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婿の実家(鹿児島)へ行っていた、孫の大ちゃん今日(7月30日)午前中に鹿児島を発って帰ってくる。何せ11時間の長旅、大丈夫だろうか?大ちゃん家に着くのが午後9時半ごろとか、頑張れ大ちゃん。明日から何時もの、童話のお話を聞かせて上げられる。今までちょっとだけ、爺、寂しい思いをしたけれど、今度は、爺・ばぁーば、がお相手だぁ~鹿児島での思いで話を、得意顔で喋ってくれるだろう。楽しみに待っているからね。
2003年07月30日
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我が家の北側に、猫の額ほどの庭がある。その庭に家内が植えた蕗が毎年群生する。毎年今頃になると、家内がその蕗を数十本刈り取り、その蕗をゆでてから(こうすると手が汚れない)皮を剥いて、約3Cm位の長さに切り、鍋に入れ、醤油とミリンとお酒を入れて、3~40分位煮ると、キャラブキ色となり、出来上がるのである。白い炊き立てのご飯の上に、この蕗の佃煮をのせ食べるとこれがなんとも言えぬ、蕗の甘辛い味が食欲を増し美味しく頂ける。出来上がった蕗の佃煮を、昨日の夕食に暖かい白いご飯にのせ、食べたが本当に美味しく、食欲が無くなる夏場にはもってこいの、食材であると思った。
2003年07月29日
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一昨日の夜中から胸の痛みに襲われ、何をするにも虚脱感があり、とうとう一日中痛みと、格闘をしていた英でした。そんな訳で、日記も更新できず残念で仕方ないです。ところが、昨夜の午後10頃、婿の実家に行っている孫が鹿児島から我が家に電話をくれました。受話器を取り「もしもし」と言うが早いか「大輝だよぉ~今晩は」と、威勢のいい声で先ず一方が入った。つられて英も「大輝、今晩は、今日は何処かへ行ったの」と聞くと、「うん、今日はそうめん流しに行って、食べたんだけれど、なかなかそうめんが、取れなかったよぉ」、「ううん、そうだったのか、それでお腹一杯になったの?」と聞くと、「ママが大輝の分を取ってくれたから」「大輝、良かったね」「うん・・」また続けて「パパが笹舟を作ってくれたので、水に浮かべて遊んだよぉ」英が「そうかぁ~そりゃ面白かったねぇ良かった、良かった」、「爺ねぇ~一番大輝の事、大好きなんだぁ~」と言うと大ちゃん「やったぁ~」と、さも嬉しそうに、手に拳を作り空高く突き上げるかんじで、聞こえてきた。その後、家内に代わり「お休みなさい」と言っている感じで電話を切った。こんな他愛無い会話で有るが、3日振りにお話が出来た事で英の胸の痛みも忘れてしまうほど、魔法の声であった。これが命の洗濯になれば・・・・・・・・・ こんな訳で、皆さん方が、英のBBSへのカキコをして頂いた返礼が出来ず、また、皆さんの日記の感想も書けずしまいになってしまいましたが、英の体調が良くなく、そんな訳でして、悪しからずお許し下さい。
2003年07月28日
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今日午後3時過ぎ、家内の良き友人のご夫婦(40年来のお付合い)が我が家に遊びに来てくれた。お逢いするのは3年振りで、良くぞ来てくれた。このご夫婦は、10年前、娘が結婚する時の仲人を務められた方で、とても素敵なご夫妻であります。お土産に手作りの、チーズケーキとメロンを持って来てくれた。我が家でのおもてなしは、イチゴの中をえぐりとった中に、クリーム状の物を詰め込み其れを冷凍した物等をお茶菓子代りにお出しした。奥さんは英の足と手を細かに揉んでくれて、とっても気持ちが良かった。その間、ご主人は昼寝をし、家内と友達は昔懐かしい話に花が咲き、楽しい一時を過ごした。午後5時半頃になったので、夕食を近くに有るパスターロードと言う店にスパゲティーを食べに行った。とっても美味しいと、大満足であったのでお誘いした甲斐が有った。英と家内にとっては、とっても楽しい一日であった。
2003年07月26日
