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宿ではビーチや動物園などの観光地へマイクロバスで送迎してくれるサービスがあった。宿の一見けだるそうで悪そぉ~なロン毛の兄ちゃんが運転して連れて行ってくれる。そこで、みんなでビーチへ出かけることに。カナダでワーホリ中の日本人旅行者とトルコ人、オーストリア人、オーストラリア人、スペイン人、ドイツ人、フランス人・・・多国籍な雰囲気でノリノリだった。ビーチは曇り空だというのに、人だらけ・・・日本のビーチのように人で埋め尽くされ、音楽がガンガン流れ、ビーチパラソルや、レジャーシートでカラフルに彩られていて、少々せわしないがにぎわっていて楽しい。海の水は残念ながらそこまできれいではなかったが、砂浜でごろごろねっころがって、みんな虫干ししている。空にはアメリカのビーチでよく見る、宣伝広告の旗を引いた飛行機が飛び交っている。海もやっぱり楽しいな。散々旅行中、日焼けしていたが、また余計に焼けてひりひりして痛かった。ビーチ周辺で遊んで結構くたくたになって宿に戻る。みんなでビール飲んで打ち上げ(?)してわいわい!しかし、だ!酔ったオーストリア人が絡んでくる。逃げ回っても、私の人生史上最高に酒癖の悪いやつですきあらば顔を近づけキスしようとしてくる(笑)この変態め!と退けてもやつは酔っ払って言うこと聞かない。酔ってるから仕方ないとはいえ、我慢できない!っとそのとき、別のオーストリア人が割って入って追っ払ってくれ、渋々やつは部屋に帰って行った。そして、助けてくれたオーストリア人がオーストリアを代表してか(?)、深々と謝ってくれた。おかげで、オーストリアとの戦は回避できたのだ。今となっては、いい思い出だ・・・(笑)そんなこんなでサンディエゴの日々はあわただしく、いろんな人がいて面白かった。旅行者だけでなく、ホステルで暮らしながら、何か勉強している人や、仕事をしている人もいた。そんな中、同じ部屋のアメリカ人のお姉さんが美術館のチケットをくれた。アート関係の勉強をしているきれいな人で、いい美術館だから是非行ってみてと行き方を教えてくれた。フリーダ・カーロの絵がたくさんあるという。絶対行こうと思い、久々に一人で動いた。ということで、また・・・へっくしょん。
2006年06月21日
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サンディエゴ最初の観光は動物園だった。動物園、実はあんまり好きではない。やっぱり不自然な感じがするからな。でも動物を見るのは好きだ。行けば子供になったと思って無邪気に楽しめる。しかもサンディエゴの動物園にはパンダがいるらしい。フランス人の兄さんと確か、バスなどローカルな交通手段で動物園へ向かった。私の英語はめちゃくちゃで、ネイティブの人との会話はチンプンカンプンだった。しかし、このフレンチ兄さんも英語はでたらめで、あてにならなかった。特に二人とも読むことが苦手で、時刻表や地図、案内書を読めず、道行く人に尋ねながら地道に進んでいった。でもなんとかてくてく動物園に向かい、無事に着いた。動物園はたくさんの家族連れや若者で溢れていた。結構有名な動物園のようだった。で、やっぱり一番人気はパンダだったようだ。私達はパンダに並ぶ人の列にびびり、あっさりパンダはあきらめた。そこで、広い園内をまわる2階建てバスのツアーに参加することにした。それも少し待たされたが、暑い中広大な動物園の歩き回るより楽で手っ取り早い。迷子になることもないし、動物の前ではストップしてくれるのだ。ということで、張り切って2階の席に座った。みんな異常に興奮していて、子供も大人も楽しそうだった。で、またガイドのアナウンスが熱い!乗客みんなが口笛鳴らしたり、拍手したり、大爆笑で大うけしている。が、私とフレンチ兄さんは「(・・・し~ん・・・)ねぇ、今なんて言ってたかわかった?」と聞くと「いや全然・・・(し~ん・・・)」と言う状態。でも動物を見るのに英語なんて必要ない!詳しい生態の説明などはわからなくても、動物は見てるだけで楽しかったりする。日本語マニアに陥りつつあるフレンチ兄さんに「熊は日本語で何ていうの?」「キリンは?」「象は?」と次々に聞かれ、しかも動物園の地図に日本語で書いてくれとまで言う。動物を見る合間に私はせっせと動物の絵の横にひらがなと漢字で書けるものは漢字も付けて書き込んでいた。フレンチ兄さんも漢字にはいたく喜んでくれていた。私も「あの動物フランス語で何ていうの?」って何度か尋ねたが、一つも憶えていない。ひとつとしてまともに発音できなかった。だいたい、彼の名前も発音が難しすぎて憶えきれなった。さすが人気のある動物園(たぶん・・・)で動物もいろいろいて、日本カモシカがいたことは今でも覚えている。ちょっとした珍しい動物もいてなかなか楽しかった。私達はバスで園内を回って、ちょっとランチタイムをとってから、もう動物園を後にした。動物園の周囲にある森のような公園をけっこう歩いて、また街にもどった。無事楽しい動物園トリップを過ごしました。次は海に行くんだな、みんなで。珍道中・・・っくしょん!
