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中間選挙が近づいてきたアメリカでは、つい最近のミシガン州民主党上院議員予備選挙で新人の候補者が党内重鎮が推す候補を破ったことについて、中央大学教授の目加田説子氏は8月23日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 米国政治の今後に大きな影響を与える中間選挙(連邦議会上下院選挙、知事選挙など)が11月3日に近づいてきた。大統領選で2度トランプに敗れた民主党にOS(思考の前提や根本となる仕組み)の入れ替えを促すような旋風が吹いている。 今月4日、ミシガン州の民主党上院予備選で41歳の医師、アブドゥル・エルサイドが勝利した。両親はエジプトからの移民で、左派のバーニー・サンダース上院議員やアレクサンドリア・オカシオコルテス(AOC)下院議員などが応援に駆け付け、民主党の重鎮らが推し親イスラエル・ロビー等から集めた多額の資金を投入した候補を僅差で破った。 昨年秋のニューヨーク市長選で自称民主社会主義者のゾーラン・マムダニが当選したのに続き、急進派の候補がミシガンというパープル州(共和党と民主党が競っている州)の上院議員候補に選出された現実をどう受け止めるべきかー。米国で論争の的になっているが、主な論評は四つほどに分類できそうだ。 ◇ ◆ ◇ 一つ目は「民主党左派の新しい全国モデル論」。エルサイドが訴えた「普通のアメリカ人の生活を、企業・億万長者・外国への軍事支出を優先するアメリカファーストから奪い返そう」との主張を評価。トランピズムに対抗するサンダース議員の意見に近い。 二つ目は「党のエスタブリッシュメントへの反乱・世代交代論」だ。対立候補が過去の実績を表看板に戦ったのに対し、エルサイドは「今の仕組みが壊れている」と強調した点に着目し、「現状肯定」対「システム変更」という対立を明確にした点を評価する。 三つ目は「党内権力戦で左派は本当に強くなった論」。政策的にはエルサイドに批判的な一方、「穏健派がトランプを倒すことばかり考えている間に、左派は民主党そのものを奪うための組織づくりを進めた」と、左派が穏健派より戦略的に上手との見方。 四つ目は「民主党は危険な賭けをした論」だ。「予備選では左、だが本戦では中央」という民主党の伝統的な投票行動を見越し、共和党は本戦に向けてエルサイドは「ミシガンには過激すぎる」との広告を大量に流す、結果として民主党は票を失う-。予備選では、理念的に純粋な候補ではなくトランプ州(2024年の大統領選でトランプが勝利した州)で勝てる現実的な候補を選ぶべきだったとの見方も散見される。 ◇ ◆ ◇ 1990年代以降、民主党は社会的に多様化した支持基盤を持ちながらも指導部や組織が都市化・エリート化し、労働者階級との結びつきを弱めてきた。結果として、「誰を代表し、何を実現するために政権を取る党なのか」が見えにくくなっている。AOCやマムダニ、エルサイドのような若い政治家・候補者が台頭、する中、住宅や医療、物価や賃金など生活問題を訴え、大型献金に依存しない選挙を展開する組織に生まれ変わるのか。 米国では成人の4割を超える人々、特にミレニアル・Z世代を中心に自らを政治的無党派と認識する人が政治の最大層になっている。もはや無党派化か構造的なものになっているとき、民主党は「反トランプ」以外に何をどう訴えていくのか。中間選挙に向けた党内論争、そして有権者の判断に注目したい。2026年8月23日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-米国民主党、OS更新が進むのか」から引用 ニューヨークの市長選挙で移民出身の民主党候補が勝利したように、現代は政治の「曲がり角」に差し掛かっており、民主党も共和党も旧来の伝統的なやり方では有権者が納得しない時代になっていると思います。大方の予想を裏切ってトランプ氏が共和党を代表する大統領候補になった時から、そういう時代は始まっていたのであって、「時代の転換点」に敏感に対応できたのは共和党が先であったわけですが、いくら「旧来の政治を否定する」とは言っても、トランプ氏のように「法の支配」をも無視して、なんでもやって見て当たれば「幸い」という「やり方」はあまりにもお粗末というもので、そこはもう少し理性を発揮して、旧来の政治のどこが「間違い」だったのか、子細に点検した上で、理性にかなった真に庶民の暮らしが豊かになる、そういう「政治」を目指して行ってほしいと思います。
