違っているかもしれないけど、やり取りを読むだけでも楽しいもので、一日の楽しみのなのだということ。だけど、残念なことに、掲示板と日記のコメントは連結していて、どちらも一緒に書き込み禁止状態にしかできない。一応、楽天にもその点について、提案は出しておいたけれども、別々に設定できるようになるには、まだまだかかるだろう。ならば、私の考えは以前述べたのと何の変わりもないし、余計なコメントは書かないし、余計なコメントは勝手に消すし、それでもあったほうが良いというのならば・・・とポトン、ポトンと落ちる点滴を見ながら、設定を元に戻すことにした。だけど、それだけで、何かが変わる訳じゃない事もわかる。嫌な書き込みは徹底的に消すつもりになったことだけは、以前とちょっと違うかもしれないけど。今日はこれが限度です。横にならねば。
August 15, 2007
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うたた寝をしていたら、核の夢を見た。いろいろ夢を見る人はいるとは思うけど、『核』の夢を見るのは珍しいのではないかな。このところ、連日、パキスタン情勢についてダイレクトにメールが届いて、ムシャラフ政権崩壊した時の場合のアメリカの計画も少しずつ明らかになっていて、もし、ムシャラフ大統領が今度の大統領選で失脚した場合、またしても、情勢は大きく変わりつつある事だけは、確かかもしれない。というところで、先日、アメリカの大学を二つ(単位取得も含めればそれ以上だけど)行った私の英語を、某サイトで『書いてる英語読んだけど~、中学英語だったよ~』というようなことが書いてあって、私はどちらかというと、他の事よりもそのことが一番腹が立ったような気がする。洋服がどーのこーのと感想を述べるのに、ニューヨークタイムズ紙のような洗練された文章が必要か?というのだ。蒸し返すようですまんが、なぜなら、『中学英語』がどれほど重要な物か、わかっていないどころが、自分自身がそれ以上の英語能力を持ち合わせていないから「自分が読めたから中学英語」と言う風にもとれたところにあった。私は子供のころからある程度の英語を話していた。幼稚園前後の一番の仲良しは日本語がまったくしゃべれないアメリカ人の女の子だった。今の教育はどのようになっているのかわからないけれども、私が中学だった頃を思い出すと、中学英語を完璧に取得できれば、ほとんど、専門的なこと以外では困らない程度のきちんとした英語が読み書きできて当たり前なのだ。殆どの基礎は中学英語に含まれている。後は難しい単語がやたらと増えていくだけで、中学英語の文法をきちんと学べていれば、文法で苦労することは少ない。それなのに、皆、ほとんどの日本人は中学を卒業しているはずなのに、英会話の機会がなかっただけではなく、読み書きも出来ない人が多過ぎる。それで、ニューヨークのレストランに入って、「何にしましょうか?」との質問に『アイアム、ハンバーガー』(私はハンバーガです)と答え、ギョッとされることが多々ある場面に私も多々遭遇している。すべてが「アイアム・・・」で言う癖は、日本語の『私は・・・』をただ英語らしきものに置き換えているから起こることだったりする。中学英語は決して馬鹿にできない大切な基礎なのだ。今日の日記はまったく面白くなくてすまんです。(と謝る必要はないのだけど)私のフランス語を「中学生フランス語程度」と言われたとしたら、『その通り』というどころか、褒められた、とさえ感じるだろう。私のフランス語はその程度だから。
August 12, 2007
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先日、フランス製のエスパドリーユを買って、『ああ、もうこの夏は、このサンダルだけでじゅーーーぶんだわ♪』と言っていた舌の根も乾かぬうちに、今度はスペイン製のカルザノールのエスパドリーユが欲しくなってしまった。ところが、私のサイズは真っ先に売れるサイズらしく、まったく完売状態。そこで、一足だけ見つけたのがコレ。同じデザインで他の色のもあったのだけど、黄色や派手な色にお花がついていて、どーも私のイメージとは一致しない...。ところが、『欲しい!』という執念は岩をも動かすらしく、凄く好きなマロン色(栗色ですな)のが残り一足というのを見つけて、早速お店に電話して押さえてもらった。こういう時の私はミッションインポッシブルのトムクルーズ並みの速さである。次元はかなり違うが....。それで、手にしたら、気になっていた「お花」も栗色しているせいか、なんだか大人っぽくて、何しろ「花」がついているような靴は履く事ないのでちょっとだけ心配だったけど、非常に気に入り、『ああ、もう、今年の夏はフランス製とスペイン製のエスパでじゅーーーーーーー分だわ♪♪』という気持ちに今はなっている。今だけの話しですが。秋になると、エスパが「ブーツ」に変わるだけなのは、もう、わかっていたりする....。