2006年06月15日
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いよいよフラッグスタッフを出ることにした。帰国の日が近づいてくるのでやっぱり西を目指す。でもロスには居たくないので、サンディエゴまで下った。また電車の旅だ。サンディエゴはカリフォルニアの一番南にあり、ここもメキシコへ入れる国境がある。日帰りのツアーなんかもたくさんあった。サンディエゴの町はきれいで、ロスほどに威圧感は無く過ごしやすかった。港には海軍の船もたくさん浮いていたが、いろんなお店やレストランが立ち並んでちゃんと観光地としてもにぎわっていた。私はインターナショナルホステルにチェックインした。街の中にあるホステルで、そんなに大きなホステルではないが、にぎわっていた。キッチンがあり、希望すれば3ドルぐらいで食べれるそこに住み込んでいるシェフが作ってくれるという、日替わりメニューがあった。朝はワッフルの生地が用意されており、好きに自分で焼いて食べれた。ドミトリーで一泊15ドルぐらいだったかな。世界各国の若者が集まっていて、狭い憩いの場では夜は毎晩パーティだった。最初仲良くなったのはフランス人で、名前は忘れてしまったけど私を日本人だと思っていきなり通訳してくれと言ってきたのだ。メキシコで出会った日本の女性旅行者を好きになり、メールを送りたいということで、英語で書いた手紙を日本語に訳してほしいらしい。そして、それをローマ字で日本語のメールを送りたいそうだ。『そんな手間掛けて読みにくいメール送るなよ~!英語でいいやん!』と内心思ったが、彼はかなりわくわくしていたので、引き受けてみた。しかもその日本人旅行者からもらったという絵葉書が久留米のもので、『おぉ!またマニアックなものをもらったなぁ~』と思いつつ「私の出身地と近いよ」というとフランス人はいきなり日本地図を書き出して「どこ?どこ?確か彼女の出身地はここらへん・・・、で君のとこは?」と大興奮の様子。とりあえず早く訳してあげよう・・・って最初から「Dear my princess」と来た。やっぱり「親愛なる私のお姫様/shinnainaru watashi no ohimesama」でいいのかー!?なんだ、最初から難しい・・・でもいいや。フランス人になった気分でかなり恥かしい文章をほぼ直訳してやった。きっとメールをもらうほうも送り手がフランス人だとわかれば、クスッと笑えるだろう。そしてやつに渡すと、早速宿にあるインターネットに向かい、懸命にローマ字で日本語をうっていた。そして出来上がったら私を呼びに来て、間違いがないかチェックしてくれという気合。う~ん、確かに読みにくい・・・でも彼は満足で、喜んでくれた。で、次の日彼とサンディエゴの動物園に行くことにした。果たしてパンダに会えるのか!?っくしゅん!
