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昨日はちょっとあれこれありまして、忙しい・・・というのと、体調不良が重なりまして、おまけにちょいと嫌なこともありまして、とても日記が書けないままでおりました。と言いますのも、夜中にとにかく誰かと話そう・・・と思い、時差から考えて都合良さそうな国に居る友達を思い浮かべました所、バンコクが日本より2時間遅い時差があるので、こちらの夜10時でもあちらではまだ夜の8時なのでスカイプで話をしていたら、日本は曜日が変わってしまった・・・というような訳でして、まあ、2時間くらい話をしてました。今日も体調不良は続いていますが寝込むほどではなく、どちらかというと、トイレ往復を余儀なくされている・・・まあ、ご想像・・・して頂かなくてけっこうですが、最近、割と徴しよかったのに、やっぱり精神的なことはまともに消化器系統に来ますね。胃袋がないと特に。それで、昨日、出先で公衆トイレに入っていたら、そこは今時の日本のスタンダードのパブリックトイレットにしては、割といい加減な感じで、私も急を要していなかったら使わなかったけれども、最寄りのところがそこしかなくて、利用しました。すると、女子高生くらいの子達が2~3人入って来て、一人が、「わたし~和式嫌だしぃ~~。洋式も嫌。」ふと聞きながら、はて、他にどんな形式があっただろうか?と思っていたら、「家のトイレじゃなきゃ嫌だ~~!」と叫んでいた。うーん・・・気持ちは判らないでもない。確かに和式トイレと言うのは、私は特に海外にいた年数が長いのでもう余り馴染みがないということもあって、凄く違和感を覚える。洋式も、最近の公衆トイレもほとんどがウォシュレット式になっていて、奇麗になってきていて、いろいろ日本製は優れたところがあるけれども、特に優れているのは「トイレ」だと、これは胸を張って世界に出て行ける水準にあると思うのでした。だから、そのあまり清潔そうじゃないトイレで女子高生が「家のトイレじゃなきゃ嫌だ」と言いたくなる気持ちは、なんとなくわかった。そう言えば、米俳優のウィル・スミスが初めて来日したとき、日本のトイレの素晴らしさに感動して、ウォシュレットのトイレ一式を買って帰ったらしい。私のように特にトイレを往復せねばならないような状況になることが多い者にとっては、日本のトイレ性能の良さはありがたいものです。私がもし、海外にお嫁に行くような出来事があったりしたら、まあ、最初にトイレよりそっちのほうがびっくりですけど、それはそれとして、嫁入り道具として、絶対ウォシュレットのトイレを持参したい。いや、なにやらウォシュレットのトイレはアメリカでは入手可能らしいんですけどね。やっぱり日本製の最新式のヤツがいいじゃあないですか。それから、眼鏡売り場でサングラスを買いました。目を紫外線から守るためです。最近はなにやら、ウチの母が昔使っていたようなデカいのが流行なようで、やたらとデカいのが沢山出てました。私はサングラスだけでもかなりの数を持っていますが、遊びで買ったもの以外は、全てレンズ優先で買っています。例えば、私のカルバンクラインのサングラスのレンズはカメラメーカーのニコンのレンズです。今回買ったのは、ちょっと大きめで、レンズの色が余り濃くないものでラルフローレンのものにしました。何故かというと、紫外線防止率が100%なのです。レンズが濃いと、瞳孔が開き、そこに粗悪なレンズのサングラスだと紫外線がモロ、目に入って目を痛めます。レンズの色が薄いと瞳孔の開きも小さくなり、紫外線が入る率が少なくなるという訳です。話は極端に変わりますが、YouTubeでマイケルジャクソンの追悼の意味もあるせいか、やたらとブレイクダンスレッスンだとか、ムーンウォークの仕方のレッスン動画があって、その「ムーンウォークレッスン」というのを見たんですけど、いやあ、良く出来てますね。渡米した直後頃は特にニューヨークだったし、ストリートパフォーマンスが多くて、ブレイクダンスをやっている人達と出会うことが多かった。中には、集団で、本当に見事な踊りを披露する人達もいたりして、人だかりができたりしていたものだった。YouTubeのレッスンによると、大事なのは、滑りやすい床と靴だそうです。な~~るほど~~~、と思わずうなずいたのは、私も昔やってみたことがあるのだけど、どうしてもつまづいてスムーズにいかない。何故だろう?と思っていながら、勉強が忙しくて踊っているヒマがなくなってそれっきりになっていたのでした。YouTubeのある動画では「ハッシュパピーの靴がいい」とか書いてありました。確かにマイケルジャクソンが踊っているフロアーを見るとツルッツルで滑りやすそうにできてますね。靴は多分特注のやつを履いているのでしょうけど、彼の場合、団体で踊る時に、どれが「彼」か遠くからでもわかるように、黒い短めの丈の、まあ、今で言うところのクロップドパンツに白のソックスというのが特徴のようで、他のダンサーは黒の靴に黒の靴下。私はムーンウォークよりも横に滑るように動くヴァージョンが好きで、あれは私はできないです。ま、どれも出来ませんけど。それにしても、黒のズボンの上からハイレグのブリーフ風のパンツを履く・・・という衣装は、どうだかなあ・・・と微妙な感じで見てました。私が唯一真似出来るマイケルジャクソンは、股間に手を当てて片手をあげてポーズ、ってのかな。私は今はもう頭痛に悩まなくてよくなったので、鎮痛剤もめったなことでは飲まないけれども、あれほどの動きをしていたら、職業病っていうか、あちこち痛めるだろうなあ、と思います。あちこち痛くて、それでも観客のために完璧な踊りを踊る、それが彼の仕事だから。亡くなる前のリハーサルでは、50才とは思えないほどの動きで素晴らしいダンスをしていたらしいです。しかし、7月から来年の3月まで50公演は、素人の私が考えても「無理」だったと思う。「プレスリーのように死ぬのじゃないか」と生前、彼はその恐怖を当時の奥さんに語っていたらしいけれども、生前のジョン・レノンも実は、オノヨーコさんに、「プレスリーのようにベガスで歌わなくてはならなくなるんじゃないだろうか」という恐怖を抱いていたというので、比較されるプレスリーって一体・・・。処方薬の過剰摂取。私も似たようなところがあるから、もし、この日記が1ヶ月以上更新されなかったら、ま、死んだと思って間違いないでしょう。
June 30, 2009
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なんだか、どうも、「時間」の感覚が変で、自分の実年齢にも違和感があるし、古い思い出がまるで昨日のことのように脳裏に蘇ってきて、とても嫌な気分になるのも困ったものだったりする。今日も余り具合がよくなくて、明日はまた別の病院に予約が入っているので、まあ、なんとかして辿り着かねばと思っているところです。前回、コンビニまで歩いて行って具合が悪くなって救急車で運ばれて以来、本当は余り出歩く自信がない。本当は、いろいろなことに、自信がない。それにしても、17才にしてプロ3勝目の石川遼くんは凄いですね。かれは最初、「ハニカミ王子」なんて言われて、『気持ち悪いです』と本人が言っていた。確かに、最初から彼ははにかんではいなかったし、インタビューの答え方もすごくしっかりしていた。プロになってから、ますますそのインタビューの質疑応答のはきはきした様子は、「17才で、ちゃんとした日本語を話せる人はちゃんといるんだなあ」と思わず、思ってしまうほどでした。英オープン出場権も獲得したらしいし、彼の目標はまだまだ遠くにあるんだろうなあ・・・。そう言えば、昨日、マイケルジャクソンが日本滞在中の様子をテレビでやってましたけど、ホテル滞在中にもカーペットが汗でぴしょびしょになるくらい練習をしていたという。彼は子供の頃から天才肌の歌唱力があったけれども、よく言われる通り、天才というのは、99%努力できるかどうかで、違ってくるのかもしれないと思う。今のMTVなどでやっている踊りと歌の基本は、彼が作ったものだし、何度も言うように、『プロ』としてやるには、それなりに『シロート』とは違うレベルが必要だと思うし、すでに、プロの域にいながらも尚、そういう風に練習と努力を重ねていたことには凄いことだと、別に彼のファンではないけれども、そう思う。私は99%の努力をしたくても、できない場所にいると、いい訳のようなことを言ってしまうけれども、確かに状況はそうで、だから、ニューヨークに戻りたい。私は別に「天才」になろうとはしないけれども、少なくとも、自分を救えるのは、自分の作品だけなのだと、ここしばらく、そう思うことが多い。だから、ニューヨークに戻りたい。
June 28, 2009
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相変わらず、マイケルジャクソンの突然の死に関するニュースが多いですね。私は特に「好き」とか「嫌い」というような感情がないので、泣くこともないんですけど、久しぶりにYouTubeで昨日書いたネズミの映画「ベン」のラストシーンで、マイケルジャクソンの「ベン」を聞いてまた泣いたわ。あの映画は、恐ろしネズミの集団のボスである『ベン』が、ふとしたことで、心臓病を患って部屋でひとりぼっちの少年と出会って「友達」になる。けれども、ネズミの集団は攻撃の対象になって、少年は必死に彼らに逃げるように叫ぶ。だけど、ネズミは焼き殺されたり水浸しにされたりしてベンももうだめだと思いながら、泣きながら、部屋に戻ってきて、ベンのぬいぐるみを抱いて泣いていると鳴き声が・・・。傷ついたベンはやっとのことで、少年の部屋まで辿り着いていたのだった。少年はネズミのベンをハンカチの上に優しく置いて、「ボク達はきっと元気になる。ボク達は大丈夫だよ」と泣きつつ手当をする、というところにずっと、その内容と同じ歌詞のマイケルジャクソンのまだ幼さの残る歌声が流れるのだった。これが泣かずにいられましょうか。映画では、確実に見る人を泣かせるには「子供」と「動物」らしいけれども、そのダブルパンチですからねえ。泣きますよ。ネズミだった。そう言えば、ミッキーマウスもネズミですよね。しかし・・・私も病気療養中で、最近余り調子が良くなくて、ほとんど部屋で横になっているか、座っているかのどっちかですが、部屋に巨大なネズミが来ても「やあ、お友達になりましょう!」という気持ちにはなれないなあ。ミッキーマウスみたいな恰好だったら「これって、幻想?」とか思うだろうし。私の友達にスッチーやってるのがいて、かなり前、マイケルジャクソンがジャンボジェットの2階(ファーストクラス)を借り切って乗るというので、フライト前のミーティングで、決して騒いだり見たりしてはいけません、とキャプテンから言い渡されたと聞いた事があった。でも、「彼が眠っている間はちょっとだけ覗いてもいい」と言われていたそうで、眠った頃、そ~~~っと覗きに行ったと言う話をきいたものだった。ファーストクラス貸し切りかあ・・・ああ、なんだか小室哲哉さんを思い出しますね。彼、どうしているんでしょうねえ。最近、聞き慣れない「J-POP」のプロデュースをしている人と知り合って、曲を聴かせてもらったけれども、いや、なんというか、何か感想を言わねば・・・と思うけれども、私の音楽の世界とは全くふれあいのない世界の機械的な感じで、いかにも「コンピューターミュージック」って感じで、私には、申し訳ないけれども、ちょっと聞いた感じは「カッコヨサソウ」だけれども何の感情も出てこないような空っぽさを感じて、感想に苦労してひねり出したのが、「とても私には斬新です」だった。今日はダコタのバッグが届きました。ヌメ革がよさそうで、なんとなく子供の頃に使っていたような懐かしさもあって、いつもダコタを買う、MATSUZAKAYAさんで買ったのが今日届いたのでした。ダコタ・リアムのショルダーバッグです。あ、それから、1週間経ってやっと機種替えのマックブックが今日、届きました。余り具合がよろしくないので、長時間、設定などをやれず、一応、スカイプなどが使えるようにはしました。
June 27, 2009
