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雨が降りしきる午後3時(5/31日)我が家の家の前に、自動車の止まる音に、家内がきずき「あぁっ・・ダッチが来たぁ~」と言って、玄関の鍵を開きに行ったら、「ダッチだよぉ・・今日は」と元気な声で先ず靴を脱ぎ、その靴をきちんと揃えて、つま先の方を外側に向けて並べていた。「じぃ~~じ、今日は!!」と言うなり、英の寝床に勢いよく飛び込んできた。なにやら直径30Cmぐらいの丸いプラスチック製のおもちゃを取り出して、「此れじぃ~じがダッチの誕生日祝いに買ってくれた、”電脳迷路ゲームあ~”なんだよ、じぃ~じ有り難う」と言って、得意顔で早速やって見せてくれた。久し振りに逢えた、孫の元気な笑顔を見ていると、胸の痛みも忘れてしまう。「今日は、じぃ~じの家にお泊りなんだよぉ」、「そうかお泊りか嬉しいかい?」「うぅん・・うれしいよぉ」そんな、たわいない会話を繰り返しながら、時間の経つのも忘れる程であった。夕食は家内が腕によりをかけて作ってくれた、大きなしかも具だくさんの春巻きを、なんと婿は5本も食べてケロリとしていた。孫のダッチも1本ペロリと食べてしまい「あぁ~おいしかったぁ」「ご馳走様でしたぁ」と両手を合わせてやる仕草が、なんとも愛くるしい姿に見えた。娘が寝床をひき、先ずママが絵本を読み終わると、「じぃ~じ・本を読んでぇ」と言うので、モモ太郎の絵本を読んであげた。此れで安心したのか、何時の間にか深い眠りに付いた様だぁ。
2003年05月31日
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"今日は孫の「大ちゃん」幼稚園の遠足で、富士サファリーパークへ保護者同伴で行ったようだぁ。今時の幼稚園の遠足って、かなり遠くまで出かけるのにはいささか驚きである。午後4時過ぎ、「大ちゃん」から我が家に電話があった。其れによると、明日午後から我が家に多分泊りがけで来るらしい。電話のやり取りを紹介しよう。ダッチから「ダッチ、富士のサファリーパークへ行って来たんだよぉ」。家内が「ダッチ、よかったねぇ、動物と一杯あえたんだぁ~」。ダッチ「うぅん・・面白かったよぉ、それから明日爺・ばぁーばの家に行ってもいい?」。家内が「良いよ~~じゃぁ明日、ダッチに逢えるんだぁ」ダッチが「ダッチに逢えると、涙が出ちゃう?」家内が「うぅん、そうだよ涙が出ちゃうくらい、嬉しいさぁ」。~~^^~~^^~~^^~~^^~~そんな会話が終わって、家内が夕食のおかずの件で、「今晩の夕食に刺身でもと思っていたが、明日に変更しても良いかしら」、と聞いて来たので「其れもそうだね、じゃぁ明日が刺身と言う事で・・・」それから家内は、今晩のおかずを、スーパーへ買いに出かけていった。不思議なもんで、孫が来るとなると何となく嬉しさがこみ上げて来るので、今晩熟睡できれば良いがぁ。
2003年05月30日
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先日孫の「大ちゃん」から電話が入り、受けたのは家内であった。内容は最近スイミングに通い始め、その時の様子を電話で伝えてくる。電話の内容は、「今日ダッチ、スイミングで、○○コーチに教わっているんだぁよ。」直ぐに家内が、「ダッチ良かったね、スイミング面白い?」と聞くと「うぅん、○○コーチは女のコーチなんだよぉ、それにとっても優しいんだぁ~」とさも得意気に、元気の声でスイミングが楽しいらしい。「ばぁ~ば、サウナも有るんだぁよ~、ダッチ、サウナに入ったんだぁ」。そこで家内が「そうかぁ~、サウナか、気持ちがい良さそうだねぇ」。「ダッチ、その後ママにアイスクリームを買って貰って食べるんだぁ~」。その内、眠くなって来たのか、「爺に代わって」と家内に言ったらしく、受話器を英の所へ持ってきた。受話器を受け取った英は「じじだよぉ~~、今晩は」と言うと直ぐに「ダッチだよぉ~、今晩は」とオウム返しにかえってくる。だが相当眠いらしく、元気の無い声でそう言った。「ダッチ、眠くなって来たんだろ、じゃぁ寝んねしようね」、と英が言うと、ダッチが「じゃぁ、バイバイ・・・」と言ったきり、深い眠りは入ったらしい。他愛無い話であるが、家内と英ににとっては、元気を貰える様な気がして、孫とお話しが出来る喜びは尊い一時である。
2003年05月29日