しかし、このクソ暑い中、出かける気もないのに、私は何を血迷って、サンダルばかり買っているのだろうか。本日のオマケお盆なので、もしかしたら、以前に書いたかもしれないけど、お盆らしく奇妙な話しを書きます。場所はイタリアはミラノ。学生時代に友人と、バリでの大学の夏学期が済んでから(パリ留学中だった)友人とヨーロッパいい加減なスケジュールの旅をしていた時だった。スイスからミラノに着き、学生なので貧乏旅行をしていましたから、ミラノのビジネスホテルのような所に宿をとりました。ところが、鍵をもらい、部屋に入ったとたん、二人とも(彼女(友人)も非常に霊感の強い人ですが)一緒に『この部屋、変。気持ち悪い』ということになり、私はさっそくフロントに行き、部屋を変えて欲しいと交渉したけど、夏で部屋がいっぱいなのか、はたまた、非常に安い部屋だったので、そういう...部屋だったのかしらねども、「お部屋はいっぱいで無理」と言われた。そこで、部屋へ戻り、「やっぱりこの部屋変よ...」(友人)『変だね。この部屋はヤバイね』(私)と立ち尽くしたまま、しばらくして、ふと、家具を動かそうと思った。何故だかしらないけれども、それしか、その嫌~~~~な空気から逃れる方法が見つからなかったのだ。何故、そう思ったのかもわからないけど、私が『よし。模様替えだ』と言うと友人も、確かにそうしたほうがいいと賛成してくれた。そこで、色々とベッドの位置から棚やら動かしまくって、まったく違う配置にしたのです。私にはどうもある「物」とベッドの位置が気になって仕方がなかった。一労働終えて、まったく違う部屋のようになってみると、割とイケるかもしれない、というところまで来た。『まあ、これで今夜は大丈夫だろう。どうせ一泊だし』と寝たのであった。もちろん、何事もなく眠れた。翌朝、部屋を元通りにしないと部屋を荒らされたような状態だったので、大変だった(そういう第六感というか、そういう感じで家具を移動させたので、とてもそのまま帰るわけにはいかなかった)。とにかく、不思議なことに、いつも、まるでマナカナのように、その友人と「これは妙だ」と感じるタイミングがピッタリ一緒なのだ。昔から、私は部屋の模様替えに異常なほど敏感で、家具の位置が変わっただけで、気分が悪くなることがたびたびあった。方角...というのか。友人宅に行くと、それをすぐに感じることが多くて、もちろん、そんな事言ったら気持ち悪がられるので言わないけど、「ここにこの方角でソファー置いてたらだめなのになあ」とか「この壁にこれをかけてたらあかんなあ」とおもっていながら、たまにはその場の空気自体すら感じることもあって、早々に引き上げてくる事もたまにある。私の部屋ですか?....方角云々以前に、片付けがまず先だと言うことだけが強烈にわかっております。
August 11, 2007
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うたた寝をしていたら、亡くなった祖母がニューヨークに遊びに来て一緒に食事をするために買いものをしている夢を見た。祖母はまだ元気だった頃の祖母で、夏になるといつも着ていた小さな花柄のワンピースを着て、後ろ手に手を組んで、ショーケースを眺めて、「うな重にする。それから、ビールの小さいのも1つ」と私に言った。そこで、目が覚めて、母にその夢の話しを告げると、『お盆だからねえ....』と笑っていて、父は、一度も自分の母親が夢に登場してくれないからか、おもしろくなさそうな顔で聞いているのかいないのかわからないように、ちょっと離れたところにいた。お盆。長く海外にいるとそういうことを忘れてしまう。本当に、魂は帰ってくるのだろうか。もしそうだとしたら、私はディノにもう一度会いたい。夏らしく、写真の麦わら帽子を買った。本当はヘレン・カミンスキーの帽子が欲しかったけれども、帽子にしては割と高いので、それにそっくりなのを見つけたのだ。私は母の遺伝なのか、帽子が割と好きで、ニューヨークはヘンリーベンデルという店にある帽子コーナーで、一時はかなりの数の帽子を買って集めていた。買った帽子は丸い帽子専用の箱に入れられて、それを持ち帰る姿は...帽子の箱だけ(あくまでも箱だけ)オードリー・ヘップバーンっぽかったりした。本日のオマケ多分、ここを見に来てくださっている方の多くは、気付きもしないことだと思うけれども、『コメント欄』をページから取り外しました。私は勝手気ままに日記を書いているけれども、書いた翌日は、本当のことを言えば、誰か、何かコメントを書いていてくれたらなあ、とそんな気持ちで楽しみながらページを毎日開けていた。きっと、私の日記にはコメントの書き用がなかったり、また、読むだけで感想はなかったり、またどうでもよかったりするからなのかもしれない。私にはわからないだけで。思い出したように書いてくださる方も、また、たびたびコメントを寄せてくださる方も、数人と決まった方達だけで、ページを開いてその無反応を目にするたびに、気持ちのどこかでちょっとがっかりしている自分がいることに、ずっとちょっとしたむなしさのようなものを感じていた。