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アニメとして世界中で放映されたはじめ人間ギャートルズ(NHKBSでのリメイクは別としてw)。個人的には特別好きな作品ではないが、何と言ってもあの骨付き肉のインパクトだけは強烈だった。。。暫く前にあの肉を商品化しているという情報は得ていたが、まさか楽天でも売ってるとは知らなかった。ただし限定生産なので、ほとんど生産待ちw いや、出ると即売状態みたいですねぇ。リンクを貼っておきますが、売り切れております。いずれまた発売の機会には是非???ギャートルズ肉
Sep 29, 2009
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前回の続きになります。Q:このアルバムが出た後、何が起こったんですか?A:僕はプロモーションのソロツアーをまわったよ。マウンテンの前座やスタクリッジ(ハスケルのWormsを後にカバーしている) オーディエンス、ウィッシュボーン・アッシュ、良いツアーだった、彼らもね。非常に上手くいった。投石もあったけど。唯物論で得た物として自宅へ再び安定した収入を入れなくてはならなくなった。アルバムを出した9ヵ月後にはソロキャリアを諦めて、バックバンドのベースプレイヤーに戻らなくてはならなくなったんだ。Q:またポップグループにですか?A:ちょっとね。僕はジャージーなプレイをしてた。ラウンジトリオで週に6晩演奏してたよ。ロンドンのビーチェン・プレイスの地下貯蔵庫のあるセラー・レストランでギタリストやデュオと一緒に毎晩でていたね。その中に特に気に入った2人がいてね。ピート・シルズとマイク・アリソン。彼らと僕でクロスビー・スティルス・アンド・ナッシュみたいなトリオを最終的に組んでいたね。彼らはソングライターで、いい物を持っていた。僕が知らない内にブルース・ウェルチ(シャドウズ)にデモを送っていたようだ。僕も彼らとリリース予定も無いアルバムを作ったりしたよ。しかし、その7曲全てがブルースによってクリフ・リチャードに取り上げられた。Q:何かしら契約を得たのですか?作詞作曲の印税とかの必要性ですがA:僕は曲を書いて無いからね。単にベース奏者だったから。僕がオファーを受けてもクリフのバンドでの仕事だもの。クリフのI'm Nearly Famous(アルバムのツアー)が一区切り付いて、Devil Womanを出した頃に参加したんだ。12週間のゴスペルツアーで出発したけど、4日後には正直言って僕の頭の中は退屈していたね。それでも12週間辛抱強くやりぬきましたよ。その後マネージメントは賃金をちょっと削れば更に一年間雇えると言ってたね。Q:クリフ・リチャードとの仕事はどうでしたか?A:僕はバンドを徹底的に楽しんだ。なぜなら全て心の様だったものね。グラハム・ジャービスは素晴らしい友人になれた。彼が言うには、僕がいた頃のクリフ・リチャード・バンドのみが[ジャム]を演ってたらしいんだw 実際の構成は全てが非常に取り決められていたからね。クリフは決してミスを犯さない。それは僕の持ち味とは違うんだよね。Q:私は貴方がまたアルヴィン・リーと仕事をするんではと思っていますが、ご近所ですし。A:ええ、僕らは2週間リハーサルをやったよ。僕は2週間後にクリフとの仕事を得た。また僕はティム・ハーディンとも1年間働いた。僕達はいくつか録音をしたが、そのプロデューサーがアルヴィン・リーもやっていたからね。 それから僕はジョーと言う小さいけどイイバンドを組んだんだ。ジム・ラッセル(ストレッチやヒューマン・リーグ)と、ヒロシ・カトー(ストレッチ)彼は今僕のマネージャーだけど。僕らはGTOレコードでシングルを作り、日本にも6週間ツアーで出かけたよ。フルール・デュリーに近いモノがあったね。Q:クリフ・リチャードの後ですか?A:僕はRCAレコードと新しい繋がりでライターの契約を得たんだ。当時はベーシストだったからこれ以上何かする必要は無かったんだ。彼らは二年間ソングライターとして僕を採用した。僕はA&Rマンのビル・キンバーのプロデュース※でアルバムも制作したんだ。(訳注・サードアルバム Serve At Room Temperature リリースは97年)Q:それは今までに、リリースされましたか? シングルは何枚か持っていますが、LPを見た記憶は無いんです。A:これはタイミングが悪かった。パンクが起こった時だったからね。※ビル・キンバーは、QUENTIN E KLOPJAEGER やウィリアムEと言う名で60年代から活躍したシンガーでもあった事は以前ご紹介しました。以上、三回に分けて意訳ではありますが、ご紹介しました。では、また♪
Sep 29, 2009
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以下前回の続きです。Q:フルールデュリーは貴方が抜けた頃、あと少しで勝者になれたように見えたのですが・・・(実際にはその後2枚のシングルを1969年に続けて出しただけだが)A:古い問題だったけどね。丁度僕らが仕事をしてる頃、余りに多くの人々が外されていった。僕はもう充分だと思って、離れたんだよ。Q:離れるのは残念でしたか?A:僕はね。なぜならその後も暫く何にも起きなかったし、音楽業界で2年程ポップグループ等でベースを弾いていたけど、(フルール・デュリーと)同じ程には良くは無かったね。ブリン・ハワースも凄く混乱して結局アメリカに渡って、リトルフィートのドラマーのリッチ・ヘイワードとバンド組んだりしてたね。解るだろ?フルール・デュリーはまさに組合タイプのバンドだったんだよ。