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1月31日は、我が親父様の命日です。あれから、もう25年も経ちました。 ※我が親父様については、「我が父を、ちょっぴり語る」 「 さっきの続き・・・我が父をちょっぴり語る」をご参照下さい。破天荒な我が父の追憶です。大学の授業料稼ぎの為に、高校卒業後2年間働いて少しばかりのお金を貯めましたが、「自称“投資家”」の親父に虎の子の「へそくり」を盗掘されてまんまと全額「ハズレ車券」(競輪につぎ込んだ)に変えられてしまいました。その後、何とか志望大学に合格したものの授業料稼ぎの為に、単位習得もままならず留年と休学を繰り返す状態でした。そんな頃に親父は、見知らぬ地で死にました。・・・・・・もう25年も経ちました。今、親父が死んだ時の年齢になりました。48歳の自分が、まだまだこれから ひと花もふた花も咲かせようと意気盛んな事を鑑みると、48歳で、突然死んだ(脳卒中)親父はさぞ無念だったろうと思います。死ぬ直前は、私たち家族からも離れ、1年ぐらいは音信不通でした。それまでの、「不名誉」を挽回するかのごとく結構「マジメ」に働いていたようです。借金を返しながら、わずかばかりの「貯金」も有ったようです。 ※「江戸っ子」ならぬ「蝦夷っ子」を自負する親父でしたが、 金の使い方は「江戸っ子」もビックリで 「宵越しのカネは持たない」どころか 「カネは無くても使う!」と豪語しておりました。「親父の辞書に“貯金”の文字は無い」と信じていた家族にとって、「親父が貯金している」というのは不思議な感じでした。 「葬式の時に、骨になった親父をボンヤリと見つめながら 私が小学生の頃(親父は35~6歳ぐらい・・・) 時折語った話を思い出していた」・・・事を今思い出しました。 山に登るには、当然山の頂上を目指す。でも、今自分が立っている所から頂上へ真っ直ぐの最短距離で行けるワケでは無い。(ヘリコプターやロープウェイを使うのは別。)あくまでも、自分の足で頂上を目指すにはルートの選別が大切だ。綿密な計画で一度ルートを決めたらひたすらそれに従って歩む。道中は、西に向かったり、東に向かったりある時は、下にも向かうかもしれない。その時その時は、決して「頂上」を向いているワケでは無い。むしろ、「頂上」をむいて進んでいるときの方が少ないぐらいだ。そこで、少しでも「これで果たして頂上へ辿り着くんだろうか?」と疑念を抱くと、当初の計画ルートから外れて“一見”近そうな道へと入って行く。その場では、「頂上」を向いているのだが、結局は、険しい断崖絶壁にブチ当たったり軟弱な地盤に入ってしまったりして、 「しまった!」と悔やむのが関のヤマ。そういう事態を避けるために綿密に計画を立てているのに・・・計画段階では冷静な判断で、遠回りしてでも、着実なルート選択をしているのに・・・いざ、山に上って目の前の困難にブチ当たるとその場その場の、安直なルートに行ってしまう。人間の生き様もおんなじようなモンだ。イザとなるとなかなか冷静に判断できないし、本来の目的さえも見失ってしまう。例え、今が困難に見えても、「己の選んだルートに間違いがない!」と確信を持っていれば、やがては、頂上に辿り着く。それでダメだったとしても、そもそも自分のルート選択が謝っていたのだからその時は、「勇気ある撤退」をして再び準備を始めれば良い。ただし、同じ轍は踏むな!!!大切なことは、「自分にとっての“頂上”」を常に思い描くこと。そして、どんな時でもその「頂上」を確認する事。たとえ吹雪の中でも、暗闇の中でも「頂上は、あの方向」とわかっていれば曲がりくねって遠回りに見えるルートでも着実に“近づいている”と認識できるはず。・・・こんな話でした。年齢を重ねるにつれて、何かと自分の可能性が狭く狭くなっていくように思えますが、自分で自分の可能性を狭めているのでしょう。体力も、脳力も、たしかに衰えはしますが、だからと言って「可能性」まで否定はしたくない。自分にとっての「頂上」・・・時々見失いそうになったり、蜃気楼に騙されて、見当違いの方向に行ってしまったり・・・完璧なハズのルート選択も、実際は、予想以上に険しい崖だったり・・・それでも、常に自分の「頂上」を確認し、思い描き、計画を立てる・・・そうするうちにきっと、目の前に自分の求める頂上の風景が飛び込んでくるハズです。そういえば、飲んだくれで、バクチばかりやってて子供の貯金まで取り上げて勝手気ままに生きてた親父ですが周りから、バカ呼ばわりされても常に「夢」を語っておりました。子供ごころに、「アホか!」と思うこともしばしばでしたが、それでも、「無茶な“夢”」ばかりを追いかけてました。BEAUTIFUL DREAMER ~夢見る佳人というフォスターの歌がありますが、さしずめ親父はDRINKING DREAMER です。飲んで、暴れて、バクチして借金まみれで、警察にもケンカ売って・・・そのくせ、夢を語るのですから、困ったモンです。そんな親父が、夢も語らずただただ飲んだくれてた時期が有りました。「何をやってもママならず、 運も味方せず・・・・」と言ってました。(私に言わせればすべて「自業自得」なのですが)後に、そのスランプを脱した時に次のように自己分析をしていたのを思い出します。夏になると、網戸の隙間からコガネムシが部屋に飛んできてました。電気を消して、コガネムシが外へ出るまで待ちます。たいていは、窓を開けると、外へ飛んでいきます。時折、窓が開いているにもかかわらず、わざわざ網戸に向かって飛んで行き、網戸に当たっては、引き返しまた当たっては、引き返す・・・そんな事を繰り返すコガネムシがいます。わざわざ、そいつが飛んでいきそうな場所を開けてやるのですが、間が悪いのか、運が無いのかそいつは、また閉まっている方へまっしぐらに飛んでいきます。当然、網戸にぶつかってしまいます。勢いの良いヤツに限ってバシバシ網戸に向かって行きます。やがて、疲れてくるのか、フワ~っと漂うように飛び出すと・・・うまいこと隙間から出て行きます。「人間もこれと同じやなぁ。 がむしゃらに突き進んでも、タイミングや 向かう方向が間違っていると、 このコガネムシみたいに、網戸にぶつかってばかり。 でも、ちょっと方の力を抜いて自然に風の誘いに乗れば す~~っと抜けて行ける。」そんなことまで、語っていた親父がなんで、もう少し真っ当に生きていけなかったんだろねぇ?親父の「エエとこ」は見習いながらも「決して、親父のようにはならん!」 (家族を悲しませたり、早死にしたり・・・という点で)と今でも思います。Powerd by テンプレート
