フリーページ
で、そういうタイプではない人が何を言うかといえば、「野党も批判しているだけではダメだよね」とか、「メディアももうちょっと公平に報道してほしいよね」とか言う。 つまり、傍観している。分析しているつもりなのかもしれないが、 結局は、権力の横暴を容認する、あるいは加担する。 その自覚はあるのだろうか。
この数年間、政治の中枢では同じことが起きている。自分が仲良くしている人を優遇するために、物事を無理やり進めようとする。あとでバレてしまい、仲良しだからこういうことをしたんですか、と問い詰められると、 そんなことはない、平等にやっている、陥(おとしい)れようとするな、とけん制し、その疑いが濃くなるスクープ記事などが出ると、ろくに答えずに逃げ回る。 同時に、証拠になりそうなものを破棄する。なかったことにするために、あらゆる手を尽くす。その後ろ姿を追いかけていると、「いつまでそんなことやってるんですか」と嘲笑される。
権力者は当然、この流れを繰り返す。だって、逃げ切れてしまうのだから。 最初は新聞もワイドショーも雑誌もあれこれうるさいけど、そのうち扱われなくなって、最後まで騒いでいるのは一部の人だけになる。 その一部の人には、嘲笑が向けられる。 こんなにも権力者が悪事をしやすい体制はないと思う。複雑な手口ならば許されるわけではないとはいえ、今、権力者が起こしている悪事って、手口があまりにもシンプルすぎやしないか。日頃仲良くしているから優先する、そんなことばかりだ。
権力者って、もう少し賢かったのではないかと思う。巧妙に逃げていたのではないかと思う。こんなにも露骨に悪事を慟いてこなかったのではないか。なぜそれをしてしまうのか。答えは簡単で、それをしても大丈夫だからだ。逃げ切れるからだ。
この原稿が載っているコーナーもその類いの原稿が並んでいるのかもしれないが、「今、メディアはどうあるべきか」というような記事には納得しつつも、今、目の前で放置されている悪事があるのだから、まずはそちらをつかまえたい、と思う。 家が燃えているのに、理想の都市の話をするのは順番が違う。いち早く消火して、原因を追及するしかない。
どうやら、新しい政権が始まるらしい。始まろうとも、放っておいたことを引っ張り出して問わなければいけない。森友学園、加計学園、桜を見る会、日本学術会議任命拒否問題、名古屋入管施設死亡事故問題、河井夫妻買収事件、並べればキリがない。権力の横暴が目の前に転がっている。それぞれ問いかけて、かかわった為政者には出ていってもらう。至ってシンプル。何ら難しい主張ではない。いつまでも言っている「一部の人」でありたいし、この雑誌はいつまでも言っている「一部の雑誌」であってほしい。
米国民主党、OS更新が進むのか(7日の… 2026年09月07日
理念と血税のAI選び(6日の日記) 2026年09月06日
サメのサギにご注意!(5日の日記) 2026年09月05日
PR
キーワードサーチ
コメント新着