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成田、諌早湾、辺野古と、3つの例を見ましたが、大型公共事業にともなう国と住民の対立は、どんな場所でも大なり小なり起こります。ゴミ処理場、葬儀場、県道など、相手が地方自治体の場合でも、構図は同じです。
もちろん、ひとつひとつケースはちがっているので、一概にどちらの言い分か正しいとはいえません。また、こうした住民運動は、個別の案件についての争いですから、反対運動に参加している人はみんな反体制派である、ともいえません(国の対応があまりにひどいと、反体制派になっちゃう人もいますけど)。
では、ここであらためで質問です。
大型公共事業と住民運動の対立を目にしたとき、あなたはどちらにつくか。国側と住民側のどちらに肩入れしたくなりますか。
なんかよくわかんねーし、自分には関係ねーし、どっちでもいいや、って?
ダメです。どっちでもいいは許されません。何度もいいますが、政治に「中立」はないのです。どちらかに決めてください。
よろしいですか。では、診断です。
どちらかといえば国側を支持するという人は 「全体の利益のためには、ある程度個人が犠牲になるのは仕方がない」という考え方ですから、「国益優先派」 。住民側を支持するという人は 「いくら全休にとって有益な事業でも、個人の生活を犠牲にしたらダメだろ」 という考え方ですから、「人権優先派」です。
そして、もうすこし強めの表現を使いますと、「国益優先派」と「人権優先派」には、すでにちゃんとした名前もついているのです。
国益優先派は「全体主義」。人権優先派は「個人主義」です。
とかいうと、「ちがう」といわれるかもしれません。でも、これはほんとの話。辞書を引いてみてください。全体主義と個人主義は「反対語」として載っていますから。
◆国益優先は全体主義、人権優先は個人主義
「個人主義」というと、自分の利益だけを追求する利己主義者、みたいですが、それはまちがい。「個人主義」と「利己主義」は別ものです。
個人主義とは、ヨーロッパのルネサンスや宗教改革の時代(6世紀ですから、ずいぶん古い話です)に意識されるようになり、近代市民社会の根幹となった思想。個人の自由と権利がいちばん大事だ!という考え方です。
一方、「全体主義」は、「個人の自由や権利? そんなものは後回しだよ、後回し」という考え方です。個人個人の暮らしより、国家とか民族とかの「全体」の利益を優先させるので「全体」主義と呼ぶのです。
国家とは何かということについても、個人主義者と全体主義者の考えはちがいます。
個人主義者はいいます。国よりも民族よりも、大切なのは個人の自由と権利なんだよ。国家は個人を幸福にするためにあるんだよ。
全休主義者はいいます。バ力だな。国家のおかけで国民があるんだろ。そんなに国家が嫌いなら、国を出ていきゃいいじゃないか。国籍なしで暮らせるのかよ。
さて、あなたはどちらの考え方に近いでしょう。
と、いちおう質問してみましたが、この問いの答えはほんとはとっくに出ています。国家と個人のどちらが大切かという問いの答えも、だから決まっているのです。
国益より人権のほうが上。国家より個人のほうが大切。
これが近代国家の原則であり、国際社会の常識なのです。
では、「全体主義」とは何だったのかというと、戦時中の日本、ヒトラー政権下のナチスドイツ、ムッソリーニ政権下のイタリア、スターリン政権下の旧ソ連などがこれに該当します。つまり、全体主義は化石みたいな思想なのです。
ですので「やっぱ、国があっての国民じやん? 国民は国に従うべきじやねーの?」なんていうことをいう人がいたら、あきれてもいいのです。
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