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昨日娘夫婦と孫の「大ちゃん」は、東京から500系の新幹線に乗り博多駅へと向い、更にそこから在来線の西鹿児島行きの特急に乗り換え、西鹿児島で下車、そこから又更に指宿線に乗って、谷山駅で降りタクシーで約10分位で、婿のお母さんが住む家に、やっとこ辿り着く長~い旅である。それにしても、家を出てから何と13時間の、長旅であった訳です。昨夜8時過ぎ、婿から「今しがた着きましたぁ」と電話があり、すぐに家内が「“大輝”どうだった?」と一番心配している事を尋ねた。婿が「新幹線は大喜びだったんですが、特急に乗ったら未だ着かないの、の連続でいささか参りました。」との返事であった。夜が明け今朝の11時頃、電話の鳴る音に家内が直感でいきなり「“大輝”」と呼び掛けをすると、案の定元気の無い、か細い声で「“大輝”だよ」・・・と言ったきり話しが途切れてしまった。その後、娘が受話器を取り、「昨夜、“大輝”喘息の発作を起こし、夜中だったんで大変だった」と言ってきた。「今朝方、近くの病院に行き、喘息の発作を止める、吸引機を使い、薬を処方して貰って来たから、心配しないでもう大丈夫だから」と言って電話が切れた。娘は看護婦を以前やっていたので、こちらでやきもきしても仕方がない、任すしかしようが無いと、英と家内は半ば諦めの胸中である。
2003年07月25日
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英の日記をいつも、ご愛読頂きまして、誠にありがとうございます。 今朝は起きたのが5時だった。7月24日になっているのに、夏の気配が見えない、なぜか寒いので、綿入れの半纏をまとう始末。今日から娘夫婦は婿のお母さんの住んでいる、鹿児島へ行ってしまった。勿論、孫の「大ちゃん」は、新幹線に乗れると言う事で、おおはしゃぎであった様だ。今夜から孫との、夜寝る前の会話が出来ない寂しさがつのる。この寂しさを吹っ飛ばすように、先日友人から「浜田省吾」のCDが送られてきた。2枚のCDに収録されている、曲は全部で22曲、朝から夕方まで3回聴いてしまった。どの曲もそれなりの、味のある素晴らしい名曲である。浜田省吾の語り掛ける様な独自な口調で、切実に、時には悲しそうに、時には優しく歌い上げている。その中で、英が感心を持った曲は「日はまた昇る」と言う曲で、英の今の心境を、其の儘ラップしている様な、錯覚を覚える曲であった。これはいい曲だと思った。その他、「4年目の秋」、「もうひとつの土曜日」、「サイドシ-トの影」、「いつかもすぐ」、「星の指輪」等の素晴らしい曲があり、この様な素晴らしい曲に、めぐり逢えた嬉しさは、久々、英の気持ちに安らぎと、清らかな気持ちになったことは、何年振りのことであろうか。
2003年07月24日
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九州地区を襲った、集中豪雨の被害にあられました方々の、お見舞いと、悲しくも亡くなられた方々の、ご冥福を心からお祈り申し上げます。 今日の天気はどんより曇り、たまに小雨が降る肌寒い一日であった。麻酔科に良く時間が来たので、タクシーを呼びタクシー会社も心得ている様で、家内が「あのぉ~」と声を出しただけで、「ハイ。。○○さんね」と言って、車を直ぐに回してくれる。麻酔科での今日の治療は、胸に赤外線を照射する物だった。治療も終わり会計を済ませた英と家内は、駅迄ゆっくりとした歩調で、二人仲良く手を取り駅ビルに入っていった。先ず昼の時間を少し回っていたので、それにお腹も空いて来ているし、今日はちょっと奮発して、少し高級感のある“阿○浅”の暖簾をくぐり、英も家内も天婦羅御膳を注文した。待つ事しばし、美味しそうな天婦羅御膳が運ばれてきて、早速頂く事にした。多少他のお店屋さんより値段は高いが、「まぁぁ~たまにはいいかぁ」と言う胸中でそこの店を後に、今度は大変お世話のなった方の所へ、贈り物をしようと、一階の有名店街を見て回った。家内が「お父さん、あすこの“あけ○の”にしましょう」とその店の前にたたずみ、暫く何にするか思案中、家内が「そこにある六角形をした箱に、入れて送りません?」と言われ英も、凄く綺麗な、絵柄の模様の六角形の箱が気に入った。そこで六角形の綺麗な箱の中に、好きな小物の食べ物を各種交えて入れてもらい、宅急便扱いで送る事になった。明日の夕方には付くって、言っていたからこれで一安心、最後に“アンデ○セン”に立ち寄り、ここでも美味しい胡桃のパンを買い、我が家へはタクシーで帰ってきた。
2003年07月23日