そうして、がっかりしないためには、最初からなければいいのだ、という思いに達し、コメント欄の削除を決め、私との直接のコメントのやり取りは、もう、不可能になりました。とは言え、最初からやり取りらしいやり取りは、ほんの数人にすぎなかったけれども。(今まで、それでもマメに書いてくださった方には、本当にありがとう。)本当はこのサイト自体の閉鎖を本気で考えて友人に話したら、とにかく消さないで欲しいと言われ、私はとても短気なのだけど、その友人の言葉に少し冷静になれた。以前も何度かここで話題にしたことがあるけれども、私の本丸には最初、掲示板があった。その掲示板は、それはそれは賑やかな意見交換や、笑い話や、書き込み者同士が意見を言い合ったり、時には真剣な話しなどで毎日の返信が大変だったけれども、そこには、ヴァーチャルな世界とは言え、私は「自分ではない自分」を演じるようなサイトが作れるほど器用ではないから、そのままの「自分」でページを作り、自己紹介をし、自分自身のまま、書き込みをしてくれた人達、一人一人に返信していたし、それはそれは忙しくもあったけれども、心から楽しいものだった。その頃、私は他にもある女性のサイトの掲示板にほぼ毎日登場しては、言葉は悪いけれども良い意味で「暴れまくって」いた事もあった。私はそんな私の自由奔放を許してくれたそのサイト(今は閉鎖中)の管理人の女性に今でも感謝している。本当に楽しい時間で、ヴァーチャルで嘘の多いネット上にもかかわらず、本当の自分自身をさらけ出すことができた貴重な時間だった。私が本丸の掲示板を消したのは、サイトを始めてどれくらいたってからだっただろうか。いろいろな理由があり、例の「短気」も手伝って、一気に掲示板をサイトから外した。皮肉なことに、その理由のひとつが、今回、この楽天のサイトからコメント欄を外したきっかけと全く逆の理由ということ。私にはもう手に負えないほどの数の返信の必要があったし、そのために使う時間が自分の仕事に影響を与え始めていたことも理由の一つだった。その原因には、律儀に、一つ一つの書き込みに真剣に(笑い話であったとしても)返信する生真面目さが裏目に出たのかもしれない。余談ではあるけれども、自分の「本」の出版の準備にとりかかっている最中で、発売はいつになるかまったくまだわからない段階であるし、また、途中でポシャッてしまうかもしれないけれども、もし『本』がでるようになっても、できたら、ここで、変わらず、コメントを通して身近な存在として文字でコミュニケーションがとれたら…と思っていた。数日前に「Don't Think Twice」の歌詞を書いた時、それでこのサイトは閉鎖しようと本気で思っていた時だった。あれはボブ・ディランの曲で、歌詞の一部を抜粋したもの。「私の気持ちを変えて、留まるように、何かするか言ってくれればと願っていたけどどっちにしろ、私たちは話しらしい話しもしていなかった。」と。私はどんなハンドルネームを使っても、別人格になったり、嘘のページを作る事もできない性格なのです。どんな名前でサイトを作っても、そのままの「私」だし、そのままの「私」ともうちょっと、やりとりができていたら...と、思う。これから、どれだけ続くかわからないし、コメント欄のことなど関係ない方のほうが圧倒的に多いことは理解できている。ただ、話しがしたかった。それだけかもしれない。追加:同時にキリ番ゲット企画も中止いたしました。(石好きさん以外無反応で、やっても意味がないと思われましたので。ご了承ください。)
August 10, 2007
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『あっ。右手に時計!私とオソろだわ。これで右手に時計は、私とベッカムとキムタクとフェラーリのおっさんの4人になったわ。いと嬉し。』これは皆さんお馴染みの、非常にカッコイイけどしゃべるとガクッとなる、サッカーイングランド代表復帰した、David Bechamさんです。故障が気がかりでしたが、無事にアメリカでの公式デビュー戦にも出場し、これからが楽しみないい男です。私はクラプトンのせいで(なんでもクラプトンのせいにしてしまえええええ)過度の『面食い』になり(ところが好きなのはムシャラフ大統領っぽかったりするという変な面食いではあるが)私がベっカムに目をつけたのは....1994年のワールドカップの時ですから、かれこれ、13年前であります。ですから、ちょっとやそっとの「ベッカム好き」とはキャリアが違います。とはいえ、早々好き…という訳ではないのは...あの「話し方」がどーも....。顔はいいのになあ....。そんな顔も体格もいいベッカムさんですが、アメリカの人気テレビドラマにスペシャルゲストで出演するカモしれないらしい。それも、「隣に引っ越して来るゲイのカップル」のゲイ役で。これはハマリ役ではないかっ!