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去年の7月、我々の『反日種族主義』が出版されたとき、主要言論
機関と左派勢力が見せた反応は、「この国は種族主義社会だ」という
我々の仮説を充分に証明してくれる、その程度のレベルでした。
主要言論機関は、最初から沈黙することで我々の本の普及を妨げました。
歴史学界の本陣も沈黙しました。しかし、大学と言論の周辺をうろつく
左派運動勢力は逆上しました。我々にありとあらゆる形態の憤怒と罵倒
の言葉を浴びせかけました。ある小説家は、「新反民族行為処断法」を
制定してでも我々を処断しなければならない、と主張しました。
彼の言う歴史は、彼らが作り出した幻想に過ぎないものなのにです。
教授出身で現政権の核心の一人であるある政治家は、我々を「反逆売国
親日派」と罵倒しました。また、他のある有名な教授は我々を、日帝の
ために命を捧げる「回天」だ、と糾弾しました。回天とは、日帝が米国
との戦争末期に開発した人間魚雷です。ある法学教授は私を名指しして
「学問的人生は終わった」と言いました。私が一生をかけてどのような
研究をし、どのような成果を挙げて来たのかも知らないはずの人物です。
近代化は、単に法と制度の問題だけではありません。前近代と近代の
間には、簡単に渡れない文化と宗教の渓谷があります。韓国の知性史に
おいて、このような近代の関門を突破しようとする努力はあまり見られ
ません。それがゆえに今でも、『反日種族主義』においても強調しまし
たが、朝鮮王朝がどのようにして滅びて行ったのかを知らないのです。
未だにこの国が、どのようにして建国されたのかを知らないのです。
それだから「滅びるのにも、再建するのにも失敗した」と記したのです。
文化と宗教のレベルで近代の関門を通過したことがないので、未だに
中世的幻想、狂信、偏見、憎悪が横行しています。
しかし、我々は勝利します。まだ少数派ではありますが、『反日種族
主義』は相当数の読者層を確保できました。以前は期待できなかった
新しい現象です。やはり歴史は少しずつ進歩しています。
建国の父李承晩(イスンマン)が1904年、漢城監獄で執筆した『独立精神』
の中に、この国の嘘つき文化を嘆く次のような記述があります。少し長め
ですが、示唆するところ大なので、そのまま引用したいと思います。
今日大韓と清国をここまで滅茶苦茶にしている一番大きな原因は何なの
かと言えば、嘘をつくこと、それがまず第一だと言うことができる。その
嘘をつく悪習をみな列挙しようとすれば切りがない。上の者は下の者を騙し、
子供は親を騙すが、他人を上手に騙す者を賢いとか聡明だと言い、騙せない
者をできそこないだの間抜けなどと言う。父母が子供を諭すのに他人に気を
許すなと言い、先生が子弟に訓じるときに嘘で誉め、人間万事にそれなりに
関係のあること、あるいは関係のない事柄にも嘘と謀が蔓延し、それを礼儀
とも言い、権謀術数だとも言って、これは無くてはならぬもの、これ無くし
て働き手に腕がないと言う。
嘘で家庭を治め、嘘で友人と付き合い、嘘で国を治め、嘘で世界と交渉
するが、自分が話すときは肚を見せずに語り、他人の話はうわのそらで聞い
ているのだから、他人の公明正大な言葉も嘘に聞こえ、私の真実な言葉も
また真っ直ぐには伝わらず、たった二人の間の私的なことも議論できない
というのに、どうして国の重大な問題を語り、決定することができるだろ
うか。それで世界では、大韓と清国を嘘の天地だと言い、公使や領事を
選んで送ると真に正直な人は眉をひそめ、かぶりを振り、赴任して来た
ことをよく思わないが、これは真実を感じることができないばかりか、
事を決定することができないからである。実に恥ずかしく悔しく残念な
ことである。
多様性や情報の信頼性 コロナ対策にも政治にも『 「親日」の台湾から、学ぶべき時 』
資本主義市場経済において最も重要なのは「信用」「信頼」であり、
その源泉は「情報」だ。台湾では多数の市民と政府の間に信頼関係が
築かれている。我々在住外国人の多くも、政府の発信する情報を信頼
している。
私が大いに参考にした日本人学者の本があります。池内敏教授の
『竹島問題とは何か』という本です。秀逸な研究書です。まだ韓国には、
これほどの研究書は出ていないようです。彼の独島に対する理解は、
日本の学界でも少数派のようです。彼は、「19世紀末まで朝鮮政府と
日本政府のどちらも、独島に関する認識や領有意識が不透明だったのは
同じだった。日本は、17~19世紀に三回にわたって、『独島は自国の
領土ではない』と確認した。客観的に見て、朝鮮側により近い島だった
からだ。そのような島を1905年、“無主地先占の原則”に従って自国
領土に編入したのは、果たして道徳的に正当なのか」と、日本人に
問うています。結論的に池内は、「独島問題については両国政府が
目くじらを立てて争うのではなく、自身の弱点を謙虚に直視しながら、
一歩ずつ引き下がる必要がある」と述べています。
『反日種族主義』でも強調しましたが、私も同じ意見です。私は、
地理的要件からすれば独島領有の正当性がなくはないが、また、李承晩
大統領の独島編入が持つ歴史的意義も大きいが、それだけで国際社会を
説得するのは力不足だと思います。于山島は幻想の島でした。
“石島=独島”説は有効ではありません。したがって、日本と断交する
覚悟でなければ、両国が一歩ずつ引き下がって紛争を封印するのが
正しいと思います。1965年の独島密約のように、お互いに譲り、尊重し、
配慮する姿勢に戻らなければなりません。それからは、両国の政府と
国民が協力する中で、明るい未来の東アジアを作って行かなければ
なりません。そのような姿勢で、独島を海の真ん中にある無用の岩島
ではなく、夜空に光る星へと昇華させなければなりません。両国民が
共有する永遠不変の理性と自由と道徳律の象徴としてです。
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