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小さなフラッグスタッフのダウンタウンを歩く。最初フラッグスタッフに真夜中に駅に着いたとき、さ迷ったあたりを歩いていた。あの時はちょっぴり余裕なかったのだけど、今回はちょい悪親父風ピーターとその友達といっしょだから楽しい。週末でどこのバーもきらきらして、音楽が外まで溢れている。まず一軒目。ジャズのウッドベースが渋く響いてくるこじんまり(どこのバーも小さいです)したバーにピーターが目を付けた。ドアのところにはもちろんセキュリティーがいる。ピーター達についてこっそり入ろうとしたけど・・・やっぱり止められた。「IDは?」と言われたが「持ってない」と答える。するとやぱりだめだと言われた。ピーターとは仲がいいみたいで、ピーターがいろいろ説得してくれたが、どうしてもセキュリティーのおっちゃんは許してくれなかった。グッド・ジョブ!です・・・。すごくいい感じのバーでビール1杯だけでいいから入ってみたかった。でもいいバーになればなるほどセキュリティーは厳しいのだな。何件かあたるが、どうもうまく行かないのでちょっとはずれにあるバーに行ってみようと、夜の町を散歩する。いつものことながら私はどこをどう歩いているのかさっぱりわからない。方向音痴だし慣れない町だし、でもそれが気持ちいいのだ。自分がどこに立っているのかわからないと思うだけでゾクゾクする。変態?そして私達のお粗末な作戦はやっと成功することに。町外れのスポーツバーに潜入。作戦はピーターと友達の間に私が挟まってドアをさっと通り抜けるという荒業。しかし止められる事もなく成功し、普通にカウンターに座ってビールを出してくれた。ピーターの友達を見送るために出かけたのに私のせいで振り回してしまったような気がするが、私はカウンターに座ってでっかいビールをアメリカのおっちゃん達と飲んでる事がおかしくてしかたなかった。小さなバーだがビールの種類はたくさんあり、もちろん生でサーバーがずらりと並んでいた。カウンターの中でちょっと長めのおおきなジョッキにサーバーからうまく注ぐのをみてるのも楽しかった。しかしでかい、ジョッキだ。テレビでは野球のナイターが放送されていた。あまりメジャーリーグのことはわからなかったからほとんどみてないが、お客のみんなもそこまで野球に夢中ではなかった。それぞれがぎゃはぎゃは騒いでいた。私達はビールばかりをとことん飲み、どうでもいい話題で盛り上がった。ピーターは日本の風呂や温泉に興味があるらしくて、そういう話題やピーターの友達の引越し先や職探しなどのリアルな話まで延々と続けた。私は難しい話になったり英語がわからなくなると眠くなり、カウンターに肘をついて周囲の様子を眺めていた。みんな陽気でよく飲む。女の人だってよく飲む。何もない町の夜の社交場。さまざまな人が集まってお酒飲んで喋って笑ってときどき怒ったりもして。で、それぞれの場所に戻り生活し、また夜になればどこからともなく集まってくる。愛すべき空間だ。ふらふら酔っ払って帰るときの退屈な夜の町の乾いた空気が気持ちよかった。お酒は飲めても飲めなくてもどちらでもいいと思う。でも私はお酒を趣味にしていたいと思う。飲みニケーション賛成派だ。このアメリカ旅行でバーに入ったのはこの時だけだった。ピーターありがとうよ。当時の私にとっては貴重な体験でした。(いまなら余裕で毎晩飲み歩ける!)くしょっ!
