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なぜ強制されねばならぬのか、 という疑問がない。
実は戦前にはそれがあった。治安維持法という法律の下、実際に罪を犯さなくても、それを考えただけで罪になった。
つまり国家の名で拘束されたのである。
それから60年、血と炎の体験を経てようやくわれわれ個人は、 実際に罪を犯さない限り己れの24時間を己れの意に反して国の拘束を受けることはない。 今日われわれの享受している権利はそれほど貴重なものなのだ。
それを国は、この制度によって指名した 個人を、数日間にわたり、当人と全く無縁の法廷に閉じこめ、全く無縁の事件の判断を強いる。 否応なくである。 従わなければ罪だ。
これほど 明白な人権侵犯 はないだろう。考えようによっては、戦前の徴兵と全く変りない。或は、今日の権力がねらっている改憲、再軍備、徴兵制に対する心理的地慣しではないか。易々(やすやす)と生命まで差し出させられた戦前回帰の一石ではないかと老人は思う。
こうして国の命じたものを理由なく優先する習慣を復活させれば、軍事国家の復元は容易だ。そうでなくても改革の二字で公の意見を強制する今日、われわれは決して油断できない。朝野(ちょうや)ともに知って知らぬ振りでなければよいと考えるのは私一人だろうか。
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