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そして、文明開化の明治時代の歴史の説明も、省略します。
ただ、明治天皇が、1868年に成立した明治政府の新しい時代の欧化と復古と富国強兵政策の旗頭になられたことは事実で、神道も、それに利用された点も有ると、私は思います。
岩倉具視の率いるフリーメーソン政府は、国内統一にも、外交政策にも、明治天皇を持ち上げ、一見華々しい時代の開闢になりました。
国益を思い、政府の要人達や御用掛りを信じ、誠実に対応されたと、私は聞いていますが、1872年に国軍が創設され、富国強兵政策が確立して行き、1894年の日清戦争、1898年の軍制確立、1904年の日露戦争になった流れの中で、明治天皇は、次第に、政府からも軍部からも疎外されつつあるご自分を感じ取られたそうです。
その転機となったのが、ハワイの王との出会いでした。
この話を私が聞いたのは、まだ子供の時代で、母に連れられ、高齢の祖父に会いに行った時で、祖父は、「この子が例の子供か?」と、母に確認してから、「大人になって、何時かこの事実が重大な意味を持つ時が来るから、良く覚えて置きなさい。」と申しました。
「明治天皇に、当時のハワイ王が助けを求めて見えたのは、1897年、ハワイがアメリカに合併する事態になった以前の事で、ハワイ革命(1893年)に引き続いて共和制(1894年)がしかれた頃だった様だが、明治天皇は、王の訴えの意味、つまりアメリカの属国になるという意味が良くお解りにならず、直ぐに支援できず、良く調べてからご返事するとお応えになったそうです。
ところが、周辺から正しい情報がなかなか得られず、手間どってしまい、ようやくマヤ、アステカ、インカ等々の崩壊の歴史に引き続く事態だと気づかれ、しまったと思われた時には、既に手遅れでした。
その時から、天皇としての明治天皇の苦しみが始まり、ハワイの人々に対するお詫びの気持ちと、ハワイ王の言葉の通り、もしかしたら、古代からの預言の様に、日本も危ないのではないか、方向を間違えているのではないかと感じる様になられた訳で、そうした天皇と、フリーメイソンやイルミナティーの欧米文化の流れに染まりながら、富国強兵策を進める方向の先に何があるのか、なかなか気づこうとしない政府や軍部との溝は次第に深まり、孤立化し始めたそうです。
そうした明治天皇を、本当に理解したのが、日露戦争を勝利に導いた乃木希典将軍でした。
乃木将軍は、大変高潔な人格の方で、戦争で殺し会う事の愚かさを深く思索し、彼の直属の部下だった私の祖父に、日露戦争後、もう戦争をすべきではない事、人間の成長は、学問や教育や文化を通して、精神を成長させる方向にある事を語り、祖父にも、軍人でなく教育者に転身を勧めたそうです。
明治天皇は、日本の未来の危機を防ぐ為に、学習院の院長に乃木氏を任命され、4年間、皇太子だった昭和天皇のご指導を依頼され、ご自分が伝承を受けていた事や学びえた古代史等重要な事を、乃木氏を通してお伝えになったそうです。
それは、孤立化した厳しい環境状況の中で、日本の未来を思う明治天皇の、真摯なお取り計らいだったのです。
後に大正天皇になられた方に、伝承出来ない事情もありましたから。
最初には利用され、最後には孤立化させられた明治天皇の苦しみと日本を救いたいお心を、深く感じ取られた乃木希典夫妻は、1912年、向こうの世界でも、お側で支えて上げたいと殉死されました。
以上、覚えていた内容を、私の言葉で表現しましたが、魂の世界の実在、霊団の実在を信じる人々には、良く理解出来る事だと思います。
私は、殉死には賛成しませんが、乃木夫妻のお気持ちは良く理解できますし、現在も、明治天皇のお側で、日本を見守っておられるのではありませんか?」



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