誰からも何をするとも言わないし、全て成り行きで起こったんだ。 誰かのバンドと言われるポップ菓子のサイドマンとして、全てが進行する画面の外でできるだけ早く馴染む。僕の心は、「これは僕じゃない」と知っていたから、ギターを弾き、自分自身で歌を書く様になったわけさ。Q:貴方が言う節操無く関わったグループとは?A:僕はフラワーポットメンにいたし、その後はキューピッド・インスピレーションに12週間いたよ。僕らはトップ10にいたこともあるんだ。Q:彼らと一緒に活動してた時に、自分自身の素材も書き始めてたのですか?A:その通り。書き溜めてたいくつかの曲でプロデューサーやマネージャと一緒に「セイル・イン・マイ・ボート」(CBSから出たファースト・ソロアルバム)を唐突に出せたんだ。 その頃キング・クリムゾンも彼らの1stアルバムを出した後でね、フリップが僕に電話で訊ねてきたよ、もしかして僕が彼らと一緒に演りたくなかったか?とね。Q:凄くいい機会じゃないですか。A:僕は即答でためらいも無く、絶対に無いと伝えたんだ。僕はR&B志向だったからね、音楽が僕と合わないんだ。僕はキングクリムゾンを好きではなかったしね。とにかく、僕は暫く考えさせてくれと言ったんけど、僕の妻は仕事の定期的な収入を求めてたから参加したのさ。 いくつかのヴォーカルを「ポセイドンのめざめ」でやり、そして「リザード」のリハーサルに僕らが入った頃なんかには、ドラマーのアンディ・マカロックは涙に暮れてたね。フリップの無慈悲でいじめの様な使われ方に。彼は威張りちらしてたからね。 上手くいかないもんだからアンディは泣き、僕は笑うしかなかったね。ある曲の終わりで(インドア・ゲームズ)僕は噴き出しちゃったんだよ。ココはキミもアルバムで聴ける部分だけどね。彼らはホントにフリーキーだと受け止めたんだろうけど、僕は歌詞と演奏パートを理解しようとしてたんだよ。しかし事の真相はお粗末な歌だったんだよ。滑稽な詞を凶悪な歌い方をしてたから、思わず笑い出しちゃったのさ。そしてそれを彼らは素晴らしいと思った訳。Q:これは非常に成功したアルバムでも・・・A:ずば抜けた、か。リチャード・ウィリアムスが記事で「もしワーグナーが今日生きていたならば、彼のサウンドはキング・クリムゾンの様になってただろう」書いていたね。でたらめを飲み込むにはまだ僕も若かったんだろうね。 僕は自分の心に素直でありたいし、そうしていきたい。人々は、私の犯した最大の過ちがキング・クリムゾンを抜けた事と言うかもしれない。ジョン・ウェットンの様にバンドを自身のキャリアの踏み台にしていった可能性もあったと、僕自身が積み重ねてきた事を比較してね。一部の人間は僕が貧しい事を愚かだと言うかもしれないが、そうではない。内面的に僕はとても充実している。あの日以来自分自身で反抗的だったと思っている。だから全部台無しになったんだ。Q:キング・クリムゾン後に貴方が作られた「It Is And It Isn't」LPについて伺えますか?A:僕が本当にやりたかったのはアルバム「セイル・イン・マイ・ボート」の感じだったんだ。ジョン・ミューアという奴が、ジョン・ウェットンが在籍してたモーグル・スラッシュのマネージャーでいたんだが、彼が突然「アーメット・アーティガンがロンドンのドーチェスターに着ているが、ちょっと演奏を聞かせに来ないか?」と言って来たんだ。アーメットはアトランティックのお偉いさんで、彼がレーベルの創始者でもあり、彼が世に送り出したのが、アレサ・フランクリンやレイ・チャールズだったんだ。だから僕はそこへ行って6曲披露したら気に入られたんだよ。彼は「ニール・ヤングより大きくしてやる」と僕に言い、自分でプロデュースするって望んだんだ。彼はいくら欲しい?って訊ねたので、僕は借金をしてたし彼に従ったのさ。アーメットは巨大企業を左右する中心人物(ワーナーへの子会社後も成功している) そんな彼が彼自身でプロデュースしてくれると言ったんだ。しかも僕が望む別のプロデューサーでも可能だったんだ。まるで夢のようだったよ。(※2015年4月21日追記、ハスケルをアーティガンに導いた人物はジョン・ミラーなので、インタビュー書き起こしでのミスなのだろう。)Q:誰を選択されたので?A:アリフ・マーディンだよ、なぜなら彼はアレサ・フランクリンの「小さな願い(Answer My Prayer)」を手掛けてたからね。これ以上ないって思ってさ。会社はアリフが街に着ている二週間の期間で上手くまとめてくれた。彼はヴィネガー・ジョーをサポートする予定だったけど、切り上げてくれて、僕にどのくらいの時間が必要か尋ねたんだ。僕は一週間で事足りると思っていたんだよね。実際には足りなかったけど。Q:他のミュージシャンは?このアルバムは私のお気に入りの一つなものでA:デイヴ・カフィネッティがキーボード。彼ってスパイナル・タップに関わってたって知ってる? 適切な候補者と言えば彼もそうだった。ジョン・ウェットンがベースプレイヤー。まだ彼が無名の時代だったけど、ファミリーに加入して直ぐに有名になったね。 ビル・アトキンソンがドラムス。彼はモーグル・スラッシュのドラマーで、彼もまた優れていた。(訳注・MSのドラマーはBill Harrisonだと思うのだが?)(※2015年2月22日追記。Bill Atkinson はモーガル・スラッシュのドラマー、ビル・ハリソンと同一人物と判明しました。) ギターはボーンマスからアラン・バリーを呼んだ。彼は素晴らしかった。世界クラスの腕を持ちながら、時流に乗れず大成しなかったけどね。 アリフはいくつか追加作業をしていて、ストリングスやブラスをアレンジし、ヤング・ラスカルズのデイヴ・スピノザのギターを加えている。最終ミックスはニューヨークで僕抜きで行われた。