2008年01月31日
ある時は、医学部受験生。ある時は、通信大学の現役学生。ある時は、半分失業者。(自称「レア・ニート」) ↑↑↑ちょっとカッコいいでしょ?またある時は、新規事業を画策しつつ大風呂敷を広げる「ヤマ師」その実態は、 頭の中が「てんてこ舞い」な私です。 私の座右の銘のうちのひとつに 「巧遅拙速」・・・孫子 が有ります。(数多くの「My座右の銘」が有ります。) 意 味: 上手で遅いよりも、下手でも速いほうがいいということ。 解 説: 孫子の兵法のひとつで「巧遅は拙速に如かず」の略。 「巧遅」は上手にできているが遅いこと、 「拙速」は下手ではあるができあがりが速いこと。 文字で解説してしまうと、薄っぺらくなってしまいますが、実際に、新しい試みをする時や、今のルーチン化された事柄を改革する時は顕著に本来の意味を感じます。現在、多くの事を、まるでジャグリングのように毎日こなしているのですが、個々の案件に対して、自分が細部にのめり込みすぎると全体像を見失ってしまいます。・・・かと言って、ただ“デン”と構えているだけでは何にも進展しません。ひとつの事にのめりこむと、ついつい周りが見えなくなる・・・そういう性格ですので、なるべく「全体像を把握」するように努めてはいますがついつい、のめりこんでしまい、後回しでよいような「細部」に時間を費やしてしまいます。部下がいたり、人様に指図したりあるいは、人様に「モノを教えたり」する事は(自分で言うのもナンですが・・・)かなり、「効果的」かつ「合理的」だと自負しています。ところが、それが「自分」となるととたんに、「半人前」になってしまいます。家庭教師をしてる時は、ひたすら「効率」を追求するのですが、自分が、「受験生」となると・・・そこで、思いついた作戦が、 オペレーション「OBE(Out of Body Experience)」名づけて 「幽体離脱大作戦~」←「ドラエもん」の声で説明しよう ←「ヤッターマン」風に自分自身が、ひとつの「高性能部品」として徹底的に何かにのめり込みつつも、「もう一人」の自分を想定し、「指揮官」として、 のめり込む自分を監督する。家庭教師をしていた頃の私の教え子は口をそろえて「二度とあの時には戻りたくない」と言います。・・・だからこそ、ヤツらは「無理ちゃう?」と言われた試験に合格したんだし、我ながら「スパルタ」で勉強させたものです。 ※「教えた」と言うより「勉強させた」が正しい。その「指揮官」ぶりを、今度は自分自身に発揮する。そして、ジャグリングのようにこなしているミッションをもう少し効率的に!ひとつひとつの案件を「巧遅拙速」随所に「パレートの法則」を盛り込み・・・・・・そんな事を思いついた冬の夜です。そんな事ぬかしてるヒマ有ったら、やる事やらんかい!←嫁様の「喝!」Powerd by テンプレート
2008年01月28日
12月9日に数年ぶりにGETしてから嫁様に隠れて、コソコソと買い続けること7週間。再び 銀のエンゼルが出ました。他に何かエエ事ないかな・・・と探っていたら、 おおっ夏場は、ブイブイ言っていたアメダスの「観測データ上位」流石に、冬場の「最低気温」はランクインのほとんどが北海道。かと言ってこの時期「最高気温」は沖縄県と鹿児島県でほぼ独占。ところが、今夜はひとあじ違います。 1 岐阜県 六厩 -21.2℃ 2 道東 糠内 -20.1℃ 3 長野県 野辺山 -19.8℃ 4 道東 帯広泉 -17.4℃ 5 道東 阿寒湖畔 -17.1℃ 5 道東 大樹 -17.1℃ 5 長野県 開田高原 -17.1℃ 8 道東 鶴居 -16.9℃ 8 道東 大津 -16.9℃ 10 道東 中徹別 -16.8℃ 11 岐阜県 宮之前 -16.5℃岐阜県も結構“やる”でしょ?失くさないように大切に保管中の「銀のエンゼル」 ↓ ↓ ↓Powerd by テンプレート
2008年01月27日
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以前、「脳がさえる15の習慣」という本の事を書きました。あの時は、 「これや!」と、大いに感動・興奮したのです。・・・が、「結局、どんな事をせにゃならんのだっけ?」と、改めて思い出しても・・・思い出せません。友人に「これを読め!」と言って貸してしまったので、今は、確かめようもありません。だから・・・というわけでも無いのですが、本屋さんで、 脳を活かす勉強法 ~奇跡の「強化学習」なんていうタイトルが目に飛び込んできます。脳を活かす勉強法更に、帯には 「あなたの脳は、年齢、環境に関係なく飛躍的に成長する!」なんて書かれてあった日にゃ・・・滅多にしない「衝動買い」をしてしまいました。著者が、茂木健一郎・・・というのも鍵です。年下なので、 読んで納得するのが悔しいのですが、NHKのテレビなどで、ちょくちょく見かけているせいかあんまり躊躇せずに購入しました。「おまえ(茂木)の意見も少しは聞いてやろうか・・・」というスタンスです。しっかり吟味した上で、慎重に購入した本も結局「オブジェ」になってしまってるのが多いので、とにかく、「まず読む」事を第一に心がけます。「脳」「活性化」「勉強法」「奇跡の」「逆転の」・・・・・・・いろいろなキーワードに吸い寄せられてたくさんの本を買ってしまいます。嫁様には、「俺は、“読書家”では無く“収集家”だ」と、何も聞かれてもいないのに語気荒く説明しています。本の数だけは、そこいらの本屋さん並に有りますが、嫁様「これだけジャンルが偏ってると、本屋さんやっても売れないねぇ」 私「俺が本屋をやったら、好きな本しか仕入れんし、 気に入らんヤツなんかには売らん!」嫁様「今、持ってる本で古本屋さんでもやったら?」 私「1冊たりとも、他人に売るような本は持っとらん!」嫁様「そのわりに、同じ本を結構ダブって買ってるやん」 私「1冊は“観賞用”じゃあ!」嫁様「同じのが3冊有るのは・・・?」 私「ご進物用じゃあ!」Powerd by テンプレート