2006年05月26日
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フラッグスタッフの宿はのんびりしていて、敷地内に部屋用の建物、ちょっとしたキッチンとビリヤードやダーツのある憩いの場のある建物や倉庫、そして庭が広がっていた。静かでほとんどみんなグランドキャニオンやセドナへトレッキングに行くので昼間はがらんとしている。日本人もいないようだった。私もよくグランドキャニオンやセドナのトレッキングツアーに行かないかと勧誘されたが、昔グランドキャニオンには行ったことがあったしなぜだか観光するのが億劫だった。なので昼間は一人でふらふらフラッグスタッフの町をうろつき、地元の図書館に行って英語は読めないので写真集や画集などをぱらぱら見たり、無料のネットでメールをチェックしたりしていた。宿のすぐ傍にオーガニック食品のお店があり、そこで果物をたんまり買って宿の庭で過ごしたりしていた。毎日天気がよかった気がする。空が真っ青だった。いつも昼間に宿でぼぉーっとしてるので、宿で働くおじさんが「いっつも暇そうだねぇ」という感じで声を掛けてきた。そのおじさんはいつも少々汚れた白いタンクトップを着ていて、ユニークな帽子を被っていた。おじさんのわりに引き締まった体で、そこで働く人のなかで中心的存在で毎日外でなんやかんや修理したり、日曜大工のようなことをしていた。他の頼りなさそうなスタッフにも慕われていた。宿にいる雑種の犬にもいつも追いかけられていた。彼のはピーター。血はドイツ人なのでペーターとも呼ばれていた。庭にある木の幹の周りにお面のような木の彫刻がいくつか掛かっていた。「それは誰かが作ったの?」とピーターに聞くと、「おれが作った、遊びでね」と答えた。よくみるとお面のようなものの他にもいろいろへんてこりんなものがある。暇なときにちょこちょこ作るらしい。なんとも器用なこのピーターおじさんはおもしろい人で仕事は黙々と真面目にやるが遊びもきちんとできる。夜になるとよくみんなでビリヤードをしていた。そしてピーターはものすごくうまいのだ。(素人目にだが・・・)ジュークボックスでレッチリなどの西海岸風ロック(?)を選びのりのりでみんなで遊ぶ。宿泊客も宿のスタッフもごちゃ混ぜで遊んでいた。私はダーツに以外にルールが面倒くさいことを思い知りながら、他の旅行者と遊んだり、眠そうな犬をおちょくったりしていた。思い出に残っているのがカナダ人のおばさん。名前も聞いてない(聞いてても憶えてないだけかも・・・)が、カナダから一人で旅行しているというおばさんで、金髪のショートカットが可愛らしくて、目元に笑いジワが素敵だった。よく一人旅をするらしくてお互い旅の日記を見せ合ったりして、なんかものすごくきれいな人だったのでしゃべりながらそのおばさんの絵をペンでちょこちょこ描いてみていた。明らかにアメリカ人の英語と違い、ものすごく聞き取りやすかった。旅行慣れしているや外国人と接する事に慣れている人は易しくしゃべってくれる。だからかな。その後ピーターがバーに行こうと誘ってくれた。そこのスタッフで次の日から旅に出るか、引っ越すかなんかでフラッグスタッフを去る人がいてその人と飲みに行くらしい。「やったー!バー行きたい!」と言ったが、以前サンタフェでバーに行けなかったことを思い出した。それで「まだ18歳でIDチェックされたら入れない」というと、「まぁ多分大丈夫。とりあえず行ってみよう」とのこと。さてどうなる事やら・・・続くへっくしょん!
2006年05月19日
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とりあえず駅の近くにユースがあるということはわかったのでユースを目指して町を歩く・・・でも地図もないし、外は真っ暗。駅の周りで何人かの人にユースの場所を尋ねてみるが、返事はみんなわからないと言う。ほんとにユースあるのかぁ?って不安になってきたが駅を少し離れて町の灯りを頼りに歩いていく。こじんまりとしたバーが並び、いい雰囲気だ。ジャズが店の外まで溢れていて、確かに暗いし人通りもほとんどないが、不思議とあまり怖い感じはしない。(実際フラッグスタッフはいい町で治安はよかった。)でも目的の宿はまったくわからない。人に尋ねたいけどなんせ人影がない。どっか交番でもあればいいけど、と思いながらさまよっていると、反対側の歩道を人が歩いているのが見えた。なんだかがたいのいい男の人みたいだけど、次にどこで人を見かけるかわからないから追っかけて思い切って声を掛けてみた。「ユースを探しているんです。しりませんか?」と尋ねると、彼は「ここらへんには2軒あると思うよ。1軒はこの近くで歩いていけるから連れて行ってあげる」と言ってくれた!私はやっと助かった~、と安心し彼についていった。知らない人について行ったらいけません、とよく言われたがこの時はそんなこと思いもつかなかった。