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朝からテレビで「マイケルジャクソン死亡か?」と言った見出しで番組内容を急遽変更して放送されていました。何故か、私はそれほどびっくりはしなかったけれども、なんとなく「気の毒だなあ・・・」と思った。同じく今日、一時期、聖子ちゃんカットと同じくらい髪型を真似されていたらしい、ハリウッド女優のファラー・フォーセット・メジャース(メジャーさんとはとっくに離婚しているので、メジャースは付かないのではなかろうか?)さんが、62才で癌末期が原因でお亡くなりになったのだけれども、彼女の場合はがん告知をしていたし、マイケルジャクソンみたいに「突然」という感じではなかったので、たまたま同じ日に亡くなった訳だけど、余りニュースになっていない。私はブリティッシュロック派なので、マイケルジャクソンの音楽には余り興味がない。興味がないけど存在は知っているし、曲も割と知っていたりする。私が「マイケルジャクソン」と聞いて思い出す曲は2曲あって、一つはおなじみの『スリラー』で、これは、なんというか、踊りがですね、ツボにはまったというか、何度見ても面白い。特にこれがヒットした年のお正月の「スターかくし芸大会」で紅白どっちだったか、もう、わすれましたけど、どっちかの組が見事にこの「スリラー」を再現したんですね。それがもう、日頃、日本のお笑いではめったなことでは笑わない私が、涙を流すほど、いや、腸捻転を起こしそうなくらい笑ったのが今でも忘れられなくて、それで、本家の「スリラー」も、つい、放送があると見てしまうわけです。あの頃くらいの整形でとめていたほうが、良かったのになあ・・・。と個人的には思う。別に肌が黒かろうと才能と技量があるんだから、立派にやって行けそうだと、素人は思うわけです。あんなに、真っ白に変身しなくてもって。もう一曲は1972年の、ねずみと少年の友情を取り扱った映画のタイトル曲『ベン』。その時、マイケルジャクソンは13才くらいだった。その頃からすでに、素晴しい歌唱力と表現力をもっていて、まだ幼さの残る声とメロディーラインがとても美しかった。実は私はあの映画をテレビで見て、泣いた。ネズミの映画を見て泣いたのは・・・多分、初めてだったと思う。犬は結構子供の頃から泣いていたので、そうそう珍しくはなかった。なぜ、私はマイケルジャクソンが亡くなったという報道を見て、驚かなかったのか?というと、なんとなく、あの状態のまま、あの泥沼化した状況下で、「お金のために」行われる英国ツアーには無理があると思っていたし、自分の個人的な所有物をオークションに出したり(それは中止になった)なんとなく、ギリギリさを感じると同時に、あのまま、彼が65才、75才となっていく姿がどうしても想像できなかった。人生は、どれだけ長く生きたかよりも、どう生きたかのほうが意味があると思う。短くても内容のある「生きた!」と思える一生を送ることができた人は幸いだと思うし、だからといって、単に長生きしている人がつまらないかというのかというと、そうではなく、そうやって、長く生き抜くことも、大変なことの積み重ねの一生なのだろうから、それはそれで尊い。だから、私もそろそろ、もういいかな?と思うことが多い。マスコミがなにかと『スリラー』や『ビートイット』などのヒット曲を並べる中で、私が好きな曲はまだ幼さの残るマイケルジャクソンが歌う『ベン』で、特にこの曲の歌詞の中の『I used to say "I" and "me" Now it's "us" now it's "we" 』というところかな。当時の彼の歌を見事に歌っているYouTube があります。http://www.youtube.com/watch?v=H3Eb2CRwIK4どうぞ。
June 26, 2009
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なにやらランコムから「不思議そうな」アイコンをブログに添付すると、不思議なことが起こるというメールが届いたので、さっそくココに貼付けてみましたが、見事に楽天ブログに拒否されてしまいました。私は本丸など、大抵のものは自分でHTMLを書いてプログラムしていますが、ココは英語で書く「スクリプト」というタグの使用が認められていないようで、ランコム、貼れませんでした・・・悔しかったので、本丸の表紙に貼っています。なにやらカウントダウンが行われていて、まだあと56日くらいありそうなんですけど、それがゼロになると何かが起こるらしいんですね。なんでしょうねえ。ただそれが知りたくて、今までコマーシャルの類いは一切貼った事のない本丸に貼るくらい、興味をそそられてしまったんですねえ。こまったもんです。私。さて、今朝は朝から・・・これは正しくない。さて、今日は朝から前回痛めた左目の具合が余り良くなくて、左目で写真を撮る私としましては、商売道具みたいなものですから、メンテナンスをしなければと思い、朝っぱらから眼科に行って来ました。もう、最近、医者不足のせいなのかなんなのかよくわかりませんが、な~~んとなく、昔みたいに『お医者様』という感じはなく、どっちかというと「おい、本当にそれで大丈夫なのかよぅ」という気分になることのほうが多いです。今朝も、前回診察を受けて目薬を2種類受け取り、「2日後にまた来てください」と言われたので、2日後に行ったら、「ああ、よくなってますね」ということだったので安心していたら、今朝はまたもや、「以前も同じようなことがありましたね」と言われても、以前と同じような殴り合いの喧嘩はしていないので要因がないのだけど、結局、前回と同じ目薬を処方されて帰ってきたのでした。おまけに、前回より視力が落ちていた・・・と言っても、前回の時のほうが異常に視力がよかった訳で、今回でも免許更新のときよりは遥かによく見えていたような気がしますね。そこで、眼科の先生とちょっとした話になって、「某大学病院の教授から「典型的右脳人間ですね」と言われたことがあります」と言ったら、『なるほど。「無能」っていわれなくてよかったですよね。あはははは』真面目そうな先生だなあって思っていたけれども、そうでもなかった。さて、私は昔から「面食い」と言われていて、実際、ワールドカップなど見ていると、「ビューティフルイレブン」なんて言って、各国の奇麗どころの選手を見つけ出すのが非常に速かったりする訳です。私の「面食い」は子供の時に最初にエリック・クラプトンに会った時の彼が、他に比べようがないくらい美しかったので、刷り込み現象で、私の「男性スタンダード」が「クラプトン」になってしまったからでした。しかし、すでに64才になった今のクラプトンじいさんを見ると、「女も変わるけど、男の人って、凄く変わるもんだ」と思うのでした。クラプトン・・・若い頃はあごがあったのになあ。まゆげもあったし。なので、友達の間ではやたらと面食いのイメージがあるみたいなのですが、実はそうではないのです。私が誰かを好きになるときの最大のポイントは「脳」にあるのかもしれません。つまり、私は頭がいい人と話していると、多少不細工でも、「素敵だなあ・・・」と思うし、何かに秀でているいる人には、惚れやすいです。そうやって行き着くと、ムシャラフ大統領みたいな顔になったり、ハゲていたりと、ちっとも美形ではないのが揃う訳です。ムシャラフ大統領は、まあ、政治のどーのこーのは別として、非常に大統領としての器に適した人物だったと思うし、彼をやめさせたパキスタンの政党(すでに崩壊しているけど)はなんというアホなんだろう・・・と思ったものだった。彼以外に今のあの国のめちゃくちゃな状況と、アメリカやインドとの関係をなんとな~~くうま~~~くやってのけれるのって、ムシャラフ大統領しかいないじゃん。という感じで。案の定、彼が退いてから、パキスタンの治安は悪化の一途を辿り、何よりも恐ろしいのは、パキスタンが核保有国ということにあったりする。私は彼の1999年の無血クーデターの機内での状況などをハリウッド映画にしたい!と友達に言っていて、「ムシャラフ大統領役は・・・ロバートデニーロ」と配役まで決めているけれども、友達が、一言、「でも、余りお客が入りそうにない映画かも」と言うのだった。そうすると、それをドキュメントではなく、フィクション化して、パキスタンでなく、架空の国を作ってやると、割とスリルとサスペンスに満ちた映画になりそうな気がする。しかし、知っている人には「ムシャラフのパクリだな」と丸わかりだろうけれども。そして、あまり調子が良くないので(でもしゃべりだけは出来るという、さんまに近いかも)スカイプでコロンビア大学時代のクラスメートと3時間くらい話をしていたのでした。今日のスカイプは調子が悪くて、何度途中も接続が切れた事か。まあ、タダなので文句は言えないけれども、ヤフーメールに不具合があったりすると、同じくタダなんだけど、結構文句言ったりするのはおもしろい現象。最近、オバマさんが、インタビューの途中で飛び回るハエを見事に『バシッ』と叩き落とすという動画が流れていて、ブッシュ大統領の頃はお笑いに事欠かないほど笑い者にされていた頃にくらべると、なんとなく、「地味やなあ・・・」と思いつつ、見入っていたのだった。他に笑える要素もなく、まあ、大統領はお笑いのためにいるわけではないので良いのだけれども、なんとなく淋しいなあ・・・と思ったのでした。顔も特に悪いわけでもないので、似顔絵や風刺がやりにくいオバマ大統領らしいです。どっちかというと「カッコイイ」ほうに入るかも。ケネディ以来かなあ。内容は別にして。
June 25, 2009
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先日は、非常に訳わからないショップの対応にいささかトサカ(はないけど)に来てましたけど、その後、何やらメールが届いていて「先日はありがとうございます」というタイトルだったけど、読む気もしないし、もうそこから買う気もしないので、読まずに捨てた。黒ヤギさんと白ヤギさんと同じです。ただ、食べなかったけど。今日も、別のショップから靴のことで電話がありました。実は「ヒールは安定した5センチ」とかなんとか書いてあって、ああ、これなら、日頃のショッピンぐなどで歩き回る時に良さそうだな・・・と思って、入手したのです。ところが、届いて開けてみると、なんと、ヒールが8センチもあるではないですかっ!これには私もびっくり仰天しました。デザインは好きだけど長時間は歩けそうにないな・・・という思いから、明け方でしたけど(ムカデインフルエンザのせいで変な時間に寝たり起きたりしているので)メールにその実情を書いて送っておいたのです。実は、同じ店で前回買った時も不具合があって、靴修理屋さんまで持って行って穴を開けてもらったりせねばならず、その時に、結構、こちらは手間とってやった割には、メールで「ご迷惑おかけして誠に申し訳ありません。今後そのような事がないよう、社員一同気を引き締めてまいりたいと思います」と言う内容のものが届いて、それっきりだった。まあ、穴開けるのに大金がかかった訳じゃないけど、これってあり?という気分は確かに残った。ただ、私はそのショップ自体が好きなので懲りないだけの事なのかも知れないけれども、今回もまた、「ヒール5センチ」のはずのものが「ヒール8センチ」で、びっくりしたのとがっかりした。そして、午後、仮眠を取っていたら、そのショップから電話がかかって来た。ショップの部長さんとのことで、大変礼儀正しく、上の方の人になればなるほど、「頭を垂れる稲穂かな」ってな感じで、「メールで連絡をと思いましたが、2度も重ねて不具合がありましたので、直接お電話いたしました」ということでした。結構長い間話をしましたが(私の余計な話が多かったからかも?)謝罪の気持ちと誠意は十分伝わったので、気持ちよく、電話を切る事ができたのでした。こういうネット販売というのは、写真と文字のみが「買う」か「買わない」かを決める情報です。その大切な「情報」に誤りがあったり、また、写真が工夫されて実際よりイメージ写真ぽくなって、何を売りたいのかさっぱりわからないようなショップの写真などはネット販売として失格だと思う。でも、誰にでも間違いはある。おまけにその間違いが、よりにもよって、うるさ型の「私」に当ってしまったのも何かの縁?アップルのサポートにも、ここを読んでいる方はよくご存知かと思いますが、かなり厳しく対応してきて、最初は「ええ?」と思う日本語を使うサポートの人がかなりいたけれども、私がある日、上の部の人に「アップルは日本語教育というのはしていらっしゃらないのですか?どう考えても、日本語として変だと思う日本語をサポートの間中使われると、なんだか頭がヘンになりそうなんですけれども」と単刀直入に言ったら、『いいえ、弊社はどちらかといいますと、古風な日本語教育をしておりまして、そのような日本語を話す社員がいることも知らず、今後の教育に役立てたいと思います』という返事をもらったことがあった。それからしばらくしたら、それまでなかった「この通話は、今後のサーピス向上の為に録音させて頂きます」というアナウンスが流れるようになって、懐かしき「あげる君」もついにはいなくなったのでした。アップルのサポートに電話するのは本当にストレスになります。まず、受付の人に状況を説明し、「では、担当部署につなぎます」となり、担当の人にまた説明し、その人でわからないと、「では、もっと専門的な者に代わりますので」となって、また、状況を説明し直して・・・の繰り返しで、だいたい3時間くらいかかったりするのが当たり前で、マックの状態が悪くなると、本当にストレスになるのです。それで、受付が出ると私は「何度も何度も同じ説明をするのは時間の無駄ですから、最初からよく判る方に代わってください」と言うようにしているのだけれども「まずは受付をしませんといけませんので、シリアル番号をお願いします。」から始まって、結局「それで、今回はどのような不具合でしょうか?」と聞かれる。それで、『あのですね。あなたに言って、判るんですか?何か解決案を提示できるんですか?ただ単に聞くのでしたら、直接、専門の方に繋いでください。そうしたら、不具合を説明します。そのほうが時間の無駄が減りますし、ストレスも減ります』と言うのだけれども、どーもアップルはまだ、発展途上にあるのか、山登っているみたいに、判らないと、次から次の部署へと交代になって、なかなか辿り着けないのです。しかし、先日、マックプロにウィンドーズを入れたので、私のマックにウィンドーズが入っているので、さっそく不具合があったので、ウィンドーズのサポートに電話したら、その対応の悪さといったら・・・・私はアップルのサポートでも腹が立っていたけれども、ウィンドーズに至っては腹が立つなんて程度の段階ではなく、なぜ、ウィンドーズ嫌いが、ビルゲイツを虐めるように、ウィンドーズめがけてウィルスをばらまいているのか、なんとなくわかるような気がした。それくらい不愉快だった。ウィンドーズなんて、大嫌いだ~~~!