2008年01月26日
先日、徒然草の話を書いたので忘れないうちに書いておきます。徒然草 全244段の中で私が最も好きなのが第109段「高名の木登り」です。 高名の木登りといひし男、人を掟てて、高き木に登せて、 梢を切らせしに、いと危く見えしほどは言ふ事もなくて、 降るゝ時に、軒長ばかりに成りて、 「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」 と申し侍りしかば、 「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、 己れが恐れ侍れば、申さず。 あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」と言ふ。 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。 鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば必ず落つと侍るやらん。 名高い木登りの男の話。ある時、この男が人を使って高い木に登らせ、 梢を切り落とす作業をその下で見ていた。見ているこちらも恐ろしくなる 程の高さにいる時には一切口を出さずにいたが、仕事を終え、 屋根ほどの高さにまで降りてくる段になってから 「気をつけて降りてこい」と言葉をかけていた。 不思議に思い「あれほどの高さならば、飛び降りることもわけないでしょう。 それなのになぜ今になって注意をするのでしょうか」と尋ねたところ、 「目がくらむほどの高場や、枝が折れてしまいそうな場所でしたら、 誰が言わずとも自分自身で気をつけるものです。ですが事故というものは、 大概にして安心しきった時に起きるものでございます」と答えた。 身分の低い木登りの言葉ではあるが、聖人の教えにかなっている事実である。 蹴鞠を楽しむ際も、難しい局面から余裕綽々に蹴り出した と思った時に限って、実はし損じてしまうものである。
2008年01月25日
友人が死んだ時に、「一期一会」の話を書きましたが、先日、知人と会った時の事です。喫茶店での話を終えて、出口での別れ際・・・彼は、いつもと違う方向へ歩いて行きました。私は、いつものように駐車場に向いました。その時、ハタと気が付いたのです。「あ 彼は、歩いて来てるんだ」そう言えば、待ち合わせの時間に電話がかかって来て「今、走ってますぅ~」と言ってたっけ。あれは、“車”で走ってたんじゃなくて本当に“走って”たのか・・・気が付いた時には、後の祭りです。 後悔、先に立たず 後悔、後を絶たず 日頃から、人と会うときには、「気配り気配り・・・」などと、呪文のように唱えているくせに、最後の一瞬で、気を抜くんでしょうか?どうにもツメが甘いんですねぇ。彼が、その時どういう気持ちだったか?・・・といのが問題ではなく、自分自身が、その時、どういう心で接していたか?が問題なのです。常日頃から、徹底的に気配りができていればこんな後悔はなかったはずです。???何をわけのわからん事でクヨクヨしてんの?と言われるかもしれませんが、常々、「一期一会」とか「気配り」とか口にしているクセに、いざとなると気が抜けているのですから、そんな自分に腹が立つやら情けないやら・・・なんだか自分にガッカリしてしまいました。・・・と言っても、「またひとつ学んだ!」と無理やり前向きにするのが私の良い所だと決め付けていますので、勝手に自己完結です。吉田兼好 徒然草 第三十二段 九月廿日の比、ある人に誘はれたてまつりて、 明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、 案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、 わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、 忍びたるけはひ、いとものあはれなり。 よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、 物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、 月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。 跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。 かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。 9月20日の頃、ある方に誘われ、夜明けまで月見をして歩いた事があった。 その方が思い出した場所があり、従者に案内させてお入りになった。 荒れ果てた庭には夜露が渡り、香の薫りがごく自然に漂い、 家の主が一人しのび住むその様子は、常に物悲しさとともにあるように感じられた。 月見に同行された方は、やがて満足して外に出ていらっしゃったのだが、 私は美しく品のあるその家のたたずまいから離れることができずに、 物の影からしばらくそれを眺めていた。 すると家人が戸を少し開け、月を眺めている姿が目に入った。 客人が去って後、すぐに家の鍵を掛けて室内にこもってしまったとしたら、 何か客人への配慮に欠けるように思えてならないものだが、 この方にはそのようなことがなかった。 まさかすでに帰ったはずの者がしばらくその場にとどまり、 その後まで見ているとは思いもしないだろう。 このような心遣いは付け焼刃でできるようなことではない。徒然草は、しみじみと心に刻まれます。Powerd by テンプレート
2008年01月25日