2026年09月07日
アメリカのAI開発の大手企業のトップが、イスラエルによるガザのホロコーストで大きな利益を取得したことを、ある国際学会の晩さん会で自慢げに披露したことについて、文筆家の師岡カリーマ氏は8月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「わが社にとってガザの出来事はすこぶる有益だった」。ある国際会議の晩餐(ばんさん)会で参加者の一人がそう宣(のたま)ったそうだ。たまたま隣に居合わせたギリシヤ元財務相で経済学者のY・バルファキス氏が明かした。その「わが社」とはパランティア・テクノロジーズ。米国のデータ解析大手である。爆撃下、人口密度の高いガザで逃げ惑う住民のスマホが発するデータがAIの学習に役立ったと説明。事実なら、無防備な市民の殺戮(さつりく)から利益を得つつ、良心の呵責(かしゃく)などかけらもない発言だ。そして今、こういう会社が開発したAIを自衛隊の指揮系統に導入することが検討されている。日本国民の理念にふさわしい血税の使い方だろうか。 同社のシステムは、イラン戦などで軍事利用されている。利益を享受する一方、3年連続で連邦所得税を納めていないという。そのかわり、幹部がトランプ大統領の支援団体やご自慢の宴会場建設に数億円を寄付。 ただし、テック業界最大のトランプへの献金者はチャットGPTで知られるオープンAI社長夫妻で、約40億円。こちらも軍との協力に名乗りを上げた。一部米国市民の間でボイコットや解約運動が広がっているのも頷(うなず)ける。有料版でトランプへの寄付に貢献するなど論外だし、無料版なら「ある商品が無料の場合、実はあなたが商品だ」という誰かの言葉も浮かぶ。(文筆家)2026年8月22日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-理念と血税のAI選び」から引用 この記事では、筆者の心の中の怒りが筆者の意図に反してほとばしり出ているようで、その影響で表現が難解になっている気がします。結局、英米はドイツのユダヤ人に対するホロコーストを「人道に反する蛮行」などと言って批判はするが、それではドイツ人と違って英米のアングロサクソンは「決して人道に反する蛮行などはしない、善良な民族なのか」と言えば、答えは「ノー」であり、条件さえそろえばイギリス人もアメリカ人も、また日本人も、ナチスドイツと同じレベルの残虐な事件を起こしかねない「危うい」存在なのだということを、つくづく考えてしまいました。
2026年09月06日
皇位の継承は2600年の伝統などと言うデタラメを公の場で発言する自民党議員が出てきたことについて、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、8月21日付「週刊金曜日」の巻頭コラムに、次のように書いている;「皇室典範改正」に関わる自民党議員や日本維新の会の発言を聞いて、私は仰天し吹き出してしまった。複数の自民党議員が「皇位の男系継承は、2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇統」と公式に発言しているのである。維新共同代表の藤田文武衆院議員は「本年は皇紀2686年」と言ったらしい。これを計算すると、天皇制は紀元前660年から存在することになる。 年表を見ればわかるが、日本はまだ縄文時代だ。世界史の区分では新石器時代である。日本には文字も存在しない。そもそも私は学校で、神武天皇は実在しないと教わった。ではなぜ神武天皇が最初の天皇だと力説するのかと言えば『古事記』『日本書紀』にそう書いてあるからだ。根拠はそれしかない。その根拠で言えば、神武天皇の父は雌のサメから生まれた。文献ではワニとあるが、日本列島にワニはいなかったのでサメのことだ。その母サメは産後、海に帰ってしまった。神武天皇の父が大人になると、母の妹(つまりおばさん)は神武天皇の父との間に神武天皇を産んだ。サメの妹はやっぱりサメでしょう。 「それは神話だ」と言うのであれば神武天皇も神話になる。