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この度、九州地区の集中豪雨に、被害を被られた方々に、お見舞い申し上げます。また、悲しくも亡くなられた方々の、お悔やみを申し上げます。 先々週の土曜日に、長男夫妻と娘夫妻が我が家にやって来た。特に長男夫妻は「恵美ちゃん」を、爺・ばぁーば、に見せたい目的があった。この日、運悪く英の調子が、余り良くなかったので、床に入り寝た姿のまま、「恵美ちゃん」と二度目のご対面であった。嫁が「恵美ちゃん」を良く見て貰いたいと、爺が寝ている横に寝かし付けた。爺は小さな「恵美ちゃん」を、可愛いねぇ、何と小さな口なので、まるでおちょぼ口みたいと、誉めてやりながら、頭を優しく撫ぜてあげた。一方、孫の「大ちゃん」の方は、アニメのVTRを見ていたが、時々チラッ・チラッと爺の方に目を向けている様だった。その内「恵美ちゃん」がグズリだしたので、嫁が抱っこして隣の部屋へ連れて行った。かん発いれず、アニメを見ていた「だいちゃん」が、すっ飛んで爺の布団に入り込み、甘えた様子で爺にしがみ付き、「爺、何かお話をしてぇ」と、嬉しそうだった。そこで、狸と狐の面白話をしてやった。お話しが終わり「大輝」面白かったか?と尋ねたが、返事がなくどうやら寝てしまった様だ。「大ちゃん」は爺を独占した、安堵感から眠りについたらしい。この様子は、子供の心理を顕著に表した一つである様に思えた。5歳児の「大ちゃん」、今までパパやママそれに、爺やばぁーばから、一心に愛情をそそがれながら、育ってきた「大ちゃん」突然「恵美ちゃん」と言う赤ちゃんの、出現にどうやら心に動揺をきたし、その愛情を食い止めたい一心で、その様な行動に走ったものと、推察される。これも「大ちゃん」の年が、もっと赤ちゃんと接近していたら、この様な、行動は取らなかったのではないか。
2003年07月22日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 今日は6今朝時半ごろ、朝食を食べた。食べ終わったら家内が、「お父さん、今日10時頃カルピスが安いので、一緒にスーパー迄、歩けたら行ってくれない」と言う問い掛けに、「うん・今はちょっと痛いが、その頃になれば、きっと良くなると思うので、そしたら行ってあげられるよ」と言った。それまでの間、英は床に入り身体を休めていた。暫くして、時計を見ると10時を少し回っていたので「お母さん、胸の痛みが今はないから、一緒に買い物に行かれるよ」と言って、二人仲良く手をつなぎ、ゆっくりとした歩調で、スーパーへ向かった。外は蒸し暑く感じていたが、スーパーへ入ったら冷房が効いていて英には寒いくらいであった。やはり家内が朝方言っていたカルピスが陳列されていて、お一人様1本限りと注釈が付いていた。スーパーに置いてある籠にカルピスを4本を入れ、籠を隅の見えない所に置き、取り合えず2本を持って、レジの所へ、英もついて行った。レジの係りの者も、二人いるので、別に不信がらず、会計を済ませ、英がその袋を持って、再び家内の後からついて行き、家内は別のレジの所へ行って、何食わぬ顔をして会計を済ませて、スーパーを後にした。「何故4本も買うの?」と英が聞くと、家内曰く「これは孫の大ちゃんにあげる為に、買っておいとくの」と答えが返ってきた。やっぱり孫の大ちゃんが、可愛いんだぁと二人顔を見合わせて大笑いであった。
2003年07月21日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 昨日、長男夫婦が孫の「恵美」ちゃんを連れてやって来た。昨日で生後45日を向かえた「恵美」ちゃんは、生まれたての頃に比べて見ても、明らかに顔かたちがはっきりとしてきている。英が指の先を「恵美」ちゃんの、目の前でゆっくりと左右に動かすと、その目が英の指を追いかける。あぁっと英が「恵美ちゃん、目が見えるんだぁ~」と言うと、嫁が「ええ、なんか見えるみたいです」と答えた。じぃ~と「恵美」ちゃんの顔を見ていると、眉毛が濃く、目鼻たちが家内の赤ちゃんの写真にそっくりである。英が「恵美」ちゃんの頬を指先で、軽く押して上げると何故か、微笑んでいる様に見える。その顔の笑顔は優しく天使の様に見えるから不思議である。
2003年07月20日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 我が茅ヶ崎市には名物祭り、濱降祭がある。祭りが行なわれるのは、7月20日、夜中の午前3時に各神社の神輿所から出発して、茅ヶ崎海岸へと向かうのである。特色は複数の神社の連合神事であり、華美絢爛を誇る神輿が40数輿集まり、担ぎ手の「ドッコイ、ドッコイ」という勇ましい掛け声と共に乱舞しながら、それぞれ、茅ヶ崎の海に入り「みそぎ」を行い所定の位置につき、午前七時には一同勢揃いして合同祭典が行なわれるのである。英の住んでいる神社(鶴峰神社)からも、1輿、神輿が繰り出される。担ぎ手の好きな数十人の若い衆や年寄りが、白装束に身を纏い、頭には捻り鉢巻も勇ましく、「ドッコイ、ドッコイ」と、夜中の静けさを打ち破るような、大きな掛け声が辺りにこだまする情景は、勇ましさをより一層感じさせてくれる祭りです。只、この夜中、寝過ごしてしまうと、神輿は遠く彼方へ行ってしまうので、寝過ごさないようにするのも、至難の業である。