48歳になりましたが、ブログタイトル 47歳 今まで中途半端に生きてきたけど、この歳になって 「今から医者になる」と決意しました (長いぜ~)は変更せずに続けます。いつまでも、「初心」を忘れないように・・・です。 かむ太郎の「臥薪嘗胆」絵日記というサブタイトルも気に入ってます。※絵日記といっても、全く「絵」が有りません。 時々、画像をのせてるのですが・・・
2008年01月24日
・・・とか何とか「アリの話」を書いているうちに 29000人目 の訪問者です。 29000 2008-01-23 03:06:41 Ran♪さん ありがとうございます。
2008年01月23日
1月22日この世に生を受けて、丸48年が経過しました。ここ数日、寝不足状態が続いています。やる事なす事効率悪く「2歩進んで3歩下がる」ような日々です。そんなこんなの悪循環も、誕生日を境に好転します。(・・・と毎年誕生日には、勝手にそう決めています。)「パレートの法則」というのが有ります。 現代でよくパレートの法則が用いられる事象 ※パレートがこれらの説ひとつひとつを唱えたわけではない。 いかなる時にも厳密に80:20であるとは限らず、90:10や70:30の場合もある。 つまり何事にもばらつきがあることを例に挙げているにすぎない。 ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。 よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、 2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。 ◎商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。 ◎売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。 ◎仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。 ◎故障の8割は、全部品のうち2割に原因がある。 ◎所得税の8割は、課税対象者の2割が担っている。 ◎プログラムの処理にかかる時間の80%はコード全体の20%の部分が占める。 ◎全体の20%が優れた設計ならば実用上80%の状況で優れた能力を発揮する。・・・というヤツです。 ※私は、経験上「75:25」が実感です。アリ(蟻)の世界も、ほぼこれにあてはまる図式が有ります。せっせせっせ、と働いているように見えるアリですが、よく観察すると、その内の30%は 「実は、ウロウロしているだけで、全く働いていない。」らしいのです。それでは・・・と言うことでその「ウロウロしてるだけのヤツ」をその組織から排除すると元々働いているアリばかりですから、さぞ効率が良いだろう・・・と思えます。 ※会社に例えると、人件費30%カットできて 生産性は、以前と同じ・・・ですから 利益が相当出る体制になる・・・ハズです。ところが、「選ばれた70%」のアリは放っておくと・・・残った70%のうち、その中の30%が、新たに「サボり始める」らしいのです。 3:4:3どんな組織も、だいたいこの比率で前述の「パレートの法則」があてはまり、言葉を変えれば 10人の会社で、売上1000万円とすると、 3人で700万円 次の4人で300万円 残りの3人は・・・「ウロウロしてるだけ」という感じです。さっきのアリの組織にあてはめると・・・それじゃあ、「ウロウロしてるだけ」のヤツを解雇したら・・・どうやら、残りの7人の内、2人(≒7人×30%)は「ウロウロしてるヤツ」になってしまいます。アリの習性が人間社会の組織論にあてはまるかどうかわかりませんが、「新たに30%の“ウロウロ組”が出現する」というのは、不思議です。何か意味が有るのでしょうかね?アリの話はさておき、私は、「パレートの法則」を自分の「時間の使い方」に利用しようと常に画策しています。つまり、「やるべき事の内の“重要な”30%に70%の労力を費やす」試験勉強もこれがあてはまりますし、仕事の段取りにもあてはまります。逆に言えば、こうして効率化を図って優先事項を整理しないと「重要でない事に70%の労力を費やして 肝心な時には、労力を使い果たしている」・・・という事態に陥ってしまいます。という理屈はわかっているのですが、いつもいつも「要らん事に時間を使いすぎ」と反省しています。さて、今日から48歳です。気持ちを新たに、「効率よく」物事を進めて行こうと思います。本日「接骨院」で待ち時間に読んだ本に 「幸せは、不幸な顔して やって来る」という事が書いて有りました。意味深長な一言です。Powerd by テンプレート
2008年01月22日
センター試験の問題を自宅で解いてみました。解答速報で自己採点してみました。あきませんねぇ・・・「総合得点で90%」という目標からは遠く離れてました。資格試験の時も、いつも感ずるのですが、 集中力が続かない午前中3時間、午後から3時間なんていう試験は、とてもしんどいのです。まず、開始90分ぐらいで、ニコチンが切れてくるぴこ~ん ぴこ~ん ぴこ~ん とカラータイマーが点滅してきます。センター試験は、60分単位ですが、それでも、2科目目 3科目目・・・と、だんだん集中力が欠けてきます。まずは、禁煙から・・・ですねぇ。Powerd by テンプレート
2008年01月21日