June 24, 2009
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なんだか、例の「ムカデインフルエンザ」の影響か、昨日は食事以外はほとんど寝てたような気がします。あ、さんま御殿の2時間スペシャルは見ました。それで、こんな時間に悪夢にうなされて目が覚めて、水を取りに台所へ行ったら、途中、犬も起きていました。「お前はいいなあ。単純な夢しかみないんだろうなあ」。とか思いながら。以前にも書きましたが、私の夢には大抵の場合、BGMが流れていて、なんだかしらねえども、今夜の夢のBGMは北島三郎さんの「函館のひ女」でした。それなのに、場所はニューヨークで、セントラルパークのすぐ近くの部屋で、荷造りしながら、元アホカレにめったやたらと恨み節の文句を言っているという設定でした。今夜はCDラジカセでぶん殴るというのはなかったです。多分・・・「函館の女」の歌詞の一部に(何故か詳しい)『♪と~~~てもがまんが~~~~、できなか~~~ったよぉ~~~~♪』の「我慢」が、会いたくて我慢というのではなく、相手に対してとても我慢ができないという気分を表していたのではないかと推測されます。元アホカレは、何も思い出さない時でも勝手に出て来る訳ですが、思えば、スピリチュアルなばあさんが「相手が見ているのよ。未練で」と言っていたけれども、まあ、それは十分考えられるけれども、それとは別に、やっぱり私の中に、もの凄い「悔しさ」というのが未だに残っていて、それが時折「夢」になって現れているのではないかとも思ったりするのでした。自分自身はもう元アホカレに執着しているほどヒマではないし、どちらかというと、何の感情もないというほうが近い状態なのだけど。夢の中で、私はセントラルパークで待ち合わせしている両親に会いに行くためにトランクに荷造りしていたのでした。そうして、ぼ~~っと突っ立っている元アホカレに、何故、そういうことをしたのか、どうしてそんなことが私に対して出来たのか、と言う事を、検察官のように質問しながら、結局、腹が立っていて、悔しくて、情けなくて、荷造りをしていたという感じでした。可笑しいのが、荷造りしているのに、荷物が入りきれなくて、やって来たメイドさん風の女性に「後で取りにくるから」と言ってチップを渡そうとカバンの中からお金を探しているというところでした。私の感情もある種の「未練」かもしれない。なんで、あの時、CDラジカセでぶん殴らなかったんだろう・・・ってな感じの。なんで、あの時、部屋の白壁にスプレーで「この大嘘つき野郎!ド阿呆!大泥棒めが!」と書かなかったんだろう・・・とか。なんで、そこにあった食器を全部(どうせ二人で使っていたものだし)割ってしまわなかったのか・・・とか。まあ、低俗ですけれども。何故、私がそこまでしなかったかというと、単純に、自分の品位をそこまでして落としたくないというプライドだったような気がする。思えば、結婚結婚と相手からも相手の両親からも言われていた頃、「でも、なんだか変な感じがするのよねえ・・・」と、どうしても快諾できなくて、お正月に一時帰国した際、デパートで行われていた、中国4000年の歴史占いとかいうのに、長蛇の列ができていて、日頃、占いにお金を使ったりしない私が、思わず「1000円だったら、まあ、いいか・・・何か参考になれば」と、その時一番当りたくないヒゲ面のおっさんに聞く事になったのでした。開口一番、「この人と一緒になったら、別居か離婚だね」だった。その時、何故か、悲しいとかがっかりという感情より「ああ、やっぱり」という、どっちかというと嬉しさのほうがあったように思う。ひげ面の占い師は何故そうなのかをいろいろと説明してくれたけれども、その中に、「この人はね、基本的に「妻」というものを持って生まれて来てない訳よ。もちろん結婚することはあるだろうけれども、そういう現実とは別に基本的に妻が居ない人だから、うまくいかない。相手があなたでも他の人でも同じようなところがあるわけよ。ところが、あなたには「夫」がちゃ~~んとついてるんだな、これが。だから、この人と一緒になると、別居か離婚っていうことになる」というようなことだった。そして、『ま、この人キープしながら、他探した方がいいね』だった。私についている、その「夫」とやらは、今、どこで、何をしているのだろう?いい加減に出てこいって感じ。
June 23, 2009
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先日のイタリア製のミュールが見事に足に合わずがっかりした反動か、また、靴を買ってしまいました。ええ、私の部屋のクロゼットは靴屋の倉庫みたいな感じです。基本的に秋冬はアンクルブーツかロングブーツと言った、ブーツ類を履いていまして、春夏になるとその反動とばかりに、色々な色のサンダル系のものを履くのですが、履いてないもののほうが多いです。それで、最近は、靴を買う時に「時代の流れに関係ないような感じのやつを・・・」ってな風に、やたらと後になっていかにも「流行遅れ」みたいに見える「今だけが旬」といったデザインは避けるようにしています。まあ、ウェッジソールも今から30年くらい前に一度流行ってたようなので、今回の流行後、また30年くらい経ったら流行の最先端ってことになるのかも?って、その時はもうそんなの履いてないって。やたらとビートルズ最全盛期の頃の、彼らの妻やガールフレンドのファッションが、全く古さを感じさせないというところからも、流行も歴史も巡る巡る~~~。しかし・・・学校の音楽室に行くたびに、何故、ビートルズのデビュー時の髪型が「マッシュルームヘヤーで長髪」と言って非難されなければならなかったのだろう?と、もっとめっちゃくちゃ長髪でどっちかというとロック系の頭をしているベートーヴェンの肖像画を見る度に思ったものだった。ところで、私の友達の一人に、ちょっと不思議な現象を起こしている人がいまして、どういう現象かといいますと、ズバリ端的に言いますと「私みたい」になっていくんですね、これが。本人に自覚症状があるのかどうかは、私には判らないけれども、私が一時、髪を少し茶っぽくしていた頃があって、そうすると、彼女もいつのまにか茶っぽくなっている。私が着ていたような服を、いつのまにか、着ている。私が言ったことを他の人達にあたかも自分が言っているように言っている。時々訳わからなくなるのか、私から聞いた事をあたかも自分が知っていたことのように「私」に向かって言う時があって、その時はさすがに、「それ、私が言ったんだよ」と言うと、「ああ、そうだったっけ?」と平然としているけれども・・・なんとなく、彼女が他の人達に話す時、まるで私が話すような感じで話しているんだな・・・と思えてきて、段々と、複雑な気分になっていくのでありました。芸人はモノマネをされると一流の仲間入り!とか言われて、真似もされないようでは話にならないらしいけれども、私の場合は、私は芸能人でもなければ芸人でもない。たま~~にお笑い系になることはあるけれども、とにかく、まねされるような世界の者ではないハズなのに・・・。何故か、中学の頃からそうだった。私が髪型を変えると、その髪型の人が必ず数人増える。また変えると、また変わる。そんなことがたびたびあった。なんだか、最近は余り気分が良くなくなってきて、話すのもちょっと避けたいような気分になってきていて、まあ、なんだか自分をコピー&ペーストされているみたいで、一言で言うと、気持ち悪い。いや、不愉快?その人から届いた手紙を読んだら、私は私流の「モノの書き方」というのがスタイルであって、それが丸写しみたいに書かれていて、びっくりするよりも、「ちょっとヤバそ・・・」と思った、というのが正直な心境。私は以前から、よく有名人の誰それに似ていると言われる事があって、その範囲が余りにも広くて、というのも、外人のスーパーモデルから年配の女優さんまでと幅が広く、まあ、それぞれ魅力的な人達なので光栄だと思うべきなのかもしれないけれども、私は基本的に「○○に似ている」と言われるのが余り好きではない。「犬(愛すべきディノ)にな~~んとなく似ているよね」と言われたときは、なぜか、逆に嬉しかったりしたけど。この「犬(ディノ)」は、友達だけじゃなく、ウチの母親も「な~~んだかディノ見ていると、あなた見てるみたいな気になるわ」と何度か言われたことがあった。私が金髪が違和感なく似合ってしまうのは、飼い犬が飼い主に似るのではなく、自分に似た犬を選びがちという心理学的要素から来ているのカモ。しれない。あ、ディノは見事な金髪でした。しかし・・・あの友達、どこまで私をコピペするつもりだろう・・・。
June 22, 2009
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このところ、例の「ムカデインフルエンザ(?)」のせいか、余り具合がよくなくて、気分も余り良くなくて、その気分が浮かない原因が、案外、簡単なことなのだということが自分でもよくわかっていたりする。昨日、夜、いろいろとふと考えていて、私の親友の一人は典型的の「お見合い結婚」で、結婚するまでに2~3回しかあったことないし、彼女の場合は、家にいるのが嫌で、そこから出るために、もう、どうでもいいやって感じで結婚したのだと、後になって話を聞いたのでした。だからなのかどうか、私には本当のことはわからないけれども、彼女はご主人に完璧に服従して、「喧嘩したことある?」という質問に「一度もない」という答えが返ってきて、喧嘩っ早い私としては、びっくりしたのと同時に、ああ、やっぱりね・・・という気持ちもあった。彼女は実家のお父さんが異常に厳しく、刃物を振り回してあばれたりしることも日常茶飯事だったそうで、そういう「実家」からいち早く逃げ出すには、とにかく、結婚しかないと思ったらしい。どうりで、新婚旅行の旅先(ヨーロッパ)から送られて来る絵はがきには、何も楽しげなことが書かれてなくて、隣のテーブルで食べてる人の批判や、運ばれて来たサラダの人参の多さへの不満などが綴られていた。新婚旅行の写真も後で送ってくれたけれども、かなりの数あるのに、一応、寄り添って写っているけれども、彼女の顔に笑顔は一度もなかった。彼女はかなり昔から知っていて、私が知る限り、デートの話も、恋愛の話も一度も聞いた事がなく、私が知る限り、私が渡米して、しばらくして、親の言いなりで見合い結婚することにした。結婚にはいろいろな形や出会いがあって、お見合いだから幸せじゃないとは、全く思っていない。お見合いでも、出会って、結婚して、それから愛情を育てて幸せなカップルだって沢山いると思う。ただ、彼女の場合、なんとなく、夫に服従し、夫が部屋にいると、電話の声も変わり、もの凄く気を使っているのがわかる。子供だってもう2人もいるというのに。それで、彼女に聞いてみたことがあった。「あなたは、今まで、泣きたいくらい誰かを心から好きになったことがありますか? 会えない切なさや、会った後、どうしても離れたくないような、そんな気持ちになったことがありますか?」と。彼女には何もなかった。なかったから、今の結婚生活が維持されているのかもしれない。私は・・・何度、会いたくて、泣いた事があるだろうか。一通のメールでその日一日だけでなく、それからずっと幸せでいられるような気持ちになったことが何度あったことだろうか。そして、それがないがために、気分が沈んで、もう、何もかもが真っ暗闇に感じた事があっただろうか。それを人は「恋」と呼ぶ。私は「サカイ」さん以外にも、かなり奇妙な人に好かれて、ストーカーにあったり、いろいろと自分の気持ちとは関係なく一方的に好かれて、はっきり言って「迷惑」だったことも多い。だけど、それと同じ、いや、それ以上に、すごく好きで、その気持ちをどうしたらいいのか持て余すような、そんな時間を過ごしたことも沢山ある。「命短し 恋せよ 乙女」まあ、もう「乙女」の範囲を越えてしまったかも知れないけれども、好きな人からの短いメール1通でも、短い電話での会話でも、こころは、とても幸せになる。そして、それがないがために、ムカデインフルエンザになってたりしたりして?ただひとつ、私は馬鹿だったなと、今になって思うのは、私が恋愛で悩んだり泣いたりするとき、彼女に助言を求めたことだった。今になって思うと、彼女のアドバイスは的外れだったし、そのせいで、修復可能だったことができなくなったことだってあった。恋愛の経験のない人に、私の気持ちや、「どうしたらいい?」と泣きながら聞いた事は、私の大きな間違いだったのだと、思う。彼女が悪い訳でなく、友達だからって、頼った自分が悪かった。だから、もう、彼女には、他の話は共通点が多いから楽しんでできるけれども、恋愛の相談はしないと決めたのだった。泳いだ事のない人に泳ぎを教えてもらうのは、はっきり言って、不可能。それと同じ。