2003年07月19日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 昨夜の午前1時頃から4時頃まで、例の胸に痛みが生じ、ろくろく眠れませんでした。何回か痛みに耐えかねて、唸っていると家内が気付き、30分ほど背中をさすってくれ、その後、湿布薬を背中に貼ってくれました。幾分和らいで来たので、家内にお礼を言って休んで貰い、英もいつの間にか寝てしまいましたが、2時間もすると又激しい痛みに襲われ、そんな事を何回か繰り返している内、ようやく朝の5時を迎え、痛いので胸を屈めて朝食を食べました。午前中起きていることが出来なかったので、床に入ったが眠る事が出来ず、昼食を食べ再び床に入っている内、いつの間にか眠りに付き、目を覚ましたら何と午後6時であった。目が覚めてみると気分が良くなり、あの痛みは何処へ行ったのか不思議でならない。明日は外科外来の日、この所の状況を先生に聞いて貰う事にしよう。まぁ~こんな日もあるさ、気持ちを楽に持とう。
2003年07月17日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 毎夜、孫の「大ちゃん」に電話で、聞かせているグリム童話の一部を紹介したい。そのお話は、若いご夫婦には4歳になる子供がおり、父方のお父さんである、お爺ちゃんが同居しておりました。そのお爺ちゃんは、よぼよぼに年をとり、目はかすむし、耳はつんぼで、おまけに膝を悪くし膝が何時もブルブルと震えておりました。お爺ちゃんは、食事のテーブルに着いても、お匙をちゃんと持っている事が出来ず、スープをテーブル掛けの上にこぼしました。その上、口からもスープがもどって、ダラダラ流れる始末でした。お爺さんの息子とその妻は、それを見ると胸がむかつき、お爺さんをストーブの後ろの隅の所へ追いやり、素焼きの小皿に盛り付けて、その上お腹一杯食べさせてくれませんでした。ある時、お爺ちゃんのブルブル震える手は、小皿をちゃんと持っていられなくなり、お皿が下へ落ちて、こなごなに砕けてしまいました。若い妻は小言を言われましたが、お爺ちゃんは何にも言いませんでした。妻はお爺ちゃんに、木の小皿を買って来てやり、それ以来お爺ちゃんは、その木のお皿で食べる事に決まりました。ある時、4歳になる小さな孫が、床の上で小さな板切れを集めていました。「そこで何をしてるの?」とおとうさんが尋ねました。「木のお皿を作っているの、僕が大きくなったら、これでおとうさんとおかあさんに食べさせてあげるんだ。」夫と妻はちょっとの間、顔を見合わせていましたが、とうとう泣き出してしまいました。そしてすぐさま、年とったお爺ちゃんを食事のテーブルに着かせ、それからはいつも、自分達と一緒に食べさせてあげました。お爺さんがお皿を壊しても、怒ることなく、新しい小皿に取り替えてあげました。・・・・・・・・――――――・・・・・・・・・・以上でこの童話は終わっています。これを読まれて、どの様に感じましたか???
2003年07月16日
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いつも「英の日記」に来て頂きまして、誠に有り難う御座います。 T社に勤めていた英は、時々保養所を利用していた。定年後も健康保険書はT社継続扱いにしているので、今まで通り保養所が利用できる。T社の保養所は全国に15箇所あり、何処の保養所も近代的なたたずまいで、まるで豪華なホテル並みの高級感を味あえるのが楽しみである。但し、そう簡単には申し込みさえすれば、宿泊できる訳ではない。英はもっとも簡単な空き室情報を、電話ガイダンスに従い、希望の保養所名や宿泊日や人数を、プッシュボタンを押してピポパと次々に電算処理してくれて、空き室があれば即座にOKとなる。従って、今までは利用保養所の書類を書いて提出の必要があったが、こん度は、此れが不用となった。当日、名前と健康保険書をフロントの係りの者に見せ、帰りに料金を支払えば良いので簡単である。利用料金も被保険者と扶養者、その家族は段階的に、利用料金が設定されている。一般のホテルや旅館の利用より、安く泊まれる事は年金暮らしの英達にとっては、有り難い話である。年配者は安い料金で、温泉に浸かって、鼻歌などを歌いながらの、露天風呂へ入る喜びは、何とも言えぬ、楽しみ方の一つである。\(◎o◎)/!
