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2019年12月20日
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テーマ: ニュース(96951)
カテゴリ: ニュース
日本が戦争をしていた時代に、国内の労働力が不足したため植民地だった朝鮮から多くの人々が労働力として動員され、中には強制連行で連れて来られた人たちもいました。11月27日の「しんぶん赤旗」は三重県にあった紀州鉱山の事例を、次のように紹介しています;



(玉田文子)


 熊野市駅から車で40分。紀和町板屋の山の緑を背景に巨大なコンクリートの支柱がそびえ立ちます。石原産業(大阪市)が1939年に建設した紀州鉱山選鉱場跡です。紀州鉱山は、78年の閉山まで44年間で940万トンの鉱石を産出しました。

 選鉱場跡から歩いて数分。紀和鉱山資料館の近くに朝鮮人追悼碑があります。碑の前には亡くなった35人の名前を記した30センチほどの石が並びます。金仁元、李白洛、○○姫・・・。創氏改名させられたため本当の名前が分からず一部が空白になった石もあります。

 「亡くなった朝鮮人は名前をもち、ここで朝鮮人が働いていたという歴史を証言している」。碑建立の中心となった 市民団体「紀州鉱山の真実を明らかにする会」 事務局長の金静美(キム・チョンミ)さん(70)=和歌山県海南市=は語ります。

 金さんらは、石原産業が46年に厚生省に提出した朝鮮人労務者に関する調査報告書や労働者の死因を記した『従業物故者忌辰録』(55年10月10日現在調)、強制連行された朝鮮人の数を企業ごとに記した 三重県の『知事引継書』(45年4月)などを入手 し解析。資料をもとに何度も韓国に渡り、生存者や家族、遺族、友人、強制連行に関わった朝鮮人、鉱山で働いていた日本人、地域住民から聞き取りを行ってきました。

 これまでの調査で40~45年に朝鮮半島から紀州鉱山に連れてこられた朝鮮人は1300人以上、40年以前に同鉱山に働きに来ていたと思われる人や、その人の子どもと思われる人も含めると35人の朝鮮人が事故や病気で死亡したことを明らかにしました。

◆人間扱いせず

 会の調査によると強制連行された人の多くは「賃金を受け取っていない」と証言。96年10月の聞き取りで、大韓民国江原道麟蹄郡麟蹄邑に住む金石煥(キム・ソクファン)さんは、「毎月15日が休みで月1日だけだった。いつも腹をすかせていた」。98年8月の聞き取りで、21歳の時に慶尚北道安東市の自宅で強制連行された林聖煕(イム・ソンフィ)さんは、「紀州鉱山では人間としての扱いは受けなかった。逃げる人を見て、止めなかった人も殴られた」と話しています。

 2010年1月の聞き取りで、江原道で父親が1944年11月に連行され残された家族は「母は祖父と農業をしながら、ありとあらゆる苦労をした」。同年7月の聞き取りで、鉱山に就職し建設部に所属していた大畑孝千穂さん=紀和町=は「朝鮮人は石を運んだり穴を掘ったり、坑内の仕事をさせられていた。軍人が(朝鮮人の)収容所を監視していた」と証言しています。

 『知事引継書』などによると鉱山に連行された朝鮮人の3割が「逃亡」。処遇改善を求める抵抗も続発し、 40年には賃金差別の改善を求めたストライキ、44年には米の分配や病人の待遇改善を求めた争議 が行われています。

 坑口には「朝鮮民族は日本民族たるを喜ばず。将来の朝鮮民族の発展を見よ」の文字がカンテラ(携行用の灯油ランプ)の火で焼き付けられたといいます。解放を求める朝鮮人の熱い思いは暗い坑道の中でも途絶えることはありませんでした。

 しかし、熊野市が運営する紀和鉱山資料館に朝鮮人の強制連行を示す展示はありません。市の教育委員会は「詳しい記述や確証となる資料が無い中での展示は難しい」としています。

 一方で、鉱山の強制労働で亡くなった英国人捕虜に関する「墓地」は、市の文化財に指定し資料館にも展示しています。

 会は朝鮮人の強制連行を示す資料の展示を求めてきましたが実現していません。市が作成する観光案内チラシ「熊野市 鉱山の歩み」にも朝鮮人強制連行の事実は示されていません。

 会の佐藤正人さん=翻訳業、北海道小樽市=は「日本政府は他地域・他国支配という歴史的事実を国家犯罪として認識しようとせず、真の謝罪、賠償、責任者処罰をしていない。今後、さらに地域の政府(行政機関)に事実をはっきりさせるよう求めていく」と強調します。

◆歴史直視して

 紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑は、在日本朝鮮人総連合会県本部と在日本大韓民国民団(民団)県地方本部、紀州鉱山の真実を明らかにする会が2010年に建立。その後毎年、追悼集会が開かれています。

 今月10日に開催された、12回目の追悼集会には民団県地方本部や在日韓国民主統一連合三重本部、在日韓国青年同盟の代表、東京都や岐阜県から訪れた日本人など約20人が参加。在日韓国人らが「強制連行され無念の死を遂げた朝鮮人が日本全国にいる。私たちはこれを広く知らしめていかなければ、あったことをなかったことにしようとする安倍首相の思うままの社会になってしまう」などと思いを語りました。

 前述の金静美さんは話します。「朝鮮から強制連行され亡くなった人がいます。地域史で隠されているその事実をこの人たちが示しています。今後も追悼することを続けていきたいし、地域の人たちが、地域の歴史を直視するようになってほしい」


2019年11月27日 「しんぶん赤旗」 4ページ 「シリーズ・現場から考える日韓の歴史-追悼碑に刻む無念の思い」から引用

 三重県の紀州鉱山の追悼碑が建立されたのが2010年とは、ずいぶん遅かったと思います。公文書等の記録や市民団体の熱心な調査で概要が判明したにも係わらず、それを自治体が発行する資料に記載を拒否する熊野市の対応は不当です。毎年開催されるという追悼集会が、これからも末永く継続されて、人々の記憶に留められることを希望します。





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最終更新日  2019年12月20日 01時00分06秒


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