とてもエキサイティングな経験だったけど、完全には満足出来なかった。これも企業の狂気の犠牲と言えるね。Q:どういう意味ですか?A:それはね、このリリースが他の25作品とひとまとめにされて「新時代のアトランティック」と言う企画にされちゃったからさ。Q:このジャケットデザインは貴方自身で選んだのですか?この種のユニークなA:違うよ!ひどいよ、アレは無いよね?僕には選択肢が無かったんだよ。ジャネット・マーティンという責任者の女性は、オーティス・レディングのファンクラブとかやってた人で、アトランティックレコードの広報が彼女の職務なのさ。彼女はDJのジョニーウォーカーが好きな人でね。 僕はデザインについてはYin and yang(陰陽魚太極図)を希望してたのだけどね。It is and it isn'tだからね。 この木はVの字に生える種類の木で、木の根元に色々置いて撮ってたね。実際には、ハイドパークのスパイク・ミリガンの木で、この写真を撮るには長い道のりが・・・
Sep 29, 2009
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今回で当ブログも1000回を迎えるが、実の所、7年ほど前に楽天に登録した当時はブログを書こうとも思っていなかったし、相方からの紹介で使い方も解らずに放置しながらたまにダラダラログインしてただけだったように思う。 1000回と言っても、途中で何度も記事ごと削除したりしたこともあるわけで、実際は1030くらい軽く越えてるかも・・・?残っているもので通算1000と言う訳なので、余り目出度くもなんともありませんが(苦笑) と見苦しい言い訳はこの位で、今回はゴードン・ハスケルが60-70年代にどんな活動をしていたのかを語った1991年のインタビューを大胆に意訳してお届けいたします。クリムゾン史上もっともズンドコ人生を送った彼の暗黒期が語られたり?Q:音楽を始められた頃のお話から始めましょう。最初に、ゴードン・ハスケルがフルール・デュリーに加入する前の経緯について伺えますか?A:ううーんと。私が興味を持ち始めたのは、ロバート・フリップと同じ学校に通っていた頃だったと思う。ウィムボーン(ドーセット)にいた頃、僕らは学校でのベストフレンドだったんだ。そして14歳の頃に彼は僕にベース奏法の基礎を教えてくれたんだね。それは彼が何かを僕に教えた最後でもあるんだけど(笑)。僕達は三年間一緒のバンドにいたんだよ。その後僕は(ロンドンへ出て)プロになり、彼は不動産のエージェントになる為に地元に留まったのさ。Q:何を求めてプロミュージシャンになろうと決心したのですか?A:14歳なりに実現性を考えてはいたんだろうと思うよ。音楽にのめり込んでたしね。単に方法が無かったのもあるけど、まっとうな仕事にも携わろうとはしてたよ。16歳の頃ロンドン警察に入ったけど、予想通りというか、一日後には辞めてたね。その瞬間から僕はミュージシャンになったんだ。Q:それでフルールデュリーに加わったと言う事ですかA:まあそうなるね。ベースでやって行こうとね。フルールデュリーはその頃モータウンタイプのバンドだったから、僕は常にとてもリズミックに演ってたね。ロンドンではアトランティック・レコード(スタックス)用のセッションバンドとしても時々やってたし、ブッカーT&The MGs みたいな黒人ミュージシャンが街に来ると教えてくれたりもしたよ。ヘイズ&ポーターなどの女性シンガーソングライターのデモをやる時に、ハウスバンドをやったりね。Q:私の知る限りでは、フルールデュリーはサウサンプトンを拠点にしたバンドで1965年始めに結成されてます。彼らはデビュー曲「ムーンドリームス」出しましたが、その後に貴方とギターのフィル・ソーヤーが加入しました。メンバーが変わってからセカンドシングル「サークル」を出し、キーボードのピート・シアーズが加入しています。A:そうだね、「サークル」は僕が参加した最初のレコードだ。その前のシングル「ムーンドリームス」ではまだ無関係だったからね。バンドの最初のリーダーはフィル・スミスだったんだけど、徐々に誰もが彼をチクチク言う様になっていってね。怖い話さ、そうだろ?ピート・シアーズが加わって5人組バンドになったのさ。彼のホーナーのエレピがロクでもない代物でね。僕達は6ヶ月間週に4日演奏してたけど、ずーっとこのピアノと仕事したのさ、一つの例外無くねw 移動の車中じゃ彼はいつも手を油まみれにして死んでたね。もちろん彼は素晴らしい奴ではあったんだけど。僕と彼でどうにかしてたんだけど、ある夜遂にそれが砕けちゃったのを観たんだよ。その日は既にステージに上がっていたし、カーテンが開く寸前だったんだ。司会の声がカーテン裏にも聴こえてきててね。「それでは!ザ・フルール・ドゥ・リーズ」(英語圏の発音でしばしば紹介されてた)カーテンの裏で僕達は絶望的になってたね。ピートは「架空のキーボード」を適当に組み上げたけど、血が噴きこぼれるように足元にキーがバラバラおちて、それがアチコチに散らばってメンバー全員をムカつかせたね(笑)。この後、他の連中は彼を代える事に決めて、それを僕が知らせに言ったんだ。クリスマス近くでね、そう、ピートも動揺してたし、僕も余りにも動揺してたんだ。まもなく彼はサンフランシスコに渡って、その後の歴史になったんだ。(訳注・この後ジェファーソン・スターシップで活躍することになる事を指している。)Q:私は1967年末にジョン・ピールの番組「トップ・ギア」にフルールデュリーが出演した際のテープを持っています。思うのですが、この時ブリン・ハワースはもうバンドにいましたか?A:ブリンはいたよ、それに僕とキース・グスターでショーを行ったんだ。