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人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者である児童文学作家の山中恒さんが死去した。軍国主義一色に染まった戦前に少年時代を過ごしたことから、その検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行した。
平和の尊さを訴え続けた執念に深い敬意を表するとともに、東アジアの安全保障環境悪化がしきりに叫ばれる今こそ、次世代として遺志を継承したい。
戦前の歴史、特に子どもの教育や人々の暮らし、言論統制、メディアの状況を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たる。関連の著書は30冊以上。徹底した資料集めと綿密な分析に舌を卷く。
満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。
当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。 海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇」の精神をたたきこまれた。「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。
「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」 と共同通信のインタビューで語っている。
しかし友人に「先生たちが死んでからでも良い」と止められた。 それまで「天皇陛下万歳」と叫んでいた先生たちは「民主主義万歳」に、がらっと変わった。 このとき大人に抱いた強い不信感が、その後の旺盛な著述活動の原動力になった。
手元に著書「新聞は戦争を美化せよ」がある。古書店で入手した本には「日の丸と神の国とをたたえたる あの日の我は今は悲しも」という歌とともに、本人のサインが記されている。千ページ近い同書で、山中さんは当時の徹底した情報統制を詳述し、新聞社の対応も掘り下げている。
軍に批判的なスタンスも見せていた大手紙は、満州事変を境にナショナリズムを鼓吹し、軍を後押しする論調に一変した。29年の世界恐慌以降、販売・広告収入が伸び悩んでいた新聞界はこれで息を吹き返した。 報道・言論への政府の統制が本格化したのは38年の国家総動員法施行以降だが、その前から新聞は軍の「応援団」になっていた。
山中さんは「あまりにも権力に唯々諾々、ほとんど抵抗らしい抵抗も示すこともできなかった。そればかりか積極的に権力の意を迎えにいくかの如く、お先っぱしりに精を出したとしか思われない部分もあった」と記す。
この指摘をメディアに身を置く者として重く、切実に受け止めたい。世界で戦禍が絶えず、国際秩序も大きく揺らいでいる。メディアは何を伝えるのか。山中さんは冥界から目を光らせているように思う。
(共同通信編集委員・福島聡)
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