電通の高橋治之元専務が8月17日、東京地検特捜部に逮捕された。2020年に東京での開催が予定されていた夏季オリンピックで、「AOKIホールディングス」から5100万円を受け取った受託収賄の容疑だという。
1980年にアメリカ政府はモスクワ五輪をソ連攻撃に利用し、84年のロサンゼルス五輪でオリンピックは放送ビジネスを巻き込むことで巨大利権の場と化した。このロサンゼルス五輪で電通は大会運営の責任者として商業化を推進したピーター・ユベロスに接近、カネ儲けに成功した。
その後、電通はユベロスを通じてアディダス創業者の長男であるホルスト・ダスラーに接触、スポーツ・マーケティング会社のISL(インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー)をダスラーと共同で設立、電通とISLとの関係は1995年まで続いた。その後も電通はスポーツで儲けている。その電通で大きな力を持ってきた高橋は幼稚舎から大学まで慶應義塾で過ごしているが、同級生のひとりが竹田恒治だ。
竹田恒治の弟にあたる竹田恒和は2001年から19年にかけてJOC(日本オリンピック委員会)の会長、ふたりの父親である竹田恒徳は1962年から69年まで日本オリンピック委員会の委員長をそれぞれ務めた。
恒和を会長に推した堤義明は第2次世界大戦後、竹田宮邸を購入して「高輪プリンスホテル」を建設した人物だが、堤自身、1989年から90年までJOCの会長だ。
竹田恒和は2019年に退任しているが、それにはオリンピック・パラリンピックの招致に絡む贈賄容疑に絡んでいた。 この贈賄容疑についてイギリスのガーディアン紙が2016年5月11日に取り上げている 。
2020年に東京でオリンピックを開催することが決まったのは13年9月のIOC(国際オリンピック委員会)総会だが、このときのプレゼンテーションで 安倍晋三首相は「福島の状況はアンダーコントロール」であり、「汚染水による影響は0・3平方キロメートルの範囲内に完全にブロックされている」と語り 、批判されている。明らかな嘘だからであるが、その嘘を各国の委員、要するにアメリカは受け入れた。
2013年7月と10月に東京五輪招致委員会からIAAF(国際陸上競技連盟)の会長だったラミン・ディアクの息子が関連するブラック・タイディングスの秘密口座へ130万ユーロが振り込まれたとフランスの警察当局からの情報として伝えられている。その息子であるパパ・マサタ・ディアクは当時、IAAFにコンサルタントとして雇われていた。
その口座を管理していたとされているイアン・タン・トン・ハンはパパ・マサタ・ディアクと親しく、IAAFの幹部と定期的に接触しているとされている。アスリート・マネージメント・アンド・サービスのコンサルタントとして働いているが、この会社は電通スポーツの子会社だという。
東京五輪招致委員会の理事長を務めていた竹田恒和はタンと契約する際、「コンサルタントから申し入れがあり、電通にも確認して必要と判断したのを私が決済した」としている。竹田との関係から高橋治之の名前も浮上した。(エコノミスト、2016年8月23日)
高橋、竹田親子、堤の人脈の背後にはオリンピックのスキャンダルに止まらない深い闇が存在している。
戦争中、関東軍は中国で財宝の略奪作戦を行っている。ジャーナリストのスターリング・シーグレーブとペギー・シーグレーブによると、日本軍が南京を攻略した1937年から組織的な財宝の略奪、いわゆる「金の百合」が始まるのだが、この略奪工作を指揮していたのは秩父宮雍仁で、その補佐役は天皇の従兄弟にあたる竹田恒徳だった。秩父宮は駐日大使のジョセフ・グルーとつながっている。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)
日本の敗戦が決まった当時、フィリピンを担当していた日本軍第14方面軍の司令官は山下奉文大将だが、彼が赴任してきた1944年9月に財宝の集積作業は終盤にさしかかっていた。作戦を指揮した人物とは言いがたい。
作業が進められていたと思われる1941年11月当時の第14軍司令官は本間雅晴中将であり、翌年8月からは田中静壱中将、43年5月からは黒田重徳中将、その次が山下大将だ。なお、1944年に第14方面軍へ名称が変更されている。このうち本間中将は1946年4月にマニラで刑死、田中大将は45年8月に自殺し、山下大将は46年2月にマニラで刑死している。