僕も曲目を覚えてるけど、アルバート・キングの「クロスカット・ソウ」他に「ゴー・ゴー・パワー」(チェスレーベルのシュガー・パイ・デサントのヒット曲)「恋のウェイト・リフティング((There's) Always Something There To Remind Me)」(バート・バカラックとハル・デヴィッド作のナンバー)「燃える初恋(Our Day Will Come)」(ルビー&ロマンティクス63年のヒット曲)そして「ホールド・オン」トラフィックと同じ番組だった。あとプロコルハルムとクリーム。Q:フィル・ソーヤーに何か起こったんですか?A:フィルのサウンドはスモーキー・ロビンソンみたいにモータウンものにとても合っていたんだけどね。彼はスペンサー・デイヴィス・グループへスティーヴ・ウィンウッドの後釜として移ったんだ。そして僕らは、文字通りロンドンのウォーダー・ストリートを歩いている時にブリンを発見したんだよ。(訳注・マーキークラブのある通りとして知られている) 彼は当時唯一のリズムギタープレイヤーだったんだけど、僕らと組んでリードギターとしての困難なパートも非常に素早くマスターしてくれたので、ホントかなり興奮したよ。僕らは一年程本当に充実したプレーをしてたね。僕らのマネージャーはアトランティック・レコードのヘッドだったから、僕らも取り巻きとして主役に付いていくと特権の恩恵を受けられたわけさ。ある日マネージャーが僕らをヴァニラ・ファッジの町へ連れてって、彼らのスタジオでみんなで一緒にプレイしたりもできたんだ。一日掛けて価値ある録音が出来たと思ったんだけど、結局リリースはされなかったね。次の朝僕らはマネージャーのオフィスに呼び出されて「私の聞いてきた中でも最大級のガラクタだ」と言われちゃったよ。彼は商業主義でそこら中に薬がある様な奴だったけど、その日の僕は少し寛大だったとあえて言う(笑) でも、素晴らしかったんだ、フルールデュリーの可能性が確かに広がっていたからね。
Sep 29, 2009
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ゴードン・ハスケルがLes Fleur De Lys在籍中、マネージメントがバンドを売り出すよりもセッションワークやコンサートのバックバンドで使っていた。バンドを売り出すには金が掛かるが、バックをやらせれば日銭が稼げる。事務所として現実的な判断だったが、バンド自体は器用貧乏な使われ方だったともいえる。彼らが英国にツアーで渡航してきたアメリカの歌手のバックを数こなしたのはそんな成り行きだったのであろうが、そんな中でスタックス系との繋がりが出来、後年クリムゾン脱退後のハスケルの2NDアルバム制作決定時の人脈が培われていたりもしている。そんなフルール・デュリーのバンドメンバーが様々なセッションワークで参加したアーチストの中で、音源として残っている物を今までいくつか紹介もしてきた。シャロン・タンディやジョン・ブロムリーなど、近年の再発で手軽に聞けるようになったのは喜ばしいが、まだ不明な作品もある。50年代末から60年代に活躍し89年に無くなった、マルチプレイヤーの黒人歌手ドニー・エルバートだ。彼の68年のポリドール盤LPにFleur De Lys参加の可能性がある模様。ただしアルバム情報がまだ余り手に入らない。本当に参加しているか?クレジットはあるか?古いソウル系だとクレジットが無い場合もある。また参加してたとしてもどの程度かも判らない。地味に探すしか確認方法は無いのでいつその中身が判明するかは全くメドが付いてませんw ゴードンのサードアルバムでの過去の参加作品情報にも出ていないので単なるツアーでの共演だけだったのかもしれないが・・・
Sep 21, 2009
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もうすぐジャイルズ・ブラザースのアーカイブ音源CDが発売されるが、そこで今回は彼らがフリップと出会い、暗中模索・悪戦苦闘していた頃のデモ録音で使ったスイス製テープレコーダーRevox F36に注目してみたい。YoutubeにもRevox F36の動画はあるにはあるのだが、仕様が今一よく判らない。音は良いんですけどねwそこでこのテレコを特集したサイトを探してみました。The Revox F36 tape recorderhttp://www.reeltoreel.de/worldwide/F36.htm60年代当時の日本の国産オープンリール・テープレコーダーの多くが、フタ付きでスピーカー内臓だったが、このマシンもご多分に漏れず同じ様な形状をしている。サービスマニュアルも紹介されているが、回路図まで載っている。実にシンプルで線対称な図面だ。そう、モノラル回路を2個乗っけてあるというわけ。他にも内部の真空管の並ぶ画像も紹介されている。「そうそう、この当時のレコーダーがやたら大きくて重いんだよなぁ」と思い起こさせてくれる。マニュアル表紙イラストがドライバーなのも妙だけど納得させられる。そう、当時これを使う様な人間はサウンドエンジニアだったのだろうからねwヘッド周辺の作りは無骨で金属丸出し、でも丈夫そうだ。写真をよく見るとアジマス角調整のネジ穴の様なモノも見て取れる。古のマシンらしくモーターも馬鹿でかい。そして驚くのはダイレクトドライブであるという点。ジャイルズ兄弟がダウランズ兄弟から中古を買いとってGGFのデモで使ったモデルが2ch仕様なのか4ch仕様なのかはわからないが、当時の放送局やレコーディング現場で使われたプロ仕様機器だった事は確実だ。68年末のGGF唯一のテレビ出演時に、実際は録音に合わせて演奏のフリをしただけだったそうだが、その背後で流れる音源は彼らが自室で録音したテープだったのはシド・スミスの伝記本でも知られている。彼らが録音しBBCに持ち込んだ際にエンジニアがそのクオリティに敬意を表してくれたと彼らも後年述べている。デッキが古いながらもプロ仕様の性能だったからこそとも言えそう。入力系はマイク入力、ラジオ入力、可変式のダイオード入力(今で言う調整の効くライン入力になるかも)。ラジオ録音用の入力があるのが時代を感じさせる。以前紹介したダウランズのCDにも60年代半ばまでのデモ音源が入っていたが、これもGGFのブロンズベリーテープスと同じくこのレコーダーで録音されたものだったのでしょう。