2006年06月14日
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フラッグスタッフでの忘れられない出会いの一つに日本人のヒッピー少女との出会いがある。ある日ユースでまったりしていると、日本人らしきお兄さんがいた。よく日焼けした顔でジーンズにTシャツに長髪、一見ネイティブアメリカンのようにも見える。向こうも私を日本人かなぁ~という感じで見ていてぺこりと会釈してきたので、あ、日本の人だなと思い挨拶した。さっき宿に着いたらしく、どこかの山に篭ってネイティブアメリカンのお祭り『サンダンス』の手伝いをしていたらしい。私はそんなお祭りなんてまったく知らないし、そのお祭りの内容のハードさに驚きつつ久しぶりに出会った日本人にうれしかった。そのお兄さんがもう一人日本人がいるよって教えてくれ、私を紹介してくれた。彼女が天然ヒッピー少女だ。会った時、彼女はほぼネイティブな英語を喋っていた。だからものすごく年上に見えて、うわー頼もしい!と思った。彼女も日に焼けて肌は褐色でコットンのロングスカートにいろいろなアクセサリーをたくさんつけていて可愛かった。声もはきはきと喋り、気さくでよく笑う。まさにアリゾナの太陽のように明るい。彼女と私はすぐに仲良くなった。なぜならお互い同じ年で、同じ名字で、どうでもいいが名前の画数が同じだった。彼女と近くのカフェに行ってお茶したり、メキシカンフードのお店で夕飯食べたり、宿に戻ってビール飲んだりしていろんなことをしゃべった。彼女はものすごく意志の強い子で中学を卒業してからアメリカに留学していたそう。だから英語もぺらぺらで日本人らしくない。彼女曰く日本がいやだったらしい。で、アメリカでインディアンに興味を持つようになって、ヒッピーな仲間達とアメリカ中旅して周り、ときどきこうやって大きなお祭りの手伝いをしたりするそうだ。手伝いも誰でもできるわけじゃなく、部族によっては一切外部のものを入れないと言うとこもあるらしいが、部族外のものが許可されるのもやっぱり信頼が得られないと手伝いすらできないらしい。彼女はサンダンスで1週間ほどテント暮らしで泊り込み、手伝いをしたらしい。毎年行っているようで、来年はもしかしたら祭りに参加させてもらえるかもしれないと嬉しそうに喋ったいた。最後の儀式で荒野に放されたヤギを一人一匹捕まえないといけなかったらしくて彼女は一日中ヤギを追いかけたと言う。いたるとこにあざや傷があったが、やっぱり豪快に笑っていた。彼女と過ごした時間はほんのちょっとで2日間ぐらいだった。彼女はフェニックスに向かい、それからどこに行くかは忘れたけど、日本に帰国するといっていた。私はフラッグスタッフのバス停まで一緒について行き、バスに乗るまで一緒にいた。もちろん連絡先は交換し、また会おうねと言っていっぱいハグして見送った。彼女とはそれ以来会えずにいる。でも会えると思う。いつでも会える。何度か日本に戻ってから手紙をくれたり、電話をくれたりした。彼女がピースウォーク(日本に落とされた原爆のウランを採掘した場所に古くから暮らしていたどこかのネイティブアメリカンの部族の人が来て、長崎から広島まで核反対と平和を祈りながらを練り歩くというもの・・・)のときに福岡に来ていて、すぐ近くにいると電話をもらったけど、理由は忘れたが会えなかった。でも彼女は時々ものすごいタイミングで手紙を送ってくれたりする。そして救われちゃうんだな。こうやって思い出していると、妙に彼女に手紙を書きたくなる。ところで私は「ヒッピー」という言葉が嫌いだ。私はふらふら旅をしていたけど、ヒッピーと呼ばれるのが嫌だった。なんだか反社会的で群れていて、逃げのイメージがある。一度日本でアメリカの同時多発テロ9・11以降に11月11日にいたるところでジョン・レノンの「イマジン」が歌われるというイベントがあった。おそらく世界規模でやったのだと思うけど、フラッグスタッフで会ったこの天然ヒッピー少女がメールをくれ私の住んでいるところの近くの会場を調べて教えてくれた。ま、ちょっと行ってみるかととある公園に行ったが、どうもあの雰囲気がだめなのだ。なんだがみんなドレッドヘアーにターバン、派手な染物のひらひらした服、ピースマークのペンダント・・・ギターやジャンベをならして何やら歌っている。みんな大抵いい人なんだ。でもなんか妙に悲しくなってしまう。私はちょっと彼らと話をして、帰りたくなったので、一緒に行った友達とビールでも飲みにいこっかと、その場を後にした。結局「イマジン」は歌わずに。いいんだ、いいんだ、別に歌っても。ヒッピーな彼女の事はいまでも大好きだし。ただ自分がヒッピーであると思うのはなんだか違うのだ、っくしょん。
2006年06月02日
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