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今日、明日 センター試験の日です。・・・と言っても、今年受験するわけではないのですが・・・思えば、センター試験の前身である 大学共通一次試験 の第一回を受験した世代です。 大学共通一次試験は、1979年(昭和54年)から1989年(平成元年)の間、 国立大学及び産業医科大学の入学志願者を対象として共同して実施した 基礎学力をみるための共通試験である。 試験は、国語、数学、英語、社会、理科の5教科について行われた。その後の変遷を経て、今の「センター試験」が実施されています。かつては、「国立一期校」「国立二期校」という区別があり3月のアタマに「一期校受験」その結果が出た後で「二期校受験」というタイムスケジュールでした。しかも、「併願」ができたので、「一期校」「二期校」それぞれ複数出願しておいて直前の体調とか、自信と相談して受験しました。二期校は、一期校が合格していれば受けない人がほとんどでした。一時は、「二次試験」が「面接&小論文のみ」というのが流行ってもともと「法学部」志願の受験生が共通一時の成績が、“予想外に良かった”為に急遽「医学部」を受験して合格したりしてました。・・・ですが、もともと「文系」の人たちなので、入学してから「理数系」の授業について行けない。 かなり問題になり、再び「二次試験」でキチンと「理数系」の試験を課すようになったようです。数年前に、群馬大学(だったと思う)で、試験の成績は、合格圏内に有りながら、年齢(50歳ぐらいだったかな?)で引っかかり「不合格」となった女性がいました。賛否両論でしたが、 ◎「税金を使うのだから、少しでも長く医者を続けられる人 即ち、少しでも若い人を合格させるべき」という意見が有りました。現在47歳で医学部受験を目指す私としては愕然とするお言葉でした。いろいろ調べてみると・・・二次試験で、「面接」を課す医学部が沢山有ります。しかも、「面接」の配点が結構高いのです。ひねくれた見方をすれば、他の科目で、高得点をマークしても、配点の高い「面接」で、どうにでもコントロールできる。私の場合は、4年越しで合格を勝ち取り、その後、最低6年・・・という「10年の計」なのです。50代後半・・・下手をすると60歳で、ようやく医師免許取得という「○高(マルコウ)」なのです。かと言って、今後、試験制度がどうなるかを心配していても始まりません。明日・明後日 今回のセンター試験を自宅で「模擬受験」して今の実力を“思い知る”つもりです。来年からは、「センター試験」を実際に受験します。まかり間違って、“エエ点”取れたら、医学部に潜り込もうかと・・・ (そんなに甘くは無いですが・・・)姪っ子が、今中学2年生なのですが、計算すると・・・ 「ひょっとすると、こいつと同じ年に受験か???」そこで、私は 「あんまり勉強したら、人生楽しくないぞ」とか 「今は、遊んでおかんと大人になってからは遊べんぞ」などと言って油断させています。周りに居る中学2年生を順番に洗脳していけば、5年後は皆「学力低下」で、私の天下・・・「アホな事ばっかり考えてないで、 洗脳する時間が有るなら、自分が勉強せんかい!」と、姪っ子(中学2年生)に言われました。流石に、嫁様の一族の血をひいているだけの事は有ります。 代々木ゼミの「入試難易ランキング」を見ると センター試験で、最低でも90%ぐらい取らないと 医学部は難しそうです。あなたはこの成績で合格できる!!(2008年度)Powerd by テンプレート
2008年01月19日
本日は、給料日です。勉強と、新規事業の準備とに追われながらどうにかこうにか仕事もしています。しばらく「無職」の状態が続いてましたので借金やら、公共料金の支払いやら、が未だに遅れ遅れです。さきほど銀行とコンビニを回って、“先月分”の支払いをひととおり済ませました。・・・手元には「9000円」しか残りませんでした。元来、貧乏生活には慣れてますし、昨今では、幼少時のように、怖いお兄さんが来る事もありません。今でも、電話が鳴るだけで 「びくくっ」としますが、それ以外は、「へっちゃら」です。 (どれだけ年月がかかっても、少しずつお返ししています。 決して、“踏み倒す”ような事はいたしません。)ですが、嫁様はそういうわけには行きません。(普通のサラリーマン家庭で育っています。)昨年から、時々体調不良を訴えていましたが、病院で、いろいろと検査をしてもらった結果 メニエール病 との事です。「ムニエル病?」と聞く私に「誰が、舌平目やの?そうやって、ちゃかしてばかりいるから ストレスだらけで、病気になってもうたわ」と叱られました。メニエール病調べてみると・・・ 今までの調査で、体格では健康な人と比べて肥満者の割合が少ない、 性格は几帳面・神経質と答える割合が高い、 精神的・肉体的疲労、ストレス、睡眠不足などの状態の人に 起こり易い傾向があります。・・・少なくとも、黄色文字の部分はあてはまらないのですが・・・「ストレスやわ、ストレスやわ」と、ここぞとばかりに言うておる嫁様ですが、「今更、何を言うてんの? 結婚した時から貧乏やし、むしろ借金は確実に減ってるし この先、“ムフフな作戦”が目白押しなんやで!」最後に、いつもの一言でだいたい決着が着きます。 「あ~ おめぇが羨ましい!!! 目の前で、俺様のドラマを観戦できて しかも、“助演女優”なんやで・・・ 俺が、女やったら、おめぇに嫉妬するなぁ。 羨ましい羨ましい・・ 出来ることなら、俺はおめぇになりてぇなぁぁぁ。」いつまで、この台詞で騙せることやら・・・嫁様の病状は、「日常生活には“さほど”影響なし」らしいのですが、時折「おおおお 回る回る・・・よ時代~は回るぅ」という時があります。担当医からは、「周りからは、さぼっているように見えるかも知れんが 自分の能力の70%しか出せないから 何を言われても、無視せなアカン」と言われたらしい。「・・・最初から70%しか能力無いのに・・・ 70%×70%・・・しちしち49で 人様の49%しか仕事できん・・って事やんけ」「そういう あんたの一言一言が私にストレスを与えるんやわ」「どないすりゃええんよ?」「ストレス無くすには ○○○の靴を履くのがええらしい・・・ △△△△のバッグもええらしいし、 ◇◇◇の天ぷらフルコースもええらしいし、 何と言っても、車を、☆☆☆☆に変えたらええらしい・・・」・・・どこからどこまでが病気なのかわかりません。 Powerd by テンプレート
2008年01月18日