記紀の記述が事実と言うなら、サメとの近親相かんも事実になる。これを信じる議員たちの頭の中はサメなみにすごい。 では事実を科学的に検証するにはどうしたらよいか。奈良県橿原市に神武天皇陵つまりお墓があるので、その中から骨を取り出してDNAを調べればよい。そうすれば万世一系かどうかも簡単にわかる。127歳まで生きたというが、その真偽も明らかになる。なぜそれをしないのだろうか。 理由がある。この墓は1863年に公武合体政策でなんとか生き延びようとしていた江戸幕府が天皇家に命じられたのか、神武天皇陵だと決めた場所だからだ。根拠は不明である。その後修復が重ねられ、今の形になったのは1940年だというから戦時中だ。恐らく発掘しても何も出ないか、骨が出たとしても誰のものかわからないだろう。サメのDNA入りだったら「当たり」だが。 中国由来の「天皇」称号を最初に使ったのが天武天皇だった。神武から1333年後のことだ。『古事記』『日本書紀』の編纂もこれ以降に始まったので当然、「天皇」と記載している。 詐欺が横行している。私たちにできることは、自分で調べ学び、確かなことだけを心に留めておくことだ。2026年8月21日 「週刊金曜日」 1581号 3ページ 「風速計-サメのサギにご注意!」から引用 戦前の日本は、政府が「天皇は神様の子孫だ」と号令をかければ、それに異議を唱える者は「非国民」と呼ばれて刑務所に収監され、「天皇陛下は神様の子孫です」と言うまで出てくることができない、そういう社会であったが、今では科学に基づいた歴史観が世間の一般的な認識になっており、天皇が神様の子孫だなどと思う人間は皆無であると、私は思っていたが、優秀な大学を卒業して官僚から政治家になった「優秀なはず」の議員が誰はばかることなく「皇紀2600年の伝統」などと言い出すのでは、もはや「世も末」と思わざるを得ません。しかし、事実は、「皇紀2600年」の根拠は今から1300年ほど前に書き記された「古事記」であり、そこには「神武天皇の祖先はサメだった」と書かれている、それが「事実」であって、「神武天皇の祖先は神様」などとは書かれてはいない、これが「事実」であることを、私たちはこれからを背負って立つ若い人たちに、しっかりと伝えていくべきだと思います。
2026年09月05日
昭和の時代に総理大臣を務めた福田赳夫氏の息子である福田康夫氏にインタビューしたジャーナリストの松原耕二氏は、そのインタビューの様子を8月19日付東京新聞に、次のように書いている; 「特効薬はないのかと医者に聞いたけど、ないそうだ」 先月、90歳を迎えた元総理の福田康夫さんは東京・赤坂の事務所で、そう言って肩をすくめた。体調は万全ではない。それでも時折、呼吸を整えながら言葉を発した。 「どこかとは『けんかしていいんだ』と安易に考えている可能性がある。心配です」 高市早苗総理の台湾発言以降の、日本政府の対応への思いだ。戦争を体験した政治家として次の世代に何を伝えたいかがインタビューのテーマだったが、福田さんのライフワークともいえる対中国外交から話を聞いたのだ。中国は今の関係がこのまま続けば、軍事的にも日本を敵対視してくる可能性があり、そうなると日本は深刻な状況に陥ると福田さんは危惧していた。 「中国からすると、もともと敵国と見なしやすい国が日本で、われわれからすると中国に対して(侵略という)負の歴史を背負っているわけですから、特に気を付けて対応していかなければいけない」 福田さんは今の自民党の議員たちは歴史をきちんと見ていないと、いら立ちすら見せた。「歴史観がないでしょう。ロングスパンで考える人が減っちゃったんですよ。瞬間、瞬間うまくやればいいという考えじゃないんでしょうか」 戦前生まれの国会議員はわずか5人、リアルな戦争への想像力が欠如し、ゲームのような感覚になっているのではと懸念する。「本当の戦争の生々しい現実を突きつけられて初めて気づいたのでは遅い。戦争をしないための外交をやらなければいけないんです」 これまで福田さんにインタビューしたことは何度かあるし、私の担当する番組に生出演してもらったこともある。しかしここまで強い危機感を抱いている姿を見たことがあっただろうか。福田さんは息を継ぎ、言葉を選んだ。 「一つの空気に流されているような感じがするんですよ」 古巣の自民党をどう見ているかという問いに対する答えだった。 