2003年07月15日
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そもそも、お中元とは一対なんなのか調べて見ました。我々日本人は几帳面と言いましょうか、ことの他、礼節を重んじる国民性があります。例えば、古くより正月の十五日を上元と言い、十月十五日を下元として祝う習慣が有るそうで、丁度その中ほどに七月十五日を中元と言う様な佳節としてとらえていたといいます。つまりこの日は、そこまでの半年間を無事暮らして来た事を祝う日で、うら盆の行事としてご先祖様の霊を供養していました。その考えが発展して、今や一年の中間で親しい間柄や、お世話になった人達へのお遣い物として、ご挨拶方々、感謝を表す日となったといいます。こうやって見てみますと、ヴァレンタインデーとかホワイトデーとか、銘うって商戦につなげる、巧みな考えがある様に思えるのですが。いまや、お中元にも、商戦につながる、一つの名称になっているんですね。皆さんは方は、如何に解釈しますかね。
2003年07月14日
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昨日(7/12日)午後4時頃、娘夫婦がやって来ました。丁度その頃、英の胸が痛く孫の大ちゃんが、「爺、今日は」と言って玄関を入り、英の寝ている部屋へまっしぐらにやって来ました。何時もの英なら「大輝、今日は」と言って、抱きかかえてやるのだが、さすがの昨日は其れが出来ず、「爺、胸が痛いから御免ね」と謝ったのでした。その内、婿が家内と英の前に来て、これ少ないのですがボーナスが入ったからお小遣いにして下さいと、家内と英に1万円ずつ差し出してくれたので、恐縮しながらも、貰う事にした。それからおよそ1時間位、後から長男夫婦が6/5日に生まれた、「恵美」ちゃんを連れて遊びに来てくれた。小さな布団が無いので、座布団を布団代わりに敷きそこに寝かしてみたら、丁度よい大きさであった。二人の孫が一同に集まったのは、初めてで最初は戸惑ったが、小さな赤ちゃんの「恵美」ちゃんが、口をもぐもぐさせているので、お腹が空いているのかも知れないと、嫁がミルクを作りに台所へ向かった。恵美ちゃんの顔の仕草を見ていた家内と英は、思わず「まぁ~可愛いこと」と言って、家内が抱き上げた途端、大きな声で泣き出してしまい。長男が抱きかかえると、すっかりおとなしくなり、泣き止んだのには驚かされてしまった。長男夫婦から「これお中元です」と言って、家内には髪を止めるピン止めを、英には身体に良いからと言って紀州の梅干をくれた。更に箱の中を覗いたら、写真たてが入っていた。長男曰く「この写真たては、恵美ちゃんの写真を入れて貰いたいとの事だった。今まで我が家を見渡すと何処の部屋にも、「大ちゃん」の写真ばかりが飾ってあったので、少しは恵美ちゃんの写真を、飾って貰いたいと思う親心の思いで、この写真たてを買って来たと言う訳である。親ばかチャンリンを思う気持ちは、いずこも同じであると思った次第であった。
2003年07月13日
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今朝は6時半に目が覚めた。直ぐに朝食を済ませ、少し胸の痛みは有ったが、あまりきにせず、PCを開き何時もの様に、英のBBSへカキコして頂いた方々に、お挨拶を兼ねて訪問し、お礼のカキコを済ませた。その頃から胸の痛みが激しくなり、これ以上続ける事がどうみても出来ないと、判断しPCを閉じる事にした。直ぐに布団に入り横になったが、痛みが激しく到底寝る事はできない。家内が心配して、「お父さんお医者さんに行かなくても大丈夫?」と聞いてくれたが、英は其れに答えたくても痛くって答える何処ろではなかった。家内は更に心配し、英の足をさすったり揉んでくれていた。結局、医者にも行かず、英は痛みをこらえて一日を過ごした。夕方の食事時間が来たので、食事を済ませ暫くすると、不思議に胸の痛みが薄れてきた。この分なら今日の日記を書く事が出来そうだと思い書き始めた。長い年月の内には、こんな日も有ろうかと思う英であった。
2003年07月12日
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今日は家内の誕生日である。この日を歓迎する様に、外は快晴の日和である。誕生日祝いとして、子供達からは既に頂いていた。子供達からは、夏向けの結構高い化粧品とか、素敵なブラウス等、家内は子供達に感謝・感謝であった。さて、英からのプレゼントは未だであるので、さて何をプレゼントしようか、いまだに思案中である。そこで、英は毎月家内からお父さんの、小遣いとして○万円を貰っている。ほとんど使い道がないので、今ではそこそこ貯まっていた。そこでその中から○万円を渡し、此れで何か好きな物を買って欲しいと言って、渡すつもりである。そこで今夜は夫婦二人きりで、ささやかな食膳で、家内の誕生日を祝う事にした。