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朝目が覚めたのが5時30分頃、まだ起きるのには早いかなぁと思ったが、今日は医者へ行く日でもあったので、そのまま起きてしまった。窓を開けると久し振りの快晴ではないですか。英自身の身体の方も胸の痛みもなく、いったって元気である。朝食は昨日家内が作ってくれた、蕗のキャラブキをあったっかご飯で食べ、とっても食事が美味しく感じられた。午前10時にタクシーを呼び、家内と某病院の麻酔科へ出かけた。麻酔科ではレイザー光線を胸に照射し、ものの10分位で終わってしまった。その後、支払を済ませて病院を出たのが11時30分頃、家内と手をつないで、駅迄何時もの道を15分位掛けてゆっくりと歩いて行った。例によって「お母さん、昼食なんにする?」聞いたら「天婦羅御膳が食べてみたい」というわけで、駅ビルの6階にある「安部浅」に吸い込まれていった。席に着くと、直ぐに店員がメニゥーを持って来てくれた。メニューを見なくとも、食べるものは決まっていたので「天婦羅御膳をお願いします」と言い、暫くすると熱々の御膳が運ばれて来た。英には少し多いかなぁと思ったが、食べていくうちすいすいと、お腹の中に入りそうで、結局全部食べたしまった。家内が「お父さん、全部食べられてよかったですね」と、とっても嬉しそうであった。「お母さん、今日は何故か、とっても気持ちが良いし、何時もと違って、身体が軽く感じるし、健やかな感じがしているんだっよぉ~。」我が家に帰って来ても、気分が良くこんな日ばかりが今後も続けば、こんなに幸せを絶対逃がしたくない。明日もこの様な調子でいてくれたらなぁ~と思う英でした。
2003年05月28日
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昨夜「大ちゃん」から何時もの童話のお話を聞かせるのは家内の番でした。家内は「大ちゃん」に「世界名作アニメ絵本」の中の「青い鳥」を読んで聞かせました。全部読み終わると、「大ちゃん」直ぐに、爺に代わってと言われた家内は、電話の受話器を英に渡した。受け取った英は例の如く、「爺だよぉ~今晩は~」と言うと、間髪いれず「ダッチだよぉ~今晩は~」と、大きな声が返ってくる。そこで「大ちゃん」曰く「爺に聞いて貰いたい事があるんだぁ~」と言うので、爺が「なあぁ~に」と聞くと、「今日幼稚園で、大好きな○○ちゃんと、手をつないだんだよぉ~」と、なんの恥じらいもなく、すらすら自慢げに言っていた。「そぉう・・其れは良かったね、ダッチ○○ちゃん好きなんだぁ~」、「うぅん」。「ダッチその○○ちゃんの席って、ダッチの隣の席?」と、聞いたら「うぅん・・△△君の隣の席で、ダッチから少し離れているのぉ~・・ダッチ○○ちゃんがダッチの隣に来てくれると、もっと嬉しいんだがぁなぁ~」なんって言っているのには、さすがの爺もビックリ仰天、大笑いをしてしまった。「ダッチ、明日(5/27日)幼稚園に行くのが、楽しみだねぇ~」と言ってやると、「うぅん・・眠くなって来たぁ」と言って、電話を切ったのであった。
2003年05月27日
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今日の新聞の教育欄を見ていたら、こんな記事が飛び込んできた。 其れは墨田区の夜間中学の夜間学級を今年の3月を最後に教壇を降りた、尊敬に値する見城慶和(65)先生である。見城先生の事を「ふくろう先生」と呼ばれるぐらい、42年間、夜間中学の教師として、頑張られて来たのは、他でもない、「生徒の勉学心に燃える熱意だった」と振り返って見てそうおっしゃる。先生は在職中、義務教育を受けるべき時に受けられなかった人達、字が書けない人達、字が読めない人達の事を、一人の教師として一人でも多く、この学び舎に来てくれることを望んだか知れないと言う。この夜間中学には「熱く学びを求める、本物の生徒」が、ここにはいるんですと先生は言う。九十歳を過ぎて学ぶ在日韓国人。必死に漢字を覚えるアフガニスタン難民。夜間中学にやっとの思いでたどり着いた生徒の多くは、「どうせ私なんか・・・」と思い込んでいる。しかし学校は、「私なんか」ではなく「自分だって」と夢を育てる場でもある筈だと先生は力説する。見城先生は常に言う、「人間は可能性のかたまりだ」と。学びたい生徒の為に「夜間中学は人生道場であり、私にとっての学校ででもあり、自由に学び、生きるためのパスポートを取得する場でもあると、先生は付け加える。見城先生は生徒を心から愛し、何よりも生徒の幸せを考えている。「教師はかくあるべし」のモデルであると思う。「ふくろう先生、長い間本当にご苦労様でした」何時までもお元気で、此れからの人生を楽しんでお過ごし下さい。
2003年05月26日
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今から10年程前、家内とカナダ旅行に行った時の苦い思い出がある。はじめに泊まるトロントのホテルに着いたのが、夜中の0時過ぎ、明日は「ナイヤガラ瀑布の見学」があるので、早く寝なくてはいけなかったんだけど、貴重品の事が気になり、同じホテルに明日も泊まることだし、必要最小限のカナダドルだけを持って、後はドルとか日本紙幣とか、パスポート等を、ホテルの部屋に備え付けてあった、セフティーBOXへしまう事にした。一応セフティーBOXの使い方の注意事項を読んで、それらをしまう事にし、暗証番号を打ち込んで、此れで安心と思ったが、もし開かなかったらどうし様と思い、暗証番号を打ってみた。