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そもそもをぜ横網町公園に追悼碑があり、どういう経緯で追悼式典がおこなわれているのかは、あまり広くは知られていません。実は私もそんなに詳しくは知りませんでした。追悼式典は、毎年9月1日におこなわれていて、平日のことが多いので、私も過去に2回くらいしか行ったことがなく、経緯をまったく知らなかったのです。「そよ風」がこの追悼碑の撤去を叫ぶ運動を始めてから、日朝協会の人たちにお会いするようになり、いろいろお話を聞くことができました。
あの 追悼碑は震災50年を記念して1973年に建立された のですが、日朝協会が単独で建てたわけではなく、実行委員会をつくりすすめられたものです。実行委には当時の 都議会の各会派の幹事長、宗教者、千田是也(演出家)や藤森成吉(戯曲家)らが参加 しています。さらに600人・250団体が寄付などのかたちで協力しました。当時の資料を見ると、 社会党、共産党の名があるのは当然としても、宇都宮徳馬さん(自民党衆院議員)、全日本仏教会、弁護士、美濃部亮吉さん(当時都知事)、自民党自民クラブ、自民党区議団、民社党区議団、大田区の自民党区議団、渋谷区長、江東区長もいます。歴史学者の石母田正さんも 入っています。幅広い人たちの協力で実現したのです。完成した碑は東京都に寄付されました。
それ以来、追悼式典が碑の前でおこなわれてきました。追悼碑建立の実行委員会と別に、毎年の式典の実行委員会が 日朝協会と亀戸事件(関東大震災時に社会主義者や労働運動活動家が警察や軍によって虐殺された事件)追悼実行委員会、日中友好協会の3者 でつくられ、おこなわれてきたのです。1973年と言えば、まだ関東大震災から50年しか経っておらず、当時のことを知っている人も大勢いました。つまりこの碑は、日朝協会という一団体がたまたま思いつきでつくったのではなく、震災から50年という段階で、「それはつくらなきゃいけない」という 東京都議会の全体の意思として、幅広い支持のなかでつくられた のです。だからこそ、毎年都知事が追悼文を送ってきたのです。
実は、それまで、東京都に朝鮮人の追悼碑は1つもありませんでした。埼玉や千葉には戦前に建てられたものもあり、戦後すぐに建てられたものもあります。東京都にはもう1つ、市民団体が私有地に建てたものが八広駅近く、荒川河川敷近くにありますが、当時は東京都には一つもなかった。そういう意味でも、つくられなければいけない碑でした。自治体の首長が追悼文を送るのも、奇異なことではありません。多くの朝鮮人が虐殺される事件が起きた埼玉県の熊谷市や本庄市、上里町では、自治体が追悼式典を主催しています。そういうことを考えると、小池都知事が今回追悼文を取りやめたことの問題性がわかると思います。
■根底にある虐殺否定論
[否定に与する「あったかどうかわからない」論]
メディアの報道では、古賀都議が追悼碑の碑文にある6000人という虐殺された人数に異議を唱えて、小池都知事がそれを受け入れたとしています。しかし古賀都議の質問を読むと、もちろん6000人のことも言っていますが、それだけではありません。彼は工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』を引用して、「大地震の混乱に乗じて、朝鮮独立運動家たちが暴動を起こしたことは紛れもない事実である」と言っています。暴動に対する自衛として自警団が反撃したのだから、碑文にある「根拠のない流言飛語によって」云々というのも日本人に対する「ヘイトスピーチ」だとまで言っています。虐殺否定論に立った主張を古賀都議はしていたわけです。だから追悼碑も撤去せよと。3月の小池都知事の古賀都議に対する答弁や8月25日の都知事の会見も、そういう「虐殺否定論」という文脈を読み込まなければいけません。古賀都議が虐殺否定論に立って迫り、小池都知事がそれを受けて追悼文を取りやめたのです。
とりわけ8月25日の会見で小池都知事は、何人もの記者が、虐殺についての認識を質問したのに対して「虐殺」という言葉をいっさい使いませんでした。「殺された」という言葉さえも使わないで、「不幸な死を遂げられた方」などの表現をしています。それだけだったら、はっきり言うことを避けているということで済みますが、ジャパンタイムスの記者の質問に対する答えをみると、それだけでは済まないことが分かります。小池都知事は、「関東大震災という非常に大きな災害、そしてそれに続くさまざまな事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊」と答えているのです。つまり災害と別の事情で亡くなった人がいることを認めているわけです。あのとき、災害後に、災害以外の理由で死んだ人というのは、殺された人しかいません。そして、殺された人のほとんどは朝鮮人だったわけです。それについて小池都知事は「別の事情で亡くなつた人」と言ったわけです。