June 21, 2009
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数日前のことでした。ふと、パソコンデスクのプリンターが乗っているところの壁に、身長・・・7センチくらいの、なんと、「ムカデ」がのっそりのっそり歩いているではありませんか!ムカデ、ええ、「百足」と書くやたらと足が多い虫です。私は基本的に虫類が苦手で、「ゴキブリも殺さないような顔をして」っていうのではなく、『ゴキブリも殺せない性格をして』と言う感じで、ゴキブリと遭遇するとお互いに逆方向に逃げる・・・と言った感じなのです。そのわたくしが、某放送局のリポーターになった時、しばらく非常に難しいトレーニングがあった訳です。その中に「研修合宿」というのもあって、とにかく毎日(眠っている間以外)、放送のトレーニングを受ける訳です。その時、合宿所で寝ていたら、何やら顔がむずむずするので目が覚めて、ふと横を見ると・・・ジョージクルーニーが!!!・・・なら別にいいんですけど、巨大な赤い頭をしたムカデが歩いているではないですか。そうです。ムカデは大胆にも、この私の「顔」の上を横断して行ったという訳です。それから一緒に寝ていた研修生4人と一緒にディレクターの部屋に駆け込み、ひとりが、「巨大なムカデが出て、○○さん(私)の顔を見事に横断して行きました!どうしたらいいでしょうか!」とリポート風に訴え、ディレクターが部屋を探しまわったけれどもムカデはその時はもういなくなっていたのでした。そして、「○○君(私)刺されなくて良かったなあ。そんなムカデに顔を刺されたら大変なことになっていたぞ、きっとムカデも恐ろしかったんだろうなあ」などとよけな事まで言って、皆、恐る恐る、眠りに戻ったのでした。それ以来、私はムカデに会っていなかったのですが、数日前に、まあ、サイズ的にはぐんと小さくて細かったけれどもムカデには変わりなく、私は一瞬固まってしまって、「どうするべきか?ゴキブリだったらキッチンの洗剤をかけると死ぬけど、壁には洗剤はかけられない・・・どうしよう・・・どうしよう・・・」と思っている間もスモールサイズのムカデはゆっくりを壁を上昇している。そこで、「ああ、もうこうなったら、すっごく嫌だけど、ティッシュを5枚くらい重ねて掴んで丸めて捨てるしかない!」と思い、ティッシュを「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ!」と取り、ムカデに向かってボン!とかぶせたのでした。しかし・・・ムカデに刺されたくないのとムカデの感触を知りたくないがために重ねたティッシュが余りにも厚かったせいか、掴んで取った・・・と思って見てみると見事にムカデは壁から下に落下して行き、私の手のティッシュには何もいない、という最悪の結果になり、それから、家にある害虫用のスプレー落ちた辺り一面に煙がでるくらい吹きかけて、それから掃除機もかけて・・・でも、どこにいったか判らず、それ以来、実は、具合が悪いのです。何しろコンピューターデスクの後ろに落下したというのが最悪で、何一つ動かせない場所なので、見つけることもできず、ただひたすらに掃除機で吸い取ろうとするのが精一杯。その夜は、「ああ、あの若干負傷したムカデが「くそー、あいつめ、覚えていやがれ」なんて思って(ムカデに「思う」能力があるかどうかはしらない)寝ている間にのそのそと歩いて来て、ベッドに登って来て、また、私の顔の上を横断していったらどうしよう・・・・」という恐怖で、電気を消して眠れなかったのです。それ以来、風邪気味がひどくて、昨夜から発熱もあって、「あら、新型インフルエンザじゃないでしょうねえ」という家族の思惑とは別に、私が家族以外の人間で出会ったのは、先日のコンビニ救急車騒動の時と、郵便局の配達の人と、マックの回収に来たクロネコのおっさんだけのようなきがするので、それはないだろうと思うのだけれども、多分、「ムカデインフルエンザ」というのは考えられる。それで、ムカデが出た翌日、友達と話をしていて、「閑静な住宅街なのに、なんでムカデが出るのよ~~~!」と叫ぶ私に、『あ、それは関係ないよ。ウチだって住宅街だったけどよく出てて、父親がトンカチでつぶしてもん』なんて言う。「いつの間に、この部屋に入って来たんだろう・・・・だって、隙間なんてないしさあ、唯一考えられることは、縁側のガラス窓(縁側と言っても、洋風なので縁側はないのだけど)を開けて、レグ(うちの犬)にミルクやって手名付けようとして「ちょっとお座りして待ってなさい」って言って台所にミルク取りに行った間だけしかこの部屋に入り込むチャンスはないのに...」友達はあっさりと、「多分その時カモね」なんて言っている。それで、今朝も熱っぽくて目が覚めて、お薬を飲んで寝たけど、所詮、風邪薬なんて効く訳もなく、気休めではあるけれども、何もしないよりはマシかなあというくらい。そして、今になって、『嗚呼、あの時、コロコロをつかって、コロコロに貼付けて捕獲すれば良かった!」とグッドアイデアが浮かぶのでした。私は基本的に足が4本以上ある生き物(虫とかタコとか)が苦手です。
June 19, 2009
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どーも風邪気味で頭が重~~い感じがして風邪薬を飲んでいるせいか、やたらとだるくて眠いのが抜けないという、冴えない午前に、イタリアのミュールが届きました。前にも書いたけれども、このブランドの「人間工学」を駆使してつくられたと言われているインソールは非常によい履き心地で、今回のも、かなり期待していたのだけれども・・・・なんとなく悪い予感が的中したというか、全く足に合わないではないですか。サイズが合わないというのではなく、「足」に合わないのです。それで、すぐにショップに電話して、「今、届いて履いてみましたが、足に全く合わなくて歩けないので返品します」と届け出をして、ゆうパックで返却したのです。ところが、なんと、そのショップからメールが来て、通常そこのショップは15000円以上だと送料無料なので、今回のミュールは3万近かったのでもちろん送料無料で送られてきたのだけど、「返品とのことで、元払いで商品を送り返して頂き、送料分の代金のみクレジットカードで引き落とさせて頂きます」とかなんとかと書いてあってびっくりした。えええ~~~!返品する時の送料を負担するのはわかるけど、なに?送った分の送料も払えってか?それって、ちょっとサービズ悪すぎない?だって、靴って、本当に履いてみないと判らないものだし、送られて来てすぐに室内で試してみて、それでだめだったから遠距離電話代まで払って連絡もしているというのに、その上、送った時の送料を、本当だったら無料の範囲の品物なのに、送料を請求するってか?私はちょっとむかついた。今までいろいろなショップで買い物しているけれども、返品する時に返品の送料はもちろん払うけれども、「送った時の送料を請求する」と言うショップはここが初めてだった。それも送料無料ってちゃーんと書いてある商品なのに。なんか、騙されたって気分が残った。多分、日頃読まないような会社概要項目あたりに記載されているのかもしれないけれども、今まで、何を返品しても、使用していないものだったら返品する時の費用だけ負担すればいいという、ただそれだけのショップがほとんどだから、余計に嫌な気分が残った。そういうことなら、金額の横に「お買い上げの場合のみ送料無料、返品の場合は送料別」と記載すべきなのだ。そのショップとは「クローカ」です。私はこのショップで取り扱われているものに割と好きな物が多いので、ちょくちょく利用しているのだけど、今回のことでちょっと見方が変わってしまったのは言うまでもない。おしゃれなサイトで実物よりも商品を「見栄え良く」見せる写真が多かったりして、楽天では人気のあるショップのひとつかもしれない。けれども、『驕れる者は久しからず』なんとなく、このショップの対応や、このショップが不定期に販売している「あなただけの福袋」に、やたらと「売れ残りの処分みたいでがっかりしました」という評価が多いことなどからも、そういうことわざが頭に浮かんだ。多分、これからは他の店に同じものが売っていたら、他の店で買うだろうな。他のショップなんて、靴買っても、服買っても、合わなかった場合は、返品の送料だけ負担すればいいところばかりなのが現状じゃないのかなあ。なんか、腑に落ちない。友達に話したら、「通販をする限りは、実際に手にとって買えないわけだから、合わない場合の返品があることもふまえて商売するのが当たり前。余りにも欲出し過ぎ、私だったら同じものが別のお店にあったらそっちで買うわ」と言っていた。I think so too.もう、すっかり嫌気がさしてしまったのは紛れもない事実であった。
June 18, 2009
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自分のブログサイトを見ていたら、広告に「オーラの美輪さんごっこ用変装セット」というのがあって、黄色いヅラやカチューシャやつけまつ毛や唇までセットになって¥1600円くらいで売っているではないですか。多分・・・私がこれを買ってかぶったとすると・・・異様に似合ってしまいそうな、そんな予感がします。と言うのも、以前、ニューヨークのハロウィーンで、シャレで、金髪のカツラを買ったんですよ。ビルの1階にドラッグストアーがあって、ハロウィーン前だったので、色々な変装セットが売っていて、その一つだったので1000円もしなかったと思うくらいの安物の「金髪」ヅラだったんですよ。ところが、シャレで笑いをかうためにかぶったら、あらま、しっくりおさまっちまって、「バービー人形見たい!」とか言われて、全然笑いをとれなくてがっかりした覚えがある訳ですよ。だから、もしこの「美輪さん変装セット」を買って10月のハロウィーンを待っても、多分・・・異様に似合ってしまいそうな気がするわけですね。まあ、買いませんけど。10月31日にニューヨークに行く予定も今のところないし。さて、今朝は一度、シャキッと目が覚めて、昨日の晩ご飯の残りのハンバーグを使ったハンバーガーを食べ、昼は親子丼ぶりを食べ、夕飯はマーボーなすだった。一日に3食食べたのって・・・久しぶりかも。そういう日々でございます。明日には、先日注文したイタリアの靴が届くようなので、返品か出費かのどちらかに決定すると思います。異常。じゃなくて、以上。
June 17, 2009
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いつも大体同じ時間に同じ量の「眠れる」薬を飲んで寝るのだけれども、昨日は寝付きはいつも通りだったけれども、妙な時間に起きてしまって、それから眠れなくなって今日はちょっとダレてます。ここにも何度も書いている通り、私は昔から、靴が大好きで、今持っている靴も、まだ実際に履いてない靴のほうの数が多いというありさまで、それなのに、また、靴が欲しくなって・・・注文しました。イタリアのフィッツというブランドの靴なんですけど、これが去年、初めて苦手なミュールを入手して履いてみたら、もう、足にピッタリで、ヒールも8センチあるのにどんどんあるけるくらいよく出来ているので、それ以来、パンプスだとかも買ってみましたが、やっぱりパンプスよりはミュールっぽいもののほうが、その性能が発揮されるような気がして、メルマガが届いたので見たら、なんとなく良さそうだったので、一応、注文しました。試し履きしてみて足に合わなかったら、返品です。でも、足に合ったら、出費です。実は、今日は本当は何も書く事が浮かばなくて、いろいろと考えるんですけど、まったくネタがないというか、まあ、そんな時もあるもので、靴買ったってことくらいしか話題がないという有様でして‥‥‥はあ。あ、昨日書いていたマックの不具合のいざこざですが、結局、機種替えになりました。しかし、マックも最近は値下がりしていて、同じタイプのもので、内容はぐんと良くなっているのに、私が買った時よりも3万くらい安くなっているんですよ。なんとなく、得したような損したような微妙な気分です。とにかく、不具合なく作動してくれさせすれば、もう、文句は言いませんけど。てなわけで、余り調子が良くないので、本日はこれにて失礼。
June 16, 2009