ところが開かずの間ではないが、ドアーがびくりとも動かない。何度やっても同じだった。慌てふためきながら、ホテルのフロントに行き、そこには背の高い、黒人の係員ががいた。英の知っているありったけの、英語を並べて捲くし立てたが、いっこうに通じた様子が伺えない。そこで最後の手段で、「セフティー・BOX・ノー・オウプン」を何度も繰り返しているうち、どうやら意味が分かったらしく、なにやら探索器みたいな器具を持ち出し、英の部屋へ来てくれた。およそ30分位掛かっただろうか、やっとドアーが開き、思わずやったぁ~と声を出して言ったら、黒人の係りの人が、日本語で「どうもお疲れ様でした」でっすって。なんだぁ~日本語分かるんじゃぁ~。その後もう一度開け閉めを確認したが、異常はなかったので安心して寝ることが出来た。今では、お恥ずかしい話ですが、当時は真剣そのものだったんですよ。"
2003年05月25日
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今日は何故か胸の調子が良くない、良くないと何をするにも億劫になり、一日中ぼんやりと過ごしてしまった。ようやく夕食後、幾分胸の痛みも和らいで来たので、日記を書く気になった。書くといっても、たいした事ではなく、今夜午後7時半からNH○第一で「作詞家・阿久悠氏の時代を超えた歌たち・・」と言うタイトルで、阿久悠氏にスポットを当て、その思いと情熱を数々の歌声と共にひもとくもので、ポップスから演歌迄ジャンルを超えた作品の数々を、歌手達が歌えあげて行く番組を、家内と二人で見ることにした。 今の所なんの楽しみも、期待できない英夫婦にとって、現在歌を聴いている時が一番、心が落ち着き、歌い手の熱演の姿に、すっかり虜になってしまい、歌い終わった歌手に思わず、拍手喝さいを送ってしまいます。それだけ熱中して見ているのでしょうね。今晩もきっと、英夫婦を楽しませてくれるでしょう。
2003年05月24日
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家内は1ヶ月に一度、白髪が目立って来ると、白髪染めを使用して、真っ黒に染めている。たまに娘婿が来て「お母さん、髪の毛の生え際が白くなって来ているので、染めましょう」と言って染めてくれる。男の人でも、結構丁寧に染めて貰えるので、家内は申し訳なく思っているらしい。先日は珍しい事に、末娘が母親の髪の毛を染めてくれた。さすが何回も娘はパーマ屋さんで、髪を染めて貰っているので、そこの所のコツを知っているらしく、凄く丁寧に染めてくれたそうである。家内の話によると、今パーマ屋さんで、髪の毛を染めるのにかかる費用は、トリートメントを含んで1万1千円位するそうだ。先ほどの、白髪染めの購入代金は、千円位だそうであるから、染めてくれる人がいたら、断然得な事は明白であり、めったにパーマ屋さんには、通えないと言う事になっちゃう。果たしてどうなんだろう。 又最近男性の髪を切る床屋さんが、すっかり様変わりして、10分間で千円でやってくれる。どんな物かと英も興味半分、大丈夫かなぁが半分、の気持ちでその床屋でやって貰った。鋏は適度に使い、バリカンで髪の毛を、ものの見事な手さばきで、あっと言う速さで仕上がりである。バリカンはかなりの多くの種類があって、その都度使い分けをして、髪の毛を切っている。勿論この早さであるから、洗顔や頭を洗ってくれる事はしないが、これで充分であると思う人と、物足りないと言う人がいるはずである。さてどっちが良いのだろうか。
2003年05月23日
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昨今は空き巣狙いにあった被害者が増えてきている。巧妙な手口で鍵をこじ開け進入し、大事なお宝を根こそぎ持っていかれてしまう。下手をすると殺害と言う最悪な事態に成りかねない。最近建たれた住宅の玄関の鍵は、2個施錠するようになっている。我が家の建物は20年前の建造物であり、防犯には余り配慮がされていない。そこで、少しでも防犯に役立つ物が無いか物色した結果、まず玄関には1個の鍵があり、その他鎖状になったフックを掛ける事と、ドアーが少しでも開くと、けたたましい音を出す、器具を取り付け、この音を聞いただけで泥棒は、驚いて退散してしまう事になっている。そう旨く行くかどうか、疑問だがやらないよりましと思い、この玄関と北側のはき出し口のドアーのも、このブザーを取り付けた。笑っちゃう話だが、朝うっかりブザーのスイッチが「入り」になっている事を、忘れドアーを開けてしまう事がある。開けた本人もビックリしてしまうが、近所の方々にどう、うつっているのか、いささか恥ずかしい限りだぁ。皆さんの家庭での防犯は大丈夫ですか?。セ○ムしてますか?(笑い)
2003年05月22日
