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2010年09月08日
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カテゴリ: 歴史認識
 豊臣秀吉が朝鮮に出兵して敗退した5年後には、徳川幕府が朝鮮王朝と和解した。8月23日の東京新聞コラムは、そのことについて次のように書いている;




 日本と韓国の大学生計20人が先週、韓国の財団が企画した両国の史跡を巡るツアーに参加した。学生たちは耳塚に献花したが、うつむき加減で重苦しい表情だった。

 その日の午後、広島県福山市柄の浦に移動した。江戸時代に朝鮮の外交使節団「朝鮮通信使」がたびたび立ち寄った港町だ。宿舎となった福禅寺。瀬戸内海の美しい島々が一望できる。

 寺には通信使が残した書が何点かある。「日東第一形勝」。朝鮮より東の世界で最も風光明媚(めいぴ)な場所と、鞆の浦をたたえたものだ。
潮風が吹き抜ける本堂で、日韓の若者たちは「通信使もここで息抜きしたのか」「どんな食事をしたんだろう」と語り合った。

 秀吉軍の撤退から5年後に徳川幕府は朝鮮王朝に和解を呼び掛け、使節訪日を招請した。朝鮮は徳川家康名義の国書を要求したが、仲介した対馬藩は悩んだ末に偽書をつくって渡した。朝鮮側もそれを承知で受け取り、国交回復を優先させ通信使を派通した。

 400年前の日韓関係だが、戦争で失われた信頼を取り戻した。これが外交の知恵というものだろう。     (山本勇二)


2010年8月23日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「論説室から-400年前の日韓関係」から引用

 一度侵略を受けた朝鮮側としては、日本の責任ある立場の者から一筆とらなければ安易な和解はできないという建前であったわけだが、それが徳川幕府にとって荷が重いこと、しかしながら徳川幕府が統治権を確立していることなど理解した上で、偽の国書でも形だけ整えば大目にみて、実質の平和な関係を確立したのは賢明な選択であったと言える。その頃とは国際情勢が全然異なるが、戦後65年も経って未だに国交が回復できない隣国があるというのはまともな状態ではない。先人の英知に学んで、一日も早く日朝国交正常化を実現してほしいものである。







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最終更新日  2010年09月08日 22時23分07秒


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