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昨日、『明日、担当の者が電話を差し上げますから』と言ったっきり、夕方になってもマックから何の音沙汰なしだったので、気が短い私は自分からかけました。そして、ひたすら「話のわかる上の方に繋いでください」と言い、出て来たのは、女性で、まあ、女性でもいいんですけど、その話し方が、語尾を伸ばす、まるで高校生か中学生と話しているみたいな感じで、「きちんと決定権がある方に代わって頂けますか?」と言うと、『はい~~。私がそうなんですけどぉ~~』ああ・・・マックよ、一体どうなっているのだ。まあ、とにかく、壊れてばかりのマックは何とかなりそうにはなったけれども、まだ腑に落ちないところがあって、明日、またもや電話をしなければならないという状態です。こういうのって、本当に凄く疲れます。ただでも疲れてんのに。それで、去年と今年の2月だったか、とにかく2回行った、スピリチュアルばあさんのところに電話しました。一昨年、去年、今年は非常に悪いので、何もしないように、と釘を刺されているのだけれども、余りにも調子が悪いと段々と、「本当にこれで来年になったら調子良くなるのかなあ・・・ああ、どうしたらいいんだろう・・・」と不安になって電話をした訳です。するとばあさんは、「あなた、今はな~~にしたって、ダメな時期なのよっ。下手な事したって無駄。そんな時期は誰にでもあるもんなのよ」と気軽に笑っているではないですか。それで、『こんなんで、本当に来年になったら、何か変わるんですか?変わらなかったら、私、どこかから飛び降りないといけなくなりそうなくらい落ち込みますよ』と言うと笑って「変わるのよ。変わる時は変わるもんなのよ。それまでは辛抱。今は大変な時期だからしかたないのよ。変わるから心配しなくてよろしい!」と平然としている。そこで、お客さんが来たので電話は終わった。映画「アマデウス」を見ていると、とても興味深い言葉をサリエリが言うことが多い。自殺未遂をして精神病院に入れられたサリエリは自らがモーツアルトを殺したのだと神父に話し始める。その中で、『神は自ら、愛すべき、あれほど素晴らしい才能に恵まれた者を殺しておいて、私を32年間もの間、生きながらえさせて拷問に合わせている。人々は今でもモーツアルトの音楽を愛し、私は、自分の音楽が忘れ去られ、演奏されなくなっていく日々を32年間、過ごすという拷問にあっている。神は自分で、愛する子供を殺したのだ。モーツアルトを』という部分がある。あの映画は、実は元アホカレと最初にデートした時に見た映画で、もちろん、リバイバル映画としての上映であったけれども(アメリカでの上映は1984年が最初だった)、元アホカレはクラシックとちょっとしたポップスしか知らないくらい勉強ば~~~っかりしてその年齢まで来ていた人だったので、「アマデウス」はわかりやすかったのでしょう。その頃は、まだ最初のデートですから、私もおとなしくしてました。はい。まあ、あの映画はロマンチックな場面はほとんど出て来ませんから、暗がりで手を握られるってなこともなかったですね。しかし、私は音楽と映画、特に音楽にはかなり精通していましたから、見ながら、この映画の監督はなかなか面白い視点で捉えているな、、、と思いつつ見ていたのでした。あの映画はアカデミー賞を総なめにした作品であるけれども、私がいくつか上げる「あ、これでオスカーはいったな!」と思ったシーンの一つは、モーツアルトが宮廷で行われる演奏会で、当時のガールフレンドを追いかけ回していて、自分なしで自分の曲の演奏が始まった途端、人が変わったように長い、天井の高い、宮廷の廊下を一目散で駆けて来るのを手前から撮っている、そのシーンは素晴らしいシーンのひとつだと思う。あのシーンでカメラは決して動いてはいけないのだ。動かないからこそ生きているというシーンなのだ。そして、その後、年老いたサリエリが神父に、そこに置いてあったモーツアルトの譜面を見てその曲の素晴らしさを表現するシーンも素晴らしく、「あ、このおっさん、オスカーゲットだな」と思ったのだった。私にはそういう映画の見方があって、例えば、タイタニックの時も、ニューヨークで一番大きなスクリーンの映画館で見たのだけど、沈み行くタイタニックを引きで撮り、大海原の真ん中に小さなタイタニック号があって、そこから、小さな悲鳴のように、小さなSOSの花火がポーンと上がり、小さな花火がひらく・・・そのシーンを見た時、ジェイムスキャメロンがオスカーを握ったなと思ったものだった。実際にはテレビサイズで見るとそのシーンはどうってことないシーンなのだけど、巨大なフルスクリーンで見ると、そのシーンはとても生きている。まあ、スターウォーズが劇場向きっていうのに似ているかも。以前はよく、映画のはしごをするくらい、一日に何本も立て続けに見ていたりしていたけれども、最近というか、このところ、あまり映画館まで行ってまで見たいと思う作品がないように思う。私は飛行機の中でも、手元にある液晶の小さな画面で映画を見るけど、成田~NYの間、約13時間前後、同じ映画を何度も何度も見る事が良くある。もちろんつまんない映画とか、一回見て気持ち悪くなったものは二度と見ようとはしないけれども、どうも、見る度に、違うところが見えてくるんでうすね。映画って。だから、1回見ただけでは判らない映画は多いし、一回見て、再度見ると、全く違った視点で見ることができる映画もかなり多い。私はフォトグラファーでありジャーナリストであり、物書きであるけれども、本当は、映画を撮りたい。印象に残るだけの映像をつくれたらって、つくづく思う。
June 15, 2009
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すいません。また、日記さぼるところでした。といいますのも、昨日、マックのノートブックの方が突然ネットに接続されないという不具合が起こり、ノートブックでしかできないことが出来ず、凄く腹が立って、またもや、アップルサポートセンターに電話したりしていて、どうやら、先日、救急で病院に行ったせいか、風邪ももらってきたみたいで(薬は貰って来てないのに)咳き込むようになっていて、横になっている時間が多かったら、いつの間にか寝てしまって、こんな中途半端な時間に目が覚めた、という訳です。私はウィンドーズより、マックが好きです。両方使ってみて、まあ、慣れもあるかもしれないけれども、いろいろなことがウィンドーズは使い勝手が悪く、時間がかかる。しかし・・・前回、このマックブックを修理に出したら、修理に出す前には異常がなかったバッテリーが壊れて戻って来て、その時も、「人のパソコンを修理するって言って預かっておきながら、壊して戻すとは失礼ではないですか!」と怒鳴ったものでした。そして、「今度そのようなことがあったら、機種替えしてもらいます。もう5回も修理に出していて、出せば出すほど悪くなって戻って来るって、冗談じゃないですよ」と言い切っていたのでした。担当の人は最初女性が出て。「あのですね、また、「上の者に変わりますので」って何度も何度も同じ説明をするのは面倒なので、直接上の、よく判る方に代わってください」と言うのだけれども、結局『はい。でも、まず受付をしないといけませんので、症状をおしらせください』てなことになって、結局、私はどんどん腹が立ってきて、その日のサポートの人は女性だったのだけれども、「本日、カスタマーサービスが日曜で休みですので、明日、番号をお知らせしますので、かけて頂けますか?」と言われたので、『責任はそちらにあります。私がかける筋合いはないです。そちらできちんと状況を伝えて、そちらからかけ直してください』ということで、電話を切ったのでした。ま、どうなるかわかりませんけど。とにかくMacBookが使えないと非常に困るのです。怒るって‥‥‥疲れる。ただでも、本丸更新して、新しくPart 20を作ったのだけど(Part 19が余りにも巨大になったので、仕方なく)いきなり、私の好みでもないバリー・マニローなんかつかっちゃったもんだから、何となく、気分的に不安定。そうでうすね・・・気流の悪いところを飛行中の旅客機みたいな感じですかね。You know I feel alright ♪まあ、それでも文句言いつつでも、ウィンドーズ使うよりマック使うほうが私は好きですけど。APPLE・・・そう言えば、ダヴィンチコードはAPPLEでしたね。「人が恋に落ちることに万有引力は何の責任もない」とかなんとか、アインシュタインも言ってましたが、確かに、恋に落ちても、恋に上がる人は余りいないようで、同じ「こい」でも上がって行くのは滝の鯉くらいですかね。おそまつさまでした。
June 14, 2009
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すいません。はやり余り体調が万全ではないようで、日記をパスしてしまいました。最近、スカイプで無料で国際電話が出来るようになって以来、海外の友達とかなりの長時間、話をすることが増えて、その後で日本の友達と話をしていると、どこかでスイッチが混乱するらしく、ちょっとしたはずみで日本語だと思いつつ、英語を使っていることに気付き、急いで日本語に戻す‥‥‥ということがあります。完璧に日本語が使えないのと同じように(どの日本人でも完璧には日本語を使いこなせていないと思う)決して完璧に英語が使えている訳ではないのだけれども、無意識に言語が日本語から英語へと変換する瞬間というのがある訳です。さて、今朝の夢はかなり長かったです。何故か、皇室ファミリー全員と一緒に専用機でロンドンに行っている、という夢でした。そこに私がなぜいるのかは、夢ですから、わかりません。そろそろ帰国の途にってところで、思わず、「そうだ。コベントガーデンに行ってみませんか?」などと提案し、全員が同意したので、皆でぞろぞろと行くことになるという夢でした。実際、コヴェントガーデンには久しく行ってないので、夢とは言えども懐かしかったです。そこには、天皇皇后両陛下はもちろん、皇太子ご一家と秋篠宮ご一家も一緒で、かなり賑やかでした。愛子ちゃんが可愛かったですね。そして、彼女がおっしゃるには、「私が天皇を引き継ぎます。だって、国民はそれを希望しているから」ということですが、あくまでもこれは、私の夢の中の出来事で、その件に関しまして個人的に何の意見もありません。今の私には、どこの国に対しても『懐かしい』と思うくらい長期に日本に滞在していることにかなりフラストレーションがたまっていて、どっちかというと、アタマ、ヘンニナリソ~ってな感じです。色々な話を色々な人達としていると、人の心の「奥」というか、「本心」というか、なんとなくそういうものが感じられることがしばしばあります。「親友」と思っている相手でも、感じることが時々あって、人というのは、結構「比較の幸福感」を持っている人が多いのかもしれません。例えばいろいろと状態が悪いことを話したりすると、その相手の「心の奥」でどういう反応が起こっているのか、な~~~んとなくわかって、ああ、同情しているように聞こえるけれども、結局、感じようとしているのは「優越感」なんだな、とわかったりすることがあります。おもしろかったのは、よく話をする友達の一人に、ずっと「なんだか、目覚め時の気分が良くなくてねえ・・・」と言っていたのです。すると『それはつらいね』と言いつつ、心の中ではほくそ笑んでいるということが伝わって来ていたので、最近は、「なんだか、最近、逆に目覚る時の気分が爽快でねえ。すごく気分がいいよ」と言ってみたら、『あ・・・そうなんだ・・・』と明らかに、残念そうではないですか。本当だったら『ああ、それは良かったね!』という反応が返って来ても不思議ではないのに、多分、本人は自覚してないと思うけれども、私は右脳を使うので、感覚的に直感で言葉のトーンなどで感じる訳です。つまり、自分より状態が悪いと自分自身に対して、ご主人に気を使って生活していることも「ま、あの人にくらべれば、私は幸せだわ」と思えるところを、その「あの人」が「気分爽快」になってしまうと、その人の比較対象の幸福感が消滅して、言葉が少なくなる、という訳です。そういう比較からくる「幸福感」というのは泡みたいなもので、簡単に消えるものです。しかし、自分自身で感じる「幸福感」というのは、例え他人から見て不幸そうに思えるような状態であっても、どんな状態であっても、本人が「幸せ♪」と感じることは不動で、盗むことが出来ない。だから、落ち込んでいる時によく「もっと大変な人達が大勢いるのに」とか「○○さんにくらべれば恵まれてるじゃないの」なんていう慰めの言葉が私は好きではない。比較される対象の人に対して、失礼だと単純に思う。あなたは、幸せですか?