Sep 21, 2009
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ケヴィンの公式サイトhttp://www.kevin-ayers.com/さすがに近年の写真は年齢を感じさせる画像も多いが、60年代からの長いキャリアの画像や、動画、そして様々なデータがファンにとって貴重なサイトに仕上がっている。彼のMyspaceもリンクされているので、ファン必見と言えるでしょうね。
Sep 21, 2009
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以前にもYoutubeに転がってる動画からメル・コリンズの映っている動画をたびたび取り上げた。トニー・オマリーとのココモの動画やダイア・ストレイツやロジャー・ウォータースのツアー動画もだいぶ増えてるようだが、ここらへんは簡単に見つかるので割愛wナターシャ・イングランドの82年のヒット曲で、日本でもCMなどで使われた楽曲NATASHA = IKO IKO http://www.youtube.com/watch?v=3_GzuMlDeQo以前当ブログでご紹介した動画よりも映像・音声共にかなり状態がいい。そして、ブライアン・フェリーの32年前の来日公演からBryan Ferry Japan Live 1977 Love is The Drughttp://www.youtube.com/watch?v=jLT6EzoFqygメル・コリンズよりもジョン・ウェットンの方がブリブリベースで目立っておりますがw88年に出されたニューロマンティック系、Crazy House - Still Looking For Heaven Onから、メルが吹いている楽曲。(音声のみ)CRAZY HOUSE B2 Shake Sell Your Soulhttp://www.youtube.com/watch?v=NW8KCtXN9lg
Sep 19, 2009
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YOUTUBEにホークローズの動画チャンネルがあります。2008年9月の映像が公開中。Hawklords - High Risehttp://www.youtube.com/watch?v=fw4B_en_9Jg
Sep 19, 2009
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買い物ついでに甘味でもぶらぶら見て歩いて廻るか。などと考えつつ野菜カレーを作っているw
Sep 18, 2009
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明日9月19日から全国のキーコーヒーでコーヒー栗ようかんが一斉に発売される!なにをそんなに興奮してるんだよ俺wとりあえず明日は東武某店にいってみるとしようwwwコーヒー栗ようかんリンクhttp://www.keycoffee.co.jp/archive/news/090910-1.pdf※注、リンク先はPDFなので、アクロバットリーダーが必要です。
Sep 18, 2009
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秋に入ったばかりだというのに、気が早すぎる気もするが、パット・マステロット氏の年末までのコンサートスケジュールに年始の予定も加わった。http://www.patmastelotto.com/やっぱりキングクリムゾン40周年は、記念盤だけのようですね、そうですね;;
Sep 15, 2009
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個人的にぷろぐれ者であると同時に元音響マンとして、そして古くからのビートルズマニアとして、そこそこの期待と不安を抱えて迎えた今回の歴史的ザ・ビートルズリマスター。現在ファーストアルバムのプリーズ・プリーズ・ミーを頭から聞いているが、このリマスターは、はっきり言って 恐ろしい出来だ溝の掘りが異常にぶっとく、音圧がとてつもなく高いと言われた米国発売の編集版LP イントロデューシング ザ・ビートルズ(第二版)も過去に所有していたが、それすら凌駕せんばかりの音圧と粒立ちのよさが、まるで最近のスタジオで録音したばかりの湯気の立った作品のように迫ってくる。1曲目のアイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼアからいきなりやられた・・・これは凄い。ジョージのプレイが手に取るようによく判るし、ポールのベースの気の利いた小技も効いて来る。リンゴのドラムもクリアなワイルドさを押し出してくる。いやいや、総毛立ちますねこりゃw長期に渡って手間暇を惜しまず徹底的にデジタルリマスタリングされた音は、マニアの期待を大きく越える素晴らしい出来である。