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新しいカメラを買った。 ちびくまが生まれて、今まで使っていたごついカメラは持ち歩くのがむずかしくなったのです。 新しいカメラは屋内の撮影に強く、動く子を撮ってもぶれない。 小さくて軽いから、ちびとのさんぽにも負担なく連れてゆける。 物置に眠らせておくよりは…と思い、古いカメラは引き取ってもらうことにした。 電器屋さんに行くくまに託すときは、あわただしさにとりまぎれてさほどの感傷もなかった。 夕方、ひとりでお風呂に入ってカメラと過ごした時間に思いを馳せていたら、何だか涙が出てきた。 長く使ってたしかに愛着はあったけど、モノに執着する方ではないので、自分でもびっくりした。 八年前、就職したばかりのときに、仕事の相棒として手に入れたカメラだった。 最初の赴任先だった港町では、このカメラで無数の写真を撮った。 カメラの使い方なんてろくに知らなかったわたしに、先輩が「できるだけ近づいて」「いろんな角度から」「とにかくたくさん」撮れと教えてくれた。 そうすれば、一枚くらいはまともな写真が混ざっているから。 仕事で使わなくなってからは、さんぽの友になった。 川のある下町に暮らしたときも、雪国に来てからも、カメラと一緒にたくさんの景色を見た。 季節の移ろいを知り、花や木の名前を覚えた。 結婚式では父に預けて写真を撮ってもらい、新婚旅行のオーストラリアにも一緒に行った。 ちびが生まれたときには、分娩室にも持って入った。 カメラを手ばなしたことがさみしいというより、ファインダーごしに見た景色がなつかしいんだな、わたしは。 カメラという機械が、人の記憶と結びつきやすい仕事を受け持っているから、こんな切ない気持ちになるんだ。 古いカメラだから、そのままの形で人手に渡ることは考えにくい。 でも、レンズや何か小さな部品ひとつでも、どこかで誰かの役に立つといい。 一緒に見たたくさんの景色を胸にしまって、新しいカメラと家族の歴史を刻んでいこう。
2011.10.31
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ちびくまと散歩。 ちびをスリングに入れて歩いていると、いろんな人に声をかけられる。 「こんにちは!何やってるの?」と裏の保育所の子どもたち。 「赤ちゃん入ってるの」と中を見せたら「うわぁかわいい」と女の子。 「うで、けがしてるのかと思った」と男の子。たしかに、骨折した人の包帯に似てるかもね。 小さな手でスリングにさわって「あったかい」だって。 公園でゲートボールをしていたおばあちゃんたちにもモテモテ。 「ありゃーめんごいなぁ」 「今はこんなして抱くのかぁ」とみなさん笑顔。 「転ぶなよ~」と見送ってもらいました。 それにしてもスリングってほんと便利。 両手が空くし、ちびもぐずらず居心地よさそう。 静かだなぁと思って見ると、スリングの中ですうすう寝ていたりする。 おかげでちびと一緒に出かけるのが楽しみになった。 クラフト・エヴィング商會「おかしな本棚」を読む。 クラフト・エヴィング商會こと吉田夫妻の実際の本棚から「ある日の本棚」「金曜日の夜の本棚」「旅する本棚」などのテーマ毎に何冊かずつ本を並べて写真を載せ、エッセイも添えられている。 誰かの本棚を見せてもらうって、本好きにとっては大きな楽しみだ。 読んだことのない本、これからも読むことのないだろう本ばかりでも、並んだ背表紙を見ているだけで胸がときめく。 著者の前書きにも「これは本棚の本です」とある。 「本の本ではなく、本棚についての、本棚をめぐる、本棚のあれこれを考える本。」 だから、この本に、くわしい内容紹介は載っていない。 古いのや新しいの、大きいのに小さいの、色とりどりの背表紙が並んでいるだけで、表紙の写真もあまりない。 著者自身がまだ読んでいない本さえある。 それなのに、本棚の一角を切りとった写真は、どれも「本棚好き」にはこたえられない魅力をたたえている。 「これはどんな本だろう」「あぁ読んでみたい」とまだ読んでいない本がこの世界に存在する幸せを噛みしめることができる。 ちょっと検索すれば、今ここにない本のあらすじだってわかってしまう時代に、「読まない」本が居場所を与えられてそっと置かれている本棚はなんて豊かなのだろうと思う。 著者も書いている通り、「『この本を読みたい』と思ったその瞬間こそ、この世でいちばん愉しいとき」なのだ。
2011.10.26
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ちびくま、生まれて2ヶ月経ちました。 「寝る」「泣く」「おっぱいをのむ」だけだった彼の人生に、「しずかに目ざめている」というあらたなバリエーションが増えた。 機嫌がいいとき、くまやわたしが話しかけると、にこにこ笑ってサービスしてくれる。 「おせわがかり」の顔を識別できるようになって、母さんのすがたが見えないとうわーんと泣く。 座布団に乗せて、台所やら洗面所やら、行く先々に運んでいたが、体が大きくなって、対角線に置いてもはみ出すようになった。 と、いう話を実家の母にしたら、コンビのベビーラックが送られてきた。 これ、ものすごく便利! 簡易ベッドとしても椅子としても使え、キャスターで簡単に移動できるし、ゆらゆらさせて赤ちゃんをあやすことも可能。 育児がちょっと楽になる。 世の中には、それぞれの立場に合わせたいいものがちゃんとあるんだな。 週末になると、ときどき、くま両親が遊びに来る。 少しの時間なら預けられるようになったので、温泉や整体に行かせてもらったり、くまとふたりでお茶も楽しんだ。 ちょっとの間でも心配で、出先からくま母さんに電話。 「ちびくまだいじょうぶですか?」と言っているわたしの方が、たぶんだいじょうぶじゃないんだな。 おなかに入れていた時間の方がまだ長いから、すこし離れるだけで、腕を一本置き忘れているような心もとなさを感じる。 そんなこんなで、周りの人や便利なモノにも助けられながら、夢中で過ごした2ヶ月間でした。 出産でばらばらになった体も少しずつ再生して、最近ようやく、子どものいる暮らしって楽しいと思えるようになった。 外出はもちろん、ごはんもお風呂も夜眠るのも、夫婦だけのときみたいに自由にはできないけど、毎日すごく充実感がある。 生まれてこのかた、これほど切実に誰かから必要とされたことはない。 自分の体が誰かのごはんになるのも初めてなら、こんなに強い気持ちで誰かを守りたいと思うのも初めて。 ちびくまを授かってから、自分はいつか死ぬのだということを考えるようになった。 わたしがいなくなった後も、この世界を見てゆく新しい人がいるということ。 わたしが両親から受けとり、ちびくまに手わたして、つないでゆくもの。 そのことを思うと、自分の体の中を、心地いい風が吹き抜けてゆくような気がする。 いつか旅立つということが、前ほどこわくなくなったようだ。
2011.10.14
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