2003年07月11日
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長崎の4歳の可愛い駿君の、ご冥福を心からお祈りいたします。昨日は英の通院の日でした。麻酔科に行き、ブロック注射ではなく、今回はレイザー光線照射でした。治療が終わり会計を済ませ、家内と駅迄徒歩で行き、駅ビルの6階が食堂街になっているので、昼食を取る事にしました。家内が「今日はお蕎麦が食べたい」と言うので、そ○坊と言うお蕎麦屋さんに入り、家内はお餅が入っているからみ蕎麦を、英は温かい月見蕎麦をそれぞれ注文しました。ここの蕎麦屋はちょっと工夫を凝らした店で、生わさびをすりおろし器を使い、自らの手で生わさびをおろして、蕎麦にかけ食べるのです。わさびは現地直送の新鮮なものですから、風味があり、なかなか美味しくいただけます。いよいよ夏到来には、蕎麦とか冷麦とかが好まれる季節ですよね。あぁ~美味しかった 英も家内も満足顔で帰宅しました。
2003年07月10日
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この頃、家内は腰痛に悩んでいる。朝方、毎日と言っても良いほど、腰痛の為なかなか寝床から、起き上がれない。その為、英が家内の腰部に両手を使い、上から押すと言うか、揉むと言うのか、それを10~15分位やってあげる。時には、湿布薬を腰に2枚貼ってあげたりして、腰の痛みを和らげる事をして来た。今朝方午前1時近く再び腰が痛いのか、寝床の上に膝まつき、一人で腰を察すっている僅かな音に、英は目を覚ました。英は直ぐ起きて何時もやるように、家内の腰部に両手を使い揉んであげた。暫く揉んでいる内、「かあさん、せん○ん灸を炊いてあげようか?」と、家内に聞いてみた。家内もそれに同意したので、せん○ん灸を探し出し、早速背中の脊髄を中心とした腰部を、左右約4cmの間隔を開け、縦列に4個ずつ、計8個据えてやった。藻草の燃える独特のにおいが、部屋中に広がったので、庭側の窓を少し開け新鮮な空気を取り入れた。全部の、せん○ん灸が燃えきり、一つ一つ丁寧に取り外しにかかった。家内は気持ちが良いとみえて、暫くうつ伏せのまま布団の上にいた。その内、家内の軽い鼾が出始め、眠りについた様であった。英が目覚めたのが午前5時半、ふと家内を見ると寝床から起き上がっていた。直ぐに「おかあさん、どうぅ・・腰の方の痛みは?」と聞くと、「お陰様で今しがた起きたんだけど、全然痛みを感じなくなったよ」と、嬉しそうに話してくれた。それにしても驚いたのは、如何にお灸が効をそうしたかである。このお灸は、家内は肩凝症であったので、肩にお灸をすえる為に、予め買っておいた事が、今回役に立ったので、こんなに嬉しい事は無い。
2003年07月09日
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昨夜孫の「大ちゃん」から、電話が有り「ばぁ~ば、ダッチ七夕で、みどり亀を買って貰ったんだぁ~」と言うのを家内が聞いて、そう良かったねぇ~と言うが早いか、「爺に代わって・・」と言われ、家内はもっと話がしたかったのだが、そう言われちゃ仕方ないと、英に受話器を持ってきてくれた。「ダッチ君、爺だよ、今晩は・」すると孫の大ちゃん大きな声で、「爺、今晩は」と歯切れの良い声と、その後の言葉を早く言いたげな様子が、手に取るように伝わって来た。先程、ばぁ~ば、に言っていた、みどり亀を買って貰ったことの、嬉しさを伝えてきた。「爺、この亀、今は小さいけれど、どの位大きくなるんだろうね?」その質問にいささか戸惑う英だった。「さぁ、そうだなぁ~、どの位大きくなるんだろうね?」と如何にも、自信がない返事をしたら、そばで聞いていたパパぐろさんが、電話の向こうで「30cm位になるよぉ~~」と言う、大きな声が聞こえた。孫は納得したらしく「これからこのみどり亀を、水槽の中に入れてやるんだぁ~」と言って、物凄く弾んだ嬉しそうな声が聞こえた。そこで英は「ダッチ君、これから毎日、みどり亀の世話を、ちゃんとしなければ駄目だよ」と言う爺の声に「分かっているよぉ~」と、如何にも自身ありげな返事であった。英も子供の頃は、生き物に興味を持ち、兎やらネコを飼っていた事を、つい昨日のように思い出すのであった。また、孫と会話をすると、幾分年が若返った様な、気がするから不思議である。