June 12, 2009
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すいません。これ書いているのって、水曜じゃなくて、木曜の朝です。と言いますのも、昨夜、ちょいとしたことで、帰宅したのが午前だったもので、書けなかったんですね。なんて言うと、何か楽しげなことがあったのかと思われそうですが、いや、いや、単純に、具合が悪くなっただけです。ただ、具合が悪くなったのが、夜、まだ早い時間に近所のコンビニまで珍しく歩いて行ったのです。その頃から、ちょっとなんとなく足取りが変だな?とは思っていたのですが、まあ、普通にコンビニでコーヒー牛乳やらチョコレートやらを買いまして、清算した後、とても喉が渇いていたので、買った小さな、いつも飲んでいるコーヒー牛乳を開けて飲んだんですね。お店の前の駐車場辺りで。すると、急激に胃のあたり(と言っても胃はほとんどないんですけど)が刺すように痛い。「いてっ」って思いつつ、まあ、しばらくすると治るだろうと思っていたら、傷みがどんどん増して行くし、今度は座り込んでしまうし、「ああ・・・以前やった急性膵炎だったら困るなあ・・・」と思いつつ、とにかく困ったと思ってお店の人に助けを求めたのです。すると、どうやら、私の顔が(スッピンだったせいなのかなあ)とても青ざめていて、いかにも具合が悪そうだったので、「救急車呼びますね!」と言って、店内に入っていったではありませんか。まあ、その頃はもっと痛くなっていて、丸くなっていました。救急車はタクシーよりも早く到着して、救急隊員の人達が話しかけるので、その質問に答えていたのです。そうとう顔色が悪かったらしくて、今までは意識が朦朧としていた時にしか救急車にのっていなかったので、今回は一応意識はハッキリしていたけど、動けなくらい痛い・・・という状態だったので、質問に答えながら初めて救急車の中を観察していたのでした。病院にはすぐ到着。それから、採血やら点滴やらレントゲンの撮影などいろいろと検査され、前回、急性膵炎の時に足の付け根の内側、つまり、非常にギリギリのあたりの「動脈」から採血をするというので、ああ、やっぱり医者も急性膵炎アゲインということを考えているんだな、と思いつつ、パンツ(下着のほうのパンツ、トラタニのです)を下げようとするので、「あの・・・さげなくても、こうしてここから採血してはどうですか?と、足ぐりまわりのところを引き上げてたのです。『あ、そういわれればそうですね』・・・あーた、今までずっとパンツ下げてしか採血してなかっのかよーと言いたかったけれども、患者なので押さえました。ラッキーなことに急性膵炎ではなかったです。ラッキーだったと言うのは、あれになると、即、何も持ってなくてもそのまま入院ですかえ、凄く困るわけです。金曜に約束があるし・・・。それで、点滴も2本目に突入して、その頃には、傷みもほとんどやわらいでいて、「それではちょっと座ってみましょう」と言われ、座ったら、REのレジデンスが(レジデンスだと、なぜか私にはすぐにわかる)「ああ、顔色が随分良くなりましたよ。来た時は蒼白でしたからねえ」なんて言うので、なるほど、はやりコンビニの女性店員さんが「救急車!」って言うほど顔色が悪かった訳で、別にすっぴんだったから悪かった訳じゃなかったんだと、認識した。医者の説明によると、急性膵炎の可能性はなかった、けれおども、腸に異常がある可能性がある、と言う。それは自覚していたので、特に新しい情報ではなかったです。それで、最悪のケースの場合、死亡する危険がある病気の場合もあるので、一度、きちんと検査したほうがよいですと言われたので、「あ、それはもういいです」とあっさり拒否した。その頃になって、やっと看護婦さんが、「買い物に行ったまま帰ってこないと、ご家族の方が心配なさっているでしょうから、連絡いれておきますね」と言う。と、ふと見ると、ほんの時間くらい経ったかなとおもっていたら、すでに3時間以上が経っていて、深夜になっているではありませんか!しかし、自分の携帯を見ても、親からの着信履歴はない。私はどうもこの美しい「地球」にフィットしないみたいで、いろいろと不具合が起こるわけです。まるでウィンドーズみたいに。でも、人には寿命というものがあるというから、きっとそうなのだろうということにして、その時が来るまでは、私が死んだ後にもちゃんと残るだけの作品を作っておかなければ、と思うのでした。すでに、コレクターの人達は集めてくれているようなので、少なくとも、それらは残るでしょう。とても大事にしてもらっているので(高いし・・・)作者としては嬉しいです。ま、とにかく、昨夜というか未明に帰ってきましたが、余り眠れず、早起きして日記書いているくらい元気でいるという報告です。
June 10, 2009
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だんだんと、日毎に湿度が上がって来ているようで、湿度に極端に弱いわたくしといたしましては、一言で・・・つらいくなってきている。梅雨を目前に、庭のあじさいが最低真下。いえ、咲いていました。私はあじさいって、割と好きです。色が変わるところも好きです。ただ、じめじめした季節にしか咲かないところだけが欠点です。今日はさんまの「踊るさんま御殿」があるからと楽しみにしていたのに、夜、一旦ピアノを弾き始めたら、即興演奏に突入してしましまして、気がついたら、すでに1時間半が過ぎ、番組の最後の10分しか見れなかった・・・。今日も友達とたわいのない会話を楽しみました。週末のコネチカットの訳わからないジイさんとの会話と違って、長年の友達というのは、私のとっぴさも、価値観も理解しているので、相当なことではビクともしなくなっています。先日、盲目の人がピアノコンクールで一等賞になったというニュースを話していて、友達が、「ああ、あれ、よく見る人だったよ。CDも出してるしね」と言い、『そうかあ。じゃあ、私も見たらわかるかもね。』などといいつつ、『まあ、盲目で楽器を弾いたりする人達はそうそう珍しくはないけれどね。私も即興演奏になったりすると、まず楽譜がないし、目を閉じて音に集中している時のほうが長いから、ある意味、何も見てないのと同じかも知れない』とかなんとか言っていたら、「その人、子供の頃から、ほら、シュナイダーが弾いてるような小さなピアノ、あれですぐに曲が弾けたらしいよ」と言うので、私は、その「シュナイダーのピアノ」というのがツボにはまってしまって、しばらく笑い転げていたのでした。何故かと言うと、スヌーピーの中でチャーリーブラウンやライナスは割と出やすいキャラクターだけれど、「シュナイダー」はなかなか出ない名前なんじゃないかなあ。シュナイダーはあの小さなピアノでベートーヴェンを弾いたりしてるけど。そして、ルーシーの憧れの君だったりする。友達と、「あ~~あ~~。なんか、家にキースジャレットが一人いてくれたら、楽しいだろうにねえ」などと言っていたのでした。友達も、『そうよね。キースには居て欲しいね。弾いてもらえるし、練習もするだろうし』私と友達の雑談は結構くだらないことばかりです。いつも。「でも、あの人、スタインウェイしか弾かないみたいだから、ウチ、スタインウェイなんてないし、無理だわ。(スタインウェイのグランドピアノはフェラーリと同じくらい高い)」「なんかさあ、最近元気なくてねえ。なんかこう、ぐいっと飲むと別人みたいになるっていうようなモノってないかなあ・・・ああ、そういうのを「麻薬」って言うのか。それはだめだな」なんて言うと友達は笑っている。「でもさ、私、漫画のポパイ見ていていつも思うんだけど、あの人、絶対ほうれん草依存症だよね。どちらかというと「ほうれん草」という「麻薬中毒」みたいな感じだよね。あれがないとな~~んにもできなくてさ。そのくせ、一旦食べるとスーパーマンみたいになるなんて設定、よーーーーく考えてみると結構ヤバい設定だと思わない?」『確かに。そこまで気づかなかったけど、言われてみればそうよね』「本来、野菜嫌いの子供が野菜を食べるようになるために作られたキャラクターらしいけど、どーも、怪しいよ。あれ、絶対、依存症だよ」と私は頑にポパイを「ほうれん草依存症患者」にしてしまおうとしていたのでした。「それにオリーブ。彼女は拒食症かなにかみたいに細いよね。あれも余り健康的じゃないよね。だいたい、あの三つ子の父親って誰なの?未婚の母?」とどんどん追求して行くのでした。フリードリッヒグルダの演奏目録を見ていて、ふと、ああ、あの日、私が悲しくて泣いてばかりいた頃、グルダはこんな曲を演奏していたのか・・・と思いをはせるのでした。
June 9, 2009
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数日前、あるサイトから私のことを知った、ニューヨーク州の上にある「コネチカット州」というところに住むかなり年配の男性から、車の話などいろいろとしたいので、電話をかけてもいいでしょうかという、とても丁寧な(もちろんその人の自宅の電話番号も書いてありました)メールをもらったので、別にあっちからかかってくるんだったら、タダだし、まあいいか、と思って、返事を出したら、今度は「米国東海岸時間で何時頃が日本にいるあなたには都合がいいでしょうか?」と聞かれたので、まあ、夕食後だったら、ニューヨーク、いや、その人はコネチカットだけど時間帯は同じなので、あっちの朝だから、どうせ年配の人だから朝は早くから起きているだろうから、あっちの朝、こっちの夜、ってことで返事を出したのでした。そして、ご丁寧に「あなたの英語が上手でも下手でも(結局下手だろうと思っているわけですね、こういう場合)全く気にしませんから大丈夫です」と書いてあったので、「はい。ありがとうございます。できるだけ「英語」を話すようにします」と書いたのだけど、これは私の一種の皮肉で、「米語」ではなく、東海岸のアイビーリーグ出身者がよく使う「英語」のことをさしてのことだったのです。すると、指定された時間ピッタリに携帯に電話がかかってきたので、でました。ええ、相手はアメリカ人だと判っていたから『Hello?』と英語で出ました。なにやら、あっちの夜中の3時から起きていて、「かけるべきか、かけざるべきか」と悩んでいたらしい。たかが電話なのに。会話は、1時間半くらいになりました。そうとうかかったと思います。特別な国際電話の会社と契約してない場合は。(してると1分8円くらいで安いです)それで、会話はまるで、法廷の質疑応答みたいな感じで、ふつーに聞けばいいのに、まるでもの凄い質問があると思わせるように、「聞いてもいいでしょうか?もし答えたくない場合は答えなくてもいいです」なんて言われるので、一体何を聞かれるのだろう?と思って聞けば、くだらない質問ばかり。だんだん、初めてかけてきた知らないじいさん67才(確かに年配で3才の孫が居るらしいのでじいさんで正しい)と一体何の共通点があるのだろう?と思いつつ、私はやたらと英語を話すと、8年間のジョージ・W・ブッシュのめっちゃおもろいネタばかりで笑っていたので、ちょっと影響を受けているのか、すぐふざけてしまうのです。しかし・・・私はついに、『エリック・クラプトンよりも年上の人と何を話したらいいのか、わかりません』と言ったら、クラプトンを知らないではないですか!『えっ・・・知らないんですか?・・・どれくらいの時代のものだったら判るんでしょうねえ』などと言いつつ、私が言うことのほとんどは知らないのです。私はアメリカのコメディアンで司会者でもあるエレンデジェネレスが大好きで、ニューヨークに居るときはほとんど毎日(笑っていいともみたいな番組です)見ているけど、日本にいると見れないのでYouTubeで見たりしてます。すると、そのじいさんは「ぼくは彼女には我慢できない。面白さが判らない」と言うではないですか。そこで、ああ、この人は年齢ではなく、いろいろなことが私とは真逆の世界、つまり、私は某大学名誉教授に言わせると『君は典型的右脳派人間だね』と言われたのの逆である、左脳人間なんだろうなあ・・・とおもいつつ、なんとかその日は会話が終わりつつあって、やれやれ、と思っていたら、『明日、同じ時間に電話していいですか?知りたいことが沢山あるので』と言う。日頃から年配者には親切にをモットーにしている私は「ノーと言えない日本人」になってしまい、快諾してしまった。そして、日曜日の夜にまたかかって来ました。しかし、日曜の私は前日の私とは違う私だったのです。ええ、芸術家というのはそんなもので、非常にきまぐれで、協調性にかけていたり(私だけかも知れないけど)気分にむらがあるわけです。すると、その人のまるで役所の窓口でのやり取りみたいな質問の仕方がだんだんとイライラしてきて、「あのですね、質問があるのなら、前置きなしで質問して頂けませんか?私のヴェトナム時代のスラングが出るようになる前に(私は英語で怒ると映画で学んだヴェトナム戦争時代の汚いスラングがスラスラ出てしまうです)」と言い、そうだ、何の仕事をしているとそういう感じになるのだろうと思って、仕事を聞いたら、「会計士」と言う。ああ、なるほどね。と思ってしばらく黙っていたら、「会計士」という英単語が判らないと思ったのか、「1+1=2、って感じの仕事です」なんて言うので、「はいはいはい。判ってます。CPA(英語で公認会計士のことをこう呼ぶ)ですね」と言うとびっくりしていた。「私もアメリカで税金を払わねばならなかったので、CPAは雇ってましたよ」と言ったら、更に驚いていて、なにやら、私は驚きの固まりのようだった。音楽の話も通じない。冗談も「冗談です」と最後に言わないとまともにとられてしまう。ああ、これで本当にチックコリアと同じ年齢の人なのだろうか?と思いつつ、何やら、自分のポルシェの写真を撮ってそれを郵送します、と言う。デジカメはないのか!デジカメは!というのも聞かず、「今から写真を撮って、ラボに出して1時間したら出来上がって来るので、送ります」なんて言うし・・・まあ、なんでもいいけど、ゴミが増えるのは困るなあ、と正直思った。結局、私がF1のピットで気軽にうろついたり、シューマッハを知っていたり、実際にF1のコクピットに座ったことがあるというようなことが、非常に特別なことにとらえられているようで、私にとってはどうってことないことなのに、なるほど、そうなのか・・・・と思い、世の中には本当に変わった人というか、日頃、自分と似たような感覚を有した友達ばかりが世界中にいるので、気がつかなかっただけで、世の中には本当に「右脳」をほとんど使ってないような感じの人がいるんだなあ、と思って、電話を切ったのでした。時々、こういう人達から電話がかかってきます。熱狂的に。