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「生きる」今日は久し振りに、我が家の庭(庭と言ってもネコの額ぐらい)に出て、腰を屈め眺めていると、小さな蟻が大きな物を口に銜え、せっせせっせと歩いていた。きっと自分の住処に戻るのであろう、あの小さな身体で生きるために、一生懸命に働いている姿を見ると、感心してしまう。「咲く」又、目を花の方に向けると、家内が植えたパンジーの花が、所狭しと咲き誇っている。雨の日を除いて毎日家内が、水をジョウゴで撒いてやっているからだろう。昔こんな話を聞いたことがある。木とか花は、水を与えて貰える人を憶えていて、水撒きをする人が通ると、何等かな反応を示す様である。蟻にせよ、木や花にせよ、総ての生き物は、人間には分からない、生きる為の生活を送っているものと思う。
2003年05月21日
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今朝の新聞に目を落とすと、まぁ~なんと素敵な、蕎麦屋さんが有ったもんだと、感心してしまった。神奈川県K市の住宅地に在住の、Aさん今年1月に蕎麦屋を開店させた。その蕎麦屋さんは、ちょっとそこらの、蕎麦屋さんとは一風変わっている、ユニークなアイデアで、採算を度返しにした、地域活動に「開かれたそば屋」ということである。そのAさんの生い立ちは、「人情味あふれる」東京・神田で学生生活を送った。結婚を機に同区に移り住み、三人の息子を育てる一方、介護のボランティア活動にも汗を流してきたらしい。そんなAさんが地域に「井戸端」となる、「体に優しい手作りの食事を、提供したい」と、そば店の開業を描いて十年近く、出店の資金作りから内装まで独力で奮闘してきたそうだ。ようやく念願がかなって、店内の内壁の周りに著名人の、絵画の個展を開いたりすると、そばを食べながら本格的な絵画が見られ、又ちょっとしたコンサートも開いているそうだ。この7月には落語家の桂米二郎さんを、招いて落語を聞くと言ったユニークな試みも企画しているとの事。「そばを食べながら本格的な絵画を見られるとは思わなかった」とお客からの反応も上場だそうだ。Aさん曰く、「隣の人が何をしているのかさえ、分からない時代、この店をきっかけに、お客さん同士がつながりを作っていってくれれば嬉しい」と、意欲を見せているそうだぁ。影ながら応援しますよ、頑張って地域活動を活性化させて下さい。
2003年05月20日
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今日は孫の「大ちゃん」の5歳になった誕生日である。生まれた時は、2600gで、おしめを取り替える時、足の細さに折れてしまいそうで、おっかなびっくり取り替えて貰っていた。その「大ちゃん」がもうすっかり、大きくなり現在は幼稚園の年中さんで、背の高さなんかは年長さんと同じか、それ以上に背が高いらしい。ところで、先日婿に「大ちゃん」の誕生日祝いに、爺として何か玩具を買って上げたいので、爺に代わって「大ちゃん」の好みそうな玩具を、聞いて買って来てあげて欲しい旨を伝えた。婿は直ぐに玩具のデパートへ「大ちゃん」を連れて行き、気に入った玩具が有ったらしく、家に帰るが早いか「爺、おもちゃ買ったよぉ、本当に有り難う」と嬉しそうな声で、お礼の電話が有った。「良かったね、気に入ったおもちゃが有って」と爺が言うと、「爺、今度大輝の家に来たら、見せるからねぇ」と、さも自慢げに嬉しそうであった。孫にお礼を言われると、何となく嬉しい反面、照れくさくもあった。喜んでくれて、本当に良かったと思う爺であった。
2003年05月19日
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先日孫に聞かせてやっている、童話の本の事で最近読んでやっている本が、少し孫にとっては難しいらしく、もう少し優しい童話の本を捜し求めていた。幸い、楽天の書籍に目を通すと、「名作アニメ絵本シリーズ」と言う童話の本がある事を知り、その中から16冊を籠にいれ、総てを購入した。通常新品を書店で買うと、1冊定価360円するが、多少古書だったので、1冊150円で買うことが出来た。この本は、縦横15cm位の、正方形の小さい本で、ページ数は大よそ50ページ位あり、読んで聞かせる量としては、丁度良いような感じがする。今晩も間違いなく、孫の「大ちゃん」から電話が掛かって来る。早速、用意してある数ある、名作アニメ絵本シリーズの中から、今晩は「王さまの耳はロバの耳」を読んで聞かせよう。毎回、読む順序は決まっており、英が具合が悪い時意外は、家内と交代で読んでいる。今晩の読みの担当は英(爺)である。つっかえないで読めるように、今から読みの練習をしておこう。
2003年05月18日