とはいえ、まだ最初のアルバム途中だがw 音を聴いてその苦労の具合がわかるなら、アナタもかなりのデジタル音響のマニアといっていいw 個人レベルのソフトのSound Forgeあたりとかで出来る事じゃないですな。聞き比べられる環境の人は、より一層その感動を新たにする事は間違いない。巷に溢れる口先だけのいい加減なリマスターとは、完全に一線を画する。過去にLPで聞いていた世代も、80年代90年代の煮え切らない前マスターCDを聞いていた世代も、これはずばり「買い」無論これから聴き始める人は、この魅力的なリマスターからビートルズに入れるのは大変幸運である。■ザ・ビートルズ・ボックス (ステレオ リマスター)29,355 円 とか何とか言いつつ、今二枚目のウィズ・ザ・ビートルズを聴いているが、マネーが凄い事にw 大変なんですから奥様~
Sep 12, 2009
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マクドナルド&ジャイルズが自然解消した後、マイケル・ジャイルズはセッション活動に入るのだが、必ずしもメジャーなアーチストの仕事ばかりでは無く、無名に近い作品にも足跡が多い。今回のアルバムもそんな一枚。アメリカのBRUCE EPSTEINとJACK FISCHERの2人組だからFISCHER & EPSTEIN。単純明快なユニット名である。ジャケットワークも片面ずつに個人名が書かれている。ジャケ表面ジャケ裏面見開きレコードも各々の面でメインヴォーカルをとる形式で構成されている。いわばデュオだけど、片面ずつのソロアルバムみたいな感じだろうか。ELPのWORKSみたいにw発表は73年だが製作年は71年から73年までと時差がある。ロンドンのトライデントとアイランドの二つのスタジオで収録され、一部演奏にリミックスを加えたり、妙に手間の掛かった作品でもある。昨年紹介したMIKE LESLEY / SAME TITLE (1976)と同じく、米国盤しか無いようだ。スワンプ裏名盤と紹介するサイトもあるようですが、名盤かどうかは聴き手を選ぶ分野でしょうねぇ。派手さはないし、渋い事は渋いし、でもなんか訳もなくリピートして聴いてしまうアルバムではあります。曲のタイトルやレーベルの天使の画から、これもクリスチャン系アルバムなのかもと思える。参加ミュージシャンは、割と興味深い。デイヴ・スチュワートらEGGの3人(モント・キャンベルは本名のセカンダリーネーム、マーティンをクレジット、クライヴに至ってはブルックスをクレジットで省略されてるw)、オリー・ハルソール、クリス・スペディング、マイケル・ジャイルズ、ピーター・ロビンソン他。程よく馴染んだ演奏が各ミュージシャンの自身の経歴と違った一面を引き出してるのは面白く、特にデイヴ・スチュワートのプレイは、彼の音楽的引き出しの広さ、奥深さを感じさせる。またスチールギターのゲイリー・ホーガンは、オイリー・ラグスにも参加している。ジャイルズ先生の演奏は一聴して直ぐに判る、シンプルながら特徴的なプレイとなっている。アレンジャーのフィアクラ・トレンチは、近年でもリング2のサントラ等劇伴制作で活躍してる。1-6と2-2の曲で聴かれる参加メンバーの寄せ集めのコーラス隊は、雑多な印象があるがモーリーン・グレイの声だけ飛び抜けて目立っているのが面白いw 一応参加メンバーを書き出したので、興味のある方はご一読を。FISCHER & EPSTEIN - TWO FACED (GREENE BOTTLE RECORDS 1973 GBS 1006) Produced bt Jonathan Weston for Three Penny Music,Inc. Orchestral arrangements by Fiachra Trench Photography by Lazuras Graphics direction by F. Edward Benko SIDE B.E.(SIDE 1)BRUCE EPSTEIN 1:Moonshine (BRUCE EPSTEIN) recorded in 1971 at the Trident Studio. 2:Sweet Loving Woman (BRUCE EPSTEIN) recorded at the Island Studio. 3:Gabriel (BRUCE EPSTEIN) recorded in 1972 at the Island Studio. 4:Lonely Lifetime (BRUCE EPSTEIN and JACK FISCHER) recorded in 1972 at the Island Studio. 5:Silent Tuesday (BRUCE EPSTEIN) recorded in 1972 at the Island Studio. 6:Son Of God (BRUCE EPSTEIN) recorded in 1972 at the Trident Studio. SIDE J.F.(SIDE 2)JACK FISCHER 1:Colorado Lady (JACK FISCHER) recorded in 1972 at the Island Studio. 2:This Is The Time To Be Mary (JACK FISCHER and BRUCE EPSTEIN) recorded in 1972 at the Trident Studio. 3:Merlyn (JACK FISCHER and NICHOLAS SAXTON) recorded at the Island Studio. 