自分ひとりで仕事をしていた頃は、好きな時に仕事して、好きな時に休んで気ままに日々過ごしていました。・・・と言っても、休んでばかりいるとダイレクトに収入に響くのでサボるのも、ほどほどにしないとあきません。会社勤めをしていた時期(わずか3年半ですが) ◎商売にように「支払い」が無い。 ※貰った給料が“すべて”自由に使える。 勿論、「借金」や「光熱費」などは必要ですが・・・ ◎多少サボっても、かなり頑張っても 給料はほとんど同じ。この2点に、かなり戸惑いが有りました。経営者的な感覚で仕事をしていると、どうしても“浮いて”しまいます。かと言って、身についた「馬車馬根性」は拭えず結局、人の仕事まで抱え込んでしまい、色々有って、辞職しました。現在、周りの好意に甘えながら、色々と水面下で動いていますが、人様の厚意ゆえに、なかなかマイペースではできません。よくわからない分野の事も徹夜して調べたりしながら、交渉に臨んだりします。休みらしい休みもありません。人一倍頑張らないと、前に進まないのですが、頑張れば頑張るほど、空回りしたり睡眠不足が続いて、仕事が捗らず、悪循環になったり・・・ 勇気有る撤退という言葉が有りますが、今の自分には、「勇気有る休養」も必要なのかな?と感じてます。などと言いながら、「小賢しいズル休み」を正当化しているのか?睡眠不足で、よくわかりません。早く寝るのも「サボっている」ように感じで罪悪感を持ってしまいます。・・・どうせ、まともにできないんだったら一日ぐらいズル休みしようか?頭の中でいろいろな思いがグルグル交錯して結局、今日も睡眠不足です。書いてる事も「支離滅裂」だし・・・そういえば、今日は、「阪神淡路大震災」の日です。13年前のあの日、私は出張で、大阪にいました。大阪で、定宿にしている宿に泊まっていました。揺れた直後、部屋の壁にヒビが入り、身動きできないまま、揺れが収まるのを布団の中で待っていました。何もできませんでした。幸い、部屋にヒビが入っただけで済みましたが、その後テレビを見て、ただ事ではなかった事を知りました。仕事にもならず、宿で1日中テレビを見てましたが、刻一刻とテレビの中で被害者の数が増えて行きます。死者 : 6,434名 行方不明者 : 3名 負傷者 : 43,792名未曾有の災害となってしまいました。幸い私は無事でしたが、今でもあの時の恐怖は忘れません。こうしていても、近くをトラックが通ったり、風が吹いたりして部屋が揺れる度に「ビクっ」とします。亡くなられた方々の冥福をお祈りします。 Powerd by テンプレート
2008年01月17日
岐阜県が日本一暑いぜ! とはしゃいでいましたが、「寒いのはどれぐらい・・・?」とアメダスを見ると・・・さきほど午前4時現在で・・・ 順位 府県名 地点名 気温(℃) 1 道東 川湯 -23.1℃ 2 道東 陸別 -23.0℃ 3 道東 糠内 -22.9℃ 4 道東 境野 -21.6℃ 5 道東 本別 -20.3℃ 6 道東 帯広泉 -20.1℃ 7 道東 足寄 -20.0℃ 8 道東 標茶 -19.9℃ 9 道東 更別 -19.4℃ 10 道東 阿寒湖畔 -19.3℃ 10 道東 女満別 -19.3℃ 10 道東 大樹 -19.3℃ 恐るべし!北海道!!!ほとんど一日中 氷点下 負けず嫌いな私は、「くそ~!何とか岐阜県も“冬の日本一”が無いものか?」と探したら・・・ ふっふっふっ 日本一・・・どころか、有りましたぜ、旦那!世界一が!!! 伊吹山 - 世界最深積雪。1927年2月14日に1182cmを記録。 1日の降雪量でも1975年1月14日に230cmと世界最多を記録。 半分は滋賀県ですが・・・岐阜県は、 日本一 暑くて 世界一 雪が積もる 小倉百人一首 51番 藤原 実方(ふじわら の さねかた) かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを こんなにわたしが恋慕っていることだけでもあなたに せめて言いたいのだけれど言うことができない。 伊吹山のさしも草ではないが、 (わたしの思いが)それほどまでということはわからないでしょう。 燃えるようなわたしの思いを・・・ (「後拾遺和歌集」恋一612) この歌は、かの「清少納言」に」贈った歌、とされています。 (恋人だった・・・らしいぞ)Powerd by テンプレート
2008年01月16日
岩波文庫「ジャン・クリストフ全8巻」と「魅せられたる魂全10巻」↑↑↑高校生の頃、図書館で借りて読破した本をネットの古本屋さんで見つけたので、すかさず注文しました。 「あんたは、また要らん本買って~」 と、嫁様に叱られたのは言うまでも有りません。ロマン・ロラン(Romain Rolland) の 「ジャン・クリストフ」と 「魅せられたる魂」です。どちらも、当時の仕様でしたので、得した気分です。 (縮訳版とか、全8巻⇒全4巻とか仕様が違うのが有ります。)更に、「自称:古本愛好家」としては、 全巻「帯付き」 し・か・も・・・岩波文庫の面目躍如たる 「パラフィン紙カバー」←「タケコプた~」の声で・・・おおおおおお・・・これは、古本好きの人にしかわからない感激でしょう。嫁様に 「岩波文庫で8巻でパラフィンで帯やで!!!」と力説しても全然通じません。 「素人にはわからん!」と捨て台詞を吐くと 「あんたは、何の玄人なんやね?」と聞かれました。 「パラフィン紙を語らせたら、誰にも負けん!」 「そ~言えば、切手を集め取った時も パラフィン紙がどうのこうの言うてたなぁ」 「それ見たことか!俺様は、パラフィン紙の専門家じゃい」・・・何だか、変なモノになってしまいました。私の肩書きはどうあれ、高校生の頃、読み耽った「2大長編」が手元に戻って来ました。あの頃と同じサイズで同じ厚みで同じ巻数・・・日頃から「脳細胞を騙して活性化する」作戦を遂行している私に取って、またひとつ新たなツールをGETしたワケです。 ・・・説明しよう ←「ヤッターマン」調「脳細胞を騙して活性化する」作戦 とは? 潜在意識は、オバカさん という理論に基づき「あたかも、“そうであるかのような”状況に置かれると 脳は、それが“実際にそうであるかのように”記憶し 以後、それに伴った指令を出す」簡単に言うと、 「具体的にイメージした事を脳に焼き付けると 脳は、それに合わせた指令を発し、イメージに近付く」ナポレオン・ヒル や マーフィー などもこれと似た理論だと思います。つまり、「高校生の頃=脳細胞能力MAX」という前提で、高校生の頃(と間違えるような)環境を作ることによって、我が脳細胞に「あれ?俺様は今、17~18歳の脳細胞だったっけ?」と勘違いさせ、「40代後半のつもりで居たらアカンなぁ」と思わせるのです。「ジャン・フリストフ」も「魅せられたる魂」もどんな話だったか、さっぱり覚えてません。最近買った本もあんまり読めないので、“読書家”でも何でもなく単なる「古本コレクター」です。後は、もう少し、体力と体形を、あの頃に近付けなければ・・・Powerd by テンプレート