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今日の神奈川県は昨日とほぼ同じの、うす曇で僅かに小雨が降ったり止んだりの、はっきりしない天気でした。今日は家内の直ぐ上の兄が遊びに来てくれました。お土産に文○堂のカステラを、買って来たくれました。お互い年金暮らしの身の上、昔のような覇気はなくなったが、何とか細々と暮らしているそうである。英のうちの兄姉は5人でが、殆んど付き合いが無く、無縁の存在になってしまっている。家内のほうの兄弟は4人いるが、今日来てくれた直ぐ上の兄位で、あとの兄弟とは行き来も無く、寂しいもんである。少子家族と嘆く人もいるが、子供が多くいても、大きくなってしまうと、疎遠になりがちになってしまい、家族とは一体何んなのかと、考えてしまう世の中である。
2003年05月17日
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今日の神奈川県茅ヶ崎市は、曇り空で時折小雨がぱらついていた。午前中PC内の整備をし、昼食後何故か疲れが出たのと、眠気に襲われ、直ぐに寝床えと入り何時の間にか、寝入ってしまった。ふと気が付くと、TVから懐かしい歌声が聞こえ、耳を済ませて聞いていると、昔の叙情歌が流れていた。勿論聴いていたのは家内で、何年か前からN○Kの歌謡コンサートを、毎週録画(録画の本数12本、120分物で3倍録画)をしておいたカセットである。家内は、数あるカセットの中から、ランダムで選んだ、其れをビデオデッキにセットして聴いている。英も家内も、歌謡曲を聴くのが、悠一の楽しみでり、特に家内は歌手が精魂込めて、歌っている姿を見ると、凄く感動し割れんばかりの大拍手を送るのである。英が目を覚まして暫くして、時刻を見たら午後5時を回っていた。その時歌っていたのが、森 進一の「おふくろさん」で、この曲は何回聴いたことだろう。「母に送る歌」へのリクエストが一番多いのが、この「おふくろさん」と言う曲で、如何に日本人の心の糧がやっぱり「お母さん」なんですね。それに島津亜矢の「母への感謝状」、この曲も母に送る歌の定番にになっている。いずれにしても、お母さんへのほのかな愛情、苦労をして子供達を育ててくれた感謝、どんな時にもへこたれず、優しい愛情をもって子供達にそそいでくれたお母さん。そのように時代は変わっても、変わらぬ母への愛着は何時の世も、変わらぬ母への愛着の気持ちであろう。
2003年05月16日
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昨日何時ものように、某病院の麻酔科へ家内と一緒に行って来た。その帰り道、英の身体の調子が良いので、駅ビルの6階にある食堂街で、久し振りに「と○りゃんせ」と言うお店で、クリムあんみつを二皿注文し、それだけではお腹がすくので、やくみラーメンを2杯頼んだ。待つこと数分、先ずはラーメンが運ばれてきた。家内はラーメンの中に入っている、ちゃしゅうが食べられないにで、英が変わって食べてやった。醤油味で麺は極細で、お腹が空いていたので、旨かった。続いて出てきたのが、待望のクリームあんみつで、果実の何種類かが、いろどりよく綺麗に並べられていた。その中に入っているゼリーが、ピンクや薄みどりの色で、色取りを増していて、如何にも美味しそうである。あんまり美味しい話をすると、嫌がられるといけないと、その店を出て、すぐ近くにある横浜銀行に、固定資産税の税金の支払を、済ませに行って来た。あとはいずれ来るであろう、地方税や県民税の支払がを支払えば一安心である。支払を済ませて、再び駅ビルに戻り、家内がどうせここまで来たのだから、お父さんの夕食のおかずを、買って帰りたいと言ってので、そこで英は「すぶた」が良いと言い、大好きな「すぶた」が今夜のおかずの一つになった。家内はその店の近くのコーナーでやっている、パン屋で焼きたての食パンに、胡桃の入ったかなり大き目の、パンを買い求めた。またこのパンを食べれと、市販のパンがどうも・・・・・英も元気が出ると、あちらこちらに行けるので、楽しみが倍加して嬉しい限りである。
2003年05月15日
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今日は娘夫婦の結婚9周年目の記念日である。思えば9年前娘夫妻の新婚旅行に、英夫妻が一緒に行った事である。ドイツ・スイス・フランスへの新婚旅行であったが、初めての海外旅行に、いざ自分達だけで行こうとすると、かなり不安があるらしく、海外旅行に何度か行っている、私達に一緒に行って欲しいと婿からお願いされた。前代未聞の事であったが、結局一緒に行く事になり、今では懐かしい思い出である。そこで話を昨日の夜10時頃に戻すと、婿から電話が有り、「お母さん、僕が勤めている会社で、幾つかの安く泊まれる、ホテルがあるんですが、6月ごろ行きませんか」と突然言って来た。そこで家内が「丁度良いは、あなた達の結婚記念日に、何もしてあげていなかったので、うちがスポンサーになって、ホテル代は持つから行きましょう」と言う事になり、早速ホテルの予約を婿側が1両日にするという事となった。婿が言うには、今月は何かとお金を使うことが、多かったのでホテル代を折半にしましょうと、言われたらどうしようと、内心はビクビクしながら、電話を掛けたそうである。その後婿が「お父さんに代わって下さい。」と言われ、家内から電話を受け取った。「お父さんその後身体の具合どうですか?」と優しい言葉がけをしてくれた。英は「あぁ~だいぶよくなって来たよぉ~有り難う。それから今お母さんとの電話での、話の内容を理解したので、お父さんも大賛成だよ」「来月が楽しみだね、ホテルへは連泊で取る様に」と伝え電話を切った。又孫と行ける楽しみが来月待っている。長生きすれば良いことが、必ず転がって来るもんだと、健康を感謝する次第です。