彼は色黒で黒いロン毛の30代前半ぐらいのネイティブの血が流れる絵描きだった。彼も仕事でこの地に来たらしくモーテル暮らしをしているらしい。だからこの辺の宿事情に詳しかったのだろう。わかりやすい英語で話してくれ、親切だった。そうこうするうちにユースにたどり着いた。ユースはかなりきれいで夜中だと言うのにフロントには明々と電気がついていた。やっと着いた安心感でうれしく、一瞬疲れも忘れて案内してくれたお兄さんに深々とお礼を言ってフロントに向かった。ラッキーなことに部屋も空いている。よかったぁ~、とほっとして金額を尋ねると紳士的なフロントのおじさんはシングルで50ドルぐらいと言う。え?ちょっと高い・・・と思った私は「ここはユースホステルですよね?」と聞いてみた。すると紳士のおじさんは「昔はそうだったんだけどね、今は普通のホテルなんだよ。」がびーん。また振り出しに戻ったショックが顔に出てしまったようで、いかにもバックパッカーな風貌の私におじさんは親切に「ユースは駅の裏の方にあるよ。この通りをまっすぐ行って、あ~行って、こう行って踏切が、どうのこうの・・・」とユースの場所を教えてくれた。でもうまく英語が聞き取れなかったし、聞き返す元気もなく元来方向音痴な私はホテルの外でまた途方に暮れていた・・・しかし、ホテルの外になんとさっきここまで案内してくれた絵描きのお兄さんが立っている。リュックを背負ったままホテルを出てくる私に「どうした?泊まれないの?」と聞いてきてくれたのだ。私がチェックインできるか気にかけていてくれたようで、外で見ていてくれたらしい。うおぉ~、なんていい人なんだぁ!!と感動しつつ「もうここはユースじゃないって」と事情を話すと「じゃ、もう一軒の方に連れて行くよ。でも車で行くから駐車場にまずよっていい?」と言ってくれた。しかし私は車に乗るのはまずくないか、と思った。確かに親切でいい人だけど、やっぱり車に乗ってしまってどっかに連れ去られても文句言えないし・・・でもこの人はほんとに優しくていい人だから大丈夫だ・・・とか考えながらも気がついたら駐車場についていた。もう乗せてもらうしかない。これからまた一人で宿探すのも簡単じゃないし、お兄さん頼んだ!お兄さんは普通にさ、どうぞと言う感じで車のドアを開けてくれた。「ありがとう」といいつつ車に乗り込む。もうここまで来たらお兄さんを信頼するしかないのだけど、私はバックパックのポケットにいれていた日本でお母さんに持たされていたウサギの形の防犯ブザーをこっそり取り出し握り締めていた。車の中で防犯ブザーなんか持っていても何の役にも立たないけど気分的に暗いし知らない場所だしやっぱり不安だったのだ。でもそんなびびり気味の私に気付いてか気付かずかお兄さんはひょうひょうと車を出し、私の旅についていろいろ話を聞いてきた。「そういう旅はいいもんだね。僕もよく旅をしてるよ。今はフラッグスタッフにあるビルの壁に絵を描く仕事をしていて、それが終わればちがう土地に行って絵を描く仕事をするんだ。」と運転しながら話してくれた。「それってとてもクールだよ!ラッキーだねぇ」みたいなことを言い、私はなぜかこの人やっぱり信頼できると思い、防犯ブザーをそっとポケットに戻した。きっとほんの10分ぐらいのドライブだったと思う。ユースについた。この絵描きのお兄さんはやっぱり本物で最後までかっこよかった。というのも、ユースの前に車を止めると「僕はここで待っているから、チェックインできてもできなくても一度僕のとこまで知らせに来てくれ。もし泊まれなかったら、他の安い宿に連れて行くから」と言うのだ。ただの旅行者にこんなにも気に掛けてくれるなんてほんとに嬉しかった。ちょっとでも彼を疑った自分が恥ずかしかった。見ず知らずの英語もへたっぴな、夜中にふらついている外国人だというのにここまで親切にしてくれるなんて・・・。きっと私にはできない。宿には無事チェックインできた。女部屋のドミトリーのベッドが空いていた。駅で私が電話をかけたのはここのホステルだったらしい。一見ちゃらちゃらした(失礼!)宿のお兄ちゃんが電話があってからなかなか来ないから心配していたみたいな事を言っていた。とにかくやっと宿が見つかった。よかった。そして急いで表で待っているお兄さんに「チェックインできた!ありがとう!」と報告に行った。お兄さんは「よかったね。じゃぁ、エンジョイ・アメリカ!」みたいな感じで去っていった。もっときちんとお礼を言いたかった。でも心がいっぱいいっぱいでうまく言葉が出なかった。ほんとに私は偉大な出会いを体験でき幸せで一杯だった。今でもよくこのことを思い出す。もう二度と会うことがないだろうということはわかっているが今でも感謝の気持ちでいっぱいだ。このユースまで連れて行ってくれたネイティブの絵描きのお兄さんとの出会いをはじめ、ここフラッグスタッフで体験する出会いは今でも新鮮に思い浮かぶ事ができるほど強烈で意味のあるものだった。ということで、つづく・・っしゅん!