「みんな総理官邸を見て、顔色をうかがうようになってしまっているのではと心配しています」 福田さんが「空気」という言葉を使ったのは、国会議員についてだけではない。「学者も政治についてきちんと発言する人は減ったんじゃないでしょうか。メディアも突っ込みが足りないと感じることがあります」 「なぜだと思いますか?」「やはり空気じゃないでしょうか。権力にこびるような、忖度するようなね」 かつては権力と距離を取ってきたメディアの矜持も薄れ、学者についていえば日本学術会議の任命拒否問題がボディーブローのように効いているのではと付け加えた。 さらに福田さんは今の憲法の大切さを説き、日本の天皇が女性ではいけない理由が分からないと語るなど、どんな問いにも率直に自身の思いを述べていった。 約束の60分はあっという間に過ぎた。「途中で休憩を入れさせてもらうかもしれない」と事前に秘書から言われていたが、一度も中断することはなかった。それどころか福田さんにはまだ言い足りないことがあるように私には思えた。 最後に「戦争を絶対にしてはいけない」と繰り返したあと、こう言い添えた。「(戦争の方向に)行き過ぎれば、反発も出てくる。日本人一人一人が戦争はどんなものかを考えれば、ばからしいと考えるだろうと。そういう意味では悲観はしていません」。まるで自分に言い聞かせているような口調にも思えた。戦後81年を迎えた元総理の思い。別れ際に深々と頭を下げると、福田さんは椅子のひじ掛けを頼りにゆっくりと立ち上がってほほ笑んだ。(ジャーナリスト)2026年8月19日 東京新聞朝刊 6ページ 「松原耕二のハードトーク-一つの空気に流されている」から引用 福田康夫氏の心配事は、決して杞憂ではなく、実際に自民党は昭和の時代に比べて明らかに劣化しているのは事実であり、心配は的中しているといって良いのだと思います。自民党がこのように劣化してしまったのは、安倍晋三が総裁になった時からで、安倍が内閣府に「人事局」などというものを置いて、気に入らない官僚を地方に転勤させて二度と中央に戻れないようにしてから、官僚が政治家の顔色を第一優先にするようになり、そうしているうちに自民党内も、派閥の長には逆らわない「空気」が蔓延したものと思われます。その結果、戦前の大日本帝国政府でさえ「それはまずい」という判断だった「皇室の養子制度」を、令和の世に「OK」とするような「皇室典範の改悪」がまかり通ってしまっている。こんなことではダメだ、という「声」をこれから大きくしていって、「二度と戦争はしない」という国家体制を築いていきたいものです。
2026年09月04日
吉村昭著「戦艦武蔵」にまつわるエピソードを、8月14日付毎日新聞が掲載した; 本は、時に読み手を導く羅針盤にもなる。前首相、石破茂さん(69)の場合。 「1969年、私が中学1年生の時でした。鳥取県知事だった父親(二朗氏)から吉村昭さんの本を渡されて。東京出張に行った時、東京駅の書店で買ったのだと思いますが……」 2006年に79歳で亡くなった作家による「戦艦武蔵」(66年)、「零式戦闘機」(68年)といった戦記小説である。◆前首相が学んだこと 「主人公は物言わぬ兵器です。これがどう開発され、戦争でどう運用されたかを淡々と記した。その意味で、読み方の難しい本ではありますが……」 衆院議員会館の事務所。戦艦「大和」のプラモデルが鎮座していた。自作だという。 「……『沖縄特攻』といった悲劇性で知られる『大和』ではなく、吉村さんは同型艦でありながら、ほぼ注目されてこなかった『武蔵』を描きました。このすごさ……」 対米開戦直後の41年12月に完成した「大和」は、吉田満の「戦艦大和ノ最期」などの文学作品や映画にもなり、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のモチーフにもなった。 一方の「武蔵」は戦局が暗転しつつあった42年8月に完成。目立った活動がないまま、レイテ沖海戦(44年)で沈んだ。 「すでに戦いの主役が戦艦の巨砲から航空機に移っていた。時代に合わないのに建造は続いたんです。戦争とは何か。国家の意思決定はどうあるべきか。その中で個人がどれだけ犠牲になるか。これらを学び、考えるきっかけになった本でした」 石破少年が「戦艦武蔵」を読んでから56年後の25年、その学びは「戦後80年所感」に結実する。 