2003年05月14日
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先週の水曜日頃から日増しに、胸の痛みが増した来て、此の儘では耐え切れないほどの状況だった。金曜日、もう耐え切れる限界になり、某病院へ駆け込み治療を施してもらい、それから日増しに痛みが逆に薄らいできた。何がそんなに痛みを、和らげてくれたのだろうか。変わった事と言ったら、座薬の使用料を1本増やして日に3本になり、又薬では今まで使った事の無い、痰を切れ易くする薬に、体内の雑菌を殺す抗生剤を毎食後、服用した事であった。確かに痰が体内に溜まり、そこに雑菌が繁殖し胸の神経を、刺激するとすれば、その雑菌と戦い死滅させ、尚その痰を排泄しやすくする薬が、相乗的にその効果を、出して来たのかも知れない。いずれにしろ、あの激しい痛みから解放されただけで、食欲が増し何を食べても美味しく、感じられる様になった。このままの状態が、何時までも続いてくれることを、神様にお祈りし、静かに見守って行きたいと思っている。
2003年05月13日
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今日(5/12日)が英夫婦の結婚40周年の記念日だ。昨日は楽天の方々から、お祝いや、励ましの言葉を頂き、誠に有り難う御座いました。昨日子供達全員が我が家に来て、記念日を祝ってくれた。今までにこの様な事が無かっただけに、なんて嬉しかった事か、改めて子供達に感謝の気持ちで一杯である。今回長男夫妻が、すぐ下の妹夫妻に、それに次女の妹に、父母の結婚40周年の記念を祝おうと、密かに相談し、実現した物であったと言うことであった。夕食の支度は、長女が五目飯を作り、それに豆腐のおすまし、鳥の唐揚げ、薩摩芋に人参とブロッコリーの素揚げ、マグロにイカの刺身、鯵のたたき、豪華な物であった。更に桐の箱に入った萩焼きの夫婦茶碗、山桜の表皮で被われている秋田県角館特産の夫婦箸、そして紫色の可憐な花びらが咲いている、てっせんという花が、鉢植えに植えられたものを贈呈してくれた。 家内共々嬉しくって、涙が汲めどなく頬を伝わって流れ、何度も感謝の意を込めて「有り難う」を繰り返した。下の写真を見て頂くと分かる様に、てっせんの鉢植えを嬉しそうな笑顔で抱えている家内、この日を無事迎えられる事が、出来たのは何と言っても、第一の功労者である家内のお陰と、感謝の気持込めて撮った物である。お母さん本当に有り難う御座いました。感謝感謝です。それに子供達よ本当に有り難う。 此れからの英夫婦の目標は、10年後の金婚式である。無事迎える事が出来る様、日々健康に気を付け、ささやかであるが明るく楽しい人生を、送って行こうと思います。
2003年05月12日
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明日(5/12日)は、英夫婦の結婚40周年目の記念日にあたる。思えばもう40周年経ったのかと感慨無量である。その間、いろいろな出来事に遭遇した。楽しい事、嬉しい事、悲しい事、苦しんだ事、どれも此れも夫婦だけにしか分からない、人生の経路であり、旅の軌跡でもあった。過去を振り返って思うことは、随分家内には苦労を掛けてしまい、本当にすまないと思う気持ちで一杯である。過去に、英の長~い闘病生活とその看病、そして英の闘病生活の間、幼い子供達の面倒を見ながらの生活、其れは其れは一方ならぬ苦労の連続、そしてまたしても英の定年間際の肺癌入院、そして8ヶ月間一日も休まず病院へ足を運んでくれ、英の看病をしてくれた家内、更に追い討ちをかける様に、英の兄弟から「そんな病気にしたのは、てめいのせいだ」と罵られ、さぞかし悔しい思いをしたであろう家内、それでもじっと我慢をして絶えてきた家内、どんなに心に傷ついた事かと、思うと可哀想でならない。その後無残にも膿胸と言う病魔に犯されている現在、家内にとっては今更に続く心労に、一日として心の安らぎが無いであろうと思うと、本来なら記念すべき結婚40周年であるはずが、何故か喜べない人生経路であったような気がしてならない。本来なら、定年後は夫婦2人で、年に数回旅に出かけ、余生を楽しい物にしようと考えていた。其れが出来ず家内には、本当にすまないと思う。さて、明日の結婚40周年記念日にあたり、子供達が何やら計画している事が有るらしく、今日(5/11日)午後3時に、我が家に集合するらしい。昨日結婚している娘から電話が有り、「お母さん明日の夕食は準備しなくてもいいよぉ」と言ってきた。娘の話し振りからすると、兄姉が我が家で何かを作ってくれそうな気配であった。子供達は、親の背中を見て育つと言うが、多分苦労に苦労を重ねてきている、姿を見て来た子供達にとって、私達の結婚40周年を記念すべき日、と思って祝ってくれるそうである。誠にありがたい子供達である。