2003年07月08日
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今日はソロバンについて書いてみよう。かってのソロバンは、特殊技能の持ち主として、重宝がられたものだった。しかし、今のご時世では、電卓が大手を振って活躍している。確かに、ソロバンに慣れていない英にとっては、どうしても電卓に頼ってしまう。昔といってもごく最近の昔だが、ソロバン塾があちらこちらに有り、子供達の多くはその塾に通っていた。今はどうだろう、学習塾、ピアノ教室、書道教室等へ、通うのは良く聞くが、ソロバン塾へ通う子供達が、少なくなった様に思えてならない。時代の変化と共に、以前ほど重要視されていないのかは、さなかではない。でも、時々JRの乗車券を売る、窓口の係員の中には、いまだにソロバン片手に、計算をしている姿を見る事がある。こんな情景を見ると、何故か微笑ましく感じてならない。さて、「ご破算せ願いましては」という日本語に続いて、英語で数字が読み上げられ、アメリカの子供達が真剣な表情で、ソロバンをはじく。これは、神奈川県県内のアメリカンスクール7校の小学2~6年生が約百人が集まり、腕を競ったそうである。在日米軍のアメリカンスクールでは、「日本の文化に触れる事ができ、ましてや脳の働きを刺激する」という事で22年ほど前からずーと、ソロバンを授業に組み込んだり、放課後のクラブ活動で練習しているとのことである。この様にソロバンを取り入れている県内の、アメリカンスクールは7校もあり、ソロバンが子供達の脳の発育に、いかに大切かを知らしめている。勿論日本の小学校でも、授業の中にソロバンを取り入れ、真剣に教えて下さっている様だが、日本古来の良き文化を、後世まで残して行って欲しいと、つくづく思う英である。 「あくびをする坊や」
2003年07月07日
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ラベンダー畑内にある店でソフトクリームを、孫と家内と英とで食べ、暑かったせいか喉こしが良く、美味しくいただいた。ひととおりラベンダーを見終えた英達は、一路箱根明神平のホテルに向かって車の人となった。途中昼食をとる為、甲州名物「ほうとう」を食べる事にし、うどん屋に入った。うどんは少し平べったいもので、なかなかこしがあり美味しく頂いた。この店はなかなか繁盛しているらしく、午後1時半を回っていても、店内は客でいっぱいであった。食事を終えた英達は再び車に乗り御殿場経由、箱根のホテルラフォーネ明神へと向かった。ホテルに着き早速、英が乗る車椅子を借り、娘がチェックインを済ませ、ホテルの係員が部屋へと案内してくれた。ここも和洋折衷で英と家内はベットを選んで休む事にした。英は少し疲れ気味と胸の痛みが増してきたので、座薬を使う時間を確認したが、まだ使うには2時間もあった。座薬を使う間隔は最低でも8時間をあけなければならず、家内が心配をし、一生懸命英の背中を擦ってくれた。40分位横になって休んでいたら、幾らか痛みの方も和らいで来たので、家内の熱の事がこんど心配になり、体温計で測ったらなんと38.9度もあり、娘がフロントへ電話をして氷枕を借りてくれた。フロントの係員が心配して、病院へ行かれなくても大丈夫ですか?と聞いてくれた。幸い、部屋の前に製氷機があり、氷の心配はなかった。早速氷枕をセットし頭にはヒエビタを張り、それと共に解熱剤を飲ませた。英の方も座薬を使う時間が来たので使うことが出来た。これから先の出来事は、家内の熱と英の胸の痛みの連続で、あくる朝どうにかホテルをチェックアウトし、婿が家内の掛かり付けの病院へ車で連れて行ってくれて、病院で家内を降ろし、其の儘英の家へ車を回してくれて、英はやっと我が家に戻り、直ぐに寝床へ入って横になってしまった。婿の車は英を降ろし、其の儘自分の家へと向かって、今回の苦しみの旅は此れで終止符を打つ事になった。家内は内科で診察をして貰い、何処が原因で熱が出るのか、良く調べてもらったが、結局、精神的疲労から熱が出ると診断された。帰りはタクシーに乗り我が家に帰って来た。
2003年07月06日