戦争の原因を「軍部の暴走」で片付けず、旧憲法の建て付けや戦争をあおった新聞と好戦的な世相、民衆の排外主義にもある、などとした。「多くの国民が戦争を望んだんです。この認識がないと同じ失敗を繰り返す。戦争をしないためには、まず戦争を知らなければならないのです」◆「戦争は軍部が引き起こした」のうそ 純文学小説を書いてきた吉村さんが、「戦艦武蔵」の取材と執筆にのめり込んだのも石破さんの述懐に通じるかもしれない。 取材日記ともいえる「戦艦武蔵ノート」(70年)の一言だ。 <嘘(うそ)ついてやがら> 戦争は軍部が引き起こした、庶民は軍部に引きずられた――。戦後にあふれた著名人や新聞社の言説を痛烈に評した。 なぜか。戦時中に吉村さんが見たのは、戦争に疑問も抱かず、「勝利」のために力を尽くす民衆の姿だった。 「戦艦武蔵ノート」はこう続く。 <その庶民が、今や戦争を必死に避けようとつとめ、平和の恵みを享受しようとしている人々の群れに鮮やかに変身した。喜ぶべき過程であり、喜ぶべき結末である。が、同時に、そうした変身の鮮やかさには、戦慄(せんりつ)すべき危険な要素がひそんでいないとは決して言えない> 「戦艦武蔵」では、技術者や造船所幹部、無数の工員たちが進んで「武蔵」建造にのめり込む。 戦果に喜び勇み、「武蔵」を一日でも早く戦列に加えるため、徹夜作業をも志願する。 なあ、おれたちはそうだったじゃないか。それを忘れて、「変身」して済ませるのか。吉村さんの独白が聞こえそうだ。 その彼が晩年、心を通わせたのが同じ昭和2(27)年生まれの作家、城山三郎さんだ。 近著「昭和に挑んだ作家たち」で2人の交友を記した評論家、佐高信さん(81)が推し量る。 「ともに敗戦の年は18歳です。この世代は多くが『皇国』を信じていた。『裏切られ感』の深さは、戦後世代には決して分からない。もう少し上の世代ならごまかしたり、かわしたりできたでしょうが、最も『純』な時期でしたから……」 実際、城山さんは海軍特攻隊に志願したし、吉村さんは結核を病んでなお「戦うつもりだった」と城山さんとの対談(「文芸春秋」97年4月臨時増刊号)で打ち明けた。 「人間に対する、どこか全面的に信用できない冷めた部分がある」とも漏らしている。 膨大な取材に基づく戦記小説は、「戦慄すべき危険な要素」を探求した記録でもある。 「おやじは『戦艦武蔵』を書くために、名刺交換しただけでも70人以上の人に会いました。なぜあんな船を真顔で造れてしまうのか。おやじなりに戦争の異様さを感じたと思います」 吉村さんが居を構えた東京・三鷹で長男の司さん(70)が振り返った。 命日の7月31日の前日。井の頭公園の森で、しきりにセミが鳴いていた。 「……あの本では、建艦過程に大部分の筆が割かれていますね。進水にこぎ着ける場面は読み手も泣ける。いつの間にか当事者の、彼らの気持ちになる。その意味でおやじには『細菌』(70年、後に『蚤(のみ)と爆弾』に改題)という作品もありますが……」 旧満州(現中国東北部)で、細菌兵器開発のための人体実験を繰り返した旧日本軍の731部隊を描いた。 森村誠一さんの「悪魔の飽食」(81年)に先立つ力作である。 「戦争に勝つ。そのために俊英の医学者や軍医が知恵を絞り、人体実験を繰り返していく。しかも、読み手もいつの間にか『成功してほしい』と応援する気になってくるんですね。戦争の異様さですよ、これが」 司さんが少年時代、米爆撃機B29のプラモデルを作り、自室に飾った。父はそれを見るや、ばきばきと折り捨てた。 「東京の空襲で実家を焼かれ、多くの遺体も見ている。私は美しい飛行機だと思ったのですが、おやじはそういう『軽さ』が許せなかったのでしょう」◆「今はいい時代」なのか 8月15日の前後には、小麦を丸めて汁で煮たスイトンを食べるのが吉村家のならわしだった。敗戦後、人々はこれで飢えをしのいだ。 司さんが小学5、6年の夏、スイトンの食卓を囲みつつ、父が「戦争に負けてよかった」とつぶやいた。 「驚きました。でも今なら分かる。おやじはかつての自分や日本を『心から戦争をやっていた』と表現しました。そんな日本が勝って、どうなっていたか。恐ろしいですよ。今、おやじが生きていても『負けてよかった』と言うと思いますね」 城山さんとの別の対談(「オール読物」95年8月号)でも、城山さんに「負けてよかった」「今はいい時代ですよ」と言葉を重ねた。 