2003年05月11日
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昨日(5/9日)麻酔科と呼吸器科へ行って来た。麻酔科で胸の痛みを訴え、胸に5本のブロック注射をしました。ブロック注射は胸の肋骨に、注射針を刺し神経を麻痺させる、目的で行われます。でもその注射を打てば、痛みが解放されるされる事は無く、効いているのはおおよそ、4~5時間ぐらですか、其れを過ぎると又元のような、状態に痛みととの戦いが、始まるわけです。今までと治療上で違うことは、レベタンを通常12時間に1本使用していましたが、今日から8時間おきに1本使うようになりました。その効果が幾分出たのか、今こうやって日記を書き込むことが出来ます。でも昨日の痛みのレベルが10だとすると、今日はおよそ6~8位だと思います。呼吸器科の診察では、胸のレントゲン写真には、異常が見受けられずとの事で、先ずは一安心でした。日替わりで変わり、明日の英の身体の調子は、蓋を開けて見なければ、分からないのが難儀です。でも生きる望みをふてず頑張ります。
2003年05月10日
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昨夜から痛み出した、膿胸(のうきょう)の痛み、座薬を使ってもその痛みは消えず、1日中痛みのため、辛い日を過ごしております。現在も右胸の肋骨辺りが、衣服がすれても痛みが有り、今夜痛みが薄らいでくれる事を、天に祈りたい気持ちです。幸い明日は、某病院の麻酔科と呼吸器科の診察日ですので、何とかそこまで痛みが長引かない様、神に祈るばかりです。そんな訳で、楽天のお友達の方々に、レスしたいのですが、今こうやって日記を書くだけでやっとの状態です。誠にご心配をお掛けしまして、申し訳ございません。悪しからずご了承下さい。
2003年05月08日
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この所、風邪気味と脳胸の痛みが手伝ってか、なかなか風呂へ入るチャンスが無かった。やっとこ今日午後4時頃、風呂を沸かして貰い、ゆったりとした爽快な気分で湯に浸かることが出来た。英は湯に浸かるといっても、胸の病気(脳胸)が有るので、首まで湯に浸かる事が出来ない。そこで、乳首辺りまで湯に浸かり、首筋から肩辺りは、柄杓で湯を汲んで片側替わり番ごとに約30回ほど、湯を掛けて暖める方法をとっている。胸までドッポり、浸かってしまうと、水圧の影響で、胸が締め付けられている様に、なってしまうので、後で胸が水圧の影響で、痛む事を経験しているからだ。でも皆さんには申し訳ありませんが、昼間にお風呂に入ることは、身体の調子に左右されるので、悪しからず御免こうもりたい。以上英のお風呂のお話でした。
2003年05月07日
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遅まきながら、昨日(5/5日)は端午の節句(子供の日)であった。昔、家の外へ出て、周りを見渡せば必ずと言って良いほど、どかの家の庭先に、竹竿に縛り付けられた鯉のぼりが、大きな口に空気を一杯吸って、何匹も大空高く泳いでいた姿が、目に入った見のだが、昨今では見ることがあまりない。天高く舞い上がる鯉のように、子供たちも健康で大きく育つ様にと、掲げたもにだが。今は見渡せど鯉のぼりの、姿かたちも影も無い。昨日は我が家でも、末娘が友達と箱根に行ってしまい、孫の「大ちゃん」も婿側の親戚に行き、何故か寂しい夫婦二人っきりの一日であった。最近、我が家の近くの農家のおばぁあちゃんが、自転車に乗って時々、新鮮な野菜を売りに来る。2日程前に来たときは、農地の敷地の外れに、竹林がありそこで取ってきた、旬の竹の子を1本150円で分けて貰った。「お父さん今晩の夕食は、竹の子の炊き込みご飯にしたいんだけど、いいかしらぁ~」、英は「そりゃぁ~良いね、願っても無いこと」と言った。それに鰤の照り焼きと、きぬさやの卵とじと、豆腐の味噌汁を作るわね、と付け加えてくれた。電気炊飯器で炊き込んだ、竹の子ご飯のほのかな匂いが、部屋中に漂い、食欲をすすり午後6時頃、家内と二人で美味しく頂いた。何故かほ~っとした、夕食の時間であった。
2003年05月06日