あの顔、あの体格、あの美しさ(1994年に比べるとすでにちょいとオッサンはいってますが)はゲイ役にはうってつけ。本人もやる気でいるらしいし、なんと言ってもあのしゃべり方は演技の必要がないしいいいい。しかし、思った以上に好成績を挙げている新007の映画ですが、あの新しい金髪のジェームズボンドが決まった時、007好きの団体が抗議を申し立て、『あんなチビでブサイクなジェームズボンドを起用するのは、ファンを侮辱している』と言われていたので、どんなに不細工なジェームズボンドなのだろうか?と思っていたら...確かに、オスカーのプレゼンターでエスコートした女性より背が低かったし、一発ぶん殴ったら気絶しそうな感じがして、『これで、勤まったのかなあ...確かに抗議したくなる気持ちもわからんではないが、しかし、お人好しそうで、いい人っぽいじゃないの』と思ったものだった。私はベッカムはあのしゃべり方だけなんとかなればジェームズ・ボンドにあと3年くらいしたら良さそうな気がする(まだちょいと若過ぎる)しかしなあ...英語がわからない人でもベッカムの英語がどんなに情けないか...おわかりになるのではないでしょうか.....。とはいえ、逆に元英国首相のブレアーみたいに、極端に滑舌がいいのもジェームズボンドにはふさわしくない。あんなにカツゼツよく女性をくどいても、ムードがでない。ちなみに、私はサッカー選手で誰が好きか?と申しますと、本人を見るまではまったく興味なかったのですが、なにしろ『抱きしめると、すご~~~くいい香りがする』アレッサンドロ・デル・ピエロが割と好きです。あの人は、車を運転してきて、ラインが引いてあるのをまったく無視して斜め停めするのです。それ以来、駐車場でラインからはみ出ている車を見ると『あ、デルピエロ停めだ』と言うようになった。私ですか?・・・・・まあ、似たような感じですなあ。父ですか?.....あの人は中身はドイツ人なので、ラインにきちんと平行に停めなければ車を降りてきません。シューマッハですか?....ドイツ人のわりには割とラフですが、レース中は的確的中です。フェラーリのクルーですか?....もうハチャメチャです。アイルトンセナですか?....育ちのよさそうな停め方でした。じゃ。元気で。本日のオマケ
August 9, 2007
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夜中に、不眠症のお薬を飲んだ後、本当はすぐに寝なければラリってしまうのがわかっていながら、ふと、ネットショッピングを見ていたら、急にモカシンのブーツが目に入って、そして、それが急に欲しくなってしまった。ミネトンカというモカシンでは有名ブランドらしい。多分、朝青龍と同じ「睡眠導入剤」とやらでラリっていたからモカシンナイ。基本的に私は犬の散歩以外では、最低でもヒールが5センチくらいはある靴を履く。それくらいの高さのほうが、逆にフラットの靴よりも腰に優しく、体型にも良いと以前聞いた。しかし、9センチやら10センチとなると、それは高過ぎて、私は奇麗に歩くことができないし、また、腰にも負担がかかってよくないので、何度かトライはしたけれども、まず、履く事がない。それが、急にこのペッタンコの『インディアン、ヤッパリ、ウソツクコトアル』のモカシンが欲しくなって、値段を見てびっくりした。写真のはショートブーツだけれども、ロングになるとまだクソ暑い真夏というのに、予約入荷ですでに完売状態。な、な、なんなんだ。これはいったい。 と思いつつ、『だけど、ロングのフリンジのやつも可愛い感じはするけど、これを履くにはスカートかショートパンツでも履くしかないしなあ...使わないだろうなあ....』と思ってショートを見た。『ああ、これだったら、スキニーデニムにも合うし、合わせやすいし、歩きやすそうだ』と思ったのもラリっていたからモカシンナイ。しかし、値段を見て、唸った。うーん...高い。こんな値段でアメリカ製品を買いたくない。そして、『よし、今は夜中だ。アメリカは午前中だ。アメリカ製はアメリカに注文しよう』そうやって、あるアメリカの(いったい何州なのかもわからないが)正規代理店に電話をして、注文をしたら、何しろラリっているものだから、英語も日本語と同じく酔っぱらいのような英語になっていて、自分で話していておかしかったけれども、こればかりはどうにも修正できない。「(英語で)変なしゃべり方で失礼。日本って、今、夜中の1時過ぎなもんで眠くて...』という言い訳で、相手も「Oh, I see. No problem.」とわかってくれた。...ようだった。そして、訳わからないまま「お買い上げ状態」になったら、なんと10%オフになっていて、ますます安くなっていた。ちなみに、イタリアブランド品はニューヨークもイタリア本店も価格差が殆どないです。フランス製に関しては、案外、ニューヨークよりも日本のほうが安いものがあったりします。特に化粧品など。化粧品を安く買えるのは海外の免税店で、それも国によって価格差があります。