この対談を6年前、佐高さんが報道番組で紹介すると、「負けてよかったとは何だ」と批判が殺到した。 「『いい時代』は終わろうとしているのでしょうね」(佐高さん) あるいは私たちはまたも「変身」しようとしているのか。 今年は「戦艦武蔵」が出て60年、吉村さんの没後20年である。【吉井理記】2026年8月14日 毎日新聞朝刊 13版 「『戦争に負けてよかった』吉村昭さんが『戦艦武蔵』に込めた思い」から引用 石破茂氏が防衛庁長官に就任したとき、彼は執務室に自作の戦闘機のプラモデルを飾ったりして、変な者が防衛庁長官になったものだと思ったものでしたが、そのあとに出てきた安倍信三や中川昭一に比べれば、いろいろと深くものを考える、政治家としては優秀な部類に入る人材だったのだな、と今にして思います。テレビで「戦争に負けて良かった。今は良い時代だ」と発言するとテレビ局に批判が殺到するというのは、日本を戦前の時代に戻そうとする勢力が復活しつつあることを示していると思います。しかし、どのような角度から見ても、あの戦争には「正義」がなかったのであり、隣国に不当に軍隊を進めて違法な侵略活動を行った事実は、否定のしようがありません。戦後の80年間は、我々国民があのような違法行為を強要されずに済んでよかったと思います。これからの善良な日本人にも、人殺しを強要することは禁止するべきです。あの戦争に負けたのは良かったのだという「想い」を、多くの人々と共有したいものです。
2026年09月03日
日本が戦争に負けた年の夏は冷夏で、コメが不作で国民生活が困窮した様子について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、8月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 81年前、1945年の夏は記録的な冷夏だったという話がある。 冷夏のイメージがあまりないのは8月15日の東京や大阪が例外的に暑かったためで(東京の最高気温は32・3度)、この年の夏の気温は全国的に低かった。7月の平均気温を見ると・・・ 札幌16・7度(21・1度)、東京22・0度(25・7度)、大阪24・6度(27・7度)。平年より3~4度低い(かっこ内は現在の平年値)。 影響は秋に出て、コメの収穫量は激減、空前の大凶作となった。作況指数(平年収量を100とした場合の収量指数)は67。作況指数90以下は最低ランクの「著しい不良」だから、どれほどの凶作だったかだ。 こういう年に日本は敗戦を迎えたのである。 しかも9月には枕崎台風が、10月には阿久根台風が西日本を直撃。多くの人命が失われると同時に農作物も壊滅的なダメージを被った。 かくて45年から46年にかけ、日本は絶望的な食料危機におちいる。 注意すべきは、そうでなくても当時の食料生産力は極限まで落ちていたことだ。労働力の不足、肥料や資材の枯渇、軍用地への農地の転用、空襲や爆撃。すべて軍事を優先した結果である。 熊本の地震や千葉の豪雨に見舞われた2026年の夏。災害が多いこの国で軍拡に向かうなど、頭がおかしいとしか思えない。(文芸評論家)2026年8月19日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-寒い夏の話」から引用 天候不順になると国民の主食であるコメが不足するという決定的な弱点があることを計算に入れずに、諸外国と戦争をした当時の指導者は、指導的な立場に立ってはいけない無能な輩であったということを、私たちは上の記事から読み取るべきだと思います。欧米諸国の工業生産力や経済力を知る人々は、この戦争は勝てないと知っていても、それを発言すると「非国民」のレッテルを張られるからおとなしくしていたために、知識も才能もないのに、やたら威張って周囲を恫喝して人の上に立つという者たちが、この国を悲惨な戦争に導いて、あげくの果てに「敗戦」となったのは、必然的であったわけで、そのことを80年前の日本人は、あまり良く反省はしていなかったために、現在もまた、総理大臣の資質をまったく持ち合わせない人物をその座につけて、再軍備の道を進もうとしているとは、一体どこまで愚かな民族なのか、ため息が出ます。