2008年01月16日
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。松尾芭蕉の「奥の細道」の序文です。 ~月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、 来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。というような意です。さきほど、28000人目の訪問が有りました。28000 2008-01-15 01:07:35 24goldengateさん です。ありがとうございました。 皆様、今後もよろしくお願いいたします。 今年は、年男(としおとこ)です。
2008年01月15日
あれから、もう28年も経った・・・いつから「成人の日」「体育の日」「敬老の日」が第3月曜 とか 第2月曜になったんでしたっけ?5月4日も、いつの間にか「みどりの日」になってるし・・・確か5月4日は「国民の祝日」か何かだったはずだし「みどりの日」は昭和天皇の誕生日「4月29日」だったような・・・で、その「4月29日」は「昭和の日」になってるし・・・昭和55年1月15日 当時は、「1月15日=成人の日」 「9月15日=敬老の日」 「10月10日=体育の日」と決まってました。成人式当日、私は友人の家で昼寝をしてました。 (友人は成人式に出席してました)高校卒業後、「高望み」と「学費納入困難」により第一志望の大学は見事に不合格。第二志望の大学は入学金と授業料が高くて入学断念。その後の2年間でアルバイトしながら受験勉強をし何とか、入学金と2年分ぐらいの授業料を貯めました。そして、3月の受験を控え、成人式を迎えるわけですが、年始早々に 我が親父様 (我が父の話は「我が父を、ちょっぴり語る」と 「さっきの続き・・・我が父をちょっぴり語る」 参照。)に、私のヘソクリ場所を盗掘され、まんまと「入学金+授業料」を日本国公認の「不確定有価証券」に換金してしまいました。・・・早い話が私の貯金を持って競輪場へ行き「車券」を買ったのです。「倍にして返してやろうと思った」悪党の常套文句です。その数日後に「成人式」ですが、着ていく服も無く、金も無い状態で「な~にが、成人式じゃい!!!」と友人宅で「ふて寝」していたわけです。受験当日も、弁当を用意する金が無くて昼ごはんは、「不二家ソフトエクレア」(キャラメルのようなヤツ)でした。今では「ソフトエクレア」は廃盤になったようでどこにも売っていませんが、もし復刻したら、多分泣きながら買うでしょう。「俺は、大人の既成概念を強要する“成人式”には出ない!」「我々が、求められているのは、形ではなく、心だ!」・・・などと、学生運動のアジテーションもどきの事を言ってましたが、ほとんどの同級生は、おそらく事情を知っていたと思います。子供同士は、“純”な部分で付き合ってますが、親同士は決してそうではないですから・・・「かむ太郎くんとこのお父さん・・・ひそひそ」なんて事は、小学校の頃から耳に届いているので、何てことはないのですが、今にして思えば、成人式に出られない自分が惨めだったんでしょう。あの頃の反骨精神をちょっぴり思い出しました。エネルギー源にしたいと思います。 大人なんかキライだぁ~Powerd by テンプレート
2008年01月14日
去年の11月に「ガン宣告」をされた友人が昨日早朝他界しました。まだ43歳でした。昨年の八月にも自分より若い友人が突然死しました。普段、漠然と 「日本人の平均寿命」-「自分の年齢」=「あと何年生きる」という感じで、 「まだあと30年ぐらいは生きてる」・・・ハズと勝手に自分の余命を計算していますが、私の二人の友人は、私よりも若いし、一人は・・・突然死。昨日死んだ友人も、最初は「最近、体がダルイ」という程度で検査に行ったらもう、そのまま入院⇒ガンセンター⇒告知⇒2ヵ月後の昨日死亡ですから、「あと何年生きてる・・・だろう」なんて事は誰も保証ができないんです。こうして日記を綴る合間に、いろいろな人のブログにお邪魔しますが、毎日訪問している人の日記に、さっき突然 突然ですが・・・ けさ・・旦那が 亡くなりました。 突然死でした。 こんな日記に出くわしてしまいました。この人は、つい先日(1月12日)の日記にその旦那と健康診断に行った日記を書いているのです。そして・・・まだ数時間しか経ってないのに 突然死 です。一期一会 という言葉が有ります。これは、人と会うときの心構えを説いているのですが、 今日 この一日 今 この一瞬これも、二度とない時間だと思うと、一期一会なんだな と感じます。普段当たり前のように 明日が来て 来週が来て 来月が来て 来年が来て まるで永遠に続くかのように錯覚していますが、保証なんかどこにもありません。夜寝て、目を閉じて・・・明日の朝、目が開く保証なんてないんです。自分の意思で、生きているかのように思っていますが、私たちは、自分の心臓の動きだってコントロールできないんです。呼吸だって、眠っている間、自分で意識しているわけではありません。あれもこれも、いろいろとやるべき事が沢山有ります。ついつい後回しにしている事が、何と多いことか! 明日が有る 来週が有る 来月が有る 来年が有る勝手にそう決め付けて、全部先延ばしにしています。本当に、今の時間こそが「一期一会」だと思えばダラダラと、先延ばしになんかできません。・・・・・・とアタマでは理解して、肝に銘じてもついつい「喉元過ぎれば何とやら」で結局、怠惰な自分になるのに時間はかかりません。ですから、そのツケがすぐに回ってきて、「あれもせにゃならん、これもせにゃならん」結局、どれもこれも中途半端なまま一日が終わって、「後は、明日・・・」「いつか、○○しよう」と思っているヤツに「いつか」なんて日は来ない!という事を聞いたことが有りますが、今の自分には耳が痛い言葉です。「明日からこうしよう」というのを止めて「せめて今日、これだけは・・・」明日から・・・なんて言ってると、明日になったら「明日から・・」で永遠に何もしません。『明日』は、永遠にきません。来るのは、いつでも『今日』だけです。いろんな思いが錯綜する中で昨夜の「お通夜」で彼の部屋で見つけた言葉です。 ↓ ↓ ↓Powerd by テンプレート