4:Wild West (JACK FISCHER and BRUCE EPSTEIN) recorded in 1971 at the Trident Studio. 5:Last Roundup (JACK FISCHER) recorded at the Trident Studio. BRUCE EPSTEIN / Vocal, Guitar JACK FISCHER / Vocal, Guitar *Vocal / SHAWN PHILLIPS(1-6. 2-2) NORMA WINSTONE(2-1,6) JOE WINSNEWSKI(2-4) *Acoustic Guitar / MARK WARNER(1-1,3,4,5. 2-1,2,4,5. Vocal/2-4) *Electric Guitar / OLLIE HALSALL(2-1) CHRIS SPEDDING(2-3) PAUL KEOGH(2-5) *Pedal Steel Guitar / GERRY HOGAN(1-2)*Bass Guitar / MARTIN CAMPBELL(1-1. 2-2,4) DAVE WINTOUR(1-2,3,4,5. 2-1,3,5) BRIAN ODOERS(1-6) *KEYBOARDS / DAVE STEWART(1-1. 2-2) FIACHRA TRENCH(1-2,5,6. 2-1,3,5. Vibes/1-4) PETER ROBINSON(PIANO/2-6)*Drums / CLIVE(of the group "EGG")(1-1. 2-2,4. Vibes/1-1. 2-2) MICHAEL GILES(1-2,3. 2-1,3,5) BRUCE ROWLANDS(1-6) *Violin / GRAHAM PRESKETT(1-2. 2-3,5. Mandolin/1-3) *Tuba / MARK JOHNSON(1-1. 2-2) JOHN JENKINS(1-3) *Tenor saxophone / CHRIS HUGHES(1-3) *Percussion / RAY COOPER(1-5) FRANK RICOTTI(1-5. Vibes/1-4) *Tablas / KESHAV SATHE(1-5) *Harmonica / PAUL LEVINE(2-1) *Moog / DIANA LEWIS(2-5) *Chorus(1-6. 2-2)/ MAUREEN GRAY, MARTIN CAMPBELL, CLIVE(of the group "EGG"), DAVE STEWART, MARK WARNER, MARK JOHNSON, JOE WINSNEWSKI 国内の輸入盤店で変に高い物を買うよりも、海外のebayやGEMMで2000円前後で買えます。ただしLPなので送料が1000円以上どうしても掛かってしまうので、そこら辺ご注意を。また、米盤なので最初から盤面にスリ跡が付いている可能性が高いです。なにせ当時のアメリカ盤はザラザラの内袋に入っていましたからねぇw
Sep 11, 2009
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トニーさんのブログは毎度豊富なネタや写真でファンを楽しませてくれておりますが、今回のリマージュでの来日も早速アップされています。L'IMAGE JAPAN TOUR Sept 2009http://www.ient.or.jp/tlclub/tours/limagesept09/jlimagesept09_1.html※注、日本語サイトのリンクとなっております。今回の写真の説明では、旧友のスティーヴ・ガッド氏とのこのバンドが、実は1976年の結成だったと書かれていますね。確かにファーストアルバムまで掛かった時間は長かったw
Sep 9, 2009
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風邪や怪我でちょろっと心配させた間寛平さん。フランスを抜けベルギー入り。欧州横断もこれからが本番ですね。アースマラソン公式サイト http://www.earth-marathon.com/
Sep 8, 2009
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ゴードン・ハスケルのロングインタビューが彼の公式サイトhttp://www.gordonhaskell.com/で公開されている。彼のDVDの映像特典からの抜粋の様だが、結構長く喋っている。彼の長い音楽キャリアを振り返る内容なので長くなるのは当然ですがwInterview with GordonTaken from the DVD ' The Road To Harry's Barhttp://www.gordonhaskell.com/interviewvideo.htmグレッグ・レイクのDVDではインタビューにも英語字幕が付いていたが、ゴードンのDVDも同じ様に付いてるのだろうか?ちょっと観てみたくなった。ちなみに閲覧はIEで、Firefoxでは不可。
Sep 8, 2009