2026年09月02日
今年の新年早々に高市内閣がいきなり衆議院を解散すると、これも突然に立憲民主党が全野党共闘の「建前」を捨てて、「公明党と合併して『中道改革連合』を立ち上げる」と声高に宣言したのであったが、しかし、選挙の結果は「立民系」の有力候補がほとんど落選し、辛うじて「公明系」議員が全員当選しただけに終わり、高市自民は単独でも衆議院の3分の2を越す圧倒的な勝利を納めたのであった。それでも立民系の有力者(?)は、衆議院で「中道改革連合」と名乗っているのだから、参議院でも同じように公明党と合併して「中道」路線を進めようという主旨で党内論議を進めているのだが、参議院の立憲民主党議員の間では、どうもその「路線」に疑問を持つ声が、無視できない程に大きくなりつつあるらしく、先行きが不透明になりだしたのが今月上旬のことであった。その様子を、9日付神奈川新聞は次のように報道している; 立憲民主党内で、中道改革連合、公明党との合流反対論が表面化している。執行部と地方組織の意見交換では、中道に合流せず、立民を残すべきだとの意見が噴出。中道を解体し、元の立民、公明に戻す「原状回復」を求める声も上がる。ただ、中道に取り合う気配はなく、3党で結論を得るとした8月末の期限が迫る中で合流協議の行方は不透明さを増している。◆平行線 中道の小川淳也、立民の水岡俊一両代表ら両党幹部は7月31日、ひそかに国会近くの国立国会図書館で向き合っていた。「今の党内の雰囲気では合流を決めるのは難しい。別の案を考えられないか」。立民幹部が本音をぶつけた。 小川氏はこれに対し、立民は労働と福祉を重視してきたと指摘。「大衆とともに」を立党精神に掲げる公明と合流する意義は大きいと説いたが、結論は出ず平行線に終わった。◆けん制 「中道を分党して立民、公明に戻すべきだ」「立民を存続させて頑張るのが一番良い」。これに先立つ7月25日、立民が開いた全議員懇談会で、出席者が次々と訴えた。中道への合流を主張する議員はいなかった。 執行部は8月上旬から全国11ブロックとの会合を始めたが、地方議員の多くは来年の統一地方選を立民で戰いたいと強調。東京都連は8月7日、所属議員対象のアンケートで立民存続を求める回答が8割に上ったとして合流反対を表明した。執行部の一人は「厳しい意見ばかりで頭を抱えてしまう」とこぼす。 一方、中道、公明は冷ややかな視線を送る。3党はこれまでの協議で(1)立民、公明が分党し中道に合流(2)立民、公明の参院議員が離党し中道に入党が効率的だと確認しているためだ。中道関係者は「今更立民に戻る中道議員がいるのか。立民出身者21人全員が戻っても衆院では野党第3党になる」とけん制する。◆不信感 公明が安全保障関連法、原発、米軍普天閧飛行場の辺野古移設の3政策で、3党の一致を求めたことも立民に負担としてのしかかる。 立民は基本政策で安保関連法の「違憲部分廃止」を掲げ、綱領には「原発ゼロ社会を一日も早く実現する」と明記する。辺野古移設にも反対で、中道、公明の考えとは食い違う。立民幹部は「あの発言には『どっちらけ』だ。考えが違う立民を排除したいだけではないか」と不信感を隠さなかった。2026年8月9日 神奈川新聞朝刊 2ページ 「立民、合流反対論が表面化」から引用 今年の年明けの高市解散は唐突で驚いたが、立憲民主党と公明党の合併というのも更に唐突で「この人たちは何を考えているのだろう」と言う感じだったが、選挙の結果は案の定、大部分の立憲民主党支持者にとって「さあ頑張ろう」という気分とはかけ離れた白けただけの出来事であったようだ。これは、軽々しく「公明党と合併」などという路線を進めた立憲の幹部の責任だと思います。党内論議を省略して、自分の一声で「全野党共闘」から「公明党との合併」へ路線変更できると踏んだ立憲民主党幹部の責任だと思います。しかも、維新や国民民主党を「自民党補完勢力」と先日まで批判していた立憲民主党が、自民党と一緒に安保関連法を推進した公明党と、易々と連立だの合併だのというのでは、政治信条が疑われるというものです。もはや「中道改革連合」は解散して、立憲民主党は「1」からやり直しをする以外に「道」はないのだと思います。
2026年09月01日
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