一時は香港空港が一番安いという話しだったけど、私は香港は子供の頃に8時間ほど(イタリア行きの乗り継ぎのため)滞在した時にちょっとだけ観光したら凄く嫌いで(はっきり言って悪いが嫌いなものは嫌いだったのだからしょうがない)「二度と来るものか」と決心して以来、二度と行っていないし、今から二度と行く気も全くない。あ、話しが逸れた。アメリカのお店に電話やネットで買い物するときは、最近のカード詐欺問題もあって、アメリカ国内で発行されたクレジットカードしか受け付けないところが割と多い。実際にアメリカ国内で自分で使う分には全く問題はなく、あくまでも、ネットショッピングなどでの場合です。しかし、今思い出しても、去年の10月のニューヨークの寒さはひどかったなあ。11月になったとたんにポカポカ暖かくなって、ヒーターどころかクーラー入れたいくらいだったし。夏は夏で馬鹿みたいに暑かったし。と言う訳で、私の話しはこれで終わりです。
August 8, 2007
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Still I wish there was something you would do or say To try and make me change my mind and stay We never did too much talking anyway So don't think twice, it's all right. Goodbye is too good a word So I'll just say fare thee well I ain't saying you treated me unkind You could have done better but I don't mind You just kind of wasted my precious time But don't think twice, it's all right. 何を書いても仕方がない。
August 7, 2007
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『もしも、これからの人生で、行き止まりを感じたときは、ここに来て、走ろう。』いろいろなことがあった後、モナコに行って、窓を全開にして、マニュアルシフトのクルマを走らせながら、地中海の風を受けて考えたことだった。モナコという国は、モナコグランプリによどほ興味がある人以外にとっては、案外、つまらないところだと思う。実際、あそこは小さな非日常的な場所であるし、ハイソサエティーと呼ばれる人々がサブのコンドミニアムを持ったり、通り過ぎる場所に過ぎなかったりする。私は、ニースからモナコの丁度中間あたりにある、小さな海岸の町、Villefrancheという場所がとても好きで、初めて見た時は夢のような所だと思った。この写真はそこではなく、モナコの宮殿の裏側に位置する、あまり観光客がいかない場所で、そのためか、モンテカルロのポートよりもこじんまりとしていて美しい。実際、では、モナコで何があるか?と言えば、観光客にとっては「カジノ」くらいなのではないだろうか。私はギャンブルにはほとんど興味がなく、また、一度だけドレスアップしてモナコのあの有名なカジノ(入るにはパスポートの提示が必要である)に友人と一緒に行ったけれども、退屈ですぐに帰ってきてしまった。1986年に行った時は、余りに暑くて不機嫌になってしまった。だけど、その時は、いつかそのモナコグランプリのコースを自分でドライブしてコースレコードを作るんだ!と思っていて、その後、行くたびに(2000年を除いて)タイムアタックしているけれそも、未だ、自己最速記録3分21秒を超える事ができない。モナコが好き。私はそうよく言うけれども、あそこには本当は何もない。高級ブティックとカジノとカフェ・ド・パリがあるだけ。モナコグランプリ前のちょっと開いた時間に、友人と語らう、そんな時間がただ楽しく、それが好きなだけなのかもしれない。カフェ・ド・パリは、カジノの右手側にあるカフェで、通常、観光客がよく行くところでにぎわっている。私はそこで、ひとりで数時間過ごす事がよくある。殆ど、外のテーブルで執筆しているのだけど、ウェイターも慣れたもので、飲み物を飲み干してしまった頃になると、他にまた何かもってこようか?と聞いて来て、メニューにないものを頼んでも、きちんと注文通りつくって持って来てくれたりする。一つ言えるのは、今、とてもモナコのあの道を走りたい...それだけ。
August 6, 2007