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イオンの低価格地デジTV&チューナーの市場投入で、一部商品がネット通販で値下がり気味ですね(09年9月現在)。ただ秋葉原で関連商品を調べまわってみると、思いの他あまり値下がりが反映されていません。中でもデジタルチューナーは古いTVをそのまま再利用出来る点や、小型TVの再利用に便利ですが、価格を見ると販売店でかなり値段に開きがあります。9月8日現在、下記のDT35(オープン価格)は、15900円(先月より千円程最低価格が落ちている)でネット販売している店もあるが、3万超えて販売している店もある。アキバでの店頭価格は、概ね18000円~23000円。量販店比較で本日は、石丸電気が17800円で最安値だった。ネット購入での送料や代引き手数料、送金手数料を考えると、通販での価格15900円はアキバに出る手間を考えると魅力的と言える。■マスプロ 地上BS110度CSデジタルチューナーDT35 15,900円 (税込) 送料別 購入した商品を早速本日試してみたが、下馬評に違わずナカナカ良い。ちなみに地デジアンテナやBSデジタル用のアンテナはまったく用意してないw まず本体にB-CASカードを挿し、古いテレビ周りの配線を撤去。DT35だけ繋ぐ事で配線が一気にシンプルになった(苦笑)。地デジ用には古い室内天井吊りタイプのVHF&UHF兼用アンテナを流用。素子数は少ないが、ブースターを以前から使っていたのでコレもそのまま利用。BSアンテナは94年当時に購入したこれまた古い小口径のフラットなモノで、給電して使うタイプ。DT35本体には地デジアンテナとBSCS兼用アンテナ、二つの入力端子が背面にある。ざっくりと現状のアンテナ配線を挿し、電源投入。マニュアルに従い初期設定、ほとんど地域設定くらいしかない。東京という地の利もあるかもしれないが、まったく問題なく地デジ&BS&110度CSが映った。ただCSについては古いアンテナの為、仕様の違いで一部のチャンネルは映らなかったが、まあCSは契約してないのでw 本体が小さく縦置きも可能、発熱量も他の同性能の商品より低い。重さも軽い。今回は、所有しているショボイアンテナに全く期待していなかったのに、レベルメーターで電波の入りが予想以上に良好だったのは驚いた。場合によっては地デジ用の八木アンテナを作ろうと思っていたが、手間が省けたのは幸いだった。4:3のテレビの場合の為にリモコンにズーム機能が搭載されており、額縁モードが気になる番組は、画面いっぱいに引き伸ばして表示も出来、この商品の売りでもある。
Sep 8, 2009
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向きが日光東照宮と逆であるがwダンボールがお好き
Sep 8, 2009
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YOUTUBEからキースの貴重な動画をご紹介Stan Tracey & Keith Tippett - Piano duet on soundcheckhttp://www.youtube.com/watch?v=bL7_CAlgmjc70年代からコンビでピアノデュオの活動をしているスタン・トレーシーとコンサート前のサウンドチェック動画。短い動画ですが存在自体が物凄く貴重です。KEITH TIPPETT Solo Piano 1999[Part 1]http://www.youtube.com/watch?v=ZIF9EEpchMY&fmt=18こちらはキースのソロピアノ動画。Part1とあるように、この動画には続きもあり、関連動画からリンクを辿れば閲覧できます。この重量感あふれる躍動的な演奏が全て即興演奏という事実に改めてキース・ティペットという音楽家の奥深さを思い知らされます。
Sep 7, 2009
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家の周りをぐるりとこ、これは!ウチを封じ込めようとする陰謀か???いいえ、単なるお祭りでぇす♪
Sep 6, 2009
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エイドリアン・ブリュー・パワートリオのスタジオアルバムとあいまった形のツアーとなるのかは存じませんが、この9月と10月はブリューは自身のバンドでガッツリとツアー浸けの日々のようです。http://www.adrianbelew.net/
Sep 6, 2009
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Sep 5, 2009
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ニコニコ動画には様々な映像や音源を混ぜ合わせた映像がアップされている。出落ちに近いが面白い動画を一本。(プログレ好きじゃないと理解不能かもしれませんがw)曲目の3曲目が・・・けいおん!でU.K.のIn The Dead Of Night【ぷろぐれ!】http://www.nicovideo.jp/watch/sm7121272※注、ニコニコ動画に入会(無料)して無いと視聴出来ません。他にもぷろぐれシリーズはあるようでけいおん!でU.K.のPresto Vivace And Reprise【ぷろぐれ!】http://www.nicovideo.jp/watch/sm6683536けいおん!にELPのTarkus(Eruption)をあわせてみたhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm6632173などがあります。
Sep 4, 2009
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