2008年01月13日
昨日も、今日も気分が乗って久々に長文日記を書いてました。もう少し・・・というところでPCがかたまってしまい、「マイクロソフトにエラーを送信しますか?」2日続けて気分が萎えてしまいました。「下書き保存」する前にフリーズしてたらど~にもならん。泣
2008年01月11日
年が明けて、はや9日も経過しました。新年早々風邪で寝込んでいたため「休み返上」でやるべき仕事が溜まっています。(T△T)「食い扶持を確保しながら、プロジェクトを立ち上げ 学生生活の資金を貯めるぞ作戦」を遂行中ですが、この3日間で、着々と成果が出てきました。昨年から棚上げになっていた案件が、サクサクと解決し、「おおおっ こんなにスンナリ行ってエエのか?」と戸惑うほどです。ここに来て、昨年から滞っていた事が雪崩の如く動き出しそうな気配です。そこで作戦遂行は、日々の実行から!早速、秘密兵器を買ってきました。 よていちょう です。 ○月 ○日 よう日 あすのべんきょう 1 2 3 4 5 6 うちでのべんきょう もちもの おしらせう~ん・・・これだけの事がきっちりと毎日出来れば結構、ハードスケジュールもこなせそう・・・さっそく がくねん くみ なまえのところに「名前」だけ書き入れました。文具売り場を長時間探して一番使えそうなのがこの「よていちょう」でした。ロングセラーは、それなりに使い勝手が良いですね。
2008年01月09日
ようやく普通にPCの前に座れる状態に回復しました。小学生の頃から、“冬休み明け”から強力な風邪をひいて1週間~10日寝込む事が珍しくありません。どこか外国のニュースで、 冬休みが終わり、学校へ行くのがイヤで 自分のカラダをベッドに、協力接着剤で 「糊付け」した小学生が居たそうな・・・ 結局、レスキューが来て、化学薬品を使い 何とか無事に学校へ行ったようです。 ベッドから剥がされる間、ずっとマンガを読んでいたとの事。 結局、遅刻して登校したみたいです。この小学生の気持ちがイタイほどわかる私です。結局、土日の丸二日間、布団の中で過ごしました。月曜日、火曜日・・・何とか仕事をしましたが、アタマも~ろ~状態で、何もはかどりません。こうして体力も回復しないうちに・・・明日は、「5年に1度のビッグイベント」が有ります。 運転免許の更新 です。「極度の近視」+「角膜の歪みによる乱視」×「円錐角膜」という危うい眼球を所有しています。コンタクトレンズを使用すれば「視力検査」クリアーなのですが、コンタクトレンズは、日常生活では、よ~使いません!コンタクトレンズで暮らしていた頃は、毎日が「儀式」でした。朝起きて、 手洗い テーブルの上の整理 コンタクト様 ご出陣 精神統一 呼吸も整える・・・ひっひっふぅ~ ひっひっふぅ~ コンタクト様 装着 失敗 痛い 再挑戦 また失敗 メチャ痛い そのうち、偶然にジャストフィットして 涙そうそう でようやく儀式終了。そうです。コンタクトレンズの装着が異様にヘタなんです。ですから一度装着したら、数日間つけっ放しです。当然、酸欠で「貼り付いた」状態になり、はずす時も「儀式」です。そんな事を繰り返すうちに眼球様は、ますます瀕死の状態に・・・てなワケで、ここ10年ぐらいはメガネおんりぃです。もともと、「ベータカロティン(ビタミンA)」を含む食材が嫌いで、小学校の5年生からメガネとお友達でした。(昨今は、そうでも有りませんが、当時の田舎小学校では 学年に一人しか“メガネ”はいませんでした。)さて、そのメガネも普段使っているヤツでは「視力検査」をパスすることは出来ません。かつては、壁に「C」がいっぱい書いてある紙を貼ってオープンな感じでやってましたので、「0.8」ぐらいまでをほとんど「記憶する」という荒ワザでクリアーしていました。 学校でも、免許更新会場でも 視力表に向かって「ブツブツ・・・」 かなり「危ないヤツ」だった事でしょう。最近は、「スコープ」上のヤツを覗いて個々に行うので手も足も出ません。「5年に1回」だけ使う、「免許更新用メチャ度の強いメガネ」を使いますが、これも前回からギリギリで、「視力検査パス」が危うくなってます。今回も、前回同様「あれ~、度が合わなくなったかなぁ・・・」で、クリアするしかありません。お気づきかと思いますが、23歳の頃、スピード違反をして以来 (今でも覚えてますが、250ccバイクで 京都の「岩倉~国際会議場近辺」を走っていた時 “速度15キロオーバー”で捕まりました。)24年間「無事故・無違反」で免許更新は、「5年に1度」が当たり前でした。ところが、一昨年、信号待ちの車にほんのちょび~っと コッツン と当たってしまった故に24年間の功績はすべて ぱぁ 信用とか、お金とか・・・長いこと掛けて苦心の末に築いても崩れるときは 一瞬 ですねぇ。明日の出陣を思うと、なかなか眠れない「免許更新前夜」です。はよ寝んかい!Powerd by テンプレート
2008年01月08日
京都 竜安寺の「知足の蹲踞(つくばい)」です。真ん中の四角い部分を「口(くち)」として見ると 「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)と読めます。含蓄の有る言葉です。
2008年01月04日
遅ればせながら・・・皆様、あけましておめでとうございます。元日は、京都の「竜安寺」に行ってきました。帰宅後風邪を引いて、いまだに熱が下がりません。
2008年01月04日
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