2006年05月16日
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オソノさんとサンタフェのユースに戻り、また4,5日過ごした。エルパソのホステルで会い、夜中にメキシコとの国境まで一緒に出かけた日本人のお兄さんもサンタフェに来た。やっぱりサンタフェは落ち着くし、なんかいろいろと楽だ。スーパーマーケットに行ったり、古着屋に行ったりして友達もたくさんできた。ここであった日本人旅行者5人とは日本に帰っても遊んだ。関西出身の人が多かったが、私が関西方面に遊びに行ったとき4人の友達が集まってくれ宿を提供してくれたり、京都や大阪でいろいろ遊んでくれた。東京に行ったときはサンタフェでも特に仲良くしてくれたお姉さんに会うことができ、お世話してくれた。関西のおじさん旅行者とはタイのアユタヤでも後に会うことになる・・・そんな思い出に溢れる町ともさよならする日がとうとう来た。なんとなく行き着いて、なんとなく出て行く。旅人だからね。どんなに気に入った場所でも居続ける事はできない。頑張って自分で電話して頼んだピックアップサービスが迎えに来てくれ、サンタフェの駅に連れて行ってもらう。旅行者友達や、仲良くしてくれた宿の人たちに感謝と別れの挨拶をしてから爽やかに出発できた。ほんとに居心地がよかった。またいつか行くかもしれない。でももう二度と行かないかもしれない。どちらでもいい。何かが私をあの場所に連れて行ってくれた。その事にただ感謝するのみだ。ま、毎日もほんとはそうなんだけどね。導かれてるし、生かされてる。旅をしているとそういうことを頻繁に強く感じる。だからもっと日々の他愛無いことも疎かにせず、注目し丁寧に感謝して生きたいと思える。ありがとうな気分でいつもいれたらやっぱりハッピーだ。で、次に向かう町。それはアリゾナのフラッグスタッフ。グランドキャニオンの傍の小さな町。またアムトラックに乗りしばし電車の旅。気持ちいい。広い平野をひた走る。フラッグスタッフは小さな町で、ガイドブックも地図も持っていなかった。「ま、どうにかなるよ」と余裕ぶっこいていた。だが私は遅れまくるアムトラックに焦りはじめた・・・。そう到着時間がずれにずれ、夜の12時近くになって電車を降ろされこじんまりとしたフラッグスタッフの駅で途方に暮れることになるのだ。好きな町、好きな人たちとの別れ、それに予定より長くなった移動に疲れ、ゆらゆら駅のロビーをさ迷い、夜更けに知らない町で宿を探さなければならないことが面倒になってきた。どうしよう・・・一緒に降りた人たちはそれぞれ迎えが来ていたり、予約したホテルへ足早に向かっている。あっという間に駅は静かになり、駅のロビーで一晩過ごそうかとも思ったが、駅の職員が今すぐにでもシャッターを閉めたい様子でせかせか片付けている。そうだよね、閉めるんだよね・・・ということでロビーにある周辺のホテルに無料で繋がる電話を見つけ、その中のホステルに恐る恐るかけてみる。案の定、英語が聞き取れない。駅から近いということはわかるのだが、なんせ外は暗いし、未知の場所。うぅ・・・億劫だ。どうなる事やらと思いながらとりあえず外を歩いてみる。そして・・・つづく。次回は感動のお話です。たぶん、っくしょん!
2006年05月13日
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エルパソ2日目に日本食レストランに行った。すし屋と鉄板焼きが一緒になって、どちらか選べるようになっている。アメリカでよく見かけるやつだ。私とオソノさんはすしバーの方を選んだ。カウンターには日本人らしきおじさんが法被にねじり鉢巻をして「へぃらっしゃい!」と威勢良く迎えてくれた。ちょっとわくわくしてきた・・・しかしその後おじさんとの会話は英語になる。家族経営のお店みたいで、接客担当の娘さんは上手に日本語を話すが、訛がある。で、娘さんとカウンターのおじさんの会話を聞くと韓国語だった。なるほど、韓国人が日本食料理屋をやってるのかぁ・・・おもしろい。すしも、まぁちょっと不思議な形のものもあったけど味はアメリカの南部で食べると思えば見事なものだった。日本で見るすしよりちょっと飾りが派手な気がしたがアメリカ人相手に商売するならコレぐらいがちょうどいいのかも、と思える。でも唯一コレはひどいと思ったものは、味噌汁。確か具はわかめと豆腐みたいなシンプルなやつだった。でもそのシンプルさ故に残念ながらまずさが際立つ・・・だって「だし」が、なぁーい!お湯に味噌を溶いているだけなのだ。きっとこの味噌汁をを始めて飲んだアメリカ人は可哀相に二度と味噌汁を飲みたいと思わないだろう。それかヘルシー志向の流行について行くために意地でこのまずい味噌汁を飲み続ける羽目になる人もいるかもしれない。ま、でも久しぶりに米粒を、しかもおすしを食べられて嬉しかった。エルパソから私はオソノさんと別れてツーソンかフェニックスに向かってそれから西に向かおうと思っていた。でも・・・おすしを食べながらオソノさんに「一緒にサンタフェに帰ろうよ」と言われ、私はその言葉を待っていたかのようにウキウキしてしまい、しばらく考えたが「そうする!」とサンタフェへの出戻りを決心した。それならそうと、早く帰ろう!といそいそとメキシコ系のバス会社のスタンドに向かった。アメリカではグレイハウンドというバス会社のバスを利用していたが、ここにはメキシカンなバス会社がある。エルパソからアルバカーキへ向かうバスに乗ることにした。そこからサンタフェまでまたバスにのるという作戦だ。さすがメキシカンなバスで駅のアナウンスもスペイン語が優先で強烈に訛った英語でアナウンスが付け足される。乗客もメキシコ系の人、メキシコ人ばかり。サンタフェあたりでもスペイン語はよく聞くことができる。でもここの方がやはり率は高いし英語もそんなにうまくない。バスに乗ってアルバカーキまでの長旅の途中一度検問があった。3人の警官が入ってきて麻薬犬も来た。一人一人IDを見せるように言われ、私達は当然パスポートを見せる。特に問題はなかったが、乗客はみんな一度降ろされて車内を麻薬犬と調べている。きっと不法侵入と麻薬取締りのためのけんもんだったのだろう。2人の乗客が連れて行かれたのを憶えている。夕方エルパソを出発したバスは翌日の朝早くアルバカーキに到着する。ま、熟睡はできないがうとうとしているうちに、アルバカーキに着いていた。でもさすがに一晩バスでへとへと。オールドタウンの公園のベンチで寝転んで休憩したり、マクドナルドに行ってちょっと休憩して今度はグレイハウンドのバス停に行ってサンタフェに向かう。このバス停のあたりは見覚えがある。一度止まった町だ。日曜日着いてしまい大変な目にあった。あの時はゴーストタウンだった。ま、この日も朝早いので人は少ないが、まだこの前より車も走っているし通勤している人も見受けられる。でもはやくサンタフェに帰りたい。という事でまたすぐバスに乗った。そして数時間後、サンタフェのユースに舞い戻った・・・ということだ、っくしょん!