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夜中です。朝から朝青龍だったので、夜はぐっと、別のことを書こう……と一応、今は思っているけど、どこで話しが曲がるかわからない。今日はこの「ボビーブラウン」のアイシャドーパレットを買いました。実際は画像より少し全体的にブラウンがかってます。8月1日発売で、7色の内6色が限定色だそうで、あちこちではすでに完売しているところもあるというのですから、日本人の『限定好き』そのまんまですなあ。....という私は買ってから、限定だと気付いた。私はほどんど毎日ノーメイクですが、おしゃれする時はメイクもします(例え5分であろうとも)。色んな色を沢山もっていても、結局手にして使うのはブラウン系ばかりで、これを見た時久しぶりにアイシャドーを買いたいなあ~~~と思ったのでした。そして、日本でカタカナの「ボビイブラウン」を買ったのは初めてですわ。(今は為替相場が不安定なので、送料や受け取るまでの日数や友達に頼んだりすることを考えたら、日本で買ってもNYとそれほど価格差はないのです)ボビーブラウンのメイクアップブラシ(筆)はかなり上質なので、本当は付属の筆だけでも高いので、おまけに両側にシャドー用とライナー用がついているので、気分的には(実質的には違うけど)「あ~ら、筆代でシャドーまで買えたわ~♪」という気分がどこかにあります。あ、それに鏡もついてるし。(税込み6300円でした)しかし、7色。彫りの深いスーパーモデル級の大きな目なら、まぶたの面積も広いだろうから、グラデーション技法を使って7色使えるだろうが...日本人の私のまぶたの面積では...せいぜい...1色をライナー風につかったとしても3色が限界だなあ。さーてと、本当はいったい何を書きたかったのやら、忘れてしまったわ。思い出したら、また書こう。そうだ、そうだ、そうしよう。
August 5, 2007
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最近、書く(パソコン、と筆記の両方)ことがが多かったせいか、右肩こりから偏頭痛が始まっているところです。え?今、朝なのになんで今頃日記書いてるかって?いやその...実は朝っぱら終了の某オクがありまして、残り1分までは「イケタ!」と思っていたら、残り30秒くらいでライバル登場。こういうやつって、夜しかいないのかと思っていたら、いましたなあ....朝っぱらから。という私もそうとうな物好きですが、何しろ完売商品なので、手に入らんのですよ。定価以上で買う気はなかったので(季節ものの輸入品だったので)見るのも嫌になってこっちにきたところです。ま、来年来年(鬼がわらっても)来年までこの情熱が続いていたら、お店で完売する前になんとかしよう。それまで覚えていたら....の話しだが。それにしても、このところの朝青龍の「精神的ダメージ」云々には、朝青龍嫌いの私としましては、『何言ってんだい。何がノイローゼ状態だ。モンゴルに帰りたいだけじゃん。医者も甘過ぎる』と思ってしまうわけです。何しろ、嫌いですから。場所中はあんなに日本伝統の相撲にあらざる行儀作法で、勝った時の誇らしげな様子はまるでプロレスのような雰囲気になってしまい、日本的な負けた者への思いやりや、控えめな態度がまったくなく、私には時々暴力相撲にさえ見えることがたびたびあった。あれだけの態度をとれる横綱が、「こんな精神状態ではファンの皆様への記者会見も不可能です」とは情けない。それならサッカーなんでするなっちゅーに。それもナカタと一緒とは...。と、朝っぱらから朝青龍かい。しかし、琴欧州。横綱にならないよーに、踏ん張っているような感じがする。実際、彼の場合は横綱にならないで、大関のまましばらくがんばって、そこでさっさとブルガリアへ帰ったほうが幸せなんじゃないかなあと、琴欧州好きは思うのでした。では、また、夜にでも。
August 4, 2007
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ああああ、いつの間にか眠っていて、今頃目が覚めてしまったら、テレビはついたままで、松井が(ヤンキーズの)ホームランを打っているシーンが黙々と流れていた,,,,、意外...と思われる方もいらっしゃるかとは思いますが、実はあまりテレビを見ないのに、時々やけに面白くて、楽しみに見る番組がいくつかあったりするのです。その中に、今やってる東芝日曜劇場(と今でも言うのだろうか?TBSの9時からの)がありまして、昨夜はバレーボールで時間がズレてしまって、(私は団体玉競技が余り好きでない)なんだか眠かったけど、待っていたのです。やっと30分遅れくらいで始まったので、ああ、やっと始まった…と思って見ました。なーんてこたあない、ドラマんですが、その軽さが妙にラクチンで、楽しいのです。舘ひろしと可愛い女の子(娘役)があることをきっかけに、中身が入れ替わってしまう…という、今までも何度か同じようなストーリーのがあったパクリっぽいやつなんですが、なぜか、私には面白いのです。ところが、ついに来週最終回らしく、私の楽しみは減ります。と、その番組を見終わったところまでは記憶があるのに、そこで突然、寝てしまったらしく、気がついたら....今でした。