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今日のおやつは、家内が近くのスーパーで買って来た、「みたらし団子」である。家内が「お父さん、お茶が入ったから、起きて来ない」の声に、ノコンコとリヴィングの椅子に、腰を下ろし暫くすると、串に刺さった「みたらし団子」が寄り添う様に、綺麗なお皿に5本乗せ、それに「静岡の新茶」を入れて持って来てくれた。ほのかな新茶独特の香りが、漂い一口飲んでみた。「これやぁ~旨い、やっぱり新茶は、旨いな~」と家内に、同意を求める様な言い方で、表現をした。家内も「やっぱり新茶は、お父さん美味しいわねぇ~」と合図ちをうってくれた。次に待望の「みたらし団子」を口に方張り、甘辛な昔ながらの味が、口の中で広がって、何か幸せ感を味わいながら、新茶を飲むと更に、新茶が美味しく感じられた。やっぱり日本の古来から有る、和菓子「みたらし団子」は、お茶の味を、尚一層引き立ててくれる。「あぁぁぁ~旨かったぁぁ~~~」。
2003年05月04日
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国際観光地・訪れる東アジヤからの観光客が、SARSの影響で激変しているそうだ。我が家から箱根までは、1時間も有れば行ける距離にある。つい先々月までは、インターネットで宿泊予約を調べたら、其れほど落ち込んでいる様には、見受けられなかった。ところがどうだろう、ことに今年になって、予約キャンセルが相次いだそうだ。特に箱根は近年、富士山の眺望を楽しめる事等から、アジア人観光客に人気の的であったが、SARSが流行する香港、中国、の人達が海外旅行を取り止め、団体客のキャンセルも相次いでいる。なにも日本が悪い訳じゃないけれど。今日から始まる第二のゴールデンウイーク、日本人観光客と相まって、キャンセルが増えなければ良いが、全く予断を許さない状況である。一方では観光に来て貰いたいが、一方SARSの患者さんが紛れ込んで、日本に上陸したらと思うと、其れも困るし、早急なSARS対策を(予防も踏まえて)、日本でも何とか水際作戦で、防御出来ないものか。世界中の伝染病を研究している、著名な先生方が早く病原菌を、撃退する即効薬を開発して頂きたい。そしてSARSの完全終息宣言が、速く出て、また何時もの箱根町に戻る事や、それに全世界の人々が、安心して何処の国にも、行ける日が近い事を、期待している次第です。
2003年05月03日
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朝晩めっきり暖かくなって来て、過ごしやすくなって来た。風薫る5月、我が家の家族にとって、記念すべき最良な月なのである。先ずは、私達夫婦が結婚したのが、今から40年前の5/12日だった。今思うと、40周年目を迎える結婚記念日、何故か考えむりょうの感がする。更に、5/14日、娘夫婦の結婚記念日である。今は、可愛い「大ちゃん」を授かり、これからもっともっと、幸せな明るい家庭を、築いていって貰いたいと思うのである。更に5/19日は可愛いい、孫の「大ちゃん」が、5歳を迎える誕生日である。初孫は何処の家庭でも同じと思うが、目の中に入れても痛くない程、可愛い物である。この様に5月に、各種記念日が集中したのは、只の偶然であって、これからも偶然の月5月を、家族で大切に月として心に留めて置きたい。
2003年05月02日
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4/24日より4/30日迄、すっからり風邪を引いてしまった。4/27日は「大ちゃん」のピアノ発表会に、風邪で少し無理と思ったが可愛い孫との、約束もあり出かけて行ってしまった。ピアノ発表会そのものは、成功裏に終わり、その帰り道、鹿児島から婿のお母様もご一緒だったので、「車屋」と言う割烹料理屋で懐石料理を食べて、我が家に帰宅したのが午後の8時ごろ、英は今日一日で再び風邪悪化し、風邪特有な身体のふしふしが痛み、なにをする気もおこらず、薬を飲んで寝てしまった。たかが1日休養すれば、風邪なんか治ってしまうと、たかをくくっていたが、所がどうした事か、常に背中辺りに、寒気が走り体温計で測ってみたら、37.8度の微熱がありました。それに、何故かPCを開く元気もなく、只、毎日食事とお手洗いの往復で、それ以外は寝てるが限りと、思いそんな生活もやっと、今日(5/1日)の午後あたりから、幾分元気を取り戻して来ましたし、ようやく遅蒔きながら、今日の日記を書いて見たいと言う、心境になったと言う訳です。ーーー追伸ーーー日記リンクして下さっている方々や,その他親しくして頂いている方々の多くが、英のHPへお越し頂き、お見舞いの励ましのお言葉を拝聴させて貰い、どんなに勇気付けられました事か。本当に感謝申し上げる次第です。本来なら皆様の所へ、お挨拶すべきでありますが、まだまだ完全に完治しておりませんので、この段にてお挨拶にさせて頂きたいと存じます。有り難う御座いました。
2003年05月01日
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