2006年05月06日
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オソノさんとの旅はテキサス州のエルパソへと向かう事に。エルパソに入るとそこはすでにもうメキシコのような雰囲気。西部劇に出てくるような古い飲み屋やお店が立ち並び雑然として埃っぽい感じ。ダウンタウンはかろうじてアメリカ合衆国だったがちょっと一歩外れればそこは怪しいメキシコの匂いがしていた。エルパソのユースは歴史のありそうな古いビルだがホテルのようにきれいで、値段も高かった。フロントがあり、ロビーもぴかぴかだった。が、なんだか不気味な空気・・・人気がない。別に私は霊感があるわけでもなく幽霊を見たこともないけど、ちょっと怖かった。着いたのが夜だったというのもあるかもしれないが、サンタフェの和気あいあいとしたユースと比較すると、寂しげな馴染みにくいユースだった。でも地下にはビリヤード台があったり、憩いのスペースがあり贅沢な感じ。(だけどやっぱり人気はない・・・)夜だしすることないから、オソノさんと地下の憩いのスペースに行って見る。するとなんと日本人発見!なんだ、人いるね、しかも日本人・・・ということですぐに3人は打ち解けて、寂しげなユースの地下で酒盛り。あまりよく憶えてないが、エルパソのユースで出会ったお兄さんは個人旅行者でギターを持っていた気がする。ひげ面でアメリカ南部が似合っている。でも気さくで日本人くささもいい感じだった。またいつものペースでわいわいしていると、いきなりオソノさんが国境を見に行こうと言い出した。「はぁ?もう12時になるよ~!飲みすぎだってー!」と言いつつも私も行きたくなってきた。だって日本にいると国境線というものを見ることがない。島国だもんね。女一人だったら夜中に国境の町をぶらつくなんてたぶんしないけど、3人だし男の人もいるから大丈夫。しかもオソノさんが大丈夫と言えば、大丈夫な気がするのだ。それに国境までは全然歩いていける距離。ということで、ほろ酔い気分のなかエルパソナイトツアーへ!こんな時間にどこへ行く?という顔でフロントのおじさんに見送られ、大通りを歩く。ところどころにバーやナイトクラブがあるが暇そうな夜の街。人も車もほとんどない。私達はさくさく歩き国境を目指す。この時間だから国境は開いていない。でもわくわくする・・・。いよいよ町から外れてきてあたりの様子が変わった。さすがにちょっと不気味。道端にはゴミが散らばり、街灯も少なくかなり暗い。人攫いやら悪い人が出てきそう。しかし、そんなものより怖いものが足元に・・・!はじめは気付かなかったが、目を凝らすと歩く度に足元を何かがサササァ~と動いていく。ゴミか?と思ったがそれはなんと・・・大量のゴキちゃん達!ひぇ~!とさすがにびびった。歩くたびに一斉にゴキブリの群れが歩道の端にある排水溝か何かの網の下に向かって走っていく・・・こんなにゴキブリを大量に見たのは初めてだったしそれ以来まだない。そんなゴキブリたちに案内されて、ようやく国境に着いた。閉まっているから相変わらず人気はなく静かだけど、きっと昼間は人の往来、国と国の入口と出口としてにぎわっているのだろう。不法入国も絶えないと聞いた。でもこんな高速のインターみたいなゲートが国と国を分けるなんてことはそう簡単なことじゃないだろうな。日本の天然の国境に比べるとかなり頼りなさげだ。でも国境はおもしろい。複雑な歴史に翻弄されていつも不安定で混沌としている。でも実際そこに暮らす人々は結構柔軟に楽しんでいると思う。2つの違うもの(2つ以上のときもあるよね)が混ざり合うときそこには様々な新しいストーリ、歴史が生まれる。国境が意味するものはただ単に国が違うよと分けているだけなのだ。そこに良いも悪いなく、ただの事実として区別する。いろいろな形があっておもしろいよね、なんていう私はのん気すぎるのかな。誰もいない国境を眺めた後、またゴキブリロードを引き返す。ゆらゆら不気味に歩いている人や道端に座り込んだ人、映画やTVで見るようなパトカーに手を突いて所持品検査されている人などをちらちら見ながら3人でさくさく歩きユースに戻った。エルパソナイトツアーは無事終了し、国境を見たので興奮してなかなか寝付けなかった。暇そうな町をきちんと楽しむ事ができてよかった。オソノさんのおかげだ・・・っくしょん!