(午前4時過ぎ)そして、本当は今夜(実際には昨夜)終了のオークションが1つあったので数日前から楽しみというか、気合いをいれてい終了時間の10時6分まで待っていたハズなのに...寝てしまったいたのでした....ガ~~~ン。ところが、起きてメールチェックしたら、なんと、無事落札できていたではないかっ!やったぜ。割と高めに入れてはいたけど、100円で抜かれたら終わりだしなあ...と思っていたので、これはちょいと嬉しかったです。(100円攻防程度の品物です...高価な物じゃなくてすんません....)それで、昨日の夕方、部屋におりましたら、携帯が鳴りましたのででました。覚えのない番号だったので、誰だろう?と思いつつ出ましたら、ななななんと、『こんにちは!お久しぶりです!』そうです...サカイさんです。受信拒否設定しているサカイさんです....。それで、『あのー、なんでしょうか?』と愛想なく言うと、「なんだかボクの携帯、つながらないみたいなので、別の電話でかけてます!」と言う....やっぱり携帯のメールも使えない人に「受信拒否」を理解するのは無理だったか,,,、、とあきれていたら、「よい天気になってきましたので(って、もう夕方だぜ、おい)ドライブとお食事(っていっても3件しかしらねーじゃねーのって)でもどうかなあーと思いまして!」と言う。わかってない、まったくわかっていない。これは筋金入りの「変な人」だ。そこで、丁寧に、『あのー申し訳ありませんが、おつき合いするのはお断りしたいと思いますし、家族からも反対されていますので....お電話ももう、遠慮していただけますでしょうか。はっきり言って話しも合いませんし、全然お会いしたくないです。』とアホでもわかるように簡単に言った。すると(それとも、もっっっっっと極端に、『もう電話かけてくるな!このドアホーめが!てめーの顔なんか見たくねーっちゅーの!』、と叫んで切ったほうが良かったのだろうか....)「はい!わかりました!そうやって、はっきり言ってもらったほうがいいです!」と返事がきたのでえ、ああ、よかった....はっきり言ってわかってもらえたと思った次の瞬間、『じゃあ、お元気で!また電話します!』,,,,おいおい。わかったのかわかってないのか、どっちなんだよ~~~~。とにかく、不死身のサカイさんであった。ネバーエンディングストーリー。
August 3, 2007
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非常に見にくくて申し訳ありませんが、この白い(最早、白くも見えない....)シャツが某3日間かかってやっと電話がつながり、購入した日に完売して入手したシャツです。どうってことない、ふわ~~っとしたシャツなのですが、スタンドカラーで襟とボタンの合わせの所に極控えめな繊細なレースが施されています。(って言っても、見えませんなあ)これにダボっとしたパンツをはいて、アンティーク調のペンダントをさげると、ちょいとジョージハリソンの息子みたいな格好になりそうではあります。ダーニはチュニックにダボパンはいて、首からなにやら怪しげなものを下げて合掌していた。さすがハレクリシュナは違うのであった。さて、先日、古くからの親友の一人と話しをしていたら、私と待ち合わせしていたりして、人ごみから自分に向かって歩いてくる姿をみると、必ずといっていいほど、私の周りにオーラというのか、バリアのようなものがふわ~~~っとあって、それが非常に奇麗で、びっくりすることが多いと言われて、まるで江原さんみたいなことを言うなあ…と話したのでした。それが、彼女自身、そういうものが割と見える体質らしく、前々から他の人の話しは聞いていたけど、最近になって、私のことを話してくれた。一緒に歩いている時は何も見えないし感じないんだけど、ちょっと離れて、私がウィンドーショッピングしていたり、人ごみの中にいると、ダントツで光りが発散されていて、時々見とれる(いや、私に見とれるという訳では決してなく)と言うので、なるほど...どうやら、バリアがあまりにも強くて、男を寄せ付けないらしい、と言ったら、笑っていた。『いや、そう言う意味じゃなく』と。私は海外が長いせいもあって、人と会うと挨拶する時、日本でもつい、握手してしまう。つい、お辞儀する変わりに、手が出てしまうのです。すると、時々、その人の手に触れたとたん、その人の何かわからないけど、何かがもの凄く鮮明に一瞬見える(実際に視覚的ではなく脳のどこかで見えているらしい)ことがあるのです。仕事柄、いろいろな人に会うけれども、時には一瞬で、『この人には悪魔がいる』と非現実的なことを感じることがあって、自分でもゾっとすることがたま~~~~~~~にあります。逆に、その人の心の奇麗さを感じる事もあるけれども、今までの経験で、どんなに「いい人」でも、だいたい、7割くらい良くて、残りの3割は割と邪道なのた普通のようです。そういう自分もそうだと思う。