June 8, 2009
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悲しい夢を見て目が覚める時はせつない。私は不眠症の割には、というより、不眠症で眠りが浅いからなのか、何故かよく夢を見て、はっきりと覚えている事が多い。そして、その夢の間中、BGMが流れている時が多い。まるで映画のように。今朝の夢には、ずっと、クラプトンの「River of Tears」が流れていた。場所はニューヨークで、何故か両親も一緒で、ダウンタウンに向かって車が進むと、その曲が流れて来て、どうやら「クラプトンそっくりさん」がストリートパフォーマンスで歌っているらしいのだけれども、余りにも似ていて、というか、カラオケを使っているので伴奏は本物と変わりなく、滞在する部屋に両親を案内した後で、私は歩いてその曲を歌っている「クラプトンそっくりさん」を見に行ったのだった。実際には私はダウンタウンには一度も住んだことがない。歩いて行くと、そこは歩行者天国(今でもそういう呼び方をするのかな?)になっていて、道路の真ん中にカラオケの機会と一緒に、デニムの上下を着た、クラプトンそっくりさんがギターを弾きながら歌っていた。なんて似ているんだろう。そう思いつつ、River of Tears はずっと流れていた。この曲はアルバム「Pilgrim」に入っていて、本人が言うように、とても悲しい曲になっている。本丸でも何度か抜粋しているけれども、この曲の歌詞の中の「I wish I could hold you, one more time to ease the pain」という所は、最も胸に突き刺さる歌詞だと私は思う。日本語に訳してしまうと、なんとなくしらけてしまうけれども、結局、言いたいことは、「この苦しみを癒すために、もう一度、君を抱けたらいいのに」という内容なのだけど、クラプトン好きの人はもちろん、そうでない人の一部も、その「君」が彼が4才で亡くした愛すべき息子、コナー君のことだということがすぐにわかるし、また、もしかしたら、シラフになった今、昔の半狂乱だったアル中時代に苦しみを与えた、レイラこと、ジョージハリソンの元妻で、後の彼の妻だった(なんかややこしいなあ)パティへの想いかもしれないし、自分を振ったある女性のことかもしれないし、もしかしたら、誰も知らない「君」かもしれないし、全部をまとめて、「君」となっているのかもしれない。それは作者にしかわからない。私はディノを亡くした時、本当にこの歌詞の意味が痛いほどわかった。泣きながら、本当に本当に、もう一度、この腕にディノを抱けたら・・・と思う日が続いていた。「涙の川に 溺れそう」泳げない私には、想像もできないほど悲しい。最近のクラプトンは、なんだか、どうかしてるんじゃないかな?と思うところがあって、あれだけ、嫌気がさして、「もう二度とやらない」と言っていた「クリーム」の再々結成コンサートをまたするなんて言い始めている。ああいうのは、1回で十分で、1度限りの「夢のようなこと」だからこそ、人々は喜び感動するものなのだ。それに、はっきり言うと、再結成ということ以外に、演奏自体はそれほど素晴らしいとは思わなかった。それをまたやるって?いつも、ツアーが終わる度に「もう引退する」という「オオカミが来たぞクラプトン」なのだけど、やっぱりクリームでもそうだったか・・・。昨日友達と、モーツアルトの家にベートーヴェンが遊びに(実際に遊んだかどうかは知らないけど)行ったという話をしていて、実際に、何才の時に行ったのか調べたら、モーツアルトはベートーヴェンより年上で、なんと、まだベートーヴェンが17才だった頃に、すでに30才のおっさんだった。だから、多分、音楽室に飾ってあるような不機嫌そうなベートーヴェンではなく、まだ17才の才能豊かな青年が、残された時間わずか5年のモーツアルトの家に行ったのだから、きっと、笑顔だっただろうし、まあ、まだ子供と言えば子供だから、お土産もなかったかもしれない。たった35才で没するまで、モーツアルトは626曲を作った、らしい。(最後が626だから、626曲作ったんじゃないのかなあ)そして、死ぬ間際まで作曲していたのは、レクイエム、つまり死者のための鎮魂歌であった。モーツアルトの曲にはマイナーコードの曲が極端に少ないけれども、クラプトンはブルースをやっている関係からも、なにかとマイナーコードの曲が多い。若くして死しても、人が長い一生をかけてもできなかったことを、わずか35年でやっている。人生は「長さ」ではなく、「内容」なのかもしれないと、つくづく思う。しかし、ベートーヴェンがゲーテと公園を散歩した、という話は面白かった。まあ、キースリチャーズがロンウッドにおだてられて、ヤシの木に登って落ちて、怪我をして頭の手術を受けた、という感じ?いや、違うなあ。
June 6, 2009
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ここをずっと読んでいらっしゃる方なら覚えていると思いますが、去年と今年の始めに、あるスピリチュアルなバアさんのところに行ったのでした。それは、それまで、そういう類いのものを一切信じなかった人が、本当に信じるくらい的確に言い当てたり、また、宗教色もなく、何かを売りつけたり高額な金額を要求したりしない、普通のおばあさん、といってはまだ若いかもしれないけれども、そういう暖かい感じの人だと言うことで最初行ったのでした。その時も、今年の始めに行った時も同じことを言われたのだけど、平成19、20、21年はダブルパンチで悪い年回りらしく、ばあさん曰く、『ボロボロのボロ雑巾状態ね』と笑顔で言われたのでした。確かにボロボロでなかったら、そういう所には行く必要がないわけで、そういわれてしまうと、なるほど、今はボロボロのボロ雑巾状態だから、調子化悪いのね、と思うことができたけれども、だからと言って調子が良くなる訳でもなく、非常に調子が悪い。それが、来年になると徐々に変わって来るというので、去年から楽しみにしていたのだけど、段々と今年もあと半年になってくると「ああ、来年になっても、な~~~~んにも変わらなかったら、ショック倍増、立ち直れそうにないわ・・・・」と徐々に怖くなっているのが事実です。まあ、来年以降になってみないとわからないし、そもそもそういうマイナス思考に走るのも、きっと今の状態がボロボロだからなのだろう、と自分に言い聞かせてはいるものの、なんとなく、不安。何が変わるんだろう・・・・ある日、ピンポ~~ン♪とインターホーンが鳴って、玄関に出てみると、ディズニーに出て来るみたいな王子様が白い馬に乗って「さあ、あなたを迎えにきましたよ!」な~~~~んてアホなことはまずないしなあ。逆にそんな人が現れたら、警察に通報すると思う。私はディズニーの「美女と野獣」は割と好きで、野獣が段々と優しくなったりシャイになっているところが可愛らしい感じがして好感が持てたのだけれども、最後に魔法が溶けて、金髪の王子に戻った時は、本当に愕然としてがっかりしたものだった。友達とその話をしながら、「ああいうのを「青二才」って言うんだろうね。まったく魅力ないじゃん。ヘナヘナだし。わたし、野獣の時のほうがいいわ」。と言い、もし、私があの女性だったら、「なに?あなた。本当はこんなんだったの?・・・・ねえ、野獣に戻ってくれない?」って言いそう。最近、特に、人生って、長さじゃなく、内容なんじゃないかなって思う時が多くて、ちょいとヤバい。なんとなく、あと2年くらいいきていられれば、それでいいような気がしてならない、というのが正直な胸の内だったりする。もちろん、人生にやり残したことは沢山ある。だれだって、例え100才以上長生きした人にだって、やれなかったこと、やりたかったこと、やり残したことは山ほどあると思う。だけど、私は、それほど感じていないというのがあって、もう、これでいいかな?と時々思ったりする。といっても、崖から飛び降りたりはしませんけど。あ、それから、よくテレビドラマで自殺未遂の場面で、電車の遮断機をくぐるシーンが出て来ると、私は中学の時、学校の先生が、「どんなに死にたくても、電車の飛び込み自殺はしてはいけない。なぜなら、電車が緊急停車している間や、乗客に迷惑をかけた代金というのが半端じゃないくらい高い。それが親や兄弟や親戚まで請求が行くから、飛び込んではいけない」と言われたのが頭に残っていて、ドラマじゃ簡単にそういうシーンが出て来るけど、あれはイカンですね。昔のスナップ写真を久しぶりに少し見たら、別人みたいに元気な自分がいる。自由で、創造的で、着るものも流行云々など関係なく、自分の好きな物を着ていた。そういう自分が、日本にいる時間が長ければ長いほど、消え去って行くのが実感されて、やりきれなくなっている・・・というのも、やっぱりボロボロのボロ雑巾状態だからなのんかなあ。ああ、来年。どうなるのだろう。まあ、一気に変化があるとは思えないから、徐々に良くなってくれればそれでいいけど。
June 5, 2009
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私は3才からピアノを弾き始め、幼稚園では「もしかしたら天才かもしれない」と先生を唸らせていたけれども、どうやら天才ではなく、単に「芸事」に長けて生まれていただけで、その「天才」は極めて楽譜を読むことを嫌い、また、不得意で、今でも不得意で、それが故に、即興演奏がうまくなったり、ムソルグフスキーを勝手に弾きやすいようにアレンジして弾いたりしていた。私が最初にテレビに出たのも幼稚園の頃で、NHKで、やはり楽器の演奏のためだった。そして、最初のピアノの発表会のとき、私はいきなり簡単なバロック音楽を2曲弾くことになったのだけれども、発表会というのは年齢の小さいほうから演奏を始めるので、割と最初のほうでの出番になった。そして、いきなり1オクターブ違う所から弾き始め、舞台脇から先生が「違う!」と指摘され気づいたけれども、ここでやめたらミスがまるわかりだから、ひとまず切りのいいところまで弾いて、まともなキーに戻って弾くことにした。まだほんの子供だったから、やっぱり初めての発表会はあがっていたのでしょう。私は子供の頃から「その他大勢」というのが嫌いで、楽器演奏になっても、その他大勢のハーモニカや、縦笛などを担当する気になれず、必ず、1名か2名しか担当できない楽器じゃないと演奏する気になれなかった。だから、もし、私がクラシック音楽の世界に進んでいたとしても、オーケストラの一員ではなく、ソリストにしかなりたくないと思っただろう。それだけの技量があるかどうか、おかまいなしに。私にとって「バッハ」の音楽というのは「数学」に似ている。あんなに簡単にいろいろな楽曲を耳でコピーしてきているのに、なぜか、バッハの割と簡単な楽曲である「アリア(BWV1068)」ですら、楽譜が必要。まあ、バロック自体数学的な音の組み合わせが多く、また、教会音楽が多いためか、やたらと神様に捧げられた曲が多く、それでオルガン曲も多く、私はオルガンは余り好きではないのだけど、パイプオルガンは好きで、教会で聴くパイプオルガン曲はロックに負けない迫力がある。フランスの田舎。