2006年05月05日
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サンタフェでの楽しい毎日を送り気がつけば一週間があっという間に過ぎていった。あまりの居心地のよさにのびてしまいそうだったが、そろそろ冒険もしたくなってきた、なんて思っていた頃・・・オソノさんが数日間休みが取れたと言うので、一緒に南下してリオグランデ川沿いに温泉が湧き出ると言うユースホステルまで行ってみようかという話になった。町の名前は忘れてしまったがバスでサンタフェから出かけたと思う。小さな町であまり活気はなく、小さなガーデンハウスのような住宅地があり、トレーラー生活をしている人もいるようなあまり裕福そうな町には見えなかった。とことん静かで、みんな何して遊ぶんだろうとか、お店などはどこにあるんだろうと思いつつ町にあった大きな貯水タンクのことがなぜか思い浮かぶ。ユースに着くと二人部屋にチェックインし、すぐに庭にある温泉を見に行った。いかにも手作り感に溢れ日本の露天風呂とは全然違うが旗がかざってあったり、デッキチェアーがあったりアットホームな仕上がりだ。なんと行っても目の前にはリオグランデ川が流れている。流れているといっても思ったより水量は少なく、ゆったりしている。川の向こうにはすぐ山がそびえている。ちょっと圧迫感がある。温泉はぬるめだった。混浴なので水着を着てはいる。ユースの裏庭にはネイティブアメリカンのテントのようなものがあり、希望すればそこにも宿泊できるみたいだった。でも見るからに危うい感じで、随分使われてないようだった。一息ついてからユースの周りを歩いてみた。オソノさんの友達が住んでいるという。ジュンコさんという日本の方で、何をしていたのかは忘れたが、こんなところにも日本人はいるんだなぁ、と驚いた。住所だけを頼りにジュンコさんの家を探す。住宅街の道端で遊ぶ子ども達に尋ねたりしながらなんとかジュンコさん発見。お掃除中でした。ガーデンハウスのような小さなお宅は風通しがよくお庭もあり可愛らしかったが、台風やハリケーンが来たときは大丈夫なのかなぁと、下世話にも心配になった。ここにジュンコさんはお一人で生活していたようだった。お掃除が終わったらユースに遊びに来ると言いうので私達は先に戻ってそろそろ夜ご飯にでもしようかと、ユースで食べた。ジュンコさんがユースに来てからみんなでビールを飲みながらそれぞれがそれぞれの話をして、私はまた新たな出会いができて嬉しかった。日も暮れてしまい周囲がかなり静かになってから私達は温泉にはいることにした。水着がなかったがユースで貸してもらえた。が、それがめちゃくちゃでかい水着でものすごく恥ずかしかったが、もう外は暗いし、私達以外人はいないようだし、いいか、と取りあえず温泉へ。夜の空気はやっぱりひんやりしてきて川が前にあるので余計にひやりとする気がした。少々ぬるめのお湯だったが久しぶりのお風呂が嬉しかった。夜も遅かったから3人で貸切だった。目の前にそびえる山が真っ黒で闇に隠れている分、威圧感があり怖かった。でもその山の闇が切れるとその空に星が散らばってきらきら光っていた。空が澄んでいて星がほんとにきれいだった。ほろ酔い気分で温泉に浸かり、楽しい人たちと他愛ない話をしながら贅沢な時間を過ごした。酔いが覚めてくる頃、急に旅の疲れが出たのか眠くなり、先に温泉から上がり眠る事にした。オソノさんとジュンコさんは久しぶりに会えたから話が止まらなかったのだと思う。チャプ、チャプと時折聞こえる水の音と二人のくすくす笑う声を微かに聞きながら私はドスンと眠りに落ちた・・・ここには2泊したかな。(もしかしたら1泊だったかもしれないけど、)この町からまたバスを乗り継ぎエルパソというテキサス州にあるメキシコとの国境がある町に向けて出発した。ではエルパソの話は近いうちに・・・はっくしょん!
