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廻転生ということについて深く考えたことがなかった。子供の頃、私の
父母はそういうことに無関心だったが、私の乳母は何かというと「生れ
変り」を口にした。そんなことをしたら、今度生れ変ってくる時は犬
(あるいは猫・牛・馬)になりまっせ、というのが得意だった。」
シャクシャインはアイヌ同胞の中でもとりわけ背が高く、骨格逞しく、
その力の強さは誰もかなう者はなく、幾多の戦場をくぐってかすり傷ひ
とつ負わなかったといわれる。彼は現在の日高静内の丘の上に砦を構え、
アイヌ民族独立を目ざして蜂起した。その静内の西北、新冠の奥にオニ
ビシという酋長がいたが、まだシャクシャインが酋長にならない若い頃、
彼がどうしたわけかオニビシの部下を殺したことが原因で両者の間に六
年にわたって抗争がつづいていた。
一方松前藩は服従しないシャクシャインが邪魔だった。殊にシャクシ
ャインのいる静内の川の上流に松前藩の砂金採取場があり、それに対し
てシャクシャインが抗議をくり返してくるのが厄介だった。そこで松前
藩はオニビシを使ってシャクシャインを倒したいと企図した。オニビシ
もまたシャクシャインに劣らぬ剛勇の士で、衆望を負うていたというが、
民族独立を目ざすシャクシャインに対して、オニビシは松前藩に従い懐
柔されていたと考えてよいだろう。
砂金採取場の坑主は文四郎という、一六六八年四月二十日、オニビシ
は文四郎に招かれてその館を訪れていた。それを知ったシャクシャイン
は部下を率いて文四郎の館を取り囲み、オニビシを殺したのである――。
オニビシには姉がいた。沙流のウトマサという酋長の妻になっていた
が、弟オニビシの復習をしようとしてアツベツ川に砦を築き、シャクシ
ャインを倒す機をうかがう。
これを聞いたシャクシャインは、浦河のアイヌ部族を送ってアツベツ
の砦を襲い、この時は撃退されるが七月中旬に再び襲い、アツベツの砦
を陥す。オニビシの姉はこの時に戦死し、部下たちの多くは山中に逃げ
散る。

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さそい水さん