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国は、米国立公文書館で2000年以降に複数の密約文書が見つかっても、「密約文書にサインしたのは自分」と吉野文六・元外務省アメリカ局長が名乗りをあげても、一貫して「密約は存在しない」としらを切り続けてきた。
提訴後、歯車が大きく回った。政権交代が実現、岡田克也外相は調査を命令。軍用地の原状回復費の日本による「肩代わり」などの密約があったと認めた。この時点で当初の狙いはある程度達成された。
ただ、この調査でも、原告らが開示を求めていた文書は見つからなかった。杉原則彦裁判長は第1回弁論で「文書がない理由を示せ」と国側に求めたが、国側は結局はっきりとした回答をしなかった。
判決は、外務省のこうした情報公開への取り組みを、「知る権利」を軽視するものだと厳しく批判した。「原告らが求めてきたのは、文書の内容を知ることではなく、密約の存在を否定し続ける政府のあり方の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であった」という言及は、原告の思いそのままだ。判決後の集会でも原告たちは「日本の司法は死んでいなかった」と高く評価した。
西山さんが国家公務員法違反に問われたのが1972年。「知る権利を守れ」という言葉は当時、 起訴状に検察官が記した「情を通じて」という一言で、男女のスキャンダルにすり替えられてしまった。 問題の本質である「知る権利」に38年ぶりに光を当てる判決だったといえる。(谷津憲郎)
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