《櫻井ジャーナル》

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

サイド自由欄

寄付/カンパのお願い

巣鴨信用金庫
店番号:002(大塚支店)
預金種目:普通
口座番号:0002105
口座名:櫻井春彦

2022.08.24
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

 ​ ロシア人ジャーナリストのダーヤ・ドゥギナが8月20日、モスクワで殺害された ​。彼女が乗ったトヨタのランド・クルーザーが走行中、遠隔操作で爆破されたのだ。彼女の父親であるアレクサンドル・ドゥギンは著名な哲学者。その時に彼女が乗るSUVの後ろを別の自動車で走っていた。

 爆破犯はウクライナ人のナタリア・ボークだとロシアのFSB(連邦保安庁)は発表。ボークがアゾフ特殊作戦分遣隊(通称、アゾフ大隊)に所属していることを示す文書が公表されている。





 ボークは12歳になる娘とふたりで7月23日にロシアへ入り、ドゥギナが住んでいるアパートを借りたという。娘を連れていたのはカモフラージュのためだと見られている。ドゥギナ殺害の翌日にボーク親子はエストニアへ逃亡、現在、そこで匿われてるようだ。

 ウクライナのクーデター体制を支援している西側諸国はプロパガンダ戦を仕掛けているのだが、その嘘が明らかにされている。西側はメディアの力でロシアを圧倒しているが、ウクライナの軍や親衛隊が人質にしていた住民がロシア軍に解放されて実態を証言、その映像がインターネットを通じて漏れはじめ、西側メディアの嘘が知られるようになってきた。捕虜になったウクライナ側の兵士の証言も西側メディアの嘘を明らかにしつつある。

 そうした事実を明らかにしているのが独立系ジャーナリスト。キエフのウォロディミル・ゼレンスキー政権はこうしたジャーナリストたちを「暗殺リスト」に載せているとも言われている。

 ドゥギナ殺害ではSBU(ウクライナ保安庁)が協力したと見られている。2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領が暴力的に排除されたが、その直後、SBU長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコはCIAに協力していた人物。それ以降、SBUはCIAの下部機関と化している。

 CIAの副長官を務めたことがあるマイク・モレルは2016年8月にチャーリー・ローズからインタビューされた。モレルはヒラリー・クリントンを支援するためにCIAから離れた人物だ。

 インタビューで彼はロシア人やイラン人に代償を払わせるべきだと語り、​ 司会者からロシア人とイラン人を殺すという意味かと問われると、その通りだと答えている ​。元CIA副長官がロシア人を殺すと公言したのだ。

 その発言の前、2015年11月にはアメリカ政府が目の敵にしてきたRTを創設した人物がワシントンDCのホテルで死亡。発言直後の2016年9月6日にモスクワでウラジミル・プーチン大統領の運転手を40年にわたって務めた人物の運転する公用車に暴走車が衝突、その運転手は死亡した。

 さらに、2016年11月にニューヨークのロシア領事館で副領事の死体が発見された。12月にはトルコのアンカラでロシア大使が射殺され、ロシア外務省ラテン・アメリカ局の幹部外交官が射殺され、KGB/FSBの元幹部の死体が自動車の中で発見された。

 2017年1月にはギリシャのアパートでロシア領事が死亡、インドでロシア大使が心臓発作で死亡、そして2月にはロシアの国連大使だったビタリー・チュルキンが心臓発作で急死した。

 アゾフ大隊を含む親衛隊はネオ・ナチを主力にして編成された。そのネオ・ナチを率いているひとりである ドミトロ・ ヤロシュは昨年11月にウクライナ軍参謀長の顧問に就任、軍をコントロールしている。

 ヤロシュがネオ・ナチのグループへ入ったのはドロボビチ教育大学の学生だった頃。そこで知り合ったワシル・イワニシン教授はOUN-B人脈のひとりで、KUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)の指導者グループに属していた。イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。

 その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランド。彼女はユダヤ系だが、父方の祖父母はウクライナからの移民だ。

 ヌランドと同じように反ロシア感情が強かったズビグネフ・ブレジンスキーはポーランド貴族の家に生まれている。彼の教え子で、やはり反ロシア感情が強かったマデリーン・オルブライトはチェコスロバキアの出身だ。

 NATOに加盟すると秘密部隊を組織することになる。中でも有名な部隊がイタリアのグラディオ。1960年代から80年代にかけて極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画している。

 このネットワークは第2次世界大戦の終盤、レジスタンス対策のためにイギリスのSOE(特殊作戦執行部)とアメリカのSO(秘密工作部)が編成したゲリラ戦用の組織ジェドバラから始まる。SOはOSS(戦略事務局)の一部門だ。米英の巨大資本はレジスタンスを敵視していた。

 大戦後にジェドバラは解散するが、人脈は残り、アメリカではOPCになり、それが1950年10月にCIAへ吸収され、52年8月にはOPCが中心になってCIAの計画局になる。その後、1973年に作戦局へ名称が変更になり、2005年いはNCS(国家秘密局)へ衣替えし、15年3月に再び作戦局へ戻っている。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.08.24 10:03:51


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: