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日本と韓国の大学生計20人が先週、韓国の財団が企画した両国の史跡を巡るツアーに参加した。学生たちは耳塚に献花したが、うつむき加減で重苦しい表情だった。
その日の午後、広島県福山市柄の浦に移動した。江戸時代に朝鮮の外交使節団「朝鮮通信使」がたびたび立ち寄った港町だ。宿舎となった福禅寺。瀬戸内海の美しい島々が一望できる。
寺には通信使が残した書が何点かある。「日東第一形勝」。朝鮮より東の世界で最も風光明媚(めいぴ)な場所と、鞆の浦をたたえたものだ。
潮風が吹き抜ける本堂で、日韓の若者たちは「通信使もここで息抜きしたのか」「どんな食事をしたんだろう」と語り合った。
秀吉軍の撤退から5年後に徳川幕府は朝鮮王朝に和解を呼び掛け、使節訪日を招請した。朝鮮は徳川家康名義の国書を要求したが、仲介した対馬藩は悩んだ末に偽書をつくって渡した。朝鮮側もそれを承知で受け取り、国交回復を優先させ通信使を派通した。
400年前の日韓関係だが、戦争で失われた信頼を取り戻した。これが外交の知恵というものだろう。 (山本勇二)
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