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河口湖ホテルマウント富士の、夕食の時間が午後5時半に予約しておいたので、部屋を出て夕食の場所へと向かった。英は車椅子に乗り、押してくれていたのは、孫の「大ちゃん」だった。それぞれ席に付き、家内は海老を中心としたメニューを、英と娘夫婦はフランス料理を、孫はお子様ランチを、予め予約しておいた食事が運ばれ、孫は少し小さめのフォークとナイフを前に、ニコニコ顔で食べ始めた。一方家内も熱が解熱剤を使っても、37.8度の熱があり、やはり食事のはこびが悪い。やっと食事が終わり部屋へ戻って、やれやれといった感じであった。夜中、家内がごそごそ音を立てているので、英が目を覚ますと、家内が体温計を出して計っていた。ピッピィという音で体温計の温度を見たら、なんと38.8度もあった。早速、解熱剤を飲ませ、頭に冷えビタを貼り、とにかく寝かせる事にした。翌朝6時に又もや胸の痛みで英は目が覚めてしまった。痛み止めの座薬を使いベットに戻って来ると、家内も目を覚ましていた。直ぐに体温計で計ったら、37.2度と下がり、少しは気分が良くなったようであった。それからまもなく、娘夫婦と孫がおき、朝食のバイキングを食べに食堂へ行った。朝食を食べ終わり、部屋に戻ってチェックアウトの11時近くまで、くつろいで過ごし、やがてチェックアウトの時間が近づいたので、精算を済ませ、今日の目的地である河口湖のラベンダー畑へと向かった。ラベンダーが一面に咲いている、近くの駐車場に車を止め、徒歩でラベンダー畑を見学した。見事に咲き誇っているラベンダー畑に見とれ、胸の痛みも忘れてしまうくらいであった。この続きは明日最終編を書きます。
2003年07月05日
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今朝早くから英の身体の具合が悪く本日予定しておりました、昨日の日記の続きが困難ですので誠に申し訳御座いませんが休刊とさせて頂きます。本当に申しわけ御座いません。
2003年07月04日
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今までに数多くの旅行を楽しんで来たが、今回の山中湖・河口湖の旅行ほど、苦しんだ旅はなかった。順を追って説明しよう。旅行へ行く前日(6/28日)の夕方、孫の「大ちゃん」が耳の中が痛いと言うので、付近の耳鼻咽喉科を探して診療を求めたが、診療時間が過ぎていると言う理由で、拒否されてしまった。そこで少し離れた所にある、東海大へ娘夫婦が連れて行き見て貰ったら、この程度なら旅行へ行っても、大丈夫と言う事で、薬を処方して貰い帰ってきた。さて、次の日、旅行へ行く日(6/29日)朝方、今度は家内が高熱を出し、直ぐに婿の車で係り付けの病院へ連れて行って貰い診察した結果、軽い○○炎なので抗生剤と解熱剤を処方して貰い、旅行は無理をしなければ、行かれても大丈夫でしょうと言われ、喜んで旅行に行く事となった。そんなこんなで出発時間が午後の1時30分頃になってしまった。最初の宿泊先である山中湖の小高い丘の上に建っている、ホテルマウント富士にチェックインしたのが、午後3時30分であった。英の胸の痛みはさほどなかったので、孫の「大ちゃん」と婿と3人で、風呂へ行く事になり、先ず露天風呂へ孫と一緒に飛び込んだ。露天風呂は広く周りを大きな岩で囲み、眼下を見下ろすと、山中湖の水面が森林の木々を静かに映し出して見えた。露天風呂から普通の風呂に移動し、ここも周りを総ガラスで囲まれ、なんと気持ちが良い風呂なんだろうと感動してしまった。家内は熱が37.8度あったので足湯だけにし、娘や英達が風呂から出て来るのを待っていてくれて部屋に戻った。勿論英は車椅子を使っての移動である。部屋は和洋折衷で英と家内はベットの方を使うことにした。夕食は5時半からなので、それまで少し時間があり、部屋でくつろぐことにした。家内の熱を計ったら38.2度あり、解熱剤を飲ませた。この続きは明日に(河口湖ラベンダー編) 山中湖を望む
2003年07月03日
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英のHPをご愛護下さいました楽天他の皆様、久しくご無沙汰しておりましたが、ようやく、BBの切り替え工事(T-comからYaHoo!bbへ)が終わり、本日只今より、英のHPが使用可能になりました。その間、インターネットが使えない非情を味わい、抜け殻みたいな味気ない、毎日を送っておりました。しかしながらこの度、念願かなってようやく開通の運びとなりましたので、お知らせ申し上げます。これからも以前同様に、英のHPをご愛護下さいます様、何卒宜しくお願い申し上げます。
2003年07月01日
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