2006年05月04日
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サントドミンゴの村を出発して、一行はまだまだ興奮ムンムンで車内で騒いでいた。真っ青な空に照りつける太陽にじりじり焦がされながらも風が気持ちいいそんな天気だった・・・ジョンは相変わらず完璧な運転で確実にアコマへ向かってくれ、私がもぞもぞトイレに行きたいと言うとトラックの溜まり場のようなところに立ち寄ってくれた。そこでもアメリカのデカすぎるトラックに大興奮の私達をトラックのうんちゃんに話を付けてくれトラックに乗せてもらったり写真を撮ってもらったりしておおはしゃぎでやり放題の私達にあきれることなく付き合ってくれていた(?)が、しかしアコマへ向かうハイウェイをひた走っている途中に天気が急変。よく天気は変わるところだった。毎日のように夕立が来る。そしてまた晴れて夜は星がきれいだった。でも今回の天気の変化は不気味な気配だった。一瞬にして空が暗くなりものすごい風が吹いてきたのだ。かなりの強風で大きなトラックはもう道のわきに止まるしかないほどの強い風だった。標識も異常に揺れ根元から折れてしまいそうだった。車内の雰囲気も一瞬で変わり、お気楽に騒いでいた一行もちょっぴり心配になってきた。ほとんどの車がもう進めず道に止まっているのにジョンは車を止める様子もなく「車が空いているうちにいっちまおう!」ぐらいの勢いで車を走らせた。しかし、車道に看板が倒れてきた。ジョンの自慢の車が傷ついては大変。危機一髪で難を逃れたがいきなり今度は直径1cm~2cmぐらいのひょうが降ってきた!「はぁ~!?8月やろー!!」って一行は驚きつつ、あきれつつ、なんじゃこりゃと途方に暮れそうになったときなんとジョンは車外に出てひょうを拾い始めた。そしてなんと「食ってみろ」と言うのだ!なんなんだ?と思うがどんどんみんなテンションが外れ始めなんかこの異常事態がおかしくて、もうやけくそで「おいし~!」とかわけのわからないことをいいながらみんなしてひょうを食べたのだ・・・倒れた看板を起し、またジョンはハンドルを取った。ひょうは止んだが大雨が降り続く。周囲の車もちょこちょこ動き出したがまだ大きなトラックは風が止むのを待っているようだ。めちゃくちゃ天気の悪い中ジョン号はとうとうアコマに到着した。ただっぴろいどこまでも礫砂漠の中にそびえ立つメサ。ものすごい迫力。きっと天気のいいときの青空をバックにそびえる雑誌の写真のようなアコマも美しかっただろうけど、この荒れ狂った天気の中で見るアコマも壮大さがまして見えたようだ。しかもラッキーな事に本当はアコマに登る前には料金所がありお金を払わないと入れないが、その料金所がこの悪天候のため閉まっていたのだ。そこでジョンは「やったねー、ただだよ~!」と言って料金所を横目にどんどん車を走らせメサのてっぺんを目指す。大雨の中急斜面の砂利道を登りまくる。かなり怖い。スリップしたりしないよね・・・。でもジョンはアコマの町の入り口まで私達をほんとに連れて行ってくれた。アコマには少数だが現在も生活している人がいる。が、この天候なので人影を見ることはなかった。それに居住区の中に入る事はできなかった。でも大雨の中、車から降りて異様にハイテンションではしゃぎまくる。ぎゃー、がぁー言いながら空中都市アコマの上から地平線までひろがる赤茶色の大地を見下ろす。あの時の景色はもうかなり忘れてしまったけど、どきどきが止まらず雨にびしょぬれになりながらなんか人間であることも忘れてワシか何かになって空から世界を見ているような気分だった。ってちょっと大げさだけど気持ちよかった。アコマに登って15分ぐらいでもう下界へ向けて出発した。異常な夢のような空中都市への旅は折り返しだ。何事もなかったかのように料金所を通り抜け、もと来たハイウェイを戻る。もう夕方から夜になる。雨は小降りになり空も少し明るくなってきた。ちょうど西に夕日が・・・って、なんて気持ち悪い夕日なのか!灰色のそらにぼよぉ~んと浮かぶのはサーモンピンクの丸い夕日だ。趣味の悪い夕日だが、気味が悪くジョンも写真を撮ってくれとカメラを渡してきた。そうこうしているうちにフロントガラスの前にちっこい竜巻みたいなのが見える!?もう何でもありな気分だったので改めて驚く事もなく、アコマの感動の余韻にまだしびれる私達は「あ、竜巻発見。」「へぇ~」という感じで軽くながしておいた。結局べつに竜巻は被害をもたらすようなものではなく、ちょっとつむじ風のでっかいやつといった感じで消えていった。とうとうサンタフェに戻りついた。私達はほんとにお世話になったジョンにお礼をしたくて夜ご飯をおごるからどこかお薦めのメキシコ料理屋に連れて行ってとお願いした。ジョンは行きつけのレストランに連れて行ってくれテキーラの利き酒をしたり辛いメキシコ料理にうなりながら楽しい時間を過ごした。そしてそろそろ2軒目にバーにでも行こうか!と盛り上がって「わ~い!」と喜んでいたがなんと私だけユースに連れ戻された・・・18歳だったからだ。アメリカでは21歳からお酒もタバコも認められる。お酒を買うときもIDを見せないといけない。特に日本人は若く見られるからサンタフェであった35歳の日本人旅行者もビールを買うときにパスポート見せろといわれたぐらい徹底している。ドラッグを手に入れるほうが簡単だと言われるぐらいだ。だからバーや飲み屋などお酒をメインにしたお店に入るときも必ず入り口でチェックされる。ジョンに「パスポート見せて」と言われ渡したが「やっぱ無理だね、擬装するのは・・・」と万能のジョンでも無理だと言う・・・という事で私一人先に送り届けられ、待っていたかのようにユースにいたオソノさんがのりのりでジョン号に乗って行った・・・ほんとにお世話になった超人ジョンに深々とお礼を述べ、ひとりさみしくみんなを見送った。しかしアコマの興奮につつまれたまま、きっと老人になってボケても忘れない長い印象的な一日に満足してすぐに眠りについた。長くなったなぁ。はっ、くしゅん!