これは控え目に言っても、「虐殺があったかどうか私はわかりません。殺されたのが罪のない朝鮮人かどうかもわかりません」と言っているのに等しいわけです。例えて言えば「アウシュヴィッツにガス室があったかどうかわかりません」と言ったのと同じです。そして、「あったかどうかわからない」と言った瞬間、もはや虐殺否定論に与したことになるのです。少し考えていただければわかると思いますが、あったかどうかわからないものを教科書に載せたり、公共施設で展示できないからです。
実は、小池都知事は2010年に「そよ風」に呼ばれて講演しています。選挙になると、政治家の以前のツイートを探し出して再掲してくれる人がいますが、それを見ると、小池都知事は、「中共の『日本解放工作要綱』にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速化させる・・・。」「納税シーズン、日本で働く某国人は扶養控除欄に本国の父母姪甥・・・とありとあらゆる親戚名をあげるそうな。まだ申告するだけマシだが、『子ども手当て』のバラマキでも同じことがおこる恐れあり。」などと書き込んでいます。小池という人は世の中で思われているよりもずっとネトウヨと親和性が高い人なのです。
今回も、石原慎太郎元都知事ですら「虐殺がなかった」などとは言わなかったにもかかわらず、小池都知事は「わからない」という立場を表明している。小池都知事は本心では虐殺がなかったと思っているのかもしれません。
小池都知事は、9月26日の都議会でも共産党都議の質問に、「様々な内容が史実として書かれていると承知している。だからこそ、何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」と述べ、改めて虐殺の有無について明言を避けましたが、これまで要職に就いた人で、朝鮮人虐殺について「あったかなかったかわからない」と言った人は初めてだと思います。虐殺否定論がお墓付きを得てしまったのです。
「そよ風」の最終目標は追悼碑の撤去です。そのためにまず考えたのが、東京都の追悼式典に対する関与をなるべく削っていくことだったと思います。最初の目標が追悼文取りやめだった。このように式典と東京都の関係を断ち切っていくことで、式典をつぶしやすくなっていくし、ひいては追悼碑の撤去に近づくということなのだと思います。
[展示や教育の場でも否定論が……]
もう一つ、彼らがめざしているのが展示の改変です。例えば横綱町公園のなかに復興記念館があり、震災と空襲の展示がたくさんなされています。その展示に対しても彼らは文句をつけています。その一つが朝鮮人虐殺についての説明のパネルです。これは、日本語の説明では「虐殺」という言葉を周到に避けているのですが、英語の説明文ではmassacreという言葉が使われていたのです。彼らは、それを見つけて、「massacreとは何だ」と抗議、昨年秋に復興記念館側に変えさせてしまったのです。
「虐殺があったかどうかわからない」という議論から言えば「虐殺関連の展示は全て外せ」ということになってしまいます。私は東京都の教育の状況についてくわしく知りませんが、教育の現場でも虐殺についてふれることが難しくなりかねません。小池都知事のお墨付きによって、最終目標である追悼碑の撤去に向けて、「そよ風」の執拗なロビー活動がこれからどんどん展開されると思います。
もちろん、そう簡単に追悼碑の撤去まで行くことはないでしょう。しかし、いろんな形で虐殺の展示を外させたり、教育の場から虐殺関連のことを排除することはできると思います。都知事の威光を笠に着ているわけですから、役人がどこまで抵抗できるかわかりません。しかも都民には見えないところでそれはおこなわれているのです。
いずれにしても、昨年6月から「そよ風」が運動を始め、公開質問状を送ったり、執拗な働きかけをしてきた。そういう流れの中で、東京都の展示や教育において虐殺否定論の影響が強まっていくことを、私は危惧しています。
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