私はかなり以前、ある霊能者から(非常に力があることで有名な人)『あなたと知り合いになって、そのまま仲を続けられる人は、たとえいつも連絡をとりあったりしないような仲でも、その人の魂は人間として大丈夫な人達だけど、悪魔のような心を持った人はあなたの近くにいることが苦しくなったり居心地が悪かったり、いろいろなことが原因して、去っていくことになっているから、つまり、あなたは守られているから、あなたから去っていく人は決して追わないように』と言われたことが、ずっと心に残っている。そんなことはばかばかしい、と言ってしまえばそれまでだけど、私は時々(それが常時だったら、今頃自分の番組持ってるわ)その人の本当の顔がその人の顔に重なって見えることがある。特に、一緒に話している時ではなく、その人が他のことをしているのを、垣間みた時に一瞬、見えたりする、今まで、悪魔の顔が見えた人が二人いて、今、二人とも、自然と縁が切れて、風のたよりでは、あまりよい精神状態の暮らしはしていないらしい。私は思うのだけど、こういうことも、多分、いつか、きちんと科学的に解明されるのではないかなと。今は、信じる人と馬鹿にする人に別れるけれども、この世には、人知を超えたことが存在するということは、覚えていていいことだと思う。人間だけが宇宙で一番何もかも知って、科学で証明できないことはいかさまだと思うのは、余りにも傲慢なのではないかと。今、現代の私たちは、まだ、地球が平だったと信じていた頃の人達が、コペルニクスの話しに大笑いした、そのレベルと何の変わりもないのだと。
August 2, 2007
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これは、忙しく、また、今、親と喧嘩中の私が近所のセブンイレブンまでもいけず、食料危機に陥っているということを知って、親友が送ってくれた「ゆうパック」の中に入っていた「復刻版ガーナチョコレート』です。見た事のある方はご存知だと思いますが、普通のより小さいくせに、そんなに安くないです。私は根っからのガーナチョコ好きで、まるでクッキーかなにかをたべるスビードで一箱パクリと食っちまいます。ある日、放送の仕事の時、先輩の横でガーナチョコをがぶがぶ食べてたら、『○○ちゃん(私のこと)の食べ方見たら、チョコレートって「食べるもの」って感じがする。今までチョコレートって、一欠片を口にいれて「溶けるのをなめるもの」だと思ってたわ』とびっくりされたことがあった。が、こっちもびっくりしたのは、人がもつ他人のイメージと現実のギャップって、大きいなあ...と思ったのが、お昼の放送を終えて、食事をしようと、これまた先輩(すんません。私が一番若かったもんで)から『○○ちゃん、何食べたい?』と聞かれたので、そうだなあ...とふと思いついたのがなぜか、オカラだった。そこで、「おから、なんていいですねえ」と言ったら、もうびっくりして大きな目が倍くらいになって私を見て、『○○ちゃんて、絶対、そんなもの、食べないって顔してるから、ナイフとかフォークで食べる物しか食べないって思ってた!グラタンとかスパゲティーとか・・・ええええ!おからんて好きなの!?』と。....私がどーゆー顔に見えてるかしりませんがねえ、私はどっちかというと純和風の顔だと思う訳ですよ。それに、顔でナイフとフォークで食べるものしか食べないように見える!なんてびっくり仰天されてもねえ...わたしゃ、これでも某私立女学園在校中の頃から、近所の一杯飲み屋に友人と学校帰りに立ち寄り、おでんを食べるのを楽しみにしていて、お店のおっちゃんから「おねーちゃん達、ツウだなあ」と歓迎されていたものだった。ガーナチョコレートはこの1982年版以来、少なくとも3回ほど味が変わった。最初に変わった時は余りのマズさに買うのをやめたほどだった。初心に帰れ~~~~~!あ、そう言えば、忙しくて書かなかったけど、とっくに、先日郵便局まで3日目でやっと電話がつながって買った服(全部トップス)が5点、届きました。ちょっとショックだったのは、やはりあそこのモデルさんが着ている写真がカタログには使われていて、それを見ると、『袖丈:七部』と書かれていいて、確かに七分袖が、ワンサイズなので、私が着ると、痩せていることもあって、どうも八分~九分になるのである。ノースリーブは問題ないけど、長袖のニットの袖を買う前に確認したら55センチとの返事だったので楽勝だな…と思っていたら、かなり長めの長袖だった。ええ...?55センチなのに?なじぇ?(普段は55~58でオーケー)完売品なので、きっと定価で売れる.....だけど、せっかる完売品を手に出来たのに、手放すのも惜しい。別に大き過ぎるわけでもなく、気に言って買ったのだから...と思いつつ、この七分袖のブラウスをまゆみゆまさんが着たら、五分丈になるのかなあ...などと思ったのでありました。まる。
August 1, 2007
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