2006年05月01日
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サンタフェ滞在中のでっかい思い出の一つに「空中都市」と呼ばれるアコマに出かけたこがどうしても頭に浮かぶ。たまたま雑誌でアコマのことを見て、しかも車でいける距離だということもあってどうしても行きたくなった。アコマはただっぴろい礫砂漠のなかに生えるようにそびえるメサ(テーブルマウンテン)の上にあるネイティブアメリカンの街だ。観光ツアーなどもあり、タオスのプエブロ同様観光地化している。でも「空中都市」というキャッチにあっさりつかまってしまい、どうしても行きたくなったのだ。そこで宿にいる人たちに声を掛けレンタカーで行かないかと提案したところ、5人ぐらいの日本人旅行者が集まった。で、レンタカーを借りに行こうとしたら、ある問題が。レンタカーを借りるときは免許証と保障証代わりのクレジットカードの名義が同じでないといけないのだが、免許証を持っている人がクレジットカードを持っていなかったのだ。それで一緒に旅行する仲間のクレジットカードを保障にしてくれと頼んでもやっぱり、レンタカー会社はOKしてくれなかった。電話帳でいろいろあたったがどこも同じ理由で断られた。最後の一社に電話してみるとなんと、「多分大丈夫」とのこと。で、みんなでわいわい行ってみるとそこのメキシカンな若ボスは「ごめんよ、やっぱりだめだ。」とあっさり断るではないか!期待させてわざわざ来店させて断るなんて質が悪すぎる!!みんなかなり切れ気味で店を出ようとしたら、さっきの若ボスが「俺の仕事は昼までだから、14時ごろユースに迎えに行く。行きたいところがあるんだろ?ここら辺の土地には詳しいし俺が運転するからどこにでも連れて行ってやるよ!」と言ってくれるのだ。「うそぉー!ほんとにー!?」とみんなで念を押すと「まかしとけっ!」という感じで若ボスは私達を見送ってくれた。で・・・宿でいささか緊張気味にみんなで若ボスを待つ。「ほんとに来るかなぁ~」「アメリカ人は口うまいからなぁ~」とかぼそぼそ言いながらまったりしていると・・・ブオォオン~!「来たぁ~!!」ほんとに14時ごろ若ボスは来たのだ。しかもめちゃくちゃでかい車で日本でいうマイクロバスのような立派な車で迎えに来てくれたのだ!みんなもう若ボスにめろめろでるんるん若ボス号に乗り込む。若ボスは乗れるだけ乗ってこぉーい!と気前よく言い、私達はそこら辺にいる人を誘いまくった。結局来たのは日本人ばかりで7人ぐらいだった。唯一英語が上手なカナダでワーホリ帰りのお姉さんを助席に乗せ無理やり通訳にしたて日本語オンリーで騒ぎまくる私達にあきれることなく若ボスはどこに行きたいのかと聞いてきたので「GO TO ACOMA!」と叫び「おっしゃー!」と若ボスは車を発進させた。若ボスの名前はジョン。なんて憶えやすいんだ。このナイスガイなメキシコ系アメリカ人のジョンはなんと14歳で親元を離れいろいろ歩き回りこのレンタカー会社を立ち上げまだ当時20代後半だったと思うが社長としてがんばっていた。しかしなんと心のでっかいやつなんだ!自分の会社の売り物であるピカピカに磨かれた大きな車を無料で提供してくれ、しかも自分が運転手役になって異国のわけのわからんほとんど男ばかりで色気もまったくないミーハー団体を笑顔で相手してくれるのだ。感動・・・。そんな優しいジョンに甘えまくり、途中インディアンアクセサリーで有名なサントドミンゴ(だっけ?)族の村に寄ってくれと宝石加工に興味のある人が言えばちゃんと寄ってくれ、嫌な顔一つせず暑い中みんなに付き合って村を歩いてくれた。一通り歩き回ってまたハイウェイに戻りアコマを目指す。が、アコマへの道のりはそう甘くはなかった・・・はっくしょん!("Bless you!" by jhon)
2006年05月01日
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