金の百合で秩父宮らは中国政府が保有する資産を奪っただけでなく、憲兵隊が銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪した。その総重量は6000トンに達したという。ちなみに、上海派遣軍の司令官として南京攻略戦に参加、事実上の最高責任者だった人物は朝香宮鳩彦、昭和天皇の叔父にあたる人物だ。
大陸で略奪された財宝はフィリピンに集められ、そこから日本へ運ばれる手はずになっていたのだが、途中で輸送が困難になる。そこで相当部分がフィリピンの山の中に隠されたと言われている。運び出しに成功した金塊は東京にあるスイス系銀行、マカオにあるポルトガル系銀行、あるいはチリやアルゼンチンの銀行に運び込まれたという。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)
こうした工作をアメリカやイギリスの情報機関は戦争中から知っていて、日本が降服するとすぐに回収工作を始めた。そして1945年10月中旬、OSSのエドワード・ランズデール大尉(当時)は財宝の隠し場所を日本軍の捕虜から聞き出すことに成功。このランズデールはこの後、CIAの秘密工作で中心グループのひとりとして名前がしばしば出てくる人物だ。
ランズデールはフィリピンで日本軍が隠した財宝に関する情報を聞き出し、関連するファイルを見つけたが、その下で取り調べに当たっていた情報将校がセベリーノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーナである。(Sterling & Peggy Seagrave, “Gold Warriors”, Verso, 2003)
ランズデールは日本軍が隠した財宝に関する情報を持って東京へ飛んでダグラス・マッカーサー元帥、G2(情報部)のチャールズ・ウィロビー少将、GS(民政局)のコートニー・ホイットニー准将らに報告している。さらに、その足でワシントンDCに向かってジョン・マグルーダー准将に説明した。ランズデールをフィリピンへ行かせたのはこのマグルーダーだ。
マグルーダー准将はウィリアム・ドノバンOSS長官の部下だった人物で、軍人というよりは情報機関員。マグルーダー准将の指示でランズデールはハリー・トルーマン大統領の国家安全保障を担当していたスタッフにも会い、報告している。
この財宝をアメリカの国際戦略に利用しようと考えたのはヘンリー・スティムソン。大戦中に陸軍省の長官を務めていた人物だ。スティムソンの下には、ジョン・マックロイやロバート・ラベット、そして後に財務長官になるロバート・アンダーソンたちがいた。こうしたメンバーも情報を共有していたとみられている。マックロイはロックフェラー財閥に近く、アレン・ダレスとも親しい。1947年から49年にかけて世界銀行の総裁を務め、49年から52年までは高等弁務官としてドイツに駐在、ナチスの元高官を救い出し、その後はチェース・マンハッタン銀行やフォード財団の会長などを経験することになる。
金の百合の回収が進められていた頃、ヨーロッパでは「ナチ・ゴールド」が回収されていた。ジョン・ロフタスとマーク・アーロンズによると、ナチスがヨーロッパで略奪した資金はドノバンのWCC(世界通商)でロンダリングされ、戦後にタイへ運ばれたという証言もある。(John Loftus & Mark Aarons, “The Secret War against the Jews”, St. Martin’s Press, 1994)
WCCの背後には経済界の大物が名を連ね、その中にはネルソン・ロックフェラー、ジョン・マックロイ、あるいはゴールドマン・サックスに君臨していたシドニー・ワインバーグ、アヘン取引で富を築いて香港上海銀行を創設した一族のビクター・サッスーンなども含まれていた。(Peter Dale Scott, “American War Machine”, Rowman & Littlefield, 2010)
日本軍から得た情報に基づいて財宝の掘り出し作業が始まり、1945年から47年にかけてフィリピンで回収された金塊は42カ国の銀行の176口座に分散して預けられ、「ブラック・イーグル・トラスト」と呼ばれる秘密の基金が創設されたという。シーグレーブによると、後にイギリスの金融関係者も同トラストに参加した。
こうしたアメリカの人脈と東京地検特捜部は緊密な関係にあると言われている。つまり、日米の地下人脈で内紛が起こっている可能性がある。