シャルトルに行きたかったのは、単に学校で世界史の授業中にM先生が「シャルトル寺院のステンドグラスの「青」は今の技術をもってしても再現できないほど素晴らしく、それはシャルトルブルーと呼ばれているのです」という説明を聞いた時、当時、油彩をやっていて、やたらと「青」にこだわって油彩の絵の具を選んだりしていた私にはとてつもなく魅力的に感じて、今度フランスに行ったら、絶対その「シャルトルブルー」を見に行きたいと思っていたからだった。実際に見たシャルトル寺院のステンドグラスは、私が今まで見たステンドグラスの中でも特に緻密にできていて、やはり、「青」は美しかった。そして、そこでパイプオルガンが流れて来て、神様って恵まれているなあ・・・こんな「青」とこんなに美しい「音楽」を捧げられて、などと思ったものだった。パリで大学に通っていた1学期間、私はとても幸せな時間を過ごした。(アメリカの大学では許可があれば、他の大学で単位を取得することができるシステムになっているのです)パリの夜。セーヌ川にかかった橋の上から見上げた夜空には、無数の流れ星が見えていた。もちろん、それは「流れ星」ではなく、大気圏に突入した宇宙のゴミが燃え尽きているだけのことなのだけれども、それでも、数えきれないほどの流れ星が次から次へと流れては消え、その「時」が永遠であればとさえ思った。音楽は多分、ワインに似たところがあって、本当に美味しいワインをしらなかったら、まずいことに気づかないものかもしれない。私はチック・コリアも好きだけれども、彼が弾くモーツアルトのピアノコンチェルトNo.20 in D, K466を聞いて、その後にフリードリッヒ・グルダの同じ演奏を聴いたら・・・その差を思いっきり知ることになった。チックコリアは素晴らしいジャズピアニストの一人であることには変わりはないけれども、モーツアルトは・・・彼のモーツアルトは「ピアノの発表会」みたいな感じかなあ。さすがに1オクターブ間違ったりはしてないけど。
June 4, 2009
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ラフィアと言えば、有名なのはオーストラリアのデザイナーのヘレン・カミンスキーですね。私は日本に輸入されるより遥か以前に、すでにニューヨークのブルーミングデールズというデパート内で売っていた帽子が、どうしても気に入って、似たようなもので安価なものがあったのに、どうしても、どこか違っていて、高かったカミンスキーの麦わら帽子を買って、ええ、今でもちゃんと持ってますし、しっかりしています。いい物は長持ちすることが多い。その頃はまだラフィアの、日本ではほとんどカミンスキーは知られていなかった。それが今では爆発的に人気で爆発的に値段が高くなっているではないでうすか。うーん・・・先見の明?ラフィアの帽子も色違いでいくつか持っていますが、彼女のラフィアで作った、だら~~~んとしたバッグだけはまだもってなくて・・・というか、あれにあの値段はなかろう、という気持ちが大きくて、もっと安ければ欲しいなあ、と思っていながら夏がいつも過ぎて行くのでした。今年は前回、黒の麻のワンピを買ったショップからメルマガが届いて、カミンスキーと同じマダガスカルで作られたラフィアの愛らしいバッグがお手頃値段で入荷していたので、「ああ、この値段だったら欲しいなあ」と思いつつ、「3色あるうちのどれにしよう・・・オリーブもいいし、ブラウンもいいなあ」と思っているうちに1日が過ぎてしまって、気がついた時には、オリーブは完売してしまっていて、ナチュラルとブラウンが残っていて、「さて、どっちにしよう」と迷ったけど、私のようながさつ者はなんでもよく汚すし、ニューヨーク生活で身に付いた悪い癖である、何でも地面に置く、という点から「ナチュラルは汚れが目立ちそうだなあ」と思って、結局、使い勝手が良さそうなダークブラウンに決定して買い物かごに入れて注文したら、即、△印になって「残り1個」となりました。このバッグの商品説明に「リーズナブルなお値段で・・・云々」という箇所があって、『ああ、正しい英単語を使っているな、と思ったのでした。以前、オークションに出品していた人が説明書きに「○○よりもチープで人気がある△△です』と言う表現があって、「これはなあ・・・ちょっとマズいなあ」と思ったのでした。チープ(cheap)=安い。これは学校でも習った単語です。ええ、「安い」で正解です。けれども、日常会話などになると、この「安い」はどちらかというと『安っぽい』という意味合いが強くなります。例えば、「すごくいいレストラン見つけたんだけど、チープなんだ」と言うと、安っぽいレストランと言う感じに受け取られます。どういえばいいかと言うと、そう、「リーズナブル」。「余り高くない」「適当な値段」「手頃な」という意味があって、「チープ(安っぽい)」よりはぐんといい感じです。でも、バーゲンなどで、もの凄くいいものを、もの凄く安く買えたりすると、友達に見せながら、「It was so cheap!!! (凄く安かったの!)」と言ったりしますけど。このバッグは、ラフィアで、おまけにマダガスカル製でこの値段は相変わらず「高い」とは思うけれども、カミンスキーに比べれば非常に「リーズナブル」です。はっきり言うと、単なるずた袋ですけど。ええ。
June 3, 2009
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そういえば、6月になると学校の制服が夏服に変わっていたなあ・・・と、ふと思い出した。私は日本で通っていたカトリック系の某女学園の「校章」のデザインが非常に好きで、それでその学校に行こうと決めたくらいだった。校章にはフランス語で校訓が綴られていて、百合の紋章や聖書や色々な物が集まっていて、結構カッコイイと思ったのだった。その校章は、元々起源をフランスとするその学校を始め、世界中の姉妹校で同じ校章が使われていると先生から聞いたことがあった。モナコにある学校でもやはり同じ校章が使われていると知った。私は冬の制服よりも夏の制服のほうが、生地が薄くてシャリ感があって好きだった。そして、上着の幅をほんの少しだけ狭くつめて着ていた。誰も気づかない程度なのだけれども、そうすることによって、バランスが良くなっていた。今夜、来週に発送すべく、作品の最終仕上げをしながら、いや、そうじゃなくて、フリードリッヒ・グルダのクラシックを聞きながら、作品の仕上げをしていた。グルダはすでにこの世にいない。(1930-2000)私は彼の弾く「G線上のアリア(バッハ)」(実際にはグルダはG線上ではなく"D線上"で弾いている)は、もう、バッハというよりも、グルダの曲になっていると思う。今まで色々なクラシックの音楽家がこの曲を弾いているのを聞いて来たけれども、彼のこの「アリア」は特別な美しさが漂い、3分弱が短くて悔しいと思う。そして、モーツアルトのピアノコンチェルトNo.20 in D K466 を繰り返し繰り返し聞きながら、作業をやっていてこの時間になってしまった。作品に携わる時、私はその時の自分の気持ちが「プラス」の時でなければやならい。何故かと言うと、嫌な気分が少しでもあると、それが作品の中に吸い込まれる、そんな気がするし、実際にそうだと思うから。私がニューヨークで暗室に行く時間はいくらでもあるにもかかわらず、本当に暗室にこもって作業をするのは極限られている理由の一つはそこにあったりする。暗室での制作は私には楽しいものであり、ハッピーであり、音楽を聴きながら(私にはいつも音楽がついてまわっているみたい・・・)時には音楽に合わせて、といってもiPodだけれども、踊ったりしながら、それくらい気分がいい時にしかプリントはしないし、できない。それにしても、いい音楽を聴いている時というのは、それがロックであれブルースであれクラシックであれ、体の中に栄養が行き渡るような感じがする。こうして、見事に、型やぶりなクラシックピアノの演奏を聴いていると、ああ、あの時、ピアノをやめるんじゃなかった・・・と、ふと思う。当時の私には窮屈で、楽譜通りに、決められた通りにしか弾けないクラシックが退屈だった。グルダみたいに、自由に弾く人をその時に知っていたら、違っていたかもしれないし、同じだったかも知れない。そんな「もしも」は考える価値はきっとない。
June 2, 2009
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もう6月か・・・ああ、また5ヶ月過ぎたら来年の年賀状を書くことになるとは、本当に「時間」の過ぎるスピードは等加速運動で過ぎ行く。さて、4月頃だったか、世界中にセンセーションを巻き起こした当時47才のイギリスの太ったおばさんの美声に世界中がびっくりしてニュースになった。私はいつもYouTubeを見ているので、かなりの回数、彼女の歌を聴いているけれども、技術的に「うまい」とか「へた」とか言う以前の、もっと単純で、純粋に彼女の声と歌は人のこころにまっすぐに届くんじゃないかと思う。あの番組はイギリスでもかなり厳しい審査の番組で、審査に落ちて「また戻って来ます」なんて言うと、『では、300年後にどうぞ』なんて平気で酷評するような番組なのだ。私は彼女(スーザンボイル)の25才の頃にクラブで歌っている時の様子もみたけれども、確かに今よりは若く、だけど、なぜか同じヘアースタイルで、ただ、若いだけ痩せていると言う点だけが違っていて、彼女が歌う前にはざわめいて、誰も見栄えのぱっとしない女性が歌うことになど感心がないと言う状態だったのが、一旦、彼女が歌い始めると、クラブの中は一変する。皆が彼女の歌声に魅せられるように、引き寄せられるように、黙ってしまい、見つめてしまう。そういう「力」を25才の時からもっていたにもかかわらず、ずっとプロになれなかったのは、彼女自身が言うように「チャンスがなかったから」のひとことに尽きるかも知れないし、もしかしたら、それは「時を待つ」ための時間だったのではないかと、あの過酷なBritain Got Talentの審査を聞いていて思った。もしも、彼女が今、そのクラブ当時の25才でちょっぴりスリムだけれども、やっぱりぱっとしない風貌で、同じ歌を歌ったとしたら・・・・多分、評価は違っていただろうし、世界中が騒ぐこともなかっただろう。47才で太った、決して魅力的とは言えない風貌を会場の人々は笑い、皮肉っぽい視線を送る。そして、それを完璧に覆すように彼女が見事な歌を歌う。彼女にはそれができるときっとステージに立った時から判っていたのかもしれない。そのギャップが大きければ大きいほど、人は驚き、感激は増す。もちろん、彼女の歌は素晴らしい。けれども、あの風貌と年齢から出て来ると、その素晴らしさが増幅される。準決勝の時、彼女はミュージカル「キャッツ」のメモリーを歌った。誰にでもわかるように、最初に出だしで彼女はかなり緊張しているようで、音程が若干ずれていた。だけど、そんかこと関係ないとばかりに、やはり観衆を魅了した。そして、びっくりしたことは、最初に出場した時よりもずっと「奇麗」になっているところだった。多分、ヘアーメイクの人がやったと思われるメイクは最初の雰囲気とは全く違ったし、ピアスと言うハンサムな審査員が最初に言ったように「今夜、あなたはとても美しい」人は、注目されたり、人に見られるとなぜか奇麗になる。決勝で2位になったとはいえ、すでに彼女は世界中に知れ渡っているし、「2位」というのは結構ラッキーな順位だったりする、例えば・・・M-1の2位だった「オードリー」みたいに。10年前に彼女がチャリティーの為に出したCDを聞くと、その歌声は変わらず心に素直に届くように素晴らしい。そういう活動をしていながら「47才(今は48才)」まで「チャンス」がなかったということは、今、やっとその時が来て、今だからこそ、そうやって、今までの「歌が好き。プロの歌手になりたい」という夢が叶ったのではないかと思う。ただ、今、過労で入院しているというので、やっぱりスコットランドの小さな田舎の女性が、突然世界中に注目され、決勝まで残ったことは、単純に、大きなストレスになったのでしょう。イチローだって、WBCの不振のストレスから胃潰瘍になったくらいだし。10年前に出したチャリティーのCDの歌。本当にすばらしいです。でも、そうやって世界中で有名になると、やっかみ半分というのか、やたらと逆に叩こうとする人達もいて、田舎からでてきたおばさんにとっては、精神的にも疲れる日々なのでしょう。私は写真の師匠から最初に言われたことがある。「大好きという人と同じくらい大嫌いという人がいるくらい強烈なインパクトを持つことのほうが、まあ、なんとなく万人受けするけど印象に残らないよりは遥かに素晴らしいことなのだ」ま、そういうことですね。何にしても。
June 1, 2009
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